◆少女の甘い企みと巻き込まれる少女たち



「そうだ、恋バナしよう!」

「え?」

「うん! 今すぐしよう!」

「えぇ……?」

 とつに聞こえてきたことに驚く。もしかしたら聞き間違いかもしれないと思い、聞き返した。

「恋バナだよ。こ、い、ば、な。知らないの?」

 すごく馬鹿にしている口調で、少しだけイラッとする。知らないわけがない。前までの私だったら、愚痴の言い合いと同じくらい好きだったものだ。

「そりゃ知ってるけど、本当に恋バナって言ったの……?」

 どういう思考回路でそういうことを言い出そうと思ったんだろう? 全くもって、彼女の考えることは分からない。

 困惑にエリムのほうを見れば、彼女の顔にも困惑が浮かんでいた。

「まさか貴方あなたがそんな提案をするだなんて思いもしませんでした。するとしても、ルル辺りかと」

「いや、いくら私でもこのメンツで恋バナしようだなんて思わなかったよ」

 恋バナって言葉自体、もうずいぶんしていないから頭から抜け落ちていたし。

「ほらさ、流石さすがに人のこと悪く言うのももう限界かなって思ったんだよねー。それで、恋バナ」

 そうだ。今の私たちは、そこそこの頻度で愚痴を共有している。流石にどうだろうというのは、自分も思っていた。愚痴を話すのは楽しいかもしれないけれど、それが日常になってしまうのはよくない。

「分からなくもないけど、私たちがそういうことするの?」

「何? 駄目な理由でもあるわけ?」

「いや、共犯関係だからそういうのはないのかなーって思ってて……ね?」

 どう思うかを問いかけるために、エリムのほうを向く。

「共犯だからこそ、他に言いふらしたりしないでしょう。その分では、下手な友達に話すよりもずっと機密性があるかもしれません。それに、いつもと違ったことをするのが症状の解決につながるのなら、もしかしたらこれも大事なことかもしれません」

「そうそう! 分かってるじゃん!」

「えっ」

 エリムは意外にも好意的な反応だった。そんなのくだらないとでも言うのかと思っていたから、驚きを隠せない。そんな私の気持ちが分かったのか、エリムは「恋バナくらい私もしますよ」と小さくもらした。令嬢でも、恋バナはするらしい。その辺は、普通の女子高生と何一つ変わらないようだ。

「そういうこと! で、二人が話さないんならアタシから話すけどいい?」

「というか、しようと言った時点で話したいことがあるってことですよね?」

「それはそう。というわけで、アタシが好きなのって先輩なんだけどさ」

 ナナの好きな人と言われて思いついたのが、スーツを着た大人の人だった。なんかこう、そういうような人と好き合ってそうな気がする。好き合ってっていうか……うん、はべらせてるってほうがイメージとしては近いかもしれない。

「……どこの?」

 だから、質問した。先輩っていうのは、人生のという意味なのだろうと思って。すると彼女は一瞬だけ驚いた後に、こちらをにらみつけてきた!

「この学校の先輩!」

「え、そうなの? 意外!」

「好きな人だとしたら、それはそうでしょう。ナナは人生の先輩のことなど、手のひらの上で転がす対象としか思ってないでしょうし」

 すかさず、エリムが言葉を継いだ。あ、やっぱり恋愛対象はとしが近いほうがいいってことなのかな? それなら気持ちはよく分かる、あんまり離れてると不安になるもんね……なんて思っていたら、ナナは彼女のことをにらみつけた。

「待って? 二人の中にあるアタシの勝手なイメージを押し付けないでくれる?」

 それに負けじと、エリムも鋭い視線を向ける。

「勝手ではありません。貴方あなたは見た目で『そういう風に受け取ってください』と言っているようなものです」

「そんなこと言ったら、アンタだって令嬢でいたくないってわりには令嬢らしい振る舞いしてるじゃん? なんなの?」

 空気が悪くなるのを察して、私はどうしようかと二人のほうを交互に見る。何でそんなに、お互いに挑発するようなことを言うんだろう。いくら利を追求するだけの関係だったとしても、仲はいいに越したことないのに!

「それはそのほうが都合がいいからですよ」

「あ、やっぱりそうなんだ?」

 けれど、それ以上悪くなることはなかった。

「はい。……そういうところも、あまり好きではありませんけどね」

「はー、大変だねー」

「もう、そんなこと思ってないでしょう?」

 会話の内容はまだ張り合ってはいるものの、口調は落ち着いている。ホッとして、胸をで下ろした。

 これはこのまま変に話をこじらせるより、恋バナに持っていったほうが平和的になるだろう。私が話すってなると恥ずかしいけど、二人の恋愛事情は聞いてみたい。私と違って、色々と目立つ二人なのだ。どんな感じなのか、全く読めない。正直言って、恋愛してるところすら想像がつかない。だから、素直に聞いてみる。

「ナナのイメージはおいといて、好きな人っていうのは気になるかな! どんな人なの?」

 久しぶりの恋バナというだけあって、自然と声が弾んでいるような気がする。ちょっと気恥ずかしくて、せきをするフリをして落ち着かせた。

「気になる?」

「気になるよ。ね?」

「いえ、私は別に興味ありません」

「あ、え、そっかー」

 さっきから同意を求めても全然同意されない。やっぱりお嬢様とは価値観が違うんだなぁ……。

「そんな感じで実はストレートに『優しい人が好き』とかだったら、面白いとは思いますけどね」

「まさか! そんなわけないよー。ね?」

「うん? そうだけど」

「え?」

 真顔でうなずかれて、思わず聞き返す。

「いや、正確には違うかな。アタシはね、アタシには優しい人が好き」

「……それなら納得です」

 面白いと言っていた通り、彼女の口元は笑っている。けれど、目元は全然笑っていなかった。どちらかというと、つまらなそうな感じだ。どういう感情なんだろう? エリムのことも、全然読めない。

「どういうこと?」

 そんな私は、言っている意味がよく分からなくて問いかける。優しい人は、誰にでも優しいから優しい人なんじゃないの?

