World.4 救いがたき人類を救うもの
1
さっと頭上を照らす西日に、カイは反射的に目をつむった。
「……夢じゃないんだよな。これまでのこと全部」
墓所の内部でシドの剣を見つけた。
さらに、奇妙な異空間に閉じこめられていた少女リンネを助けた矢先に、奇怪な怪物に
こんな話を誰が信じるというのだろう。
「俺だってまだ半分くらい
なぜならカイのすぐ後ろに、その少女リンネがついてきているのだから。
「うー、
目を細めたリンネが、おそるおそる墓所の外へと顔を出した。
蛮神族と悪魔族と、人間。
一目見ただけでも三種族の特徴を
「ねえカイ、ここどこ?」
そんなリンネが、
「ウルザ
「……覚えてないの。ずっと閉じこめられてて」
地平線の端から端までをリンネがじっと
「このあたりが悪魔の支配地になってるの? 悪魔の姿は見えないけど」
「悪魔の大半は人間の都市に
ウルザ連邦の王都ウルザークは悪魔の
「この国の王都が、リンネの戦った
「……ねえ」
翼を広げたリンネが背中を反らして天を
「カイはこの先どうするの」
「俺? ああそこだよな。墓所に来たのも思いつきだし、ここから先は」
言いかけた矢先。
カイの見ている目の前で、翼の少女がふらりとよろめいた。
「リンネッ!? おい!」
翼を広げたまま地に膝をつき、リンネがうつぶせにくずおれる。
「……あ。あれ? おかしいな。全然、力なんて使ってないのに……」
声を
上半身を反らして起き上がろうとするも、すぐに力つきてまた倒れこむ。
「たぶん、ずっと
「……わたし、一人で立てるよ?」
「無茶するなって」
肩を組んで起き上がらせる。
リンネから伝わってくる力は、生まれたての赤子のように弱々しい。カイが肩を組んで起き上がらせても、まだ足がおぼつかずにぎゅっとしがみついてくる。
そんな彼女をしばし見つめて。
「リンネ、どこも行くアテがないなら一緒に来るか」
「カイと?」
「俺に
「……わたしが人間のところに?」
声のトーンが跳ね上がったのは、それだけ予想外の申し出だったからだろう。
うつむくリンネが無言で思案して。
「……嫌」
血を吐くような口ぶりでそう言った。
「五種族はぜんぶ信用できないよ。悪魔族も蛮神族も聖霊族も幻獣族も。わたしが近づいただけで『違う』って匂いでバレちゃうから……」
「人間も?」
「……人間も信用できない……好きじゃないもん」
「俺は?」
リンネが口ごもった。
「……カイは……わたしのこと助けてくれたから……」
「俺はいいんだな」
「でもっ! カイがそうでも、人間は違う」
「だったら俺だけ信じてついてくればいいさ。俺が
「────」
リンネは言い返さない。
それが無言の肯定であるとわかって、カイは墓所を下っていった。
「……これ、動いてるの見たことあるわ」
「なら説明が楽で助かるよ。リンネは俺の隣な。そうそう、その助手席」
車輪が、回転。
四輪
「リンネ? おいリンネ?」
「な、なな、何よこれ!? 動く! 動くわ。お尻がムズムズして気持ち悪いっ!」
「タイヤの振動だよ。すぐ慣れる」
「ウソ! いくらカイでも信じられない……い、いやぁ降ろしてぇぇぇっっっ!?」
助手席で、無理やり
挙げ句のはてに、隣で運転するカイにしがみついて。
「たすけてカイっっっ!」
「わっ!? っておい、待てリンネ。踏んづけてる! ギアの操作レバー踏んづけてる! 車が────」
二人の悲鳴が荒野に響くまで、時間はさほどかからなかった。
2
ウルザ
警戒すべきは、巡回する悪魔の存在だ。
……悪魔に尾行されてる可能性もあるもんな。
……サキとアシュランからも絶対にバレるなよって念押しされたし。
今は、リンネが悪魔族の法力を感知できる。
「リンネ、どうだ?」
「ううん平気。悪魔の法力は感じないよ」
助手席のリンネ。
初めての乗車体験も落ちついて、今は安心しきった様子で座席に
「ねえカイ、こんな場所に人間の
「ああ。もうすぐ大きなビルが見えてくるけど、その地下から町に行けるから」
「……本当にこうなってるのね」
「わたしが
「俺もそう覚えてるよ」
悪魔の本来の住処は、
カイの所属する人類
五種族大戦時の記録と推測できるが、リンネが
「カイは、この世界が『変わった』って言ったよね?」
「ああ。こっちじゃリンネしか信じてくれないだろうけど」
ここに
──あの時からだ。
世界が急変した。ビルも道路も人も何もかもが空に吸いこまれていって、それからだ。人類が大戦に勝利した歴史が、逆に敗れた歴史になっていた。
「昨日までは俺も半信半疑だった。でもリンネと会えたから、もう迷わない」
「迷わないって、何を?」
「ここは俺たちのいた世界じゃない。俺たちは、大戦の結果が逆転した歴史の世界にいる──って。そう信じぬくことをさ」
同じ
彼女の存在が、今の自分にとって何と心強いことか。
「どうせ俺たちの間でしか話さないし、二人で覚えてる歴史が正史ってことにしていいと思う。シドって人間がいた歴史の方な」
「じゃあこっちは?」
「俺たちの覚えてる歴史とは違う『別史』の世界。そういう認識になると思う」
正史と別史。
この両者の歴史をわけ
シドがいたことで、百年前に大戦で勝利した正史の世界。
シドがいないことで反撃の機を失い、三十年前に大戦で敗北した別史の世界。
その両者が入れ替わった瞬間が、カイの目撃した事象だった可能性が高い。
「リンネはこっちの世界は好き?」
「大っ嫌い」
少女が口を
「一番嫌いなのが悪魔族で次が蛮神族。どっちもわたしのこと『
「なら──」
「この別史の世界から脱出する。でしょ?」
「ああ。『脱出』って表現が正しいのかもまだわからないけど、とにかく俺たちの覚えてる正史の世界に戻りたいな」
なぜこんな世界の異変が起きたのか。
