〈伯爵と騎士〉


 ミュラー子爵の治める町、エイトリアムまでの移動は、ピーちゃんの瞬間移動の魔法で一発だった。移った先は子爵様のお城の中庭だ。これまで森の中を延々と歩き回っていた苦労は何だったのかと、頭では理解していたものの、思わず目眩めまいを覚えた。

 いつか絶対にゲットしてやると、改めて決意した。

 ちなみに血の魔女なる紫肌の彼女の処遇については、十分に言い聞かせたので大丈夫だろう、とのピーちゃんの言葉に従うことにした。

 二人の間にどういった交流があったのかは知らないが、こちらの世界の常識に疎い弟子は、師匠の意向に素直に応じるばかり。面識があると言っていたし、お互いに知らない仲でもないとなると、から口を挟むことははばかられた。

 これはミュラー子爵とアドニス王子も同じである。

 腐れ縁だとか、元カノだとか、義理の妹だとか、脳裏には色々と想像が浮かんだ。魔女呼ばわりの上、髪も長かったので、彼ではなく彼女だと思われる紫の人。ピーちゃんとの関係が気にならないと言えばうそになる。

 ただ、我々が話をしている間に相手が逃げ出して、なにをどうすることもできない。

 そういった経緯も手伝い、現場では取り立ててめることもなかった。

 ところで、場所を移した直後にふと思い出した。

 この度の帰還は決して良い知らせばかりではない。ミュラー子爵が家を留守にしている間に、こちらのお城では色々と大変なことが重なっていた。跡目争いが勃発の上、長男と次男が死亡、腹をくくった長女が臨時で家督を継いでいる。

 帰宅した子爵様が受けるショックを思うと足が動かない。

 見ず知らずのマーゲン帝国の兵に対しては、その全滅を受けてもこれといって心が動くことはなかった。面識がない上に、敵対国の兵という位置づけも手伝ってだろう。自身が直接手を下した訳ではないことも影響している。

 一方で知人のお子さんとなると、どうしても気になってしまうのが人情というもの。自分に対して良くしてくれた人の息子さんともなれば尚更に。直接の関係はなくとも、何かできることがあったのではないか、とか考え始めてしまう。

「どうした? ササキ殿」

「いえ、それがミュラー子爵が留守の間に、ご自宅では色々とありまして」

「それはもしや、愚息たちについてだろうか?」

「……ごぞんだったのですか?」

 いやまさか、そんなはずがない。

 跡目争いが始まったのは、ミュラー子爵の死亡が伝えられてからだ。実際にはこうして存命であったけれど、時系列的に成り立たない。息子さんたちが争い始めた頃には、既に彼は森の中を彷徨さまよっていたのだ。

 そうなると、以前から兆候はあった、ということか。

「その件であれば、気遣いは不要だ」

「しかし……」

「詳しいことは後ほど話す。どうか今は気にしないでいて欲しい」

「……承知しました」

 子爵様もご家庭では色々と抱えているのかも知れない。

 これ以上は我々から言葉を掛けることも憚られた。


    *


 予期せず姿を現したミュラー子爵を迎えて、お城は大騒ぎになった。

 今までは死んだものとして扱われていたのだから、当然と言えば当然だろう。まるで墓場にお化けでも見つけたかのように、誰もが声を上げて慌てる様子は、不謹慎かも知れないが、ちょっとしかった。

 そして、これにアドニス王子もご一緒とあらば、てんやわんやの大騒動である。

 どうやら殿下もまた、今回の戦では討ち死にが報告されていたらしい。これをミュラー子爵が身をていしてお救いしたとあらば、それはもう大変な名誉であるのだとか何だとか、お城の人たちは口々に語っていた。

 これによりお通夜さながらであった雰囲気は、一変してお祭り騒ぎである。

 取り急ぎ我々は客間に通されて、どうぞごゆっくりお休み下さい、とのこと。ミュラー子爵とアドニス王子は他に色々とやることがあるからと、二人でどこともなく出掛けていった。また夜にでも、とは別れ際に子爵様から伝えられた言葉である。

 そこで自分とピーちゃんはハーマン商会に向かった。

 副店長さんを訪ねると、応接室に通された。

 そこで彼にミュラー子爵が無事であること。また、子爵様がアドニス王子を戦場から助け出したこと。更にはマーゲン帝国の軍勢が一夜にして消失したこと。ピーちゃんや星の賢者様の存在を除いて、自身が知る全ての情報をお伝えした。

 商人であれば、多少なりともうれしい情報だと考えた次第だ。

 すると彼は両手を震わせながら、感謝の言葉を口にした。

「ササキさん、ありがとうございますっ!」

「いえいえ、自分も偶然から居合わせただけでして」

「この商機は大きいですよ! 絶対にモノにしてみせますっ!」

「それはなによりです」

 来週には首都に向けてつと語っていた彼だから、こうして捕まえることができて良かった。もしも出発してしまっていたら、話をすることも難しかっただろう。こちらの世界を訪れて間もない身の上、町の外は完全にアウェイである。

「早速ですが、首都に向けて早馬を走らせようと思います」

「では、私は失礼しますね」

「お待ち下さい、情報の対価をお渡ししなければ」

「それは結構ですよ。近いうちにミュラー子爵から公表されるはずです。そうなれば誰もが知ることになるでしょう」

「その僅かな差が大変重要なのですよ」

「なるほど」

「それではこうしましょう。私はこの機会に大きく儲けてみせます。その儲けに見合った額をササキさんにお支払いします。我々の国の仕組みに不慣れなササキさんに、今の時点で情報のお値段をお聞きするのは、フェアではありませんからね」

「お気遣いありがとうございます」

「それでは早速ですが、私は急ぎますので……」

「ああ、そういうことでしたら、明日またよろしいでしょうか?」

「それは構いませんが、何か急ぎのご用でしょうか?」

「明日、アドニス王子とミュラー子爵を首都までお送りする予定になっています。詳しくはご説明できませんが、手紙を届ける程度であれば、私がお持ちしましょう。その方が馬を走らせるよりも、いくらか早く届くかと思います」

「それでしたら、私どもの早馬と大差ないのでは?」

「いえ、明日中には首都まで到着する予定ですので」

「……明日中、ですか?」

「ええ、明日中です」

「いやしかし、それは……」

「そうでないと情報の鮮度が落ちてしまいますから」

「……なるほど」

 どうやらこちらの意図を察してくれたようだ。

 早馬より早い移動方法だと、知性に劣る小型のドラゴン亜種を家畜化して、馬の代わりに利用しようという試みが行われていると、前にピーちゃんが言っていた。魔法を使えない者でも、これに乗れば空を比較的速く移動できるそうな。

 それでも一両日中に到着するというのは、なかなか大変な行いであるように思われる。ただ、そうした何かしらの手立てについて、こちらの副店長さんはお口にチャックをして下さる人物だ。それがハーマン商会の利益に関わってくるともなればなおのこと。

 そして、彼が利益を得ることは、自分やピーちゃんにとっても益のある話だ。しかも今回はミュラー子爵の他に王族であるアドニス王子が一緒なので、彼の存在をだしにして、第三者からの協力を匂わせることができる。非常に都合がいい。

 手紙は明日中に首都まで届く。

 その事実だけが、ハーマン商会さんにとっては大切だ。

「いかがでしょうか?」

「そういうことであれば、是非お願い致します」

 副店長さんは笑顔でうなずいてみせた。

 満面の笑みである。

「承知しました」

「すぐに用意しますので、少々お待ち下さい」

 そう言い残して、マルクさんは駆け足で応接室を出て行った。


    *


 副店長さんと別れて応接室を出た直後、盛り姫様に呼び出された。

 部屋の正面、廊下で待ち構えていた彼女に捕まった形である。思い起こせば盛り姫様は実家から隔離されており、こちらの商会の高層階でお世話になっていた。しかしそれも、ミュラー子爵の無事が確認された今となっては、既に意味のない話だろう。

「ちょ、ちょっと貴方あなたっ!」

「これはこれはエルザ様、私に何かご用でしょうか?」

「屋敷に行くわよっ!」

「はい?」

 投げ掛けられた言葉はあまりにも唐突なものだった。

 どうして我々が付き合わねばならないのか。

「だから、屋敷に行くわよっ! お父様がご無事だったのだから!」

「ミュラー子爵の無事は事実ですが、どうして私がご一緒するのですか?」

「戦場で途方に暮れていたパパを貴方が助けたのだと聞いたわ! それなのにどうして貴方は、私たちの屋敷ではなくて、こんなところで油を売っているのよっ! ちゃんと屋敷できようさせなさい!」

 どうやらハーマン商会の副店長さんをすっ飛ばして、お嬢様の下には情報が届いていたようである。実家から彼女の下まで伝令が走ったのだろう。お屋敷で働いている人たちから愛されているのだろうな、なんて思った。

「いえ、ですが……」

「いいから来なさいっ!」

 しかも、相変わらず元気一杯である。

 頭髪も盛り盛りだ。

 背伸びをしたコギャルっぽい感じが可愛かわいらしい。

「それではありがたくご同行させて頂きます」

「下に馬車を用意したわ! 早く行くわよっ!」

「承知しました」

 きっとパパに会いたくて仕方がないのだろう。


    *


 馬車に揺られることしばらく、再びミュラー子爵のお城に戻ってきた。

 盛り姫様は屋敷と呼ぶが、見た目は完全にお城である。

「お父様っ!」

 父親の姿を確認するや否や、彼女は駆け足でその下に向かい、正面から力一杯に抱きついた。イケメンのパパが、可愛らしい娘さんを抱きしめる。なんて絵になる光景だろうか。写真に撮ってSNSに上げたら、沢山イイネしてもらえそう。

 場所は同邸宅の応接室を思わせる一室だ。

 彼女の付き添いで、自身もミュラー子爵にお目通りする運びとなった。

 過去にも何度か子爵様や盛り姫様と話をした場所である。兵糧の調達のために、家具や調度品が減ってしまった室内の様子は、当初のごうしやな光景を知る者として、少し物悲しく映る。ただ、本日に限ってはそれも気にならない。

 ならば、そこにミュラー子爵と娘さんが共に並んでいるから。

「エルザ、お前にも迷惑を掛けたな」

「迷惑だなんて、そんなことないわ!」

 盛り姫様は涙を浮かべながら、満面の笑みでパパに訴える。

 めっちゃ嬉しそうだ。

「それよりも、お父様が無事でよかった。本当によかったわ」

「そこにいるササキ殿のおかげで、命からがら戻ってくることができた。アドニス殿下をお救いすることができたのも、彼のおかげだ。もしも私一人であったのなら、殿下をお救いすることはできなかったことだろう。共に絶命していたに違いない」

