〈異能力との遭遇〉


 数日にわたる異世界休暇が終わったのなら、次は社畜のお時間である。

 本日は課長のお供で取引先巡りをする運びとなった。秋も深まり大分涼しくなってきたとは言え、電車に乗ってあちらこちらへ足を運ぶのは大変だ。しかもこの手の仕事は、最後に飲みという面倒臭いイベントが発生する。

「よし、。それじゃあ飲みに行くぞ」

 最後の取引先との挨拶を終えて、事業所から外に出る。

 その直後に課長が言った。

 満面の笑みである。

「……あの、課長」

「どうした? 今日は冷えるし、モツなべなんてどうだ?」

 今年で五十六を迎える彼は、取引先巡りを終えた後の飲みが大好きだ。担当内ではこれに巻き込まれることを嫌って、誰もが課長との外回りを敬遠している。今回は自分に白羽の矢が立った形だ。

「この間の休みにペットを買いまして、今月はモツ鍋どころか、コンビニのとり串一本を食べるのも厳しいんですよ。せっかく誘ってもらったところ申し訳ないんですが、今回は勘弁してもらえませんかね?」

「なんだお前、ペットなんて飼い始めたのか?」

「はい」

「うちにも犬が一匹いるが、ペットはいいもんだよなぁ」

「え、課長って犬を飼ってるんですか?」

「ゴールデンレトリバーっていうんだが、結構デカイぞ? 飼い始めた頃は小さかったんだが、気づけばあっという間に大きくなっていてな。今となっちゃあ遊び相手をするのも大変だ。飛び掛かられたら、こっちの身体からだが持たないからな」

「っ……」

 マジですか。

 課長がゴールデンレトリバーのオーナーとか初耳だ。

 そんなの羨まし過ぎる。

 憧れの最強ワンワンである。

 しかも遊び相手として飛び掛かられるとか、めっちゃ懐かれてるじゃないですか。やっぱり羨まし過ぎる。自分も子犬から育てたゴールデンレトリバーに飛び掛かられたい。絶対に幸せな気分に浸れると思う。

 ピーちゃんも可愛かわいいけれど、やはり質量が足りないと思うんだ。

 存在感っていうか、そういうの。

「娘がどうしてもというから飼い始めたんだが、結局世話をしているのは私でな。ここ二、三年は仕事から帰って散歩をするのが日課だ。おかげで運動不足が解消されて、去年の人間ドックじゃ赤が無くなった」

「…………」

「佐々木、どうした?」

「課長のおごりでモツ鍋、駄目ですか? 犬の話が聞きたいのですが」

「なんだお前、犬を飼い始めたのか?」

「いいえ、自分の場合は文鳥ですけれど」

「鳥か、鳥もいいよな。子供の頃に近所のカラスを餌付けしたことがあった。あれは楽しかった。よし、そういうことなら仕方がない、今日は俺の奢りだ。なんだかんだでうちの担当だと、お前が一番働いてくれているしな」

「ありがとうございます」

 飲み屋でペット談義、いいじゃん。

 しかも上司の奢りでモツ鍋。

 たまには課長もやるじゃないの。

 将来のお迎えに備えて、色々と勉強させてもらおう。


    *


 課長とは二時間ほど飲んで、九時過ぎに店の前で解散した。

 取引先が自宅から二駅と比較的近い場所にあったため、せっかくなので帰路は電車を使わずに歩いて帰ることに。ワンちゃんの散歩はかなり体力が必要だと課長が言っていたので、これもきたる日に向けての準備である。

 ひんやりとした風がほおでて、酔いを覚ましてくれる。

 今はまだジャケットで動き回れるけれど、もう少ししたらコートが必要になりそうだ。ピーちゃんの魔法にお世話になっていると、通勤のお手軽さから出勤時に忘れそうで怖い。会社にも一着、予備を備えておこうか。

「…………」

 そういえば異世界は、春夏秋冬、四季はどうなっているのだろう。

 こちらと変わりなく気温が変化するようなら、フカフカの冬物衣料など結構いいお値段で売れるのではなかろうか。ただでさえ衣類が高いようだから、お安い化学繊維の品でも十分に通用しそうな気がする。

「…………」

 あれこれと考えながら、人気もまばらな通りを歩いていく。

 すると帰り道も半分ほど進んだ辺りで、不意にキィンと甲高い音が響いた。

 音が聞こえてきたのは、自身が歩いている道から角を折れた袋小路。道幅は二、三メートルほど。建物の間に生まれた僅かばかりの空間である。道路工事か何かだろうか。歩きながら奥まった方に目を向ける。

 その直後、目の前を何かが通り過ぎていった。

 ふわりと浮かび上がった前髪が、何本か千切れ飛ぶ。

「っ……」

 数瞬の後、ガツンと大きな音が響いた。

 何事かと音の聞こえてきた方向を確認すると、そこには三十センチほどの氷柱つららが数本ばかり、アスファルトに突き刺さっていた。どうやら弾丸よろしく発射されたものが、目の前を飛んでいったみたいである。

 どこからどう見ても魔法だ。

 大慌てで発射元を確認すると、そこには人の姿が見受けられた。

 男性が一人と女性が一人。

 前者は上下スウェット姿の十代後半とおぼしき青年である。オールバックに撫で付けられた長めの金髪が印象的だ。顔立ちや肌の色から脱色によるものと思われる。地方の不良っぽい雰囲気を感じさせる人物だ。

 対して後者は、スーツ姿の二十代前半と思しきお姉さんである。短めのスカートとそこからのぞく太ももがとても魅力的だ。切れ長の目に少しきつい感じの顔立ちで、これが黒いショートヘアと相まって、秘書っぽい雰囲気を醸して思える。あと化粧が濃い。

 特筆すべきは二人の位置関係。

 地面にあおけで横たわったお姉さんの上に、男が馬乗りとなっている。しかもなのか、男の右腕は肘から先が刃物のように変化しており、これがお姉さんの首元に向けて、今まさに振り下ろされんとしていた。

「マジか……」

 とつに足は動いて回れ右、同所から逃げ出そうとする。

 ただ、ふと思い出した。

 そういえば自分も似たようなことができる。

 青年の行いを放っておいたら、まず間違いなくお姉さんはお亡くなりに。明日の新聞の一面は、都内に現れた通り魔の存在で決定だろう。きっと勤め先でも、何かにつけて話題に上がるに違いない。

 それでも自身が無力であったのなら、これは仕方がなかったのだと、言い訳を並べることも難しくはない。残念な事故だったと勝手に結論付けて、半年もすれば忘れることができるだろう。

 しかしながら、幸か不幸か昨今の社畜には不思議な力が備わっている。

 ピーちゃんからもらい受けた異世界の力だ。

「…………」

 致し方なし、前髪を飛ばしたのとおそろいの魔法を男性に向かい放つ。

 つい先日、無詠唱で撃てるようになった氷柱を飛ばす魔法だ。

「ぎゃぁっ!」

 一直線に飛んでいった氷柱は、男の肩に直撃した。

 肘から先が刃物に変化している方の腕である。

 すると直後に変化があった。鋭かった切っ先が丸まり、やがて元の形、左側と同じ人の腕になったのだ。まるでクレイアニメでも眺めているようであった。

 同時にパキパキと音を立てて、着弾点が凍りついていく。

「あ……」

 これは放置したらヤバイやつだ。

 患部が首に近いから、そのままだとすぐに死んでしまう。しかし、今の自分には対処するすべがない。どうしよう。ピーちゃんが一緒だったら、何とかしてもらえたかも知れない。けれど今は一人だ。このままだと人殺しになってしまう。

 どうしよう、やばい、どうしよう。

 生き物に対して撃つのは初めてだから、そこまで考えていなかった。

 というより、他の魔法はもっと殺傷能力が高いから、他に選択肢がなかった。

「っ……」

 焦りまくっていると、スーツの女性が動いた。

 その手が男の肩に刺さった氷柱に触れる。そうかと思えば、これはどうしたことか。キンキンに冷えていたそれが、あっという間に液状となって、男の身体から落ちていくではないか。ものの数秒で溶かしてしまった。

 直後に男はどさりと仰向けに倒れた。

 ピクリとも動かなくなる。

 その姿を確認して、スーツ姿の女性がゆっくりと立ち上がった。

 もしかして彼や彼女も、自分と同様に魔法使いだったりするのだろうか。ピーちゃんのような存在が、同じように異世界から現代にやって来ていても、決して不思議ではない。そう考えると少し、お話をしてみたい。

「あ、あのぉ……」

 なんて考えていたのだけれど、相手の反応は非常に厳しいものだった。

 こちらに向き直った女性は、懐から取り出した拳銃を油断なく構えて語る。

貴方あなた、どこの能力者かしら?」

「……え?」

 まさかモデルガンだとは思えない現場の雰囲気だ。

 能力者なるフレーズを受けて、どのように答えたものか返答に戸惑う。それは魔法とは違うのかと。すると彼女は懐から端末を取り出して、どこかへ連絡を取り始めた。更につかつかと歩んで、アスファルトに刺さった氷柱のもとへ向かう。

 こちらも彼女の手が触れると、パシャリと水に変わった。後に残ったのはアスファルトに空いた拳大の穴と、これをらすように落ちた水ばかりである。つい今し方まで氷柱が刺さっていたとは誰も思うまい。

「あの、能力者というのは……」

「……さっきの氷柱、貴方が撃ったのよね?」

 スーツ姿である上に、拳銃まで構えている点といい、警察やその親戚のような雰囲気を感じる。そうでなければ逆にヤクザだとか、マフィアだとか、アウトローな方々が想像された。いずれにせよ真っ当ではない状況だ。

 撃たれたら嫌だし、この場は素直に応じておこう。

「ええまあ、撃ったような撃ってないような」

「いつ頃から撃てるようになったの?」

「つい数日前ですけれど……」

 鉄砲で撃たれても平気な魔法とか、存在したりするのだろうか。もしもあるようなら、次の機会にでもピーちゃんから教わろう。まさか銃口を向けられる日が訪れるとは、夢にも思わなかった。

 今の自分だと精々、氷柱を大量に生み出して盾にするくらいだろうか。もしくは土を盛り上げて壁にするとか。いやしかし、アスファルトってどうなのだろう。地面と同じように隆起してくれるといいのだけれど。

「まさか野良の能力者に助けられるなんて……」

 素直に答えてみせたところ、女性の表情に変化があった。

 なにやら悔しそうな面持ちである。

 キーワードは能力者。

 個人的には魔法に相当するなにがしかのように思う。

「状況がまるで見えてこないんですが、能力者というのは……」

「悪いけれど、私と一緒に来てもらえないかしら?」

「え?」

「ちなみに断ると大変なことになるから、できれば素直に従ってくれるとうれしいわね。貴方の能力がどういったものなのかは分からないけれど、こうして拳銃を向けられたらそれまででしょう? 決して悪いようにはしないから」

 まさか、逆ナンというやつだろうか。

 いやいやそんな馬鹿な。

 っていうか、女性とお話をすること自体が久しぶり。

 職場は女っ気が皆無に等しい上に、取引先の担当者も大半が男性。異性との会話というと、飲食店やコンビニの店員さん、後はアパートのお隣さんと一言二言を交わすのが精々である。夜のお店も性病をゲットして以来、ここ数年ほど足を運んでいない。

 お金がないことを理由に異性からとお退いていたら、いつの間にかそれが普通になっていた。今更結婚とか考えられないし、お店に通うくらいだったら、そのお金でしいご飯を食べたい。なんて、やっていたのが良くないのだと思う。

 性欲こそあっても、その先に生身の女性を意識する機会が減ってきた。こうして人は段々と枯れていくのだろう。ショーウィンドウの高価な衣服を眺めて、手が届かないからこそ、欲しいと思わなくなるのと同じような現象だと思う。

 そんな素人童貞の意見。

「付き合うのは問題ないですけれど、一度自宅に戻ってもいいですか? すぐそこなんですよ。仕事帰りなので荷物をどうにかしたいのと、部屋にはペットもいるので、放っていく訳にはいかないんです」

「それくらいなら構わないわよ」

「ありがとうございます」

 素直に受け答えをした為か、女性は銃を降ろしてくれた。

 おかげでこちらも人心地がつく。

「……それと、助けてくれたことには感謝するわ」

「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」

 しばらくすると、どこからともなく黒塗りの高級セダンがやって来た。

 スーツの女性に促されて、これに乗り込む。そのまま連れ去られて拉致監禁されたらどうしよう、とは考えないでもない。しかし、女性の懐に拳銃が収まっていることを思うと、逆らうという選択肢は浮かんでこなかった。

 車が向かった先は、数百メートルほど先にあった自宅アパートである。


    *


 我が家に戻ると、居室にはノートパソコンに向かうピーちゃんの姿があった。

 かたわらには彼が生み出したゴーレムなる物体がうかがえる。Mサイズのテディベアほどの大きさだ。これがデスクの上に座り込んで、キーボードとマウスを操作している。初めて部屋で目撃したときは、それはもう驚いたものだ。

 ちなみにお姉さん一派の居室への立ち入りはご免こうむった。

 さいわいこれと言って異論は上がらなかった。

「……っていうことが、ついさっきあったんだけどさ」

 何はともあれピーちゃんに事情を説明だ。

 こうした訳の分からない出来事のプロフェッショナルである彼なら、何かしら見えてくるものがあるかもと判断した次第である。すると彼はパタパタと翼を羽ばたかせて、窓際まで移動してみせた。

 そして、カーテンの隙間から外の様子を窺う。

 見つめる先には路上にめられた車と、脇に立ったお姉さんの姿がある。

『あのスーツを着用した女がそうか?』

「そう、あの女の人」

『これといって魔力は感じられないな』

「え、そうなの?」

 魔力がなければ魔法が使えないとは、過去に幾度となくピーちゃんから説明を受けたお話である。しかし、彼女はこちらの見ている前で、たしかに魔法っぽい現象を起こしてみせた。氷柱を瞬時に水に変えてみせた。

『能力者と言っただろうか?』

「彼女はそんな風に言っていたけど……」

『魔法とはまた異なる枠組みの上で成り立っている現象ではなかろうか? ふむ、そう考えるとなかなか興味深い。こちらの世界には、我々の世界とは異なる道理に従い、似たような現象が存在しているのではないか?』

「それが本当なら世紀の大発見だよ」

『そうか……』

 ところで、窓から外の様子を窺っているピーちゃんも可愛い。

 思わず写真を撮りたくなってしまう。

 思い起こせばお迎えから数日、いまだに一枚も写真を撮っていない。ペットを飼い始めたのなら、誰もがまずは一緒に写真を撮って、記念にすると思う。つい先刻には課長からも、愛犬とのツーショットを見せてもらった。めっちゃ羨ましかった。

 今回の騒動が終わったら、絶対に一枚撮らせてもらおう。

『それを確かめる為にも、話は聞いておくべきだろう』

「申し訳ないけれど、ピーちゃんも一緒に来てもらえるかな?」

『うむ、いいだろう』

「ちょっと窮屈な思いをするかもだけど、それは大丈夫?」

 近所のスーパーで店内放送の下、ヒソヒソとしやべる分には問題ないと思う。まさか文鳥が飼い主と会話をしているとは思うまい。しかし、今回はそれも危うい。大変申し訳ないけれど、ピーちゃんにはカゴの中の鳥でいてもらわなければならない。

 まさか素直に、異世界からやってきた喋る鳥です、と紹介する訳にはいかない。

『分かっている。大人しく黙っていればいいのだろう?』

「いつも面倒ばかり掛けてごめんね」

『問題ない。こちらの都合で巻き込んだ経緯もある』

「ありがとう、とても助かるよ」

 色々と理解のある文鳥で、飼い主としては嬉しい限りだよ。


    *


 スーツ姿の女性の指示に従い、着替えやら何やらを持って自宅を後にする。

 ピーちゃんのケージを持ち出すことも忘れない。

 なんでも本日は泊まりになるとのこと。

 こっちは明日にも仕事があると伝えたところ、そちらはいこと話をつけておくとかなんとか、さらっと恐ろしいことを言われてしまった。まさかあらがうことなど考えられなくて、素直に彼女の言葉に従うことにした。

 そうして自宅の玄関を出た直後、見知った相手と遭遇。

「おじさん、お出かけですか?」

 アパートのお隣さんである。

 見慣れたセーラー服姿が、隣室の玄関ドアの正面で体育座り。

「あぁ、うん。お出かけだね」

「遅くまで大変ですね」

「お母さんはまだ仕事なの?」

「ええ、そうみたいです」

「そっか……」

 彼女も彼女で大変そうだ。

 何か自分にできることはないかと考える。しかし、本日はこちらも急いでいるので、上手い考えが浮かばない。一度自宅の玄関口に引っ込んで、台所に備蓄した菓子パンを持ってくるくらいだろうか。

「これ、もしよければどうぞ」

「……すみません」

 ピーちゃんとの買い出しで併せて購入した品だ。

 お隣さんは申し訳なさそうな面持ちで、これを受け取った。かれこれ幾十回、幾百回と繰り返したやり取りながら、それでも彼女の態度は一貫してかしこまったものだ。そのため自身もズルズルと続けてしまっている。

 いっそのことグレてしまった方が、幸せになれるのではないか、などと考えたこともある。こういうことを考えるのは失礼かもしれないが、若くて外見も整っている彼女なら、いくらでもやりようはあるのではないかと。

