◆少女たちの決別


 スフレを作るための夜の学校に入った、その帰り道。

 目が治ってテンションが上がりに上がっていたせいで、片付けている最中の記憶がない。っていうか、ちゃんと片付けたかな? あと、ちゃんと鍵かけたかな? 明日になって学校から何か盗まれてたらどうしよう。エリムはせるだろうけど、ルルが誤魔化せるとは思えない。問い詰められたら、絶対素直に学校にいましたと言ってしまうだろう。それは口止めしていても変わらないだろうし、出来ることはないかな。過去のアタシが鍵をかけていることを期待するしかない。かけてなかったら二人が何か言ってくるはずだし、かけてるはずだ。きっと。たぶん。

 そんな大きな不安があっても、アタシの足取りは軽かった。自然と軽くなってしまっている。

 けれどそこで、急激に不安に駆られた。元に戻ったのは、あの瞬間だけの奇跡だったんじゃないか。そう思えば思うほど、そうなんじゃないかという気がしてくる。長い間自分の目にあったものが、突然なくなったのだ。一回見ただけでは、ホントかどうか信じられない。

 いったん立ち止まり、改めてスマホのカバーに付いている小さな鏡を見る。不安だったから、ゆっくりと鏡の前に顔を固定する。

 そこにはハートマークのなくなった、アタシの黒い目があった。

「わー……!」

 あの瞬間だけ戻ったわけじゃなく、確かに元に戻ったのだ。

 さっきは突然のことで驚きのほうが上回っていたけれど、ようやくうれしさのほうが大きくなった。思わずニヤけてしまうけど、今日くらいはいいだろう。周りは暗くて人通りも少ないし、アタシの顔をマジマジ見る人なんていないだろうから。もしもいたら、通報してやる。

 これでやっと、変なうわさの原因はひとまずなくなった。後は、なんとかして裏アカをやめるだけだ。それから、頑張って先輩と話せるようになろう。そしていつか、誕生日にきちんとお菓子を渡せるような関係になりたい。スフレが好きって言ってたし、それが渡せるようになれば一番いい。

 とはいえ裏アカをやめることも、先輩と話せるようになることも難しいだろう。けれど、症候群を克服した今、出来ないことは何にもないように感じられた。だってきっと、症候群を克服出来たのは少しでも自分から先輩に近づこうとしているからだ。確信はないけれど、きっとそうだと直感する。これからもっと近づけるように努力すれば、きっと大丈夫。

 とりあえず、これからの将来に向けてモデルとしての活動を再開したいな。目にハートマークが浮かび上がってからは、症候群に対するイメージも悪くって出来てなかったワケだし。解決した今なら、前よりもスタイルも良くなってる自信がある。けれど、それだけじゃ戻ることは難しいだろう。しばらくはSNSで、地道にフォロワーを増やすのに専念したほうが良さそうだ。

 ちょうど新しいSNSも、出来てるみたいだし。

 そう。最近は皆、出来たばかりのSNSのほうに移行しつつある。今まで使っていたSNSの使用率は、目に見えて下がっている。思い切ってアカウントを消す人も多いくらいだ。

 誰もいないところに何かを投稿しても、自己満足は出来るかもしれないけど承認欲求は満たされない。

 アタシも移行しようとしているけれど、まだ勝手がよく分かっていない。投稿するのが画像じゃなくて短い動画になったっていうのが大きな壁だ。動画はあまり撮ってこなかったから、しばらくは様子見するしかない。

 それでも、アタシなら人気を得ることなんて難しくないだろう。

「だって、こんなに可愛かわいいんだし……!」

 もう一度、鏡で自分の黒目を見る。

 目がハートマークなのも変なことをうわさされないなら可愛かわいいと思っていたけれど、やっぱり元々の黒が一番可愛い。


 ○


 嫌な予感は、していた。

 だってそうだろう。三人の関係は、それぞれの症候群を解決するためというあくまで利己的なものだ。二人も解決してしまった今、この関係を残しておく理由なんてない。

 いつ、解散を宣言されるんだろうか。もしかして、このまま自然消滅的な? どうなるのか全く分からずに、ただおびえながら毎日を過ごしていた。そのせいで、屋上には近づけなかった。もちろん屋上に行かないことが、離れていくのを止められるわけじゃない。ただただ、私が逃げているだけだ。

