World.5 天魔と少年
1
王都ウルザーク。
大陸北部を占める広大な国家であるウルザ連邦の王都は、カイの知る正史の世界では、もっとも
高層ビルの
そしてウルザ政府宮殿。
そびえ立つツインタワー型の高層建造物──その姿を今でも覚えている。
「昼間は、政府宮殿の窓ガラスが一斉に空を映して青に染まるんだ。陽が
土と
「……こっちの政府宮殿は、悠長に眺めてる余裕なさそうだけど」
「空を悪魔が飛び交ってるせいで無人偵察機も飛ばせやしない。今の政府宮殿がどんな
運転席のアシュランが苦笑い。
「驚いたぜ。ウルザ王の
「ねー。しかも昨日のうちに
ガムを
ただし普段の助手席ではなく、今日の彼女は後部座席である。
「この道からアタシらが政府宮殿を強襲。それで悪魔の親玉を倒して一件落着よ」
「それはそうだがよ」
運転席のアシュランが、バックミラー越しにサキをちらりと
隣席にいるリンネの肩にしがみついた
「つぅかお前、なんでリンネにしがみついてんだ?」
「怖いからよ!」
堂々と。ただし周りには聞こえない声量で、サキがアシュランに言い返した。
「
「おう。
「そして政府宮殿十階の大ホール。ここでジャンヌ様と親衛隊が
「言ってみな」
「なんでアタシらが
「……わっ?」
リンネの声は、まさか
「サキが女に抱きつくのが趣味だったとはな」
「男でも女でも、何ならぬいぐるみでも抱きつきたい気分なの!」
涙声のサキ。
「信じらんない。たったの四人よ。カイとリンネに、アタシとアシュランの二人が支援要員。たった四人でどうしろっていうの! 途中で悪魔に見つかったら……あぁ。お父さんお母さんごめんなさい。今年の冬は生きて帰れそうにないわ」
よろよろとサキが目を閉じる。
と。そんな彼女の頭を
「……リンネ?」
「元気出た?」
リンネが、人間を元気づけた?
そんな二人の姿に、助手席のカイも思わず見入っていた。
「カイの知り合い……だったって聞いたから。だから特別。ほかの人間にはしないわ」
しかしやはり抵抗はあるらしい。サキの頭を
「心配しないでサキ。わたし強いもん。
「そ、そうなの
「────」
「その
「任せて。追い詰められた時は、カイを助けるために
「早まらないでっ!?」
抱きついていたリンネからサキが慌ててひきさがる。
「っていうかカイ!? 昨日も何度も聞いたけど平気なのね、アタシら四人で……」
「ああ。むしろ、これ以上は増やせない」
わずか四人の突撃班。これも検討を重ねた結果だ。
「……でもアシュランはよく平気ね?」
「平気じゃねえよ。さっきからハンドル
サキの声に、運転席の
──作戦決定が三日前。
円卓の幹部たちが作戦を承認し、サキとアシュランがその役目を知らされたのは一昨日の夜ふけのことだ。二人にとっては心を落ちつかせる暇もない急務である。
「アシュラン、
「早朝に連絡とったかぎりはまだ無事だ。こればかりは
アシュランが、ふるえる手を再びハンドルへ。
「なあサキ、俺がこうしてハンドル握ってんのは単純な下心さ。悪魔どもを倒せたら俺らは世界中から大絶賛だ。褒められたいし
「……アシュランさ」
運転を続ける横顔をカイは眺めて。
「俺の知ってる世界のアシュランより、
「はぁ!? だからお前のその話は俺にはサッパリわかんねぇっての……」
「期待してる。ところでリンネ」
再び背後へと振りかえる。
「大事なことだからもう一度ここで聞くけど、俺たちがこんな大勢で忍び寄ってること、悪魔たちは気づかないんだよな」
「うん。人間には法力がないから。悪魔たちが感知するものがないの」
たとえば
悪魔族は法力の感知に
「なら予定どおり進もう」
「いーや。もう到着のようだぜ。地獄の扉をノックする時間だ」
乾いた口調でアシュラン。
そんな彼が
「……いよいよね」
後部座席のサキが、立てかけていた
王都ウルザーク中心部。この地下鉄道のすぐ上に
『ウルザ
全兵に支給された通信機へ、霊光の騎士ジャンヌの声が伝わっていることだろう。
『私を信じてよくここまでついてきてくれた。まずは、この場で礼を言う。
車両のヘッドランプのみが照らす
『本作戦にかけた準備期間は三日。そのことに不安を覚える者もいるだろう。……だが、思いだしてほしい。我々は何年間戦い続けてきた?』
誰もが聞き入るなかで。
『強大な悪魔の支配に
ウルザ
『十分すぎるほど、我々は闘志という備えを蓄えてきた。そろそろ思い知らせてやろう。反撃の
これが平穏な時代であったのならば。
今ここで割れんばかりの拍手と
……ここからが始まりだ。
……地底で気勢を上げて騒ぎ立てて、地上の悪魔に見つかったら元も子もない。
誰もがそれを理解している。
だからすべての
『
「リンネ、サキ、アシュラン。──行こう。
ジャンヌの号令。
と同時に、カイは
──目指すは地上。
前方車両の傭兵たちを何十人と追い越して、線路の奥へ。そこにあったはずの壁は既に