 そうすれば隣のおじさんもお役御免である。

 けれど彼女は、こうして本日まで清貧を良しとしていた。

「ところであの、少しだけ話をしたいのですが……」

「話? それって僕と?」

「はい」

 なんだろう、気になる。

 けれど、それを伺っている時間がない。

 人を待たせておりますので。

「ごめん、今ちょっと急いでるんだよね」

「そうなんですか?」

「また今度でいい? 明日には戻るから」

「……はい」

 そういうことなら、電話なり何なりでやり取りすればいいじゃない、というのが現代人の在り方だと思う。しかし、彼女はスマホをお持ちでない。こうして自宅の前で交わす会話が、我々にとっては唯一の接点となる。

 そして同時に、もし仮に彼女がスマホを持っていたとしても、連絡先を交換するようなはしないと思う。万が一、彼女が事件や事故に巻き込まれたりしたとき、アドレス帳に残された自身の連絡先の存在は、恐怖以外の何モノでもない。

「それじゃあ、ごめんね」

「はい、お気をつけて」

 お隣さんに見送られて、アパートを後にする。

 各戸への出入り口となる玄関まわりは、表通りからは建物によって隠れている。なので彼女との会話については、スーツ姿の女性に見聞きされることもなかった。

 先方はこちらが戻ったことを確認して、自動車の後部座席を開いてみせる。

 これに促されるがまま、黒塗りのそれに乗り込んだ。

 荷物は足元。ピーちゃんのケージは膝の上。

 自身に続いて彼女も後部座席に乗り込む。

 ドアが閉められると、自動車はすぐに走り出した。

 これと前後して、ルームミラーに映った後方の風景にふと目が向く。

 夜の暗がりのもと、街灯の弱々しい明かりに照らされて、ぼんやりと浮かび上がるようにセーラー服。それは玄関から場所を移したお隣さん。その視線はジッと、こちらに向けられていた。

「…………」

「どうしたの? ぼうっとして」

「いえ、なんでもありません」

 勘違いだとは思うけれど、ミラー越しに彼女と視線が合うのを感じた。


    *


 ピーちゃんのケージを抱えて、自動車に揺られることしばらく。

 辿たどり着いたのは都心に所在する立派なビルのワンフロアだ。

 そこに設けられた応接室を思わせる一室で、改めてスーツのお姉さんから事情の説明を受ける運びとなった。部屋には自分と彼女の他に、ケージの中で止まり木に止まり、文鳥の振りをするピーちゃんの姿だけがある。

「……なるほど、それが能力者ですか」

 問題のキーワード、能力者については早々に説明があった。

 なんでも自然発生的に生まれる魔法使いのようなものとのこと。扱える能力も人によって千差万別で、一夜にして町を焼け野原にできるような代物から、あってもなくても変わらないようなものまで色々とあるらしい。

 また、能力は一度発現して確定すると、以降は変化したりしないようである。追加で二つ目を覚えることもないそうだ。ただし、繰り返し利用していると、威力が増加したり、作用の範囲が広がったりはするとのこと。

 ちなみにお姉さんの能力は、水を操る能力だそうな。夜の通りで氷柱を飛ばしてみせたのも、そうして飛ばした氷柱を液体に変化させてみせたのも、同じ一つの水を操る能力によって行われた現象だと語っていた。

「当然、能力には危険なものが多いから、これを管理する必要があるの」

「それがお姉さんの職場ですか?」

「ええ、そうよ。そして同時に、本日から貴方の職場にもなるわ」

「え?」

「もう少し詳しい説明をするわね。まずは……」

 つらつらと説明が続けられる。

 彼女の言葉に従うと、各国はこの能力者というものを秘密裏に管理しているそうだ。能力によっては社会に大きな混乱を与えかねないとのことで、その扱いはかなり厳密なものであるらしい。

 なので原則として、能力が発現した段階で、国が運営する能力者を管理する為の組織に就職が決定付けられるのだとか。これを拒否した場合、まあ、色々と大変なことになると脅されてしまった。

 なんでも過去に能力者を巡って大きな事件があったらしい。

 そうなると気になるのは能力者の人口だが、能力が発現する割合は十万人に一人ほどだという。つまり日本には千数百人ほどの能力者が存在していることになる。こうしたミニマムな規模も相まって、全頭管理を始めたのだろう。

「ここまでで何か質問はあるかしら?」

「いえ、続けて下さい」

「わかったわ」

 以降は組織の詳細な説明となった。

 扱いとしては国の機関になるらしい。つまり、そこで働く能力者は国家公務員、ということだ。お給料もちゃんと出るとのこと。能力や活躍に応じて、会社勤めでは到底不可能な額を頂くことも可能だという。

 下手にけちって反感を買うよりは、お金で囲い込んでおいたほうがいい、ということなのだろう。また、過去には能力者の活躍によって解決された問題も多いとのことで、期待している面もあるらしい。

 ただ、そうなると当然、反感を持つ人たちも出てくる。

 自分が本日遭遇したのは、そうした人たちと組織における対立の現場とのこと。お姉さんを押さえ付けていた金髪の男性は、彼女の所属する組織に対して異を唱えるグループの人間だという。そうしたグループが世の中にはいくつか存在しているのだとか。

 そして、これを抑えるのもまた、組織に所属する能力者の仕事だという。

 思ったよりも危険と隣り合わせの職場事情にビックリだ。出動に際しては危険手当が出るらしいけれど、そうだとしても遠慮したい。拳銃を持った相手を圧倒するような人たちとけんなんて、とてもではないができそうにない。

「だいたいこんな感じかしら」

「ありがとうございます」

「さて、それでは早速なのだけれど、確認をさせてもらうわね」

「…………」

 こうなってくると問題なのは、自身の能力の扱いである。

 ピーちゃんが教えてくれた魔法とは完全に別物だ。

 なるべく危ないことはしたくないので、能力は過小に見積もって申請するべきだろう。できるだけ応用が利かない、なおかつ争いの現場で戦力にならないような能力がよいと考えている。つまり、現場で見せた能力が全て。

「貴方はどういったことができるのかしら?」

「先程お見せした通り氷柱を撃てます。ただ、それだけです」

 氷柱を撃つだけだったら、そう大した能力ではないはずだ。国公認で拳銃を携帯できる身分であれば、わざわざ能力を利用してまで、取り回しの面倒くさい氷の塊を運用する必要はない。

 個人的に国家公務員という肩書には魅力を感じるので、後方で事務仕事など任せて頂けたら、率先して転職したいと思う。少なくとも現職から更に給料が下がる、ということはあるまい。

「見せてもらってもいいかしら?」

「ええまあ……」

 促されるがまま、無詠唱で小さめの氷柱を生み出す。

 大きさは三十センチほど。

 ふよふよとソファー正面のローテーブルの上に浮かんでいる。

「やっぱり貴方の場合、ゼロから生み出すことができるのね」

「…………」

 ニィとお姉さんの口元に笑みが浮かんだ。

 ちょっと危うい感じがする。

「あの、どうかしましたか?」

「貴方の能力、私ととても相性が良いわ」

「え……」

「私は水を操ることができるけれど、ゼロから水を生み出すことができない。つまり仕事に際しては、あらかじめ水を持ち込むか、現地で調達する必要があるわ。そこに貴方が居たら、私は水源という制限なく能力を使うことができる」

「…………」

 そうか、水を操る能力って、生み出すことはできないのか。

 しかもこの語り方、ワーホリ的な危うさを感じさせる。既にこちらの存在を勘定に入れて、次の仕事を算段し始めているのではなかろうか。まるで自ら率先して、危険な現場に足を踏み入れようとしているような。

「普段はペットボトルに入れて持ち込んだり、現地の自動販売機で購入したりしていたのだけれど、貴方がいればそうした問題も解決することができるわ。それにこれまで以上の水量を扱うことができる」

「あの、もしかしてお姉さんは、その……バリキャリ的な?」

「言ったでしょう? 能力者の給与は働きによって青天井なの」

「いや、でも……」

「そうでもなければ、こうした現場を上から任されることはないわね」

「…………」

 ヤバい人の目に留まってしまった気がする。


    *


 同日はそれから簡単な身体検査や、運動能力のチェックなどが行われた。

 これと言って問題はなし。

 ちなみにピーちゃんの存在に関しては、なんら声を掛けられることもなかった。現時点ではただのペットとして認識されているようだ。色々と隠し事の多い立場としては、なにはともあれホッと一息である。

 そして、検査や質疑応答から解放された我々は、お姉さんが手配したホテルに宿泊する運びとなった。都内に所在する高級ホテル、それもかなり上等な一室を押さえて下さったのは、今後の関係も含めての投資なのだろう。

「さてと……」

 色々とあって疲れているので、本当ならすぐにでも眠りたい。

 時刻もそろそろ日をまたごうかという時分だ。

 しかし、自身にはどうしても今晩中に行わなければならないことがある。本国で仕入れを行い、異世界を訪れてハーマン商会の副店長さんに品をさばき、フレンチさんと会ってお給料を渡すという、非常に重要な残タスクである。

 ただ、それがなかなか難しい。

 同所は国お抱えの能力者であるお姉さんが用意した一室だ。万が一にも監視カメラなどが仕込まれていた日には目も当てられない。ピーちゃんの秘密を誰かに知られることだけは、絶対に避けるべきだろう。

 文鳥が人の言葉を喋った、そんなな出来事を真正面から受け止めることができる人たちが、この世の中には存在している。その恐ろしさを今更ながら理解した。今後はスーパーでの会話も難しそうである。

「ピーちゃん、もうちょっと待っててね」

『ピー! ピー!』

 それっぽく語り掛けると、彼は可愛らしい声で鳴いてみせた。

 そういう鳥っぽいこともできるんだね、ピーちゃん。

 また一つ新しい君の魅力に気づいたよ。

 元気の良いお返事を聞く限り、こちらの意図を理解して下さっているのは間違いない。こんな一方的なメッセージであっても、的確に受け取ってくれて本当にありがとうございます。きっと生前は天才としてブイブイ言わせていたことだろう。

「ちょっと散歩でもいこうか、ピーちゃん」

『ピー! ピー!』

 ピーちゃんをお出かけ用のショルダーバッグに移して部屋を後にする。

 衣服や荷物に触れられた覚えはないので、盗聴器を取り付けられている、ということはないだろう。人目に触れない場所までいけば、向こうの世界との時間差も手伝い、小一時間程度の活動は可能と思われる。

 色々と考えたけれど、仕入れは諦めよう。

 本日は関係各所に事情の説明をして、すぐに戻って来ようと思う。

『尾行されているな……』

 ホテルを出てオフィス街の夜道を歩いていると、ピーちゃんがボソリとつぶやいた。自分にだけ聞こえる小さな声である。しかも伝えられたお話は、これまた物騒な内容であったりするから困った。

 あと、急にダンディーな口調になるの、ちょっとビビる。

「……なんとかならないかな?」

『向こうで少し過ごす程度であれば、時間差で吸収できる』

「それもそうだね」

 ホテルの近所にあったコンビニに入店。そして、店内のトイレに入った。内側から鍵を掛ければ、まさか外から誰かが押し入ってくることもない。場所が場所なので、監視カメラも付いていない。

 こちらの世界での一時間が、あちらの世界ではだいたい一日。つまり、あちらの世界で小一時間ほど過ごしても、こちらの世界では数分くらい。予期せぬ出来事を受けてメンタルがダメージを受けた為、急な腹痛から大便を、といったストーリーならば言い訳は立つ。

「ピーちゃん、お願いできるかな?」

『うむ』

 お出かけ用のショルダーバッグから、肩の上に場所を移したピーちゃん。

 彼がうなずくのに応じて、トイレの床に魔法陣が浮かび上がった。


    *


 異世界に渡った我々は、その足でハーマン商会を訪ねた。

 幸い副店長さんは店にいて、すぐに話し合いの場を設けることができた。通された先はここ数日で幾度となく通った同店の応接室だ。ごうけんらんな有り様は、未だに慣れることのないお金持ち仕様である。

「問題、ですか?」

 こちらの説明を受けて、副店長さんの表情が曇った。

「一方的なお話となってしまい恐れ入りますが、次の取り引きまで少し時間が空いてしまうやもしれません。本日はそのご連絡に参りました。ご期待して下さっているところ、誠に申し訳ありません」

 ソファーに腰掛けたまま頭を下げてみせる。

 おかげでピーちゃんが斜めだ。

 肩につかまって、必死に堪える姿もラブリー。

「我々でよろしければ、是非ササキさんのお力になりたいのですが」

「すみません、どうしても独力で解決しなければならない問題でして」

「……そうですか」

 こちらを気遣うように、副店長さんは寂しそうな表情を浮かべてみせる。彼はとてもいい人だし、今後の取り引きを円満に進める為にも、この場は上手いこと取り繕いたい。ここで心証を悪くする訳にはいかない。

「私事となり恐れ入りますが、問題が上手く解決しましたら、今後は仕入れの量を増やすことができるかも知れません。何のご相談もなくすみませんが、どうか長い目で見て頂けたら幸いでございます」

「なるほど、そういうことですか」

 返答を受けて、先方の表情が少しだけ和らいだ。

 悪いことばかりではないと考えてくれたのだろう。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いえ、ササキさんにも色々と事情があることでしょう」

「そのようにおつしやって頂けて恐縮です」

 この様子であれば、二、三げつは持つだろう。勤め先が変わってお給料が上がれば、これを見越して商品を仕入れることができる。次の取り引きで多めに卸せば、十分にカバーは可能だ。今回の一件は決してマイナスばかりではない。

「どうぞ今後とも、よろしくお願い致します」

「承知しました。ご武運を祈っております」

 最終的には気持ち良く商会から送り出してもらえた。

 別れ際にはフレンチさんのお給料や、万が一お店の経営が赤字になった場合の追加資金についても、副店長さんに託しておいた。本来であれば自身の手で渡すべきところ、今は時間がないのでお願いした次第である。快く引き受けて下さり、ありがたい限りだ。

 そして、店を後にした我々は、急ぎ足で日本に戻った。

 スローライフもつか、食事もままならない忙しさである。


    *


 異世界から戻った我々は大人しくホテルに戻り、すぐに眠った。

 もう少しピーちゃんとお話ししたかったのだけれど、時間的な都合からそれも難しかった。あまり長くあちらの世界にいては、尾行の人たちに変に思われてしまう。どれだけトイレに籠もっているのだと。

 こうなると積もる話は翌日以降に持ち越しである。当初予定していた中級魔法とやらの練習も同様だ。後者については公務員としてのお仕事に当たり、事前に行っておきたかったところ、まこと無念である。

 そんなこんなで明けて翌日、早い時間に来客があった。

「……仕事、ですか?」

「ええ、そうよ」

 寝起きから間もない頃おい、ベッドの上でゴロゴロとしていると、部屋のドアがノックされた。清掃担当者の方が訪れたのかと思い顔を出してみると、廊下にはスーツのお姉さんが立っていた。

 昨日、能力者の何たるかを教示してくれた彼女だ。

「急な話で申し訳ないのだけれど、付き合ってもらえないかしら?」

「…………」

 できればお断りしたい。

 しかし、その顔には有無を言わさぬ笑みが浮かんでいる。

 相変わらず化粧が濃い。

「私はこちらの組織で貴方の他に人を知りません。お誘いに付き合うことはやぶさかではありませんが、こうした対応が組織全体の理にかなったものであるのか、これを判断するべき方にお目通りを願えませんか?」

「私と一緒に仕事をするのは不服かしら?」

「貴方という存在が組織において、どういった立場に在るのか、客観的に確認したいと考えることは、共に仕事へ臨む立場として当然ではありませんか? 見たところ現場の人間のようですし、直属の上長から話を伺う前に現場へ、というのはどうかと」

「……やっぱり年をとっている人間は使いにくいわね」

「誠意を持って接して頂ければ、おのずと人は心を開くものですよ」

「…………」

 パッと見た感じクールな秘書さんっぽいのに、中身は出世欲にまみれた戦闘狂のようである。仕事熱心なのは良いことだけれど、もう少し相手のことを考えて欲しい。まさか能力者って誰もがこんな感じなのだろうか。

「あー、ほしざきくん、星崎くん。ちょっといいかね?」

「っ!?」

 そうこうしていると、廊下の方から他に声が聞こえてきた。

 男性のものだ。初めて聞く声色である。

 その声を耳にして、バリキャリの人がしかめっ面となった。

「……課長」

「朝イチでフロアを飛び出して行くから、気になって後をつけてみれば、なるほど、そういうことだったのかい。仕事に対して熱心なのは構わないけれど、君の都合に新人を巻き込むのはどうかと思うな」

「…………」

 お姉さんの後ろから、スーツ姿の男性が現れた。

 流すような前髪が印象的なミディアムヘア。俳優っぽい顔立ちのイケメンである。年齢は恐らく三十代。しかも背が高くて、百八十を超えていると思われる。おかげでスーツがよく似合っている。

 課長という響きからして、彼女の上司で間違いあるまい。

「私はだ。君が佐々木君?」

「え? あ、はい。自分が佐々木ですが……」

「星崎君から報告は受けていたんだけれど、顔合わせはこれが初めてになるね。何分忙しい身の上とあって、申し訳ないとは思うけれど勘弁して欲しい。一応、今後は君の上司となる人間だ。もちろん彼女の上司でもある」

「どうも、よろしくお願いします」

 どうやら先方から、わざわざこちらを訪ねてくれたようだ。

 あと今更だけど、バリキャリの人の名前をゲット。

 どうやら星崎さんというらしい。

 ところで我々の上司ということは、彼もまた国家公務員ということになる。どういった名称の部署なのかは説明を受けていないから知らないけれど、の中央省庁と横並びだとすると、彼のとしで課長というのは恐ろしく出世が早い。

