【1巻試し読み】せんぱい、ひとつお願いがあります

第三章『取り返しのつかない過去』 その6

「いいものが手に入りましたっ」

 灯火は、心から楽しそうに笑っている。さきほど撮った写真を見ながら。

 そういうふうに、僕には見えた。きっと偽物ではないと思う。

 その証拠に、灯火の足取りは実に軽やかだ。今にもスキップし出すのではないかと思うほど、街を行く少女はしあわせそうだ。後ろを行く僕は、その様子をただ見ていた。

「それで、これからどうしますか?」

 ふとこちらに振り返った灯火が、首をかしげて僕に問う。

 とつ、答えにきゆうした。

 果たして自分がどうするべきなのか。灯火はそんなことをいていないとわかっているはずなのに、責められたような気がしてしまったのだ──本当にわかっているのか、と。

 結局、僕は何をやっているのだろう?

 何をしたかったのだろう。

 何をするべきなのだろう。

 ──僕には、何ができるのだろう?

 そんな単純な問いの答えを僕は持っていない。

 ただ同じ場所をぐるぐると歩き続ける、たとえるなら触覚の片方を折られたありのような無様。いいや、害がないだけそのほうがマシですらあるかもしれない。

 ──やるべきことなら決まりきっていた。

 僕はもうわかっている。使と。

 あの丘で渡したイミテーションではない。りゆうが持っていた本物の──伝説通り奇跡の力を持つ《星の涙》を、ふたはらとうはすでに発動してしまっているのだ。

 とおが、あるいは教師が、抱いていたは、星の涙の力としか考えられない。

 そんなことは、そうだ、わかっている。

 けれど、それでも僕には──これからどうするべきなのかが定められず。

 絶対に会いたくなかった人間に出会ってしまったのは、そのせいかもしれない。

「──ふゆつき?」

 決して大きくないその声が、繁華街のけんそうを切り裂いて僕に届く。

 思わず、息が詰まった。強い語調ではなかったのに、どうしてだろう、呼吸をすることすらとがめられたように思えてしまう。──頭が、ほんの一瞬だけわずかに痛んだ。

 目の前にはクラスメイトが立っていた。ちょうど通りかかったファストフード店から、冗談みたいに最低のタイミングで出てきたところらしい。

 僕を見つめる目。

 それが隣で僕を見上げる灯火に移り、それから僕に戻る頃には、

「……なんで、こんなとこで……こんなときに」

 強い怒りを示すものへと変わっていた。

 舌打ち交じりの声。この状況の何もかもが気にわないと表現している。

 しろれいは、一瞬だけ背後の店側を振り返った。それからすぐ僕に向き直ると、肩を怒らせるみたいな早足で僕に近づき、僕の手首をつかんで鋭く言った。

「ちょっとこっち来て。ここにいてほしくない」

 ──わかるでしょ、と目が告げている。

「わかった」

 と、答える以外にはなかった。

 すぐ横では、灯火がぼうぜんとこちらを見上げていた。

「え? あの……せんぱ、」

「悪いけどコイツにちょっと話あるから」

 僕が何を言うより先に、与那城が灯火に言った。

「え、いや、……あのっ」

 有無を言わせる気はないらしい。

 そのまま与那城は、手首を引っ掴んだまま歩き始めてしまう。逆らえなかった。

 ──この場所にいたくないのは僕も同感だ。

 ただ灯火を、このまま置いていくことだけを申し訳なく感じながら、怒る与那城に手を引かれるまま歩いた。

 駅の二階から続く通路。真下にあるロータリーへ降りる階段の近くまで向かった。ここなら立ち止まっても通行人の邪魔にならない。