人間の技術でできることとは思えない。
ならば人間以外。真っ先に思いあたるのが四種族のいずれかという説だ。強大な法力を有する四種族ならば、これだけの事象も可能かもしれない。
「リンネさ、これが法術のせいってことは考えられる?」
「わかんない。聖霊族の法術に変わったものが多いんだけど、違う気もするし……」
と。
「人間の
「もうすぐ着くよ。車を停めたら到着だ」
第十
うずたかく積もった
「ここの地下に
辺りを
そんな彼女の出で立ちで、カイの目についたのは背中の
……リンネの場合はやっぱり
……着てる服はエルフの霊装らしいし、ちょっと変わった衣装で通すとしても。
リンネの特徴は天魔の翼、そしてエルフのように
もっとも後者はエルフほど大きくないので横髪に隠れて目立たない。問題は、背中から
「俺の上着を羽織ってもらってリンネの背中だけ隠すか。ホテルに着けば──」
「わたし、翼しまえるよ?」
そう言うリンネの背中で、翼がみるみる小さくなって服の下に隠れていく。
「え!? どうやったんだ?」
「すっごく小さくしただけ。外から見えないでしょ?」
驚いたカイを見てリンネがいたずらっぽい笑顔。
仲間の種族がいないから、こうして誰かに驚かれる反応がリンネにとっても新鮮な感覚なのかもしれない。
「ねえねえ、すごい?」
「……ああ。すごいすごい」
「もっと褒めていいわよ!」
「子供かよ。ほら、こっち。あんまりはしゃいで悪魔に見つかったら
自慢げなリンネに苦笑で応え、カイはビルの入口を指さした。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
世界を支配する四種族から逃れ、人間は大陸の辺境に
荒れはてた荒野や砂漠、あるいは
そしてここ
「ここだよ。このホテルに俺も昨日から泊まっててさ」
この
「って、リンネ?」
肩に触れる、やわらかい肌の感触。
ふり返ったそこに、左肩にぎゅっと抱きつくリンネの姿が。
「だ、だだだ、だめよカイ! 離れちゃダメ。ここは危険よ!」
「……危険?」
「人間がいっぱいいるわ!
「誰も嚙みつきゃしないよ。ほら見ろ、誰もリンネのこと
ホテルの通路を行きかう宿泊客を
「言ったろ。
今のリンネは、もはや
エルフの血──透きとおるような
「……リンネ、できれば腕にしがみつくのは勘弁してくれ。たぶん目立つ」
「わ、わかったわ!」
今度は背中にぴったりくっついてくる。
それもできれば勘弁してくれと言うべきか、悩んでいる間に。
「ようカイ戻ったのか」
「あーホントだ。お帰り。そろそろかなって思ってたんだよね」
サキとアシュラン。
長身の青年と小柄な少女が向かい側の通路から。どちらもウルザ
「車、助かったよアシュラン」
「
カイの放った自動車の
「悪魔の
「そこは保証する。見晴らしのいい荒野だったし、悪魔の見張りがいればすぐわかる」
「上出来だ……で。さっきから気になってるんだけどよ」
アシュランが、カイの背中から見え隠れする少女を見下ろして。
「そっちの可愛い子は?」
びくんっと背後のリンネが全身を
「なあ、俺アシュラン。アンタは? どこの
「こらアシュラン、まーたすぐナンパする」
「挨拶くらいいいだろサキ。なあ?」
「……い、嫌っ! 人間のくせに、わたしに話しかけないで!」
カイの背後から飛びだすや、リンネが二人めがけて両手を突きだした。その手に法術の光が
「吹き飛──」
「吹き飛ばすな!?」
そんな少女を、カイは後ろから
「落ちつけリンネ!」
「
「そんな
リンネの首根っこを捕まえるや通路を走りだす。
「あ。おいカイ──」
「また後で!」
自分の部屋に大急ぎで駆けこんで
「……危なかった」
もしリンネが法術を放っていたらと思うとぞっとする。
彼女の正体が異種族であるとバレてしまうのもそうだが、何より人間の街を破壊した罪でお尋ね者になるところだ。
「ねえカイ」
扉によりかかるカイを前にして。
そのリンネが、
「わたし、カイを困らせた?」
「…………」
「わたし、やっぱり邪魔……かな」
「……なに言ってんだよ」
そうと悟れば、リンネは
「リンネは悪くない。俺がきちんと説明するべきことだった」
扉ごしに通路の方を指さして。
「さっきのはアシュランっていう俺の
「…………」
「だからリンネもな。間違っても攻撃しちゃだめだ」
「……うん。カイが言うなら信じる」
「ここがカイの
「今のところな。ここなら他の種族に見つからない。でもベッドが……」
肝心のベッドが一人用である。
「俺、受付で予備の寝具もらってくるよ。リンネはそこのベッドで寝てていいから」
「……やだ」
「やだ?」
「ここで一人で寝るの、恐いもん」
「あー……そうか。じゃあ俺を待ってる間、シャワーでも使ってるか?」
扉近くのシャワールームを指さした。
電気と水が貴重である
「電気の節約でぬるま湯しか出ないけど、冷水よりマシだろ?」
「シャワー?」
「水浴びのこと」
シャワールームの扉を開けて、壁に取りつけられた小型の
ぽちゃんと
「わっ!? すごい、聖霊族の法術みたい!」
ノズルから噴きだすお湯におそるおそる手を伸ばし、リンネが
「水浴びしてていいの?」
「ああ。俺はちょっと外に出てくるからその間に……って待った────っ!?」
きめ細かな肌を惜しげもなく
「裸になるの早すぎる! 俺が出ていってからにしてくれ!」
「? なんで?」
一糸まとわぬ姿でリンネが正面に回りこんでくる。
「ねえカイ? どうして?」
「裸で回りこむのも禁止!」
「だって水浴びは裸でしょ?」
「それは間違ってない。だけど見た目が……リンネ、人間そっくりで俺が困る」
「?」
ぽかんと首を
人間の少女に近い