「家の者からもそう聞いたわ」

「ああ、命の恩人と称しても過言ではない」

「だけど、私は不思議だわ。その男は商人だとセバスチャンが……」

「商人であり、優秀な魔法使いでもある」

「…………」

 このタイミングでミュラー子爵からヨイショされるとは思わなかった。

 他者の目も手伝って小恥ずかしい。

 それもこれもピーちゃんが与えてくれた魔法のたまものだ。自然と肩の上に止まった相棒に意識が向かう。今晩は奮発して、普段食べているものよりグレードの高いお肉を用意しなければ、みたいな気分にさせられる。

「私もまだまだだな。今後は今まで以上に学ばねばならん」

「お父様でも、学ばなければならないことがあるの?」

「人生など死ぬまで学びの連続だ。そこに終わりはない」

「……そうなんだ」

「エルザも学び続けることを忘れないことだ」

「わ、分かったわ!」

 星の賢者様を信仰するミュラー子爵としても、これほどやりにくい席はないだろう。ほんの一瞬ではあるが、チラリとこちらの肩の辺りの様子をうかがっては、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 ピーちゃんのおかげで皆が恥ずかしい。

 そうこうしていると、部屋のドアが力強くノックされた。

「旦那様! 旦那様! ご無事でしたかっ!」

 廊下から姿を現したのは執事の人である。

 たしか名前をセバスチャンといったか。

「うむ、どうにか無事に帰ることができた」

「それは何よりでございます! このセバスチャン、とても喜ばしく感じております! 家の者から聞いた話によりますれば、なんでも戦場ではアドニス殿下をお救いしたとのこと。これはもう家をあげて宴の支度をせねばなりませんな!」

「そうだな、是非とも頼みたい」

「承知しました! 盛大な宴を支度させて頂きます!」

「しかしながら、セバスよ。その前に少し話がある」

「なんでございましょうか?」

 娘さんとの抱擁を終えたミュラー子爵が執事の人に向き直った。

 我々の注目も二人に移る。

 盛り姫様も、なんだろう? といった表情で彼らを見つめている。

「これは屋敷に戻ってきてから家の者に聞いたのだが、エルザの婿としてディートリッヒ伯爵家の次男を紹介しようと考えていたそうだな? そうだ、丁度いい。エルザよ、セバスチャンからそういった話があったというのは本当か?」

「ディートリッヒ伯爵家の次男、ですか?」

「ああ、そうだ」

「一時的に私が家督を継いで、お家の取り潰しを防ぎ、そこへ婿を入れてお家を立て直すのだとは、セバスチャンから聞いておりました。それがお父様のためになることなのだと。ですけれど、入婿がディートリッヒ伯爵家の次男というのは初耳です」

「…………」

 ミュラー子爵の発言を耳にして、セバスチャンの表情がこわった。

 なにやら部屋の雰囲気が一変したように思われる。

「セバスチャンよ、なにか私に申すべきことはあるか?」

「…………」

 キーワードはディートリッヒ伯爵家である。

 ヘルツ王国の貴族模様に知見のない門外漢には何が何やら。唯一判断できることがあるとすれば、伯爵なる肩書は子爵よりも上、ということくらいだろうか。それとなくピーちゃんの様子を窺ってみるも、彼は普段と変わらず文鳥している。

「お前たち、入ってくるといい」

 そうこうしていると、ミュラー子爵が手を叩いてみせた。

 これに応じて、廊下に通じるものとは別に設けられていたドアが開かれた。位置的には隣の部屋に通じているとおぼしき一枚である。ガチャリと音を立てて開かれたドアの先、姿を現したのは十代の少年が二人。

 共に立派な貴族然としたかつこうをしている。

「なっ……マクシミリアン様、カイ様、どうして……」

 たしかミュラー子爵のお子さんの名前だった筈だ。

 名前の長いほうが長男で、短いほうが次男。

「以前からお前や一部の貴族たちの動きには疑問を持っていたのだ。そこで今回の出兵を機会に、策を打たせてもらった。婿がディートリッヒ伯爵家の次男ということは、実際に手を動かしていたのはドール子爵あたりだろうか?」

「っ……」

 ミュラー子爵が語るのに応じて、執事の人に動きがあった。勢いよく身を翻すとともに、駆け足で部屋を逃れようとする。これまでの落ち着き払った雰囲気から一変して、とてもアグレッシブな反応だった。

 どこへ逃げようというのか。

 間髪をれず、部屋の出入り口に騎士の人たちが現れた。

 手には抜き身の剣を構えている。

 それが二名、三名と室内になだれ込んできて、執事の人を取り囲んだ。外には更に人の気配が窺える。どうやら事前に配置がされていたようだ。こうなると彼は、応接室から出ることもままならない。

「くっ……」

「セバスチャンよ、話は後ほどゆっくりと聞く」

 そうして執事の人は、騎士の人たちに縄を掛けられて、どこかへ連れ去られていった。ろう的なスペースにお持ち帰りされるのだろうな、とは一連の流れから自分にも容易に想像がつく。

 しかしなんだ。

 ミュラー子爵の息子さんたちは無事だったのか。

 今はその事実がとても喜ばしく感じられる。

 他人の生をこれほど嬉しく感じたのは初めてかも知れない。


    *


 場所は変わらず応接室、そこでミュラー子爵から説明を受けた。

 なんでも彼の息子さんたちには、事前に話が通じていたのだそうな。いわく、もしも戦場からミュラー子爵の訃報が届けられたのなら、その時にはしばらく、お互いに家人の目の届かない場所に隠れて欲しいと。

 これを忠実に実行した息子さんたちは、自身も副店長さんから伝えられて知るように、跡目争いから亡くなったという体裁で動いたらしい。お子さんたちの言葉に従えば、お父様が死んだとは決して思わなかった、とのこと。

 これまた父親に似て賢い少年たちである。

 一方で息子さんたちの動きを素直に信じた執事の人は、ディートリッヒ伯爵なる人物の指示の下、唯一生き残った盛り姫様を担ぎ上げて、ミュラー子爵家をどうにかする為に、あれこれと動き出したのだという。

 こうして考えると、ディートリッヒ伯爵家というのは、ミュラー子爵家にとってライバル的な家柄と思われる。

 隣国との戦時下にありながら、同時に国内でも家族を巻き込んで、家同士の抗争を考えなければならないとは、ヘルツ王国の貴族社会は大変なものである。ピーちゃんほど優秀な人物が、もう戻りたくないと語ってみせたのも納得だ。

 ちなみに盛り姫様の毒殺騒動については、ミュラー子爵と懇意にしている貴族から彼女を遠ざける為に行われた、セバスチャンによる自作自演であったそうな。まんまと利用されてしまったハーマン商会である。

「なるほど、そのようなことになっていたのですね」

「ササキ殿には迷惑を掛けた。我々の問題に巻き込んでしまったことをすまなく思う」

 こちらに向き直り、ミュラー子爵は頭を下げた。

 例によって居合わせたお子さんたちから、ぎょっとした目で見つめられる。やはり貴族が平民に頭を下げるというのは、めつにない出来事なのだろう。気性の荒い盛り姫様などは、即座にお口が動いた。

「お、お父様っ!?」

「エルザ、お前には特に苦労を掛けたな。すまなかった」

「っ……」

 続く彼女の言葉を遮るように、ミュラー子爵は語った。

 パパはその手で盛りに盛った娘の頭をでる。ボリュームが半端ないし、フワフワしているし、しかも随所にリボンや飾りが付いているしで、めっちゃ撫でにくそうだ。それでも懸命に腕を動かしている。

「……お父様、どうして私には伝えてくれませんでしたの?」

「エルザはとても素直な子だ。隠し事は苦手だろう?」

「で、でもっ、心配しましたっ!」

「そうしたエルザの振る舞いが、セバスチャンを動かすのに一役買ったのだ。おかげで私はとても助けられた。そういった意味では、君の行いもまた、私にとっては大きな力だったのだよ。ありがとう、エルザ。私の可愛い娘」

「っ……」

 これまた絵になる光景である。

 パパから優しく微笑ほほえみ掛けられたことで、盛り姫様のお顔は真っ赤だ。

 もしも同じことを自分がやったら通報必至の名シーンである。

 それからしばらく、娘さんが落ち着くのを待ってから、ミュラー子爵は改めてこちらに向き直った。たくさんナデナデしてもらったことで、盛り姫様も機嫌を直している。穏やかな面持ちで我々を見つめていた。

「しかし、本当に死にかけるとは思わなかった。当初は訃報を出してすぐに戻る予定だったのだが、自ら知らせを出すまでもなく戦死が伝わる羽目になるとは、私もまだまだ精進が足りていない」

「私が手を貸さずとも、ミュラー子爵はお一人で殿下を助けたと思います」

「そんなことはない。あの時はもう駄目だと考えていた。殿下は歩くことも儘ならない重体であり、私も精根尽き果てていた。貴殿の魔法により天から大量の水が降り注いだ時、我々は喉の渇きから目を輝かせたものだ」

 あの時はこっちもこっちで必死だったけれどな。

 本気で死んだと思った。

 墜落的な意味で。

「そういえばアドニス殿下のことで、少しお話をしたいことが」

「私でよければいくらでも言って欲しい」

「ありがとうございます。それでは後ほどお時間を頂戴できたらと」

「うむ、承知した。ササキ殿」

 一時は危ぶまれた子爵家の騒動も、これにて一件落着である。


    *


 同日はミュラー子爵のお城でご厄介になる運びとなった。

 是非とも泊まっていって欲しいとのこと。

 我々の他にアドニス殿下もお泊まりするそうで、その日のお城は大騒ぎだ。殿下の来訪については、ハーマン商会さん以外には口外しないで欲しいと、事前に子爵様から言われていたけれど、この様子ではいつまで秘匿できるか怪しいものである。

 そして、晩には豪勢な宴が開かれた。

 こちらに戻ってきたのが朝も早い時間だったので、その支度をしている間に、ミュラー子爵とアドニス王子は休息を取ることができたようだ。会場で見掛けた二人は共に顔色を戻して、割と元気そうにしていた。

 ちなみに自分とピーちゃんも、この催しにお呼ばれした。

 主役であるミュラー子爵とアドニス殿下の周りには、常にお貴族様たちの姿がある。平民である自分たちは、会話をすることはおろか、近づくことも難しい。なので既に十分お話をした後ということも手伝い、我々は当初から食事に意識を定めた。

 立食のビュッフェ形式で食べ放題。

 ここぞとばかりにがっつかせて頂こうという算段だ。

『この肉、なかなかいぞ。タレがいい感じだ』

「本当? それなら僕も試してみようかな」

 会場の隅の方のテーブルで、ピーちゃんと言葉を交わしながら手を動かす。

 皆々の注目はミュラー子爵やアドニス殿下に向かっている。ボソボソと小声で控えめに話をする程度であれば、まずバレることはあるまい。会場には自身の他にも、平民と思しき人たちの姿が窺えた。そのため悪目立ちすることもなく食事ができる。

「このデザート、フレンチさんが作ったのと似てない?」

『似てるというか、そのものではないか?』

 ピーちゃんとあれこれ言い合いながら食べる食事は楽しい。普段とは違った場所で、という状況も影響してのことだろう。並べられた料理は非常に多彩なもので、一晩で全てを味わうことは不可能なのではないかと思わせるほど。