「周りには優しくても、アタシには優しくない人なんていっぱいいるよ」

「身内にだけ優しいってことですね。そういうのは、顔色をうかがっているだけですよ。別に優しいわけじゃありません」

「あぁ、そういうことかぁ……」

 確かに他の人がいる前ではいい顔をしていても、私と二人きりになった途端に無表情になる人もいる。

「じゃあ、ナナの好きな人はきちんとナナにも優しいんだ?」

「うん。ホントはアタシだけに優しくしてほしいんだけどねー」

「おぉ! 今の発言、すっごく乙女っぽい……!」

「何で変なところに感動してるの?」

「でもそういう人って、誰にでも優しいからこそ魅力的なのではないですか?」

 エリムの指摘に、ナナは表情を暗くする。なんだか切なげだ。

「そうなんだよねー。私にだけ優しいっていうのも想像つかないし、それはそれで嫌かなって思っちゃう」

「それに、誰にでも優しいからこそ貴方あなたにも優しくしてくれた。……違いますか?」

 続いてされた指摘に、ついに彼女は顔をうつむかせた。長いため息が吐き出される。

 疲れてるような、諦めているような。そんなため息だ。そんなため息も出してしまうだろう。エリムの指摘は、あまりにも心をえぐってくる。

「……分かってるよ、そのくらい」

 消え入りそうな声で、ナナはつぶやいた。全然想像が出来なかった彼女の恋愛事情だけど、ここまでの話を聞く限りでは私たちとあまり変わらないらしい。

「というか、私は驚いていますよ。てっきり貴方あなたは、男をはべらせているものだとばかり思っていましたので。純情なのですね」

「それは私も思った」

「風評被害がヤバ過ぎるでしょ」

 風評被害と言っていいのか悩んだが、あんまり言葉の意味を分かっていないので何も言わなかった。隣のエリムも、何も言ってこないし。

「そもそも侍らせるのって大変そうじゃない? 男同士で小競り合いとかありそうだし、それ収めたりするのとか、アタシ出来ないよ」

「あ、それは確かに出来なそうです」

「ちょっと! それどういう意味!?」

「そのままの意味ですけど」

「あからさまに肯定されるとムカつくんだけど……!」

「ま、まぁまぁ二人とも落ち着いて」

 再び空気が悪くなるのが分かって、流石さすがに今度は間に止めに入った。落ち着いてと言われたら二人とも口は閉じてくれたけれど不満げで、今にも口から挑発の言葉が飛んでいきそうだ。

「け、結局ナナの好きな人は誰にでも優しいとしか分からなかったな。その人とは、結局どうなったの?」

 それを防ぐために、私は話を元に戻す。

「何か話す気なくなっちゃったし、今度はこの子の話聞こうよ」

 そう言ってナナは、エリムの背後に回り込んで肩をつかんだ。

「なっ……貴方たちに話すことなんて何もありませんよ!」

 半ば、肩の手をはらける。その顔にはちょっとした怒りが込められていた。そりゃそうだろう。いきなり触られたら、誰だって拒絶する。

「えー。誰にも話さないから逆に話しやすいかもって言ってたじゃんか」

 仕方なさそうに、ナナは元の位置に座り直した。

「それはそういう見方も出来るというだけで、私が話す理由にはなってません」

「エリムが好きな人は……うーん、真面目まじめな人かなー?」

「そんなのエリムからしてみれば大前提なんじゃないの? ね?」

 笑いながら、エリムのほうを振り返る。すると、彼女は目を見開いて驚いていた。その表情のまま固まっており、ゆっくりと顔が赤く染まっていく。まるででられているタコみたいだ。見たことないけど。それっぽくて面白い。

「ち、ちが、違いますよ」

「うわ、こっちが引くほど動揺してる。もしかして図星なワケ?」

「わ、私がそんなんわけないじゃないですか!?」

 彼女がこんな風にテンパるなんて想像出来なかったから、自然と笑いがこみ上げてくる。それとも、学校の友達にはこういう姿を普段から見せているんだろうか? 案外そうなのかもしれない。想像は出来なかったけれど、今のテンパっている彼女の姿に違和感はない。

「この様子だと当たりっぽいね。なんかちょっとしやべり方がおかしくなってるし」

「意外」

「うん、意外」

「なんていうかさ、堅実とかなら分かるんだけど、真面目まじめっていうのはどういうワケかしっくりこない」

「言っておきながらしっくりこないんですか……?」

「うん。だって適当に言ったんだもん」

「適当……ってことはつまり、反応しないでいたら流せていたってことなんですね……」

 なんだかこの世の終わりみたいな表情をしている。こんな恋バナで絶望していたら、もっと過激な話題になったら死んでしまうんじゃ……?

 そうは思ったけれど、誰もそこまで踏み込んだ話はしていないので何も言わない。この調子だと、私にも回ってくる。あんまり踏み込んだ話は、いくら他の人に話されないんだとしてもしたくない。

「っていうか、貴方あなたの勝手なイメージでしっくりこなくても別にいいですから! そうですよ。私は、嫌ってほど真面目な人が好きです」

「お、開き直った」

「私も真面目な人のほうがいいとは思うよ」

 中学生の頃は、ちょっとくらい悪いほうが魅力的に見えていた。だからこそ、先生に対して反抗している人と付き合ったこともある。けれど徐々に悪化していく私への態度に、ついには泣いてしまった。その次の日に泣いていることに気付いて心配してきたバレー部の子たちに事情を話したら、私の扱いについて彼に抗議しに行ってくれたのが懐かしい。結局反省したからやり直そうと言われたけど、皆がやめたほうが良いっていうからやめたんだっけ……。