「カイ、これが
「だろうな。リンネ、俺から離れるなよ……っていうまでもないか」
銃を携帯したうえで速度を落とさず走る訓練を重ねてきた身だが、並走するリンネは涼しい顔でカイの疾走についてきている。むしろ問題なのは後ろの二人だ。
「ちょっ、ちょっとお前ら速すぎなんだよ!」
「待ってよカイってば! どうやったら銃担いでそんな速く走れるのよ!?」
「……ねえカイ。わたしが二人を抱えて飛んじゃいけないの? その方がずっと速いよ」
「それは緊急手段な。
リンネの正体はぎりぎりまで
ただし突撃班──カイを含むサキとアシュラン、リンネ自身に命の危機がおよぶ場合には法術も
「あった、
電気供給が断たれて数十年と経過したソレを、一気に駆け上がる。地下二十メートルから
「カイこっちだ」
「ジャンヌ、待たせた」
天井のスキマから注ぐ日射し。
その逆光に照らしだされるのはジャンヌと親衛隊。さらに護衛の
「
「悪魔が三体。ただし偶然ここを通りかかっただけでしょう。問題ありません」
「想定どおりだな。人間が政府宮殿に攻めこむなど考えてもいないか」
霊光の騎士が片手を挙げる。
すっと静まる周囲。寒気さえ覚えるほどの
「──やれ!」
爆破。
仕掛けられた大量の成形爆薬が、
「行くぞ」
暗雲たちこめる
その色を映しだすかのように、
──ウルザ政府宮殿。
「これが……!?」
悪魔に
ツインタワー型であった塔の一本が、
『ニンゲンッ!?』
政府宮殿に続く広大な階段で。
煙から飛びだしたカイの姿を見た
第九
「何を驚いてるんだよ」
「もともと人間の
『凍リツケ!』
暗色の
階段の手すりが
「その法術は知ってる」
人類
『キサマ──!?』
「行くぞ」
次の法術を発動しようと伸ばした腕めがけ、
略式ドレイク弾。
「カイ、上!
サキが指さすのは頭上。
二十階建てとなる政府宮殿の屋上に飾ってあった石像たち──それが背中の
「たやすく突入させちゃくれないか……」
「どうするの、ここで時間かけてられないんでしょ!?」
「まとめて片付ける」
うっすらと煙をまとう
「
地電流。
その光景に背を向けて、カイは政府宮殿の
「すげぇ!? おいカイ、何だよあれは!」
「俺の世界で製造された群体用の弾丸だ。とっておきだから弾数は限られてるけど」
「何よ何よ、そんなすごいのあるなら最初に言っときなさいって!」
「……まあな」
サキとアシュランはもちろん、続いて地上に上がってきたジャンヌの本部部隊も誰一人として気づいた様子はない。
──カイの背後で、ふふんと胸を張るリンネに。
自慢げにこちらをチラチラ見てくるのは、彼女なりの「後で褒めてね?」のアピールなのだろう。
「順調だな」
後ろから追いついてきたのは、銀色の
「その鎧、走るのに重くないのか」
「ギリギリまで鎧の厚みを削ってる。まったく問題ない。────皆、展開せよ!」
ジャンヌ率いる
さらに第二陣が、ビルをぐるりと取り囲むよう
「面白い弾丸だったな」
「広範囲に雷を撃ちだす。
「俺の
「引き金も弾かずにな。
「────」
「あの娘か。リンネとかいう。最初から妙な気配だとは思っていたが」
見ていた?
はるか後方から。誰もが上空の
視力も並外れているが、それ以上になんと恐るべき直感か。
「私が問うのは一つだけだ。お前は、お前とあの娘とで
「ない」
「承知した」
……さすが。これが、悪魔と戦い続けてきた歴戦の勇士か。
……ジャンヌが護衛に指名するわけだ。
先頭をいく指揮官と護衛。その後ろに続く何十人という兵士が一階ホールで足を止めた。
「隊長、任せた」
「はっ!」
敬礼で応じる部下に背を向け、ジャンヌの親衛隊が非常階段を駆け上がる。その後方から速度を上げて、カイはジャンヌのすぐ後ろへ追いついた。
「ジャンヌ、こっちで間違いない?」
「正しい。中央の
「……確かに、悪魔の気配がほとんどないな」
三階から四階。さらに四階から五階へと上りつめる。
最上階を目指すのがカイたち。
一方でジャンヌとその親衛隊が向かうのは、政府宮殿の中層階にあたる十階だ。
この勢いで上れば数分で到達するだろう。だが、奇妙なまでの
「リンネ、どうだ」
「ううん。強い法力は感じない。でもさすがにおかしいよ。わたしと戦った時の
階段を一段抜かしで飛び進んでいくリンネが、顔を上げる。
その視線が宙の一点で静止した。
「カイ、あそこ!」
「
体長数十センチほどの小柄な悪魔が、
だが、その法術が時に「最悪」になりうることをカイは知っていた。
「やばい……ジャンヌ急げ! 来るぞ!」
悪魔のみが使う術式──
非常階段の壁に生まれる暗色の
ピシリッ、と壁に
そして、壁が砕けちる。
政府宮殿のぶあついコンクリート壁を破壊して、丸太ほどもある太さの腕が伸びてきた。
「
その腕が、ジャンヌの背後に立つ親衛隊の一人を
「う、うあああああああああぁぁぁぁぁ────────ッ!」
