〈世界間貿易〉


 子爵様からのご相談については、持ち帰りとさせて頂いた。

 その旨を口にした時、すぐ隣にいた副店長さんは顔を真っ青にしていた。どうやらお貴族様からの依頼を即断しないことは、大変な失礼に当たるらしい。帰り際にそれとなくご指摘を受けた。

 笑みを浮かべて見送って下さったミュラー子爵は、きっと人格者なのだろう。

 そんなこんなで、町のセレブなお宿に戻った我々は作戦会議である。

 メンバーはピーちゃんと自分の二人きり。

 お部屋付きだというメイドさんには、取り立てて必要ないけれど、町中での買い物をお願いした。当分は戻ってこないだろう。そのためどっしりと構えて、我々は当面の課題について話し合うことができる。

「ピーちゃん、ぶっちゃけ戦争ってどうなんだろう」

『まあ、十中八九この国は負けるだろうな』

「そ、そうなんだ……」

 子爵様の言動から、なんとなく想像はしていた。けれど、こうして彼の口から聞くとショックも大きい。ピーちゃんが十中八九負けるというのなら、明日にでも町から逃げ出すのが正しい判断だと思う。

 ただ、その行為に抵抗がないと言えばうそになる。

 ハーマン商会の副店長であるマルクさんを筆頭として、短い間ではあったけれど、仲良くなった人たちの存在が理由だ。また、こちらの町にはピーちゃんのために設けた飲食店もある。それら全てを一方的に奪われるというのは、あまり気分がいいものではない。

『……貴様はどうしたい?』

「なんとかできるものなら、なんとかしたいよ。だけど、負け戦に参加しても良いことなんて一つもないじゃない? それなら負けた後のことを考えて、皆で幸せになれる方法を検討するほうが、より建設的だと思うんだけれど」

『たしかにこのままでは、どうにもならないだろうな』

「でしょ?」

『だが、我の魔法なら戦況を覆すことは可能だ』

「……そうなの?」

『我が名はピエルカルロ。異界の徒にして星の賢者』

「あ、それ前にも聞いたやつ」

 ピーちゃんと初めて話をしたとき、そのような自己紹介を受けた。可愛かわいらしい外見に似合わないいかつい感じが、個人的には気に入っている。今なら星の賢者という大仰なあおり文句にも納得できるよ。

『国同士の小競り合い程度であれば、これを収めることは大した手間ではない。壊すことのなんと容易なこと。一方で生み出すことのなんと手間の掛かること。ならばこそ貴様が生み出した町との関係は、決して失うべきではないだろう』

「なるほど」

『ただし、その為には貴様の協力が必要だ』

「そうなの?」

『このぜいじやくな肉体では、高等な魔法を繰り返し行使する負荷に耐えられない。世界を移る際と同様に、貴様の肉体を通じて魔法を行使する必要がある。早い話がこうして肩に止まっていなければならないのだ』

「そっか……」

 どうやって争いを収拾するのか、具体的な方法は定かではない。ただ、ピーちゃんができると言うのであれば、きっといことやってしまうのだろう。そうなると問題になってくるのは、自分や彼の社会的な立ち位置だ。

 まさか表立って活躍する訳にはいかない。

 ピーちゃんの掲げていた、周りは放っておいて自分の好き勝手に過ごす、というルートから外れてしまう。きっと周囲の人たちからはやされて、権力者からは大変なお仕事が降ってきて、食っちゃ寝とは程遠い生活が始まることだろう。

「なるべく目立たないで解決する方法を考えようか」

『うむ』

 個人的にもピーちゃんの主張は好ましい。こちらの世界が忙しくなると、日本での生活が破綻する可能性も出てくる。新しい勤め先の上司は何かと隙のない人物だから、なるべく余裕を持って日々を送りたい。

 っていうか、こちらの世界では常に休暇でありたい。

『それならばいやおうなしに、魔法に関する知識が必要となる。中級魔法の習得に追加して、上級以上の魔法に対する講釈を行おう。それを今後どのように運用するべきかは、我も貴様と共に決めたいと思う』

「ありがとう、とてもうれしいよ」

 ということで向こう数日、我々は町の外で魔法の講義と練習である。


    *


 結果的に今回の異世界ステイでは、新たに一つ中級魔法を覚えた。

 なんと回復魔法である。

 戦争に参加する可能性が出てきたことで、障壁魔法と回復魔法を優先して練習した次第である。結果として前者はいまだに習得できていないものの、後者に関しては最終日にギリギリで発動を確認できた。

 ひんの野ネズミに対して呪文を繰り返すこと幾百回。

 そのが治っていく様子は感動ものだった。

 初級の回復魔法ではちょっとした切り傷や擦り傷、簡単な骨折を治すのが精一杯であったのに対して、中級の回復魔法では、魔法に費やす魔力次第で四肢欠損や深刻な火傷やけど、複雑な骨折までをも完治させることができるという。

 中級の回復魔法が使えれば、どこへ行っても食いっぱぐれることはない、というのがピーちゃんの言葉である。死に体であった状況から一変、元気を取り戻したネズミの駆け足で逃げていく姿を眺めては、おつしやることももつともだと思った。

 併せて今回はピーちゃんから、大規模な魔法の存在について講義を受けた。なんでも山の形を変えるほどの代物が、いくつも存在しているらしい。流石さすがにそれはどうなのよということで、運用方法については二人の間で要検討という結論に落ち着いた。

 そして、魔法の練習を終えたのなら、現地のお宿で食事と睡眠を取ってからの帰還である。上司から呼び出しを受けている手前、あまり長居をすることはできない。自宅に戻り次第、駆け足での登庁と相成った。

 そうして訪れた先は、都心部のビルに収まった局内の会議室。

 六畳ほどの手狭な空間で、課長と顔を向かい合わせている。

「休みを告げて早々、いきなり呼び出して悪かった」

「いいえ、それは構いませんが」

「公務員の昇進というと、本来であれば試験だ何だと色々あるのだが、我々の部署は少しばかり特別となる。そもそも肩書などあってないようなものだ。そういった背景も手伝い、現場の状況次第でこうポンポンと変わる」

「お給料の方はどうなるんでしょうか?」

「その点は安心していい。ちゃんと見合った額が用意される」

「それはなによりです」

 ここ最近は出費が激しいので、次の給料日が待ち遠しい。

 採用初年度はボーナスってどういう扱いになるんだろう。

 前の職場では存在しなかったから、それはもう気になる。

「ただし、担当内で人が足りていないのは事実だ。入ったばかりで申し訳ないが、今後は即戦力として扱わせてもらう。昨晩にも伝えたとおり、君にはほしざき君と組んで、能力者の勧誘を行ってもらいたい」

「能力者の勧誘については承知しています」

「なにか問題が?」

「しかし、星崎さんと一緒というのは物々しいですね」

「能力者の勧誘と一口に言っても色々とある。警察への通報から挙がってきた情報を元に、野良の能力者に声を掛ける場合があれば、非正規の能力者として活動している者に対して、交渉を持ち掛けるようなこともある」

「なるほど」

「一人で頑張ってみるかね?」

「是非とも星崎さんと組ませて下さい」

 一人での能力者とけんなんて冗談じゃない。

 星崎さん愛してる。

「素晴らしい判断だ」

「ところでその場合、危険手当は出るんでしょうか?」

「原則として我々の外回りには、常に危険手当が発生する。能力者関係の仕事で安全な仕事は存在しないと考えたほうがいい。能力者というのは、何の訓練も受けていない素人が重火器を手にしているようなものだ」

「……たしかに課長の仰るとおりですね」

 ボウリング場での出来事を受けて、そのあたりは意識が改まった。

 だからこそ、わざわざ能力者を集めて公務員とした上で、同じ能力者の問題に対処させているのかも知れない。そうでなければ大々的に、警察や自衛隊を動かさなければならなくなる。情報の秘匿もなにもあったものではない。

「ただ、そうは言っても一昨日おとといのような件はまれだ」

「もしも日常だと言われたら困ります」

 ちなみに自身の新しい肩書についてだが、名刺の上では警部補、ということになるのだそうだ。年齢的に考えると、決して悪くない響きである。ちなみに課長は同じ尺度で考えると、警視長というやたらと偉そうな位置にくる。

「それと君には、星崎君の面倒をみてやって欲しい」

「彼女のですか? むしろ私が面倒をみてもらっているような気がしますが」

「彼女はああ見えて、いささか不安のある人格の持ち主だ。としも若い」

「……承知しました」

 実年齢を聞いた後だと、課長の言葉にもうなずける。

 ただ、できれば距離を取りたい相手だ。大人としての義務感、みたいなものが良心を刺激しないでもないけれど、何事も命あっての物種である。彼女は自ら望んで危険手当を稼ぎに行くようへいJKだから。

「小一時間ほどで、改めて内示に向けた連絡が行く。それまでフロアで待機だ」

「分かりました。それでは自席でお待ちしています」

 上司との面談はそんな感じで過ぎていった。

 しかしなんだ、出世という響きは意外と悪くないかも知れない。自身には何の変化もないのに、根拠のない自信が内側からにじみ出てくるのを感じた。世の中の社畜が上司にをする理由が、何となく分かったような気がする。