「でもその『嫌ってほど』っていうのは気になるかな。何かのこだわりなの?」

「こだわり……。そうですね、こだわりです」

「どういうこだわりなワケー? すっごく気になるんだけど」

「うん。私も気になる!」

 エリムは落ち着くためにゆっくりと深呼吸をした後、しばし話すのをためらった。けれど私たち二人の視線に耐えられなかったのか、再び口を開いた。

「他人には優しく、けれど自分には厳しい。……そういうストイックさを持っている人に、私はかれると思っています」

「思っていますって何? どういうこと? 既に惹かれた人がいるワケじゃないの?」

「そうだよ。何かあったの? それが気になるんだよー!」

「も、もう私の番は終わりにしませんか? 私、ルルの話が気になります!」

 その言葉で、ナナもこちらを向いた。

「え、私!?」

 来るだろうとは思っていたけれど、いざ指名されると驚いて全身が震える。

「確かに気になるかも。話聞く限りじゃ、中学まではクラスの輪の中心にいたっぽいし。実は経験も豊富なんじゃない?」

「そんなのないない!」

「本当ですか?」

「ないよ!」

 どうしてそう思われちゃうんだろう!? 絶対二人のほうが経験豊富だよ! そうに決まってる!

 そもそもどの程度までを経験していれば経験豊富なのかが分からない。二人の基準が分からない以上、下手に話すと大変なことになってしまうだろう。それは出来る限り避けたい。

「それにあったとしても面白い話なんてないよ! 私なんてほら、普通の女子高生だし!」

「普通じゃないから、症候群患ってここにいるんでしょうが」

「嫌いな人の話はスラスラ出てくるのに、好きな人の話は出てこないんですか?」

 視線を向けられる立場になってみると、二人から向けられる圧力が本当にすごい。話そうと思えば話せなくもないが、何だか話すのをためらってしまう。面白くないと切り捨てられてしまうのが怖いし、かといって掘り下げられるのも怖い。私の番が最後だから、さっきのエリムみたいに次を促すことも出来ない。どうしよう! 困った!

「……い、今は自分のことをちゃんと見てくれる人と恋したいかな……」

 結局、二人の視線に負けて話し始めた。二人ともこのくらいのことしか話していないんだし、私もこのくらいでいいだろう。

 けれど、二人はどこか不満そうな視線を向けてくる。

「もうちょっと過激な話を期待してたのに」

「地味そうに見える子のほうが、案外そういう事になってたりしますよね」

「何で私だけそんなにぶちまけないといけないの!? それはいくらなんでも不公平じゃんか……」

 二人が過激な話をしていたら、自分も自分の経験にある話ならしたかもしれないが、していないのに一人だけ話すなんて嫌だ。

「っていうか、エリムは私のこと地味って思ってたの!?」

 私の指摘に、彼女は本当に『しまった』というような顔をした。悪気が無さそうなだけに余計にイラッとくる。

「ついうっかり口にしてしまいました。申し訳ございません」

 けれどエリムは、深々と頭を下げてきた。

 頭を下げるのがあまりにも自然だったこと、その下げ方がとてもれいだったことで、私は言葉を詰まらせた。

「あ、えっと……そんなに気にしてないから、大丈夫」

 そのまま、思わず許してしまう。

 すると彼女は、即座に頭を上げた。その顔には、してやったりという表情がこれでもかってくらいに浮かんでいる。

「ありがとうございます」

 私は、思わず震えた。

「うわー。すごい令嬢パワーだ」

「こういう時には役に立ちますね。でも、その言い方はやめてください」

「それ以外の呼び方なんてないでしょ」

「ないない」


 ○


 昼休み、屋上へ続く階段を上がる。今日はあいざわさんもなかさんも委員会に呼ばれているせいで、一緒にご飯を食べることが出来ない。だから、もしかしたら二人のどちらかがいるかもしれないと思った私は屋上に向かっている。

 エリムがいる可能性はそんなにないけれど、ナナはいるかもしれない。なんたって、ナナの裏アカウントを知ったキッカケとなった写真を上げていた日のような良い天気だ。暑いといえば暑いし、もしかしたら現在進行形で撮っている最中かもしれない。そのタイミングで入るのは気まずいけど、いざって時は笑って流せばいいはずだ……たぶんだけど。

 っていうかもし怒られたとしても、そもそも公共の場でそんなことをしているほうが悪い。私は何にも悪くないだろう。そういう時も、出来るだけ流してしまおう。

「……あれ?」

 屋上の扉を開くと、そこには誰もいなかった。申し訳程度に備え付けられている花壇に植えられた花が、風に揺れている。

 驚きはしたが、こういう日があってもおかしくはない。私にも来なかった日があるのだから、他の二人が同時に来ない日だってあるだろう。割り切っていつもより足を長めに伸ばしながら、いつもの場所に座る。

「いただきます」

 お弁当を開いて、食べ始める。今日も変わらず、昨日の残りが入っているお弁当だ。しいけれど、物によっては味が濃くなってて辛い場合もあるからあんまり好きじゃない。それよりも、冷凍食品のほうが好きだ。色んな種類があって面白いし。

「……そういえば、二人ってどんなお弁当食べてるんだろう」

 ふと、そんなことを思った。考えてみると、私は一緒にお昼ご飯を食べてくれる人がいるから、お昼休みに屋上へ来たことはなかった。あの二人といるとなんとも言えないモヤモヤが心に広がるけど、かといって一緒に食べるのを拒むのも何だか面倒くさいせいだ。

 そんなわけで、二人のお弁当を見たことがない。どうせ考えることもないので、雰囲気から想像してみる。

 ナナは、イメージ通りで行けば菓子パン一個を食べていそうだ。それも、材料がいいのもあって小さくても高いような品物を。糖分や脂質が抑えられた、甘さ控えめのパンかもしれない。それを毎日持ってきて、スマートフォン片手に食べている。そんな光景が、鮮明に私の頭には浮かび上がった。私からしてみればあんまり違和感がないけど、実際にはどうなんだろう。きちんとお弁当なのかな? そうじゃないと、おなかく気がする。少なくとも私は時間ないからって渡されたお金で買った購買のパンだと、いつもよりお腹が減るのが早くなる。ナナがもしもそうじゃないんなら、ちょっと羨ましい。あんまり食べなくていいってことは、太らないってことでもあるし。

