【1巻試し読み】せんぱい、ひとつお願いがあります

第三章『取り返しのつかない過去』 その4

 昼休み。僕は作ってきた弁当を片手に、校舎の中を歩いていた。

 理由は、言うまでもないだろう。双原灯火を、いや、そう名乗る誰かを探している。

 ──結論から言えば、僕は遠野から告げられた話をみにはしていない。

 うそはついていないのだろう。少なくとも遠野は、遠野自身が言った内容を事実だと認識しているはず。それはわかっている。だが遠野の認識と現実が同じだとは考えていない。

 だから僕は昼休み、四限が終わると同時、すぐに弁当を持って教室を飛び出した。

 いきなりの行動に教科担当もクラスメイトもどよめいていたが、それを気にする余裕はなかった。違う反応を見せたやつがいるとすれば、きっと遠野と、あとはしろくらいだと思うが、それを確認することもしていない。

 向かった先は一年生の教室だ。

 僕は灯火のクラスを聞いていなかった。だが灯火が、いつも昇降口で、一年生用のばこを使っていたことは記憶している。ならば一年の教室の、どこかにはいるはずだ。

 結論──一組から総当たりしていけば、必ず灯火のいるクラスが見つかる。

 がらり、と昼休みのけんそうに満たされた一年一組の教室を開いた。質問でも受けたのか、まだ担当教師も残っている。突然の乱入に、予想通り教室中の視線がこちらに向いた。

「──失礼します。すみません、一年一組に双原灯火という生徒はいますか?」

 問いながら教室中を見渡してみる。少なくとも姿は見当たらなかった。

 極力急いでは来たが、もう教室を出ていればわからない。ちょうどいた、僕のクラスも受け持っている数学の教師に改めてたずねた。

「突然すみません。双原灯火は、このクラスの生徒でしょうか?」

 果たして、教師は言った。

「それは、、か?」

「……、すみません、なんですか?」

 き返す僕に、教師は明らかに異常なものを見る目を向けていた。

「何って、だから双原りゆうだ。ふゆつき

 ──やはり完全に認識がおかしくなっている。

 こうなると、むしろ遠野やこの教師が正しくて、僕が間違っているようだが。

「ああ、そうでしたね。ですが探しているのは妹のほうですので。──失礼しました」

 言うだけ言って強引に話を断ち切った。

 できる限り丁寧に、けれど急ぎながら礼を告げて、僕は一組の教室を出る。そして隣の教室を目指しながら考えた。──ふたはらとう、という名前で果たして伝わるのだろうか?