 現在の職場に関しては、出世すれば出世しただけ、身の回りの自由も増えそうだ。そうなると異世界にも行きやすくなる。ここは一つ公務員として、局内の出世レースに挑んでみるのも、悪くない判断かもしれない。

 扱い的には準キャリ以下だろうけれど、それでも少し期待してしまった。


    *


 無事に内示を受けて、警部補なる肩書の記載された名刺をゲットした。

 星崎さんも一緒に昇進していた。

 以降はこれといって予定もないので、そのまま退庁である。向こう数日はゆっくりと休んで身体からだやせと上司から言われた。局も今回の騒動の後始末で手一杯らしい。現場部隊はしばらく暇になるだろう、とのご連絡であった。

 そこで本日は、素直にご厚意に甘えることにした。

 帰り際に総合スーパーで仕入れを行うことも忘れない。ただし、あまり妙な買い物をしていては課長に目を付けられかねない。ミュラー子爵から請われているトランシーバーを数台と乾電池、あとは香辛料を少々に控えておいた。

 そして、自宅に戻ったのならピーちゃんと共に異世界へ移動だ。

 時刻は昼を少し過ぎた頃おい。家を空けていたのは三、四時間ほどとなる。時間経過の速い現地では、数日ほどが過ぎていることだろう。子爵様の語っていたマーゲン帝国との戦争も、そこまで大きく状況が変化していることはないと思う。

 日本での有給期間を仮に一週間とすると、異世界では百数日という月日に相当する。当面は時間を気にすることなく、あちらの世界で活動できる。少なくとも自分が勤めに出ている間に町が滅びていた、という状況は回避できるだろう。

「それじゃあピーちゃん、お願いするよ」

『うむ』

 必要なものを手にして、自宅アパートから異世界の宿屋に移る。

 住み慣れたフローリングの居室が、ゴツい石造りの部屋に取って代わる。窓から外の光景を確認してみるも、これといって騒動が起こっている様子は見られない。現時点において、マーゲン帝国の侵攻はエイトリアムの町まで及んではいないようだ。

 だが、決して楽観はできない。我々は副店長さんの下に急いだ。


    *


 商会に足を運ぶと、すぐにマルクさんの下に通された。

 なんでもミュラー子爵から彼に連絡が入っていたらしく、今からでもお城に向かいたいとの話であった。まず間違いなく隣国との戦争絡みだろうとは彼の談である。無視する訳にもいかないので、子爵様への献上品のみを携えて登城する運びとなった。

 そんなこんなで場所を移した先、我々はお城の応接室で顔を合わせている。

「……なるほど、兵糧と資材ですか」

「うむ」

 この度の戦争において、ミュラー子爵が本国から拝命したお仕事は、前線での基地の設営と、そこで行われる炊き出しの支度とのことであった。これが自身の領地の防衛とは別に、彼が国の貴族として果たさなければならない役割なのだという。

 こうした責務はミュラー子爵に限らず、同国の貴族一同に対して、領地の経済規模や地理的な条件などに応じた形で、それぞれ任されているのだという。もしも逆らったりした場合には、お家の取り潰しもありえるのだとか。

 ちなみに彼のお隣の領地の伯爵には、兵五万と馬千頭の動員が命じられているらしい。果たしてどちらの方が大きな負担なのか、異世界一年生の自分には見当がつかない。ただ、いずれとも大変そうだとは素直に思う。

「戦で必要とされる物資を一げつ以内に届けねばならない。現地まで馬車を使って二週間は掛かる。調達は既に始めているが、状況は芳しくない。移動期間を除いた二週間以内に、指定された品目をそろえることは絶望的だ」

「左様ですか」

「そちらのハーマン商会を筆頭に、領地内の商会や商人にも依頼を進めてはいるが、それらを含めても物資の調達は立ち行かない。食料の高騰も既に始まっており、このまま強引に作業を進めると、敗戦を待たずに町の経済が崩壊する」

「…………」

 こちらが考えていた以上に戦争って雰囲気だ。

 国家総力戦の気配を感じる。

「このようなことを異国の民である貴殿に頼むのは、筋違いだと理解している。だが、もしも何か手立てがあるようであれば、助言をもらえないだろうか? ちょっとした気付きでも構わない。どうかこのとおりだ」

 言葉と併せて、子爵様が深く頭を下げてみせた。

 一連の振る舞いを目の当たりにして、隣では副店長さんが目を見開き驚いている。どうやら貴族が平民に頭を下げるというのは、かなりレアケースのようだ。それくらい退きならない状況ということなのだろう。

「……助言ですか」

「うむ、何か良い案はないだろうか?」

 しかし、そう言われても困ってしまう。

 ピーちゃんの存在を公にすれば、幾らでもやりようはあると思われる。一方で彼の助力がなければ、こちらは一介の平民に過ぎない。少しばかり懐は暖かであるけれど、個人として行えることは高が知れている。

 なるべく目立たないで助力する、という彼との話し合いの結果を思えば、この場でピーちゃんの存在を前面に出しての会話は避けるべきだろう。ミュラー子爵とのやり取りについては、自分個人のできる範囲で行うべきだ。

 たまには飼い主として、ペットにかついいところを見せたいじゃないの。

「一点ご確認させて頂きたいことがあります」

「なんだ?」

「そもそも今回の戦争の原因は何なのでしょうか?」

「たしかに異国の民である貴殿には、その説明が必要であったな」

 ものは試しに尋ねてみると、子爵様は思ったよりも簡単に説明をして下さった。ただし、語る表情はこれまで以上に芳しくないものだ。その理由は彼の口から言葉が続けられるのに応じて、段々と明らかになっていった。

 つい百年ほど前まで、こちらの国は魔法技術に優れた大国であったそうだ。国土こそ大したものではないが、優秀な魔法使いを多く抱えた同国は、近隣の列強と呼ばれる各国とも対等に競い合っていたという。

 しかし、それも月日が過ぎると共に衰えていったのだそうな。

 原因は国が保有する魔法技術の衰退だという。王侯貴族や豪商といった富裕層による搾取。これに嫌気の差した優秀な魔法使いたちが、長い時間を掛けて段々と国を去ったことで、国力が落ちてしまったらしい。

「ササキ殿、貴殿は星の賢者様をごぞんか?」

「……いえ、存じません」

 ミュラー子爵のお口から、どこかで聞いたような単語が漏れた。

 ピーちゃんが自称していた肩書である。

「それでも国は辛うじて平穏を保っていた。星の賢者様という極めて優秀で偉大な魔法使いが、王宮内でその手腕を振るって下さっていたからだ。おかげで我々は穏やかに、日々を営むことができていた」

「…………」

 この場は大人しく黙って話を聞かせて頂こう。

 ピーちゃんにもこれといって反応は見られない。

 いつもどおり肩の上でジッとしている。

「しかし、それも数年前までのことだ。現王から絶大な支持を得る星の賢者様は、その存在を妬んだ一部の貴族の手によって、闇討ちされてしまったのだ。以降、この国は腐敗と衰退を繰り返し、刻一刻と崩壊に向かっている」

「なるほど……」

 ピーちゃん、想像した以上にすごい人物だった。

 こうなると殊更に、彼を頼ることに引け目を感じる。自分を闇討ちした人たちが治める国の為に手を貸すなど、気分のいいものではないだろう。こちらの子爵様に対しては、それなりに良い感情を抱いているようだけれど、他はどうだか分からない。

 そして、どうやったのかは定かでないけれど、闇討ちから逃げ延びたピーちゃんが、ペットショップで文鳥として過ごしている二ヶ月の間に、こちらの国は数年という月日を重ねて、落ちるところまで落ちてしまったのだろう。

 今や隣国から攻め込まれて、の危機に陥っている。

「星の賢者様にはお弟子さんなどいらっしゃらなかったのですか?」

「非常に多忙な方で、弟子を育てる余裕もなかったと言われている」

「そうでしたか……」

 こうなると仮に今回をしのいだとしても、繰り返しマーゲン帝国は襲ってきそうである。完全に獲物として見られてしまっているではないか、ヘルツ王国。み付いたら仕返しをされると、ちゃんと相手に意識させない限り、問題は解決しないと思われる。

「ところでどうして、星の賢者と呼ばれているのでしょうか?」

「夜空に浮かんだ星の数ほど、沢山の魔法を使えることから、いつからか誰かが呼び始めたのだ。事実、私は彼ほど多彩な魔法を使いこなす魔法使いを知らない。本人は他者からそう呼ばれることを恥ずかしがっていたようだが」

「なるほど」

 たしかにミュラー子爵の仰るとおり、ピーちゃんはめっちゃ沢山の魔法を知っていた。どんなに長い呪文も一字一句間違えずに覚えており、これを的確に教えてくれた。あと、恥ずかしがっていた割には、自ら二つ名を名乗っていたの可愛い。

