◆後天性病弱少女の葛藤



 熱気の高まる、中学のバレーボール県大会準決勝の最終セット。

 熱は全身にまとわりつき、汗として流れ落ちていく。五セットもの間、試合が続いているのだ。交代があったから動いている時間はその半分だろうけど、それでも会場の熱にやられてしまっている。ユニフォームが肌にまとわりつく感覚が少し気持ち悪い。

 今は両校とも二セットずつを取っているものの、点数はこちらが二十四、相手が二十五という場面だ。ここで相手に一つの加点を許してしまえば勝負が決まってしまう大詰め。

 勝負の結果次第で、私たち三年生の今後も決まる、大事な局面だ。

 全員の気が極限まで張り詰めており、ピリピリとした空気が漂っている。長い時間動いているせいで、疲れもあるのだろう。

 しかし感情が高ぶっているのもあってか、出てくる声はどれも疲れを感じさせないほどに大きい。私も含めて、虚勢を張っているのかもしれない。声をスイッチにして、最後の最後まで力を振り絞っている、気がする。

「来るよっ」

「はーい!」

 相手から返ってきたボールを、マリナがレシーブで受けとめる。それを私がトスで高く上げて、ユカがアタックを打つ。

 ここまで動いていてもなお力強いアタックだ! これで決まるかもしれない!

 私の思いとは裏腹に、相手はそのアタックを見事受け止める。それから同じようにトスをし、アタックで返してきた。これはアミがブロックで即座に返す。

 相手の反応が、一瞬遅れる。

 今度こそ決まるかと思ったけれど、向こうはしぶとく片手で拾い上げた。上げるのが片手であったにもかかわらず、うまい具合にボールは高く上がる。長身のアタッカーらしき子がそれを受け取って、アタックを決めるのだろう。

 ふと、手を振り上げる長身の子と目が合った。彼女がにやりと笑うのと同時、不思議と自分が狙われると分かって冷や汗が出る。私たちのチームで一番強いユカのアタックですら危うく受けとめている私に、受けとめられるだろうか。恐怖に身震いする。

 ……いや、取らなきゃならないのだ。だって、そうしないと負けてしまう!

 長身の子の動きを見ながら、ボールを追いかける。案の定、ボールは私のところに来た。

 取らなきゃ。絶対に取らないと!

 全身を動かして、ボールを拾いに行く!

 しかし気が付いた時には、ボールは自らの手をすり抜けて地に落ちようとしていた。

 間に合わないと、頭では既に悟っていた。にもかかわらず、動き続ける手足。目の前をスローモーションのようにゆっくりと落ちていくボール。一瞬もらすことの出来ない、目線。

 ボールが体育館の床に落ちた瞬間、ボールがわずかにねる音をかき消すかのように終了のブザーが堂々と鳴り響く。続いて、相手コートに巻き起こる盛大な歓声。

 けれども、私の意識はそのボールから離れなかった。回収されていくボールを、なおも見つめ続ける。

「集合ッ」

 監督の声と周囲の足取りで、ようやくボールから意識が離れる。

 よく分からないまま、習慣として体が動き集合の形を取った。けれど今度は、私の意識がふわふわと宙を舞っている。監督が話しているのは口の形からなんとなく分かるけれど、なにを言っているかは全然分からない。

 とはいえ、分かっていることなんて一つだ。

 私たちのバレー部は、私のミスが致命打となって負けたのだ。それ以上でも、それ以下でもない。

 改めて、事実と向き合う。心臓がギュッとつかまれたような感覚に陥った。

 怖い。どうしてだかは分からないけれど、そう思った。


 ○


「ルル!」

 思いきり左右に揺さぶられる感覚に、ハッとして声のほうを見る。

「なにぼーっとしてんの! 危ないでしょ!」

 見れば、マリナが少々怒ったような顔でこちらの肩を揺さぶりながら顔をのぞき込んでいた。なんだろうと周囲を見回せば、赤だったはずの信号が青になっている。周りの人たちがこちらをげんそうに見ながら、そそくさと渡っている。

 それらすべてが分からなくなるほど、物思いにふけっていたらしい。

 私は申し訳なさに苦笑を返す。

「ごめんごめん、ちょっと考え事してて」

「びっくりするじゃん! 気をつけてよね」

「気をつける……。でさ、さっきの話どうなったの?」

「あー、それでね」

「うんうん」

 ……申し訳なさはたしかに感じているけれど、仕方ないじゃんという反抗心もある。

 だって、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。あの大会で、私がしでかしたことを。

 流石さすがに夢に見たことはないけれど、起きている限りはさいなことをきっかけに思い出してしまう。

 特に、あの時一緒に戦っていたバレー部の子たちと一緒にいると思い出しやすい。それもそうだろう。気にしないでと口ではみんな言ってくれたけれど、本心ではどう思われているのか分からないのだ。