「あっ、そうそう。カイ見て、
くるんとリンネが半回転。
とはいえカイの目にまず映ったのは背中ではなく、その下。
「ねえカイ?」
「……わかった。だけどシャワールームの外にいる時はバスタオルを巻いてくれ。俺以外の人間に万が一でも背中が見られるとまずいだろ?」
俺にお尻が見えないように。そう言いたい気持ちをこらえ、シャワールームに
「じゃあ外に行ってくるから。シャワー浴びて待っててくれ」
「うん! すぐに戻ってきて!」
と──
通路に出た目の前を、つい先ほど別れたアシュランが横切っていく。
「カイ? お前、なんかさっきより疲れてね?」
「……気の休まる暇がない」
肩をすくめてそう応じて。
カイは、通路の壁によりかかったのだった。
水しぶき。
何千何万というシャワーの水滴がとめどなくタイル床に落ちては跳ねる、そんな水音に混じって聞こえてきたのは少女の
「入浴中って、人間じゃなくても歌ったりするんだな……」
シャワールーム内のリンネの歌声を聞くかたわら。ベッドの脇に腰かけて、カイは
……シドの剣は、透きとおった陽光色の剣だった。
……それがいつの間にか
シドの剣「
「どう見ても人間の造った武器じゃないよな……」
こんな並外れた武器を造る種族がいるとすれば。
「エルフとかドワーフなら?」
蛮神族は「亜人」として知られる種族だ。
天使やエルフ、ドワーフ。これらは体内に強力な法力器官を
だから強力な法力を
シドの剣も、これが蛮神族の武器ならば法術を切断する力も
「もう一度」
ここでも成功するのなら、シドの剣の存在は完全に証明されたと言っていいだろう。
……あの時は剣の名前に反応したんだよな。
……これが法力を
その名を口にしようと息を
「たっ、大変! 大変よカイ!」
リンネの悲鳴が、カイの決心を吹き飛ばしていった。
シャワールームの扉が割れんばかりの勢いで開いて、そこからバスタオルを巻いただけの少女が飛びだしてきたのだ。
「水が止まらないの! ねえねえ、どうやって止めればいいの!?」
水にぬれそぼった
肩から首筋にかけて張りついた髪の房から水滴が伝っていって、
……やばい。
……これは多分、俺の精神衛生上とても良くないやつだ。
リンネは言いつけどおりバスタオルを巻いている。巻いているのだが、慌てて走ってきたことでタオルがずれかけているのも
「あれカイどうしたの? ねえ、こっち向いてよ」
「…………」
「ねえカイ、こっち向いてってば」
「……わかった。リンネ、まずはそのバスタオルをしっかり巻いてくれ。その間に、俺がシャワーを止めてくる」
「? うん!」
元気よく答えるリンネに気づかれない程度に。
「……心臓に悪い」
カイは、ぐったりと疲れた息を吐きだしたのだった。
それから数分後。
「人間はずるいわ」
髪の水気をタオルで丁寧に拭き取りながら。
「カイ、人間はずるいわ!」
「……何で?」
「だって、あんなに温かい水浴びをしてるんだもん。わたし、あんな気持ちいいの初めて」
「なんだ、快適だったなら良かっただろ?」
シャワーの温水にリンネは驚いていたし、入浴中に
「わたし……冬の滝で、雪のまじった水に
「ずるいも何も人間の発明だしな。この
日光に頼らずとも、四種族は法力で光を生みだすことができる。
人間だけが法力を持っていない。ゆえに五種族のなかで最弱なのである。
「幻獣族みたいなでっかい
「…………」
髪を拭く作業を止めるリンネ。
「人間の銃もそうなの?」
「多分そう。銃や大砲で弾丸を飛ばすのは、法術の遠距離攻撃に負けないように発展してきたんだと思う。それでも全然歯が立たないのが現状っぽいけど」
「……そっかぁ」
人間も苦労してるのね──リンネが、自分に言い聞かせるようにそう口にする。
髪を拭き終えて立ち上がる。
何をするのかとカイが尋ねる前に、リンネは目の前のベッドに飛びついた。
「えい!」
「何してんだ?」
「だってすごいの! こんなに
ベッドの上で寝転がる少女。
何度も何度も、感触を確かめるためにベッドの上で跳びはねたり転がってみたり。
「……ふわふわ。ふわふわしてる」
「楽しそうだな」
「ふわふわふわふわふわふわふわふわふわっふわ!」
「子供かよっ!?」
もうおとなしく寝てくれ。
3
早朝。
地下街である
買い物客もまばらで、あとは
「ねえカイ? 昨日の夜より人が少ないよ?」
「昼間はみんな働いてるんだと思う。生産プラントを動かさないといけないし」
生産プラントの
だが、いつかは限界が来るだろう。
ウルザ
「……それはさておき、俺たち今日一日は調べ物だな」
図書館へ。悪魔族の
「まずはこの世界のことを一から調べよう。元の世界に戻るのが最終目的だとして、一つでも手がかりを見つけないと。……リンネは人間の本って読める?」
「うん。カイが読んで聞かせてくれたら読める」
「それは読めるって言わない気がするけど、まあそれでいいか」
と。
その矢先に、隣を歩くリンネがさっと背後にふり向いた。
「昨日の人間の匂いがする」
「匂い?……なんだサキとアシュランか」
通りの向こうから駆けてくる元
そして二人の
「サキ、アシュラン?」
「カイ!? ここにいたのね!」
サキが振りかえる。彼女がすぐさま指さしたのはホテルの方角だった。
「その子と一緒に今すぐ
「……どういうことだ?」
「見つかった」
その直後に。
今まさにカイが目指していた図書館の天井が爆風によって
「……法術」
リンネの
カイの背後で、耳打ちほどの小声で彼女はそう伝えてきた。
「悪魔の法力。それも一体じゃない。何体かいる」
「……なんだって」
「悪魔の
天井まで届く火の粉を見上げてアシュランが舌打ち。
「奴ら、よりによって地上の避難通路を見つけて、そこからここまで