 星の賢者様、それなりに気に入っているのではなかろうか、なんて思う。


    *


 場所は変わらずお城の応接室、話題も引き続き戦時への対策。

 子爵様から一通り事情をうかがった。

 その上で我々は、精一杯の助言を返させて頂く。

「このようなことを申し上げるのは失礼かと存じますが、今のお話を確認させて頂いた後ですと、この国を捨てる、というのが私には最も賢い判断だと思えてなりません。マーゲン帝国との交渉こそが唯一の活路に感じられます」

「ササキさんっ!」

 こちらの言葉を受けて、副店長さんから声が上がった。

 やはり非常に失礼な提案であったようだ。

「いいや、構わない。それは私も考えの一つとして持っていた」

「ですがっ……」

 副店長さんが落ち着きをなくし、周りの様子を気にし始めた。

 きっと第三者に聞かれたら大変な事柄なのだろう。

「しかしながら、不確かな交渉に領民の命を預ける訳にはいかない。私が前線に向かうまでの一ヶ月という期間で、マーゲン帝国との交渉をまとめ上げることは不可能だと判断した。本国から敵国に向かう他所の領地の兵が、我が領を通過する点も大きい」

「たしかにそれは非常に困難な行いとなりますね」

 そういえばそうだった。

 こちらの世界は現代社会と比較して、物事の進捗がゆっくりとしている。電話やインターネットが存在しない分だけ、情報の伝達が遅い。子爵様の言葉通り、関係各所と連絡を取り合うだけでも、一ヶ月くらいは容易に過ぎてしまうことだろう。

 光回線の代わりに、お馬さんが頑張っている世界なのだ。

「だが、今後はどうなるか分からない。故に今回は最低限、本国からの要求に応える形で延命を図ろうと考えていた。近い内に大敗の知らせが届けば、同じ結論に達する者たちも少なからず出てくることだろう」

「なるほど」

さいわい我が領には兵の動員が求められていない。代わりに金銭的な負担はかなり大きなものとなったが、民さえ生きていれば次の機会につなげることが可能だ。本当に必要なときにこそ、我々は武器を手にするべきだろう」

 ミュラー子爵も色々と考えていらっしゃるようだ。本国から受けた責務についても、恐らくは苦心して交渉、調整した結果ではなかろうか。こうなると下手な提案は自身の浅慮が目立つばかりだ。自分のような凡夫など比較にならない、とても優秀な方である。

 人の上に立つべくして立った人物って感じがする。

「子爵様のお考えは承知しました。意識を兵糧と資材に限定します」

「色々と頭を悩ませてくれたところ、一方的にすまないな」

「滅相もありません。こちらこそ差し出がましい発言をいたして恐れ入ります」

「それでどうだろう? 何か案はないだろうか」

「そうですね……」

 日本から持ち込むことは不可能だ。少なくとも数万という規模に及ぶだろう人員の食料だもの。クレカの上限を簡単に突破してしまう。また、課長に知られたら確実に追及されることだろう。

 そうなると同じ世界の他の町から運び込むことになる。

 可能か不可能かで言えば可能だ。

 これまでの商売でめた金貨を利用して商品を買い付け、ピーちゃんの瞬間移動の魔法のお世話になり運び込む。そうすれば子爵様が求めているものを期間内に現地までお送りできる。一ヶ月という期間でも十分な成果を挙げられる。

 ただし、その場合でもハードルは存在する。

 誰がどうやってそれを行ったことにするのか、という問題だ。

 ピーちゃんを表舞台に立たせない為に必要な工作である。

「そう言えば昔、空間を縦横無尽に行き来する魔法が存在すると、うわさに聞いた覚えがあります。なんでも離れた場所まで、あっと言う間に移動できるのだとか。数日を要する道のりも、一瞬にして移ってしまうそうです」

「それなら私も聞いたことがある。星の賢者様が得意とされていた魔法だ。しかし、彼以外にその魔法を使える魔法使いを私は知らない。かなり高等な魔法らしく、並の魔法使いでは習得できないらしい」

「……なるほど」

 子爵領から現地まで荷を運ぶだけであれば、一ヶ月という期間に対して、半分の二週間で済むという。もし仮に領地内の倉庫に、ふっと湧いて出たように必要な品々が納められたのなら、ミュラー子爵の願いはかなう。

 そのふっと湧いて出る瞬間を誰にも見られなければ、どうだろう。

 何度か言葉を交わした限りではあるが、こちらの子爵様はなかなかの人格者だ。口外を厳禁とすれば、自領の倉庫に勘定の合わない兵糧や資材が存在することに対しても、黙秘を貫いてくれるのではなかろうか。

 当然、我々の存在についても。

 自宅所轄の税務署よりは、余程融通が利くと思う。

「…………」

 チラリと肩に止まったピーちゃんに視線を向ける。

 すると彼は小さくコクリと頷いてみせた。

 星の賢者様からもゴーサインをゲットである。

「ミュラー子爵、もしも子爵の領地内の倉庫に、今回の責務について十分な量の食糧と資材が収まっていたとします。そうしたときに一ヶ月という期間で、これを現地まで運び込むことは可能でしょうか?」

「可能だ。荷を運ぶだけであれば、十分な猶予がある」

「では、その領地内の倉庫についてですが、何人たりとも出入りすることなく、荷を現地に向けて運び出すその時まで、人に知られず扱うことはできますか? 倉庫の中での出来事はらいえいごう、決して誰にも伝わることがないと、お約束して頂けますか?」

「まさか、貴殿はあの魔法を……」

「お約束が頂けないようであれば、私は町を離れなければなりません」

 ピーちゃんに代わり、自身が矢面に立つことにした。ミュラー子爵の話を聞く限り、星の賢者という肩書は、このような場所で表に出せるほど軽々しいものではなさそうである。それこそ存命を口にしただけで、隣国をひるませるくらいの影響力がありそうだ。

「お約束して頂けますか?」

「承知した」

 間髪をれず、ミュラー子爵は頷いて応じた。

 続けられたお言葉は今まで以上に厳かな口調でのこと。

「そのような倉庫を早々に用意させて頂く。口外もしないと約束する」

「ありがとうございます」

「いいや、感謝の言葉を述べるのはこちらのほうだ。ササキ殿」

 これで当面、やることが決まってしまったぞ。


    *


 子爵様は約束通り、お城の敷地内に立派な倉庫を用意して下さった。

 学校の体育館ほどの規模の建物だ。出入り口にはきゆうきよ職人の手が入り、二重構造に加工が行われた。更に唯一となるドアの外側には、子爵様の側近だという騎士が立ち、二十四時間体制で人の出入りを監視するという。謁見の間で後方に控えていた人たちだ。

 何人たりとも倉庫に出入りすることは叶わない。それは子爵様や我々であっても例外ではない。そのように騎士の方は命を受けているという。そのため安心して仕事に臨める。倉庫内に立ち入り可能なのは、瞬間移動の魔法を使えるピーちゃんと自分だけだ。

 手元には子爵様から頂戴した買い出し品のリストがある。こちらに記載された品々を倉庫の中に運び込めば仕事は完了となる。ちなみにそれぞれの卸価格は、戦時下であることを踏まえて、本来の市場価格より割増で買い取って下さるとのこと。

 数が非常に多い為、仕入額にもよるだろうが、べらぼうな儲けになりそうな予感がある。当然、失敗した時の子爵様の心証を思うと、リスクは小さくない。ただ、それでも成功した場合の金銭的なメリットは計り知れない。

 そこで早速、我々は仕入れに向かうことにした。

 訪れた先はルンゲ共和国という国のニューモニアという町。

 ヘルツ王国、マーゲン帝国に次いで三つ目の国名をゲットである。

 提案はピーちゃんからだ。聞いた話によると、なんでも過去に何度か商売に訪れたことがあるのだとか。旅路も彼の瞬間移動の魔法にお世話になったおかげで、これといって苦労もなく到着した。

にぎやかなところだね。子爵様のところより栄えて見えるよ」

『うむ、ここは商売が盛んな町なのだ』

 目の前に広がる町並みを眺めて、愛鳥と言葉を交わす。

 ヘルツ王国の町、ミュラー子爵が治めるエイトリアムと比較して、規模が段違いだ。人口密度や建物の大きさなど、圧倒的にこちらの方が勝って思える。あまり厳密なたとえではないけれど、地方都市の商店街と都内の有名な繁華街ほどの違いが窺えた。

 行き来する人々の身なりも、こちらの方が上等な気がする。また、頭に角が生えていたり、背中に羽が生えていたりする人たちの割合も、こちらの町の方が幾分か多い。上京して初めて、銀座や渋谷の街を歩いた時の記憶が思い起こされた。

 仕入れに臨むのに際して、気分が盛り上がるのを感じるぞ。

「ピーちゃん、とかあったりする?」

『そうだな……』

 物知りな文鳥の案内に従い、ニューモニアの町を進む。

 小一時間ほど歩いて訪れたのは、一際大きな建物だ。

 ハーマン商会さんの社屋がかすむほど、立派なお店である。総石造りの地上八階建て。日本橋にあるみつこしの本店あたりと比較しても、なおのこと荘厳な店構えである。想像した以上に立派な伝手を受けて、貧乏人はものじしてしまうよ。