 エリムはそもそも何かを食べているのか分からなくて、全くといっていいほどイメージが湧いてこない。ハンバーガーすら食べられないような環境なのだ。私が食べているものとは全く違うものを食べているんだろう。キャビアとか、フォアグラとかそういう。でも、そんなにしょっちゅう食べるものなのかな? しょっちゅう食べてたとしても、まさか学校のお弁当に入れて持って来たりはしないだろうし……。そうやって考えていると、お弁当であっても何が入っているのか謎だ。

「あ!」

 急に、私も知っている中でエリムのお弁当に入っていてもおかしくないものが頭に思い浮かんだ。サンドイッチだ。元々は貴族が食べていたものらしいし、令嬢である彼女が食べていたとしてもおかしくないだろう。

 けど、毎日サンドイッチは飽きちゃいそうだなぁ……。入れる具材も限られてくるだろうし。いっぱいあったとしても、まずパン自体に飽きてしまうことだってあるだろう。

「あ……」

 もしかしたら、こういう周りからの先入観が彼女たちに押しつけられたせいで、求愛性少女症候群を発症してしまったのかもしれない。ビッチだから、令嬢だから。けど、本当の彼女たちはそうじゃないんだ。

 せめて同じものを患っている私は、押しつけるのをやめておこう。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わり、お弁当箱を片付ける。気分転換のために立ち上がって、グラウンドの見えるフェンスにもたれかかる。グラウンドには既にご飯を食べ終わったらしい運動部がいて、数人とはいえ元気にボールを転がしている。私もバレー部だった頃は、わざわざ昼休みも体育館に行ってバレーしてたな。部活でバレーして、休み時間にもバレーをする。今思うと、何でそこまでしてやっていたのかよく分からない。

 あの時の私は、楽しかったのかな……?

「あー! もう!」

 こういうのを考えるのも違うと思い、グラウンドから顔を上げて空を見上げる。空は青く、雲一つない。紫外線が強いかもしれないと、リュックから日焼け止めを取り出して塗る。朝も塗ってきたけれど、こまめに塗るのがやっぱり大事だ。頻繁に汗をかくくらい暑くなったら、もっとこまめに塗るようにしないとなぁ。今年は、あんまり暑くならなければいいんだけど。そう思っても暑くなるんだろうなぁ。嫌だなぁ。

 嫌なことが多過ぎる世界になっちゃったなぁ。

 改めて、そんな風に感じてしまった。


 ○


「今日って二人とも、まだ時間ある?」

 放課後。屋上に三人が集っていた日。

 もう暗くなってきたしと屋上から出る帰り際に、ナナがそう聞いてきた。階段を降りながら、話を続ける。

「そういう問いかけかたは困ります。用件を先に言っていただかなければ、時間がとれるかどうかは答えられません」

「マキワ寄って帰らない?」

「寄って帰ります」

「話が早くて助かるー!」

「ちょうど気になる新作バーガーが出ていたので、行こうと思っていたところだったんですよ。タイミングがいいですね」

 流れるような会話に、思わずまばたきの回数が増える。一瞬だけとはいえ空気が悪くなりかけたのもあって、ジェットコースターに乗ったみたいな気持ちにさせられた。それも、超高速のものだ。

「で、ルルはどうする?」

「あー。大丈夫だとは思う。けど心配だから、一応親に連絡してみるね」

「お願いっ!」

 その言葉に、そして下げられた頭に、二度見どころか三度見した。それはエリムも同じだったみたいで、彼女もナナのほうを見て固まっている。当の本人は、どうして驚いてるのか分からなそうに首をかしげている。

「……ナナの口からお願いの言葉が出てくるだなんて思いもしませんでした。しかも、頭まで下げるなんて」

「同じく。びっくりしたせいで、心臓がバクバク言ってる」

「失礼な。アタシだって、人にお願いするときはちゃんとするに決まってるじゃん」

 ニコニコと浮かべている笑顔も、いつもと違ってよこしまさっていうか……なんだろう、そういうのが感じられない。けどそういうのってあってもうれしくないから、今の笑みを見ていると悪い気はしない。

 そんなことを思いながら、お母さんに帰りが遅くなること、そして晩ご飯は外で食べて帰るからいらないことを伝える。今日は休みだからか、すぐに了解のメッセージが返ってきた。

「了解もらったから、私も行くよ」

「そっか。それなら良かった」

「でも、お願いって何? マキワって今、何かキャンペーンやってるの?」

「そういうわけじゃないんだけど、二人に見せたいものがあって」

「見せたいもの?」

 私とエリムの声が重なる。それがちょっと恥ずかしくて、さらに口を開くのがためらわれた。代わりにせきばらいをしたエリムが、口を開いた。

「今、ここでは見せられないものなんですか?」

「見せられなくはないけど、アタシがおなかいちゃったんだよね。二人はお腹空いてないワケ?」

「ううん、お腹空いてる」

「店まで歩けば、ちょうど良くお腹が空きそうです」

「そうでしょ? それじゃあ行こう!」

 いつもより元気に見えるナナの後を追いかけて、玄関に向かう。

「どうしたの今日。何かいいことあった?」

「ううん。別に何も?」

 この時の私は、まだ知らなかった。ナナが私たちをマキワに招いた理由を。そこで見せたいものとして出される物を……。


 ○


「それで、見せたい物って何?」

 それぞれが頼んだセットの載ったトレーを手にして、席に着く。エリムは、宣言通りに頼んだ新作バーガーに早速かぶりついている。確かにエビがいっぱい入ってるみたいでしそうだったけど、ソースの辛さが想像できなかったから私はいつも頼んでいるメニューにした。

「まぁ、まずは食べようよ」

 言いながらナナは、サラダにドレッシングをかけている。

「そうするけど、これで本当は何もなかったとか言わないでよね」

「それは言わないって」

 見せたい物があるからと言われて来たはずなのにと思いつつ、おなかいているのでハンバーガーを口にする。いつもと変わらない味だ。

「これ、広告で見たものよりもエビが入っていないように感じるのですが……誇大広告じゃないんですか?」

 バーガーから口を離したエリムが、そう口にした。食べ始めてからまだそんなにっていないはずなのに、もうけっこう食べ進められている。案外、食欲旺盛なんだろうか。

 っていうか、あんなにエビアピールしてたのにあんまり入ってないの!?