「街が見つかった!? じゃあもうここは……おい、待てサキ、アシュラン!」
返事も待たずに二人が街の外れへと駆けていく。
『区長より、全住民へ緊急指令──
けたたましくくり返される
天井部から鳴りひびく警報も、収まるどころか秒単位で音量を増していく。
「くそ、最悪のシナリオか……!」
一瞬で人々の悲鳴に包まれた地下街で、カイは下唇を
住居が火の海に包まれ、生産プラントが破壊される。
「ねえカイ。ここ出よう」
逃げまどう住民の
「……出る?」
「地上。わたしとカイだけなら全然大丈夫。余裕で逃げられるから」
「俺たちだけでか……?」
「だってカイを忘れちゃった世界だよ。カイが目の前にいてもカイって気づかない人間でしょ。わたしたちが助ける必要ないと思う」
非情。そんな心情的側面さえ無視できるなら、リンネの提案は、生き残るという観点でもっとも合理的な選択だったことだろう。だが。
「…………」
「どうしたのカイ?」
「リンネ。俺、まだこの世界を勘違いしてた」
人間は五種族大戦に負けた。
一部の者は
「人間は、何だかんだでまだ大丈夫って思ってた。だけど……」
ここまでとは思わなかった。
……見誤ってた。完全に俺の失態だ。俺の知ってる歴史が頭に染みついてたから。
……人間が大戦で勝った世界に生きてきたから。
何とかなるだろう。
誰かがこの世界を何とかしてくれる。まだ心の底でそう信じこんでしまっていたのだ。
この光景を見てようやく思い知った。
そんな都合のいい「誰か」など、いない。
預言者シドの不存在。ゆえに四種族に立ち向かう人間がいないのだ。
この光景こそが、こちらの世界の真の姿なのだから。
「俺は……」
右肩に感じる
そして
……リンネの言うように逃げることもできるし
……だったら何の為だったんだ。
悪魔の墓所に転落してからの十年間──一日も休まず訓練してきたのは何のため?
この為だったのではなかったのか。
「リンネ」
隣の少女に向かって、カイはふっと微苦笑した。
「気が変わった。悪あがきさせてくれ」
「え?」
「確かめたいんだ。俺が死に物狂いでやってきた
返事を待たずに地を
「銃弾、効果ありません!」
「硬すぎる。だめです! 抑えきれない……!」
悲鳴と絶叫に染まる街。
カイの見上げる天井に
石の
「
銃弾を通さぬ
「だめだ……こいつら
銃弾を浴びながら平然と飛びかう石の悪魔たち。
その接近を前に、小銃を撃ち続けるアシュランが
「早くしろ。この
「う、うん!」
サキが走りだす。
その頭上を
「
彼女の背中を
「カイ!?」
「サキ、
「あ、あるけど……」
「それと天井から
「何でそんなに詳しいの!?」
「言っただろ。俺は、大戦が終わった歴史を見てきたって」
四種族との交戦記録は、すべて人類
どれほどの武装と人員、そして戦術でもって勝利を納めたのか。カイはその全記録を頭に叩きこんできた。
「
標的の肉体組織を変質させる
法力を持たぬ人間が浴びればソレに
「そのための
発射された半透明の結晶が
人間が何をしたのか──
石の悪魔が我に返る間を与えることなく
略式ドレイク弾の破裂。石化した
『ッッッッ』
「……ちっ」
倒れながらも
さらに
「カイ!?」
そんな彼女に対し、カイは瞬時に
「撃つな!」
「……え?」
「弾の無駄遣いだ」
カイの手から
「銃がなきゃ人間が勝つ手段なんてない」
背後に
「そのとおりだ」
敵の
……大戦が終わるまではそれが常識。
……だから人間はその反省をバネに、種族差に
「そのための
背打。
「うそっ!?」
質量百キロを超えるであろう石像の悪魔が人間の力で宙に浮く。その異様ともいうべき光景を
──一点
全身の筋肉の硬直が生みだす瞬発力と体重を炸裂させる。言うなれば火薬にかわる運動エネルギーの「爆発」だ。
その衝撃は、
「リンネ、そっちに飛んだ」
「いいよ」
リンネが応える。
その背中に一瞬、天魔の
「カイが戦うならわたしも戦う」
降りそそぐ豪雷。
光の柱とさえ形容できるほどの巨大な雷が、カイが吹き飛ばした
絶叫。そして消滅していく悪魔たち。
わずか数秒の時を経て、
「……さすが
「でしょでしょ?」
「だけど
今の雷撃群は
「ちょ、ちょっとカイ!? 今の雷……なにアレ、まさか法術!?」
「落ちつけサキ。ただの漏電だ」
平静を
「悪魔のせいであちこちの建物が壊れてる。電気系統が
「あ……そ、そう言われてみれば……でも……」
「もっと先に考えることがある」
「そ、そう?……っていうかカイ、アンタめちゃくちゃ強いじゃない! 何よあの法術を消した弾丸。それにあの打撃!?」
「どっちも説明したんだけどな。俺はこういう訓練をしてきたって」
一昨日の夜のこと。
サキとアシュランがどうにか自分を思いださないかと、人類
もっとも、二人はその話の間ずっと
「おいおいおい何だってんだ!」
アシュランまでもが駆けてくる。
「とんでもねえよ。おいカイ、お前そんなに強いなら最初から手伝えってんだ!」
「……
「はは、そういや俺だった。まあ誤解ってのは誰にでもあるわけで────おい。こっちの悪魔どもは片付けた。そっちどうだ」
小型の通信機に語りかけるアシュラン。
何度か応答をくり返した後に、元
「まずいな。この奥にいた
「え!? まずいじゃないアシュラン! 絶対に逃がしちゃだめって指令が……」
「
「リンネ」
ぎりぎりまで押し殺した声で、隣の少女にカイは尋ねた。
「もう一度悪魔の
「ううん無理」
「……数の差で?」
「上位悪魔なら、地上から法術一発で地面ごと
「────」
「あ。ご、ごめんね。わたし頑張るよ? カイが戦うならわたしも」
「いや、大丈夫。リンネが悪いわけじゃない」
むしろ明言してくれたおかげで目が
だがどうすればいい?