 見た感じどれだけ上に見積もっても三十代中頃なのだけれど、まさか若作りだろうか。普通だったら四十を過ぎた人間が就くポストだったはず。それとも外見を若く取り繕う能力など存在しているのか。いずれにせよ背景が気になる人物だ。

「星崎君、君はフロアに戻って先日の報告書作りだ」

「っ……」

「佐々木君には研修を受けてもらう」

 よかった、その背景には気になる点も多いけれど、中身は思ったよりもマトモである。もしも水使いのお姉さんと同じ脳筋だったらどうしようかと、内心少し焦っていた。未だ就業規則のイロハさえ伺っていないのだから。

 タイムカードの扱いや残業の申請方法とか、とても大切な業務知識である。

「これを持っていてくれたまえ」

 スマホを渡された。

 世間でも市販されているモデルだ。

「こちらは?」

「連絡はそこに入る。担当者の指示に従って欲しい」

「承知しました」

 どうやら他所で研修を担当してくれる方がいるらしい。

 それが星崎さんじゃないことを今は喜ぼう。彼女は上司から職場待機を言い渡されたことで、陰鬱そうな表情をしている。こうまでも露骨な反応をされると、昨日本人の口から耳にした、青天井だという報酬額が気になってくる。

「なるべく普段から携帯するようにしてくれ」

「プライベートもですか?」

「緊急の呼び出しが発生する可能性もある」

「……なるほど」

 緊急の呼び出しは嫌だなぁ。

 そういう制度があると、休日でも気が休まらない。あまり頻繁に掛かってくるようだったら、異世界に放置してしまおう。あっちだったら電波は入らないし、GPSを筆頭とした各種トラッキングも無効化できる。

「急な顔合わせですまないが、これで挨拶とさせてもらいたい」

「あ、はい」

「それじゃあ私は他に仕事があるから、これで失礼する。何か気になることや現場で解決できないことが生じたら、アドレス帳に私の連絡先が入っているから、電話なりメールなりで相談して欲しい」

「お忙しいところ、どうもありがとうございました」

 こちらが小さく会釈をすると、彼は早々に去っていった。


    *


 上司とバリキャリの人がホテルを去ってしばらく、端末に連絡があった。

 その指示に従い、昨日も訪れたビルに向かう。なんでも研修は同所で行われるとのこと。当然ながらピーちゃんとはしばしのお別れである。一度自宅に戻り、彼の収まるケージを置いてからの出社と相成った。

 フロントで担当者の名前を告げると、あれよあれよという間に案内を受けて移動。

 十畳ほどの会議室に案内された。

 そこで入れ代わり立ち代わり、同所に勤めていると思しき人たちから、お勤めに伴う様々な説明を受けた。勤怠管理の方法から始まって服務規程、各種アカウントの発行や今後の予定に至るまで。

 ちなみに研修生は自分一人だった。

 居眠りをすることもできずに苦労した。

 気になる勤め先のお名前は、内閣府超常現象対策局とのこと。省庁下の組織ではなく内閣府直属だった。ただし、対外的には存在していない局とのことで、局外に口外することは厳禁だと固く言われた。言ったところで信じてもらえないだろうとも。

 しかし、その場合だと対外的な身分に困るので、内閣府の外局から国家公安委員会の管轄として、警察庁の名刺を頂戴した。局外の人間にはそちらの名刺で名乗るように、との指示を受けた。

 部署的には同庁の内部部局にあたる刑事局。星崎さんが上司のことを課長と呼んでいたのは、阿久津さんが同局における課長職に当たる肩書で普段は通しているかららしい。ちなみに我々の身分は巡査部長とのこと。

 星崎さんが拳銃を携帯していたのも納得である。

 場末の商社から警察に転職とか、知り合いが聞いたら驚きそうだ。お給料的には危険手当を筆頭とした各種手当を抜きにしても大幅なアップ。これで向こうしばらく、仕入れに困ることもなさそうである。

 そうなると気になってくるのが待遇だ。

 能力者は他の職員とは異なり、毎日決まった時間に出社する必要はないと言われた。それというのも人によっては、他に仕事をしながら同局に勤めている方もいるそうだ。このあたりは割と自由が利くらしい。

 代わりに予定された招集には、必ず応じて欲しいと言われた。

 仕事内容は多岐にわたるそうで、各人の能力に見合った仕事が割り振られるとのこと。人探しを専門的に行っている能力者もいれば、破壊工作を主として行っている能力者もいるそうで、これについてはピンきりだそうな。

 そうした作戦行動への参加が主な業務だと伝えられた。

 ちなみに星崎さんは、あまり大っぴらには言えない仕事をしているそうだ。とんでもない人に目をつけられたものである。説明をしてくれた担当の方も、こちらの話を受けては同情的なまなしであった。

 最後に支度金としてお小遣いをもらった。

 なんと百万円。

 能力によっては運用にお金が必要な方もいるとのことで、入局時に一律で支給しているらしい。また、以降の給付は現場での運用により上下していくとのこと。自分の場合はこれといって必要もないので、きっと今回限り。

 当面の仕入れにありがたく使わせて頂こう。クレカは限度額が近づいており、銀行の預金もカツカツだったので、とても助かった。これで次の給料日までは、十分に持たせることができそうだ。

 きっと公務員として忠義心を誘う意味でも、こちらのお小遣いは機能していることだろう。国家公務員試験を受けて入ってきた人たちと比べれば、お国の為に、なんて意識も薄そうな異能力者勢である。

 そんなこんなで研修の時間は過ぎていった。

 翌日以降は端末に連絡が入るまで待機とのこと。能力の把握やら何やらは昨晩の内に星崎さんが終えていたので、オリエンテーションはこれにて終了だそうな。次に登庁を求められるのは、初仕事に際してとなるらしい。

 同日はそんな感じで終えられた。


    *


 自宅に戻るとピーちゃんの様子がおかしかった。

 普段であれば飼い主の帰宅の挨拶を受けて、おかえり的なお返事をしてくれる愛しき文鳥。そんな彼がまるで野生にかえったがごとく、可愛らしい鳴き声を繰り返し上げていた。それこそ言語を忘れてしまったかのようである。

『ピー! ピー!』

「ピーちゃん?」

『ピー! ピー!』

「…………」

 もしやと考えて、彼をお出かけ用のショルダーバッグに移す。

 仮に自身の想定が正しければ、この場で普段どおりに振る舞うことは極めて危険だ。スーツから普段着に着替えると共に、課長からもらった端末をデスクの上に放置する。そして、財布だけを手に部屋を後にした。

「ピーちゃん、お散歩にいこうか」

『ピー! ピー!』

 元気な鳴き声と共に、小さく羽ばたいてみせるピーちゃん。

 これを確認して、何気ない調子で玄関から外に出る。

 すると自宅から少し歩いた辺りで、ようやく彼が人の言葉を喋った。

『今日の昼間、あの部屋に人が入ってきたぞ』

「やっぱりかい……」

『なにやらゴソゴソと取り付けていたが、あれは貴様の知り合いか? そうでなければ我の存在が他所にバレるといと考えたのだが。もしも要らぬ心配であったのなら、付き合わせて悪いことをした』

「いいや、おかげで助かったよ。ありがとう、ピーちゃん」

『ならばよかった』

「たぶんだけれど、監視カメラや盗聴器なんかを部屋に取り付けていたんだと思う。ピーちゃんが作った土のゴーレムや、ピーちゃん自身がインターネットをする姿とか、そういったのは見られたりしてない?」

『うむ、幸いケージで眠っているところを起こされた形でな』

「それはよかった」

 タイミング的に考えて、十中八九で課長さんの指示によるものだろう。

 まさか看過できる筈がない。

「取り付けられた場所って分かる?」

『全て覚えているぞ』

 なんて頼もしい文鳥だ。

 愛鳥との散歩の体で自宅近隣を歩き回りながら、ピーちゃんから機器の設置先を伺った。確認された設置箇所は合計で五つ。本当ならすぐにでも仕入れに行きたいところだけれど、本日はこれの取り外しを優先しよう。

 数分ほど歩いてから自宅に戻った。

 そして、ピーちゃんから確認した箇所の調査を行う。すると彼の指摘どおり、監視カメラや盗聴器と思しき機器が出てくるわ出てくるわ。指摘されなければ、まるで気づけなかった自然さで、たしかに五つその存在が確認された。

 各々電源を潰して機能の停止を確認する。

 すると直後に課長からもらった端末が震えた。ディスプレイを確認すると、阿久津との名が表示されている。まさか偶然ではないだろう。数コールほど待って覚悟を決めると、思い切って通話ボタンを押す。

「……はい、佐々木ですが」

『君は優秀だねぇ、佐々木君』

「…………」

 随分といきなりな語り口だ。

「課長の危惧は私も十分に分かります。ですが、自宅に監視カメラや盗聴器は勘弁してもらえませんか? こういったことが今後も続くようであれば、そちらの意向に沿った行動が難しくなります」

『すまないね、これは通過儀礼のようなものなんだ』

「……どういうことですか?」

『君は合格だよ、佐々木君』

「…………」

 いきなり合格だと言われても、何が何やらさっぱりだ。

『普通は一つ二つ見つけるのが関の山なのだけれど、まさか全て潰されるとは思わなかった。ひょろっとしている割に抜け目がないじゃないか。に歳を重ねていない、ということかい?』

「切ってもいいですか?」

『いやいや、申し訳ないことをしたとは思っている。すまないことをした、ちゃんと謝罪するよ。ただ、我々の組織をよく思わない人間は多くてね。そのチェックと新人の腕試しを兼ねた試験なんだ』

「だとすると、僕の場合はチェックになっていないのでは?」

 ボロを出す前に全て撤去してしまったぞ。

『もしも君が組織に対して敵対的な人間であれば、気付いてすぐに撤去するような真似はしないだろう。内通者を捕まえる機会は幾度かあったけれど、そういった者たちはこの試験で、すぐにボロを出すか、えて平然を装っていたよ』

「……そうですか」

『君は素直で優秀な人間のようだ。私としては今後とも、仲良くやっていけたらと考えている。これは決してお世辞ではない。この仕事は何も能力ばかりが全てではないからね。その点はどうか誤解しないでもらいたい』

「…………」

『能力者というと、どうしてもちよとつもうしんな人間が多い。選民思考が強い者も多く見られる。これを管理する為にも、君のような人材は大歓迎だ。どうか私の下で、その手腕を存分に振るってもらいたい』

「承知しました」

『ありがとう。それでは失礼する』

 一方的につらつらと語られて、上司との通話は終えられた。

 阿久津課長、これまた油断のならない人物である。


    *


 上司とのやり取りを終えた後は、総合スーパーでの仕入れだ。

 本日は一人で向かうことにした。

 色々と身の回りがせわしなくなってしまったので、今後はピーちゃんを屋外に連れ出すことも控えるべきだろう。人目のある場所では十分に注意して接しないと不味そうである。自宅外でお話をするような真似はアウトだ。

 本人にもその旨、説明をして合意を頂戴した。

 楽しかった仕入れの時間も寂しくなりそうである。

 そんなことを考えつつ玄関から外に出ると、すぐに声を掛けられた。

「おじさん、こんばんは」

「え? あぁ、こんばんは」

 声の聞こえてきた方に目を向けると、そこにはお隣さん。

 セーラー服姿で、玄関ドアを背に体育座りをしている。

 外に一歩を踏み出した直後に声を掛けられたので、少しびっくりした。夜の暗がりに紺のセーラー服というちが、ここ数ヶ月で慣れたつもりではあったのだけれど、それでも威力的に映った。

 今年の春先までは、ランドセルを背負っていた彼女である。こうして身につけている衣服が変化しただけで、急に身体が大きくなったように感じられるから不思議なものだ。父親でも何でもないのに、妙な感慨を覚えてしまったよ。

「急ぎの用事は終わりましたか?」

 ジッとこちらを見つめて、お隣さんが言った。

 はて、何のことだろう。

 思い出すのには、ちょっとだけ時間を要した。

 昨日の別れ際、彼女と交わした言葉である。

 星崎さんと初めて出会った日の晩、お隣さんとは玄関先で顔を合わせていた。その際にお話があるとかなんとか、相談を受けたような気がする。以降が色々と慌ただしかったこともあり、すっかり頭から抜け落ちていた。

「ごめん、僕に話があるって言っていたね」

「覚えていてくれたんですか?」

「危うく忘れるところだった。申し訳ない」

「いえ、こちらこそ急なお話をすみません」

 すっくと立ち上がった彼女は、軽くお辞儀をしてみせた。

 黒髪のサラサラと肩先に流れる様子が、妙に印象的なものとして映る。思い起こせば出会った当初はおかっぱだった彼女だ。それがいつの間にやら髪の毛も伸びて、随分と女性らしくなったものである。

 身体つきもふっくらしてきたのではなかろうか。

 ママさんの彼氏につまみ食いされるのも時間の問題だろう。

「それで話っていうのはなにかな?」

「おじさんに渡したい物があったんです」

 セーラー服のスカート、そのポケットから何やら取り出される。

 透明なビニールの袋に納められて、れいなテープで封がされたそれは、数枚のクッキーだった。市販製品と比べていびつに感じられる形は、大きさもほとんど揃っていない。恐らく抜き型を利用せずに、手ずから整えたのだろう。

「家庭科の調理実習で作りました。もらって頂けませんか?」

「え、いいの?」

 未だ育児放棄の続くお隣さんにとって、食品は貴重品だ。

 そんな彼女から食べ物をもらうというのは気が引ける。

「いつも頂いてばかりなので、お礼をさせて下さい」

 これも彼女なりの自尊心の表れだろうか。

 もしそうなら、素直に受け取ったほうがいいかもしれない。

「ありがとう、大切に食べさせてもらうね」

「いえ、こちらこそいつもありがとうございます」

 親族以外の異性から何かをもらうの、初めての経験かもしれない。

 クッキーを受け取ると同時に、ふと自らの寂しい過去に思い至った。それがこうして中年を迎えてから、女子中学生の手作りクッキーを受け取っている。圧倒的にマイナスであった異性経験が、プラスマイナスゼロまで引き上げられたような感覚。

 自身の人生、異性関係はこれでフルコンプしたのではなかろうか。そんなふうに考えて、ある種の達成感が胸のうちにあふれるのを感じた。人生というパズルのピースが、また一つカチャリとハマったような。

「ところで、一ついいですか?」

「なんだい?」

「前にご一緒していた女性は、お付き合いのある方でしょうか?」

 それはもしかして、星崎さんを指しての話だろうか。

 だとすれば、我々の関係はそんな素敵なものではない。

「彼女は職場の上司かな」

「随分とお若い方が上に立たれているんですね」

「実力主義の現場なんだよ」

「外資系、というものでしょうか?」

「まあ、似たような感じだね」

 これ以上ないほどに内資系なのだけれど、その点は黙っていよう。

 研修でも局の存在は決して口外しないようにと口を酸っぱくして言われた。それでもついつい口を滑らせてしまう新人はいるようで、機密を漏らした人間がどのような処罰を受けるのか、具体例を知らされたときは肝を冷やしたものである。

「すみません、勘違いをしていました」

「べつに気にしなくてもいいよ」

 若い女性ってそういう話が好きだものね。

 星崎さんももう少し、お隣さんみたいに控えめだったら嬉しかった。自身の前で恋バナを話題にあげて欲しいとは思わない。けれど、として異能力や銃弾の飛び交う現場に突っ込んでいく勇猛さは、人生も折り返し地点を過ぎた中年にはちょっとつらい。

「それじゃあ悪いけど、用事があるから僕は行くね」

「急に呼び止めてしまい、すみませんでした」

「いやいや、ぜんぜん大丈夫だよ」

 玄関先で言葉を交わしていたのは数分ほど。

 お隣さんと別れて、当初の予定通り総合スーパーに向かうことにした。


    *


 買い出しを終えた後は、ピーちゃんの魔法によって異世界入り。

 いつもの魔法で自宅から異世界の拠点にひとっ飛び。

 そこから徒歩で副店長さんの下まで向かった。

「……と言う訳で、以前お伝えしていた問題が片付きました。ですが向こうしばらくは、突発的に忙しくなる可能性がありまして、一方的なご相談となり申し訳ないのですが、そのあたりご理解を頂けたらと」

「わざわざご説明を下さりありがとうございます。まずはササキさんが無事に戻られたことにあんしております。今後についても承知しました。無理なことをお願いするつもりは毛頭ありませんので、末永くお付き合いできたら幸いです」

「ありがとうございます。とても助かります」

「あれだけ素晴らしい品ですから、その製造も大変な手間でしょう」

 副店長さんには、商品の製造過程で問題が発生したと伝えさせて頂いた。まさか素直にあちらの世界での出来事を説明する訳にはいかないので、こればかりは仕方がない。当面は製造ラインが安定しないうんぬん、ご説明させてもらった。

「それで早速なのですが、今回見て頂きたいのは……」

 場所はいつもの応接室、そのソファーに腰掛けてのやり取りだ。

 正面のローテーブルに、日本から持ち込んだ品々を並べていく。砂糖やチョコレートといった定番商品については、商会へ足を運んだ時点で他の担当者に受け渡した。この場に残っているのは新たに持ち込んだ品々だ。

 前回に引き続き、アウトドア製品で攻めてみた。

 色々と持ってきたけれど、目玉となる商品は二つ。弓矢を利用した狩猟と併せて、釣りも同じような層の貴族に人気がある趣味とのことで釣具を一式。また、現地での連絡手段として、トランシーバーと乾電池のセット。