「……ここ?」

『ここならある程度の量をまとめて、現物で仕入れることが可能だろう。数万という兵を食べさせる為の兵糧となると、仕入先も限られてくる。開戦の知らせを受けて、周辺各国で物価が上昇しているとあれば尚のことだ』

「やっぱりそうだよね」

『仕入れに利用する貨幣があの国のモノとなると、なるべくここで決めておきたい。一度に大量の貨幣を市場に流すと、色々と良くないことが起こる。それは貴様の国の金銭に関する仕組みと、恐らく似たような現象だ』

「分かったよ、ピーちゃん」

 彼がそういうのであれば、こちらのお店で頑張らせて頂こう。

 精々足元を見られないように、ぜんとして交渉に臨もうと思う。

 しかし、国をまたいで地理に覚えがあるとは、なんてグローバルな文鳥だろう。こうして博識な姿を立て続けに見せつけられると、転生以前の活動にも興味が湧いてくる。きっと後世で教科書に残るタイプの活躍をしていたことだろう。

 肖像画とか残っているのなら、是非とも拝んでみたい。

 優秀な方なら、一枚くらいは描かれているのではなかろうか。

「…………」

 いや、待て。それは軽率な願いだ。

 もしも彼の前世が濃い顔のオジサマとかだったらどうしよう。

 きっと今後のやり取りに一歩を引いてしまう。

 肩に感じる彼の重みにダンディーの気配とか、なんだかつらい。でも、だったらどういう姿であれば、素直に受け入れられるのだろうか。とかなんとか、自身のろくでもない見てくれを棚に上げて、あれこれと考えてしまう。

 迷走しそうなので、今は目の前の問題に集中するとしよう。

 ピーちゃんはピーちゃんだ。

 可愛らしいペットの文鳥であって、それ以上でもそれ以下でもない。

『……どうした?』

「ところでここは子爵様のところから、どれくらいの距離にあるのかな?」

『ヘルツ王国のエイトリアムからルンゲ共和国のニューモニアまでは、荷馬車でゆっくりと進んだのなら、順調に進捗して数週間といったところだ。早馬を乗り継いでも数日は掛かることだろう』

「けっこう遠いんだね」

『それでも貴様の国で普及している、飛行機とやらを利用すれば、僅か数時間の距離だ。一部の国では、知性に劣る小型のドラゴン亜種を家畜化して、馬の代わりに利用しようという試みも行われている』

「空を飛べると早そうだね」

『うむ、馬の比ではないだろう』

 やっぱりドラゴンも存在しているようだ。もしもペットとしてお迎えできるのなら、ゴールデンレトリバー並に興味ある。だって、絶対に格好いい。しかも背中に乗って飛べるとか夢が広がる。

「ちなみに何ていうお店なのかな?」

『ケプラー商会だ』

「なるほど、ケプラー商会さんね」

 大量の大金貨を収めた革袋を片手に、いざ正面玄関から突入である。


    *


 店内を歩いていた店の人に声を掛けると、上の方のフロアに通された。

 ちなみにこちらでも、肩の上に乗ったピーちゃんの存在は、使い魔との自己申告のみで、これといってとがめられることはなかった。どうやら国を跨いでも通用する常識のようである。一体どういった存在なのだろう。

「はじめまして、この店で食料品を預かるヨーゼフと申します」

「お目通りをいただきありがとうございます。ササキと申します」

 副店長さんが勤めるハーマン商会の応接室も立派であったけれど、こちらのケプラー商会さんの応接室はそれ以上のものだ。それどころかミュラー子爵のお城の応接室にも勝っているように思われる。

 ソファーの座り心地とか、もうヤバい。

 尻を落ち着けた途端、ズボッと沈んでガシッと腰を奪われた。

 ずっと座っていたくなる。

「なんでも大量の食糧を現物で仕入れたいとお伺いしましたが」

「ええ、その通りです。これだけお願いしたく考えております」

 出会いの挨拶も早々に、手元から必要物資の一覧をお渡しする。ミュラー子爵から要請を受けた品々について、改めて書き出したものだ。そこには買い付けの金額も併記されている。ちなみに制作はピーちゃんとの共同作業。

 彼の話によれば、こちらのケプラー商会さんは、日本における総合商社のようなものだという。それも各国に支店を持つ国際的な商社らしい。

 本拠地であるこちらの町、ルンゲ共和国のニューモニアには巨大な倉庫を有しており、世界各国から実に様々な商品が集まってくるのだとか。

 今回は多様な物資を大量に買い付ける必要がある為、こちらの店舗を選んだのだとピーちゃんは言っていた。

「随分と沢山お買い求めされようとしていますね」

「御社であれば在庫をお持ちかと考えて参りました」

「たしかに私どもであれば、ササキさんのお求めになっているものを提供することができると思います。しかし、これだけの商品を一度にとなると、他との兼ね合いが出てまいります。そう簡単に判断はできませんよ」

「金額的には十分な額を記載させて頂いていると思いますが」

「我々には古くからお付き合いのあるお客様が大勢いらっしゃいます。そういった方々に差し支えるようなお取り引きは、どれだけ対価を積まれましても、容易に判断を下せるものではありません」

「そうですか……」

「しかもこちらの買い付け、まるで戦でも始められるかのようではありませんか? そう言えばつい数日ほど前に、南の方の支店から食料品の値上がりが報告に上がっておりました。なんでも周辺国の関係が怪しいのだとか」

 おぉっと、後ろめたいことが早々にバレてしまったぞ。できることなら、秘密裏に調達したいなと考えていたのだけれど、やはりそれは難しそうだ。市場や業界のキーマンに対する影響は、確実に出てくることだろう。

 こうなると目の前の彼がどこまで事情を知っているのか気になる。けれど、こちらから尋ねても素直に教えてもらえるとは思えない。なのでこの場はグイグイとお話を進めさせて頂こう。こういった取り引きでは、勢いが大切だと思うんだ。

「おっしゃる通り、どこぞの国の衰退は目を見張るものがあります」

「…………」

 トランシーバーがありがたがられる時点で、魔法も含めて、高速な情報伝達の手段は普及していないと考えられる。ただし、ピーちゃんの言っていたドラゴン便が運行していたら、それでも数日ほどで伝わることだろう。

 子爵様は十日ほど前に隣国からの侵攻が確認されたと言っていた。

 ヘルツ王国とマーゲン帝国の開戦は伝わっているものと考えて、交渉に臨んだほうがよさそうだ。仮に伝わっていなかったとしても、一触即発の状況にあることは、彼らも既につかんでいることだろう。

「ヨーゼフさんのご指摘にたがわず、これは戦の為の仕入れとなります」

「それはまた遠方からよくいらして下さいました。ですがそうなると、こちらでお買い求め頂いたところで、積み荷を持ち帰るまで大変ではありませんか? その間に戦局が動いていたら大変な損失ですよ」

「いいえ、それはありません。必ずや役に立つことでしょう」

「それはまた力強いご判断ですね」

 語るヨーゼフさんの顔には、余裕と自信が満ちあふれている。

 その姿を眺めていると、以前の勤め先の上得意様であった、大手商社の担当者の顔が思い起こされる。常に堂々と胸を張っており、意気揚々と語る姿が印象的だった。彼には何度苦労させられたことか。

「運搬の為の手立ても既に用意しております」

「なんとまあ、手が早い。かなり以前から動かれていなければ、そこまでの支度は行えなかったことでしょう。そうなると今回の一件については、やはり本格的にやり合うことになるのでしょうか?」

「ええまあ、そういうことになりますね」

「……なるほど」

「そこでどうかケプラー商会さんに、ご協力を願いたく考えているのですが」

 まさか素直にヘルツ王国の名を出して、お買い求めできるとは思わない。ミュラー子爵からお聞きした同国の腐敗具合を鑑みるに、周辺国から総スカンをらっていても不思議ではない。ピーちゃんほどの人物を嫉妬から闇討ちするような国だ。

「失礼ですがササキ様は、この大陸の方とは違うように見受けられますが……」

「私のような者の方が動きやすい局面もまたございます。そして、商人の方々に対して誠実でありたいと願うのであれば、必要となるのは地位や名誉ではなく、ひとえに利益だと我々は考えております」

「私ども以外、どこか他所の商会にお声掛けを?」

「いいえ、是非ともケプラー商会さんにと考えておりまして」

「お支払いはどのように考えておられますか?」

「発注書の注釈にも記載の通り、ヘルツ大金貨をご用意しております」

「……左様ですか」

 こちらの返答を受けて、なにやら考え始めたヨーゼフさん。彼の脳内では今、どういった検討が行われているのだろうか。我々はソファーに掛けたまま、その姿を黙って眺める。そうしてドキドキと胸を高鳴らせて待つことしばらく。