「ねえカイ。アタシらと一緒に来ない?」
「……どこへ?」
「
「俺、部外者だけど構わないのか?」
「あんな
「…………」
ウルザ
悪魔族から人類の地域を取り戻すために戦う反乱軍の大本である。
……その指揮官は霊光の騎士ジャンヌ。
……いや、今は幼なじみだったとかそういうのは忘れよう。
人類を
「
「……わかった。
リンネに目配せ。
4
ウルザ
王都ウルザークへの
「人間がいない
「
「そそ。武器庫に訓練施設。それに生産プラントも。悪魔たちが上空を通っても廃ビルにしか見えないけどね。王都からも近いから絶好の場所よ」
廃線となった地下鉄線路をサキが進んでいく。
連邦議事堂。
かつてウルザ連邦の議会が開かれていたビルである。
「ちなみに、ここを
クルマを止めたアシュランが運転席から降りてくる。
「前司令官な。あの方がいなかったらウルザ
「……その
「二年前、悪魔の襲撃で重傷を負って引退。それを
正史の世界では。
ジャンヌの父は、人類
……そうか。俺以外の人間はこっちでもほとんど変わってないと思ったけど。
……こういう違いもありえるのか。
ジャンヌの父親のように引退を
「ジャンヌ様の
建物の中央部にある
「電気のほとんどを生産プラントの
「食料とか?」
「銃と火薬、それに自動車の製造よ。生産量は多くないけど」
サキが階段を上がっていく。その上方から、十人近くの部下を引き連れて、隊長格と思しき
「統括隊長!」
「サキ上級兵、アシュラン上級兵。
眉間に
「数日以内に悪魔の
「は、はい……」
「現在、ジャンヌ様を含む幹部陣で検討中だ。二つに一つ。
防衛となれば人間側も
「マキシム統括隊長」
「……君は?」
「サキ上級兵。こちらは?」
「は、はいカイと言います。アシュランが報告したとおり
「君がそうか。報告は受けている。ずいぶん悪魔との戦いに慣れていると。ジャンヌ様も
人類
部隊に入ったばかりの俺を指導してくれた上官が
「……いえ。お名前だけは聞いていたので」
「
脇を通りすぎ、階下へと去っていく傭兵たち。
一方でカイたちは三階へ。廃ビルでありながらも、窓ガラスには外から内部が見えないよう
「さあここだ」
アシュランが緊張まじりで見つめる先には、重厚な造りである両開きの扉が。
「ここがジャンヌの部屋?」
「そそ。一つ言っとくけど呼び捨て厳禁な。お前がよそ者だとしても、霊光の騎士様に
「……そんなに?」
「それだけ
さながら民衆を
「失礼します。アシュラン上級兵、サキ上級兵。
扉をノックし、アシュランが
司令官
窓から差しこむ光が
部屋の中心には巨大な円卓。そこに座っているのは七人。うち六人が肩と胸とに
「ご苦労だった。アシュラン上級兵、サキ上級兵」
──霊光の騎士ジャンヌ。
銀色の
「今まさに
「あ……あの……本当に申し訳ありませんっ!」
「悪魔を取り逃したことは派遣部隊の未熟さゆえ!