 それぞれ機能と使い方を副店長さんにご説明した。

 食いつきが良かったのはトランシーバーだ。

「……ササキさん、これはすごいですよ」

「たしかに便利な品ではありますが、先程ご説明した通り、利用には燃料が必要です。この小さな金属を一つ使って、一日と少し動かすことができます。金属の中に収められている力がなくなったら、何の役にも立たないので注意して下さい」

「そうだとしても大したものです。ですがこれは狩猟などではなく、戦の為の道具ではありませんか? 仮にそちらの燃料が一つ金貨百枚であっても、買い求めるだけの価値はありますよ」

「そうですね、元々は戦の為に開発された道具です」

「そのような物を我々に売ってしまって、よろしいのですか?」

 ずと言った面持ちで問い掛けてくる。

 後々問題になったらどうしよう、とか考えているのかも。

「数には限りがありますし、燃料の金属も有限です。また、仮に分解して中身を解析したとしても、恐らく同じものを作ることは困難だと思います。なので少数であれば販売しても問題ないと判断しました」

「なるほど……」

 ワンセット数千円の安価なトランシーバーだけれど、こちらの世界では価値があるようだ。その開発に携わった過去の偉人一同に感謝しつつ、自分やピーちゃんが異世界でぜいたくする為の資金源として、ありがたく利用させて頂こう。

 原始的な品ならまだしも、昨今の送受信機は集積回路で実装されている。こちらの世界でリバースエンジニアリングされる可能性は皆無である。なんかチョコのかけらみたいなのが入っているな、くらいの認識で終えられると思う。

 そして、トランシーバーや釣具以外の商品も、それなりに需要があるとのことで、持ち込んだ品々については、丸っと引き取ってもらえることになった。今回も在庫を抱えずに済んでホッと一息である。

 気になる買取価格は、込み込み金貨五千六百枚とのこと。内三千枚は三セットのトランシーバーと、これを動かす為の乾電池五十本である。過去最高のプライシングを受けて、手持ちの金貨が一万枚近くまで膨れ上がった。

「この度も素晴らしいお取り引きをありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ素早いご対応を恐れ入ります」

 ローテーブル越しに頭を下げて、取り引き終了のご挨拶。

 そこでふと、これまで気になっていたことを尋ねてみることにした。

「ところで一つよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「こちらの商会の代表の方はいらっしゃいますか?」

 いつも副店長のマルクさんが相手をして下さるので、一度も顔を見たことがなかった。日本では数日の期間ながら、こちらの世界では数ヶ月近い時間が経過している。ご挨拶くらいした方がいいのではないかと考えた次第だ。

「代表のハーマンは、大きな商談を行う為に首都まで足を運んでおります。そして、今年一杯は戻る予定がありません。もしも急ぎのご用ということであれば、手紙を出させて頂きますが、いかがしましょうか?」

「いえ、それなら大丈夫です」

「よろしいのでしょうか?」

「もしもいらっしゃるようなら、ご挨拶をと思いまして」

「そういうことであれば、こちらに戻った際には是非お願いします」

「ありがとうございます」

 自動車や新幹線といった高速な移動手段が存在しない為、他所の町と行き来するのにも時間が掛かることだろう。ピーちゃんに瞬間移動の魔法を頼めば、サクッと行って帰ってくることができるかもだけれど、当面は保留だ。

 能力者云々で乱れた生活習慣が落ち着くまでは控えておこう。

 仕事にさえ慣れたのなら、商社勤めより自由な時間は増える筈である。


    *


 副店長さんと別れた後は、フレンチさんに会って話をした。

 飲食店の経営状況は相変わらず順調とのこと。レシピも大半を消化したそうで、同日は彼のお店でご飯を食べさせてもらう運びとなった。書き入れ時から外れて店がいた時間帯、店内の奥まった場所にある個室にテーブルを用意してもらっての食事だ。

 二人がけの控えめな円卓、対面には卓上にピーちゃんの姿がある。

『これはなかなかいな。経験のない味だ』

「こっちの世界だと、香辛料の種類が少ないからかな?」

 我々が食しているのはスープカレーだ。

 日本で流通している一般的なカレーライスは見た目がよろしくない。いきなり出しても食べてもらえない可能性があった。そこで先んじてスープカレーを提案したところ、これが存外のことウケているそうな。

 ただし、利用しているスパイスの大半は、砂糖やチョコレートと一緒に日本のスーパーから持ち込んでいる。なので一日十食の限定商品とのこと。今後は現地の食材での再現を検討したい。

『肉が柔らかくて美味い。ピリピリしているのもいい』

「たしかにこの肉の柔らかさはたまらないね」

 完成度は想像した以上だった。

 もしかしたら辛いだけのスープになってしまうかも、などと考えていたのだけれど、ちゃんとレシピ通り作って下さったようだ。こうなるとまだ見ぬ他のレシピの料理についても、今から期待してしまう。

 ちなみにピーちゃんの分はお肉多め。

「あの、い、いかがでしょうか?」

 食事を取っていると、フレンチさんが我々の下までやってきた。

 いつものエプロン姿である。

「とても美味しいです。こちらが思い描いていたとおりですよ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「こちらこそ見事に再現して下さり、ありがとうございます」

 彼のおかげで、ピーちゃんに多少なりとも報いることができた。フレンチさんとは出会いこそひどいものであったけれど、結果的にはこうしてお誘いして良かった。お店の経営も商会の副店長さんと協力して、まるっと面倒を見て下さっている。

 当然、お礼をするべきだろう。

 事前に用意していた金貨の包みを差し出させて頂く。金貨を束にして紙とテープで留めたものだ。流石さすがに裸で渡すのが申し訳なく思えてきたので、それっぽくデコってみた。大河ドラマに出てくる江戸時代の小判みたいな感じ。

「こちらは先月分のお給料となります」

「あ、ど、どうもありがとうござ……え、あの、これはっ……」

「レシピを再現して下さったお礼も入っております」

「……ほ、本当にもらってしまっていいのですか?」

「どうぞ、お受け取り下さい」

 金貨も三十枚となると、結構な厚みがある。

 こちらのお店の収支については、商品の持ち込みと併せて、商会で副店長さんから共有を受けている。先月は金貨百枚の黒字だったという。自分はこれといって何もしていないのに、金貨百枚が懐に転がり込んできた。現場に還元しない訳にはいかない。

「こ、今後も誠心誠意頑張らせて頂きます!」

「是非よろしくお願いします」

「はい!」

「それと来月からは、店の利益に見合った額をご自身で計上して下さい。今後こちらのお店の経営に関しては、フレンチさんに全ておまかせします。月に一度、報告だけ上げてくだされば結構です」

 いちいちお給料を渡しに行くのも面倒である。それにこちらの都合で会いに行けない場合も、今後はちょくちょく出てきそうだ。そう考えた時、お店のことについては、もう全部彼に任せてしまった方が無難だと思う。

 ハーマン商会さんのサポートもあるから、きっと大丈夫だろう。

「え、それって……」

「いつも丸投げで申し訳ありませんが、お店を頼みます」

「は、はいっ! ありがとうございます!」

 しかしなんだ、自分が努力した訳でもないのに、こうして畏まられると居心地がよろしくない。どれもこれもピーちゃんのおかげである。当の本人が目の前に鎮座している手前、フレンチさんに持ち上げられると、なんとも言えない気分である。

 彼自身は我関せず、めっちゃ美味しそうにお肉をついばんでいらっしゃるけれど。

「すみませんが、あとは勝手に楽しませて頂いても構いませんか?」

「え? あ、は、はいっ! それでは失礼いたします!」

 それとなくお伝えすると、彼はちゆうぼうに戻っていった。

 ここ最近はピーちゃんに苦労ばかり掛けてしまっているので、こちらのお店のご飯で少しでも気分を良くしてくれたら嬉しい。同店の存在は彼の為と称しても過言ではない。当面は今くらいの感覚で、ゆっくりと運営してもらえたら幸いだ。

『しばらくはこの店で食事をりたい』

「それは僕も同意見だよ」

『他にも色々とレシピを渡したのだろう?』

「そうだね」

『それらはこれと同じくらい美味いのか?』

「個人的にはそう思うけど」

『貴様、なかなかやるじゃないか』

「ピーちゃんに満足してもらえて嬉しいよ」

こうぎゆうのシャトーブリアンは残念だったが、これはこれで良いものだ。他にも色々と控えているとあらば、当面は楽しむことができるだろう。これであちらの生活が落ち着けば、我々の生活もしばらくは安泰だな』

「早いところ落ち着くといいんだけどねぇ……」

 ご満悦な文鳥の姿を眺めて、自身も心が温かくなるのを感じた。


    *


 おなかが膨れた我々は、次いで魔法の練習にやって来た。

 場所は以前と変わらずだ。活動の拠点であるエイトリアムの町が所在する草原地帯と、これに隣接した森林地帯。両者の境目辺りを練習場として利用している。町からはそれなりに離れている為、これといって人と出会うこともない。

 前に訪れた際と同様、ブツブツと呪文を繰り返し唱えては、新しい魔法の習得に躍起となっている。こちらの世界のみならず、あちらの世界でも呪文の暗記には余念がない。スキマ時間を活用して頑張っている。

 そうした努力が実ったのだろう、なんと中級魔法を使うことができた。

『……本当にこの短期間で、中級魔法を習得するとは思わなかった』

「ピーちゃんが譲ってくれた魔力のおかげじゃないかな?」

『いいや、魔力という障壁はたしかに存在しているが、そうだとしても大したものだ。この世界の一般的な魔法使いは、中級魔法を習得するまでに十年以上の歳月を要する。それを僅か数週間の修練で達するとは異例だ』

「そこまで褒められると逆に恐ろしいんだけれど」

 どのような魔法かと言うと、雷撃を放つ魔法だ。

 手元の魔法陣から、ピシ、バリバリっと。

 これが随分と強力で、目にも留まらぬ勢いで放たれたかと思えば、対象に着弾してさくれつする。通電のみならず、最後に直撃部位を激しくえぐる。つまり正しく目標を設定すれば、ほぼ確実に対象を死傷可能なのだ。

 近くに生えていた木に対して、試しに一発撃ち放ってみたところ、樹木はいとも簡単に根本からへし折れた。直撃地点は焼け焦げており、ぷすぷすと煙を上げている。なんて恐ろしい魔法だろう。

『一定以上の障壁があれば、無効化することは容易だ』

「……なるほど」

 ピーちゃん的には、そこまで恐れる魔法でもないらしい。

 肩に乗った文鳥のことが、少しだけ恐ろしいと思ってしまったよ。その矛先が自身に向かうとは決して思わない。けれど、同じ魔法を使う人がこの世界に存在している可能性は非常に高い。なるべく早めに障壁魔法とやらを覚えたいと思った。

 っていうか、今の口振りからすると必須でしょう。

 魔法使い同士の争いだと。

 けるのではなく無効化という対処法が与えられた点に鑑みると、こちらの世界における魔法とは、割と真っ向からの力量勝負と思われる。お互いにお互いの魔法を無効化しつつ、に自身の魔法を有効打とするか、みたいな。

 今し方に確認した雷撃の威力的に考えて、警察の備品を持ち込んだ程度では、これを圧倒することは難しそうだ。仮に現代の武器が手に入ったとしても、生半可な装備では、魔法の前には意味をしそうにない。

「なんていうか、中級魔法って凄いんだね」

『今の魔法は中級魔法でもかなり初級に近い魔法だ』

「え……」

『中級魔法と一口に言っても非常に幅が広い。初級、中級、上級というおおざつな区分となっている手前、それぞれの区分においても上下が存在している。中級でも上位の魔法となれば、かなりの威力を誇る』

「…………」

 ピーちゃんがかなりの威力と言うのだから、きっと相当なものだろう。

 個人的にはそうした危ない魔法よりも、瞬間移動の魔法を習得したい。しかし、こちらも継続して練習しているのだけれど、未だに使える兆しが見えない。上級の更に上という扱いは、決して伊達ではないようだ。

『ついでに言うと上級以上は才能の世界だ。どれだけ努力しようとも、使えない者は使えない。これは保有する魔力量の問題となる。貴様の場合はその制限がない。努力すれば努力しただけ報われることだろう』

「ピーちゃん、僕は上級魔法を覚えるのが恐ろしいよ」

『なんだ、やはり覚えるつもりでいるんだな?』

「…………」

 おぉっと、卑しいおごりを見事に見破られてしまったぞ。

 恐ろしいとは言いつつも、覚えてみたいとは考えていた。

『気にするな、人とはそういう生き物だ。我もそうであった』

「……そうなのかな?」

『第一、ちゆうちよしていられないのが貴様の置かれた身の上だろう? 我が共にいれば守ってやることもできるが、別々に行動していたのではそうもいかない。上級魔法を覚えれば、向こうでも安心して暮らせるぞ』

「そうだったね」

 いつの間にか魔法の習得が死活問題になっている。


    *


 翌日、町のお宿で惰眠を貪っていると、副店長さんがやってきた。

 なんでも子爵様の下へ一緒に来て欲しいとのこと。先日納品させて頂いたトランシーバーを献上に向かいたいとの話であった。そういうことであればと、手早く支度をしていつぞやのお城に向かう。

 道中は彼が馬車を用意してくれた。

 出不精な現代人としては、その心遣いが非常に嬉しい。

 城内では以前の謁見も奏功して、怪しまれることなく子爵様の下まで通された。前は謁見の間的なスペースでのご挨拶であったけれど、本日は応接室を思わせる部屋にご案内を受けてのやり取りである。

「なるほど、たしかにこの箱から声が聞こえてくるな……」

 子爵様には既に副店長さんから話がいっていたようだ。

 恐らく自分が魔法の練習をしていた間に、こちらまで足を運んでいたのだろう。日本での騒動から中級魔法の習得を優先した為、商品に関するやり取りについては、丸っと副店長さんにお任せしてしまっていた。

「こちらの商品についてですが、我々ハーマン商会としましては、ミュラー子爵にこそ納めるべきと考えております。下手な相手に売ったのでは、後々困ったことになるやもしれません。いかがでしょうか?」

「あぁ、その心遣いを嬉しく思う」

 副店長さんの言葉に子爵様が深く頷いて応じた。

 どうやら当面の売り先が決定したようだ。

 ミュラー子爵の手には、搬入したばかりのトランシーバーが握られている。どういった機能、用途の製品であるのか、副店長さんに協力してもらい実演していた。それを無事ご理解頂いたところである。

「ササキよ」

「はい」

「こちらのトランシーバーとやらについては、他所に回すことなく、全てを私の下に流して欲しい。燃料となる電池という金属に関しても同様だ。また、その存在についても他言無用で頼みたいのだが、できるか?」

「それは問題ありませんが……」

「商売の邪魔をするようなことを言ってしまい悪いとは思う。代わりにこちらの商品についてだが、あればあるだけ買い取ろう。価格に関しても、ハーマン商会が買い取った額に色を付けていい」

「承知しました。そのようにさせて頂きます」

「うむ、助かる」

 思ったよりも無線機は引き合いが強そうである。

 ただ、異世界のお財布には既に結構な額が収まっている。当面の暮らしは安泰だ。なので急いで沢山持ち込むような真似はする必要もない。ちょいちょいと小出しにして、子爵様に会う機会作りに利用する程度で十分だろう。

「それとササキよ、私から一つ伝えておきたいことがある」

「なんでございましょうか?」

「もしかしたら、その方を頼る日が訪れるかもしれん」

「え、それは……」

「悪いが詳しい説明はまだできん」

「……承知しました。その際には謹んでお受け致します」

 正直、ごめんなさい、ってお伝えしたかった。

 しかし、相手はお貴族様である。まさかお断りすることなんてできない。それはたとえば社長命令のようなもの。ご本人はいい人っぽいから、断ってもとがめられないかも知れないけれど、周りからどう思われるかは別問題だ。

 そんなこんなで子爵様との謁見は終えられた。

「ササキさん、子爵が仰っていた件ですが……」

 お城からの帰り道、別れ際に副店長さんから声を掛けられた。

「あ、はい。なんでしょうか?」

「最近、隣国との関係が悪化しているとうわさに聞きまして」

「…………」

「備えておいた方がいいかもしれません」

 これまたとんでもない噂である。

 今このタイミングで彼が語ってみせたということは、きっとそういうことなのだろう。こちらの副店長さんはしっかりとした人だ。不確かな情報を流して相手を混乱させるような真似はしない。かなり確度の高い情報だと思われる。

 障壁魔法の習得の優先順位が跳ね上がったぞ。

 以降の数日はピーちゃんにお願いして、身の安全を守る魔法について、色々と学ぶことになった。できれば回復魔法についても、より強力なものを覚えておきたい。ピーちゃんは自分がいれば大丈夫だと言うが、それでも不安なものは不安である。


    *


 数日間にわたる魔法の練習を終えて、自宅アパートに戻ってきた。

 いずれの世界でも問題の尽きない昨今、メンタルにはいささか不安が残る。けれど、異世界で手に入れた上質な睡眠と美味しいご飯のおかげで、肉体的にはかなり良いコンディションである。この調子であれば、本日も元気良く過ごせそうだ。

 久しぶりに筋トレとかしてみようかな。

 などと考えたのが良くなかったのだろうか、戻った直後にスマホが震えた。

 個人所有のものではなく、課長から受け取った一台である。

 ディスプレイを確認すると星崎さんの名があった。

「はい、佐々木ですが」

「今すぐに登庁してもらえないかしら? 急ぎの仕事が入ったの」

「それは阿久津さんからの……」

「課長からの指示よ。頼んだからね?」

「……承知しました」

 残念である。

 星崎さんの独断専行であったら、適当に言い訳を並べて逃げようと考えていた。しかし、課長からの指示となると無視する訳にはいかない。今すぐにとのことなので、大急ぎでスーツに着替えて荷物を支度する。

