World.6 そして世界を記憶する─コードホルダー─

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 ウルザ政府宮殿、二十階。

 広大なフロアを生温い気流がうずいていく。

 暗色がかった波動。めいていヴァネッサの法力が大気に溶け、超高密度に圧縮されて可視化したもの。いわば極大エネルギーの具現化である。

 ……あんだけ大法術を連発した上でリンネとも戦って。

 ……まだこれだけの法力をあやつれるのか。

 だが、それも覚悟の内。あらゆる悪魔をくつぷくさせて頂点についた夢魔サキユバスだ。その法力が無尽蔵であったとしても驚く気はない。

「これで最後だ冥帝ヴアネツサ

「来い」

 まったく同時にカイが剣を振りかぶり、冥帝ヴァネッサが片手を上げる。

 ──互いに理解したのだ。

 カイは、冥帝ヴアネツサの法術を受けた負傷によって。

 冥帝ヴアネツサは、リンネのきんじゆを受けた負傷によって少なからずへいしている。

 じんそくなる決着を。

「貴様に何ができるとも思えんが、あらがうがいい。それを押しつぶすまで!」

 悪魔の英雄・冥帝ヴァネッサのきよう

ごうの星よ」

 空に渦巻く悪魔の法術えんかん

 そこから召喚されたのは隕石。あおく輝く鬼火に包まれた超質量の塊が、ごうおんと風鳴りを従えて落下する。

 ……政府宮殿を巻き添えに!?

 ……俺とリンネ、それに人類反旗軍レジストの人間をまとめて潰す気か!

 視界を埋めつくす巨大な落星。

 絶対なる死をもたらすであろうその星を見上げ──

「ああ、証明してやる」

 あかつきのごとき光を放つ剣。カイは、陽光色に輝く世界座標の鍵コードホルダーを振りあげた。

 預言者シドに代わって。

 大戦にしゆうを打った剣は確かにあるのだと、この世界で証明してやる。

「だから応えろ、世界座標の鍵コードホルダーっ!」

 あかつき色の軌跡。

 きらめくけんせんが、あおく燃える悪魔の星を断ちきった。破裂。世界座標の鍵コードホルダーに切断された星が砕け、無数の欠片かけらへ。流星群となって落ちていく。

「はっ! 余の法術をこうも断ちきるか!」

 歯がみしながらも、冥帝ヴアネツサはなお強者の笑みを浮かべていた。

 先の法術からが生き延びた秘密はあの光の剣にある。それを確信したのだ。そして、その剣に対する対抗策も。

めいの花よ、咲き誇れ!」

 何百何千という火が浮かびあがった。

 先の落星をおおっていた鬼火が、冥帝ヴアネツサことだまによって開花する。一つ一つがぼうだいな法力をめこんだ極大の機雷だ。触れれば大爆発を引き起こす。

「法術を斬る剣であったとしても、これだけの数は砕けまい」

 勝利の確信。

 冥帝ヴアネツサの命によって、花の姿をした何百もの業火がカイめがけておそいかかる。

「散れ──」

!」

 ヴツンッ、と何かが途切れる音。

 そして、政府宮殿に通じる電気の供給が停止した。すべての照明が消え、フロア全域が無明の闇に包まれる。

「……なにっ!?」

「最高のタイミング。完璧だサキ、アシュラン」

 カイが取りだしていたのは通信機。

 通話先は十七階の電気室、そこで待機しているサキとアシュランだ。


てつ退たい用。冥帝ヴアネツサを倒すか、逆に無理だって思った時に電気をしやだんしてビルの明かりを消す。悪魔どもが動揺してる間にずらかる。これでいいんだよなカイ?〟

〝ああ。俺から合図する〟


 カイの指示によって、二人がビル全体の照明を消したのだ。

「最初は撤退用のつもりだったけどな」

「……そういうことか!」

 冥帝ヴアネツサもまた瞬時にカイの策を理解していた。

 なぜ闇を選んだか──

 五種族の中で人間だけは法力を持たない。ゆえに人間の挙動は目で見るしかない。闇に隠れてしまえばカイの位置はそく不可能。

 ではカイ側は?

 めいていヴァネッサの強大な法力の輝きが、冥帝ヴアネツサの姿を照らしだしている。

「貴様だけが余の姿を一方的に認識できる。闇に乗じての奇襲か」

 法力の爆炎で闇をはらう?