サキ、アシュランが深々と頭を下げる。
「重負傷者はダール隊長およびゲイル助隊長。また派遣部隊一班から五班までのほぼ全員が軽傷……それだけの被害を出しても
ジャンヌが、円卓の脇に置かれたホワイトボードを指さした。
箇条書きで書かれた作戦内容。ほとんどが殴り書きであるのは、それだけ急ぎで議論が行われたからだろう。
「
「え。ヤだ」
そんなリンネの一言が、場の空気を見事なまでに破壊した。
円卓に座る幹部の目が、カイの隣の
「わたしカイの言うことしか聞かないよ。なんで人間の言うこと────むぎゅっ?」
「わ────っ!? な、なんでもないですから!……リンネ、しっ。下手にお前が
リンネの口に手を当てて黙らせる。慌てて円卓にふり返ったカイが見たものは、
「なるほど」
いかにも男の指揮官じみた
「これは失敬。私の発言はサキ上級兵とアシュラン上級兵に向けたもの。君たちではない。
円卓からジャンヌが立ち上がる。
ウルザ連邦の希望の
「報告は受けている。
「……一応は」
実際にはリンネの法術だ。さらに言えば
「しかし少年。君は何者だ?」
円卓の一座に座る女性幹部の、
「
「自分は、カイ・サクラ=ヴェントです。こっちは連れのリンネ」
小さく会釈。
……ああなるほどね。一人だけ雰囲気の違う幹部がいると思ったら。
……幹部じゃなくて護衛。人類
正史の世界での面識はない。だが
研ぎ澄まされている。
部屋に入った時から今も、リンネが目を向けているのがこの
──戦士。
もはや
「ジャンヌ様に代わって質問をいくつか」
「どうぞ」
「君が肩に
「……どうやってそこまで?」
「
とんでもないことを言ってのける。
略式エルフ弾の弾速は通常の弾丸よりもいくぶん遅い。だが決して
どれほど
「そして見慣れない武術だな。私も傭兵の端くれとしてそれなりに武芸の心得はあるが、悪魔に
「────」
「言えない?」
「俺から逆に聞きます。『ホントのような作り話』と『
「君の話したい方で構わない」
手慣れている。
越えてきた場数の多様さを感じさせる落ちつきで、その護衛は即答した。
「
「じゃあ言います。俺が話すのは後者、そのつもりで聞いてください」
無言でリンネに
「俺はもう一つの世界を知ってる」
「……ん?」
「人間が五種族の大戦に勝利した。四種族の
しん、と静まりかえる円卓の幹部たち。
この若造は何を言っている?──
「俺の知ってる歴史だと大戦は百年前にもう終わってる。この
略式エルフ弾。水晶の
放物線を描くソレを
「質問にあった武術も同じです。
「
「人間が大戦に勝利しただと……空事を……我々
「ですから先に言いました。噓のように思えるかもって」
「限度がある」
さらに隣の幹部が立ち上がる。
こちらは口調こそ平静を
「もういい。お前たちは退室し──」
「空気を入れ換えようか」
「長い会議で空気が
「は、はい!」
両開きの扉の前に立つ少女が、あわてて扉を押し開けていく。
──幹部二人への
黙れと命令することなく、場の空気をうまく生かすことで幹部たちの気勢を
……扉を開けたまま叫べば廊下に怒鳴り声が響く。
……そんな
幼なじみの名残などない。
目の前にいるのはウルザ
「カイと言ったね」
円卓上でジャンヌが手を組む姿勢へ。
「話は
「はい」
「彼を
「隊長級。あるいは私の下で副護衛として抱えるのも一策かと」
今度ばかりは聞き捨てならないと、白髪の老兵が立ち上がる。
「
「至極真剣です」
「今の
「私は、あの者の実力について評価したまで」
機械じみた平静さで
「しかしジャンヌ様。参謀の言うとおり、彼の発言には
「──そうだな。ではカイ。先の発言について、今度は私から聞きたい」
試すような上目遣いで、ジャンヌの視線が再びこちらに。
「率直に言おう。君の話をどう受けとめて良いか私にもわからない。……だが思いあたる節はある。
「……ああ」
「そのことについて改めて説明を願いたい。『もう一つの歴史』とやらで、君と私が何か接点があったということかな?」
「学友だった。もっと言えば、家が隣り合わせの幼なじみだった」
「私と君が……?」
さすがに予想外だったのか言葉を失うジャンヌ。
「オーグと、ジェール」
「っ。それは私の……」
ジャンヌの父オーギュストと
「ジャンヌは、子供の頃から耳が良くて他人の話声が二つ隣の部屋からでも聞き取れた。耳がよすぎて、雨が降ると雨音がうるさすぎて眠れないって困ってたよな」
「…………」
まるで
「だから俺からも聞きたい」
「ジャンヌ。なんで男装なんかしてるんだ」
「…………っ!」
ジャンヌが息を吞み、円卓の幹部たちが一斉にジャンヌへとふり返った。
「
喉を
……
……
ゆえに
「ジャンヌ、俺は────」
「そこまでだ」
手が打ち鳴らされる。
ただ一人様子を見守っていた
「ジャンヌ様、南部ユールン
「……そうか」
護衛の言葉に、主が一瞬ほっとしたように息をつく。
だがすぐにその表情を引き締めて、霊光の騎士は
「話の途中ですまないが解散だ。サキ上級兵とアシュラン上級兵は本部に残留。
ジャンヌが立ち上がる。
護衛である
「
5
ウルザ
その内部は、
カイが案内された
用意された部屋の内装はもちろん調度品も格調高く、手入れの行き届いた物ばかり。
「ねえカイ! すごいよ、このベッドもふわふわ!」
ベッド脇に腰かけるリンネが、何度も何度も立ったり座ったり。
「ふわふわふわふわふわふわっ!」
「また
「カイと一緒じゃなきゃだめ」
二人分の部屋を用意してもらったのだが、案内役のサキと別れてすぐ、数分と経たないうちにリンネがカイの部屋にやってきた。