『アイツのミスのせいで準決勝敗退だった』。一人くらいは、そう考えているだろう。そうして、嫌悪されているのだ。表情には見せない辺りがすごく憎らしい。けれど、いつかあからさまな嫌悪を向けられるのだろう。そう思うと、怖い。話している時も、いつ笑顔から無表情や嫌悪の表情に変わるのだろうと気が気ではない。

 もしかすると、私を除いたメッセージグループだって出来ているかもしれない。この前のボウリングも、たまたまユカが口を滑らせたから誘われただけで、本来ならば私は誘われていなかったかも……。いや、きっとそうだ。

 そう確信してしまうほどに、私の心は病んでいた。

 リュックを下ろし、そのままベッドに寝転がる。今日はあまり荷物がなかったはずなのに、やたらと肩が痛い。部活を引退して体を動かさなくなったせいで、疲れやすくなっているのだろうか。だとしても、運動しようとはとてもじゃないけど思えない。

 家に帰ったら、もうなんにもしたくない。

『今日もマジ疲れた。部活がなくなったと思ったら、今度は受験勉強。やってられない。高校は部活とか絶対入んない!!』

 病んでいると自覚してからは、最近始めた身近な人には教えていない裏アカウントへ愚痴を吐き出すことがもはや日課になってきていた。一日の中でも頻繁に吐き出すことがあるから、日課というよりも一種の呼吸というほうが近いかもしれない。

 現実世界で生きていくために、大切な呼吸。

 今日も帰宅後にアカウントを開き、いくつかの不満をつぶやきとして投稿した。すると、すぐに同調が返ってくる。同じような境遇の学生が、インターネットには相当数いるのだろう。そう思わせてくれるところも、魅力の一つだと思う。

 きっと皆、同じように現実では吐き出しづらいのだろう。吐き出せる相手がいたとしても、ずっと愚痴を話し続けるわけにもいかないから、インターネットに吐き出す。有意義なことだ。

 寝る準備をしてから再びベッドに横になり、同調のコメントに軽く反応を返した。それから枕の横にスマートフォンを置く。

「はぁ」

 ため息。

「疲れたなぁ……」

 その言葉は、本心から出たものだ。肉体はもちろんなのだが、精神もへとへとに疲れている。けれど、く寝付くことが出来ない。

 バレー部だった頃は肉体的な疲れがほとんどでよく眠れていたから、その点でいえば部活に所属していたほうが良かったのかもしれない。

 けれど、もうどこにも所属することはしないだろう。あんな思いはもうしたくない。

 内申点のために万が一するとしても、試合がないような平和な部活にするだろう。なんなら、活動日数が少なくてもいい。でもそれって、部活する意味あるのかな? 試合がない部活なんて、張り合いがなくて楽しくなさそうだし……。

「うー……」

 つらい出来事から逃れるように再びスマートフォンを手に取り、裏アカウントのタイムラインを見つめる。

 裏のアカウントには、同じく学生として昼間に活動をしているのに夜中まで起きている人がかなりの数いる。昼間に眠くならないのか不思議でたまらないけれど、どの時間に見ても大体人がいたりするのはなんだか落ち着く。同級生を主にフォローしている表のアカウントであれば、こんなことはないだろう。そもそも表の人たちは、あんまりつぶやいてもいないし。

 人の呟きに反応を付けたりしていたところ、とある一つの呟きが目に入った。

『求愛性少女症候群って知ってる?』

 見慣れない単語だけれど、響きがなんとなく良いなと思った。

 求愛性少女。

 そのままアイドルのグループ名に出来そうだ。

 気になったので、呟きに対するリプライも見てみる。それらによると、どうやら最近うわさとして広まっている病気的なものらしい。その症状は名前の良さに反して怖いものだったが、それすらも噂としてよく分かっていないようだ。それなのに、どうして本当の病気みたいなしっかりした名前がつけられているのだろう。不思議でたまらないけれど、上手く頭が回らない。あくびが出る。考えることが難しい。眠くなってきたみたいだ。