 だがそれも遅い。今から実行してもカイの剣が先に冥帝ヴアネツサへと届くだろう。

「…………惜しいな」

 闇に混じる悪魔の冷笑。

 夢魔サキユバスの爪が指さしたのは、闇の中、あわい光を放つ陽光色の輝きだった。

 世界座標の鍵コードホルダーが放つ光。じやくゆえにカイの姿までは見えないが、この暗黒空間のなか、シドの剣はまさに夜明けに差しこんだ一筋の光のごとく。あまりに目立つ。

 光の軌跡が、カイの走る居場所をそのまま示しているのだ。

「そこにいるのだろう。終わりだ」

 冥帝ヴアネツサが指さす先へ──青白くともる炎の花が、一斉に世界座標の鍵コードホルダーの光へとおそいかかった。斬りふせられる数ではない。

 巨大な火柱が上がる。そして、そこに照らされた者の姿を冥帝ヴアネツサは見た。

 ──姿

 世界座標の鍵コードホルダーを手にした少女が、めいの炎のなかを平然と走ってくる。

!?」

「何が終わりだって?」

 冥帝ヴアネツサの背後から、声。

 かん。かつて経験したことのない恐怖にせまられて夢魔サキユバスが振りかえる。その眼前にまでカイは走りこんでいた。

 ……すべて承知の上だ。

 ……こんな暗い中じゃ世界座標の鍵コードホルダーの光が目印になるもんな。

 ゆえにカイは、闇に乗じて世界座標の鍵コードホルダーをリンネに手渡した。

 リンネならば冥帝ヴアネツサの法術にも耐えられる。そしてカイ自身は、息をひそめて冥帝ヴアネツサの背後へと回りこんだのだ。

「ようやくここまで来たぜ」

 拳の届く至近距離。

 ここで冥帝ヴアネツサが法術を放てば冥帝ヴアネツサ自身も巻きこむだろう。法術は使えない。

「……ぜいじやく種とばかり思っていたが」

 めいていヴァネッサがふり向いた。

「見事だ」

 今までの冷笑とは違う。

 悪魔の英雄が初めて贈る、人間という種族への心からの賞賛だった。

「暗中の機転。このようさいが人間のものであることを利用して余の視界をうばい、さらに切り札のはずの剣さえ手放す二重の策。なんと不敵な」

「────」

「賞賛に値する。我がふところまでせまった相手が過去にどれだけいたことか。……だがあと一つ足りなかったな」

 人間には知恵がある。

 政府宮殿という地の利を生かし、闇を作った。

 さらにおのれの武器である世界座標の鍵コードホルダーおとりに使う策で、この距離まで迫ってみせた。

「それでどうする」

 眼前に迫ったカイを見つめ、悪魔の英雄は問いかけた。

「貴様は剣を捨てた。その諸手に何かをにぎり隠していたとしても、それで余を倒すことはできまい。貴様はあと一つ、絶対的な力が足りなかったのだ」

 法力に守られた冥帝ヴアネツサは、リンネが放った竜の拳にも耐えた。

 至近距離からの手榴弾グレネード程度では傷つきもしないだろう。唯一のかぎである世界座標の鍵コードホルダーを手放したツケがここで致命的な仇となる。

「──

「なに!?」

しんずいを見せてやる。俺はそう言ったぜ?」

 最後の踏みこみ。

 冥帝ヴァネッサの懐へと飛びこむや、歩幅を広めてかがみこむ。

「十年。この為だけにきたえてきたさ。悪魔おまえ!」

 しゆくうけん。カイの所属する人類庁では、を習得することが義務となっている。

 ──力の一点爆破。

 ごうおん。あたかもばくさい系の法術が決まったかのごとく。

 カイの捨て身のてつざんこうが、夢魔サキユバス身体からだを吹き飛ばした。

「…………ッッ!?」

 法力に守られた冥帝ヴアネツサに外傷はない。

 だがその衝撃は夢魔サキユバスの身体を芯から揺らし、一瞬、意識を刈り取るのに十分だった。

「……そ……ん、な…………?」

 最大の誤算。

 まさか──

 まさか悪魔の英雄に、素手でいどむ人間がいようとは。

「……貴様の……奥の手は、その剣では……なかったというのか!」

「ああ。英雄の剣に頼りきるつもりなんて毛頭ない」

 冥帝ヴアネツサは、人間というものを見誤った。

 剣も銃もなければ取るに足らない存在であると見下しきっていた。

 それが悪魔の英雄の、敗因。

「決着だ、冥帝ヴアネツサ

 リンネの投げた世界座標の鍵コードホルダーをカイが受けとめる。

 美しいほどにみきった色の剣を前に、体勢を崩したままの冥帝ヴアネツサは口元をやわらげ、そして自らに言い聞かせるように口にした。

「────余のだ。この領土ウルザ、貴様にくれてやる」

 そして。


 陽光色のけんせんが、めいていヴァネッサを断ちきった。


 剣の手応え。

 法力の障壁をつらぬいて、世界座標の鍵コードホルダーの切っ先が届いた感触が確かにあった。

 ……倒した、のか?