 もしも、あの《彼女》を《灯火》として認識している人間が僕だけだったら、さっきの質問にはあまり意味がないだろう。考えていなかった。次はりゆうの名前も出してみるか。

 そんな算段を働かせながら、続いて一年二組の教室を開く。

 ──幸い、奥の机に灯火の姿を見つけられた。

 誰とも会話していない。机に、小さく、肩身狭そうにちょこんと座っている。教室中のけんそうから切り離されているみたいに、双原灯火はどこまでもひとりだった。

 僕はそのまま一切遠慮せず教室に侵入して、灯火の机に近づく。

「失礼します。──おい、灯火!」

「え、──ちょお、せせっ、せんぱいっ!? なんで、ここに、」

「──誘いに来ただけだ。昼はいっしょに食べよう」

「なっ──!?」

 目を白黒させて混乱する灯火。だが、悪いが有無を言わせるつもりはない。

「いいから立て。ほら、さっさと行くぞ。目立つだろうが」

「いやもう目立って、──ていうか誰のせいだとっ!」

 どうも灯火の頭が回っていない。僕が教室まで来るのがそれほど予想外だったのか。

 しかし、今はそれどころではないはずだ。わずかな時間にれてしまう。

「中庭でいいよな。こないだ使ったし。──行くぞ」

 僕は有無を言わさず、立ち上がった灯火の腕を取った。

 悪いが、少し強引にでも付き合ってもらおう。普段と立場が逆になっただけだ。

「え、え!? ああ、ちょ──待ってくださ、あのっ、せんぱいっ!?」

 僕は答えない。

 ただ少し、この光景を灯火のクラスメイトたちがどう捉えているのかを考えてみた。

 もちろんわかるはずもない。──知っているやつにでも聞かない限りは。


「なんなんですかせんぱいは、まったくもうっ!!」

 ながれみや高校の中庭は、さして人目につかない。開けていて外部から丸見えだが、その分、意外と密談に向いている。誰かが近づいてくれば、すぐ気づくという意味で。

 昼、基本的に人が集まるのは学食だ。この中庭は、昼休みの一時だけでも恋人と過ごしたい系のカップルが何組か集まるのが主で、それを知る生徒が──特に独り身が──好き好んで来る場所ではない。ひとりや同性同士では、ちょっと居心地が悪いのである。

「自分は『教室に来るな』とか言っといて! まさか逆に、おりくんせんぱいのほうから来る伏線だったなんて気づきませんよ! どういうおつもりなんですかっ!!」

 結構、怒り気味のとうであった。

 そうだ。灯火だ。

 ──こいつがふたはらりゆうだとは、どうしても思えない。

 現に彼女は一年二組の教室にいた。この《彼女》が仮に流希ならば、二年の教室にいるはずだ。高校浪人や留年という可能性も考えるだけ馬鹿らしい。何より『高校ではずっといっしょだった』という、とおの発言と食い違う。やつの認識は現実と矛盾している。