 そうしてディナーを楽しむことしばらく。

「ちょ、ちょっと、そこの貴方っ!」

 空になった取り皿を片手に、次なる料理を求めて、足を動かそうとした時分のことだった。ふと覚えのある響きを耳にして、意識がズラリと並んだビュッフェボードから、声の聞こえてきた方向に向かう。

 目についたのはミュラー子爵の娘さん。盛り姫様だ。

 どうやら我々に用があるらしく、こちらをジッと見つめている。

 これを受けて、盛り姫様の存在に気付いた周囲の参加者たちが、何がどうしたとばかり、我々に注目し始めた。どこからどう見てもコギャルな彼女だけれど、これで子爵様のまなむすめだから、同所での発言権は結構なものなのだろう。

 彼女に声を掛けられたことで、我々まで注目されてしまっている。

「これはこれはエルザ様、何かご用でしょうか?」

「……パパから色々と話を聞いたわ」

「話、ですか?」

 一体何を聞かされたというのだろう。あまりにも唐突な会話の運びだったもので、どういった話題が飛び出してくるのか不安で仕方がない。肩に乗ったピーちゃんもお口をつぐんで、彼女の言動に注目している。

 それとなく目玉を動かして、会場からパパさんの姿を探す。

 すると彼は彼で他に大勢、貴族様に囲まれて忙しそうにしていた。

 ヘルプを求めるにはいささか距離がある。

「マーゲン帝国の兵から助けられたって言っていたわ」

 なるほど、戦地での一件を聞いたようである。

 きっと娘から請われて、断りきれずにあれこれとしやべってしまったのだろう。どこまで喋ったのかは知らないが、こちらとしてはあまり公にしたい内容ではない。取り分けピーちゃんの存在については、絶対に秘匿としなければ。

「いえいえ、そこまで大したことはしておりません。現地で偶然からお会いしましたところ、後ろからサポートさせて頂いたに過ぎません。前に立って戦われていたのはミュラー子爵とアドニス殿下のお二人でございます。その勇ましいお姿は今も私の脳裏に刻まれて……」

「そういうのは結構よっ!」

「…………」

 適当にヨイショしてかわそうかと思ったら、ピシャリと言われてしまった。

 彼女は数歩ばかりこちらに歩み寄る。

 そして、どこか申し訳なさそうな表情となり言葉を続けた。

「パ、パパを助けてくれて、ありがとう」

「……エルザ様?」

 これまでのどことなく怒っているかのような言動とは一変して、しおらしい立ち振る舞いである。どうやら当時の状況を追及しに訪れたのではなく、ただ単純にお礼を言う為に足を運んだようだ。

「それと以前はつらく当たってしまって、悪かったわね」

 ミュラー子爵からどのような話を受けたのだろう。

 気の強い彼女にここまで言わせるとは。

「滅相もありません。繰り返しとなりますが、私はほんの少しだけお手伝いをさせて頂いた限りでございます。むしろ救われたのは私自身です。ただ、それが皆様のお役に立ったのであれば、その事実をとても嬉しく思います」

「以前、偉そうに語ってみせた時とは態度が違うわよ?」

 くそう、どうやら過去の説教を根に持っているようだ。

 他の参加者から注目を受けているこの状況で、そういうことを言われると非常に心苦しい。結果的にミュラー子爵もご存命であるから、輪をかけて恥ずかしい。まさかこのとしになって黒歴史を作る羽目になるとは思わなかった。

「大変申し訳ありません。私もあれからこの国の制度について学ぶ場を得まして、貴族と平民の関係がどのようなものか、理解を深めるに至りました。つきましては平民として、貴族であらせられるエルザ様のお言葉を改めて実感した次第にございます」

「そうなの?」

「はい、そうなのです」

「……なら、また改めることになりそうね」

「どういうことでしょうか?」

「言いたかったのはそれだけよ。それじゃあ失礼するわね」

「お声掛け下さりありがとうございました」

 一方的にあれこれ語ると、盛り姫様は我々の下から去っていった。

 大股でズンズンと歩む姿が非常に彼女らしい。

 これに応じて他の参加者たちも、我々から視線を外していった。そう多く言葉を交わした訳でもない。挨拶に忙しいミュラー子爵に代わり、その娘である彼女が下々の下へ社交辞令に訪れた、とでも取られたのだろう。

「…………」

 お礼と言えば、ほしざきさんとのランチが思い起こされた。

 今回はかなり長いこと、こちらの世界で過ごしている。近い内に一度、元の世界に戻って状況を確認するとしよう。放置してしまっている仕事用の端末の着歴も気になる。もしかしたら上司から連絡が入っているかも。


    *


 宴会の席から一晩がって翌日、我々はお城の応接室に集まっていた。

 メンバーは自分とピーちゃんの他に、ミュラー子爵とアドニス王子の四名だ。部屋には他に人の姿は見られない。窓には分厚い遮光カーテンが掛けられており、室内は昼でありながら薄暗い。

 その只中で我々はソファーから立ち、ローテーブルを囲んで立っている。

「星の賢者殿、すまないが頼む」

『うむ』

 アドニス王子の言葉に応じて、ピーちゃんが魔法を行使する。

 足元に魔法陣が浮かび上がり、暗がりの室内を照らし上げた。そうかと思えば目の前の風景が暗転する。一瞬、足元に浮遊感。過去に幾度となく経験している魔法だけれど、この瞬間はいまだに慣れそうにない。

 目の前が真っ暗になっていたのは数秒ほど。

 やがて再び視界に光が戻ったとき、頭上には青空が広がっていた。

「昨日にも感じたが、やはりこの魔法は素晴らしいな」

 はるか高く天上を眺めて殿下がおつしやった。

 室内から一変して屋外である。

 周囲を石製の建造物に囲まれた一角だ。道幅は二、三メートルほどだろうか。大きな通りの間を結ぶ細い路地のようで、周囲に人の気配はない。数メートル先の交差路からは、通行人の行き来するにぎやかなけんそうが窺えた。

「城までの距離からすると、ここは貴族街の西の端でしょうか?」

 遠くに望む巨大なお城。

 そこに高くそびえる塔を眺めてミュラー子爵が言った。

『うむ、そのとおりだ。あまり城に近い場所に出て、人に見られては面倒だからな。悪いがここからは馬車を拾うなり、歩いていくなり、そちらでどうにかして欲しい。我々はこのまま貴様の町に戻ろうと思う』

「ちょっと待って欲しい、流石さすがにそれは申し訳ない」

 ピーちゃんの言葉を受けて、直後にアドニス王子が声を上げた。

 彼はこちらの肩に止まった賢者様を見つめて、矢継ぎ早に続ける。

「せめて一晩だけでも王城に泊まっていって欲しい。私は二人にお礼がしたいのだ。こうして再び首都まで戻ってこれたのも、二人の助力があったからこそ。それをただ我々の足にして帰したとあっては、私は無礼者になってしまう」

『我々のような得体の知れない人間を上げられるのか?』

「私の大切な客人だ。誰が相手であろうとも、決して異は唱えさせない」

 そうして語る殿下はとても真剣な面持ちであった。

 だからだろうか、ピーちゃんの意識がこちらに向かう。

『だそうだが、貴様はどうだ?』

「え? 僕なの?」

『我はどちらでも構わない。貴様の意向に従おう』

 どうやら選ばせてくれるそうだ。

 そうなると、まさかノーとは言えない。ピーちゃんは純粋に好意から尋ねているのだろうけれど、尋ねられた側からすれば、選択肢などあってないようなものだ。アドニス王子を相手にけんを売るようなはしたくない。

 偉い人から誘われたら、なかなかどうして断れないのが社畜のさがである。

「そういうことであれば、是非お願いいたします」

「うむ、任された!」

 こちらが素直に頷くと、殿下は満面の笑みと共に答えてみせた。


    *


 細い路地を後にした我々は、王城を目指すことになった。

 その行き掛けに歩きながら、ミュラー子爵やアドニス王子からヘルツ王国の首都、アレストの説明を受けている。本来であれば平民である自分が、王侯貴族である彼らから町の案内を受けるなど、あってはならないことだろう。

 というか、殿下などいやおうなく目立つ。まず間違いなく憲兵が集まってきてしまう。そこで彼らはわざわざ、衣料店でローブやフードを調達してまで、土地勘のない異邦人にあれこれと観光案内をしてくれていた。

「とても栄えておりますね。活気に満ちあふれているように思えます」

「一説によれば、人口は百万を超えるとも言われている」

「それはすごい」

 そうして語る殿下は自慢げだった。腐敗しているだとか、傾いているだとか、色々と悲しい話は聞くけれど、それでも代々続く自らの家柄と、これが支える祖国とを誇りに思っているのだろう。

 ただ、そんな彼の素敵な案内に、ちゃちゃを入れるヤツがいる。

 ピーちゃんだ。

『アドニスよ、この者の故郷となる町は、一千万以上の人口を抱えているぞ』

「なっ……そ、そうなのか?」

「ピーちゃん、せっかく殿下が色々と教えて下さっているのに、そういうことを言うのはどうかと思うんだけど。そもそもこちらとあちらじゃあ、総人口が異なっているんだから、都市ごとの人口を比べることに意味はないよ」

『なるほど、たしかに貴様の言葉は一理あるな』

 まず間違いなくネットサーフィンで得た知識だろう。知り合いに披露したかったものと思われる。その感覚は分からないでもない。最近のピーちゃんは暇さえあれば、インターネットで調べ物をしている。飼い主としてはちょっと不安を覚える光景だ。

 子供の引きこもりを心配する親ってこんな気分なのかな、とか。

「いつかササキの国のことを教えて欲しい」

「ええまあ、いつか機会がありましたら」

 そんな感じであいあいと通りを歩いていく。

 こちらの町はヘルツ王国の首都ということで、同国でも随一の規模を誇るらしい。中央に所在するのが王族の住まうお城であり、殿下も普段はそちらで生活しているのだとか。かなりの規模の建造物で、遠くから眺めた限りであっても圧倒される。

 また、お城の周囲には貴族の屋敷が軒を連ねており、偉い貴族ほどお城に近い場所に屋敷を構えているのだとか。ただし、多くの貴族はそれとは別に、自身が所有する領地に家を所有しており、そちらが本宅となるらしい。

 要は江戸藩邸のようなものだろう。

 ミュラー子爵の治めている町、エイトリアムとは規模が段違いである。

 我々の歩いている場所は、主に貴族や豪商などのアッパー階級が住まっている貴族街だという。道はれいに舗装されており、立ち並ぶ家屋もしおどめのイタリア街をほう彿ふつとさせる小奇麗なものばかり。まるで観光地のような美しさを感じさせる町並みだ。