 ……手応えだけなら確実に決まってた。

 確信にいたる一撃だった。

 それでもカイとリンネが身構え続けたのは、世界座標の鍵コードホルダーを受けた冥帝ヴアネツサが、その場に膝を突きながらも意識を残していたからだ。

「──────」

 だが様子がおかしい。

 つばさを閉じた夢魔サキユバスが無言で自分の頭を押さえているのだ。傷のをするわけでもなくおそいかかってくるわけでもない。

「ね、ねえカイ。なんかアイツおかしいよ?」

「……ああ」

 身の毛のよだつ殺気が消えたことから、冥帝ヴアネツサの戦意は尽きたように思える。

 だが今までと様子が違う。いったい何を──

「……シド」

 夢魔サキユバスつややかな唇から、この世界に存在しないはずの名前がこぼれおちた。

「…………シド……そうだ。シド、預言者。余としたことが何というザマか」

 冥帝ヴアネツサが立ち上がる。

 全身を小刻みにふるわせて、いまだ自分の頭を押さえたまま。

………………そうだ。思いだした。

冥帝ヴアネツサっ!? どういうことだ!?」

 ピシリ、と何かが砕ける音が響きわたる。

 それはめいていヴァネッサの身体からだなかば石化し、砕け始めた崩壊の音だった。

「聞け、人間」

 悪魔が目を見ひらいた。

「世界が創り変えられる。シドはこの事象を『世界りん』と呼んでいた。この世界輪廻を引き起こし、世界をかいざんした者がいる。そやつを探しだせ! 余とシド以外の英雄、残る三体のいずれかだ!」

「シドがこれを知っていた? それに世界の改竄って、そんなことが……?」

シドは、世界に起きるこの異変を予見していた。ゆえに」

 夢魔サキユバスの爪。

 黒のマニキュアが塗られたつややかな爪が指したのは、カイの持つ剣だった。

。来るべきこの事態にそなえ、余はその剣を隠しぬいてきた。世界の改竄を正す唯一のかぎを」

「この剣を!?」

 手ににぎ世界座標の鍵コードホルダーをカイはぎようした。

 それが、悪魔の墓所にシドの剣が突きささっていた理由?

 しかし謎は残っている。冥帝ヴアネツサにとって世界座標の鍵コードホルダーは憎きシドの剣。それを保管する理由がわからない。

「どうして……お前と預言者シドは敵じゃなかったのか? 大戦で戦ったって記録はどうなってるんだ!」

「そう。余は、まぎれもなく奴とやいばを交えた。だが……」

 崩れていく身体。

 歯を食いしばってその場に立ち続ける悪魔の英雄が、絶え絶えに息をつく。

。お前の知る世界に記録コード

「っ」

 ぞくっ、と恐怖にも似た心地にカイは息をんだ。

 運命のぞう。世界に隠されたきんに触れてしまった。そんな気がしたのだ。

「……無座標化ゼロコード。厄介な術だ」

 砕けていくめいていの肉体。白く石化してへんとなっていく様は、明らかにカイの世界座標の鍵コードホルダーによる傷ではない。

「だが、これは貴様の勝利。見事だ人間──」

 ひたいに張りついた前髪をはらう大悪魔。

 小さく息を吸って、吐く。そして。

「────────あぁん。もう、すっごい悔しいっ」

 一体の美しき夢魔サキユバスは。

 悪魔の英雄というかんむりを脱ぎさって、久しく忘れていた「自分」のままにそう言った。

「私の負け。大負けよ。言い訳する気もおきないわ」

「ヴァネッサ?」

「覚悟なさい。次があれば……今度は夢魔サキユバスとして……あなたの……相手をしてあげる。思いきりでて泣かしてあげるんだから。覚えておきなさい」

 くすっ、と微笑。

 うるわしき悪魔の肉体が爪一つ、髪一本残さず黒い霧となって。

「……次は……もっと…………楽しみましょう……」

 消滅する肉体。

 それが、悪魔の英雄が発した最後の言葉だった。

MF文庫J evo

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