「いや、値段考えてみたら分かるでしょうが」

 確かに、値段は普通のメニューとあまり変わらないものだ。エビって高そうだし、あんまり入れられないのか。それなら納得だ。

「……それもそうですね」

 ナナの言葉にうなずき、エリムはそのまま食べ進める。今度は、ポテトとドリンクを平行して飲み食いしていた。

「エビの量はおいといて、味はどんな感じ?」

「この前のと同じくらい美味しいと思います。ただ、ちょっと辛い気はしますね。そこも私は好きですけど」

「やっぱりそうなんだ。じゃあ私は、頼まなくて良かったかも」

「ルルは、辛いものは苦手なんですか?」

「ちょっと苦手かな。甘いほうが好き」

 そんな会話をポツポツと交わしていたら、いつの間にか三人ともジュースを除いたメニューを食べ終わっていた。

 ナナはそろそろ、言っていた物を見せたっていいだろう。

「それでさ、結局見せたい物って何だったの?」

「夜の学校って、興味ない?」

 いきなりの質問に、目をパチクリする。

 どういうこと? ひとまず、エリムのほうを見て助けを求めた。彼女は、ため息をつく。

「また、質問に質問で返すつもりですか?」

「これから見せる物に、夜の学校が関係しているんだからしょーがないじゃん! で、どっちなワケ? 興味ある? ない?」

「夜の学校に興味、ですか……」

 エリムが悩み始めたところで、やっと私の頭が質問を理解した。

 夜の学校。少なからず、ロマンを感じる。

「私はちょっとだけだけど興味あるかな。暗くて怖そうだけど、誰もいない校舎っていうのは見てみたいかも」

「ああ、そういうことなのですね。それでしたら興味があります」

「やっぱりそうだよね! 見てみたいよね!?」

 前のめりになるナナの勢いもあり、私たち二人はうなずいた。すると彼女は自らのリュックから、一つの鍵を取り出して見せてくる。どこでも見かけられそうな、銀色をしている。家の鍵よりも、少し大きい。

「これ、何だと思う?」

「え?」

 この会話の流れでいったらもう、一つしかなくない……?

「学校の、鍵?」

 おそるおそる、そう聞いてみる。すると、目の前のナナの笑みがいつもと同じよこしまさをもったものになっていた。ここまでの態度は、物事をく進めるためにしていたものだったのかもしれない。そう考えると、違和感にも納得が出来る。

「そう! 晩ご飯も食べたし、そろそろ人もいなくなってるだろうし、学校に戻ってみない?」

「そんな軽く言うことじゃないよね!?」

「だってさー、正当に入る手段がここにあるんだよ? なかったら難しいことかもしれないけど、これさえあれば簡単なコトじゃん」

 鍵は正当な物かもしれないけど、夜に女子高生がそれを使って入るのは正当じゃない。

「それ、どこで手に入れたんですか?」

「ヒミツに決まってるじゃん」

「ほ、本物なの?」

「昼間にちゃんと使えるかどうか確認したから、間違いなく本物だよ」

「その学校で何をするんですか?」

「それは、その……」

 そこでナナが途端に勢いを失った。

「言えないようなことなんですか? それとも、ただの好奇心とかですか? もしくは症候群にまつわることとか」

 照れ方が、この前恋バナした時の照れ方と似ている。っていうことは、好きな人にまつわるおまじないとかを試したいんだろうか。確か、相手の上履きを履いて何歩か歩いたらみたいなものがあったはずだ。そういうことなら、日中じゃなくて夜に行きたがるのも分かる。いや、本当に行こうとするのはよく分からないけど。

 でも、おまじないをしようとするところは可愛かわいいので応援したくなる。

「が、学校に着いてから言う。だから二人ともついてきてよ」

「随分と乱暴なことを言ってきますね……」

 ナナにしてはめちゃくちゃだけど、恋する少女は一生懸命なんだろう。そう思ったら、何だかニヤけてきた。思っていたより、純情なのかな?

「行こうよ。面白そうだし。それに……」

 症候群に関係しているかもしれないなら、行ったほうがいいだろう。なので私は、同意の言葉を言った。

「……行こうって言ってくれるのはうれしいけど、その視線は何か気になる。何? どういう感情?」

「なんでもないよ? それで、エリムはどうする?」

 彼女はしばらく悩むように目を閉じていたけれど、急に目を開けて立ち上がった。

「気になるのでついて行きます。いいですか。絶対に学校についたら、目的を言ってくださいね」

「別に悪いことはしないって」

「学校に入るのも充分悪いことだよ」

「それはこの際気にしない、気にしない」

 私たち二人も立ち上がって、ファストフード店を後にした。


 ○


 夜の学校は、遠目から見てもホラーな雰囲気があった。明るいときに見ると安心するのに、今は一切安心できそうにない。けれど二人は何のためらいもなく進んでいくので、私も表情を崩さないように後を追いかける。中学校とは違って七不思議とか聞いたことないし、多分大丈夫だろう……。知らないだけとかだったら泣いてしまいそうだ。

 学校に着いてから、エリムが無言でナナに詰め寄る。ナナはためらっていたけれど、観念したように口を開いた。

「お菓子を、作ろうと思って」

「は?」

「お菓子……?」

 予想とは違った答えに、私も驚く。エリムの反応は、裏アカウントのほうっぽい。

 っていうかそれなら、家で作ればいいのに。何でわざわざ学校に来てまで作ろうとしているんだろう。

「家だと調理器具はあっても、めつに作らないからお菓子のための器具とかないワケ。だから、学校に来ようと思って」

 言われることは分かっているとでも言いたげに、彼女は先に事情を説明した。つまり、結構凝ったものを作ろうとしている? となると好きな人にあげるんだろうから、完全に予想が違ったわけではないらしい。