 しろは僕を振り返り、手をパッと放して鋭く言う。

「なんでこんなとこにいるわけ?」

「……さすがに、それを責められるいわれはねえよ。僕がどこにいようと勝手だろ」

「チッ」

 あからさまな舌打ち。それは、正論だと認めたということだ。

 与那城は静かに首を振った。自分が冷静ではないと、彼女も自覚したらしい。

 だから、話題を変えるように言った。

「……あの子。最近、ずっと引き連れてる後輩の子だよね。朝もいっしょに来てる」

「いや……いや、そうだ」

 一瞬、引き連れてるわけじゃない、と反論しかけたが。

 意味ないと気づき、やめた。

「どういうつもり?」

 与那城は問う。いや、僕を責めている。

「別にふゆつきがどこで彼女作ろうと勝手だけどさ。それをが見たらどう思うかくらい、ちょっとは考えようと思わないわけ? それをわざわざ、見せつけるみたいに──」

「弁解する必要があるか?」

 その言葉が与那城に火をつけてしまった。

「ふざけんなっ!」

「──っ」

「ねえ、いい加減にしてよ! あんた、まだ陽星にあんなことさせておくつもりなの? 陽星だって、きっと……っ」

「──あいつは、陽星は……何も思わねえよ。だから、お前が気にすることでもない」

「……っ、だったら、どうして──っ!」

 わかっている。悪いのは僕で、与那城には僕を責める資格がある。

 あのとき──今だって、与那城れいだけが、最後までだか陽星の味方であり続けた。

 だから、僕はこうして責められ続ける。

 僕はまっすぐに与那城を見ていた。

 与那城のほうが、逆に僕から視線をらし、うつむいてしまう。

「なんで……なんで陽星のこと、諦められちゃうの……? 本当にその程度だったの?」

 どう答えるべきかなんて決まっていた。

 それを口にしようとしたところで、けれど。

「待ってくださいっ!」

 と、声があった。

 あとを追ってきたとうが、ここまでやって来たのだ。……来てしまった、か。

「……何?」

 鋭く、しろが問う。

 表情を持ち直し、灯火をまっすぐに見つめて。

 そのきつい眼光は灯火には厳しいだろう。彼女は狼狽うろたえたように肩を震わせたが、それでも叫んだ。

「い……いや、何? じゃないです! 先輩のほうこそ──」

「ああ、ごめんね急に邪魔して。でも、こんなのといっしょにいないほうがいいよ」

「──っ」

「てかこっちはこっちで話あんの。悪いけど、ちょっと黙っててもらえる?」

 不良、なんて言い回しは似合わないだろうが、髪を派手に染めていて背の高い与那城は威圧感がある。後輩の灯火にしてみれば怖い相手だろう。

 ──けれど灯火は引かなかった。

「それならわたしもいっしょに聞きますっ!」

「……、は?」

 与那城が目を見開いで驚くという、ひどく珍しい光景がそこにあった。

 だが僕は指摘もできない。灯火の言葉に驚いていたのは、僕もいっしょだったから。

「ちょ……な、なんの権利があってそんなこと!」

 灯火は叫んだ。

「決まってます! それは……、えっと?」

「…………」

「そ、それは……それは、……あー」

「…………」

「まあ特にありませんが知ったことでもありませんっ!」

 ちやちやだった。

 いや、思えば灯火はいつも無茶苦茶ではあったが。

「今はわたしがおりくんせんぱいとデー……じゃなくて、えと、お出かけ中なんですっ! あとから来たのは先輩のほうなんですから、そういう感じの、なんか、アレですっ!!」