「行ってくるよ、ピーちゃん」

『うむ、気をつけるといい』

 しかしなんだろう、こうして送り出してくれる人がいるって素敵だ。


    *


 二度目の登庁ともなれば、電車の乗り換えもスムーズである。

 一直線に目的地まで向かうことができた。

 本当はピーちゃんの瞬間移動の魔法のお世話になりたかった。けれど、行き先が行き先ということで、今後は控えることにした。ただし、勤め先の目をす手立ては、今後とも意欲的に模索していきたいと思う。

「おはようございます」

 電話で指示されたとおり、フロア内の会議室に向かう。

 するとそこには既に百名近い人の姿があった。

 ドラマなどでよく見る、何とか事件対策会議的な雰囲気だ。

 ただし、これに臨む人たちは非常に個性的である。

 下は十代の若者から上は六十近い初老まで、シアター形式に並べられたテーブルに対して、老若男女が腰掛けている。髪の色も黒の他に、茶色かったり金髪だったりとにぎやかなものだ。とてもではないが公務員とは思えない人たちである。

 自分と同じようにスーツ姿も見られるが、残念ながら少数だ。

「来たか」

 こちらの姿を確認して、課長が声を上げた。

 彼は部屋の正面に設けられた大型のスクリーンの傍らに立っている。映し出されているのは、人の顔と思しき写真の連なりだ。バストアップに混じって、明らかに盗撮だろうと思しきショットもチラホラと。

「佐々木君、こっちに来てくれ」

「あ、はい」

 促されるがままに彼の隣に並ぶ。

 どことなくけんのんな雰囲気を感じさせる会議室。居合わせた面々からは、ジロジロと好奇の視線が向けられる。新卒で前の勤め先に入社した直後、初めて担当のフロアを訪れたときのような感覚である。いいや、それ以上に注目されているかも。

「新しく入った佐々木君だ。今回が初仕事になるので、皆々も気にかけて欲しい。能力については事前に配布した資料の通りだ。恐らく星崎君と組むことが多くなるとは思うが、場合によっては他の者と組むこともあるだろう」

 課長の口から皆々に紹介が行われた。

 チラリと視線を向けられたので、自分からも一言。

「どうぞ、よろしくお願いします」

 能力者的なスペックについては資料が配布されているとのことなので、わざわざ説明する必要はないだろう。軽くお辞儀をして挨拶は終了だ。居合わせた面々からも、質問の声が上がることはなかった。

「空いている席に座って欲しい」

「はい」

 促されるがまま空いた席に腰掛ける。

 チラチラと様子を窺うような気配こそ感じるが、話し掛けてくる者はいなかった。

 そして、こちらが椅子に座ったことを確認すると、再び正面に立った課長が口を開いた。ぐるりと部屋全体を見渡すようにしての口上である。

「佐々木君が来たので、本日集まってもらった理由を説明する」

 どうやらすぐに仕事の説明に入るようだ。

 皆々の意識が向かったのは正面のスクリーン。そこに並んだ写真を指し示して、彼は淡々と語り始めた。いわく、映し出されているのは、国の組織への従属を拒む、非正規の能力者たちだという。

 便宜上、国に所属している能力者を正規の能力者、所属していない能力者を非正規の能力者、国が運営する組織を知らない能力者を野良の能力者として、こちらの局では扱っているらしい。

 そうした非正規の能力者の間には、いくつかの組織化された仲良しグループが存在しており、その中でも比較的大きな二つのグループに所属する構成員が、スクリーンには映し出されているとのこと。

 当然、局からすれば全員が摘発対象だ。常日頃から行方を追い掛けていたところ、これら二つのグループの間で、正規の能力者に対抗する為、その合併を検討する会合が開かれるとの情報が入ってきたらしい。

 まさか放ってはおけないということで、この場が設けられたそうだ。

 つまり自身の初めてのお仕事は、早い話が討ち入りである。

 なんておっかない業務内容だろう。

 をした場合、ちゃんと労災はおりるのだろうか。

「……以上、質問がある者はいるか?」

 ひとしきり喋り終えたところで、課長が居合わせた皆々を見渡して言った。

 すると早々に手が上がり始める。

 その中から上下スウェット姿の男性が課長から名指しされた。二十代も中頃と思しき粗野な外見の人物だ。乱暴に染められた茶色い長髪が印象的である。処置をしてから久しいようで、根元の黒が目立ち始めてきている。

「今回の仕事ですけど、参加するのはこれで全員なんですかね?」

「実働部隊はこれで全員だ。他に非能力者の局員が数十名ほど、後方から支援に当たる予定になっているが、こちらは原則として戦闘行為には参加しない。万が一に備えて武装はしているが、当てにはしないで欲しい」

「ぶっちゃけ、いけそうなんですか?」

 皆々の面前、二人の間で言葉が交わされる。

 それは自身も気になっていた事柄だ。

「そのように判断したからこそ、こうして皆を集めた」

「ならいいんですけどね……」

 どうやら会議室に居合わせた人たちだけで仕事に当たるらしい。能力者による争いは、単純な人数比では判断できないと思うけれど、スライドに掲載されていた写真の枚数に対して、数の上では負けている。相手は我々の二倍以上だ。

 それからしばらく、課長と局員の間で質疑応答が交わされた。

 気になっていた点についてはすぐに出尽くしたので、自身から声を上げることはなかった。また、質問の大半は現状に対する確認であって、新しい情報が上司の口からもたらされることもなかった。


    *


 業務内容の説明が終わるや否や、我々は現場に駆り出された。

 移動は同局が保有する自動車だ。

 黒塗りのハイエースだ。

 複数台に分かれて、現場に向かい一直線である。

 目的地は都市郊外にある廃ビルとのこと。元々はボウリング場であったらしいが、流行の終了と平成不況の波を受けて廃業。土地と建物が売りに出されるも、買い手が付かずに今まで放置されているらしい。

 現地に到着した我々は課長の指示の下、各々に与えられた役割に従い現場に散っていく。直接対決を命じられた人は正面へ、支援を命じられた人は物陰へ。事前に配布された地図に従っての移動である。

 そして、気になる自身の担当はというと、あぁ、困った。

「頼りにしているわよ」

「……善処します」

 前線で星崎さんの支援である。

 いくらなんでもあんまりだろう。

 正面から突入する彼女のもとに向けて、その後ろから氷柱の形で水分を補給して欲しい、というのが自身に与えられた業務であった。直接的な戦闘行為は不要だと説明を受けたものの、彼女の動き次第ではどうなるか分からない。

 彼女が前に出たら前に出た分だけ、自分も前に出なければならない。

 非常に憂鬱な気分だ。

 異世界ではこうした状況に備えて、障壁魔法の練習を繰り返し行った。

 しかし、未だ習得には至っていない。

 ピーちゃんの言葉に従えば、実用に足る障壁魔法は中級魔法から、とのことである。初級にも同じ効能の魔法は存在はするが、効果は微弱との見解だった。これは単純に魔法の性能の問題である。

 何故ならば初級の障壁では、初級の魔法を受け止めるのが精一杯で、相手がそれ以上の魔法を使えた場合、簡単に破られてしまうのだという。決して無意味ではないが、現場で利用するにはこころもとないと伝えられた。

 また、初級の魔法は障壁がなくても対処可能な場合が多く、実質的に障壁の存在が必須となる中級以上の魔法の打ち合いが発生した場合、初級の障壁は焼け石に水、というのが実情だそうだ。

 そこで最終的には、初級であってもそれなりに有用な回復魔法を優先して習得した。果たしてどちらが正解であったのか、今の自分には分からない。ただ、できることなら共に必要とすることなく済んで欲しい。

『突入』

 耳にめたイヤホン越し、課長の指示が届いた。

 今回の作戦は彼が指揮を執るとのこと。ただし、その所在は戦場予定の元ボウリング場から離れて、路上に停められたバンだ。現場での行動は各々の裁量に任せる的な発言をしていたので、恐らく乱戦が見込まれると考えての判断だろう。

 現地に向かう人間としては、これでもかと不安を覚える。

「行くわよ!」

「……はい」

 星崎さんの背中を追い掛ける形で、駐車場を建物に向かい駆ける。

 気分はノルマンディーに上陸する連合軍さながらだ。

 今のところ味方以外、人の姿は見受けられない。しかし、どこから何が飛んでくるとも知れないので油断は禁物だ。能力のみならず、銃器による狙撃にも注意する必要があるそうで、物陰に隠れながらの移動である。

 希望者には装備が貸し出されるとのことで、自分はこれを頂けるだけ頂いた。そのため外見は警察の特殊部隊の人みたいになっている。まさかボディーアーマーや戦闘用ヘルメットを装着する日が来るとは思わなかった。手には防弾シールドである。

 希望者のみ貸出となっているのは、人によっては能力の都合があるからだ。ただし、大半はちゃんと身を固めている。星崎さんも本日は自分と同じようなかつこうをしている。違いはシールドの有無。能力を使うのに邪魔だそうな。

 聞いた話によると、過去には半袖シャツとジーンズで出動した局員が、狙撃により頭部を撃ち抜かれて死亡した事件があったらしい。その事実を研修で伝えるようになってから、装備の貸出率が跳ね上がったとかなんとか。

 各種備品の取り扱いについても、皆さん能動的に日々訓練しているらしい。

「……誰もいないわね」

「そうですね」

 裏口から侵入して、メインフロアに抜けた。

 営業を停止してから長いようで、内部はかなり荒れている。不良の出入りも多分にあったようで、随所に落書きがしてあった。空き缶やペットボトル、コンビニのビニール袋など、やたらとゴミが目に付く。ボウリングのレーンも穴だらけだ。

 しかし、局の人間以外には、誰の姿も見られない。

 もしかして早く来すぎてしまっただろうか。

 いやいや、そんな馬鹿な。

 しんと静まり返ったフロアを眺めていると、なんとも危うい気配を感じる。星崎さんも同じように考えたらしく、彼女からすぐに指示があった。回れ右をして元来た道を戻ろう、とのことである。

 これに自分が頷いた直後の出来事だ。

『すまない、敵に捕捉されっ……』

 耳に入れたイヤホンから課長の声が届けられた。

 間髪をれず、無線越しに炸裂音。

 ズドンと火薬がはじけたような音である。

「っ……」

 これと時を同じくして、我々の周囲でも変化があった。

 フロアのそこかしこに散らかっていた建材の破片やボーリングの玉、放置されたピンなどが、次々と空中に浮かび上がり始めたのである。かなりの数だ。恐らく三桁近いのではなかろうか。

「まさかっ……」

 星崎さんの表情がこわった。

 いいや、彼女に限らずフロアに突入した面々の表情が、一様に変化していた。まるで万引きを咎められた学生のような、きようがくと恐怖の入り混じった面持ちである。こうなると新米局員としては気が気でない。

 自身と最前線に立った彼らとの間には、二、三十メートルほどの距離がある。初陣ということもあり、物陰に隠れての追従を指示されていた。しかし、それでも膝がガクブルと震えるのを抑えられない。

 事前にもらった資料によれば、物を浮かせるタイプの能力者はいなかった気がする。見た感じサイコキネシスというか、念動力というか、そういった類いの能力を思わせる。なかなか汎用性の高そうな代物だ。

「佐々木、逃げなさいっ!」

 そうかと思えば、星崎さんから撤退の命令が下った。まさか能力を一度も使用せずに、彼女から撤退の命令が出るとは思わなかった。とりあえず一発殴ってから考えるタイプの人だとばかり考えていた。

 彼女たちも思い思いの方向へフロア内を散っていく。

 その直後、空中に浮かんでいたあれこれが動いた。

 急に加速して、逃げ出した突入部隊に向かい飛んでいった。

 変化に気づいた面々は、大慌てで守りに入る。

 ある人は回避を試みて失敗。どうやら対象を追尾してくるようで、一度は避けたものの後ろから回り込まれていた。また、ある人は防弾シールドを構えて対抗を試みたものの、シールドごと吹き飛ばされてしまう。

 道理で重量のあるものばかり浮かんでいた訳である。しかも空を飛び回る速度は凄まじく、頭部に直撃を受けた人は首から上が破裂している。上手く減速を狙えた人も、身体に当たっては負傷を免れない。

 フロアに突入した局の人たちが、次々と倒れていく。

 比較的無事なのはシールドを持ち込んでいた人たちだ。

 しかし、それも時間の問題だった。重量物による体当たりは一度ではない。次から次へと持ち上がり、四方八方から繰り返し放たれる。幾度か防いでも、やがては力負けして被弾、からのめつ打ちである。

 シンプルな能力ながら非常に恐ろしい。

 ハリケーンの暴風域から逃れることができたのは、出入り口に近いところにいた人たちだ。つまり自分を含めて、最前線に向かった面々を援護するべく、隅の方に控えていた人員である。恐らく距離的な制限がある能力なのだろう。

「星崎さん、水をお送りします!」

「頼むわっ!」

 その間に自身は逃げ惑う同僚に向けて、人間大の氷柱を打ち出す。

 以前よりも大きめだ。

 一本と言わずに十本、二十本と。

 彼女は手元まで到達した氷柱に指先で軽く触れる。すると氷柱は水に姿を変えて、周りをぐるりと取り囲むように壁となった。まるで水族館の水槽のように、一メートル近い厚みのある水が、星崎さんの周囲を円柱状に覆っていく。

 最中には何度か重量物がぶつかったが、水の壁に阻まれて勢いを失う。反対側に突き抜ける頃には、勢いの大半を失っている。それでも当たれば痛いだろうが、少しあざができる程度と思われる。

 氷柱を数十本ほど送ると、彼女の壁は上から下まで完成した。

 パッと見た感じ、一人水族館状態である。

 不意に魚類を流し込みたい衝動に駆られる。

「いい働きよ、佐々木っ!」

「どうもです」

 怖いのは壁に遮られて足元に落ちた重量物の再来だが、これは忙しなく動き回ることで対応する腹積もりのようだ。水の壁に守られながら右へ左へ駆け巡る星崎さん。当面はハリケーンの中でも活動ができそうである。

 しかし、そうした判断も次の瞬間には崩れた。

 なんと彼女の身体が、ふわりと宙に浮かび上がったのである。

「っ……」

 どうやら人体もハリケーン現象の対象となり得るようだ。


    *


 恐る恐る臨んだ初陣は、しよぱなから大惨事の予感である。

 フロア内では建材の破片やボーリングの玉など、重量のあるあれやこれやが、どこの誰の能力に因るものか、凄まじい勢いで宙を飛び回っている。まるで局所的にハリケーンでも上陸したかのようだ。

 これを受けて突入部隊は全滅。

 課長が運用していたドローンも、全て撃ち落とされてしまった。

 活動しているのは星崎さん一人だけ。

 そうした彼女もまた、ついには建材の破片やボーリングの玉と同様に、ハリケーンの餌食となってしまった。敵グループの能力者による行いだろう、身体がふわりと空中に浮かび上がり、天井付近まで持ち上がる。

 そうかと思えば、頭を下にして床に向けて急加速。

 見た感じソロでパイルドライバー。

 ただし、彼女の周りには縦横無尽に動き回る水の壁が存在しているから、これといってダメージを受けることはない。水が衝撃を吸収することで、衝突から身体を守っていた。被害があるとすれば、都度水の中に身体が入り込んで濡れる程度だろうか。

 現状を抽象化して考えると、水を操るという彼女の能力もまた、念動力的な側面を備えている。これにタンク係の自身が付き従えば、ハリケーンの人ともある程度は勝負になる、というのは割と自然な話なのかも知れない。

 ただし、相手の姿が見えない為に、戦況は彼女の防戦一方だった。

「佐々木っ……に、逃げなさいっ!」

「ですが……」

 上司からも連絡がないし、逃げるのが得策だろう。

 だが、そうなると星崎さんはどうなるのか。

 他に控えていた前線支援の面々は、既に姿が見られない。どうやら逃げ出した後のようだ。こうなると自分もめっちゃ逃げたい。けれど、彼女のパートナーという立場上、どうしても決断することができない。

 倒れた同僚の中には、見るからにお亡くなりになっている人も多い。水の安定供給が失われたのなら、彼女もそこに仲間入りしかねない。後々になって星崎さんの訃報など届けられた日には、メンタルに支障をきたしそうだ。

「このままだと死ぬわよ!? いいから、い、行きなさいっ!」

「パートナーである貴方を残して逃げる訳にはいきません」

「っ……」

 それに何よりも、敵前逃亡で重罰、などと言われたら大変だ。

 以前、自衛隊の規律について本で読んだ覚えがある。敵前逃亡は七年以下の懲役または禁固となっていた。まさか彼らと同じとは思わないけれど、それに近い規則が整えられていても不思議ではない。

 というか、公務員として現場での活動に特別手当が出る時点で、絶対にあると思うんだ。思い起こせばそういったあたりの規定については、ほとんど確認していなかった。法律の上では存在しないかも知れないが、内々ではどうだか分からない。

 逃げるにしても、その辺りを考慮した上で──

「思ったよりも奮闘しておるのぅ」

 などと、あれこれ悩んでいたのがよくなかった。

 フロアの片隅で新たに人の気配が生まれた。

 ボウリングのレーンがあるメインフロアに対して、その隅に延びていたトイレに通じる一角である。見たところ小学校中学年ほどと思しき和服姿の女の子だ。腰下まで伸びた長い黒髪に、色白い肌が印象的である。