……人間だらけの場所で一人でいたくないリンネの気持ちもわかるけど。
……これ、二人でいるところを見られたら説明に困るよな。
窓ガラスの奥に映る夜の
夕陽が地平線の奥へ
「……ねえカイ」
「ん? どうしたんだよリンネ」
「カイが、あの偉そうな人間と知り合いみたいだなって」
リンネが不思議そうに
「わたしよくわからないけど、あの人間が一番偉いの?」
「あの人間って」
「ジャンニャ」
「ジャンヌな。サキとアシュランと同じ俺の仲間だよ。世界がこんなになる直前まで一緒にいたから、せめてアイツだけは俺のこと覚えてるかもって思ったけど」
「……ジャンニャってカイに必要なの?」
上目遣いに、そしてわずかに
まるで
「わたし強いもん。悪魔が二体とか三体集まったって負けないよ? わたしが一緒にいれば心配ないのに」
「そう言ってくれるのは心強いけど、二体三体の話じゃないんだよ」
「十体くらい
「悪魔の英雄に思い知らせてやりたい」
はっ、とリンネが押し黙る。
「この本部に来るまでにずっと考えてた。結局、『人間は手強い』って悪魔に思わせないとダメなんだ。悪魔が
「……カイが戦うの?」
「言い出しっぺだからしょうがないだろ」
真顔のリンネに、肩をすくめておどけてみせた。
「自分でも
いつかは墓所を破って
十年前、悪魔の墓所に転落した時に、悪魔たちと対面した恐怖から、子供の身ながらもその予感がしていた。
「俺一人でも
自分にしかできない戦いがある。そう思うのだ。
「それにシドの剣も」
「……わたしの
カイの
「シドの忘れ形見。なんていうと感傷的になるけど、この剣、俺にとっては特別なんだよ。それこそ本気で運命なんじゃないかって思いたくなる剣だから」
この剣はきっと力になってくれる。
悪魔の英雄にも通じる力を。
「ところでさ、リンネが
「うん」
「どうだった」
「配下に囲まれて大変だったわ」
「だよな。でもこの世界はもっと面倒だ。
ウルザ連邦の国政機能を集約していた建物だ。
カイの知るかぎり
「政府宮殿を攻めるには数がいる。
「だからジャンニャに頼むの?」
「ジャンヌな。まさかアイツがあんな大物になってるなんて思わなかったけど」
ウルザ連邦の希望とまで言われている幼なじみ。
彼女が自分のことを覚えていれば、きっと協力を進みでてくれていたはずだが。
と。
「待ってカイ。人間の匂い」
リンネがベッドに座ったまま振りかえる。
とん、と間を置かずに扉からノック音。自分たちが気配に気づく。それを待っていたかのようなタイミングでだ。
「こんな夜ふけにどちら様で?」
「話がある」
独特の響きをともなった
司令官ジャンヌの護衛である
「私ではなくジャンヌ様が、だが」
「……ジャンヌが?」
ベッド脇にリンネを待機させて開錠。
扉を開けたそこに、一人で薄暗い通路に
「ちょうどいい。二人で
ベッド前のリンネを見やる
冷たい灰色の
背丈は成人男性に並ぶだろう。女傭兵の中でも相当な
「昼間の
「……こんな夜に?」
「人目につかぬ時だからこそ話せることもある」
彼女が
照明のない一階の階段へ。
「あのさ、向こうの階段は明かりがついてるけど?」
「あの明かりは巡回兵がいるという意味だ。私たちの姿を見られると面倒くさい」
「……部下にも見られたらマズイのかよ」
夜ふけに
それを
「一つ聞きたい」
階段を上りながら、
「サキ上級兵から聞いた話だ。
「それも
「雨天に
「……そっか。それならよかった」
「その知識も、お前がいたという別の歴史の世界からか?」
二階から三階にいたる階段の踊り場で立ち止まり、女護衛がふり向いた。
「
「記録に残ってたんだ」
足を止めて彼女を見上げる。
「キッカケは、
「承知した」
「……今ので終わり?」
あっさりと
「あの円卓にいた幹部たち、あの五人はお前という男を根本的に勘違いしている。それが私とジャンヌ様の共通認識だ」
再び階段を上っていく女
「お前の言う『別の歴史』とやらが
「……っていうと?」
「お前の知識が有用かどうか。言ってしまえば我々に必要か否か、それだけが重要だ」
三階
両開きの扉に手をついて、女護衛がゆっくりとそれを押し開いていった。
「我が
「──ご苦労さま、
照明に照らしだされたジャンヌの部屋。
広い円卓の手前。開かれた扉のすぐ目の前に「彼女」はいた。
髪をほどいて少女の姿に戻った
ふしぎな光を放つ
円卓に後ろ手をつく格好で、口元に
「……ジャンヌ?」
「扉、締めてもらえるかしら。見られたらまずいから」
よく知る幼なじみの声で彼女はそう言った。
目撃されたくない──
「こんばんはカイ。そしてリンネ」
「…………」
言葉がすぐには出てこない。
まさか俺のことを思いだした? そう口にする前に、ジャンヌ自身が首を横にふった。
「カイ。あなたの言うことはまだ信じられないわ。あなたがこことは別の世界からやってきて、その世界では私と幼なじみだったなんて」
「……ああ。そうだろうと思う」
「でも何でかな。初めて会った気がしないの。これは本当」
ふぅとジャンヌが息をつく。
「なぜ男装なんかしてるのか。答えは一つよ。こういう組織じゃ男のフリが便利だから。ずっと父に教育されてきたわ。
「
「ええ。だから私が
「そんな大事な秘密をどうして俺に?」
「私が男の
交渉のテーブルにつく為の誠意。
ということは──
「私も
「……率直に聞くよ。俺に、具体的に何をしろって?」
「
護衛の
「過去、
「……今回は違うと?」
「抗戦する。地の利を生かしてだ」
壁に貼られたウルザ
その所々に赤インクで
「