 スマートフォンを手放し、布団にくるまる。その数分後には、眠りについた。

 翌日。教室に入り荷物を整理してから、いつもの元バレー部メンバーが集まっているところへ駆け寄る。

「おはよー! 今日は何話してるの?」

 皆の視線が、一瞬にして私に集まる。そこで返ってきた『おはよう』の数々は、いつもよりも活気が無かった。不思議に思い首をかしげる私の目に、数学の問題集が目に入る。めつなことでは、誰も手にしたがらないものだ。つまり……。

「もしかして?」

 うそであって欲しいという願いを込めた問いかけは、確かにうなずかれた。一瞬にして、血の気が引いていく。

「そう。もしかしてじゃなくて、確実に抜き打ちの小テストがあるらしい」

「隣のクラスのもりが、朝の職員室で見たって言ってたんだ。アイツの言うことだから、間違いないんだよ!」

「なにもやってないよ!?」

「みんなやってないから、こんな風にお通夜状態なんだよ!」

「普段からきちんとやってればそんなことにはならないのにねぇ」

「そうやって余裕見せる暇があるなら教えてくれ!」

「え? 教えてもらう人になんて?」

「お、教えてください!」

「お願いします!」

「どうしよっかなー」

 ワァワァと騒ぎながら、アミに解説をねだる。彼女はなんだかんだ言いながらも、丁寧に教えてくれる。それを私たちは、ぎゅうぎゅうと肩を並べながら聞く。いつものことだ。こうやって一夜漬けならぬ、一朝漬けで乗り切ってきた。今回もそうだろう。まさか部活が終わってからの受験前もこうしているだなんて思ってもみなかった。

 でもまぁ、部活が終わって、はい受験です!と言われても実感が湧いてこないのも事実だ。たぶんみんな、そういう感じなんだろう。そうであって欲しいと思う。

 アミがしてくれる解説は、本当に分かりやすい。先生よりもずっとだ。そのおかげでよく頭に入ってくるけれど、肝心の頭がちょっと痛い。耐えられなくもないけれど、薬を飲んだほうが楽かもしれないと思う程度には痛みがある。頭痛薬、持って来てたかな。後でポーチの中を見てみよう。


 ○


 帰ろうとしていた私の前に、ユカが現れた。その顔には、分かりやすく困惑が浮かんでいる。

「なぁルル、今日は」

「ご、ごめん。今日もちょっと用事があるから、早く帰らないとなんだ」

「そ、そうなんだ」

 明らかに沈んだ声色に後ろ髪を引かれるが、私は靴を履き替えた。

「……また明日ね」

 向こうの返事を待つことなく、走ってその場を後にする。あぁ、こんな逃げるようなをしてしまう自分が嫌だ。絶対にまたかと思われてしまっただろう。それで哀れみの視線を向けられるのが、本当に嫌で嫌で仕方がないのだ。

 一緒に帰ることを拒否したのは、これで何度目になるだろう。それでも彼女たちは、懲りずに誘ってくれている。それがうれしい分、罪悪感もすごい。大会でミスをしたから自分は避けられていると思っていたのに、どうして私が避けるようになっているのだろうか?

 こんなの望んでない。本当なら一緒に帰ったり、気分転換でカラオケなんかに遊びに行ったりしたいのに、それも出来なくなってしまった。

 それもそのはず。

 元バレー部である子たちと一緒にいると、どうしてだか体調が悪くなるようになってしまったのだ。起こる症状は多岐にわたり、どこかしらが痛くなったり目眩めまいがしたりする。ひどい時にはその痛みに耐えられず、授業中だというのに保健室へ行くこともある。それも一回ではなく、何度もだ。この時期になるまで行ったことなんてなかったのに、今じゃ先生に顔を覚えられるほどになってしまった。

 その症状が元バレー部の皆と一緒にいる時に起きるのだと分かったのは、ついこの前のことだ。

 体調不良そのものは、一ヶ月ほど前から続いていた。なんでもない日のおなかの痛みからはじまって、日に日に悪くなる一方だったけれど、急に苦手な勉強をやり始めたからそうなるのだろうと無理やり納得していた。バレーの大会で失敗したという、ストレスもあったわけだし。

 けれど、一週間前の誰とも遊ばなかった日のことだ。その日は一日中机に向かって勉強させられたにもかかわらず、いつもより疲れが少なかった。そして、頭やお腹も一切痛くならなかった。そんな日は最近少なくなっていたから、すごく驚いた。そして、もしかして皆といないから何もないんじゃないかと目星をつけた。