 ややあって先方からお返事があった。

「承知しました。今回のお取り引き、受けさせて頂きます」

「ありがとうございます」

 無事に承諾を頂戴することができた。

 ホッとひと息である。

 断られた場合の流れを考えて、あれこれと悩んでいたけれど、それもふっと脳裏から消えてなくなる。ピーちゃんから紹介された手前、改めて他の商会さんにお声掛けするというのも、やっぱり抵抗があった。

「代わりにと言ってはなんですが、今後とも貴国とは格別のお付き合いを願いたく存じます。戦が終わってからも何かと入り用となりましょう。そういった際には、是非とも私どもにお声掛けを頂けたらと」

「それは願ってもないことです。ただ、今回の買い付けにつきましては、しばらく内密にして頂けませんでしょうか? 我々も決して小さくない投資を行っておりまして、このお話は商会内だけにとどめて頂けたらと」

「もちろん承知しております」

 ハーマン商会で副店長さんとお話をしていたときにも感じたけれど、商人さんとのやり取りはサクッと終わるから好きだ。貴族様との交流とは異なり、儀礼的なものがないし、挨拶に時間を掛けることもない。

 今回のお取り引きも淡々と過ぎていった。


    *


 一番の問題は買い付けた商品の引き取り作業だ。

 こちらについてはニューモニアの町の倉庫を一時的に借り受けた上、そこに運び込んでもらうことで対処した。買い付けた商品が全て揃った時点で、ミュラー子爵のお城にある倉庫まで、ピーちゃんの魔法によって運搬である。

 結果的に品々の運び出しは、数日ほどで完了した。

『あの男、最後まで我々をマーゲン帝国の使いと勘違いしていたな』

「そうみたいだね」

 スッカラカンになったルンゲ共和国はニューモニアの町の倉庫。

 その光景を眺めて、ピーちゃんと言葉を交わす。

『というか貴様、そのように狙ったのだろう?』

「いや、そこまで具体的に考えていた訳じゃないんだけど……」

 漁夫の利を狙う第三国としてでも受け取ってもらえたら、などと考えていた。むしろ先方が勝手に深読みしたがゆえである。現金で大量に持ち込んだ大金貨の存在も、しんぴようせいを与えるのに一役買ってくれたに違いあるまい。

『素直にヘルツ王国の名前を伝えていたら、こうまでも容易に話は運ばなかったことだろう。かの国の衰退はルンゲ共和国にあっても周知の事実。そのような国に投資をしたいと考える商人はおるまい』

「取り引きに利用したのが、ヘルツ王国の金貨だったから良かったのかな?」

『どうしてそう考えた?』

「ヘルツ王国に侵攻を決めたマーゲン帝国が、自国内に蓄えていた相手国の貨幣を開戦に先んじて処分しようとしていると考えたんじゃないかな。こっちの勝手な想像だけれど、そんな風にケプラー商会さんには映ったものだと」

 周辺各国の嫌われ者であるヘルツ王国の人間が、まさか自国の貨幣を片手に、第三国へ兵糧の買い付けに訪れるとは思うまい。物流に劣るこちらの世界の文化文明だからこそ、この手の扱いは顕著なものになると考えていた。

 そうした意図もあって、今回は両替もせずに臨んだ次第である。

 しかし、ピーちゃんからの返事は少し違っていた。

『危なかった。それは貴様の世界でいう銀行券や国債の価値観だ』

「え、それじゃあピーちゃん的にはどうなの?」

 ピーちゃんの口から銀行券や国債なる単語が漏れたことにドキッとする。

 インターネットを提供して数日、果たしてこちらの文鳥は、どれほどの知識を仕入れているのだろうか。背筋にゾクリと寒いものが走った。もしかして自分は、とんでもない相手にくみしてしまったのではなかろうかと。

『ヘルツ王国の金貨は純度が高い。他国の金貨と比べて単純に価値がある』

「それはまた、衰退が噂されている国にあるまじき話だね」

『我がそのように命じて作らせてきた。まさか数年では変わるまい。銀貨や銅貨ならいざしらず、金貨や大金貨であれば溶かして再利用することが可能だ。だからこそヘルツ王国は、今でも他国との取引を対等に続けられている』

「……なるほど」

 げに恐ろしきはピーちゃんだ。

 こんなところでまで助けられるとは思わなかった。どうりで今回の取引について、ヘルツ金貨のまま資金を持ち込むことに警告を受けなかった訳である。すべては肩に止まったスーパー文鳥の管理監督下にあったのだ。

 ちょっと悔しい。次はもっと頑張ろう。

『あとは買い付けた商品を自前で持ち帰る算段の有無も大きい』

「それは担当の人も感心してたね」

『この世界の物流は貴様の世界のそれと比較して未熟だ。ルンゲ共和国とヘルツ王国、ないしはマーゲン帝国との間には結構な距離がある。これを事前に用意してきたということは、決して無視できない投資として扱われる』

「おかげで事情がバレたときが怖いんだけれど」

『嘘はついていない。別に問題はないだろう』

「そういうものなの?」

『気にしたところで仕方ない。だまされる方が悪いのだ』

 なんて肝が据わった文鳥だろう。

 堂々とした語りっぷりは、小心者の自分からすると羨ましく映る。ただ、その結果として闇討ちされてしまったのだから、物事は少し控え気味くらいが良いのではなかろうか。度量に劣る自分は、今後とも謙虚に生きていこうと思う。

『もう少し猶予があれば、仕入先を分散させることもできたのだが』

「今回は期間的にカツカツだから仕方がないよ、ピーちゃん」

『うむ……』

「さて、それじゃあ子爵様のところに戻ろうか」

『そうだな。これで少しでも、あの者が楽をできればいいのだが』

 長居してケプラー商会さんに事実が露呈したら大変だ。

 このままルンゲ共和国からは脱出させて頂こう。


    *


 ピーちゃんの協力を得たことで、無事に食糧と資材の運び込みが完了した。

 作業が全て終えられたことを確認して、我々はミュラー子爵に秘密の倉庫を開放。数日間にわたり締め切りであった出入り口が、その正面を守っていた騎士たちの手により開かれた。当然、これに臨むのは子爵様ご本人と、作業を行った我々である。

「まさか本当に、数日で倉庫を満たして見せるとは……」

「いかがでしょうか?」

 子爵様は山と積まれた兵糧を目の当たりにして驚いていた。

 当事者としては、なかなか良い気分である。

 大半がピーちゃんの活躍なのだけれど。

「ササキ殿、このたびの働きに対しては、なんとお礼を言ったらいいのか分からない。これで我々は次へと機会を繋ぐことができる。この物資によって救われる命は、きっと数え切れないほど多くに及ぶことだろう」

「お役目を果たせたようで何よりです」

「本当に助かった。ありがとう、ササキ殿」

 ミュラー子爵が頭を下げて応じてみせた。

 その様子を目の当たりにして、居合わせた騎士の人たちが狼狽うろたえ始める。頭をお上げ下さいだとか、平民に対してそのような行いはいけませんだとか、口々に子爵様に対してご意見を上げている。

 ちなみにそうした彼らもまた、騎士爵という位の貴族なのだとか。

 こういったやり取りにも、だいぶ慣れてきた感がある。

 気になる収支については、圧倒的にプラスだ。黒字だ。おおもうけだ。ミュラー子爵がこちらに気を遣って下さったおかげで、随分と色を付けた上で買い取ってもらえた。もちろん現地の高騰した価格と比較しては低いが、それでも十分な卸値である。

 お財布には千枚近い大金貨が収まる運びとなった。

 金貨に換算すると約十万枚。

 仕入れに際して一度はゼロになったそれが、子爵様からの支払いで数倍に。

 連日お世話になっているセレブお宿が、一泊二日で金貨一枚。以前も似たような計算をした覚えがあるけれど、仮に一年が三百六十五日だとすると、向こう二百年以上は食っちゃ寝生活を続けることができる。

 つまり今後の人生で、金銭に困ることはなくなった。

 少なくともこちらの世界で生活をしている限りは。

「早速だが、我々は現地に向かって出発しようと思う。ササキ殿のおかげで、期間的にも余裕を持って荷を運ぶことができそうだ。馬も潰さずに済むだろう」

「承知しました。ミュラー子爵のご無事を祈っております」

「うむ」

 騎士さんたちを引き連れて、子爵様はどこともなく去っていく。

 これを見送ったことで、我々のミッションはコンプリート。

 当面は彼からの報告を待っての様子見ということになる。

 ちなみに商品の代金については、ミュラー子爵から現金の一括支払いで頂戴した。我々が食糧や資材の仕入れに奮闘している間、お城の宝物庫に蓄えていた金品や比較的高価な家財を売り払って工面したのだという。

 きっと最悪のケースを考えて行動して下さったのだろう。

 腐敗も著しいと評判のヘルツ王国の貴族様としては、類いまれなる人格者ではなかろうか。あまりにもいい人過ぎて、逆に申し訳ない気がしないでもない。調度品を減らして寂しくなったお屋敷を眺めて、そんなふうに思った。