恐怖に染まった悲鳴。
虫を
「
巨大な腕の、その指先が消滅した。
『────────ニンゲンッ!』
それを冷笑で受けながす
「ジャンヌ様。お先に上へ」
「
「ぶあつい
身の丈十メートル近い怪物と
「ただの
「……十階で待つ」
霊光の騎士と親衛隊の軍靴が再びこだまする。
その階下から立て続けに
七階から八階。八階から九階へ。
無言で登り続けるジャンヌが、不意に、すぐ背後のカイへと横顔を向けた。
「言っておく。
「っ」
内心の不安をずばり見透かされた。
護衛の
「私たちはこのフロアで気楽に暴れるだけだ。私も親衛隊も、我が身は自分で守る」
「……
「もちろん。誰より
ジャンヌの爪先が床を激しく打ちつけた。
浮かびあがるような
「待てジャンヌ!?」
指揮官らしからぬ
悪魔が待ち伏せしていれば、法術で迎え撃ってくれと言っているようなもの。親衛隊がいるというのに
「カイ」
背後によりそうリンネが、目をみひらいた。
「────強い法力。そっち危ない!」
「ジャンヌ止まれ!」
ホールに足を踏み入れた霊光の騎士。
その全身を、何十発もの
リンネの法術にも比類する稲光が
「カイ。これでも不安か?」
雷撃が終息。法術の
「……エルフの霊装!?」
「ご明察」
「幻獣族との交戦でエルフの
悪魔族を
それに恐れることなく立ち向かう姿は、
「行け」
大ホールの奥から
「配下が現れるということは、この上に
「──ここは任せた」
ジャンヌとその親衛隊に背を向ける。
非常階段に引き返し、カイはさらに上階を目指して突き進んだ。
「サキとアシュラン。これ腕につけててくれ。
後方の二人に
「で、いいんだよなリンネ?」
「うん。天使の結界法術だから……じゃなくて、天使の結界を
これもリンネの法術だ。
「サキもアシュランも俺とリンネから離れるなよ。数メートルでも離れると
十五階、十六階。そして十七階で急停止。
通路にそって、息を殺してフロア北端めざして歩きだす。
「おいサキ、ここだよな?」
「三十年前のビルの見取り図が正しいならね」
地図を
光り輝く照明。
床は美しく磨きあげられて、
「……今さらだけどジャンヌの予想的中か。ビルの一部はまだ電気が通ってるって」
フロアを照らす電気照明。
さらにいえば、乗客がいないはずの
「発電設備が生きてる。悪魔が
「で、カイ。俺たちは電気室を
ずしん、と伝わる物々しい
ジャンヌたち下層の戦闘か? だが鳴動は収まる気配がない。ずしん、ずしん、と……意思を持っているかのごとく近づいてくる。
広大な通路を埋めつくす巨体。
魔獣ジャバウォック。
巨大な法力をもつ悪魔にして獣。
「~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」
「待ってサキ」
「だいじょうぶ。わたしたちのことバレてないから」
「……ほ、ほんとに?」
「見つけてたら突進してくるもん。
壁すれすれに身を寄せて立ち止まる。
その眼前を、巨象のごとき怪物が地鳴りを従えて過ぎていく様は、たとえ姿が見えていないとわかっていても背筋が凍る恐ろしさだ。
「さすが
──電気室。
うっすらと
「ああもう……寿命が三年は縮んだわよ」
「ま、これでアタシらは目的地に到着ね。アシュラン、そっち頼んだわよ」
「おう。こんなの目つむっててもしくじりゃしねえよ」
アシュランが見下ろすのは配電盤。そして彼が
このレバーを降ろすことで、ビル全体の電気供給が停止する。
「
「ああ。俺から合図する」
「最高のタイミングで決めてやるよ。レバー降ろすだけだけど……で。いいんだな?」
「うん」
答えたのは扉前に立つリンネ。
「わたしとカイは行くね。二人はここで待ってて。たぶん、じっとしてればこんな奥まった場所に悪魔が入ってくることないと思うから」
「無理すんなよ。俺もサキも言いたいのはそれだけだ」
元
再び十七階の通路へ。
……このビルは二十階建て。そしてウルザ王の
……
唾を飲みこんで胸に手をあてる。とくんとくんと早鐘を打つ鼓動が静まるのを待って、カイはリンネへとふり返った。
「ありがとうリンネ。大変だっただろ」
「うん?」
「俺以外の人間と一緒にいるの、嫌がってただろ。ここにくる時まで
「……カイに褒めてもらえるなら、わたし我慢できるよ?」
どこか照れくさそうに答える彼女。
胸一杯に両手を広げる──ぱっと後ろ髪がなびくと共に、そこから天魔の
「うん。やっぱりわたし、こっちの方が調子いいみたい」
「じゃあ行こう」
曲がり角から通路を
そして足を踏みだした瞬間。
この状況下だ。自分たちが侵入者の立場であるのは間違いない。
「そんな!? わたしの結界が
「これは……監視装置が生きてるのか!」
リンネの術式は光の錯覚を利用した
幻獣族の嗅覚を誤魔化せないのと同じく、赤外線センサによる体温検知機器には通用しない。それがここで作動したのだろう。