 この食い違いをどう考えるべきだろう。

 しかし、勢い込んで来てはみたが、冷静になると灯火に会ったところで何を言うべきか微妙なところだ。──少なくとも、灯火が何かを隠していることは間違いない。

 正面からいたところで、のらりくらりとかわされてしまうだろう。考えてなかった。

「……そう怒るな。僕はお前といっしょにお昼を食べたかっただけなんだ」

 しばらく様子を見てみよう。そう思って、とりあえず機嫌を取るように僕は言った。

「バカなんじゃないですか?」

 だがバッサリだった。灯火の声音がすごく冷たい。……そりゃそうか。

「そんなの百パーセントうそじゃないですか。わたしだってそれくらいわかります。バカにしてるんですか?」

 だがもうゴリ押すしかない。

「まあまあ。いいから食べよう。ほら、そこの木の周りのベンチにでも座ってさ」

「そんなこと言ってもされませんからねっ!」

「今日は天気がいいな。そうだ、見てみろよ。今日の弁当は手作りなんだ」

「……あ、あれ? あの、も、もしかして本当にごはんを食べたかっただけです……?」

 コイツ本当にチョロいな。

 なんて、そんなひどいことは思っていない。

「そう言ってるだろ。なんなら、からあげ一個やるよ。昨日の残りだけど、自信作だ」

「そ、それは……あの、なんと言いますか、せんぱいは、つまり──」

 灯火は僕の顔をまじまじと見つめ、たっぷりと間を開けてから。

 言った。

「……いや、だとしたらうれしさより気味の悪さが勝ちますね。急にデレるのこわっ」

「ああ、うん……だとしたらもう僕が悪かった」

 さきほどの僕の行動で、灯火が抱いた感情が恐怖だというのなら。

 もう謝るよ。そこまでだとは思ってなかったわ。

 僕は軽く首を振って、自分で言った通り、中庭のベンチのほうへ歩く。植えられた木の周りを囲むようにつながっている円形のベンチは、基本的にはカップルようたしである。

 幸い、今日はほかの利用客もいない。使わせてもらうとしよう。

 腰を下ろして弁当箱を開く。

 とうはやはり、先を歩けばついて来る性質らしく、そのまま僕の隣に収まって笑った。

「……あ、あはは……いざとなると、少し緊張してきますね?」

「普段からそのくらいの態度だったらなあ……」

 もっとかわいいんだけど。

 とは、まあ、言わず。

「だって、あれは驚きますよ! 用があるなら、普通にスマホとかで連絡してくださればいいだけなのに、わざわざ教室まで乗り込んできたんですよ? 何かと思いましたよ」

「……あ、そっか。その発想はなかった」

「むしろ最初に思いつくべき選択肢なのでは!?」

「いや、だって普段ほとんど使わないし……考えもしなかった」

 後輩の教室に乗り込んでいく──なんて、ちょっとした学園系の物語なら感動のクライマックスを飾れるシーンだったと思うけれど。目的が飯食うだけとは確かに締まらない。

 けれど、それで構わない。

 この目で直接確かめることも目的のひとつだったのだから。それ以外はまつである。

「てかてかおりくんせんぱい! 危うく聞き逃すとこでしたけど、さっき、自分でお弁当作ったとか衝撃発言してませんでしたかっ?」

 自分の分の弁当を出しながら、灯火はそんなことをく。

「言ったよ。別にそこまで驚く発言でもないだろ。うちの両親は共働きだし」

 休日以外ほぼ毎日、早朝からふゆつき家に押しかけてきた灯火だ。それで一度も僕の両親に会っていないのだから、可能性くらいには思い至るだろう。

「僕も、少し前までは家事なんてほとんどしてなかったけどな」

「はあ……あ、じゃあ、からあげもらいますね」

「聞いてねえだろ、お前。いや、別にいいけどな」

「むむ。これはなかなかに……少なくとも、冷凍食品の味ではないですね……、くっ!」

「なんで悔しそうなんだよ」

「わたしにだって、乙女的なプライドというものがあったりなかったり?」

「いや、あったりなかったりはするな」

 出し入れ自在のプライド、都合よすぎるだろ。そんなもの主張してくるな。

 律儀にツッコむ僕は、我ながら、それだけでいい先輩なんじゃないかという気になる。

「えっへへー」

 律儀にツッコまれてうれしそうな後輩ちゃんは、もうしばらく放っておくことにした。

 しばしそのまま箸を進める。僕は灯火を見ずに言った。

「なあ、灯火」

「なんです?」

「実はひとつ、お前に確認したいことがあるんだが、それをいてみてもいいか?」

「……嫌ですよ」

 果たして、とうは目を細めて応じる。

「嫌なのか」

 訊き返した僕に、灯火は恨みがましい視線を投げて。

「そりゃそうでしょう。まったく、せっかくおりくんせんぱいがデレてくれたと思ったのに、やっぱり別の話があるんじゃないですか。上げてから落とすの、ほんと最悪ですっ」

「……そういう意味でか」

「そうですよ。まあ聞くだけは聞きますけどね、一応。なんですか?」

 許可が出たので、僕は言う。

「──今日の放課後、僕とデートに行かないか?」

「ぶぇっふぉ!?」

 灯火は、割と乙女にあるまじき音で、むせた。

 む灯火に、僕は持ってきたペットボトルの緑茶を手渡す。

「えほっ! な、なんっ、」

「おい、落ち着け。大丈夫か? ほら飲み物飲め、そそっかしいやつだな」

「──いや誰のせいだとぉ!?」

 僕のせいだと言いたいらしいご様子である。

 灯火はお茶を飲み、それから弁当箱をベンチに置くと、──なぜか両手の親指と人差し指で輪を作り、これから悟りでも開きますといわんばかりに胡坐あぐらいた。スカートで。

 こいつ、狼狽うろたえたときはポーズを取って落ち着く習性があるな……いや何それ?