 しかもデートと言い切るのが恥ずかしかったのだろう、りやがった。

 見切り発車にも程がある。こいつは基本的に、動いてから考えるタイプなのだろう。

「え、あの……ごめん、よくわかんない……」

 与那城は見事に狼狽えていた。というか純粋に言葉が通じていなかった。

 まあ、与那城は威圧感があるだけで、他人を脅すようなは基本的に好まない。それでも精いっぱい強気に出てこれなのだから、それが通じなければ手詰まりだ。

 少しだけ、空気が軽くなった。さすがはとうだ、と言うべきなのか。

 ここで僕も口を開いた。

しろ。灯火のことはいいだろ。……それより僕の話だと思ったが」

「……何それ? のことは放っておくくせに、この子のことはかばうってわけ?」

「別に。いてもいなくても同じなだけだ。違うかよ?」

 その言葉でさらににらまれるが、さきほどまでより表情が弱くなっている。

 僕の言っていることが一面の事実であることは、与那城にだってわかっている。

「……諦めたのかって、お前、いたな。決まってるだろ」

 だから僕はまっすぐに答えた。

 与那城の視線以上に、今は灯火の視線が怖い。

 彼女もこちらをまっすぐに見つめて、僕の言葉を待っている。

 ──それでも、言った。

「そうだよ。僕はもう諦めた。それに──そもそも、あいつに僕は必要ないよ」

「そんなことない!」与那城は叫ぶ。「だって陽星は、いつも──」

「あるよ。与那城、お前はあいつ本人に確認したことがあるのか? あるだろ。ないわけじゃないはずだ。だったらわかるだろ。あいつが、僕のことを少しでも話したのか?」

「ふざけるなっ!」

 ちょうど階段を昇ってきた男性が、ぎょっとしたようにこちらを見た。

 痴話げんか何かにでも見えているだろうか。申し訳ないことをした気分になる。

 けれど。

 僕にだって、こうする以外の方法がない。

 ──冷たい氷点下の人間だと思われ続けるのが、お互いにとっていちばんよかった。

「陽星は……陽星は、ずっと、ずっと言ってたんだよ……?」

 与那城の顔がゆがんでいる。僕には、今にも泣きそうに見えた。

 それは義憤であり、僕への憎悪であると同時に、自分自身に対するふんまんなのだろう。

「……ふゆつきに、助けてほしいって。おりならきっと助けてくれるって……なのに!」

 頭痛が、強く鋭く僕をえぐった。

 それを僕は隠し通す。うずくまりたくなるほどの痛みを、ないものとして振る舞う。

「なのに……なんで冬月がいなくなるの?」

「……いつの話だよ。いいか与那城、僕は──」

「おーい、れい?」

 横合いからかけられた声に、僕も与那城も、灯火でさえ硬直した。

「もう、こんなところにいたー。なんでお店の前からいなくなっちゃうかなー……あれ?」

 しろと、その正面にいる僕を見て。

 かつて小中学時代、僕の友人であった少女は。

 りゆうとは別の、もうひとりのおさなみ──だかは。

「あ、あれ。同じ高校の人かな。れいのお知り合いさんなんだよね? !」

 僕のことなどまるで知らないという態度で。

 完全に、僕を記憶から消し去ったように。

 ──もう何度目になったかわからない『初めまして』を、な笑顔で僕に告げた。

「ひ……、ひせ」

 ほとんど泣きそうな表情でつぶやく与那城。

 僕には何も言えない。

 僕だって──何度言われても慣れないのだから。

「久高陽星です! っていうか……なーんか、これ、もしかしてお邪魔だった感じ……?」

 あははー、と乾いたし笑いで、陽星は場の空気を和ませようとする。

 僕は、だから、それに乗る。

「どうも、初めまして」

 言った瞬間、与那城がはじかれたように振り返り、僕をにらんだ。

 けれど僕は構わない。優しい与那城が、この振る舞いにどれほど心を痛めているのか。それを知っていて何もしない。嫌われて当然だと思う。

「与那城を連れ出して悪かった、久高さん。話は済んだから連れて帰ってくれ」

 必要なのは氷点下の心。

 何を思ってもいい。自分の心は自分ですら操れない。けれど。

 それを表に出しさえしなければ──僕は冷たい人間でいられるのだから。

「もしかして、かしちゃったかな?」

 首をかしげる陽星。僕は首を振る。

「いいや。というか、僕も別に連れがいるんだ」

「あ、えと」

 置いていかれていたとうが、ぼそりと呟く。