 けれど偶然なのかもしれないと思い、次の日の休みも誘いを断って家にいた。すると、やっぱり何の体調不良にもならなかった。

 そして次の日に学校へ行って皆といると、痛みが襲ってきた。勘違いだと思い込みたくても、それどころではないほどに痛いのだ。原因は、皆と一緒にいることだと断定してしまってもいいだろう。

 今までは笑っていれば大丈夫だろうと、痛みを和らげる意味も込めて皆と出来るだけ一緒にいた。それなのに、あろうことか皆と一緒にいることが原因だったのだ。

 その日は、裏アカウントで暴れまくった。

 どうして自分が、こんな目に遭わないといけないの!?

 そんな思いを、ひたすら長文で書き殴った。だってそうだろう。せっかく皆は一緒にいようとしてくれているのに、私はその輪の中に入れなくなってしまったのだ。入っていたとしても苦しくなり、結局出なければならなくなる。そんなのは入れないのと何一つ変わらない。

 確かに避けられているという被害妄想を抱いたことは、悪いことだったのかもしれない。けれど、当時の状況からしてそう思ってしまってもしょうがないだろう。

 それに体調が悪くなるせいで、まともに授業も受けられなくなっている。教科書の内容自体はすでに終わっていて復習になってはいるけれど、部活を理由に一夜漬けで乗り切ってきた人間にとってはかなり重要だ。ここでちゃんとしておかないと、本当に何にも分からなくなってしまう。高校受験に失敗するのは嫌だ。

 色々な思いが混じり合って、涙が止まらない。途中でどうしたのとお母さんが様子を見に来たけれど、その腕の中で泣き続けるだけで何も話せなかった。

 次の日の朝。寝起きに裏アカウントを見てみると、知らないアカウントからの反応があった。

『それ、求愛性少女症候群じゃないですか?』

 以前見た気がする言葉だが、どういうものだったか思い出せない。知らない人の冷やかしという可能性もあるので、無視をする。嫌々ながら布団から起き、学校へ行く準備を始めた。泣きはらした顔は、念入りに手入れをする。

 学校へ行くと、私の机の前に元バレー部の子たちが立っていた。先頭で神妙な顔をしているのは、かつてキャプテンを務めていたアミだ。試合をしていた頃よりも険しい表情に、私の足はその場に止まってしまった。何を言われるのだろう。

 怖くて、そのまま保健室に足が向きそうになる。けれどこちらに気付いた向こうが、私を取り囲んだ。全員が全員険しい表情をしているわけではなかったが、それでも取り囲まれると威圧感がすごい。

「何で最近、私たちを避けてるの?」

 前置きを挟むことなく、彼女は口を開いた。

「そ、それは……」

「言えないことなの?」

 言ったってどうせ嫌な意味にしか捉えられないから、言いたくない。けれど目の前にある視線は鋭くて、私は罪悪感から口を開いてしまった。

「皆といると……た、体調が悪くなるから……」

「それ、どういう意味?」

 マリナが、食い気味に私のほうへ詰め寄ってくる。それをユカがまぁまぁと、間に入って止めようとしてくれた。けれどユカの手はけられ、私はマリナに手首をつかまれる。

「私たちといるのがそんなに嫌ってわけ?」

 違うという否定の言葉すら打ち消すように、彼女は言葉を続ける。

「確かにルルはバレーの大会でミスったよ。でも相手にあれだけ点を取られてる以上、アンタのせいだけじゃないじゃん!」

 彼女が私の手首に込めている以上の力が、私の手首を圧迫する。痛い。

「それなのに私たちがそれを責めるだろうって思ったわけ!? 避けるだろうって思ったわけ!? 馬鹿にしないでよね!」

「違う! 嫌なわけない! でも、すごく痛いの! 今だってそう! だから放して!」

 ぶんぶんと手を振り、マリナの手を振り払う。つかまれた手首が、折れてしまうのではないかと思うくらいに痛い。力のない彼女に手首を掴まれるだけで、こんなにも痛んでしまう。

「何で痛いの?」

「……分からない」

「適当言ってるんじゃないでしょうね!?」

「ま、まぁまぁ。そこまでにしとこうぜ? 今のはもしかしたらマリナも力入れすぎてたのかもしれないしさ。痛かったよなルル。よしよーし」

 そんな調子で、ユカがいつもの調子で私のことを抱きしめる。その瞬間、信じられないほどの激痛が走った。

「やめて!」

 思わず、彼女を突き飛ばす。

「え?」

 ユカの顔が、信じられないといったようにゆがんでいった。

「なんで……?」

 さっきまでのうるささが、一瞬にして静かになる。周りを見れば、皆信じられないとでも言いたげな顔をしていた。

 私だって信じられない。こんな、こんなはずじゃなかったのに!