 彼女が一連のハリケーンの元凶だろうか。

「なっ……」

 その姿を確認して、星崎さんの口から悲鳴じみた声が上がった。

 戦闘狂の彼女らしからぬ反応である。

「だがまあ、これで終わりじゃろうがのぅ」

 少女の姿を目撃して早々、星崎さんは水の壁から氷柱を作り出し、これを相手に撃ち放った。一つ一つはペットボトルほどのサイズで、先端の鋭くとがった幾十という氷が、我々の見つめる先で少女めがけて飛んでいく。

 これに対して先方は地を蹴って走り出した。

 勢い良く飛んでくる氷柱を器用にかわしながら、右へ左へ進路を変えつつも、星崎さんの下に向かい猛然と迫る。その速度はとてもではないけれど、子供の足とは思えない。まるで野生動物のようだった。

 やがて水の壁の正面まで到達した少女は、大きく右腕を振り上げる。

 星崎さんが正面の水を氷に変えた。

 構わずに振り下ろされた少女の拳が、分厚いそれを直撃。

 ガツンという大きな音と共に、氷は音を立てて割れた。その先から現れたのは、驚きから目を見開いている星崎さんのお顔である。まさかそんな馬鹿なと、言外に訴えてまない表情であった。

 そうした彼女の頬に、少女がそっと指先で触れた。

「殺しはせん。なかなか使えそうな能力じゃ」

 その行為に一体どういった意味があったのか、詳細は定かでない。ただ、少女に触れられると同時に、星崎さんの周りに浮かんでいた水や氷が床に落ちた。形を失ったそれらが大きな水たまりを作る。

 同時に本人はガクリと脱力して、ピクリとも動かなくなった。

 どうやら意識を失ってしまったようだ。

 宙に浮いたまま、仕事を終えた操り人形のように大人しくしている。

「…………」

 一連の出来事から察するに、ハリケーンの原因とは別の能力者のようである。つまり我々からすれば、能力者の敵が一人増えたということだ。しかもパッと見た限りでは、どういった能力なのかまるで判断ができない。

 人間離れした身体能力とも関係しているのだろうか。

「……もう一匹、ネズミが隠れているようじゃのぅ」

「っ……」

 なんということだ、こちらの存在にもお気づきの予感である。

 既に敵対組織の会合がどうのと言っていられる状況ではない。恐らく課長は偽の情報を掴まされたのだ。そして、まんまとおびき出された我々は、一方的に奇襲を仕掛ける筈が、逆に仕掛けられてしまったと思われる。

 素直に逃げても、彼女の人間離れした脚力を出し抜けるとは思えない。しかもこちらのはいきよのどこかには、ハリケーンの原因となった能力者が隠れている。下手に動き回るより、まずは落ち着いて状況の確認を優先するべきだろう。

 そのように考えて、逃げ遅れた新米能力者は物陰から一歩を踏み出した。

「すみません。乱暴は止めてもらえると嬉しいです」

「ふむ、見ない顔じゃのぅ」

 ロリっ子の視線がこちらに向けられる。

 めっちゃ可愛らしい。

 古めかしい和服姿と相まって、まるでお人形のようだ。

「はじめまして、佐々木と申します」

「局の人間のようだが、水の出どころはお主か?」

「ええまあ、そんな感じです」

「なるほど、この娘と共に運用すると効果がある訳か」

「…………」

 サクッと舞台裏が看破されてしまった。

 このままではよくない。

 こちらからも話題を振って情報を引き出さねば。

「お二人とも恐ろしい能力ですね。物を飛ばす能力で広域を抑えると共に、貴方の力で漏れてしまった相手を個別に対処していく。もしよろしければ後学の為にも、皆さんの名前を伺いたいのですが……」

「……おぬし、わしらを知らんのか?」

「え?」

 まさか有名人だったりするのだろうか。そんなことを言われても、異能力者一年生の自分にはさっぱりである。結果的に自身の経験の浅さが露見する羽目となってしまった。よりによって一言目で地雷を踏んでしまうとは。

「なるほど、新人というわけじゃな」

「…………」

 女の子の口元に、ニヤリと笑みが浮かんだ。

 助けて、ピーちゃん。本格的にヤバそうな気配を感じるよ。


    *


 圧倒されてばかりの初陣、引率役は撃沈して現場にはルーキーが残るばかり。

 インカム越し、課長も依然として沈黙。

 既に作戦としての体裁は、完全に失われたように思われる。

「ご指摘の通り私は新人です。つい先日局に配属されました。せっかくなので皆さんにご挨拶をしたいのですが、もう一人の方にもお目通りを願えませんか? どちらにいるのかさっぱり分からなくて」

「この期に及んで随分と落ち着いておるのぅ」

「物事を知らないことだけが、今の私の武器ですから」

「それはまた前向きなことじゃ」

 適当に言葉を交わしつつ、フロアの様子を窺う。

 味方の能力者は全滅だ。誰一人の例外なく倒れ伏しており、意識を失っているのか、それとも亡くなってしまったのか、ピクリとも動く素振りは見られない。支援に当たっていた能力者たちも、一向に戻ってくる気配はない。

 一方でハリケーンの原因となる能力者の姿は、どれだけ探しても見つけられない。第三者の能力によって、姿を隠している可能性も考えられる。そうなると今の自分には、見つけることは難しいだろう。

 こうなったら致し方なし。

「繰り返しとなりますが、ご挨拶を願えませんか?」

「悪いがそれはできんのぅ」

「……残念です」

 口元のマイクのスイッチをオフにする。

 自身にとって幸いであったのは、雷撃魔法の詠唱が比較的短かった点だ。連日にわたる呪文の詠唱を受けて、舌のまわりが良くなった現在であれば、数秒と要さずに魔法を完成させることができる。

「っ……」

 手の平を正面に突き出すと共に、覚えたての中級魔法を放った。

 パシッという音が響いて、光の走りが少女の下半身を襲う。目にも留まらぬ速度で進んだ雷撃は、対象へ到達すると共に肉体を炸裂させる。血液や肉が勢いよく飛び出して、ビシャリと辺りを赤く染めた。

 右膝から下が大きく抉れた。

 バランスを崩した小さな身体が床に崩れる。

 めっちゃグロい。

「ぬぉぁあっ……」

 もう少しソフトな魔法でけんせいしたかったとは思うけれど、生きるか死ぬかの状況も手伝い、相手までの到達速度を優先してチョイスした。おかげで非常に申し訳ない光景が、すぐ目の前で展開されている。

 相手が幼い女の子というのが、やはり精神衛生上よろしくない。

 ただ、樹木を一撃で倒壊させるほどの魔法の割に、彼女が受けたダメージは軽い。骨はつながっており、肉が抉れただけ。どうやら障壁的なものが備わっているみたいだ。星崎さんの分厚い氷を素手で砕いた点からも、それは窺える。

 果たして本人の能力なのか、それとも他の誰かの能力なのか。拳銃から発せられる銃弾くらいなら、直撃しても平気な顔で活動しそうな雰囲気を感じる。

 そして、少女の口から苦悶の声が漏れると同時に、周囲では反応があった。

「っ……」

 周りに転がっていた建材の破片やボウリングの玉などが、次々と空中に浮かび上がり、こちらに向かい飛んでくる。やはりハリケーンの原因となる能力者は、何かしらの手立てで身を隠しつつ、距離を詰めていたようだ。

 能力の影響圏内に収まったことで、幾十という重量物が迫ってくる。

 呪文を唱えていたのでは間に合わない。

 実際に現場で魔法を使ったことで、無詠唱の大切さを理解した。

 今後は魔法の新規開拓と併せて、習得済みの魔法を無詠唱にする為の練習にも力を入れていこう。ちなみにピーちゃんは初級、中級魔法の大半を無詠唱で使えるそうだ。なんてハイスペックな文鳥だろう。

 どうか出て下さいと祈りつつ、詠唱を省いて魔法をイメージ。

 チョイスしたのは先程と同様に雷属性。

 自身が備えている最大戦力。

 すると、出た。

 火事場の何とやらだ。

 パシッという音と共に多数の光が走って、目前まで迫った対象を次々と撃ち落とした。砕かれた建材やボウリングの玉が、細かな破片となって脇を通り過ぎていく。直撃コースもシールドに阻まれて無効化。それでも一部が身体に当たったが、少し痛いくらいで済んだ。

 危機一髪、どうにか迫る脅威に対応することができた。

「なっ……」

 すると向かって正面、十数メートルの地点から声が聞こえてきた。

 男性の声だ。

 しかし、そこに人の姿は見られない。

 やはり第三者の手助けを受けて、存在を隠しているようだ。

「この辺りですかね?」

 調子に乗った魔法使いは、声の聞こえてきた辺りに雷撃魔法を放った。位置は低め。続けざまにパシパシッと音が響いて、光が扇状に伸びる。するとその内の一本が何かに接触して、赤いものをらした。

 どうやら正解のようだ。

 何もなかった空間に、ふっと人の姿が現れた。

 二人一組。

 一人は二十代後半から三十代前半と思しき男性である。長めの金髪をオールバックに撫で付けた髪型が印象的だ。値の張りそうなスーツを着用しており、一見してヤクザ屋さんのような雰囲気を感じさせる。

 もう一人はそんな彼に寄り添うようにたたずむ、中学生ほどと思しき女の子。艷やかな黒髪の姫カット、更にゴスロリ衣装という際立った恰好をしている。なかなか可愛らしい顔立ちで、人を選ぶだろう装いが似合っている。

 気になるのは魔法が当たった相手だが、これは前者だ。金髪の男性は魔法に撃たれて、膝から下を失っていた。仰向けに倒れた男を抱きしめて、女の子が大きな声を上げる。甲高い悲鳴がフロアに響き渡った。

 被害を受けた男性は、先程の女の子とは異なり、本来の雷撃の威力がそのまま被害に繋がっていた。両足が消し飛んでいた。彼女以外、仲間も同様の耐性を備えているかもと考えて、遠慮なく撃ってしまった結果だ。

「おぬし、何者じゃ?」

 戦況が一変したことを受けて、和服の少女が声を上げた。

 床に倒れ伏してなおも、平静を保っている。

 両腕を床に立てて、どうにか顔を上げつつの問い掛けだ。

 怪我が痛くないのだろうか。

「先程伝えたとおり、先日こちらの業界に入ったばかりの新人です」

「…………」

 油断ならない眼差しで、ジッとこちらを見つめている。

 彼女たちをこの場で倒すことは可能かも知れない。

 しかし、課長から命じられた作戦内容は、能力者たちの捕縛である。更に先程の会話に従えば、居合わせた能力者はかいわいに通じた有名人のようである。この場でどうこうした結果、今後の自身の扱いに影響が出ては大変である。

 それと気になるのは、倒れた女の子の肉体の変化だ。床に倒れ伏した彼女の片足が、現在進行形でうごめいている。しかもどうしたことか、肉や管が伸び始めている。まるで刻一刻と元の形を取り戻そうとしているように見える。

 めっちゃキモい。

「私から一つ、皆さんに提案があります」

「……言うてみぃ」

「この場で起こったことを他言しないと約束して下さるなら、私はこれ以上、皆さんに手出しをしません。今回の一件については、お互い引き分けということにしませんか? こちらも深追いをして怪我をするのはごめんですから」

「…………」

 逆恨みから自宅を特定、襲撃などされた日には目も当てられない。ただでさえ課長の動きが怪しい昨今、これ以上は個人的な敵を生みたくない。異世界に逃れる術があるとはいえ、現代日本での生活も自身にとっては大切なものだ。

「いかがですか?」

「……わかった」

 和服の少女は悩む素振りを見せた後、小さく頷いた。

 交渉成立である。

 そうかと思えば自身の面前、どこからともなく人が現れた。床に倒れた和服の少女の傍ら、何もなかった場所に新キャラが登場である。ピーちゃんの瞬間移動さながら、ふっと音もなく現れた。きっと似たような能力が存在しているのだろう。

 見た目は二十歳ほどと思しき女性。おっぱいが大きくて、お尻も大きくて、女性的な魅力に満ち溢れている。白いブラウスにベージュのジャケット、ネイビーのキュロットといったちが、若々しい外見と相まって新入社員って感じ。

「おぬし、佐々木と言ったかのぅ?」

「はい」

 和服の彼女から名前を呼ばれた。

 今更ながら偽名を名乗っておけば良かったと思った。ただ、調べようと思えば自宅のポストを盗み見たくらいで、簡単に調べられる情報だ。この期に及んで隠し立てすることもないと開き直って返事をする。

 すると彼女から続けられたのは予想外のご提案。

「儂らの組織に興味はないかぇ?」

「残念ながら自分は、長いものに巻かれて安心するタイプなもので」

「……そうか」

 この期に及んで勧誘とは恐れ入る。

 見た目相応の年齢とは、とてもではないけれど思えない。

 下手をしたら年上かもなんて、ふと思ってしまった。

 外見を偽る能力が存在していてもおかしくはない。

「いつか気が向いたら、声を掛けてもらえると嬉しいのぅ」

「そうですね。機会があったら是非お願いします」

 気づけばいつの間にやら、金髪の男性とゴスロリの女の子が、和服の少女の下に近づいていた。両足を失った前者は、後者に身体を引きずられてのことである。おかげでフロアの床が酷いことになっている。血に汚れて真っ赤だ。

「では、我々はこれで失礼しようかのぅ」

「あ、ちょっと待って下さい」

「……なんじゃ?」

「うちの上司ってどうなってますか? 年齢は三十代くらいで、割と男前な人なんですけれど。ついさっきまで外で指揮を取っていたんですが、こちらのフロアが荒れ始めてから、一向に連絡が付かないんですよ」

「…………」

「どうしました?」

「あの者の身柄が必要かぇ?」

「自分にとっては大切な上司ですから」

 転職から間もないこのタイミングで、上司が替わるのは避けたい。得てして新任は前任の行いを否定しがちだ。直近で前任者の手により採用された新人など、ストレスのぐちとしては、これ以上ないサンドバッグである。

 封建的な文化が息づく公務員社会ともあらば、それはきっと顕著だろう。

「……わかった」

「息災でしょうか?」

「今回は痛み分けじゃ。素直に戻すとしよう」

「ありがとうございます」

 どうやら課長さん、敵グループにゲットされていたようである。指摘しなければ、そのままお持ち帰りされていた、ということになるのだろうか。まるでブラック企業を相手に仕事をしているような気分である。

 コンプライアンスもへったくれもあったものじゃない。

「ではな……」

「ええ、どうぞ今後ともよろしくお願い致します」

「…………」

 去り際、和服な彼女の表情がムヘってなった。

 眉間にシワが寄っていた。

 咄嗟に出てしまった文句が気に入らなかったのだろう。

 社畜の条件反射のようなものだから勘弁して欲しい。

 そして、最後に現れた色っぽい女性の能力は、やはり瞬間移動であった。こちらの挨拶に合わせて、彼ら彼女らの姿が音もなく消えた。ロリっ子の傍らに移動していた二名も含めて、まるっと現場を離脱したようである。

「…………」

 後に残ったのは、壊滅してしまった局のチームだけだ。


    *


 そんなこんなで一晩が過ぎて翌日、昨日と同様に上司の命令で登庁した。

 ちなみに昨晩は現場から戻って早々、近隣のホテルに業務命令で拘束されていた為、ピーちゃんの待つアパートに帰宅することができなかった。当然、異世界にも足を運べていない。副店長さんやフレンチさんには申し訳ないばかりだ。

 それでもどうにか、無事に生きて帰ることができた。

 まずはこの点を素直に喜んでおこうと思う。

 ただ、安堵しているのは自分だけだ。後ほど確認したところ、作戦に参加した能力者の七割が亡くなってしまったとの話である。生き残ったのは大半が前線支援の能力者らしい。今回の一件で局が受けた被害は甚大とのこと。

 担当内は大混乱であった。

 局勤めの能力者が全員参加したという訳ではない。しかし、失われた人員は決して少なくないそうな。しかも前線で活躍できる局員は、能力の他にメンタルや素質も含めて、一定以上の水準が求められることから貴重らしい。

 当面は大規模な行動が取れないだろう、との説明を受けた。

 そして、司令塔且つ責任者である課長は、やはり敵グループにさらわれていたようである。こちらが和服の少女と交渉を終えたタイミングで、特に理由を説明されることもなく、一方的に解放されたと語っていた。

「……それで、敵は勝手に撤収したと?」

「ええ、そうです」

 おかげで面倒臭いのが事後の事情聴取である。

 局に呼び出された自分はすぐさま声を掛けられた。六畳ほどの手狭な会議室で、机越しに課長と向き合っている。他に人の姿は見受けられない。登庁するや否や、即行で同所まで連れて行かれた次第である。

「…………」

「課長は何か聞いてはいませんか?」

「いいや、こちらもこれと言って情報は入っていない」

 そうして語る上司の顔は、頬に大きなガーゼが当てられていた。スーツのジャケットの袖口からも、ちらりと白いものが覗いている。自身の知らないところで、彼もまた争いに巻き込まれていたのだろう。

「ところで課長、今回の作戦を行うにあたって参考にした情報ですが、どちらから与えられたものなのでしょうか? 他の局員の方々からも報告は上がっていると思いますが、相手は完全にこちらの動きを知っておりましたよ」

「……その点については私の失態だ。申し訳なく思う」

「教えて頂くことはできませんか?」

「悪いが、それはできない」

「そうですか……」

 こういうのがお役所勤めの辛い点だと思う。

 中央省庁の課長職ともなれば、本国においては官僚である。その裁量は何気ない決裁の一枚が、幾百、幾千という民間人の生活に影響を与えることもあるそうだ。だからこそ、駄目と言ったら絶対に駄目なのだと思う。