「あそこに見えるのが、ハーマン商会のアレスト支店だ」

「ハーマン商会は首都にも店があるのですね」

 ミュラー子爵から耳に覚えのある単語を頂戴した。

 彼が指し示す先には、比較的大きな建物が見受けられる。店舗正面には現地の文字で看板が掲げられていた。会話こそ不都合なく行えているけれど、読み書きについては絶望的な身の上、字面が示す意味を判断することはできなかった。

「近い内に首都へ本店を移動させると言っていたな」

「ハーマン商会の店長さんが、長らくエイトリアムの町を留守にされているのは、その関係となるのでしょうか? お恥ずかしながら、実は一度も面識がございませんでして」

「ああ、恐らくはそうだろう」

 自分は副店長のマルクさんから手紙を預かっている。

 このついでに渡してきてしまおうか。

「すみませんが、少しだけお時間をよろしいでしょうか?」

「それは構わないが、ササキ殿はこちらの店に用事がおありか?」

「ハーマン商会の副店長さんから、お手紙を預かっております」

「なるほど」

 二人に断りを入れて店に足を運ぶ。

 店舗の造りはエイトリアムのそれと比較して、かなり豪華なものであった。本店をこちらに移すということもあって、気合が入っているのだろう。これといって買い物に来た訳ではないメッセンジャー風情としては、些か気後れしてしまう。

 しかし、ひるんでばかりもいられない。

 子爵様と殿下が同伴していることもあり、手早く仕事を済ませた。

 店内を歩いていた店員さんに声を掛けて、副店長さんから預かった手紙をお渡しする。彼の知り合いである旨を伝えて、こちらのお店の店長さんに届けて欲しいとお願いした。ついてはミュラー子爵がフードを取って、軽く声を掛けて下さった。

 これにより話はサクサクと進んだ。

 店員さんは萎縮した様子で、大変丁寧に手紙を受け取って下さった。

 その後、是非お茶の一杯でもと、おもてなしのお声を掛けられた。これをやんわりと断って、我々はお店を後にした。時間にして三十分と経っていない早業である。下手に長居をして、アドニス王子の存在に気付かれたら大変だ。

 それから小一時間ほど歩いて、三人と一羽は王城まで辿たどり着いた。


    *


 お城を訪れた直後、アドニス王子の姿を目の当たりにした人たちの反応は、それはもう顕著なものであった。どうやら彼の戦死はご実家まで伝わっていたようである。その存命を知ったことで、城内はてんやわんやの大騒ぎとなった。

 ミュラー子爵のところでも似たような騒動となったが、その比ではなかった。

 まさか得体の知れない平民風情には構っていられる筈もなく、我々は殿下に促されるがまま、お城の客間に案内されて、しばしの自由時間と相成った。何か困ったことがあったら、部屋に控えているメイドに言って欲しい、とのこと。

 殿下は子爵様を連れて、忙しそうにどこともなく去っていった。

 こうした流れを想定していなかった訳ではない。

 ただ、想像した以上の大事となり、結果的に暇になってしまった我々だ。

「ピーちゃん、これからどうしよう」

『一つ助言するなら、城内を歩きまわるのは避けたほうがいい』

 そして、これが宮仕えで暗殺された人物の言葉である。

 絶対に一人では部屋の外に出ないようにしよう。

 ミュラー子爵のお城であっても、そこかしこで警備に当たる騎士の人ににらまれていた。城主である彼と一緒であっても、周囲からの視線が緩むことはなかった。これが王城ともなれば、どうなってしまうのか、想像しただけで恐ろしい。

 感覚的には難易度ハードのアクションゲーム。

 小さな操作ミス一つで、残機ゼロの機体はゲームオーバー必至である。

「そうなると部屋の中で暇を潰すことになるね」

『うむ、それがいい』

 さいわい通された客間は、非常に豪勢な作りの一室である。

 これまでエイトリアムの町で寝泊まりしていたセレブお宿も豪華ではあったけれど、ここはそれ以上にお金が掛かっている。まず広さからして、倍以上あるから驚きだ。並べられている調度品も、高価そうなものばかりである。

 腰掛けているソファーも大変柔らかくて、お尻に吸い付くかのようだ。ルームサービスについては、ピーちゃんの為にわざわざ止まり木まで用意して下さる気遣いっぷり。これにより彼のポジションは、ソファーテーブルの上に設けられた特設ステージへ。

 どうせ泊まっても一晩の宿である。それならこちらの部屋を満喫するのも悪くない気がする。トイレやお風呂もちゃんと併設されており、ピーちゃんの助言どおり、部屋から出ることなく快適に過ごすことができる。

 そうこうしていると部屋のドアがノックされた。

 声を上げて応じると、姿を現したのは一人のメイドさん。十代中頃ほどと思しき容姿端麗な女性である。青い瞳とブロンドのショートヘアが印象的な人物だ。丈の短いスカートを着用しており、太ももが丸見え。おっぱいも大きい。

「失礼いたします。お飲み物をお持ちしました」

 彼女は手にしたお盆から、飲み物の入ったグラスを我々の下に用意してくれた。併せては文鳥でも飲みやすいように工夫された、縦長の水飲みまで添えてのこと。望めば何でも出てきそうな雰囲気を感じるぞ。

「ありがとうございます」

「他に何かございましたら、なんでも仰って下さい」

「そうですね……」

 せっかくだし何か頼んでみようか。

 暇つぶしの道具とか欲しい。

「ボードゲームなどあると嬉しいのですが」

「承知しました。すぐにお持ち致します」

「よろしくお願いします」

 ミュラー子爵やアドニス王子がいつ戻ってくるとも知れない。

 半日くらいはどっしりと構えて、異世界のゲームにかろうと思う。


    *


 しばらく待っていると、部屋にメイドさんが戻ってきた。

 出て行った時とは異なり、他に人が一緒である。同じくメイド服に身を包んだ女性だ。ただし、彼女と比較して一回り以上歳を重ねており、三十代も中頃ほどと思われる。自分と大差ない年頃の人物だ。

 腰下まで伸びた艷やかなブロンドの髪が印象的な、おっとりとした顔立ちの方である。身に付けているメイド服も、年齢を加味した上でなのか、膝下までを覆うロングスカートの上、胸元の露出も控えめとなっている。

「ゲームをいくつかお持ちしました」

 若い方のメイドさんの言葉通り、彼女たちの手には木箱のようなものが何個か見て取れた。一人では持てない分を一緒になって持ってきてくれたのだろう。他にも仕事はあるだろうに、忙しいところ申し訳ありません。

「お手数をお掛けしてすみません」

 ピーちゃんの止まり木のかたわら、ソファー正面のローテーブルに、ゲームが収まっていると思しき木箱が積み上げられる。現代のそれと比較して装飾に乏しいパッケージは、ひと目見ただけではどういったゲームなのか判断がつかない。

 そうしたこちらの心中を理解してか、若いメイドさんから言葉が続けられた。

「もしよろしければ、ご説明とお相手を務めさせて頂けませんか?」

「よろしいのでしょうか?」

「その為に人数をそろえてまいりました」

「なるほど、そういうことであれば是非お願いします」

 一人増えたのはゲームの都合もあってのことらしい。なんて行き届いたルームサービスだろう。一人より二人、二人より三人。人数が多い方がゲームの幅が広がるというのは、アナログゲーム経験者としても納得のいくものだ。

 それに当面、こちらはルールを覚えながらのプレイとなる。

 二人用のゲームであっても、サポート役が一緒だと非常に心強い。

「失礼してもよろしいでしょうか?」

「ぜひお願いします」

 年配のメイドさんが自分の隣に座った。対面には当初から部屋付きとして顔を合わせている年若い彼女が腰を下ろす。個人的には逆だと嬉しかったのだけれど、こればかりは仕方があるまい。

『ピー! ピー! ピー!』

 なんだろう、急にピーちゃんが鳴き始めた。

 こちらを見て、何かを訴えかけるように鳴いている。

 もしかして混ざりたいのだろうか。

 そういうことなら彼女たちが部屋を去った後、二人で楽しむことにしよう。星の賢者様などという大層な名前で呼ばれている彼のことだ、きっとこの手のゲームも上手であるに違いあるまい。

「それでは私が一緒に遊んで、ご説明をさせて頂きます」

「どうぞよろしくお願いします」

 お年を召したメイドさんからお声掛けを頂戴した。

 そうこうしているうちに、もう一人のお若いメイドさんの手により、ゲームの盤面が用意される。この手の遊びには慣れているのか、ローテーブルの上にはあっという間に、板やら駒やらが並べられていった。

 ピーちゃんと止まり木はその脇に移動である。

「それでは始めさせて頂きます」

 若い方のメイドさんが挨拶と共に、手元の駒を動かし始める。

 二人で対戦する将棋のようなゲームらしい。

 隣に付いたお年を召したメイドさんが、逐一遊び方の解説をしてくれる。この場合はどういった規則があるのだとか、どのように動くと得をするのだとか、ビデオゲームのチュートリアルのようであった。

 そして、一通り説明が終えられたのなら、以降は繰り返しゲームを遊んだ。

「ところでお客様は、この国の方ではないとお聞きしましたが……」

「ええまあ、他所の大陸からやってまいりました」

「失礼ですが、そのお顔立ちも他所の大陸由来となるのでしょうか?」

「そうなります。やっぱり変でしょうか?」

「滅相もない、決してそのようなことはありません」

 ボードゲームを楽しんでいる最中、隣に付いたお年を召した方のメイドさんからは、色々と質問を受けた。こちらの姿が珍しいのだろう。肌は黄色いし、顔も皆さんと比べてへいたんだしと、造形が違うから気になるのだと思う。

「こちらの国を訪れてからは長いのでしょうか?」

「いいえ、まだ一年と経っておりません。こちらの大陸には船の難破が原因で流れ着きました。最初に訪れたのがミュラー子爵の治める町となります。おかげで身の回りには分からないことばかりです。こちらのゲームも初めて目にしました」

「そうなのですね。あ、そこは駒が動かせませんよ」

「おっと、これは失礼しました」

 それからしばらく、我々は異世界のアナログゲームを楽しんだ。

 高級感溢れるお城の客間で、メイドさんたちとあいない会話をしながら過ごす穏やかな時間は、なかなか悪くないものであった。遊戯の最中に頂いたお菓子やお茶も、とてもしかった。

 もしも同じようなことを現代日本で楽しもうとしたら、最低でも数万円は掛かるに違いない。女性の人件費だけで結構な額になりそうだ。そのようにして考えると、王城にお招きを受けただけの元を取った感じがする。

 やがて、メイドさんたちが撤収するのに合わせて、部屋には晩ご飯が運び込まれた。エイトリアムの町のセレブお宿や、フレンチさんのところで食べる料理にも増して、非常に豪華な献立であった。ピーちゃんにも専用のお肉たっぷりメニューが用意されていた。

 ミュラー子爵やアドニス王子がことづてして下さったのだろう。

 食事はおのずと楽しいものになった。

 しかし同日、彼らとは一度も顔を合わせることがないまま、時間は過ぎていった。これと言って話すこともないので、問題ないと言えば問題ないのだけれど、一方的に誘われて宿泊している身としては、なんとも手持ち無沙汰なものである。