「ま、待って……」

「最低」

 吐き捨てるように、マリナが言う。それ以外の子は何も言わなかったけれど、そうとしか言えない視線でこちらを見た。けれどすぐにユカをづかうように近寄り、彼女の肩を抱いてかへ行ってしまった。行く方向的に、多分保健室だろう。とか、してないといいんだけどな……。現実味がなさ過ぎてどこかごとのような感想を抱きながら、私は一人取り残された。

 その日を境に、休み時間に一人で過ごすことを耐えるようになった。最初はどう見られているか不安だったけれど、受験勉強に夢中になっていて一人で過ごしている人も多かったために、そんなに注目を浴びることはなかった。教科書を開いて眺めていれば、私も立派な受験生に見えていることだろう。実際、それで少し英単語を覚えられたので良かったとも思う。

 どうせあと数ヶ月後には、皆バラバラの進路を進むのだ。高校生になればまた人間関係も入れ替わって、元のような輪の中に入れるようになるだろう。きっとそうだ。そうであって欲しい……。期待を抱きながらも、自分の身に起きている症状を解決する手段がないことに絶望している。高校入学までには、なんとかなっていないと困る。

『今日も嫌なことばかりだった。早く卒業したいなぁ』

 そして一人であることに慣れていくにつれ、裏アカウントにのめり込むようになっていった。もはや私にとっては現実のほうが、海のように生きづらい世界になっていた。


 ○


 高校生になったけれど、私を取り巻く周囲の環境はあまり変わらなかった。

 同じ中学校の子があまり進学していない学校を選んだため、前評判なんかはそんなに気にしなくて良かったけれど、私に誰かが触れた途端に私の体調が悪くなる現象は変わらなかったからだ。触れてもなんてことはない子もいたけれど、体調が悪くなることのほうが圧倒的に多い。

 毎回誰かに触れると体調が悪くなると分かっているのに誰かといたいと思うことは、きっと愚かなんだろう。

 それでもまだ入学したばかりなのだ。友人を作ろうと思い、一生懸命取り繕ったりしてみた。結果、いくつかのグループを経て目立つことのない子たちが集まって出来たグループに落ち着いてしまった。今日もその子たちと愛想笑いを交わしながら、昼食を一緒に食べている。

 この現状を、良いとは思っていない。これから先もずっと愛想笑いを浮かべ続けなければならないのかと思うと、ゾッとする。

 けれど、この現状を改善する手段も思いつかない。一人になるということも考えたけれど、私にはそんな度胸はなかった。

「ルルちゃん、もしかして眠い?」

 グループの一人であるあいざわさんが、そう問いかけてきた。おどおどとこちらの様子をうかがっている。おそらく自分の話がつまらないから、ちゃんと聞いてもらえていないとでも思っているのだろう。半分くらいは当たっているけれど、そう素直に言うわけにもいかない。眠いということにしておこう。

「ちょっとね。昨日あんまり眠れなくて」

「そうなの? 課題が終わらなかったとか?」

「まぁ、そんな感じかな」

「寝不足はお肌の敵だから気を付けたほうがいいよぉ」

 あいざわさんは手を前で垂れ下げて、お化けのようにする。それで怖さを表現していると思ったら、不覚にも笑ってしまった。

「あ、笑った!」

 どうしてだか、うれしそうに彼女も笑った。

「いやだって、相沢さんのそれが子どもっぽいから、つい」

「子どもっぽいとは失礼な!」

「怖いものとして出てくるのがお化けである時点で、いかにも子どもだろ」

 今まで黙って読書に集中していたなかさんが、割って入ってきた。ということは、もうお昼休みは終わりなのだろう。時計を見ると、終了五分前。相変わらず彼女の体内時計は正確なようだ。正直、ちょっと引く。