 ただ、それでも追及は十分に行っておく。

 何故ならばそうしないと、逆にこちらが追及されそうだから。

 やましい身の上を隠す意味でも、逆ギレ風味で対応するのが吉とみた。

「局が抱えた能力者について、何か探っていたのではありませんか? もしくはこうして数を減らすことこそが、目的であったのかも知れません。入局から間もない身の上で、勝手な想像を申し訳ないとは思いますが」

「…………」

 あれこれと当たり障りの無い意見を述べさせて頂く。

 すると彼は何やら考え込む素振りを見せ始めた。きっとこちらの身柄を疑っているのだろう。タイミング的に考えて、これ以上ないほど怪しい状況で勧誘された我が身である。敵グループのかんちようだと思われても仕方がない。

「もしかして、私のことを疑っておいでですか?」

「ああ、そのとおりだ」

 おっと、思ったよりも素直なご意見である。

 ジッと真正面から見つめられた。

 まさか異世界や魔法といったキーワードを公にする訳にはいかない。しかし、そうなると敵グループが去ったことに説明がつかない。そこで自分から彼に対して取れるアクションは、同様に疑問を返すばかりだ。

「だとすれば、私も課長を疑っております」

「……なるほど」

 後になって聞いた話だが、なんでも現場で遭遇した和服の少女とハリケーン属性の男性とは、本国の異能力業界において有名な人物とのこと。もしも仕事の上で遭遇したのなら、四の五の言わずに逃げるべきだと、局の誰もが語っていた。

 当然、事前のミーティングでは共有されていなかった。

 彼らの登場は完全に想定外であったのだ。

 チラリとでも可能性として上がっていれば、もっと慎重にことを運んだのではなかろうか、というのが前線支援をご一緒していた方々の愚痴である。現場からの撤収時、ハイエースの後部座席で顔を青くして呟くその姿は、うそを言っているようには見えなかった。

 能力者には能力の如何いかんによって、ランクなるものが与えられるらしい。

 要は対象の危険度だ。

 AからFまでの記号表記となり、これは国内外で共通して利用されているグローバルな指標らしい。自身のランクはEとなる。初めて局に連れられて来た時、星崎さんの指示に従い受けた各種テストにより判定された。

 多数存在していた判定条項のうち分かりやすいものだと、市街地で戦闘行為に至ったとき、警察による鎮圧が困難と判定される能力については、ランクD以上の判定を受けるとの記載があった。

 ここで問題となるのが昨日遭遇した面々だが、Bランク以上が大半を占めるチームだという。和服の少女がAランク。ハリケーンの男性とテレポートの人がBランク。光学迷彩っぽいことを行っていたゴスロリの姫がDランクとのこと。

 ちなみに星崎さんは、ゴス姫と同じDランクである。

 能力の相性によって大きく左右されるものの、ランクが二つ離れた場合、その戦局は一方的になるというのが、研修に際して聞かされた内容だ。そして、今回の作戦で我らが局から参加した能力者は、もっとも高レベルな方でランクBとのこと。

 ただし、あれだけ数がいてたった一人だけ。

 ランクB以上はとても希少なのだとか。

 次いでランクCの方が数名。

 そして、これらのうち半数以上が先の騒動から亡くなっている。

 ランクSとか出てこないことを切に祈りたいと思う。

「現場には当初説明を受けた能力者グループの姿が見られませんでした。代わりに姿を現したのは、私もこれは事後に知ったのですが、業界でも名を知られた非正規の高ランク能力者グループとのことではないですか」

「その点は報告を受けている。申し訳ないと思う」

「今回の出来事を受けては、誰もが無傷ではいられないと思います。しかし、一人だけ逃げ遅れた前線支援の能力者をトカゲの尻尾切りに使うというのであれば、それは幾ら何でも非情な行いではありませんか?」

「いいや、そういったことは考えていない。どうか安心して欲しい」

「本当でしょうか?」

「能力者は貴重だ。佐々木君は星崎君とも相性がいい上に頭もキレる」

「それなら少しは信用して頂きたいのですが……」

 部下っぽくゴネつつ、譲歩を引き出す作戦である。

 それでも駄目だった時は、ピーちゃんと共に異世界へ引きこもろう。そして、沢山魔法を覚えてから戻ってくればいい。社会生命的には色々と終わってしまうかも知れないが、それでも神戸牛のシャトーブリアンを仕入れることくらいはできるだろう。

 最悪、和服の人のところへ再就職を願ってもいい。

「……分かった。君の証言を信用するとしよう」

「ありがとうございます」

「初仕事でありながら、苦労を掛けたことは申し訳なかった」

「いえ、その点については過ぎたことですから」

「そうか……」

 小さく会釈をして席を立つ。

 部屋を後にするに際しては、これといって引き止められることもなかった。当面は能力者による作戦行動も自粛予定とのことで、しばらくは自宅待機という名の食っちゃ寝生活が始まりそうである。

 それでもお給料は出るらしいので、この点だけは幸いだ。


    *


 課長から解放された後は、素直にフロアに戻った。

 局員のデスクが並んでいる界隈である。

 大勢の死傷者が発生したので、同所はお通夜のような雰囲気である。新参者の自分には分からないけれど、同じ職場の同僚として、仲の良い間柄や気になっていた人など、色々と人間模様が存在していたようだ。

 そうした直後、星崎さんに呼び止められた。

「佐々木、ちょっといいかしら?」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「す、少し話をしたいのだけれど……」

 以降はこれといって仕事も入っていない。昨日は家に帰れなかったことも手伝い、このまま自宅に帰ろうと考えていた次第である。途中でスーパーに寄って、ピーちゃんにお土産を買うことも忘れてはならない。

 ただ、次はいつ登庁するか分からない身の上、少しくらいは話を聞いておくべきかもとも思った。当面は同僚兼パートナーとして、職場や現場を共にする予定の相手だ。心証を悪くすることは避けたい。

「私に用事ですか?」

「いえ、お、お、お礼を言っておきたくて……」

 ポリポリと頬をかきながら語ってみせる。

 なんて殊勝な態度だろう。

 戦闘狂らしからぬ言動だった。

「お礼でしたら不要ですよ。お互いに任された仕事を全うしただけじゃないですか。それに最終的にはこちらも力及ばず、星崎さんには怪我をさせてしまいました。そういった意味では申し訳なく思います」

 下手に関わっても面倒だし、なるべく距離を設けたい。

 彼女と仲良くなったら、より大変な現場に連れ出されそうで恐ろしい。

 少し遠慮が働くくらいの距離感が最適だと思う。

「……そう」

「ええ、そうだと思います」

「しかし、それでも私は佐々木に助けられた」

「気にしないでください」

「もしよければ、私からお礼をさせて欲しいのだけれど」

「…………」

 この人、また面倒臭いことを言い始めたぞ。

 異性から好意的な言葉を投げ掛けられた経験なんて、夜のお店でしかないから、嘘臭く聞こえてしまって仕方がない。また、その後に待っているだろう見返り労働を思うと、家に逃げ帰りたくなる。

 すぐにでも帰宅して、ピーちゃんとの会話で心をやしたい。


    *


 すったもんだの末に、星崎さんとは昼食を共にする運びとなった。

 なんでも昨日のお礼に奢ってくれるのだそうだ。

 他に控えている仕事があれば、忙しいだ何だと理由を挙げて逃げることもできただろう。しかし、当面は自宅待機が待っている我々局の能力者一同である。以前の勤め先との関係も彼には伝えているので、そちらで言い訳を並べることも難しい。

 結果的に局の近くにあるイタ飯屋で、お互いに顔を向き合わせている。

「付き合ってくれてありがとう、佐々木」

「いえ、ちょうどお腹も空いていましたので」

「そう言ってもらえると助かるわ」

 出会った当初と比較して大人しく映る姿が新鮮だ。

 お礼をしたいというおもいも伝わってきた。

 ただ、そうだとしても落ち着かない。

「素敵なお店ですね。いつも来られるんですか?」

「そういう訳でもないのだけれど……」

 席についてしばらくすると、ウェイターが注文を取りに来た。

 オサレな店の雰囲気にたがわず、イケメンな若者である。ツーブロックの刈り上げの黒髪をアップバング。いかり型に整えられたヒゲが映える彫りの深い顔立ちが、スタイリッシュなお店の制服と良く似合っている。

「注文はお決まりでしょうか?」

「こちらの日替わりセットをお願いします」

「あ、私も同じものをっ……」

「承知しました」

 恭しく頷いてみせる姿にも品が感じられる。めっちゃ羨ましい。細マッチョ体型の上に足も長くて、パリッとした制服がこれでもかと映える。異性に不自由した経験など、恐らく一度もないことだろう。

 しかも物腰穏やかでかついいし。

「ドリンクにはアルコールもございますが如何いかがしますか?」

「え、あ、それじゃあ……」

 せっかくだし昼ビールとか、しちゃおっかな。

 念願の夢をこの場でかなえてしまおうかな。

 もしも自分がイケメン中年で、星崎さんとエッチしたいとか考えていたのなら、昼酒を控えるという選択肢も存在したかも知れない。しかし、その手の可能性を正しく測ることができるようになった凡夫は、これといって遠慮する必要もない。

 周りに構わず、楽しみたいときに楽しみたいことをする。それが異性に不自由する生き物の人生を豊かにする唯一の手段。周囲の価値観に流されてはいけない。しかもなんと、若い女性の奢りときたものだ。

 普通の昼ビール以上の昼ビール感を感じる。

 感じるったら感じる。

「こちらのビールをお願いします」

「今月のおすすめクラフトビールですね。承知しました」

 星崎さんはどうだろう。

 こちらに構わず、遠慮なく飲んじゃって欲しい。

 そのように考えて促すように見つめると、彼女は困った表情になった。

「あの、私は未成年なので……」

「え、そうだったんですか?」

 てっきり二十歳を超えているものだとばかり思っていた。

 ウェイターの人も驚いている。

「それではこちらのソフトドリンクのメニューからどうぞ」

「……はい」

 それから一通り注文を取って、イケメンの彼はキッチンに戻っていった。時刻は午前十一時を少し過ぎた頃おい。店内に設けられた客席には十分な余裕がある。この様子であれば、注文した品はそう時間を掛けることなく届けられるだろう。

 その背中を厨房に見送ってしばらく、オッサンは未成年にお尋ねさせて頂く。

「失礼ですが、お幾つなんでしょうか?」

「…………」

「あ、いえ、決して無理にとは言いませんが……」

 あとでセクハラだなんだと訴えられたら面倒である。

 ただ、彼女は思ったよりも素直に答えてみせた。

「……十六よ」

「え……」

 十六と言えば、あれだよ、ほら、女子高生。

 お尋ねしたことで二度ビックリ。

 まさか高校生だとは思わなかった。

「あの、冗談じゃないですよね?」

「この顔は化粧だし、普段は学校に通っているわ」

「……なるほど」

 女性は化粧で化けるとはよく話に聞くけれど、若返るだけでなく、歳を重ねて見せることもできるようだ。たしかに出会った当初から、化粧が濃いなとは感じておりましたとも。常にスーツを着用していた点も拍車を掛けている。そこまで彼女の年齢に対して気を向けていなかったことも大きい。

 しかし、それでも女子高生だとは思わない。

 若くても二十歳は超えているものだとばかり考えていた。

「子供だと相手にめられるから、こうして取り繕っているのよ」

「もしかして、その話し方も同じ理由からですか?」

「…………」

 どうやら図星のようである。

 これまでのやり取りに関しても、現役の女子高生から呼び捨てにされていたと思うと、なかなか悪い気がしないから不思議なものである。同時に学内ではどのように振る舞っているのか、どうしても気になってしまう。

「友達とは普通にされているんですか?」

「……当然よ」

 まあ、そりゃそうか。

 こんな言動で学校生活を送っていたら、満足に学友もできないだろう。しかも背景には異能力などという大層なものを抱えているから、彼女の日常とはなかなか、面白おかしいことになっているに違いない。

 自分は巻き込まれたのが歳をとってからで良かった。

「星崎さんはどうして仕事に一生懸命なんですか? 高校生というと、他にも色々とやりたいことや、興味があることも出てくることでしょう。わざわざこんな危ないことに、率先して時間を使うこともないと思いますけれど」

「前にも言ったけれど、この仕事は支払いがいいのよ」

「なるほど」

 どうやら金銭的な問題のようだ。

 そうなるとこれ以上の問い掛けははばかられる。こちらが考えている以上に、大変な事情を抱えているのかも。十代という年齢を確認した後だと、若さからくる勢いが危険な仕事に対しても、一歩を踏み出す決心を与えているのだろうとも素直に思えた。

 やはり今後は、距離感を大切にしつつお付き合いさせて頂こう。

「おまたせしました」

 そうこうしているとウェイターが食事を持ってきた。

 以降は粛々と、あいない話を交わしつつランチの時間は過ぎていった。


    *


 同日、昼食を終えた後は、星崎さんと別れて仕入れに向かった。

 昨日は自宅に戻れなかった都合上、なるべく価値の高そうなものを吟味しての調達である。ついでにピーちゃんへのお土産を購入することも忘れない。丸一日放置してしまったことへの謝罪の意味も込めて奮発した。

 ただし、課長の知り合いに尾行されている可能性もあるので、怪しまれるような買い方は控えておいた。時間に余裕の生まれた中年男性がアウトドアに目覚めた、そんなシナリオを描いてのお会計である。

 砂糖やチョコレートなど、大量にモノが必要になる仕入れについては、今後やり方を検討する必要がありそうだ。少なくとも近所のスーパーでの購入は控えよう。個人のアカウントにひもいて記録が残る通販での調達も止めておきたい。

 そんなふうに、あれこれと考えを巡らせながら帰路を歩む。

 ビニール袋を下げて道を進む。

 するとしばらくして、端末に着信があった。

 ディスプレイを確認すると、そこには上司の名前だ。

「……はい、佐々木ですが」

 できれば出たくはなかった。

 しかし、無視する訳にもいかない。

『阿久津だ、少し時間をいいかね?』

「ええ、構いませんが」

『悪いが明日も登庁して欲しい。仕事ができた』

「承知しました」

 他にやることもないし、それくらいは構わないだろう。ちゃんとお給料も発生しているのだから、顔を出すことに抵抗はない。サビ残が常であった前の勤め先と比較したら天国だ。しかし、それでも呼び出しの理由は気になる。

 まさか過去の仕入れに疑問を持たれただろうか。

 背筋を寒いものが走る。

 だが、続けられた言葉はまるで想定外のものだった。

『君の出世が決まった。内示を執り行う』

「……なるほど」

 出世、出世である。

 完全に虚を衝かれた形だ。

『君も理解しているだろうが、今回の一件で局員が減ってしまった。その関係で空いてしまったポストを埋めなければならない。本来であれば有り得ない話だが、こと能力者に限っては人材が限定的だ。早急に人事が行われる運びとなった』

 彼の言葉は理にかなっている。

 前に星崎さんから聞いた話では、能力者の全人口に占める割合は十万分の一とのこと。国家公務員の採用人数よりもはるかに少ない。少なくとも現場のプレーヤーに関しては、余裕など皆無なのだろう。

 棚ぼた的にお給料が上がりそうな予感。

「承知しました」

『それと今後の君の仕事だが、当面は能力者の勧誘となりそうだ』

「まあ、そうなりますよね」

『詳しい話は明日にでも局で行おう。それでは失礼する』

「分かりました」

 今は能力者の勧誘とやらが、安全なお仕事であることを祈るばかりだ。


    *


 無事に仕入れを終えて、目当ての品々を購入した帰り道のこと。

 駅から自宅への道を急いでいると、ふと妙なものが目に入った。コンビニエンスストアに面した細い路地の一角で、フリルやリボンに彩られた可愛らしい衣服を着用した子供が、店の廃棄物の収められたケージの前でゴソゴソとやっている。

 どこからどうみても残飯あさりだ。

 これで漁っているのがすぼらしい恰好の老人であれば、そういうこともあるだろうと気にも留めなかっただろう。しかし、何度見返してもゴミを漁っているのは小学生ほどの子供である。それもアニメから飛び出してきたかのような衣服を身に着けている。

 ケージに顔を突っ込んでいるので、相手の表情を窺うことはできない。ただ、スカートから覗く若々しい肌の張りから、背丈が小さいだけの成人であるとは思えなかった。また、ツインテールに結われた長い髪より察するに、性別は女性と思われる。

「…………」

 警察に通報するべきだろうか。

 そう考えたところで、ふと思い出した。

 我が身は先週からお巡りさんだ。

 常に携帯しているようにと持たされた警察手帳は、今もズボンのポケットに突っ込まれている。これがあれば自分のような中年オヤジであっても、安心して幼い少女に声を掛けることができる。防犯ブザーを鳴らされることもあるまい。

 最寄りの交番まで連れて行くことも可能だ。

「……よし」

 義務教育の時分、自身も食べるものに苦労した覚えがある。

 遠い親類から義理で施される白米に、しようを掛けただけの食事。キャベツとウィンナーのいためものや、具のないインスタントのラーメンがご馳走だった。友達の家に遊びに行って出されるオヤツが、日々の楽しみだったことを覚えている。

 そうした経緯も手伝い、自然と足は動いていた。

「君、ちょっといいかい?」

「っ……」

 片手で警察手帳を構えつつ、ゴミを漁る少女に声を掛ける。

 すると相手はビクリと身体を震わせて反応した。

 勢いよくケージから顔が上げられて、視線がこちらを捉える。

 実はこういうの、憧れてた。

 警察手帳をかざして、国家権力を盾にして、偉そうに語るの。だって、絶対に気持ちいい。しかし、いざ実際にやってみると申し訳なさが先んじる。別に自分が凄い訳じゃないし、これといって得られるモノもない。