 恐らく事後処理的な仕事で忙しいのだろう。

 そうして気付けば夜も更けて、そろそろ床に就こうかという頃おい。

「そういえば部屋でゲームを始めた時、ピーちゃん妙に鳴いてたよね」

『……そうだな』

「もしかして一緒にやりたかったとか?」

『いいや、今となっては気にしても仕方がないことだ』

「そうなの?」

『ああ、貴様が気にすることはない。それよりもそろそろ寝よう』

「ピーちゃんがそう言うのなら、こっちは別に構わないけれど……」

 なんとも歯切れの悪いお返事である。

 ただ、彼が気にするなというのであれば、素直に受け入れておこう。これでお城の事情については人一倍詳しいだろう星の賢者様である。わざわざ要らぬ情報を耳に入れて、不安を抱えることもない。


    *


 翌日、起床から間もない我々の下をミュラー子爵が訪れた。

 本日の予定はどうしようかと悩んでいたところ、丁度いいタイミングでの来訪である。しかし、訪れて早々に彼の口からもたらされたのは、我々からすると突拍子もないご提案の言葉であった。

「これから陛下に謁見する運びとなった。いきなりの相談となり申し訳ないのだが、ササキ殿にも一緒に来てもらえないだろうか? 少し窮屈な思いをするかも知れないが、そう長く時間が掛かることはない」

「え、私もご同席するのですか?」

「どうか頼めないだろうか?」

「あの、流石にそれはどうかと……」

 まさかの謁見イベント発生である。

 ちなみにこうしてお話をしている場所は、客間のリビングスペース。そこに設けられたソファーセットに腰を落ち着けて、お互いに言葉を交わしている。正面のローテーブルには、止まり木に止まったピーちゃんの姿もある。

 メイドさんはミュラー子爵と入れ違いで部屋の外に出て行った。

「アドニス王子の命を救ったことに対して、陛下からねぎらいの言葉をとの話になったのだ。一方的な話となり申し訳ないが、どうかこの通りだ。ほんの少しだけ貴殿の顔を貸してはもらえないだろうか?」

「しかし、私はどこの馬の骨とも知れない平民なのですが……」

『この場は頷いておいたほうがいい』

 予期せずピーちゃんから助言を受けた。

 彼がこういったポイントで他所様に流されるのは珍しい。

「え、ピーちゃん?」

『国王からの召集に背いたとあらば、後で何が起こるか分からん』

「なるほど……」

 どうやら最初から、我々に選択肢はなかったようだ。ミュラー子爵がこちらに対して、即座に頭を下げる形で話を運んで下さっているのも、ピーちゃんが言ったような背景が手伝ってのことだろう。そう考えると申し訳ないばかりだ。

「承知しました。是非ご一緒させて下さい」

「ご面倒をお掛けして申し訳ない」

「いえ、こちらこそ色々とお気遣いをありがとうございます」

 こうして本日一発目の予定は決まった。


    *


 子爵様の案内に従い辿り着いたのは、謁見の間に通じる小部屋である。なんでも部外者が謁見の間で王様とお会いするには、必ずこちらを通る必要があるのだとか。そこで危険物の持ち込みを行っていないかなど、身体からだの検査を受けるのが規則とのこと。

 ちなみに小部屋とは言っても十畳以上ある。

 部屋の造りや調度品も豪華なものだ。

 ミュラー子爵のお城の応接室よりもお金が掛かっていると思われる。

 そうした場所で騎士っぽい恰好をした人たちから、あれやこれやと身体をいじられることしばらく。無事にゴーサインを頂戴した。これはミュラー子爵も同様であって、自分と同じように検査を受けていた。

 また、ピーちゃんとはこの部屋で一時お別れである。使い魔の連れ込みは禁止なのだそうだ。居室から持ち込んだ止まり木を、室内に設けられたソファーセットのテーブルに配置して、そちらでの待機をお願いした。

 以前は宮中で活躍していたという背景もあってか、これといって彼から非難の声が上がることはなかった。こうした規則には多分に覚えがあるのだろう。むしろ謁見を直前に控えて、我々を心配げな表情で見つめていた。

 それからしばらくすると、案内役の役人がやって来た。

 謁見の準備が整ったので、先に進んで欲しいとのこと。

 その指示に促される形で、我々は謁見の間に臨む運びとなった。小部屋を後にして廊下を歩く。前後には剣とよろいで武装した騎士の人たちが続いている。ミュラー子爵は慣れた様子で歩いているが、何もかもが初見の異世界一年生としては気が気でない。

 子爵様のお城で経験した以上の物々しさである。

 そうしてだだっ広いお城の廊下を歩いていると、ふと壁に掛けられた肖像画が目に入った。黄金で縁取られた仰々しいデザインの額縁に入れられて、通路を通る者なら誰もが目にする位置に掛けられている。

 描かれているのは十歳前後ほどと思しきブロンドの少年だ。

 足元から頭頂部まで全身が収まるように描かれている。身につけているのはヘルツ王国の貴族を思わせる荘厳な衣服だ。マントを着用の上、杖を身体の正面に両手で突いて堂々と仁王立ちする姿は、キリリとした表情と相まって非常に力強く映る。

 ただ、どれだけいかつく力強いタッチで描かれていても、年齢がゆえの幼い顔立ちが、迫力につながる最後の一歩を遠ざけているように思われた。少し長めの頭髪を片側で三つ編みに結うというヘアスタイルも、これを助長している。いわゆる中性的な感じ。

「ミュラー子爵、こちらの絵画は……」

「そちらに描かれているのは、貴殿もよく知る人物だ」

「私が、ですか?」

 こちらの世界の知り合いなど片手で数えるほど。

 しかも貴族や王族となると、ミュラー子爵かアドニス王子くらい。

「星の賢者様だ」

「え……」

 直後、予期せぬ返答を与えられて驚いた。

 自然と歩みも止まる。

 飾られている場所柄も手伝い、てっきり王様の若い頃だとか、自慢のお子さんだとか、その手のご回答を想像していた。それがまさかのピーちゃん。もっと厳つい感じのオッサンを想像していたのだけれど、これでは完全にショタではないか。

「それにしては随分と、お若いように見受けられますが」

「おや、ササキ殿は聞いていないのか?」

「と言いますと?」

「こう見えて星の賢者様は、幾百年と生きておられるのだ」

「なんと、それはまた……」

「私が小さい頃から、あの方はずっとこのような姿をされていた。内に秘めた膨大な魔力が作用してだろう、普通の人間とは一線を画した寿命をお持ちなのだ。詳しいお歳は私も存じない。とても謎の多いお方なのだ」

「そういえば戦地でも、同じような話が話題に上がりましたね」

 森のなかで巨大なオークと出会った時に、ピーちゃんから講釈を受けた気がする。上位の個体がどうのこうのというお話だ。なんでも魔力を多く取り込んだ生き物は、同じ種であっても他の個体と比較して、ずば抜けた寿命や力を得るのだとか。

 そしてミュラー子爵は、こと星の賢者様の話題となると多弁だ。

「私が最初に星の賢者様を拝見したのは、今回と同じように他国との争いで出兵される姿であった。幾万という兵を率いて、更には自ら軍勢の先頭に立ち、圧倒的な魔法で敵国の兵を蹴散らす姿は、今も鮮明な光景として脳裏に焼き付いている」

「……なるほど」

「当時の自分は、その姿に憧れて魔法の鍛錬に打ち込んだものだった。しかし、私には残念ながら魔法の才能がなかった。魔力がなかった。そこで仕方なく剣を学び始めたのだ。こうして思い返してみると、なかなか格好の悪い話だな」

「…………」

 しかしなんだ。

 謁見の間に通じる通路に飾られているとか、王様からの強烈なラブを感じる。

 愛されているじゃないの、ピーちゃん。


    *


 星の賢者様の肖像画を後方に見送った我々は、すぐに謁見の間に辿り着いた。

 正面に設けられた観音開きのドアを越える。隣を歩むミュラー子爵に続いて、見よう見まねで部屋を進む。そして、部屋の中程まで移動したところで、床に膝を突いてこうべを垂れる。視線は足元に敷かれたじゆうたんを見つめる形だ。

 このあたりは子爵様のところで謁見した際と変わらない。

 ただし、舞台のスケールは段違いだ。部屋の壁沿いには我々を眺めるように、大勢の貴族が立ち並んでいる。あちらこちらからヒソヒソと言葉を交わす声が聞こえてくる。これがまたとんでもない数である。

 そうした人気の多さに始まり、部屋の広さや装飾から、警備に立っている騎士の装備に至るまで、何もかもが段違い。そのため同所を訪れて以降、緊張から胸が痛いほどにドキドキとしている。

 ストレスでおなかが痛くなりそうだ。

 そうこうしていると、真正面から人の声が聞こえてきた。

おもてを上げよ」

 どうやら王様が配置に付いたようだ。

 ミュラー子爵が動いた気配を受けて、自身も視線を前に向ける。身体は床に膝を突いた姿勢のまま、数メートル先の地点、周りより少し高くなった壇と、そこに設けられた玉座に注目する。部屋に入った直後には空であった二つ並びの立派な椅子だ。

 そこにいつの間にやら人の姿があった。

 しかもどうしたことか、二つ並んだうちの一つには見知った顔が。

 昨日、ボードゲームの相手をして下さったメイドさんだ。

「っ……」

 とつに声を上げそうになり、これを慌てて飲み込む。

 どうしてそんなところに座っているの。

 いいや、考えるまでもない。

 メイドさんではなく、おきさき様であったのだろう。

 一方で彼女の隣に座っている人物は初めて見る顔だ。こちらがヘルツ王国の王様なのだろう。年齢は五十代中頃ほどと思われる。彫りの深い厳つい顔立ちをしたイケメンだ。若い頃は大層モテたことだろう。

 お妃様とは二回り近く歳が離れているように思われる。一国のあるじともなれば、異性関係もりのようだ。めかけとか愛人とか、他にも沢山いるに違いない。同じ男として、羨ましくないと言えば嘘になる。

「ミュラー子爵よ、この度は私の息子を助けてくれたこと、心から感謝したい。なんでも戦地で騎士とはぐれて、孤立していたところを子爵に助けられたと聞く。更には幾重にも迫る敵兵をはらけ、無事に私の下まで送り届けてくれたそうではないか」

「滅相もございません。私は偶然から居合わせて、その帰還をほんの僅かばかり、お手伝いさせて頂いたに過ぎません。文武に秀でたアドニス殿下におかれましては、私の助力などなくとも、陛下の下に元気なお顔を見せられたことでしょう」

「そうかしこまることはない。詳しい話は本人から昨晩の内に聞いている。今回の戦がどれほど大変なものであったのか、私とて理解せずに貴殿らを戦場へ送り出した訳ではない。だからこそミュラー子爵の働きには、とても感謝しておるのだ」