 ──それを見た陽星が、ぱっと目を見開いて言った。

「あれ? ああ、やっぱり! !」

 僕の動きが止まった。

 そして灯火は、おびえたみたいに僕を見た。

「なんか久し振りな気がするね! あれ、なんでだろ。学校同じなのにねっ!」

 そう、なのか。

 陽星にも、灯火は──ふたはら流希に見えているのか。

「……ひ、……?」

 混乱したのはしろだ。そんな彼女に向かって、陽星は。

れいは知り合いじゃなかったっけ? りゆうちゃんとは同じ小学校の同級生だったんだ」

「陽星、あの……何言って」

「そうだ! よかったら、久し振りにいっしょに──……あれ?」

 そこで、陽星は。

 とうの隣に立っている僕に視線を戻して。


「……あれ、?」


 さきほど自己紹介を交わしたことなど、何も覚えていないという表情でそう言った。

「あ、あれ。挨拶して、ない……ですよね? え、いつからいました!? わわ、ごめんなさい! わたし、なんか失礼なコトを──」

「いえ。大丈夫です」僕は言う。

 陽星は一度、灯火を──流希と呼ぶ灯火を──見つけた時点で、僕から意識を切った。

 ──

 彼女は僕を忘れた。そして僕という存在を記憶できなくなった。

 僕とは何度会っても初対面なのだ。陽星の中に、僕という存在は決して残らない。

「すみません、急ぐんで。──行くぞとう

「せ、せんぱ……っ!?」

 有無を言わせない。僕は灯火の手を取って強引に歩き出す。陽星も、そしてしろも、ここに置いていくことになる。

ふゆつき……!」

 怒っているような、あるいは泣きそうな表情を見せる与那城。そうさせてしまうことが申し訳なかった。だけど、僕はれいこくでなければならない。

 だから、すれ違いざまの小さな声は、聞こえなかった振りをして。

 僕はその場を後にした。

 そのまま灯火を引っ張るように、しばらくどこへともなく歩く。

「……せんぱい」

 小さく、灯火の声がした。

 それで我に返り、僕は灯火の手を放した。

「すまん。急に引っ張って悪かった」

「いえ、それは……わたしはいいんですけど」

「悪かったな、いきなり巻き込んで。エスコートの失敗は認めるよ」

「……おりくんせんぱい。今のは」

 両手を胸の前で握り締めている灯火が、小さく言う。

 ──どうせだ。

 ここまで見られてしまったのなら、もう全て話したほうがいいだろう。

 というか。そうだ。

 なんなら初めからこうしていればよかったのかもしれない。

「見てたならわかるだろ。──星の涙なんてもんに頼ったやつの末路がこれだよ」

「じゃあ、やっぱり……せんぱいは」

 灯火はそこで言葉を止めたが、続く文句はわかっている。

 普段なら答えない。でも、今回に限って、灯火に限っては言ったほうがいいだろう。

「そうだよ。僕は中学生のときに、星の涙に願いをかけたことがある」

 ──そして、大切だったはずのものを失った。

 自分の力ではなく、安易な奇跡にすがった、代償。そいつをしっかり請求され、あっさり破産した愚か者が僕だ。

「今のお前と同じようにな」

 それでも。

 僕は自分の失敗を棚に上げ、エゴを押しつけるように灯火へ告げる。

「お前も使ったんだろ。姉の──りゆうの持ってた星の涙を」

「……やっぱり。それも、お気づきでしたか」

 あはは、と乾いた笑いをこぼとう

 気づかないはずもなかった。こいつが僕に近づいてきた理由など、ほかにはない。

 ……くいかないものだ。

 ずっと探していたのに。僕と同じように、まんの奇跡へすがろうとする者を。この一年、馬鹿みたいに探し続けてきた結果が、この無様だった。

「なあ、灯火。……ひとつだけ聞かせてくれ」

「……なんですか?」

「前にしたのと同じ質問だ。お前の姉は──?」

 あの日。あの丘でいたのと同じ問いに。

 けれど灯火は──あの日とは正反対の答えを返す。

ひどいことを訊きますね、せんぱい。気づいてるくせに」

「…………」

「ええ、そうです。──お姉ちゃんは中学生の頃に、交通事故で亡くなりました。わたしをかばって──死んだんです」

 だとするなら、僕は。

 ──おさなみの女の子が死んだことを、今日まで知りもしなかったわけだ。

 なるほどそいつはクズ野郎だ。学校で言われている程度の罵倒じゃ足りやしないほど。

「なら、灯火。お前が星の涙にかける願いは」