……監視装置は、高度機械文明の産物だ。
……技術者が保全しないと数か月で動かなくなるはずなのに。
さらに言えば
『ニンゲンの悪知恵も
ぞくり、と。
流氷の海に投げこまれたかのような
『
じゅぅと
熱したバターのごとく天井の壁がみるみると
「……カイ」
リンネの声が
「この悪魔、結構やばいかも」
「ああ。見るだけでヤバイってわかる」
全身から溢れだす灰色の
『何だその翼は』
リンネの
『ニンゲンどもをここまで誘導したのは貴様の術だな。そしてその翼は天使? しかし、なぜ我々の
「話し好きなら教えてほしいことがある」
リンネの姿を隠すかたちでカイは前に出た。
「お前か? わざわざビルの監視装置を改造した悪知恵の主は」
『ヴァネッサ陛下のお知恵である』
誇らしげに両手を
『この都はニンゲンの監視機器とやらが張り巡らされている。天使の結界も、聖霊族の
「…………」
『そしてその機器は、ニンゲンに管理させるのが最も話が早い』
だからこそ悪魔族は王都ウルザークに
『そしてもう一つ。貴様らの侵入を知って陛下は大変喜んでおられた。なぜこの機にこのような自滅行為に走ったか。とても面白い。興味があると』
「じゃあ
『目の前に愉快な
悪魔の全身から
『見逃す理由はない』
「ああ、そうかい!」
真白い煙が通路を包みこんだ。
発煙
『────ッ、何だこの……!?』
「発煙弾は初めて見たか? こんなビル内でなきゃ悪魔には
悪魔の
そのわずかな
「追ってくる!? リンネ、
「……甘かった。アイツ、わたしの術に
唇を
「このビルのどこに隠れてもわたしを追ってくる」
「なら上だ」
通路を駆けぬけて非常階段へ。十七階から十八階。さらに十九階へと続く踊り場を見上げて──そこでカイは目をみひらいた。
燃えさかる炎の壁。
「ここも
真っ赤な炎に照らしだされる小柄な悪魔たち。
それも一体や二体ではない。カイが見上げる空中を埋めつくす数の法術
……完全に先回りされた。
……どうする。ここから離れないとあっという間に囲まれる。
非常階段は二つ。片方が
「こっちだ!」
リンネの手を取って走りだそうとして。
「だめ、カイ危ない!」
背後から突き飛ばされる。
体勢を崩して前傾に。
が。氷の
「リンネ!?」
「……だいじょうぶ。わたしはだいじょうぶだから」
悪魔の
「行ってカイ。わたしが一緒にいたら追跡される。先に上で待ってて。わたしもすぐ追いかけるから。それで
「だけど……」
「お願い行って!」
最後の言葉は、絶叫にも似た懇願だった。
……わかってる。
……リンネの言ってることの方が正解なんだ。
ジャンヌをはじめ
「────絶対追いついてこい。約束だからな!」
背を向ける。
血が
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
見捨てられたわけじゃない。逃げていくわけじゃない。この上にいる
……そうだよねカイ?
……わたしを信じて上で待っててくれるよね?
リンネはすべてが嫌いだ。
嫌いだった。
悪魔族は陰険で嫌いだ。五種族の中でもっとも他種族への侮蔑が激しい。
幻獣族は野蛮で嫌いだ。五種族の中でもっとも
聖霊族は奇怪で嫌いだ。五種族の中でもっとも理解しがたく近寄りがたい。
蛮神族は強情で嫌いだ。五種族の中でもっとも
人間族は
そして。
その全部が混じっている自分が、一番嫌いだ。
なのに
自分を見て怖がらなかった。嫌な表情をしなかった。それどころか──
〝しばらくこうしてろ。落ちつくまで待っててやるから〟
抱きしめてくれた。
だから一緒にいたい。もう一度体温を感じたいのだ。
……嫌だよカイ。
……わたしが行くまでに死んじゃってたら、嫌だからね。
振りかえる。非常階段の出口を破壊して現れる
そのいずれもがリンネを前に、奇妙なモノを見たかのように動きを止めた。
『
『だが悪魔の臭いもする……?』
『いや、エルフの臭いも。ドワーフの臭いも漂ってくる』
『竜も。聖霊の臭いもだ』
『何だ。貴様は何だ……? その底知れぬ臭いと法力の混合……』
「そんなのわたしが
にじり寄る悪魔族と向かい合う。
強大な法力を
「わたしが何なのか自分でもわからない。でも一つだけわかるの──────わたしが、アンタたちなんか大っ嫌いってこと!」
天魔の
リンネ──そう名乗る少女の全身から
「わたしはカイと一緒にいたいの、邪魔するならどうなったって知らないから!」
2
政府宮殿、十階。
アーチを描く天井に、四本腕の
『
一本だけが丸太のごとく肥大化した右腕が、
だが全身を
せいぜいゴム弾。
弾の威力が大幅に
「はっ!」
霊光の騎士ジャンヌの剣が、
『──ッ!?』
「浅かったか。だが天使術式による『天罰』つきだ。そう簡単に治ると思うな」
『天使の法具カッ!?』
二の
「っ」