    *


 子爵様と別れた我々は、その足でフレンチさんの下に向かった。

 しいご飯を食べる為だ。

 午後の営業に向けて準備中の看板が下げられた同店、これに構わず店内に入ってちゆうぼうに向かう。すると従業員の人たちが、見知らぬ誰かと言い合う様子が目に入った。その中には我々の目当てとする人物の姿も見受けられる。

「フレンチさん、これはどういった騒ぎですか?」

「あ、だ、旦那っ!」

 彼はこちらに気付くと、大きく声を上げてみせた。

 これに応じて居合わせた面々からも注目を受ける。

 数名からなるエプロン姿の方々は、自身も何となく見覚えがある。フレンチさんが雇ったお店のスタッフで間違いない。前に訪れた際にも、厨房でせわしなく動き回る姿を確認していたから。

 一方で彼らと向き合うようにたたずんでいるのは、町民然とした風貌の男性数名である。大半は覚えのない方だけれど、先頭に立ってフレンチさんに対している人物だけは、どこかで見たことがあるようなないような。

「こちらの方々は?」

「す、すみません! 自分の以前の勤め先の親方と料理人たちでしてっ……」

「あぁ、なるほど。あのお店の方々ですか」

 思い出した、フレンチさんと店先でめていた人だ。

 そのような人物がこちらのお店に何の用事だろう。

「お、お貴族様がこのような場所に何の用ですかね?」

 そうこうしていると、親方さんから声を掛けられた。こちらのスーツ姿を勘違いしての確認だろう。以前もフレンチさんを筆頭として、ハーマン商会の方々など、随所で似たような問い掛けを受けた覚えがある。

「私はこの店の出資者です。うちの店長に何かご用ですか? 本日も午後の営業を楽しみにしているお客様が大勢いらっしゃいます。もしも用事があるのであれば、私の方でお受けさせて頂けたらと。それと私は貴族ではありません」

「なるほど、店のオーナーさんですかい」

 相手が貴族ではないと分かると、親方の態度が幾分か悪化した。

 同時にニヤリと口元に笑みが浮かぶ。

「我々はこの男について、どうしても話しておきたいことがあるんですよ。せっかくの機会ですから、オーナーさんにも是非聞いておいてもらいたいですな。そうした方が世の為にもなりましょう」

「……どういったお話ですか?」

「この男はうちの店で、売上金を盗んだ前科がありましてね」

「…………」

 そういえば当時、フレンチさんとはそんな会話をした覚えがある。

 だがしかし、本人はえんざいだと語っていた。

 そして、ここ数ヶ月の働きっぷりを思えば、きっと冤罪は本当だと思う。お店の会計を預かっているのは、副店長さんが派遣して下さった商会の方々だ。もしも彼が悪いことをしていれば、一発で報告が上がるだろう。

 昔はどうだったか知らないけれど、自分と出会ってからのフレンチさんは、非常に真面目な方である。ハーマン商会の副店長、マルクさんからの覚えもいい。だからこそ、彼が冤罪だと語ったのであれば、我々はこれを信じるばかりである。

「その話でしたら、本人から聞いていますよ」

「……え?」

 素直に伝えると、親方さんはぎょっとした表情となり驚いた。

 どうやらこちらが事情を知らずに彼と組んだと考えたのだろう。

 居合わせたスタッフの間にも、これといって反応は見られない。恐らくフレンチさんの出自については、それとなく話が通っていると思われる。もしかしたら、こういった状況に備えて副店長さんが根回しをしておいてくれたのかも知れない。

「また、その件について彼は、冤罪を主張しております」

「いいや、そんなことはねぇんですよ。店の金はたしかに消えたんだ」

「それは貴方あなたのお店の問題であって、私のお店の問題ではありません。少なくともこのお店での彼の働きは素晴らしいものです。過去にどのような経緯があるのかは知りませんが、私にとっては大切な仲間です」

「だ、旦那ぁっ……」

 素直に意見を述べると、フレンチさんから涙声が上がった。

 なんとなく状況が掴めた気がする。

 恐らくは過去に店から追い出した人間が、他所で成功している姿を眺めて、いちゃもんを付けに来たのだろう。親方の他に幾名か、後ろに仲間の姿が見られることからも、そうした背景が感じられる。

「この店は盗人ぬすつとを雇っているっていうんですか?」

「いいえ、そんなことはありませんよ」

「だったら、どうしてこの男が……」

「雇っている訳ではありません。彼と私の関係は対等です。彼は私から融資を受けて、こちらの店を経営しています。店における立場としては、貴方と同じ経営者となります。私は店の立ち上げに出資したに過ぎませんから」

「っ……」

 数ヶ月前からは、お給料の支払いもセルフサービスでお願いしている。経営が傾かない程度であれば、ご自由にどうぞ、といった感じ。こちらとしてはピーちゃんがくつろいで美味しいご飯を食べられる場所があれば、それだけで十分である。

 後はフレンチさんと副店長さんの好きなようにしたらいい。我々は調理に必要な材料を、淡々と運び込ませて頂くばかりだ。

「他には何か?」

「いや、そ、そりゃいくら何でも……」

 こちらの発言を受けて、親方は急にしどろもどろに言葉を濁し始めた。

 本来であれば何かしら続く文句があったのだろう。

「彼に何か相談があって訪れたのですか?」

「…………」

「私でよければ話を聞かせてもらいますが」

「いや、そ、その……」

 気になって尋ねてみるも、押し黙ってしまう。

 こうなると当事者に確認する他にない。

「フレンチさん、すみませんが何かご存知ですか?」

「はい、それが実は……」

「お、おいっ!」

 フレンチさんが口を開こうとした途端、親方が声を上げた。

 これに構わず彼は言葉を続ける。

 親方に対して毅然とした態度で語ってみせる。

「旦那はこう言って下さっているけど、他所の店に食材を流すなんて、そんなことできるわけがないですよ。親方に育ててもらった恩義は感じているけど、旦那に対しても拾ってもらった恩義を感じているんだ。不義理なはできねぇ」

「っ……」

 それからしばらく、フレンチさんから詳しい話を聞いた。

 すると見えてきたのは、隣国との戦争騒動に端を発する食料価格の高騰。これを受けて親方のお店では、連日にわたって赤字続きなのだとか。それなら仕入れ値を価格に反映すればいいじゃないと思ったのだけれど、それを行ったところ客足がとお退いてしまったらしい。

 どうやら味と価格の釣り合いが崩れてしまったようだ。

 それじゃあ我々のお店はどうなのかと尋ねたところ、逆に大幅な黒字だという。なんでも副店長さんの提案から、より高価な食材、献立を扱うように、お店のメニューの大胆な変更を行ったのだという。

 これに伴い客層も変化を見せて、今までは町の小金持ちが利用していたところ、よりアッパー層が通うようになったらしい。お金持ちが相手であれば、幅を持って価格を釣り上げることができる。食料価格の高騰にも耐えられたそうだ。

 副店長さん、恐ろしい決断力である。

 自分だったらきっと、そんなこと怖くてできない。

 だからこそ平民ながら、現在のポジションに収まっているのだろう。

 既に付いていたお客さんについても、比較的安価なメニューのテイクアウトなどを利用して、サービスを継続しているという。過去に通っていたお店が上流階級にも認められたということで、既存顧客の反応はそれほど悪くないという。

 取り急ぎ店先にベンチを設けたところ、その席まで予約制になったとか何とか。

「なるほど、事情は承知しました」

 つまりこうしてやって来た親方的には、オマエの過去の悪行を許してやるから、こっちにも食材を安価に都合してくれ、みたいなお話である。丁稚でつちと親方、二人の過去の関係を思えば、彼らが足を運んだ思いも分からないではない。

 なにより相手は本当に、部下が店のお金を取ったと考えている。

 もしも親方の言うことを聞くことで、フレンチさんの立場が少しでも向上するのであれば、こちらとしては手前で仕入れた食材を融通することもやぶさかでない。店長が町の憲兵から追いかけ回されるような展開は絶対に避けたい。

「ですが、それは難しいと思いますよ」

「な、なんでだよっ!?」

「我々の店で扱っている食材は、どれも貴族や豪商の方々が口にするようなものです。高騰前の市場価格でお譲りしたとしても、かなりの額になってしまいます。大衆向けとなるそちらのお店で扱うことは、なかなか難しいのではないでしょうか?」

「なっ……」

 そもそも客層が違うのだから、こればかりは仕方がない。

 っていうか、それくらいは事前に調べて欲しかった。

「すみませんが、この辺りでお引き取り下さい」

「…………」

 そこまでを説明すると、親方たちはすごすごと店内から去っていった。

 なんだかちょっと、彼らが可哀かわいそうな気がしないでもない。


    *


 親方たちを見送った我々は、それから数日を異世界で過ごした。

 昼間は町の外に出てピーちゃんと一緒に魔法の練習。日が暮れたら町に戻り、フレンチさんのところで晩ご飯を頂く。そして、夜はセレブお宿でゆっくりとくつろぎ、広々としたお風呂にかり、ふかふかのベッドで就寝、といったあんばいだ。

