第三章『取り返しのつかない過去』 その5
放課後。僕は約束通り、校門で
目指したのはいつもの駅前繁華街。この辺りの高校生のデートスポットとしては適当な場所だから、灯火も違和感は持たなかったと思う。素直に後ろをついてきてくれた。
「
そんなふうに
「それ、まさかとは思うけど、褒めてるつもり?」
「ですよ。正直、どこに連れていかれるものか戦々恐々でしたから」
「……まあ、僕が悪いんだろうな。そう思わせてる時点で」
「その通りです! ま、──それでもですよ?」
くるり、回るような足取りで灯火はこちらを向いて。
「わたし的には、伊織くんせんぱいといっしょなら、どこでも楽しいんですけどね?」
「……あ、そ」
いつもの通りに、僕はそれを流す。灯火はむっとしたように、
「くぬ……なぜわたしの決め
「決めに来るからだろ……」
「ちょっとデレたと思ったらすぐこれですもん!」
危なっかしくて、放っておけたものではない。そういう意味では効きまくっている。
「ほら、ちゃんと前見て歩けよ。道の端側に行けな? 歩くの速くないよな?」
「もはや介護!?」
「危なっかしくてな……お前見てると心配になってくるんだよ」
「そして突然のデレ!」
「首輪とリードが欲しくなってくる」
「違う、デレじゃない、ただの犬扱いだこれ!?」
言ってから、いくらなんでも失礼すぎたかと不安になる僕。
だが灯火はこちらの想像の上を行く。
「わ、わたしに首輪をつけたいとか……それはさすがに上級レベルですね……!?」
「よし、僕が悪かった」
「……
「頼む。許してくれ」
そんな教訓を得たところで、僕たちは目的地に
「──いらっしゃい。最近はよく来るね、伊織先輩」
駅前露店。今日も店主の姿はなく、三度目ともなれば見慣れたバイトの後輩がいた。
「ナナさんは……いないか」
「おや、
「自分で言うかね……っと、灯火」
紹介するべく、僕は灯火を振り返った。
すると、なぜかこちらの後輩は、酷く不機嫌な表情で頬を膨らませている。
「灯火?」
「──マイナス273.15点です」
絶対零度ならぬ、絶対零点であった。
さきほどの5点が完全に消し飛んでいる。
「女の子連れてほかの女の子に会いにいくとはどういう了見ですか」
「いや、別にこいつに会いにきたわけじゃなくてだな……」
……参った。灯火が本気でむくれてしまった。
助けを求めるように、僕は
「初めまして。私は
「か、かわいいだなんて……そんな。あの、えと、……ありがとうございます……」
よっわ。この子ホントよっわ。後半もう声が消え入りそうだった。耳も真っ赤。
僕以外と話してるときが、たぶんいちばん素が出るんだな、こいつ。
「せ、せんぱい、せんぱいっ」
小声の灯火が耳元で言った。
「なんか、すごくかわいい女の子に褒められてしまいましたっ! どど、どうしたらいいですかねっ、嬉しいですねっ! えっへへへ……!」
「好きにすればいいんじゃないかな……」
やっぱり灯火ちゃん、実はあんまりコミュ力ないな?
そんな様子を見て見ぬ振りで、小織のほうは堂々としたもの。
「デートかな? 羨ましいね」
「あ、えと。そう見えますかね……? え、えへへ。参っちゃいますねえ、せんぱい」
灯火は小織に押されっ放しだった。話を振ってこないでほしい。今。
と、この辺りで灯火もいつもの調子を取り戻してきて。
「あ、わたしは
「うん。よろしくどうぞ、だ。いろいろあるから、ぜひ見ていってほしいな」
「わあ……! ほらほら見てくださいよ、伊織くんせんぱい! すごいですよっ!」
「ああ。うんまあ、機嫌が直ったんならいいけどね?」
「でも伊織くんせんぱいに、こんなかわいい女の子の知り合いがいるなんて予想外です。いや、本当にマジでかわいい子ですよね……。だからせんぱいは……ぬぅ」
「ありがとう」
褒め返す灯火に、余裕の笑みで応じる小織。なぜか同い年に見えないふたりだ。
「それで? ふたりはデートなんだよね? 私が言うのもなんだけど、あんまりデートで来る店ではないと思うけど」
あっさり言う小織。一応は女性向けの小物が並ぶ露店なのに、それもどうなのか。
「そうですか? 見たところ普通ですけど……」
灯火も不思議そうに問い返す。小織はわずかに苦笑して、
「品はそうだね。ただ、伊織先輩が恋人を、ナナさんに会わせたがるとは思わないかな」
「別に恋人ってわけじゃない」
僕は言った。
「そのナナさん……という方のお店なんですか?」
同時に
「それでも連れてきたとなると、なるほど。つまり《星の涙》の話かな」
灯火は目を見開いた。
「あ、……そのネックレス」
「知ってるんだ? ウチは基本的には手作りの一点物ばかりだけど、これだけは数があるからね。その分、お値段もお安めではあるんだけど」
「……この前、せんぱいに
「へえ? あれを、
ひとつ、軽く
それから彼女は指を立て、
「七年前の七月七日、七つの流れ星が
なるほど、ひとりで店番を任されるだけはある。本来はナナさんが得意とする
「……《星の涙》の伝説、ですね」
小さく、神妙に頷く灯火。それに小織が頷いた。
「その伝説にあやかった商品なんだよ。これを持って星に願えば、失ってしまった、最も大切だった何かを取り戻すことができる──二番目に大切なものと、引き換えにして」