『弱い。天使の法具を人間が振るったとて、そんな腕力ではな……本当の剣とはこういうものだ』
悪魔の掌に
……そのはずだった。
法術による炎の剣が消滅。
ジャンヌに触れた瞬間に、炎の刀身が
『鎧? いや、その下か。エルフの霊装!』
「気づいたか」
跳び下がる
炎の剣に切り裂かれた鎧の隙間から
ジャンヌの真の防具は、その下に身につけている
──霊光の
エルフの至宝の一つであり、法術耐性では最上位の力をほこる。霊光の騎士ジャンヌの
『自ら死を選ぶか、ニンゲン!』
「────」
それに応えず、たった一言。
「
ジャンヌの剣から光が生まれた。
天使の法術をしめす白亜の輝きに包まれて、剣が変化。
「
大気を切り
巨体が壁に衝突。その様子を見届ける前に、ジャンヌは突如として猛烈な
「ジャンヌ様!?」
「……問題ない。隊長、持ち場を死守せよ!」
駆け寄ろうとする親衛隊の隊長を
「自ら死を選ぶか、だと」
歯を食いしばり、全身を
「そのとおりだ。その覚悟がなくて
天使の弓とエルフの霊装。
これらは元々、強大な法力を有するエルフと天使だから使える法具だ。法力を持たない人間が着用すれば
──命を食らって輝く死装束。
霊光の騎士ジャンヌは、常に死と隣り合わせで戦い続けている。
「軽いものだ。悪魔の英雄と戦うことと比べれば……」
別歴史の世界からやってきたというカイとリンネ。
本音を言えば、ジャンヌはまだカイの話を信じきれていない。どうすれば五種族大戦で人間が勝利するような歴史になるというのか。
だが、
悪魔の英雄へと
「ジャンヌ様!」
突然に響く部下の絶叫。
気配は頭上から。
天井が音を立てて崩壊し、そこから猟犬型の魔獣が飛びおりてきたのだ。ケルベロス。そう称される伝説級の魔獣にも似た怪物が、前脚を振りあげた。
「お待たせしました、わが
その爪が、
「少々、道が混んでおりました。片付けながら来たもので」
「……肝を冷やしたぞ」
『…………貴様か……聞いたことがある……』
くぐもった声を漏らす魔獣。
へし折られた前脚の爪、そして
『並外れた強さの人間がいると。貴様か…………
「さあな」
真っ赤に熱を
カイの
だが
竜の牙を以て戦場を駆ける。悪魔族からも恐れられた
「階下で部下たちも持ちこたえている模様。とはいえ時間稼ぎも限度があるでしょう」
「……最上階次第か」
「はい。そしてジャンヌ様は後ろへ。私が参ります」
口早に応じ、ウルザ
3
ウルザ政府宮殿、二十階。
最後の一段を上り終えたところで、カイは疲労混じりの息を吐きだした。
「ようやくか……」
ついに最上階。
……悪魔の追跡は
……あとはリンネを待てば。
非常階段はビルの南北それぞれの端に一つずつ。カイが通ってきたのは南側の通路で、リンネが悪魔の包囲を突破すれば北側の階段からやってくる。
「リンネ……来いよ……」
約束したのだ。二人で冥帝ヴァネッサを倒すのだと。
非常階段のスペースから一歩足を踏みだし、二十階の通路へ出る。
そのはずが。
「なっ!?」
無意識のうちに
通路も壁もない。二十階のすべての
そしてカイは、そんな大広間の中心に一体の悪魔の姿を見た。
冥帝ヴァネッサが、そこにいた。
「ようこそ人間」
「…………お前が……」
「まあそう
底知れぬ
……大昔から人間の王を
……そんな伝説が山ほどある悪魔の一種か。
悪魔族の英雄。
と同時に女王ともいうべき存在が、カイを見てクスクスと微笑を
「銃を捨てないのか?」
「……なんだって?」
「最強の悪魔が
「…………」
「どうした」
「そうじゃないだろ。お前の本性は」
リンネから聞いている。
「
きょとんと。
信じられないものを、そんな表情でカイを見つめる
……なんてね。俺もリンネから聞かされてなかったらさすがに驚いたさ。
……冥帝ヴァネッサ。どんな恐ろしい見た目かって思ってたよ。
外見は、美しい人間の女性にしか見えないのだ。
「ふっ、あははっ、ははははははっっ! 面白いな貴様?」
腹を抱えて
「戦闘狂? いやいや、確かに余は争い事も嫌いではないが、これでも
膝を組みかえる
「そういえば人間の反乱軍があったな。霊光の騎士とやら、配下からそんな名を聞いたことがある。エルフの霊装を使うと聞いたが。お前か?」
「あいにく人違いだ」
「では貴様はその部下か?」
「いいや。確かに俺は、お前から
「ヨソ者?」
不測の言葉に、魔性の美貌を
「ウルザ
「もっと遠い場所だ」
余裕の表情を崩さない悪魔の英雄。
王の座に深々と腰かける
「お前が敗北した後の世界から」
カイは、
「………………はて」
気味悪いほど長き
「余が敗北した世界? あいにくとそんな世界はない。過去も未来
「過去でも未来でもない。こことは別の歴史をもった世界だよ」
「夢見事か?」
「ああ、俺だって何回も夢だって思ったさ。お前が信じようが信じまいが、俺は別の世界から迷いこんできた人間だ。俺からすれば俺の覚えてる方が本当の歴史で、そっちはもうとっくに五種族の戦いが終わってる」