 相沢さんはそんな田中さんにも失礼な!と訴えかけているけれど、そこは私も同じことを思った。

 お化けなんて、怖いのは子どもだけだ。成長するにつれて分かる。本当に怖いものは、やっぱり人間なのだと。

「そろそろ時間になるし、教室に戻ろっか」

「そうだねー次はなんだっけ? あ、国語か!」

「うわ、だるいなぁ」

 連れだって教室に戻り、それぞれの席に座ったところでチャイムが鳴った。先生が扉を開けて入ってきて、授業が始まる。

 先生の話を午後の眠い頭で聞き流しながら、ぼんやりと自らの利き手である右手を見つめる。

 どうして、人に触れると体調が悪くなる体になってしまったのだろうか。

 疑問というよりも、悲しみとして常に嘆くようになった。

 よりにもよって、なんで私がこんな目に遭っているのだろう。そんなにもバレーの大会でミスしてしまったことは大罪なのだろうか。それとは別に、バレー部の子たちを突き放したのは罪かもしれないけど……ああでもしなければ、私の身が持たなかっただろう。仕方がなかったと思いたい。

 それに、その程度で大罪というのなら、殺人や脅迫といった犯罪をしてしまった人は一体何になるというのだろう? 大大大大大罪人くらいになっていないと、私はやりきれない。……いや、大罪じゃないからこそ、こんなにも陰湿な症状になっているんだろうか。私が知らないだけで、大大大大大罪人くらいになると、人に触れるたびに信じられないほどの電流を浴びてたりするのだろうか。それはそれで耐えられなそうだ……。

「はい、じゃあここの問題を……そうだな。今日は十五日だから、十五番のがみが答えてくれ」

 先生の声に、思わず身震いする。当てられなくて良かったとあんしながらも、自分の考えたいことに改めて焦点を当てる。

 考えなくてはいけないのは、私にまつわる問題だけだ。

 そうだ、私よりもっと大罪を犯している人のことはどうでもいい。

 そういえば、触れてもなんてことはない人も時々いる。その人たちは、どうしてなんともないのだろう。これが物語であれば互いの仲がとか信頼がとかそういったきれいごとで判別されているのだろうが、絶対にそんなことはないと断言できる。だって、関わったこともないナナ先輩とぶつかった時にも痛みはなかったのだ。

 やっぱり、私の症状は『求愛性少女症候群』と言われているものなんだろうか?

 あれから知らない人だけではなく、相互フォローしている人からもその症状の一環なのではないかと指摘された。調べてみると、私の症状にも当てはまるようなことがいくつか書かれていた。けれど、よくよく考えてみると全員に当てはまることでもあるように思えるから、よく分からない。

 そして、その原因は裏アカウントをやっていることだと書いているページを見つけた。確かに、発症時期と裏アカを始めた時期はかぶっている。それならば解決方法は単純で、アカウントを消去するのみなんだろう。痛むことがなくなるのであればと、一度はアカウント消去の画面を開いた。

 けれど、そこで不満や苦労を誰かと共有するためにつぶやくことを『呼吸』であると認識している私に、消すことは出来なかった。

 そもそも、求愛性少女症候群とは一体何なのだろう?

 他にも発症者に共通していることはないかと調べてはみるものの、ちやして面白がっている人や、そういった症状を発症してしまう若者たちに対する説教をする人の呟きしか見つけることが出来なかった。

 たまに写真の載った被害報告はあるけれど、それのコメント欄にはいつも『加工乙』といった発言が見られて、素人の私にはなにが正しいのか分からなかった。

 何より今までずっと本物であると信じていたテレビの世界ですら加工や編集が多用されていると知り、正確な情報を得ることの難しさを知った。

 カラン。

「あ」

 考え事で、気が抜けていたらしい。手のひらから、シャーペンが転がり落ちていく。それを作品の音読中にたまたま通りかかった先生が拾い上げて、こちらの目の前に持ってくる。

「ルルのものか?」

「あ、ありがとうございます」

 先生に拾ってもらった罪悪感と、これから手を触れ合わせて受け取らなければならないという事実に内心で冷や汗をかく。てっきり結構な確率で先生たちの前でも過剰に痛みを主張していたから、そういう存在だとうわさされていてもおかしくないと思っていたのに。この先生は知らないのだろうか。知っていてくれたら良かったのに。数学の西にしむらみたいに露骨に腫れ物扱いされたらムカつくけど、かが痛み出すよりずっといい。何より、自分だけが痛いし。

 おそるおそる、どうか何も起こりませんようにと祈りながら手を出す。それに疑問を感じたのか、それともじれったいと思ったのか。先生は、シャーペンを私の机の上に置いた。

「今度からはきちんと握って落とさないように」

「は、はい……!」

 この先生は、きっといい先生だ! これからちゃんと、授業聞こう!

MF文庫J evo

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