 むしろ少しむなしい。

「…………」

「少しだけお話を聞いてもいいかな?」

 相手は想定したとおり、小学生ほどと思しき女の子だった。

 クリクリとした大きな目が印象的な、とても愛らしい顔立ちをしている。けれど、その表情からは子供らしさがまるで感じられない。何故ならば彼女のお顔には、感情らしい感情が窺えなかった。ジッとこちらを見つめる面相は能面のようである。

 一方で外見はというと、パッと眺めた感じ魔法少女。

 アニメなどでよく見るそれだ。

 浮世離れしたピンク色の髪が人目につく。

 スカートにはフリルが盛り沢山。

 ただし、そこかしこが汚れていたり、ほつれていたり、破けていたりする。匂いも相当のもので、少し近づいただけであっても、ホームレスとすれ違ったときのような悪臭が感じられた。髪の毛も皮脂でべたべたである。一日や二日ではこうはなるまい。

 かなり年季の入った残飯漁りの経験が窺える。

「もしよければ、お巡りさんと一緒に近くの交番まで……」

「私のことは放っておいて」

 こちらからの問い掛けも早々、彼女はゴミ箱に向き直った。

 そして、再びガサゴソと中身を漁り始めた。

「…………」

 まさにプロの仕事である。

 寡黙にして淡麗な漁りに妙な気迫を感じる。

 声を掛けることも憚られた。

 下手に騒動を起こして、本職のお巡りさんに迷惑を掛けるのもよくない。警察手帳こそ備えていても、自身の立場はハッキリとしない。張り切って交番業務に手を出すのは、本来のお巡りさんたちからすれば迷惑な話だろう。課長からの評価も下がる。

 そこで致し方なし。

「これ、もしよかったら食べるかい?」

 手に下げたビニール袋から、アイスを差し出してみる。

 すぐ近くにある駅前のお店で購入したものだ。本日の夕食後、デザートにと考えていた品である。しかしそれも、コンビニの廃棄物を漁る少女を目撃したのなら、自ずと身体が動いていた。ピーちゃんの分と併せて二つ買ったので、自分の分を一つプレゼントである。

 相手が成人のホームレスだったら、きっとこんなことはしなかっただろう。

「……補導しないの?」

 すると彼女は妙なことを問うてきた。

 もしかして、常連なのだろうか。

「補導して欲しいのかい?」

「…………」

 ただ、その言葉に首を傾げたのも束の間のことである。

「私に関わらない方がいいよ、お巡りさん」

「っ……」

 ふわりと少女の身体が空に浮かび上がった。

 両足が地面から離れて、何の支えもなく肉体が空に舞い上がっていく。

 当然ながらビックリだ。

 思わずその姿を凝視してしまった。

「じゃあね」

 そして、彼女は短く一言だけ告げて、どこともなく消えていった。

 背後の風景が裂けるように、何もない空間に真っ黒な割れ目がジジジと現れて、これが彼女の身体を飲み込んだのである。それこそサイエンスフィクションの映像作品に出てくる、ブラックホールさながらの光景だ。

「……マジか」

 育児放棄に遭った浮浪児かと思いきや、まさかの異能力者だった。


    *


 ホームレスの少女と別れた後は、素直に自宅に向かった。

 そこでピーちゃんと二日間の出来事を共有しつつ、同時に晩御飯の支度を進める。スーパーで購入してきた食材を並べて、コンロに火を入れると共に、野菜を湯がいたり、肉を焼いたりと、手早く作業を進めていく。

 そんなこんなで夕食の支度が整った。

 食卓に並んだのは、神戸牛のシャトーブリアンのステーキ。

 遂に買ってしまったよ、シャトブリ。

『これが神戸牛のシャトーブリアンか』

「ピーちゃんにはお世話になっているから、そのお礼ということで」

 もしもピーちゃんから雷撃の魔法を学んでいなければ、きっと自分は死んでいたことだろう。そう考えると、自然と高価なお肉に手が伸びていた。近所の総合スーパーではなく、都内の百貨店まで足を延ばしてのお買い求めである。

 百グラムで三万円もした。

 二人前で六万円の出費である。

 購入したのも生鮮食品売り場ではなく、別フロアのギフトコーナーだ。

 店頭に在庫があって助かったよ。

「どう? ペットショップのやまさんが絶賛していた味は」

『美味い。おぉ、これは美味いぞ、貴様よ』

「そりゃよかった」

 ちゃぶ台の上、細切れに切り分けられたシャトブリを啄むピーちゃん可愛い。お皿の上に盛られたお肉が、次々とお口に消えていく。まるで子供がこぼしたお菓子のカスに群がる公園のハトのようだ。可愛い、可愛いけれど、眺めていて少し不安になる。

 おかげで彼の素直な気持ちが伝わってきた。

 決して世辞ではなく、本心から美味しいと感じてくれているようだ。

 買ってきてよかったと素直に思えた。

 お皿の脇には塩しようやステーキソースを用意した。彼はくちばしを器用に利用することで、そこにお肉を転がして、自分好みに味付けを行っている。文鳥とはなんて愛らしい生き物なのだろう。

『これなら毎日食べても飽きないな』

「でもこれ、一食で一ヶ月分の食費相当なんだよ……」

 調理に際しては手が震えた。

 焦がしてしまったらどうしようと、嫌な汗で背中が濡れていた。

『……そんなに高価な肉なのか?』

「うん」

『そうか……』

 しゅんと目に見えて落ち込む姿もラブリーである。

 けれどまあ、高価なお肉には違いないが、買って買えないほどではない。転職に成功した今であれば、一ヶ月に一度くらいなら構わないだろう。ピーちゃんの分だけであれば、費用的にも半分で済む。

「毎日は無理だけれど、今後もたまの贅沢ということで」

『いいのか?』

「色々とお世話になっているからね」

『……貴様の心遣いに感謝する』

「いえいえ、どういたしまして」

 一緒に高いお肉を食べて、また少しピーちゃんと仲良くなれた気がした。


    *


 夕食を平らげた後は、日課となった異世界へのショートステイである。

 両手に商品を携えて、副店長さんの下まで向かった。

 ここ数日で通い慣れたハーマン商会の応接室。同所で持ち込んだ品々を金貨に換える。一連の流れも大分こなれてきた。過去に運び込んだ品については、金額の確認のみで済ませる。新しく持ち込んだ品については、用途用法を説明する。

 今回の目玉商品は、乾電池式の防犯用人感カメラとむしけスプレーだ。

 人感カメラは液晶内蔵、別途端末を用意せずとも撮影した静止画を確認できる。些か使い勝手は悪くなってしまうが、最低限の用途は果たせる筈だ。本来であればクラウドと連携して、ネット上で撮影した画像を確認できる。

 山岳部など電源がない場所での利用を前提とした品となり、乾電池八本を利用したロングバッテリーモードとやらで、最長一年間の待受が可能だという。この手の商品も日々進化を続けているのだなと、改めて技術の進歩を感じた。

 虫除けスプレーについては、これに相当する魔法が存在しないという話をピーちゃんから伺っての購入である。狩猟に臨むならば、やぶの中を歩き回ることも多いだろう。当然、虫にたかられることは日常茶飯事と思われる。

 ただし、現地にも似たような薬剤は存在するそうなので、効果効能に関してどの程度アドバンテージを取れるかが勝負となる。初回となる本日は数を抑えて、当面は顧客の反応を窺いつつ、といった形で考えている。

 他にも携帯式の浄水器などを検討したのだけれど、飲料水は魔法で解決可能であったことを思い起こして取り止めた。人口に占める魔法使いの割合がどの程度かは知らない。けれど、お金持ちの貴族様であれば、水筒代わりに連れて行くくらいはするだろう。

 これに対して、副店長さんの反応は共に上々であった。

 占めて金貨二千三百枚。結構なお値段である。

 お互いにホクホク顔で商談は成立した。

 取り引きを終えたのなら、以降はこれまでと同様に魔法の練習である。みのお宿にチェックインして荷物を置いたのなら、その足で町の外に向かおうと考えていた。目指すは中級の障壁魔法及び回復魔法の習得である。

 しかし、取り引きを終えた直後、副店長さんから相談を受けた。

 なんでも子爵様からお呼び出しが掛かっているとのこと。可能であればこれからでも、一緒にお城まで向かって欲しいとのお話であった。外には既に馬車を用意しているというから、まさか断る訳にはいかない。

 その足で町の中心部にそびえ立つお城へ向かう運びとなった。

 ハーマン商会の紋章が入った馬車に揺られて移動する。

 城門は顔パスだ。

 子爵様から呼び出しを受けたことを伝えると、お城の人たちは快く案内をして下さった。過去に何度か足を運んでいるので、こちらの顔も覚えて下さったのだろう。そう待たされることなく応接室まで通された。

「よくぞ来てくれた、ササキよ」

「お招きにあずかり光栄にございます」

 我々が到着した時、室内には既にミュラー子爵の姿があった。

 彼に促されるがまま、副店長さんと並んでソファーに腰を落ち着ける。

 世事の挨拶と共に、まずは献上の品をご説明。

 今回も人感カメラや虫除けスプレーに興味を持って頂けたようで、副店長さんと同様、持ち込んだ分だけお買い求め下さった。また以前の約束に従い、トランシーバーを乾電池と一緒に十セットほど納品した。

 これによって異世界のお財布には、金貨がプラス九千枚。

 そうして取り引きが一段落した時分のことである。

「ところでササキよ、改めて話がある」

「なんでしょうか?」

 ジッと真正面から見つめられてのお声掛けだ。

 自ずとこちらも身構えてしまう。

 脳裏に浮かんだのは、前回の来訪時に副店長さんから聞かされた、戦争、の二文字である。あれから現地時間で五、六十日ほどが過ぎている。局面が大きく動いていたとしても何ら不思議ではない。

「その方も商人であるならば、既に耳にしているとは思うが、十日ほど前に隣のマーゲン帝国が、我らがヘルツ王国に攻め入ってきた。先々月から雲行きの怪しかった両国間の関係だが、今回の一件を受けて本格的な開戦と相成った」

 ドンピシャである。

「私も王命に従い、兵を率いて対処に当たる運びとなった」

「…………」

 こういうとき、自分のような立場の人間は、どのように応じるのが正しいのだろう。お疲れ様です、なんて言ったら絶対にアウトだろうし、そうかと言って喜ぶのも違う気がする。自然と口を閉じて黙ることになった。

「マーゲン帝国は強大だ。我らがヘルツ王国との戦力差は、単純に兵の数だけを比較しても二倍近い。そして、国境が近いことも手伝い、場合によってはこの町にも、敵兵の手が及ぶ可能性がある。そうなっては被害も甚大だろう」

「…………」

 子爵様は深刻そうな表情で語ってみせる。

 副店長さんとの取り引きで盛り上がった気分が萎えていくのを感じる。そうなると当面は異世界に寄り付かず、日本で過ごした方がいいだろう。あぁ、その前に現地の通貨をマーゲン帝国とやらの通貨に換金しておく必要がある。

 敗戦国の貨幣とか、絶対に価値が下がりそうだ。

「そこでササキよ、どうか私に協力してはもらえないだろうか?」

「恐れながら私は一介の職人であり、数多あまたいる商人の一人に過ぎません。これといって武勇に秀でているわけでもなく、人を扱うことに慣れていることもございません。とてもではありませんが、子爵様のお役に立てるとは思えないのですが」

「その方にこんなことを言うのは申し訳ないと思う。だが、ササキが我が領にもたらしてくれた品々は、今回の戦局を支えるにあたり、非常に価値のあるものだと考えている。そこでササキには戦の御用商人として、我々に協力して欲しいのだ」

「いえ、しかし……」

「その方が異国の職人であり、商人であることは私も重々承知している。自らの利益を優先してくれて構わない。代わりにどうか、我が軍がマーゲン帝国の兵を迎え討つにあたり、必要となる物資を提供してもらいたいのだ」

「…………」

 能力者云々が一段落したと思ったら、これまた大変なご相談を受けてしまった。


    *


【お隣さん視点】


 私は今日もまた、自宅アパートの玄関前に座り込んで待っている。

 誰を? 何を?

 隣の部屋に住んでいるおじさんが帰宅するのを。

「…………」

 かれこれ何年になるだろう、こうして放課後を過ごすのは。

 契機は両親の離婚にあった。母に引き取られて現在の住まいに移り住んだのが、小学校に入学してしばらくのこと。以降、何かと厳しく当たられることが増えて、最終的には今のような形に落ち着いていた。

 隣の部屋のおじさんとは数年来の知り合いになる。

 彼がこちらのアパートに引っ越してきたのは、私たち親子が今の部屋に移り住んでから、数ヶ月ほどが過ぎてのことだった。当時、引っ越しの挨拶にお菓子を持って訪れた姿は、未だ記憶に残っている。

 こんな安アパートで生活しているような人からの手土産なんて、危なくて食べられたものじゃないわ。そんなことを呟いて、受け取ったばかりのお菓子をゴミ箱に捨てた母親の姿が、今でも鮮明に思い出せる。

 捨てられたお菓子は食事に欠いていた当時の私にとって、ご馳走以外の何物でもなかった。学校で与えられる給食以外、数日ぶりに口にした固形物は、もうろうとしていた意識を幾分かマシにしてくれた。

 以来、おじさんは玄関の前に座る私に、何かと食べるものを与えた。

 大半はパンやおにぎりなど、比較的高カロリーな食品だった。

 ガリガリに痩せていた当時の私に気を遣ってくれていたのだろう。次いで多かったのがお菓子。与えられていたお菓子の大半が、ビタミンやら何やらが添加された機能性のものであると知ったのは、つい最近のことだ。

 またそれ以外にも、冬の寒い日にはホカホカに温められた肉まん、夏の暑い日にはよく冷えたスポーツドリンクやアイスなど、色々ともらったことを覚えている。学校の授業で使う道具を譲り受けたこともあった。

「…………」

 過去には何度か、自宅に児童相談所から職員が訪れた。

 多分だけれど、おじさんが通報したのだと思う。

 けれど、私の母は表向きはまともな顔をしているようで、彼らが私に対して何かするようなことはなかった。いずれも口頭での注意にとどまり、私たち親子の関係に変化が訪れるようなことはなかった。

 どういった意図があってのことなのか、母の行いは一貫している。自身の留守に子供を家に上げることをせず、同時に食事を与えることをしない。それは私が小学校を卒業して、中学校に入ってからも変わらなかった。

 私がおじさんから施しを受けていることを母親は知っている。

 けれど彼女は、これに何を言うこともない。

 母が何を考えているのか、私は未だに理解できていない。

「……おじさん、今日は帰りが遅いですね」

 夜空を見上げて、誰に言うでもなく呟く。

 よく晴れた空にはたくさんの星が瞬いている。かれこれ幾度となく眺めてきた光景だ。これからの私の生涯、幼少の頃の思い出として残る風景は、きっとこの夜空になるのではないかと思う。

「そういえば前に、残業が多いって言ってましたね」

 ところで、最近になって考え始めたことがある。

 それは私の女としての価値だ。

 小学生の頃はその手の知識に乏しく、また肉体的にも貧相であったため、ただただ内に抱えた飢えに従い、おじさんから与えられる食べ物に狂喜していた。まさか自身の肉体に、そうして口にする食事以上の価値があるとは思わなかった。

 けれどそれも中学校に入学してしばらくすると変わってきた。

 おじさんからの施しのたまものだろうか。

 私は同世代の女子生徒と比較して身体付きに恵まれた。

 学校では男子生徒からの視線を受ける機会が増えた。

 担任の女性教師よりも大きいと思う。

 また、母は私に制服こそ買い与えたが、ブラジャーや生理用品を与えることはしなかった。後者については学校のトイレで得られるトイレットペーパーでしのいでいる。けれど前者はどうにもならない。これが周囲からの視線に拍車を掛けた。

 だからだろう、自然とその先にある行為が意識された。

 隣の部屋のおじさんも、そういうことを求めているのではなかろうかと。

 嫌悪感がないと言えば嘘になる。最近は母親が連れてくる男たちも、私の身体に視線を向けるようになった。同じものが与えられた時、素直に受け入れられるとは到底思えない。多分私は自分以外の人間が嫌いなのだと思う。

 けれど、これまで養ってくれたお礼を考えたのなら、そういうこともあるのではないかとも感じていた。おじさんは母よりも年上のようだが、結婚しているようには見られない。私をはらませたところで、これといって問題はないだろう。

 飢えから助けてくれたお礼に、性的な充足を提供する。

 それは身体以外に何も持たない私にとって、唯一叶う恩返しだ。

 ゴムさえしてくれるのなら、あるいは堕胎の面倒を見てくれるのなら、当面は好きにしてくれて構わないと思う。それはきっと目に見える形で安心が欲しいという、私のクズみたいな心の表れでもあるのだろう。

 堕胎を繰り返すと子宮が駄目になるとは学校の授業で学んだ。ただ、こんな自分が将来、まともに子育てをできるとは思わない。それなら今のうちに駄目にしておいた方が、まだ見ぬ子供の為になるのではないだろうか。

 あぁ、自分はなんていやらしい人間なんだろう。

 決して母のことを悪くは言えない。

「…………」

 私はアパートの隣の部屋に住んでいるおじさんに生かされている。

 おじさんから与えられる食べ物がなければ生きていけない。

 それはきっとこれからも続くのだろう。

 少なくとも私が中学校を卒業して、母のもとから離れるまではずっと。



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