二度目の
「して。お前の言う世界では余が敗れたと。ならば余に勝利した種族は? 世界を支配する種族はいったい何になったというのだ?」
「人間」
「────────はっ! あはははははっ何を言い出すかと思えば人間が勝利?」
自慢の胸が揺れるほどに肩をふるわせて、息も絶え絶えなほどに大笑い。
「幻獣でも蛮神族でも聖霊族でもなく、人間が勝利? いやはや面白い、これほど
「預言者シド」
人間の英雄はこの世界に存在しない。
だから彼の名に、
「────────」
「
預言者シド。その名を耳にした大悪魔の表情から笑みが消えたのだ。
カイのことなど忘れたように宙を見上げ、その
「シド。シド?…………人間…………剣…………」
今までの
それはまるで──
記憶を失った者が、必死にその記憶を思い起こそうと
「……シド……墓所…………
「え?」
いま何と言った。墓所?
墓所も預言者シドの剣も、どちらも正史にのみ伝わる概念だ。別史にいる悪魔の英雄が口にする単語ではないはずなのに。
そして「世界
「
「──────いや」
悪魔の英雄が首をふった。
嬌笑まじりの
「余としたことが物思いに時間を
「どっちもご免だね」
「それは残念だ。
足下の
「では
「打ち消せ」
声が重なった。
──略式エルフ弾。
五種族大戦の記録を基に開発された弾丸が、稲妻とぶつかりあって対消滅。
「なにっ!?」
略式エルフ弾はこの世界には存在しない弾丸だ。法力を打ち消す弾を知らない悪魔に対し、確実に「反撃」が決まる。
「人間を
法術を打ち消されたことへの動揺。その一瞬で、カイは床を
……どんなに強い法力を持ってようが。
……肉体は
我に返る
だが遅い。既に
「
その刃が、冥帝ヴァネッサの豊満な肉体を素通りした。
爆発。略式ドレイク弾の爆風が王の座を跡形なく砕く中で。
「幻!?」
「余が
魔性の
ぞっとするほど近くから伝わる声と、そして首筋へと触れようとする何かの気配。
「
「──くっ!」
ふり向く余裕さえなく身を投げすてた。
「お? これはずいぶんと
「そして法術を打ち消す弾丸。面白いな。それが貴様の世界の武器というのなら」
「信じる気になったか」
「
「
ざわりと
髪の束一つ一つが、あたかも
「
視界が「赤」に包まれる。
炎と呼ぶにはあまりにも美しく、
──寒気。
全身から汗が
「炎に
「……くっ!」
略式エルフ弾を撃つ気さえ起きない。全身全霊で、一切の抵抗を
炎が、フロアの壁を突きやぶる。
ぶあつい
……人類
……これが……悪魔の英雄の本気なのか。
「おや? しまったな。大事な
膝をつく自分を見下ろす最強の悪魔。
「そうだ人間。一つ面白いことを教えてやる」
視線がカイの銃剣へ。
「余の椅子を破壊したその銃。爆薬つきというのは中々に面白い」
「……どういう意味だ?」
「種族差。たとえば幻獣族は強固な
「だが、そんな耐性を無視し、種族を問わずに通じる万能の術がある。それが『
その背中から
「余のもっとも得意な術式が、その『爆砕』だ」
絶対的強者の
カイの足下の床全域に、巨大な法術
「────っ!」
逃げ場などない。
フロアそのものを吹き飛ばす爆砕の波動が足下で
まずい。足下から浮上する極大の破壊。未来予知のごとく、目の前のすべてが爆炎に
「終いだ人間。貴様の死は運命づけられた」
だがその一言が。
カイの脳裏に、リンネと出会った時の光景を
〝
「
黒き
──
床と一体化した法術円環が破裂。
業火によって煮えたぎり、液状化した床。
炎の気流が収まったその後に、そこに立つ
「
すべて等しく爆炎によって蒸発しきったからだ。
「なのに、なぜお前は生きている」
それは、悪魔の英雄が
「余はこの
「……さあね」
陽光色に
……九死に一生か。
……また助けられたな。この剣に。
運命を
命に
「お前が持っていたのは黒の銃だった。いつその剣を取りだした?」
「それは──」
「カイ、下がって!」
「リンネ!?」
階下から飛びだした
その
「お前、その傷……」
「平気だよ。ちょっと無理したけど」
「無理って時点で全然平気じゃないだろ……そんな傷でかよ」
「カイが生きててよかった」
「──俺が?」
「さっきの爆炎で建物が揺れたの。すごく怖かった。カイが死んじゃうんじゃないかって」
リンネの声はふるえていた。
恐怖と、そして怒りとで。
「だからなおさら許せない。来なさい
雷撃が
その表情が険しさを増した。
カイでもリンネでもなく、先の爆炎で消し飛んだ天井の方向を
「何者だ」
その
何かを警戒する
カイとリンネが見ている前で
〝悪魔の英雄に想定外の「揺らぎ」を観測。
〝
奇怪なる異種族。
現れたのは、破壊された人形のように
全身の概観は人間のそれに
……リンネに
……その仲間? まさかここまで追いかけてきたのか!?