「ははっ、ありがたきお言葉にございます」

 子爵様と陛下の間で会話が始まった。

 雰囲気的に前者のご褒美タイム的な流れを感じる。後者のお顔にニコニコと笑みが浮かんでいる点からも、お叱りの場ということはなさそうだ。王様は怖いお顔立ちの持ち主だから、笑顔に湛えられた喜びが殊更に強く感じられる。

「多くの貴族が我が身可愛さに敵前から逃亡したなか、後方支援という立場にありながら、その身をていしてアドニスを守り通したミュラー子爵の功績は大きい。そこで子爵には新たに伯爵の位と褒美を与えようと思う」

「この身に余る光栄に存じます」

「今後ともヘルツ王国の為に働いてくれることを期待している」

「我らが祖国のため、粉骨砕身の覚悟で臨みたいと思います」

 どうやらミュラー子爵がミュラー伯爵に昇進したようだ。

 王様の言葉を受けて、居合わせた貴族たちの間からわっと声が上がった。どうやらそれなりに凄いことらしい。こちらの世界の制度全般に疎い自分には、目の前で交わされたやり取りがどの程度のものなのか、まるで判断がつかない。

 課長が部長になるようなものだろうか。

 後でピーちゃんに確認してみよう。

「ところでミュラー伯爵よ、その方の話によれば、戦地で伯爵と共にアドニスを守り、その帰還に一役買った人物がいるというではないか。よければ私にその者について、詳しく話をして欲しい」

 おっと、二人の会話がこちらに流れそうな予感。

 予期せぬ話題のふりを受けて、全身が強張る。

 既に脇の下など、汗でれてぐっしょりだ。

「お言葉を頂戴しました通り、今回の働きは私一人のものではございません。こちらにいるササキという者の協力あってこそでございます。類いまれなる魔法の才覚の持ち主でありまして、戦地にて負傷した殿下のを治療したのも、こちらの者になります」

「それは大した働きではないか。回復魔法が使えるのか?」

 ミュラー子爵、いいや、本日からミュラー伯爵か。

 自身に代わってミュラー伯爵が、あれこれと王様に説明をして下さる。王族に対する礼儀などまるで理解していない身の上、とてもありがたい。正直、この場でまともにお話をできる気がしない。

「回復魔法のみならず、中級規模の攻撃魔法を無詠唱で放つほどの腕前の持ち主です。見ての通り異国の出ではありますが、私の見立てでは、王宮に仕える宮廷魔法使いと比較しても、何ら遜色ない実力の持ち主ではないかと考えております」

「伯爵ほどの男がそのように評するか」

「恐れながら評させて頂きます」

「そういうことであれば、その者にも褒美をやらねばなるまい」

 どうやら伯爵のみならず、自分もご褒美がもらえるようだ。

 何を頂戴できるのだろう。

 貰えるものは貰っておく主義なので、こういう機会は嬉しい。

「ササキと言ったか?」

「陛下に名を口にして頂ける誉れ、まこと光栄にございます」

「その方の働きについてはミュラー伯爵のみならず、アドニスからも聞いておる。腹部を魔法に撃たれて臓物も漏れ、歩くことすらままならなかったところを救われたと語っておった。ミュラー伯爵の証言とも一致しておる」

 下手に喋るとボロが出そうなので、黙ってお言葉を頂戴しよう。

 すると王様はあれやこれやと喋り始めた。

「中級魔法を無詠唱で放つという話も、決して誇張ではないのだろう。ならばその力、私はヘルツ王国のために役立てて欲しいと考えている。そこでその方には、我が国における騎士の位と、宮中に仕事を与えようと思う」

 王様が語った直後、謁見の間に居合わせた貴族たちから反応があった。

 ミュラー子爵の伯爵昇進とは比べ物にならないざわめきだ。どうしてあのような平民が、みたいな雰囲気の会話が、そこかしこで飛び交い始める。これまで空気みたいな扱いだった我が身に、貴族たちから数多あまたの視線が集まった。

 おかげで焦る。

 めっちゃ焦る。

 お貴族様の位をゲットするとは、こちらも想定外だ。そういうのは結構であると、事前にミュラー伯爵やアドニス殿下にもお伝えしていた。他の誰でもない、星の賢者様たってのお願いである。

 それとなく隣を確認すると、ミュラー伯爵も驚いた顔だ。

 え、マジで? と言わんばかり。

 どうやら我々の関与せぬところで、宮中パワーが働いたようである。


    *


 王様との謁見を終えた後は、ミュラー伯爵と共に控え室まで戻ってきた。

 そして同所で、彼からすぐさま謝罪を受けた。

「すまなかった、まさかこのような流れになるとは……」

 やはり彼にも想定外の出来事であったようだ。話題の先にご褒美が控えているだろうことこそ把握していても、それが騎士の位であるとは考えなかったようである。自身の異国情緒溢れる外見を思えば、伯爵様の判断は当然だろう。

 こちらも金貨で精算されるものだとばかり考えていた。

 過去に彼らから聞いた話だと、この国の貴族は非常に封建的なのだという。まさかどこの馬の骨とも知れない人間を同胞として迎え入れるとは思わない。顔貌が異なれば肌の色まで違うのだ。伯爵や殿下にも別の大陸から来たと説明している。

「ササキ殿、申し訳ないが少し話せないだろうか?」

「ええ、是非お願いします」

「助かる」

 部屋には他に王宮勤めと思しき騎士や役人の姿がある。その視線を意識しての提案だろう。今もミュラー伯爵が新米騎士に頭を下げてみせた姿を眺めて、ヒソヒソと言葉を交わす様子が窺える。

 自分も尋ねたいことが色々とあるので、伯爵からの提案はとてもありがたい。彼自身も新たに役柄を得て忙しい身の上、それでもこちらに付き合って下さる姿勢が、その人のさを感じさせる。


    *


 ピーちゃんとミュラー伯爵、二人と共に王宮の客間まで戻ってきた。

 室内にはメイドさんの姿も見られなかったので、これ幸いと出入り口に鍵を掛けての話し合い。謁見の間にこそ連れていけなかったピーちゃんだけれど、控え室での会話は聞いていたようで、彼からは早々に突っ込みが入った。

『またろくでもないことになったな』

 やれやれだと言わんばかりにつぶやいてみせるピーちゃん。

 そんな彼に対して、ミュラー伯爵はソファーから立ち上がり、これでもかと頭を下げている。目の前の文鳥が、自らの敬愛する星の賢者様だと理解して以来、伯爵様のピーちゃんに対する態度はへりくだる一方だ。

「申し訳ありません。それもこれも私の失態です。こういったことにならないよう、アドニス殿下には事前に重ね重ね話をしていたのですが、一体どこでよこやりがはいったのか。本当に申し訳ないことをしてしまいました」

『まあ、なってしまったものは仕方がない』

「まことに申し訳ありません」

『だがしかし、そうなると領地はどうなるのだ?』

「宮中に仕事をというお話でした」

『あぁ、そっちなのか』

 なにやら通じ合った雰囲気で、テンポ良く会話を進めていくピーちゃんとミュラー伯爵。こうなると門外漢の自分には状況がつかめない。申し訳ないけれど、もう少しだけくだいたご説明が欲しい。

「すみません、そのあたりを詳しく伺ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、そうでした。そこまで大した話でもないのですが……」

 ミュラー伯爵の話によると、貴族と一口に言っても色々とあるらしい。国内に領地を持っており、これを治めている貴族がいれば、宮中を筆頭とした公的機関に仕事を持っており、そこでの肩書を役柄としている貴族もいる。

 自身の場合は後者だそうな。

 それ以外にも年金を一方的にもらうだけの貴族やら何やら、色々と細かな立場が存在しているとのこと。ちなみに領地や仕事を持っている貴族については、次の世代に家を継がせることが可能だという。

 謁見の間で他の貴族たちが驚いたのは、きっとこの点に由来するのだろう。

 国内に新しく一つ、お家が出来上がってしまったのだ。

「なるほど、そのようになっているのですね」

『そうなると問題は、この者に与えられる仕事か……』

 仕事の如何いかんに因っては、食っちゃ寝生活からとお退いてしまう。

 それは我々にとって非常に大きな痛手だ。

「その点については、私もまだ何も話を受けておりませんでして、困惑しております。こういった話の場合、事前に根回しがされているのが一般的でありますから、陛下への謁見に臨む時点では、既に知らされていることがほとんどなのです」

「なるほど」

 とても納得のいく話である。誰にだって得意不得意や、それまで務めてきた仕事というものがある。その延長線上でこそ活躍するのが自然なことだ。だからこそ、自分のようなぽっと出の騎士は例外的なのだろう。

「ササキ殿、王宮を訪れてから、何か変わったことはありませんでしたか?」

「と、申しますと?」

「私もこれといって思い当たる節がない。そして、こうまでも慌ただしい事の運びは滅多にない。そこで可能性があるとしたら、我々の知るより遥か上から、勅命のようなものが存在しているのではないかと」

「…………」

「繰り返しとなりますが、アドニス殿下にはお二人の意向を重々伝えているのです。これを破ってまでどうこうするほど、殿下は恩知らずな方ではない。だからこそ他に何かしら、力が働く余地があったのではないかと考えたのです」

 ミュラー伯爵の言葉を耳にして、自ずと昨日の一件が思い浮かんだ。

 何故かメイド姿で、ボードゲームをプレイしに訪れたお妃様。

「一つだけ思い当たる節があります」

「差し支えなければ、確認させてもらっても構わないだろうか?」

「あまりにも突拍子もない話なのですが、昨晩、お妃様が私の部屋を訪れました。部屋付きのメイドに暇つぶしのボードゲームを頼んだのですが、その相手としてメイドの恰好をして、名前や肩書を伏せていらっしゃいました」

「な、なんとっ……」

 これには伯爵様も顔を強張らせた。

 今なら昨日、ピーちゃんがやたらと鳴いていた理由が分かる。彼は宮中で活動していた元役人だ。お妃様の顔もご存知だったのだろう。その姿を確認して、一生懸命に警笛を鳴らしてくれていたのだ。

 これに気付かずに、自身は普通にゲームに興じてしまっていた。

 異世界のゲームは元の世界のそれに負けず劣らず面白くて、思わず熱中してしまった。王宮に納められているだけあって、造りも立派なものであった。誰かとゲームをするというのも久しぶりだったので、それはもう楽しませて頂いた。

「私も本日、謁見の間を訪れて初めて気付きました」

「まさか、王妃様に何か粗相を……」

「いえいえ、滅相もない。普通にゲームを楽しんだだけです」

「…………」

「ですがこうして考えると、そもそも王妃様と共にゲームを楽しんだ、という時点で失礼以外の何物でもないように感じられます。それが理由で罪に問われるようなことがあるのなら、すぐにでも国を脱しようと思うのですが」