 私じゃ、二人が離れていくのを止めることは出来ない。

 二人にとって、私は友達じゃないから。

 恋バナをして、お菓子を作って、症候群以外のこともいっぱい話して……私としては、今までにないくらい友達だと思ってるんだけど、それは私が勝手に思ってるだけなんだろう。寂しいことだ。

「ルルちゃん、最近元気ないね? クラクラリ?」

 そんなことに気をとられながらも、いつもの子たちとお昼ご飯を食べていた。食べているけれど、味はよく分からない。

「クラクラリ……?」

 多分クラクラしていることを言いたいんだろうけど、リが付くだけで何かふわふわしてくる。あんまり深刻そうじゃなくなる、っていうか。

「語感が良くない? クラクラリって」

「……確かに、ちょっと可愛いかも」

「だよねー」

 あいざわさんは、思わず笑ってしまった私を見てどこかうれしそうにした。けれどすぐに、真剣な顔でこちらをのぞき込んでくる。

「でも、本当にクラクラなら無理しちゃいけないからね」

「うん、分かってる」

「屋上に行くことで元気になれるんなら、行ったほうがいいと思うよ」

「え?」

 屋上って……。

「行かなくなってから、目に見えて元気なくなってるしさ」

 彼女はためらいがちにそう言った。『サボるのは本当は良くないけどね』と小さな声で付け加えている。

「……あいざわさんからも、そんな風に見えてる?」

 屋上に行っているから元気になっているわけではないんだけど、あの二人と話すことで元気になっていたのは事実だ。そうだ。それくらい、あの子たちと話すのは楽しかったんだ。

「うん。なかさんからもそう見えてるはずだよ。ね?」

 彼女の視線を追って、私も田中さんのほうを見る。田中さんはいつものように本を読んでいたが、急にこっちを向いた。

「うん、そう見えてた」

「そ、そっか……」

 全てに興味がなさそうな田中さんにすらそう見られていたんなら、よほどのことなんだろう。

「そろそろ、昼休み終わるけど」

 本を閉じて、田中さんは言った。その言葉に、相沢さんはうなずくと片付けて教室に戻る準備をした。そして、あつにとられている私に問いかける。

「私たちは教室に戻るけど、ルルちゃんはどうする?」

「……どう、しよ」

 今この時間に屋上に行って、二人がいるという確信はない。分からないのに、サボっちゃっていいのかな。いや、次の授業は数学だからサボれるんならサボりたいけど、でも、授業についていけなくなったら困るし。っていうか毎回ノート写させてもらってたら、相沢さんも迷惑だろうし。

「ノートなら大丈夫だよ。私、ルルちゃんよりも成績いいし」

 そんな私の考えていることが分かったのか、相沢さんがはそんなことを言った。まさか相沢さんがそんな挑発的なことを言ってくるだなんて思わなくて、驚いてしまう。けれどすぐに、私は笑った。そして、リュックをしっかりと手に握る。

「じゃあ、よろしくね!」

 そのまま二人を背にして、屋上に向かった。

 二人に会って、きちんと話をしよう。そんな思いを、抱きながら。


 ○


 キンコンカンコンと、五限目が始まるチャイムが鳴った。相沢さんと田中さんは、今頃真面目まじめに授業を受けているんだろう。……そういえば最近やってるところって難しいし、ノートだけで理解出来るだろうか。ちょっと不安になってきた。

「……はぁ」

 ため息が出る。

 私はというと、屋上の前に来ていた。けれど、中々扉を開けることが出来ない。二人のうちどちらかでもいるだろうか、いないだろうか。こういうのが開けるまで分からないことを、何とかの猫って言うってこの前テレビでやってたような……。何だったかな?

 いや、今は名前とかどうでもいい。今大事なのは、二人がいるかいないか。そして、もしもいた場合に何て声をかければいいのかだ。何て声をかけよう。っていうか声をかけたとして、ちゃんと返事があるんだろうか。もう関係なんて一切ないんだし、無視される可能性だってある? だとしたら結構きついなぁ。そんな扱いを受けるくらいなら、来なきゃ良かったかも……。まだ扉を開けてもないのに、嫌な想像が頭を埋め尽くす。このまま教室に戻ろうかな……。

 ピロリン!