ひっ、と恐怖にリンネが身をすくめた。
「カイ! あ、アイツ!」
「リンネ、後ろにいろ!」
「貴様!?」
ふり返る
『世界への影響、拡散性と判断』
「貴様、そうか……理解したぞ……
『
再現。
リンネが受けたものと同じく。無数の黒渦が
と同時に、
「ッッッッッッッッッッッッッ!?」
全身を削られていく悪魔の絶叫。
死ぬ? あの悪魔の英雄が、このまま正体不明の怪物に襲われて死ぬというのか。
──
「調子に乗るなよ
悪魔の英雄が
背中からさらに一対の
「ほぉら
『!?』
「
『
「四散せよ」
怪物の
「……なんだこの傷は。法力を集中しても治らぬ」
絶え絶えの息で
「まあいい。目の前の
ぎょろりと悪魔の英雄がこちらにふり向いた。全身から
……これが冥帝ヴァネッサの本性。
……
目の前にいるのは、
「リンネ、お前こんな奴と戦ってたのか」
「……違う……」
本性を解きはなった
リンネが、
「……怖い。前から強かったけど、でも、わたしが戦った時はこんな怖くなかった。こんな表情見たことないもん…………」
正史とは異なる歴史の世界で、
だが、リンネがここまで
「逃げて!」
張りつめた悲鳴がこだました。
「カイ逃げて! だめ、勝てない。強さとかじゃなくて……勝てないってわかるの……」
「リンネ!?」
我が身を
その腰にしがみついたリンネが、歯を食いしばって
「『影の幽獄』よ! この悪魔を、わたしごと縛りつけなさい!」
「聖霊族の結界? 貴様っ!?」
リンネと
「貴様は何だ。その
「早くカイ! こんな結界じゃすぐに壊されちゃう。わたしが抑えてる間に逃げて!」
「抑える?」
ピシリ、と暗闇の檻に生まれる真っ赤な
「余を抑えるだと。こんな
爆風に
その背中に向け、カイは叫んだ。
「
「……だ……め…………やめ……て……カイ」
策などない。床に倒れたリンネから一秒でも一瞬でも、この
「カイ逃げて────────」
「
悪魔の声。それが──
カイが意識を失う前に聞いた、最後の言葉だった。
少年の
血色の
リンネの前で宙を舞う
倒れ、起き上がる気配はない。
ただ爆風を浴びたわけではない。
法術が
「…………カイ?」
答えはない。生きているわけがないからだ。
リンネの目からもソレはあまりに絶対的だった。どんなに認めたくなくても、生きていてほしいと願っても、希望を許さぬ血と死の
「…………あ…………」
「はっ。
「……………………」
「それとも戦意さえ尽き──────」
言いかけた悪魔の言葉が止まった。
無言で起き上がった
「……馬鹿な」
そのはずが。
「ヴァネッサァァァァァァァッッッッ────────!」
リンネは
「許さない。絶対に絶対に絶対に……許さないんだから!」
自分以外に大事なものなんてなかった。親も友人も同種族の仲間さえいなかった。
……それが、ようやく見つかったのに。
……カイだけはわたしに接してくれたのに。
初めて知った。
大事なものを失うという喪失感。
──『■■■』
まぶたを閉じ、頭上の天を
その背中にある天魔の
「……なんだと」
悪魔の英雄が絶句する先で、さらに変化は続いていく。
リンネの金髪が輝きだした。法力の光に照らされているのではなく、髪そのものが透けて内部から光が無限に生みだされていく。
さらに
──
──
悪魔族と蛮神族と人間。
さらに幻獣族と聖霊族の特徴が、新たにリンネの身体に
「雑種? いや違う。……何だその五種族が混じった
「うるさい」
リンネの姿が搔き消える。
竜の腕力で。
「…………っ……かっ…………は……?」
身体を大きく折り曲げて
「……貴様、その姿は……! その姿が貴様の……本性……か」
「うるさいうるさいうるさい!」
獣人の脚力でもって
「ヴァネッサァァァァァァァッァッッッッ!」
大粒の涙を残して地を蹴るリンネ。
聖霊族の特性──その残した涙さえも光り輝く幻想的な光景を前にして。
「はっ! ははははは!」
悪魔の英雄は、口から血を
痛みなどどうでもいい。
「これは、これはなんと滑稽か! なあ輝かしき混沌種よ!」
「…………」
「わかっているだろう。その力とその姿で! 貴様が最初からソレで戦っていれば、あの人間を余から逃すことくらいはできたはずだ」
「…………」
「よもや
リンネの顔に、
「はっ、わかるぞ! 人間はもっとも
全力の形態になることを
そしてその
「貴様の涙は余への怒り? 違うな。アイツを
「そうよ」
天魔の
ただでさえリンネは人間と違うのだ。
……これ以上「違う」ものがあったら、もしかしたら嫌われるんじゃないかって。