「そのお菓子、どうするんですか。まだバレンタインデーは先ですよ」

 それでも納得いってないらしいエリムが、なおも詰め寄る。間違えたらチュッてしちゃいそうな距離だ。よほど納得出来ないらしい。

「そこまでは話さなくて良くない!? っていうか、勝手に好きな人にあげること前提にしないでくれる?」

「え、違うんですか?」

 じっと、エリムはナナを見つめる。

「いや、あの、近すぎない? 距離感バグってんの……?」

 ゆっくりとらされている視線が、もう答えになっているだろう。

「違わないけど……」

 ついに耐えられなかったのか、肯定の言葉を口にした。思わず言ってしまったらしく、ナナ本人が一番驚いている。

 しかし、言ってしまったことはもう戻らないと分かったのだろう。またいつものナナらしい表情に戻った。そのまま、むしろエリムのほうへ詰め寄る。これにはエリムがたじろぎ、一歩引いた。

「目的が分かったら充分でしょ!? ほら行くよ!」

 ナナはそう言うと、校舎のほうにズンズンと進んでいった。その場にエリムと取り残される。目が合うと、彼女は意地が悪そうな顔で口を開いた。

「このまま行かなかったら、どんな顔をするんでしょうね」

「……まぁ、行く義理はないよね」

 それでも進んでしまうのは、夜の学校というシチュエーションに心が躍っているからかもしれない。何を作るんだろうというのも気になる。

「まぁ、危なくなったらあの人に脅されたことにしましょう」

 エリムも、ついて行くらしい。なんだかんだ、二人とも甘いのかもしれない。

「そうだね」

 そうして、もうだいぶ先に行っているナナを追いかけた。

「遅いよ二人とも。何? 帰ろうとかの算段してたワケ?」

「違いますよ。ただ、どこにお菓子の材料があるのかなと思いまして」

 何でもないようにうそをつくエリムだ。

「そんな心配してたの? ちゃんとリュックの中に入ってるよ」

「そうですか。それなら良かったです」

「さ、開けたから入ろうよ」

 本当に、いつも朝に入っている玄関が開いていた。悪いことをしている罪悪感が胸の中を埋めるが、ナナに誘われたせいだから私は悪くないのだと誰かに言い訳をしながら扉を開けて中に入る。そして、いつもの上履きに履き替えた。

 ナナのスマートフォンの明かりを頼りに、家庭科室を目指す。三階の一番端だから、結構遠い。

「思ってたより暗い」

「まだ夜にしては明るいほうだから、冬になるともっと暗くなるかもよ」

「誰の声もしない校舎っていうのは、すごく新鮮ですね」

「いつもならどこかに、誰かしらがいるもんねー」

 そんな雑談をしながら、横一列でゆっくりと進んでいく。スマートフォンの明かりは小さめで、階段を上がるときなんかはちょっと怖い。それに、やっぱり何かいるんじゃないかと思うと心臓がバクバクする。影が揺れると、その度に全身が震える。

 けれどそんなことを言ったら絶対に笑われるのが目に見えていたから、出来る限り普通を装って話し続ける。

「あ、一年の階だ」

 ナナの言葉に目をよくこらしてみれば、確かに一番前にある教室のプレートには一年と書かれていた。多分いつもと同じ道を通ってきたはずなのに、気がつかなかった。明るさが違うだけで、いつもとまったく違う場所に思える。

「二年の階とは離れてるから、久しぶりに見たかも」

「思い入れとかあるんですか?」

「そんなものないけど?」

「そうだと思いました」

「アンタたちだって、教室に思い入れを持つほど学校好きじゃないでしょ?」

「それは、確かにそうかなぁ……」

「私は好きですよ。家じゃない場所なので」

「それだって消去法じゃん。ずっといたいってことじゃないでしょ」

「それはそうですが……」

 教室のある階から上がり、三階にたどり着いた。三階になると、少しだけ明るくなっているような気もする。

 そのまま廊下を進み続けて、家庭科室前にたどり着いた。そこで私は、一つの事実に気づく。

「学校に入れたのはいいけど、家庭科室を開けるのはまた別の鍵なんじゃないの?」

 もしもそうだったら、職員室まで取りに行かなければならない。だけど職員室にも鍵がかかっているだろうし、もしかかってなくて入れたとしても鍵の入った箱にだって鍵がかかっているだろう。玄関の鍵があったとしても、入れるところは限られているから無駄なんじゃ……?

「大丈夫。これマスターキーだからどこでも開くよ」

 ガチャリと音をたてて、家庭科室の扉が開いた。本当にマスターキーらしい。驚きに声が出ない。なんで、そんなものを一生徒のはずのナナが持ってるんだろう。

「……本当に、どこでそんなの手に入れたんですか」

「欲しい? なら情報料もらうけど?」

「いらないです」

「そんなハッキリ言わなくてもいいじゃんかー」

 彼女は楽しそうに笑いながら、家庭科室の電気をつける。すると、調理実習をするときに見る光景が目の前に広がった。それでも日中のように外が明るいわけではないから、いつもよりかは暗いんだろう。

「ところで、何作るの?」

 リュックからチョコレートやエプロンなんかを取り出しているナナに問いかける。これが全部リュックに入っていたのかと驚いてしまうほど、量が多い。家から持ってきたんだろうし、今日提出の課題はどうしたんだろう?