 そう思っていたら、スマートフォンの通知音が私のリュックから聞こえた。あれ? マナーモードにしてなかったっけ!? 慌ててリュックの中から取り出すと、案の定マナーモードになっていなかった。急いでマナーモードにしてから、何の通知なのかを確認する。すると、それはナナからのメッセージだった。

『いつまでそこにいるつもり?』

「えっ?」

 見られてる……? 意識して扉を見てみると、ガラス越しに屋上の中が見える部分があった。そこから向こうを見ると、ナナとエリムもこっちを見ていて目線がぶつかる。

 二人ともいた。そして、反応がある。私は、扉を勢いよく開けた。

「いつから、見てたの!」

 恥ずかしさに叫ぶ私を、二人は笑う。

「扉の前に来た時から、ずっと見てたよ。すごい悩んでたから、入ってこないのかと思った」

「どうして、そんなに悩んでいたんですか?」

「どうしてって……」

 決意してここに来たはずなのに、二人とどう向き合えばいいのかが分からなかったからだ。……そう、素直に言うべきなんだろうか。言ったところで、どうにかなるの? っていうか、察しのいい二人なら全部分かってるんじゃないの? その上で私が何を言うのか探ってるんなら、いくらなんでも性格が悪いんじゃない?

 色んな言葉が頭に浮かんで、どれから言えばいいのか分からなかった。無言になってしまい、屋上は沈黙する。

 けれど、決意した以上は私から言わなきゃいけない。何のためにここに来たのか、分からなくなってしまう。

「……もう、このグループは解散なのかな?」

 出てきた声は思っていたよりもずっと小さくて、二人に届いたか分からなかった。けれど、二人にはちゃんと届いていたらしい。どこか、こちらを哀れむような顔になる。その表情に、私は顔がこわばるのを感じる。ちょっとだけ、怖い。

「……私たちは二人とも、解決してしまいましたからね。集まる理由は、なくなってしまったかもしれません」

「でも、流石さすがに夜の学校でスフレ作るのに付き合ってもらったりしてるからさ……手を貸す必要があるっていうんなら、集まろうかな?ってカンジ。ねぇ?」

 ナナがエリムに同意を求めた瞬間に、エリムはどうして私も?というような表情になった。彼女のことは手伝ってないんだから、当然といえば当然だろう。けれどエリムはすぐに表情を戻して、そうですねと同意する。

「何か出来ることがあれば、言ってください。それに、私もナナも屋上にいるかもしれません。一緒になったときには、お話くらい聞きますよ」

「でもそれじゃ、私の症状は解決しないと思う……!」

 今まで通りに屋上で話していたんじゃ、解決なんて絶対しないだろう。かといって、手を借りたいことなんて思い浮かばない。どうすればいいのか分からなくて、私は追い詰められるような感覚に陥る。自然と涙が出そうになる。

「なん、何で泣きそうになってるワケ? そんな、泣くことじゃないじゃん。ね?」

「泣きそうなんかじゃ、ないし……」

「何で変なところで強がるの」

「強がってないし!」

「強がってるじゃん!」

「落ち着いてください」

 言い合いになりそうになる私たちの間に、エリムが入ってくる。彼女の言葉で、私たちは深呼吸をした。私の鼻からは、ずびずびと音がする。私は、間違いなく泣いている。

 まるで私だけ置いてけぼりにされてしまったみたいで、すごく怖いんだ。

「結局ルルは、何に悩んでいるんですか?」

 穏やかな口調のエリムが、そう問いかけてくる。

「それは……」

 頭に浮かぶのは、目の前で落ちていくバレーボール。いつの間にか発症してしまった、よく分からない症候群に苦しめられてきた日々。突き飛ばしてしまったユカの顔。そして、人の顔色をうかがって過ごすようになった日々。

 全部が全部、私の小さな背中に悩みとして乗っかっている。けれど、それをく口に出来る気がしなかった。「何に」悩んでいるかが、ハッキリしていないんだ。だから、私は、誰かを頼ることも難しい。