 こちらの説明を受けて、ミュラー伯爵は難しい顔で考え込み始めた。

 もしも自分が絶世のイケメンだったりしたのなら、その顔面にれ込んだ奥方が、みたいな昼ドラっぽい理由が思いつかないでもない。しかし、このどこからどう見ても不出来な中年オヤジ面では、そうした可能性も皆無である。

 当然、手を出してもいない。

 ここ最近は意識するのもおつくうだ。恋愛も疑似恋愛もコスパが悪い。仕事を頑張ったり、美味しいものを食べている方が、幸福度は遥かに高い。

 だがしかし、そうなると何が彼女の感性に引っかかったのか。

「いえ、それはお待ち頂きたい」

「承知しました」

「しかし、原因が分からないことには、動きようがないのもしかり」

 ミュラー伯爵と二人で頭を悩ませる。

 するとしばらくして、部屋のドアがノックされた。

 続けて聞こえてきたのは、ここ数日で聞き慣れた声だ。

「私だ。入ってもいいか?」

 今まさに話題に上がった人物のお子さん、アドニス王子である。


    *


 我々の下を訪れた殿下は、今回の一件について情報をお持ちだった。

 しかも、わざわざ説明の為に足を運んでくれたとのこと。

 客間のリビングスペースに殿下をお迎えして、ミュラー伯爵やピーちゃんと共に、我々は話し合いを継続である。彼の口から語られた内容に従えば、やはり昨日、ボードゲームを楽しんだひとときが影響していた。

「私の身元、ですか?」

「うむ、どうやらお母様は、ササキの素性を確認しに訪れていたようなのだ。本当に他所の大陸から訪れた、平たく言えば我が国のどの貴族にも関係していない、まっさらな人間、まっさらな魔法使い、そんな人物であるのかを」

『なるほど』

「ピーちゃん?」

 アドニス王子の言葉を受けて、ピーちゃんが小さく頷いた。

 まるでかんろくの感じられない仕草がとても愛らしい。

 肖像画を見た後だと、なんだかちょっと不思議な気分になる。けれど、それはそれ、これはこれ。自分にとっては可愛らしいペットの文鳥、そんな関係を継続していこうと思う。下手に意識しても、かえって彼に迷惑を掛けてしまいそうだし。

 今後とも仲良くしていけたら嬉しい。

『ミュラー家と同じだ。まあ、あれは嘘だったが』

「ミュラー伯爵のところと同じというのは……」

 ふと思いついたのは、家督の二文字。

 自然とアドニス王子に向き直り、口は動いていた。

「家督争い、ですか?」

「ああ、恐らくはそうだと思う」

 こちらの問い掛けに頷いて、殿下は粛々と答えた。

 その表情は一貫して申し訳なさそうなものだ。

「お母様は私の手勢として、そなたのことを囲い込みたかったのだと思う。ひんの重傷を完治可能な回復魔法を行使する上に、中級の攻撃魔法を無詠唱で扱うことができる。しかもどこの派閥にも属していない。そんな都合の良い魔法使いは限られている」

「そうだったのですね」

 ピーちゃんから学んだことが評価されたようだ。

 嬉しくないと言えば嘘になる。

 ただ、今回はそれがマイナス方向に働いてしまったようだ。

 ボードゲームの最中、あれこれと聞かれたのは事実である。どこから来たのだとか、なんとかという名前の貴族は知っているかだとか。当時は世間話の一環だとばかり考えていたのだけれど、今となっては納得である。

 あの場は殿下のママさんから、自身に対する面談の機会であった訳だ。

 そうなると凄いのは、居合わせた部屋付きのメイドさん。王妃様を前にしても態度を変えず、淡々とボードゲームの司会進行を務めていた。恐らく内心は大変なことになっていたに違いない。お若いのに大したものだ。

「私の母は現王である父の正妻には違いない。しかし、長男という訳ではないのだ。それ以前に一人、父との間に子をした女性がいる。そうして生まれた子は私が生まれるより以前、忌み子として扱われて、数年前まで秘匿されていた」

「それが第一王子なのですか?」

「ああそうだ。その子供が時を経て、まあ、細かい話は色々とあるのだが、才覚を現し始めたのだ。結果的に私という存在は第二王子という立場に至り、なかなか宮中では微妙な立場となってしまっていてな」

「まさか、今回の殿下の出兵は……」

 一国の王子様が敗北必至の戦線に参加だなどと、突拍子もない話だとは疑問に思っていた。本人の性格を理解した後となっては、そういうこともあるかも知れないと考え始めているけれど、それでもきっかけが何かしらあったのではないのかと。

「第一王子の派閥の声が大きかったのは事実だ。しかし、今回の出陣は私が自ら望んだことである。大勢の民がその生命を投げ打ってまで、国のために働こうというのだ。その先頭に王族が立たずして、なにが国家の中枢だろうか」

「なるほど」

 なにこのイケメン、心身ともにイケていらっしゃる。

 だからこそ彼を擁する周りの人たちは、苦労を強いられていることだろう。それでも本人の性根がぐであるから、こういうのが好きな人は、とことん好きになってしまうんじゃなかろうか、とも思う。

 個人的には少し距離を置いて付き合うくらいが丁度いいと感じるけれど。

「そうした訳で、すべては私の落ち度だ。我々の都合に巻き込んでしまったこと、申し訳なく思う。しかし、一度拝命した爵位はそう簡単に返還できない。そこで代わりと言っては何だが、私からササキと星の賢者殿に提案がある」

「なんでしょうか?」

「ササキに与えられる仕事については、私に一任されている。宮中で騎士団や関連組織に所属する責務、あるいは土地を治める義務については、お母様にじかだんぱんして免除を得た。騎士としての仕事も、私かミュラー伯爵を通じて与えることと取り決めた」

『つまり、事実上の近衛このえということか』

 ピーちゃんのお口から新しいキーワードが与えられた。

 なんかちょっとかついい響きである。

「ピーちゃん、近衛って何だい?」

『王族直属の騎士を近衛騎士という。通常の騎士と別枠で扱われる、より上位に位置する騎士だ。ただし、貴様は騎士であって近衛騎士ではないから、近衛騎士団に所属する責務はない。つまり、自由に動き回れる』

「なるほど」

 それは便利な立場である。

 騎士団とか、響きからして体育会系の集団生活を求められそうだし、絶対にお断りである。ペットをお迎えするに当たっても、かなり悩んだ経緯があった。結果的にピーちゃんとは二人で生活しているけれど、その比ではないだろう。

『それで間違いないだろうか? アドニスよ』

「うむ、流石は星の賢者殿だ」

 ピーちゃんからの問い掛けに、殿下は深々と頷いた。

 どうやら割と自由に過ごさせてもらえるようだ。

「そして、ササキにはきたる日に向けて、私の私財の運用をお願いしたいと考えている。ミュラー伯爵から話に聞いたのだが、ササキは優れた魔法使いであると同時に、やり手の商人であるとも言うではないか」

「殿下の私財の運用ですか……」

「ただし、これはお母様や周囲に対する建前だ。金の運用は行ってくれても、行ってくれなくても、どちらでも構わない。ただ、そうした役柄であれば、ササキはミュラー伯爵の下でこれまでどおり、変わらずに生活を続けることができるだろう」

「そういうことでしたか」

「この度の爵位の授与は、ササキという戦力を抱え込む為に、私のお母様が画策したものだ。もしくは兄の派閥から声を掛けられる前に、先んじて唾を付けた、というのが正しいのかもしれない」

 アドニス王子の母親の立場を思えば、分からないでもない判断だ。

 リバーシと同じで、白か黒かしか存在しない世界。どちらにも色付いていない存在には、声を掛ける他にない。一方に取られてしまえば、そのまま自らの不利に繋がる。そういう意味では、先立って彼の派閥に組み入れられたのは幸いであった。

 ミュラー伯爵の下で商売に励んでいれば、いずれは声が掛かったかもしれない。そのとき見ず知らずの第一王子の下で末端として扱われるより、気心の知れたアドニス王子の下で、それなりの立場として扱ってもらえることには大きな意味がある。

「そういう訳なので、ササキには今すぐに何かして欲しい訳ではないのだ。また、もしもお母様からちやな話が挙がったのなら、必ずや私が止めてみせる。だからどうか、今回の授爵については飲んでもらえないだろうか?」

 彼も彼で色々とこちらのことを気遣ってくれているようだ。

 本心から申し訳ないと感じているのだろう。

「もちろん私の私財に興味があるというのであれば、実際に手を出してくれてもいい。ここでいう私財とは、王宮の財産とは別に私の手元にある金だ。仮に失ったところで、誰がササキを責めることもない」

「承知しました。謹んでお受けしたく思います」

「面倒ばかり掛けてすまない。そして、ありがとう」

 当面、こちらの世界でのポジションが決定である。

 根無し草の風来坊からヘルツ王国の騎士として、殿下のマネーアドバイザー兼、有事の際のボディーガードに昇進だ。今後こちらの世界で道楽に励むというのであれば、金融周りについて学んでおくのも決して悪いことではない。

 アドニス王子のポケットマネーの運用を行うか否かはさておいて、仮に手を出すとしたらどういったやり方が考えられるのか、あれこれと考えてみることには価値があるだろう。思い起こせば自身もまた、それなりの額がお財布には収まっている。

「そういうことであれば、当面は私にササキ殿のお世話を任せて頂けたらと思います。ご本人が優れた商人であり、更には星の賢者様のご助力があれば不要かとも存じますが、それでも多少はお役に立てるのではないかと」

「ミュラー伯爵、すまないが是非とも頼みたい」

「はい、ありがとうございます」

 ということで、しばらくはミュラー伯爵の下で貴族のお勉強と相成った。


    *


 貴族の位を頂戴した同日は、宮内であれこれと手続きをして回った。

 ことに際してはミュラー伯爵が、付きっきりで面倒を見て下さった。おかげでこれといって苦労することもなく、必要な処理を終えられた。もしも一人で放たれていたら、即日で詰んでいただろう。

 王宮の廊下では、幾度となく他の貴族から難癖を付けられた。

 伯爵様が一緒でなかったら、きっと危なかった。

 ミュラー伯爵から守られている感、半端なかった。

 もしも若い娘さんだったら、コロッといっていたことだろう。

 そうして一通り手続きや説明を受け終わる頃には、高いところにあった日がいつの間にやら沈んでいた。ほぼ丸一日を宮中での手続きや、貴族としての立ち回りうんぬん的な講習で終えたことになる。

 その過程で耳に挟んだ話によれば、ピーちゃんも転生以前は伯爵の位にあったらしい。それも昇進から間もないミュラー伯爵とは異なり、かなり侯爵寄りの上位に位置する伯爵であったとのこと。

 本来なら侯爵となっていてしかるべきであった、とは彼のファンであるミュラー伯爵の言葉である。侯爵以上となると、その地位はヘルツ王国において絶大なもので、これをピーちゃんに与えることを拒んだ貴族一派により、昇進が遅れていたのだとか。