 ぜいたくな生活環境も手伝い、心身ともに体調は万全。

 魔法の練習にも最高のコンディションで挑むことができた。

 そうした経緯もあって、今回も新たに中級魔法を覚えた。

 待望の障壁魔法である。それも中級。

 ピーちゃんいわく、これを覚えてようやく魔法使いとしては駆け出し、とのこと。一方で副店長さんからは、初級の回復魔法を覚えているだけでも、各所から引っ張りダコだと聞いていたので、人によって温度感が違うんだな、というのが素直な感想だ。

 個人的にはピーちゃんの言葉をベースに精進していきたいと思う。

 そして、魔法を覚えた翌日、我々は日本のアパートに戻ってきた。

 ちなみに今回の取り引きで大量に転がり込んできた大金貨は、量が量なので現地の銀行に預けている。万が一にも課長の目に触れたら大変だ。ハーマン商会の副店長であるマルクさんご紹介とのことで、丁重に取り扱ってもらうことができた。

「それじゃあ、ちょっと出掛けてくるね」

『うむ、気をつけて行くといい』

「ありがとう、ピーちゃん」

 日本に戻ってきた理由は、転職の手続きを行う為である。より具体的には、転職に際して必要な書類を以前の勤め先から発行してもらうべく、会社との話し合いに向かおう、といった流れだ。

 退職の意向については局の方々から連絡がいっているらしい。なので手続きに当たって先方からにらまれるようなことはないはず、と研修の時点で話を受けていた。もしも問題が発生したら、自分で解決しようとせず、すぐに連絡を入れて欲しいとも。

 移動はピーちゃんの魔法に頼ることなく、電車を乗り継いで向かうことにした。朝のラッシュから二時間ほど時間をズラしたので、混雑に巻き込まれることもなく、目的地まで到着することができた。

 総務担当に顔を出して事情を説明すると、既に話は通っていたようで、あれやこれやと書類を書かされた。また、本日中に発行が難しい書類については、後日郵送するので確認してくれと言われた。

 想像した以上にすんなりと処理が行われたのは、恐らくお国から何かしら圧力があった為だろう。本来であれば人事部長あたりから、いやの一つでも言われそうなものだけれど、部長はおろか課長さえ顔を見せなかった。

 一連の処理は滞りなく行われた。

 そうして最後に担当のフロア、自身のデスクに向かった。

 出迎えてくれたのは隣の席の同僚だ。

「先輩、公務員になるってマジだったんですね」

「なんというか、いきなりのことで申し訳ない……」

 つい数日前、独立のお誘いをくれた彼である。

 あの時はまさか、こちらの同僚より先に離職することになるとは思わなかった。向こう二十年は同社で過ごすものだとばかり考えていた。

 色々と感慨深いものがある。新卒で入ってから、なんだかんだで十数年勤めてきたのだ。

「ビックリしましたよ。っていうか、先輩くらいの年齢でも公務員ってなれるんですね? あ、いや、決して嫌味とかそういうのじゃなくて、まさか先輩がそっち方面に行くとは思ってなかったんで、本当に驚いてて」

「なんでも社会人採用的な枠があるみたいでさ」

「そんな忙しいときに、あんなこと誘ってしまってすみませんでした」

「いやいや、あれはあれで嬉しかったから」

 そういえば警察官の採用って、世間的には三十五歳くらいまでだった。あまりペラペラとしやべると困ったことになりそうなので、この場はさっさと切り抜けたほうが良さそうだ。大丈夫だとは思うけれど、ドジを踏んで転職先に迷惑を掛けることは避けたい。

 それでも上司には一言挨拶を、と思ったけれど本日は留守だった。

 どうやら外回りのようで、そのまま直帰の予定なんだとか。

 モツなべを囲んでワンワン談義を交わしたことが、妙に懐かしく思える。

 思い起こせば、その直後に星崎さんと出会ったのだ。

「身の回りが落ち着いたら教えて下さい。飲みに行きましょう」

「そうだね、その時は連絡させてもらうよ」

 去り際、こんな風に声を掛けてもらえるとは思わず、心が温かくなった。


    *


 以前の勤め先をった足で向かったのは、自宅近所の総合スーパー。

 そこで本日分の仕入れを行った。

 仕入れたのは主に香辛料と砂糖だ。これならそれなりの量を買い込んだとしても、転職後の暇になった時間を趣味のカレー作りやケーキ作りに向けることにした、みたいな言い訳でギリギリなんとかならない気がしないでもない。

 いいや、やっぱり無理かも。

 どうやろう。

 わからない。

 ただ、少なくともチョコを何十キロと買い入れるよりはマシだと考えた。

 後はトランシーバーの戦時利用を考慮して、アルカリ乾電池を幾つか購入した。本当ならニッケル水素電池や太陽光発電用のパネルを用意したいところだけれど、自身の手から離れた場合を考えると、使い捨ての方が都合がよろしい。

 大規模な仕入れについては、近い内に海外遠征を考えている。

 そんなこんなでスーパーを後にして帰路を急ぐ。

 しばらく歩むと、コンビニエンスストアが見えてくる。これに面した細い路地の一角で、ゴソゴソと動く人影があった。そこは以前、幼いホームレスと出会った場所だ。ピンク色のツインテールとフリフリの衣服が印象的であったことを覚えている。

「…………」

 まさかとは思いつつも、自然と意識が向かう。

 するとどうしたことか。

 そこでは過去と同様に、コンビニエンスストアの廃棄物をあさる少女の姿があった。何度確認しても小学生ほどの子供である。それがゴミの納められた店舗用のケージに頭を突っ込んで、ゴソゴソと残飯を漁っている。

 アニメから飛び出して来たかのような衣装も変わりない。

 ピンク色のツインテールもしかり。

「…………」

 フリフリのスカートに付いた茶色いシミが、数日前に出会った時と変わらず、そこに残っていた。前にも感じた年季の入りっぷりが、二度目の遭遇から確定である。彼女はプロのホームレスだ。

「……なに?」

 思わず眺めていると、先方から反応があった。

 どうやらこちらに気付いていたようだ。

 距離にして数メートルほど。

「たしか、前にも会ったよね?」

「そうだね、お巡りさん」

「…………」

 反応が妙に淡々としている。

 このくらいの年頃の浮浪児だと、他者から声を掛けられたのなら、目をらしたり顔をうつむかせたりするのが一般的な反応だと思う。だと言うのに、こちらの彼女の堂々とした振る舞いは何だろう。

 あと、オジサンでなくお巡りさんって呼んでくれたの嬉しい。

「お父さんやお母さんは一緒じゃないのかな?」

 路上に突っ立っているのも不自然だ。他に通行人の視線がないことを確認の上、ゆっくりと少女の下に歩み寄る。相手はこれといって身構えることもなく、廃棄用のケージに両手を突っ込んだまま、こちらを迎えてくれた。

「二人とも死んじゃった」

「…………」

 聞いた自分も自分だけれど、いきなりヘビーな回答を頂戴してしまった。

 当然だと言わんばかりの表情が胸に痛い。

 あかにまみれた顔やつちぼこりに汚れた髪の毛が、彼女の言葉に信憑性を与える。ジッとこちらを見つめるお顔は相変わらずの無表情。クリクリとした大きな瞳の愛らしい整った顔立ちも、長らく続いた放浪生活を受けてか、見るも無残な汚れっぷりだ。

 れいにすれば、かなり可愛らしくなると思う。

「もしもよければ、君みたいな子が集まって生活している施設を紹介したいんだけれど、お巡りさんに付いて来てもらえないかな? そうすればご飯に困ることもなくなるし、友達を作ることもできるんだ」

 以前、彼女は空に浮かんでいた。

 恐らく野良の能力者なのだろう。課長に掛け合って局に入れることができれば、普通の孤児よりも、かなり融通の利いた生活を送れるだろう。能力者不足が叫ばれている昨今、悪い大人は目の前の娘さんを勧誘することに決めた。

 というか、このままだと彼女の生命が危うい。

 まさか現在の生活スタイルで、冬を越せるとは思えない。大人でも毎年何人かは死んでいるのだ。

「私に普通の生活は無理」

「どうして無理だと思うのかな?」

「だって私は、魔法少女だから」

 これまた妙な返事が戻ってきた。

 たしかに彼女が着用している衣服は魔法少女っぽい。フリルが沢山ついた可愛らしいドレス姿だ。髪の毛の色も日本人には有り得ないピンク色である。魔法少女だと言われれば、たしかにと頷いてしまう。