 私は黙って、下を見る。下には、涙のシミがちょっとだけ出来ていた。

「それが分からなければ、私たちには手が出せませんよ」

 そう言うエリムの声からは、少しの申し訳なさを感じた。エリムが悪いわけじゃないのにと思う私と、どうにもならないせいで彼女を悪人にしてしまいたい私が頭の中でせめぎ合う。

 どうしよう。どうすればいいんだろう。分からない。

「アタシにはさ、前にも言ったように好きな人がいるんだ」

 混乱する私の前で、ナナの声がそんな話をし始めた。今そんな話をするなんてと思って顔をあげると、穏やかな顔でナナがこちらを見ている。その手には、ハンカチが握られていた。使いなよと目で言われ、大人しくそれで涙を拭く。すると、単純かもしれないけど少しだけ落ち着いた。ハンカチを手にして、話し始めたナナに向き合う。

「その人に好かれようと思ってあれこれ悩んだ挙げ句に、こんな症状が出ちゃったんだと思う」

「……それが、どうして解決したの?」

「露出して目立とうとするんじゃなくて、スフレを作ってあげようっていう地道なアピが大事ってことなんだと思う」

「なにそれ……?」

「ごめん、上手く言葉には出来ないや」

 ナナは、笑いながらも困ったような顔になった。

「……っていうか、なんで露出して目立って気を引こうとしたの」

 ちょっと嫌みっぽく言ってみる。でも本心だ。私にとっては、スフレを作ることのほうが最初に思いつくから。

「前のアタシには、それしか思い浮かばなくってさ」

「今のナナは、それ以外も思いつくの?」

「思いつく、思いつく。アタシは二人と共犯になって、変わったんだよ」

 感慨深げに、ナナが言った。どこか、満足げでもある。

「エリムはどう?」

 突然話題を振られて、エリムは目を見開いた。けれど彼女も、ナナと同じような顔になって口を開く。

「変わったと思いますよ。前までの私なら、手を貸しますだなんて言わなかったでしょうから」

「だよねー」

 言われてみると、確かにそうかもしれない。共犯という冷たい響きから始まった関係だけど、いつの間にか微熱くらいにはなっていたんだろう。

「だからさ、そんなに焦らなくていいと思うよ。そりゃ症状はアタシたちより大変だと思うけど、そんなに人と触れ合うこともないじゃん? なに? 抱きつきたいとかある?」

「そ、そんなんじゃないけど……」

 抱きつく?と聞きながら迫ってくるナナをかわす。その光景を見て笑うエリムにつられて、私も笑った。そこであんしたように、ナナも笑った。

「とりあえず、小さいけど普段やらないことから始めてみようよ」

「例えば?」

「成績上位になるくらい勉強するというのはどうでしょう? 最終的には、順位が掲示されるくらいまで頑張るとか」

「は、ハードルが高い」

「それは小さいことじゃないってば。例えば……髪の毛を切るとか」

「それも小さいことではなくありませんか? ここまで伸ばしている以上、こだわりもあるでしょう。簡単に切るってわけにも行かないと思うのですが」

「例えばじゃんかー」

 二人はそう言い合いながら、あれなら?これなら?と勧めてくる。けれど、私の中では髪の毛を切るってことが一番ピンときた。エリムの言うとおり、こだわりがないわけではない。けれど、そんなにも意固地になるようなものでもない。何より、とても気分転換らしい行為だと思えた。

「うん。私、髪の毛切ってみるよ」

 だからこそ、二人に宣言する。二人は同時にこちらを向いて、目をパチクリさせた。

「き、強要してるわけじゃないんだけど?」

「そのくらい分かってるよ」

「後悔しませんか?」

「しないよ。だって、自分の選択だもん」

 自分で決めたことだ。もしも後悔したとしても、二人のせいにしたりはしない。

「おニューの私を、楽しみにしててね」

 私は不安そうにこちらを見る二人を安心させようと、思いっきり笑った。すると二人も強制じゃないことを理解したのか、笑い返してくれた。

「いい美容師さんだといいですね」

「ホントだよ」

MF文庫J evo

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