「……もっかい訊くけど、大丈夫か?」

「だいじょぶです! いえ、やっぱりだいじょばないです、ある意味っ!!」

「どっちだよ」

 ポーズを解いて、灯火。

「いや、あの──だ、だからなんなんですか急にっ!? 何が目的の策略ですかっ!!」

 灯火はなぜか怒り出して、僕の肩をいつかのようにぺちぺちたたく。

「よく人のことを叩く奴だよな、お前」

「こんなことするの、せんぱいにだけなんですけどお!」

 もっと素直に喜べる文脈で言ってほしい台詞せりふだった。

「……ていうか、お前に責められたくねえよ。灯火だって同じことやっただろ」

「そっ、それは……そうですけど。でも伊織くんせんぱいがそんなこと言い出すなんて、普通に考えて思わないじゃないですか。いったいどういう意味なんです?」

「言葉通りだよ。今日の放課後、暇なら付き合ってくれないかって誘ってる。どうだ?」

「む……ぬぬ」

 何かが納得いかない、という表情でうめとう。けれどすぐに息をつくと、

「……わ、わかりました。わたしも、覚悟を決めましょう……っ! ええともーっ!」

 腕を組み、その状態で右手の人差し指をピンと立て、偉そうな態度で灯火は言った。

 意味不明だった。

「ええともーっ!」

「……。まあ灯火がいいならそれでいい。一年も今日は五限までだよな? それなら放課後、とりあえず校門の前で待ち合わせにしよう」

「え、ええともーっ!」

 僕は無視した。

「なら、そういうことで」

「スルーですか……で、でも約束したからには、あとでやっぱりなしとかダメですよ!?」

「言わねえよ、そんなこと」

「いーえ! 言っときますけど、おりくんせんぱいには前科があるんですから! ホントもう、上げてから落とされてばっかです、わたしは! わかってますか!?」

 あんまりわかっていなかったが、そう言うべきじゃないだろう。それはわかる。

「大丈夫、僕だって前回でいろいろ学んだんだ。ちゃんとデートだよ」

「へ、へー? ふーん? そ、そうですか、ふーん? ふーん! まあ、それならいいんですけどねー? 仕方がないので、わたしが付き合ってあげますけどねー!?」

「任せろ。今度こそしっかりエスコートしてみせる」

「わふんっ!? だぁもぉ、なんなんですかせんぱいは、さっきから! わたしを殺す気ですか!? それが年上の余裕ですか、大人の恋愛テクニックなんですかっ!? その程度でわたしが喜ぶと思ったら部分点ですよ!?」

「途中式はあってるのか……」

 灯火が何を言っているのか意味不明なのに。どこが当たっていたんだろう。

 いや、とはいえ僕も勉強はしている。先週までとは違うのだ。

 カラオケで盛り上げ役に徹したのと同じだろう。要は相手を全力でヨイショすることをデートと表現するわけだ。僕は失敗からきちんと学ぶことができている。完璧だ。

 今日はもう、ダメ出しをらうこともない。きっと!

「あれ、なぜでしょう。せんぱいの顔を見てたら、急に不安になってきました。なんだかデートという概念に、致命的な認識のがあるような……?」

「大丈夫だ、問題ない。僕に全て任せておけ」

「なんででしょう! わたし、ますます不安になってきたんですけど!? あれえっ!?」

「今日の僕はとうの執事だ」

「ほらあ! ほらなんか絶対違うもん! 絶対なんか勘違いしてますもん、この人ぉ!!」

「それより、そろそろお茶返してくれる? 僕も飲みたいんだけど」

「え。あ、はい……すみません、あの……ん、あれ? ──これ先輩のお茶ですか!?」

「そうだけど」

「えっ、えっ!? じゃ、じゃじゃじゃ、さっきは……間接キスだったとぉ!?」

「……間接キスってなんだ?」

「概念ごとごぞんない!? せんぱいはこれまで本当に文明で暮らしてきた人間ですか!?」

「ああ……なるほど、同じものに口をつけることで間接的にキスしたことになると。そういう考え方があるのか。すまん、知らなかった」

「冷静に分析!?」

「気にするような相手がいなくてな」

「なんか悲しいこと言うし! わたしのさっきの恥じらいはどこへ行けば!?」

「まあ、灯火もあまり気にするなよ。その程度はファーストキスには換算されないだろ」

「そんな釈然としない慰めいらないんですけどーっ!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ灯火。その表情は、いつの間にか和らいで笑顔が戻っている。

 なら、それでいい。せめて今くらいはそうでなければ困る。

 なぜなら、きっとこのデートは、灯火が想像するものとは違うのだから。

 認識がズレているから、ではない。それ以前に、僕がそもそもからだ。

 ──けれど、それはお互い様というもので。

 僕は、灯火に向けて言う。

「なあ灯火」

「はい?」

「──クラスの友達とはくやってるのか?」

 すっ、と。

 灯火の表情が、冷えた。

 彼女は言う。

「さて、どうでしょう。わたし、あまり目立たないので、いてもいなくても同じかもです」

「……なるほどね」

 そういうふうに処理されているわけか。今のところ。

 灯火もまた、僕に向かって言った。

「なるほど。──そういうこと、でしたか」

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