 恐らく異能力に関する知識がないのだろう。

 結果的に行き着いた先が、魔法少女なるキーワードと思われる。

「魔法少女だと、普通に生活できないの?」

「うん」

「それじゃあ魔法少女を辞めたらどうかな?」

「魔法少女は辞められない」

「どうして辞められないの?」

「そういう仕組みになっているから」

「誰がそういう仕組みを作ったのか、教えてもらってもいいかな?」

「……それはできない」

「君はその仕組みがどういったものか知っているの?」

「少しだけ」

「誰から教えてもらったのかな?」

「…………」

 あれこれ問い掛けてみると、彼女は困った顔になった。

 どうしよう。

 見ていて不安な気持ちになる。

 そこで、ふと思い出した。

「色々と一方的に聞いちゃってごめんね」

「ううん、別に」

 手に下げたビニール袋、そこにはピーちゃんへのお土産に購入した品が収まっている。駅前のお店で売っていたケーキだ。あちらの世界にもケーキはあるけれど、バリエーションはこちらの世界の方がはるかに豊富である。

 しかもこれはかなり人気店のものだ。

 なんとかというウェブメディアで取り上げられて以来、いつもお客さんが列をしている。それが今日は珍しくも人が並んでいなかったので、このチャンスを逃すまいと買い込んだ次第である。

 これをビニール袋ごと、自称魔法少女のホームレスに差し出した。

「ケーキ、食べる?」

「……どうしてくれるの?」

「このケーキを食べたら、お巡りさんと一緒に交番へ行こう」

「公園のハトに餌を上げるような感じ?」

「…………」

 なんてひどい会話だろう。

 ただ、彼女からの問い掛けは非常に鋭くて、きっと多分そんな感じである。いや、ハトよりはもう少し上等で、親密な関係の生き物に餌を上げる気分で接している。それはたとえばピーちゃんやお隣さんにご飯をあげるような感じ。

「からかってごめんね、お巡りさん」

「いや、それよりも君の身の上なんだけど……」

「ケーキは欲しいけど、交番には行けない」

「どうしてなのかな?」

「魔法少女に関わると、みんな不幸になる」

「……不幸?」

 少女が廃棄用のケージからお巡りさんに向き直った。

 差し出された両手がビニール袋に入った紙箱を受け取る。

 一連の身じろぎに応じて、ぷぅんと鼻先にとんでもない悪臭が漂った。

 めっちゃ臭い。

 これでもかと臭う。

 正直、オエッとなる。

 見た目は可愛らしくても、香りは歴戦のホームレスである。都内を歩いていると、たまにすれ違う人たち。夏場などは非常に強烈。それと同じ臭いが、鼻から喉に抜けていく感覚を受けて、とつに吐きそうになる。

 けれど、ここで顔をしかめては信頼関係もへったくれもない。

 これに負けじと平然を装う。

 そんな一生懸命なオジサンに、彼女はボソリとつぶやいた。

「ありがとう。ケーキ、好きなの」

「あ……」

 間髪を容れずに、女の子の身体が空中に浮かび上がった。

 以前にも見た光景だ。

 ジジジという音を立てて、彼女のかたわらで背後の風景がゆがんだ。まるでブラックホールでも現れたかのように、真っ黒い空間が彼女のすぐ隣に生まれていた。世界が裂けてしまったかのようである。

 これに少女は自らの身体を差し入れる。

 すると黒い空間に飲まれるようにして、肉体が消えていく。

 相変わらず見ていて危機感を煽られる光景だ。

「じゃあね、お巡りさん」

 そして、短い別れの言葉と共に、女の子の姿は見えなくなった。

 真っ暗な空間に飲まれて、どこともなく消えてしまった。

「…………」

 また逃げられてしまったぞ。

 しかし、今のはどういった能力なのだろう。はたには空を飛ぶ力と、ブラックホールのようなモノを呼び出す力、二つの力を同時に利用しているように見えた。ただ、それだと能力者の定義から外れてしまう。

 能力者は単一の能力しか利用することができないそうである。

 課長や星崎さんに確認したら、何か分かるだろうか。

 次に局へ顔を出した機会にでも、それとなく確認してみよう。


    *


 ホームレスの女の子と別れた後は、ぐにアパートまで戻った。

 彼女と出会ったコンビニエンスストアから自宅までは、徒歩で数分の距離だ。以前の勤め先を出てから、まだ空が明るいうちに歩む近所の風景に、何とも言えない新鮮味を覚えながらの帰宅である。

 すると自宅のお隣の玄関先に、見知った顔を見つけた。

「こんにちは、おじさん」

「どうも、こんにちは」

 セーラー服姿の彼女は普段と変わらず、玄関ドアの正面に体育座り。

 首から上をこちらに向けて、淡々と挨拶をしてみせた。

 どうやらママさんは帰宅していないようだ。

 というより、本日はまだ日も暮れていない。彼女も学校から帰って間もないように思われる。既におぼろげとなった自身の学生生活を思い起こせば、この時間帯に帰宅しているということは、中学校では部活動に参加していないのだろう。

 部費だ何だと入り用も多いし、仕方がないことなのかもだけれど。

「今日は早いですね」

「仕事が早く終わったからね」

「お仕事、お疲れさまです」

「あぁ、ありがとう」

 もしも結婚して子供がいたら、こんな風に帰宅とともに耳にする挨拶が、自らの日常になっていたのかもしれない。ふとそんな下らないことを考えた。ただ、四十路よそじも目前に迫った昨今、既にその気概も失われて久しい。

 それに最近はピーちゃんがいるから、自宅で寂しさを覚えることもない。

「……あの」

「なに?」

 玄関の鍵を鍵穴に差し込んだところで、改めて声が掛かった。

 振り返ると傍らには、立ち上がった彼女の姿がある。

「もしよければ、肩揉みとかさせてもらえませんか?」

「肩揉み?」

「いつも色々と頂戴していますから、そのお礼をしたいんです」

 似たような提案は、過去にも何度か受けた覚えがある。

 外回りで足が疲れたよ、などと話題に上がった際には、足のマッサージをしましょうか、とのご提案を頂戴した。デスクワークが続いて腰を痛めた際には、家事の代行を申し出られたこともあった。

 いずれにせよ、まさか頷く訳にはいかない。

 ただ家が隣同士というだけで、未成年と身体を触れ合わせるような真似をすれば、こちらの社会生命はあっと言う間に失われてしまうことだろう。自宅に上げようものなら、監禁罪で逮捕も待ったなしである。

 だからこの手の話題はお断り。

「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」

「駄目ですか?」

「っていうか、ここ最近は身体の調子がいいんだよね」

「……そうですか」

 ピーちゃんから教えてもらった回復魔法、あれが影響しているのかもしれない。棚に足の指をぶつけたり、ふと疲れを感じた際などに、それとなく利用している。これがなかなか、筋肉痛にも効果があったりして、非常に便利な代物だ。

 そうした日常的な行使が、同時に他の部分も癒やしているのだろう。

「あぁ、そうだ。もしよければこれ、受け取ってもらえないかな?」

 代わりにこちらからは、仕入れと併せて購入した食品を差し出す。

 そうざいパンや菓子パンが幾つか詰まったビニール袋だ。

「え、こんなに……」

「このメーカーのパンって今の時期、懸賞の応募シールが付いてるんだけど、これがどうしても欲しくて、勢いから沢山買い込んじゃったんだよね。差し支えなければ食べるのを手伝ってもらえると嬉しいんだけれど」

 中学生といえば成長期もただなか

 今まで以上に高カロリーな食事が求められるのではなかろうか。思春期の女の子は他人の目を気にして、おなかが空いていても学校給食を残したりする子がいるという。お隣さんがどうだかは知らないが、備えておくことには意味があると思った。

「……ありがとうございます」

「それじゃあ、僕はこれで失礼するね」

 まるで育成ゲームでもプレイしているような感覚に罪悪感を覚える。

 世の親たちは一体どういった心持ちで子を育てているのだろうか。

 まるで分からない。

 その妙な感慨から逃げるように、独身男は自宅へ急いで入った。



関連書籍

  • 佐々木とピーちゃん 異世界でスローライフを楽しもうとしたら、現代で異能バトルに巻き込まれた件~魔法少女がアップを始めたようです~

    佐々木とピーちゃん 異世界でスローライフを楽しもうとしたら、現代で異能バトルに巻き込まれた件~魔法少女がアップを始めたようです~

    ぶんころり/カントク

    BookWalkerで購入する
  • 佐々木とピーちゃん 異世界の魔法で現代の異能バトルを無双していたら、魔法少女に喧嘩を売られました~まさかデスゲームにも参戦するのですか?~ 2

    佐々木とピーちゃん 異世界の魔法で現代の異能バトルを無双していたら、魔法少女に喧嘩を売られました~まさかデスゲームにも参戦するのですか?~ 2

    ぶんころり/カントク

    BookWalkerで購入する
  • 佐々木とピーちゃん 3 異世界ファンタジーなら異能バトルも魔法少女もデスゲームも敵ではありません~と考えていたら、雲行きが怪しくなってきました~

    佐々木とピーちゃん 3 異世界ファンタジーなら異能バトルも魔法少女もデスゲームも敵ではありません~と考えていたら、雲行きが怪しくなってきました~

    ぶんころり/カントク

    BookWalkerで購入する
Close