「そうか。五つの都市からの援軍で悪魔を包囲できる」
逆に
「人間は見下されてるわ。今回はそれを
言葉を続けるのはジャンヌ。
「正当な
「──ねえ」
カイに密着していたリンネが、カイの背中から顔を
「わたしそれじゃキリがないと思う」
「え?」
「
「……ええ。それは承知の上よ」
指揮官ジャンヌが無言で拳を
わかっている──そんなことは
それでも守り抜くしかないのだ。
「俺もリンネと同感だ」
ホワイトボードまで歩いていく。
張りつけられた地図の、その中心を指さしてカイは声を振りしぼった。
「抵抗だけじゃ足りない。こっちから攻めこむべきだと思うんだ。王都へ」
「どういう意味かしら。
「結果的にはそうなる。だけど狙う悪魔は一体きりだ」
「……一体ですって?」
ジャンヌと
「まさか……」
「悪魔の英雄を叩く」
「
「俺の知ってる大戦じゃ人間が勝った。不可能じゃない」
正史の世界では、預言者シドが冥帝ヴァネッサを撃破。それによって悪魔たちは統率を失ったと記録されている。
「…………冥帝ヴァネッサは怪物よ」
押し殺した声で、ジャンヌ。
「ここウルザ
一夜にして王都は崩壊した。
ウルザ連邦の総力が、悪魔の英雄一体を止められずに敗北したのだ。
「何百人で
「
「……あなたたちだけで!?」
ジャンヌが言葉を失う。
まじまじとこちらの顔を見つめ、こくんと息を
「ウルザ連邦の軍隊が、総力をあげても
「ああ。だけど数の問題ってわけでもない。俺の知ってる歴史は、たった一人で
「……それと同じことがあなたにできるの?」
「絶対とは言えないよ。
当時のシドは、おそらく他種族との戦いに精通していたはずなのだ。
一方の
「だけど──」
「カイにはわたしがついてるもん」
力を貸してくれる奴がいる。
そうカイが言う前に、隣のリンネが手を上げた。
「わたしは強いから。それにカイもたぶん平気。わたしの法術も剣で
わたしの法術──
リンネが口を
「大方はリンネの言うとおり。俺たちが駄目だったらすぐ兵を引き上げてくれ。俺とリンネが
「……でも」
「ジャンヌ、倒せるはずなんだ。人間が悪魔に劣ってるわけじゃない」
預言者シドがそれを証明した。
その歴史を覚えている
「
ぽつりと口にする
「お前をそこまで突き動かす動機がわからない。
「……俺だけの勝手な理由さ」
無意識のうちに
「俺は、こっちの世界じゃ『存在しない』人間だ。だから逆に、この世界がどうなっても俺には関わり合いがないし、俺が手を差しのべる理由もない」
「それで?」
「って思われても仕方ないんだろうな…………だけど!」
我知らずのうち、カイは拳を
「サキもアシュランも俺のこと忘れていようが、俺は二人を覚えてる。俺にとっちゃ大事な仲間だ。それにジャンヌ、信じられないだろうけど、俺たちずっと腐れ縁だったんだぜ。そいつらが、こんなどうしようもない状況で命かけて戦ってるのを見て、俺だけ背を向けるのは……嫌なんだよ」
自分が覚えている世界に
平和な世界でサキやアシュラン、ジャンヌと再会できたとしよう。
……俺は。
……この世界で見捨ててきたお前たちにどんな顔で会えばいい?
ここで背を向けるのは。
人類
「だから俺もやる。俺だけが戦うんじゃない。アンタらが戦ってるから俺もやるのさ」
「────そうか」
女護衛が
「その上でジャンヌ。俺から
「聞かせて」
「俺とリンネで
王都へ、総力を集中する。
「悪魔族は個体数がとにかく多いのが厄介だ。ウルザ
「どうして?」
「
ならば冥帝ヴァネッサはどこに戦力を配置する?
答えはウルザ連邦の境界線。
「王都の地形を考えても、政府宮殿のまわりに何百体って悪魔が飛びまわってるとは思えない。せいぜい近場を歩いてるのが数体で、仲間を呼んでも数十体」
そうだよな──視線を送った先のリンネが、意を察して
推測ではあるが、リンネが
……悪魔の英雄は、自分の力に絶対の自信をもってる。
……政府宮殿のビルに配置する部下も、腹心に限定してるはずなんだ。
ビル内部には百体もいまい。
ただし、そこに配置された部下はどれも高位悪魔であるのは間違いないのだが。
「
こちらを値踏みするような先ほどの態度は
指揮官として、表情を引き締めたジャンヌが
「王都は広大よ。
「地下から
「……
王都ウルザークの拡大地図に指をつきつけて。
「政府宮殿の裏に、かつて王家が
「…………なんですって」
「この
「そこを通れば政府宮殿の前まで行けるっていうこと?」
「はい。戦車は無理ですが
「わかったわ。だけど
対し、主を守る役目の女護衛が、珍しくも表情に苦笑いを浮かべてみせた。
「廃駅となった
「お父様が!?」
「はい。ですが当時は
この作戦は一度きり。
「先代様は
「……そこまではわかるわ。でもどうして。お父様が引退なさった時に、その作戦を娘の私が知らされてないのは不自然よ」
「娘だからじゃないのか?」
親の心、子知らず。
「政府宮殿に突撃して
「っ」
「そのとおり。付け加えれば、ジャンヌ様が二十歳になった時に、先代様ご本人から話をするとおっしゃっていました。私は命令違反ですね」
「…………ばか」
うつむく
その他愛もない仕草に、どれだけの感情が込められているかはカイにさえもわからない。何年も主従関係を築いてきた二人だけの
「で、ジャンヌどうする?」
「やるわ。
ウルザ
そこに
「ずいぶん早い決断だな?」
「大前提があるわ。
幼なじみであった面影は既になく。
カイとリンネが見守る前で、ジャンヌが後ろ髪を束ねて結わえていく。
「──やろう。悪魔の英雄への挑戦だ。ウルザ
霊光の騎士ジャンヌは、力強い口調でそう宣言した。