 謁見の間に通じる廊下に肖像画が飾られていたあたり、王族の星の賢者様に対する評価は確かなものだ。それで尚も昇進が遅れたということは、王族に対して貴族が強い力を持っているということだろう。

 そう考えると先日頂戴した騎士の爵位も、使いようによっては異世界での生活に貢献してくれるかも知れない。ピーちゃんはしょっぱい顔をしていたけれど、自分は前向きに考えていこうと思う。こういうときこそ、彼とは分担してくやっていきたいものだ。

 そんなこんなで同日は王宮の客間で一泊。

 翌日にはエイトリアムの町に戻る運びとなった。

 ただし、ミュラー伯爵は首都に居残りである。星の賢者様の魔法で消失したマーゲン帝国の軍勢について、近い内に現地から連絡が入ることになる。それに先んじて色々と、宮中で動いておきたいとの話であった。

 ピーちゃんの活躍については、上手くしておいて下さるとのこと。こちらからは伯爵の手柄にして下さって結構ですよとお伝えしておいた。その方が星の賢者様がどうのと話題に上がるより、余程安心できる。

 そうした経緯もあり、帰路は自分とピーちゃんの二人だけだ。

 瞬間移動の魔法のお世話になり、ホームタウンまで戻ってきた。

 ミュラー子爵改め、ミュラー伯爵が治めるエイトリアムの町である。

 ちなみに伯爵となったことで、彼は王宮内に新しく仕事ができたそうだ。仕事とは言ってもご褒美昇進なので、肩書と年金を与えられただけだろう、とは本人の談である。けれど、それもこれも次代に継ぐことができるのだから、なかなか大したものだと思う。

「少し離れていただけなのに、随分と久しぶりのような気がするよ」

『色々とあったからだろうな』

 帰宅先は普段から利用しているセレブお宿である。

 王宮の客間と比較すると見劣りするけれど、それでも自宅アパートと比べたら段違いに立派な一室だ。向こう半年分は既に宿泊費を支払い済みなので、ほとんど賃貸住宅的な感覚で利用している。

 そのリビングスペースで、ソファーに腰を落ち着けてくつろいでいる。

「ミュラー伯爵が町に戻ってくるまでは一休みしよう」

『そうするのがよかろう。今回は我も些か疲れた』

「あの魔族の人との喧嘩が原因かい?」

『そんなところだ』

 首都アレストでは今頃、ミュラー伯爵の昇進を祝うパーティーが開かれていることだろう。昨日には我々もお誘いを受けた。ただ、丁重にお断りさせて頂いた。自身の身の上を思えば、他所の貴族から絡まれて苦労するのが目に見えている。

 帰宅を急いだのは、そうした騒動から逃れる為でもあった。

 ほとぼりが冷めるまで、しばらくはエイトリアムの町に引きこもって過ごそうと考えている。再び首都へ足を運ぶにしても、それは戦争の騒動が収まってからだ。隣国の兵が大敗したことで、まず間違いなく宮中ではひともんちやくあるだろう。

 考えただけでも恐ろしい。

 ピーちゃんも絶対に近づくなと言っていた。

「あの紫の人、改めてピーちゃんを攻めてきたりしないかね?」

『十分に言って聞かせた。馬鹿ではないので大丈夫だろう』

「本当に?」

『それに貴様が一緒なら、今回のように苦労することもない』

「なるほど」

 こちらの身体を通じて魔法を行使する的な話を以前、彼から受けた覚えがある。肩に止まっていることが大切なのだそうな。そうすることによって、世界を渡る魔法を筆頭とした、より高度な魔法が使えるようになるそうだ。

「そのためにも早い内に空を飛ぶ魔法を覚えないと」

『たしかにアレがないと不便だな。今回の出来事を受けて我も思った』

「早速だけれど、明日から練習させてもらえないかな?」

『ああ、そうするとしよう』

 何はともあれマーゲン帝国との戦争騒動は、一件落着の兆しである。


    *


 翌日以降、生活習慣は以前のものに戻った。

 少し遅めの起床から、お宿のダイニングスペースで朝食兼昼食。然る後に町を出発して魔法の練習に励む。日が暮れ始めたら町に戻り、フレンチさんのところで晩御飯を頂く。夜は近所の酒場に飲みに行ったり、セレブお宿のリビングでピーちゃんと戯れたり。

 宮中で覚えたボードゲームがエイトリアムの町でも売られていたので、これで彼に挑んだところ、ボッコボコにされた。めっちゃ悔しかった。何回やっても一度も勝てなかった。少しくらい手を抜いてくれてもいいと思う。

 副店長さんの下も何度か訪れてみたが、いずれもお店を留守にしていて、お会いすることはできなかった。以前お伝えした戦況やアドニス王子の生死その他もろもろ、隣国との騒動に関する情報を巡って、忙しく仕事に精を出しているのだろう。

 首都のお店にいる店長さんに手紙を渡した旨だけ、従業員の人に伝言を頼んでおいた。

 そうした生活を続けること数日ほど、努力のもあって飛行魔法を身につけることができた。ピーちゃんが以前に語っていた通り、練習中には何度か墜落して死にそうになった。それでもけんさんを続けると、ある程度はまともに飛べるようになった。

 飛行魔法は初級に位置する魔法で、行使そのものは簡単だった。

 しかし一方で速度を出したり、上手いこと進路を取るには時間が必要だった。なので習得が即座に練習の終了とはならなかった。実用に足るレベルで空を飛び回るには、かなり時間が掛かってしまった。

 また、あまり燃費がいい魔法ではないらしく、一般的には術者が保有する魔力の都合から、延々と飛び回り続けることは困難らしい。頑張っても数分から数十分が関の山だと教えてもらった。普通なら練習をするのにも、相応の期間を要するらしい。

 ピーちゃんから頂戴した魔力がなければ、途中でくじけていたことだろう。

 自身の場合、練習で空を飛んでいて疲労を覚えることはなかった。小一時間くらいであれば、なんら不都合なく飛ぶことができた。師匠の言葉に従うなら、一晩中でも飛んでいられるのではないか、とのこと。

 他方、連日にわたって飛行魔法にかまけていたおかげで、他の魔法については習得が遅れている。当然、瞬間移動の魔法も未だに習得の兆しは見えてこない。やはり、上級魔法以上という区分については、並大抵の努力では使えないみたいだ。

 できれば雷撃魔法の他に、中級魔法以上で攻撃の手立てを増やしておきたかった。けれどこちらについては次回以降に持ち越しである。それでも飛行魔法を得たことで、逃げ足が改善されたのは大きな一歩だと思う。

 今回覚えた飛行魔法と、前回覚えた中級の障壁魔法を利用すれば、ハリケーンな異能力の人からも安全に逃げることができそうだ。最悪、星崎さんを抱えて現場を脱出することも可能だと思われる。

「さて、それじゃあ戻ろうか」

『うむ』

「次に戻ってくるのは、こっちだと一げつ後になるのかな?」

『それくらい経てば、マーゲン帝国との件も多少は落ち着いているだろう』

「そうだね」

 ピーちゃんにお願いして、久方ぶりに自宅アパートまで帰還である。


    *


【お隣さん視点】


 ここ数日、私は隣の部屋に住んでいるおじさんを見ていない。

 普段なら留守にしても一日二日である。夜は部屋に明かりがともる様子も見られず、電気やガス、水道のメーターにも、ほとんど変化が見られない。

 どうやら一度も自宅に戻っていないようだった。

 出会ってから本日に至るまでの数年間、おじさんが三日以上にわたって、家を留守にしたことはないと記憶している。どうやら彼は仕事人間のようで、年末年始も忙しくしていた。これを私は隣の部屋の玄関先から、毎日のように眺めていた。

 晴れの日も、雨の日も、雪の降る日も。

「…………」

 人気の感じられないおじさんの住まい。

 その飾り気のない玄関を眺めて、あれこれと考える。

 やはり、旅行に出かけたのだろうか。

 会社の研修という線もあり得る。

 もしくはご家族に不幸があったのかも。

「おじさんは以前、勤め先は小さい商社だと言ってましたね」

 そうなると研修の可能性は低いように感じる。また、年末年始やお盆の時期ならまだしも、秋も深まりつつある昨今、まとまった休みを取って旅行に出かけることも難しいのではなかろうか。中小企業は総じて、この手の待遇が悪いと聞いたことがある。

 そうなると私的なところで何か、問題が起こったと考えるのが無難だ。

「…………」

 ただ、おじさんには家を出る前日まで、これといって変化が見られなかった。良いことであれ悪いことであれ、家を長らく留守にするような出来事であれば、何かしら変化があって然るべきではないだろうか。

 旅行の可能性を排除するのは早計かもしれない。

 ところで、もしも旅行であった場合は、更に色々と考えることができる。

 まず思い浮かぶのは一人旅行。

 次いで友人知人と。

 他には新婚旅行とか。

 いいや、最後の可能性は非常に低い。

 おじさんは私と同じタイプの人間である。

 こういう安アパートで孤独に人知れず、静々と老いていくような。

 だからこそ親近感を覚える。

 そう、おじさんは私と同じ生き物なのだ。

「……旅行、ですか」

 思い起こせば私は、旅行というものをした経験が碌にない。

 学校の行事、卒業旅行や遠足なども休んでいる。そもそも今の住まいに引っ越してから、この町を出た覚えがない。毎日、学校と自宅を往復するばかり。それは小学校を卒業して、中学生になった今も変わらない。

 そんな私はきっと、おじさんと一緒。

 毎日会社と自宅を往復するばかりのおじさんと一緒なのだ。

 あぁ、なんてそっくりな二人なんだろう。

「…………」

 もしも私がもう少し成長して、大きくなったら。

 その上で旅行に誘ったのなら。

 おじさんはこれを受けてくれるだろうか。

 場所はその辺りの公園で構わない。

 自宅から徒歩で移動して、ベンチでゆっくりするくらいでも。

「…………」

 そして、旅行に出かけた日の晩、おじさんは私を自宅に誘う。

 私はこれを受け入れて、繰り返し抱かれることになるのだ。

 二人の時間は、どれくらいの期間に及ぶだろう。

 数ヶ月か、数年か。

 やがて、情欲を満たした私はおじさんを殺して、自身も死ぬ。

 何の価値もない世の中から解き放たれて、二人は自由になる。この先、醜く老いることもなく、今の理想的な関係のまま、綺麗に逝くのだ。おじさんの好意は好意のまま私の中に宿る。私は他に行き場のないおじさんの心身を受け入れる。

 色々と足りていない二人が、お互いに補完し合える理想的な関係。

「……そうですよね、おじさん」

 こんなことを考えるようになったのは、いつ頃からだろうか。

 考えれば考えるほどに現実味を帯びていくのを感じる。

 今では夢の中で彼の身体付きを想像することも度々。陰茎はどの程度の大きさだろうか。私の身体でも迎え入れることができるだろうか。段々と成熟し始めた自らの肉体を思い、最後の瞬間を想像する。

 だから、おじさん、早く私のところに帰ってきて下さい。


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