 うーん……。

 よくよく考えるとナナって課題出してなさそうだし、関係ないのかもしれない。どこまでも自由な人だ。

「チョコレートスフレ」

「えっ、本当? いいなー、貰える人が羨ましいかも」

 チョコレート菓子の中でも、特に好きな部類に入るお菓子だ。最近食べていないから、余計に恋しい。

「手伝ってくれたら、いくつかはあげてもいいけど? それを餌にして手伝ってもらうために、エプロンも予備を持ってきてるし」

「手伝う!」

「ありがと、助かる。……一応聞くけど、エリムはどうする?」

「何も出来ませんので、前の席から見ておきます」

「素直で助かる。邪魔されても困るし」

 言いながらエプロンを身につけたナナは、どこかのカフェで働く店員さんみたいに決まっていた。元々がすごく整ってるから、多分白いシャツにジーンズを合わせるだけでも充分決まるんだろうな。……すごく羨ましい。

 そんな思いを振り払いつつ、彼女に借りたエプロンを身につける。柄のないシンプルなエプロンだ。自分が着ると、なんだか違う感じがするけれど……どうせ今いる二人にしか見られないんだし、二人は私の格好になんて興味ないだろう。気にしないようにして、手を洗う。

「やっぱりご令嬢サマともなると、お菓子とか作らないんだね。それとも、メイドさんとかに作ってもらうカンジ?」

 ナナはテキパキと動いて必要な物を家庭科室中から集めて、一つのテーブルに置いた。準備がないから学校に来たっていってたから不安だったけど、お菓子作り自体は得意なのかもしれない。最近引っ越したばかりで、買いそろえられてないだけとか。

 ……出来るように見せかけるのがいだけだったらどうしよう。私も、お菓子作りは得意なほうじゃない。大変なことにならないといいけど。

「いえ。誰かにあげるようなお菓子は市販のものを買っています。それが一番無難なので」

「無難なのは分かるけど、手作りして気持ちを込めたい時だってあるじゃん? ね?」

 同意を求められたので、私はうなずく。

「お金はあんまりかけられないから、せめて時間だけはかけなきゃって思うことはあるかな」

「そうそう。おづかいにも限度ってあるしね」

「まるで私のお小遣いに限度がないみたいな言われようですね。流石さすがにありますよ」

「でも、手作りをあげようって思ったことはないんでしょ?」

「ないですね。おそらく、私が手作りに心がこもっているとは思わないせいかもしれません」

「そうなの?」

「だって、殺菌の不十分なキッチンでものを作っているんでしょう? そんなの、愛でもなんでもありませんよ」

「うっ」

 それを言われてしまうと、返す言葉がない気がする。どう反論するんだろうとナナのほうを見ると、そっかと興味なさそうな言葉を返した。

 髪の毛を結び、彼女らしくない腕まくりまでしている。どうやら、お菓子作りのほうに専念しようとしているようだ。

「これ以上話しても分かり合えないみたいだし、アタシはスフレ作りに集中するよ」

「賢明な判断です」

「ルル、よろしくね」

「あ、うん」

 それからは、ナナの指示に従ってスフレ作りを進めていった。彼女がスマートフォンにダウンロードしていた動画を参考にして、作業を進めていく。こうやって動画で手順を知ることが出来るのは、すごく便利だ。

「次、これ混ぜてもらっていい?」

「うん、分かった」

「お願いね」

 それに、ナナが私にしてくる指示も的確だった。主だったことは自分でやりつつ、細々としたことを私に任せてくる。

 作業をしているナナの顔は真剣で、本当に相手のことをおもっているのだということがよく伝わってきた。こんなに想える人がいるっていうのは、素敵なことだ。ちょっと羨ましい。私はこんなにも想うことが出来る人に、出会えるんだろうか……。出会えたらいいなぁ。っていうかもしも出会えたとして、どんな人なんだろう。自分のことを見てくれるっていうのは大前提として、カッコイイ人だといいな。そんなことを思いながら、チョコレートをかき混ぜる。

 そしてエリムはというと、じっとこちらの作業の様子を見つめている。何というか、すごく興味深そうだ。

「そんなに興味深い?」

「ええ。実はまだ家庭科でお菓子を作ったことがなくて、作っているところを見るのは初めてなんですよ」

「あ、確かにまだおかずしか作ったことなかったね。最初の頃は調理実習自体なかったし」

 ……ん? ということは家庭科で初めて料理を作ってるところを見たってことなんだろうか? 流石さすがは令嬢って感じだ。

「見てみてどう? 面白い?」

「すごく興味深いですね。その白いのは何ですか?」

「メレンゲっていうんだよ」

「これが……」

 私の言葉に、エリムは目を見開いて驚いた。そんなに驚くこととは思っていなかったので、私のほうも驚く。

「それがメレンゲというものなんですか」

「もしかして、見たことなかったの?」

「はい。本で名前を見たことはあったのですが、実物ははじめて見ました」

 すると、変な声が聞こえてきた。振り返ると、ナナがむせていた。すごく苦しそうだったから思わず駆け寄ると、途端に笑い始めた。どうやら、エリムの発言がめちゃくちゃツボったらしい。

「は、発言が江戸時代のヒトみたいで面白すぎる。こっちは真剣にやってるんだから、笑わせないでよ」

「笑わせようとはしてないんですけど……っていうか、江戸時代は言い過ぎじゃないですか?」

「いーや、江戸時代でもまだ足りないくらいかもよ?」

「今日この日ほど、メレンゲの歴史を知らないことを悔やんだことはありませんよ」

「どういう意味……?」

 二人のやり取りについていけない私は、黙々とかき混ぜ続ける。

 メレンゲの歴史がなんだっていうんだろう。頭がいい人は、やっぱり時々よく分からないことを言ってるなぁ……。

「あ、もうそれ以上混ぜなくていいよ。貸して?」

 ナナがそう言うので、ボウルを渡す。代わりにというように、彼女の目線がシンクに向いた。シンクには、すでに使い終わったものが並んでいる。

「次、こっち片付けてもらっていい?」

「うん。分かった」

 私が洗っている間にも、彼女はテキパキと作業を進める。いつの間にか、スフレがオーブンの中に吸い込まれていた。もうすでに、ちょっとだけいい感じの香りがしているような、いないような。