……カイから冷たい目で見られるんじゃないかって。
それが怖かった。
「だけど、もういいの。後悔したってカイは生き返らない」
空中で
竜の剛力で四枚の翼をまとめて
「ヴァネッサ。わたしと一緒に死んで」
「なに!?」
リンネの爪が、
標的の体内にリンネ自身の血を注入する血の混生。そして、混ざりあった血を
Solitis Clar "Elmei-l-Nazyu Phenoria" ──
ぽたっ、と
「この水滴はお前の「命」そのものよ。どんな防御だって防げない。命が消えるまで
「……貴様っ!?」
「わたしの命と一緒にね」
リンネの
命の等価消費。
それを理解した悪魔の英雄から悲鳴が上がる。
「この……忌まわしき存在……がっ……」
「もう終わりよ。これで────────」
あと数秒で両者の命が尽き果てる。
不意に、
「……え?」
気づいた時には、リンネはその場に落下して床に
力が入らない。いや、そもそも
「禁呪といえど法力によるもの。それが貴様の敗因だ、
リンネから
「ここは余の
「……まさか」
「広範囲
全種族の特性をもつリンネの肉体。
万能に見える力だが、戦闘においては必ずしも無敵にはなりえない。なぜなら全種族の弱点も
「三種族分の呪詛。逆に、よくもまあここまで法力を持たせたというべきか」
「……そん……なっ……」
禁呪を使った代償で身体が動かないのであれば、竜の剛力も意味がない。
そして法力も呪詛によって絞り尽くされた。
「
指一つ動かせず倒れたリンネに降りそそぐ悪魔の言葉。
「どの種族にもなりきれぬ半端な種。この世でもっとも意味のない生。貴様のようなものがなぜ生まれたのか理解に苦しむ」
それを、リンネはただ受け入れるほかなかった。
「…………ごめんなさい……カイ」
悔しかった。
助けられなかったこと。
すべてを投げ打って、なお冥帝ヴァネッサに届かなかったこと。
「ごめんなさい……ごめんなさい。カイ……わたし……頑張ったけど…………」
「その言葉さえ耳障りだ」
生まれた業火が動けないリンネへと
灰さえ残らない。
──
悪魔の炎が、たった一度の剣閃に断ちきられた。
「……まさか!?」
あの人間に対しては
「俺に謝る? なに言ってんだよリンネ」
太陽の光すべてが一つに結晶化したような陽光色──
「お前が戦ってなきゃお終いだった。今、ギリギリまで意識が飛んでたからな」
いまだ起き上がれぬ少女は見た。
目の前に、悪魔の英雄と向かいあう人間が立っている姿を。
崩壊しかけた大広間に、小気味よい風が通りすぎていく。
「……カイ……生きてる……の?
怖々と顔を上げる少女に。
カイは、無言で手を差しだすことでソレに応えた。自分の手でリンネの手を
「……あたたかい」
「ま、さっきも言ったけどギリギリだったけどな」
同時だったのだ。
そしてカイが、ソレを
今も喉の奥に血の味を感じる。コンマ一秒でも遅ければ間に合わなかっただろう。
「まだ余の前に立つと?」
立ちはだかる人間を
「挙げ句、余に
「そういうことになる」
「
大悪魔の
その
「死に損ないが。そこの半端者が余に
「──だからこそ、さ」
「だからこそ、俺は意地でもお前に勝たなきゃいけなくなった」
サキやアシュラン、ジャンヌ。自分の知る世界で大事な
……だけどもう一つ。
……命を張らなくちゃいけない理由ができた。
「リンネが命をかけてお前と戦ったんだ。俺のために。だから、俺だって意地でもそれに応えるさ」
「はっ! 何か秘策があるとでも? 余に何かを見せるとでもいうのか?」
大悪魔が両手を広げた。
「余は
聖霊族の英雄たる
蛮神族の英雄たる
幻獣族の英雄たる
敵ではあるが、種族を率いる絶対強者という点で
「人間には英雄がいない」
「…………」
「種族を束ねる強者の欠落。それとも貴様がそうだというのか?」
試すような口ぶり。
半分は
「答えろ人間」
「まさか。俺は人間の英雄になりたいとか
その視線を正面からカイは受けとめた。
「見せてみろって言ったよな
「何をだ? 人間の強さか。可能性か。未来か」
「──真髄を」
人間の本質。その道の奥義。精神の極限。
そのすべてを以て
そのすべてを、
「お前の言うとおりだ。この世界に人間の英雄なんていない。それでも……俺のすべてでお前を倒すよ。だから──」
剣を
かつて五種族大戦を制した剣で、もう一つの五種族大戦に
「今この瞬間、俺が、
ウルザ政府宮殿の頂上。
「行くぞ悪魔の英雄。見せてやるさ、人間の真髄を!」
一人の少年が──
悪魔の英雄に