 それでも。

 それでも自分すら棚に上げ、僕には言うべきことがある。

「──自分の姉を、生き返らせることか」

「その通りです」

 と、灯火は言った。

 笑顔だった。

「せんぱいもうれしいでしょう? だって幼馴染みだったんですよね? いちばん仲のいい友達だったんですよね? ……やめろだなんて、言うわけ、ありませんよね……?」

 灯火は、まるで何か縋るものを求めるような顔で、僕に言う。

 それでも僕は、あの丘のときと態度を変えない。変えるわけにはいかなかった。

「やめろ」

 僕は言った。

 灯火が、その笑顔を曇らせた。

「……全部知っても。まだ、そういうんですか」

「星の涙なんてものにすがるな。お前は今、それがどれほどいびつな形になるかを見ただろ」

 だかが、ふゆつきおりを記憶できないことを。

 しろれいが、心を痛め続けているところを。

 冬月伊織という、その全ての元凶である男を。

 ──ふたはらとうは確かに見たはずだ。

「やめろ、そんなことに意味はないんだ。都合のいい奇跡に、頼ろうとするな」

「……伊織くんせんぱいは、それを使ったんでしょう?」

「ああ、そうだ。僕は使った。使ったから今、こうして後悔してる」

「それはせんぱいの問題じゃないですか。ただのエゴです」

「その通りだ。別に、同じ間違いをしてほしくない、なんて殊勝なことは言わない。でもそれは無駄なんだ……間違ってるんだよ」

「なぜですか? なぜ、せんぱいにそんなことが言えるんですか」

「──星の涙には、亡くなった人を生き返らせるような力はないからだ!」

 僕は、そのことを知っている。

 そして問題なのは、そう。

 ──果たして灯火が、という点である。

 前兆は、もうとっくに目の前に現れていた。

 とおが言った。数学の教師も、陽星だって確かに言っていた。

「いいえ」

 にもかかわらず、灯火は言う。

 灯火。灯火、なのか? 目の前にいるのは──本当に──……りゆう、では……、

「ぐ────っ、ず……あ、ぎぃ……っ!?」

 突如、信じられないほどの頭痛が僕を襲った。

 頭が痛い。割れんばかりに。

 まるでみたいな。そんな痛み。

 思わず僕はよろめいてしまう。灯火が驚いた表情で僕を──そうだ。

 灯火だ。

 流希じゃない。

「……っ、おもとどまれ。流希は生き返らないんだ……灯火」

 僕は言う。それ以外にできることはない。

 そんな僕を見て、──ふっと、双原灯火は、はにかむような笑みを見せた。

「伊織くんせんぱいだけは、ずっとわたしを《灯火》だと思ってくれてるんですね」

「……、灯火。お前、は……」

「生き返りますよ、お姉ちゃんは。必ず。わたしがそうするからです」

 断定するような口調で、とうは言う。

 痛みが、やまない。

 そのせいか徐々に意識のほうが薄くなっていく。

「だって、おりくんせんぱい。みんな、わたしのことをお姉ちゃんだと思ってるんです」

「……灯火……」

「今日なんか笑いましたよ。朝起きたら、お父さんとお母さんが、呼んだんですよ」

「……っ」

「わたしのことを──りゆう、って。すごく当たり前みたいに。疑いもせず」

 僕は動けなかった。

 頭痛がひどい。頭が割れるようだ、なんてレベルはもはや超えている。とうにカチ割れているとしか思えなかった。なぜ自分が生きているのかすらわからなくなっている。

 けれど今の僕にはもう──この痛み以外にすがれるものがない。

「だから、ありがとうございました、伊織くんせんぱい」

 灯火が言う。

 灯火。そうだ、僕だけはそれを理解している。

 絶対に忘れてはならないことだ──。

「もう伊織くんせんぱいから、星の涙の使い方をき出す必要はありません。なぜなのか理由はわかりませんが、とっくに発動できているみたいなので。どうしましょう。これで伊織くんせんぱいに近づく理由が、なくなってしまいました。残念ですねー?」

「灯、火……待て、」

「それでは、さようならです──伊織くんせんぱい」

 灯火は言った。

 別れの言葉を告げると同時に。


「──次はせんぱいも、きっとお姉ちゃんに会わせてあげますから」


 そのまま去っていく灯火を、追いかける余力が僕にはなかった。

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