「……知ってます。昔、お姉ちゃんがよく話してたので」
「有名な都市伝説だからね。実際、流れ星が見られたのは本当らしい。七河公園の丘から見えた、ってね。それで、どこかの誰かが、
「作り話……ってことですか?」
「どうだろう。少なくとも、この店の石には、そんな不思議な効果はないと思うけどね。それでも、願いを託すには充分な物語だと思うよ。──伊織先輩は嫌いらしいけどさ」
僕は何も言わなかった。
一瞬だけ、露店の奥の小織がこちらを見る。そして、やはり何も言わなかった。
そのまま小織は、店の前にしゃがみ込んだ灯火に視線を戻して、続けた。
「星が降ってきたことが事実なら、そうだね。この街のどこかには、本物の星の涙が実在するのかもしれない。この世にたった七つだけの、奇跡の石が」
「本物の、星の涙が……」
「だけど──どうなんだろうね? いちばん大切なものと、二番目を引き換えにできる。それは素晴らしいことだと、
たぶん
察しのいいこの少女は、その上で、僕の意図を
「……、小織さんは思わないってことですか?」
どこか固い口調で、反発する思いを隠さず灯火は問い返した。
小織は、気を悪くすることもない。
「等価交換がこの世の原則なら、これは一見、それを覆す魔法のような奇跡だろう。でも私は、この世に都合のいい奇跡なんてないと思っているんだ。だって、大事なものを取り戻すということは、いちばんを失ったというのなら──それなら、ここで言う《二番目に大事なもの》というのは、《そのときいちばん大事なもの》だということになる」
「……、……」
「それなら大した奇跡じゃない。ありふれたただの交換に過ぎない。いや、どころか今の価値を、過去のそれに代えるというのなら──見方によっては損をしているだろうさ」
「……そう、ですか」
灯火は言った。
納得はしていないのだろう。それでも、ほんのわずかでも
──《星の涙》なんて下らない奇跡に
そういう価値観を刻むために、僕は灯火をこの場所へ連れてきたのだから。
「なんてね」と、そこで小織が執り成すように言った。「そんな伝説を利用して商売する私に、そんなこと言えた義理じゃないんだけどさ」
「……別に小織の店じゃないだろ」
僕はそう続ける。小織は苦笑して、
「そうだね。じゃなきゃ自分から商品を売れなくするようなことは言えないよ。だけど、そうだ、灯火さん。ひとつだけ、面白いことを教えてあげるよ」
「……なんですか?」
首を
わずかに、小織は口角を上げて僕を見て。
「そこにいる
「おい、小織」
いきなりなことを言い出した小織を、制止しようと僕は言う。
「そう都合よく使われてあげる義理はないだろう? これくらいは、まあ、対価さ」
だが小織には通じない。
それを言われては、確かにその通りだ。
「……そうなんですか? あ、でも、そういえば……」
思い出したみたいに
その通り、彼女と初めて会ったのは
「だから。もしかしたら
二対の瞳が、僕を射抜く。
それから逃げるように僕は口を開いた。
「……仮に持ってても、そんな
「せんぱい……」
持っていない、と僕は言わなかった。いや、言えなかった。
それは灯火も気づいただろう。揺れる
その空気を、ぱんっ、と乾いた音が破った。
「さて!」
そのまま両手を広げると、バイト露店員は笑みを見せて。
「それより、せっかくのデートだ。何か記念が欲しいとは思わないかな、灯火さん」
「おい。この流れで、お金を落として行けってか?」
小織が空気を変えてくれた。
それに乗って、僕は彼女に続く。灯火も笑った。
「あ、でも確かに、記念は欲しいですよ、伊織くんせんぱい!」
「……別に、買い物なら好きにすればいいだろ。僕には関係ない」
「そういうことじゃありませんよ!」
「そうだよ、伊織先輩。デートに来てその態度はない。反省するべきだ」
「ぐ……」
灯火だけならまだしも、小織まで敵ではさすがに分が悪い。
こうなっては止めようもない。どうして女子は、打ち解けるまでが早いのやら。
「なら、こういうのはどうだい? 灯火さん、少しスマホを貸してくれ」
「スマホですか?」
「せっかくだ。記念写真の一枚くらい、私が撮らせてもらうよ」
「ああ! それは素敵ですねっ! ささ、いっしょに撮りましょうよ、せんぱい!」
「……それくらいならな」
これも対価だ。小織の表現を借りるならば。
こんな人目につく場所で、恥ずかしいったらないのだが。それで灯火が満足するなら、甘んじて受けるのが僕の役割だろう。
「それじゃ、ふたりとも笑って──もとい灯火ちゃんは笑って。伊織先輩は、せめて笑う努力だけはして?」
「諦められてますよ、
「……いいから、早くしてくれ……通る人がこっち見てんじゃねえかよ」
「そんな人並みの羞恥心があるみたいなこと、伊織くんせんぱいも言うんですね」
「いくら僕でも言われて怒ることがないわけじゃないぞ」
「──はい、チーズ」
ぱしゃり──撮影されたその写真は。
僕も灯火もカメラのほうをまったく見ていない、妙な構図の一枚になった。
けれど、灯火は笑っていた。
「伊織くんせんぱいのLINEにも送っときましたからねー。待ち受けにどうですか!」
「断る」
「このせんぱいはホントにもうっ!」