「待って? これ、しく食べられるのは作ってからすぐって書いてるんだけど!?」

 ナナが動画をこちらに突きつけてくる。動画には、確かに彼女が言ったとおりの言葉が書いてあった。

「え、じゃあ家の人しか食べられなくない?」

「そう! 渡せないってコト!」

「まぁ、スフレなんて繊細はものはそんな感じだと思いますよ?」

「そ、そっか……」

 エリムの言葉に素直になるくらいには、へこんでいるらしい。いつもだったら絶対、ここで反論してたと思う。

「作り終わるまで気がつかなかったのが意外だよ。動画の概要欄にも書いてあるし」

「ホントだ……」

貴方あなたにしては手痛いミスですね」

 その言葉には黙ったままだったけど、顔が赤くなりつつあるのがよく分かる。本当に恥ずかしいんだろう。

 せっかく作って練習したお菓子が、実は人に渡せるものではなかった。それ自体は別におちやで済まされることだけど、人前でやらかしてしまったのがよくなかった。私が同じ状況になっても、同じくらい恥ずかしくなっていただろう。

 それから、ナナは椅子に深々と座って沈黙を続ける。あえて、私もエリムも何も言わなかった。下手なことを言っても、彼女の気を悪くするだけだろう。

 ところが気のせいではなくいい香りが辺りに広がりだした頃、ナナはゆっくりと立ち上がった。ゆらりとした立ち方に、思わず肩が震える。こ、このまま暴れ出したりしたらどうしよう!?

「アタシが食べたかったから作ったってことにしよう」

 しかし、ナナは思っていたよりも冷静だった。

「そ、それでいいの?」

「いいの!」

「開き直りも甚だしいですね」

「アタシがいいって言ったら、それでいいの! しそうな匂いがするから、これは成功だね。良かったー!」

 満面の笑みが、どこか苦しく感じる……。けれど、同情されるのも嫌だろう。だから私は、それでいいんだというナナの言葉をそのまま受け取った。

「熱いままを、すぐに食べるんでしょ?」

「そうだよ」

「それなら、菌とかの心配はそこまでしなくていいんじゃない? どうせなら、エリムも食べようよ」

「え。私は、別にお構いなく。というかそんなこと、一生懸命作っていたナナが認めないんじゃないですか? ねえ?」

 確かに主に作っていたのはナナだ。毎回衝突しているエリムには、あげたくないかな?

「ど、どうかな?」

「え、いいんじゃない?」

 不安だったけど、ナナは肯定してくれた。これは本当に強がりでもなんでもなさそうだったから、ちょっと意外だった。

「いいの?」

「うん。元々そのつもりだったからさ」

 言って彼女は、オーブンの前に立って様子を見ている。彼女に続いて様子を見ると、ちょうどいい感じに膨らんできている。

「結構作ったし、一人だけ食べさせないっていうのも気分悪いし食べたら?」

 取り出すと、より一層いい香りが広がる。美味しそう! 早く食べたい!

「……本当にいいんですか?」

「どうしても食べたくないって言うんなら、無理強いはしないけど」

「食べます」

「あ、食べるんだ」

「目の前でこれだけいい香りされたら、食べたくなっちゃうよね」

「これを見ているだけっていうのは、スフレにも失礼な気がしますしね」

「どういうこと? それ」

「そういうことです」

 よく分からないことは置いておいて、粉砂糖を茶こしで振りかけたら完成だ。六個焼いたので、一人二つ食べられる。

 ナナがお皿に盛り付けると、れいでお洒落しやれなものになった!

「すごい!」

「まぁねー!」

 何も知らないままどこかのカフェで出しているものだと言われて出されたら、絶対に信じていただろう。そのくらいお洒落しやれだ。

「見た目自体も、結構く出来たと思う。味も保証するから」

流石さすがに場所が場所だからSNSにはアップ出来そうにないけど、記念に写真撮っておこうかな。手伝ったし」

「あ、じゃあアタシも久しぶりに自撮りしようかな」

 自撮りという言葉で、真っ先にいつもの露出度高めなものが頭をよぎった。人前でもするの!?

「いきなりここで脱がないでね!? 脱ぐんなら、私たちの目の届かないところにして!」

「そういうのじゃなくて、ただの自撮りだってば」

「あ、それなら良かった」

「流石にああいうことは、人前ではやらないって」

「本当ですか?」

「ホントに決まってるじゃん。そんなこと言われると、スフレ食べさせてあげたくなくなるんだけど」

「そう思って、もう食べてます。しいです」

「……そう。ならいいけど」

「え、もう食べて良かったんだ? じゃあ、いただきます!」

 スプーンでスフレを、口の中に運ぶ。すると、入れた途端に口の中で一瞬にして溶けてしまった。その食感も味も、たまらなく美味しい。

「美味しい!」

「いります? 私の分のもう一個」

「え? いいの?」

 この軽さだったら、三個くらい余裕で食べられそうだ。

「はい。私は一個で充分なので」

「じゃあ……」

 もらおうとしたけれど、その瞬間にカロリーという言葉が頭の中に現れた。しかも、今は夜だ。二つでも本当は良くないのに、三つも食べたら体重が……ありえないくらい増えてしまうんじゃ……。

「……やっぱりやめておくね」

 悩んだけれど、今は貰わないことにした。悩んでいる間に『貰ってしまえ』という悪魔のささやきが何度も聞こえて、本当につらかった。

「そんなに葛藤している人間の表情、中々見られませんよ……」

「そうかな……」

「二人とも、ちょっといい?」

 聞こえてきたナナの声は、スフレを作っている最中くらい真剣なものだった。もう作り終わって吹っ切れてたはずなのに、どうしたんだろう?

「どうしたの?」

 彼女のほうを向くと、その瞬間『何かがいつもと違う』と思った。けど、その何かがとつに出てこない。時間帯が時間帯だから? それとも、いつもと違う場所だから?

「あのさ、今二人にアタシの目ってどう映ってる?」

 その言葉に、視線を目に集中させる。すると、そこには。

「ハートマークが……」

「なくなってますね……」

「やっぱり、そうなんだ」

 そう言う彼女の顔は、これまで見たことがないほどの笑顔だった。

 どうやらナナの症状も、解決してしまったらしい。

 これで私は、一人残されてしまったことになる。目の前が、真っ暗になっていく感覚は久しぶりだ。

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