World.2 誰も俺を覚えていない

       1


「さあ着いたぜ。俺らの町だ。秘密基地っていう方が俺好みだがな」

 はいきよとなった街並みを走り続けて。

 無人の道路の一画で、ようやくアシュランが車を止めた。

 ……走ってきた時間は三十分くらいか?

 ……第九主要駅ターミナルから走ってきた方角と、それにこのビル。

 そびえたつ十階建てのツインタワー。窓ガラスが割れ砕けているものの、このビルの形状は見覚えがある。

「第十主要駅ターミナルビル? じゃあここ、第十主要駅ターミナルなのか」

 ウルザれんぽうの第十主要駅ターミナル

 遊歩道と並木道に彩られた緑豊かな場所だったはず。

 それがどうだ、このビルが原形をとどめていたからこそ判断できたものの、周りのビルはとうかいしてれきの山となり、地面はそうが割れ砕けて土の地肌がしゆつしている。

「お? このビル知ってんのか?」

「つくづく不思議よね。アンタ、この近くで暮らしてたんだ?」

 車から降りるサキとアシュラン。

「……ああ」

 カイは第八主要駅ターミナル近郊の出身。それを二人が知らないわけがない。

「まあ落ちつけよ。さっき悪魔におそわれてただろ。軽い混乱状態なんだと思うぜ。ちっと休めば落ちつくはずだ」

「そそ。アタシらのことも詳しかったし。ただ、その服と銃……あんま見慣れないけど」

 二人が見つめるのはカイの服装とじゆうけんだった。

 人類庁の支給品であるのだが、サキとアシュランの服装はカイと違う。

 ……いや、基調になってるデザインは同じ?

 ……細部が違うだけだ。でも左胸についてる紋章が、俺と違う。

 カイの紋章は人類庇護庁のもの。

 だが二人の胸についてる紋章は、明らかに別物。

「ん? 俺らウルザ人類反旗軍レジストようへいだからな。って、そんなことも知らないのかよ」

人類反旗軍レジスト?」

「あー……これ、混乱状態とかじゃなくて一時的な記憶喪失の線もありそう。人類反旗軍レジストを知らないなんてあり得ないもんね」

 声を上げるアシュランの隣で、サキが大きく肩を落とした。

「とにかく入りましょ。外でうろついてたら悪魔の巡回に見つかっちゃうし。アタシらは地下に用があるの。この駅ビルの地下にね」

 先導するアシュランと、カイの隣を歩くサキ。

 ビルの扉はおそらく爆発の衝撃で吹き飛んだのだろう。ひしやげた入口をくぐり、地下へと続く階段を下りていく。

「地下の昇降機エレベーターは?」

「見りゃわかるだろ。電気が通ってると思うか?」

 薄暗くなっていく通路をアシュランがあごで指ししめした。確かに、割れた窓から太陽の光が差しこんでいなければここは真っ暗闇だろう。

「あのさ。頼みがあるんだけど……」

 こくんと息をみながら、カイは二人に向かってそう告げた。

「俺が記憶喪失のかんじやだと思っていい。今の世界がどうなってるのか教えてほしいんだ。なんで都市が壊れてて。悪魔たちが我が物顔ではいかいしてるのかも」

 悪魔は言っていた。

 ──れいへの命令は、その奴隷の言葉がもっとも有効だ、と。

 カイの覚えている世界とまるで状況が違う。ばくぜんとソレはわかるのだが、今はできるかぎり正確な状況を知っておきたい。

「見てのとおりだ」

 地下へと続く薄暗い階段を歩きながら。

 アシュランが、見るもざんな姿となったビルの壁を指さした。

「この世界には人間の天敵の種族がわんさかいる。特にヤバイのが四つ。悪魔族、幻獣族、蛮神族それに聖霊族。人間オレたち。もう三十年前だがな」

「……人間が負けたって。そんな」

 人間が大戦に勝利したという記憶──ソレと逆の結果ではないか。

 悪い夢だと思いたい。ジャンヌと買い物をしていた時のあの現象前後で、いったい何があったというのか。

「…………続けてくれ。それで人間はどうなったんだ。無事なのか?」

「逃げ隠れてるわ。ギリギリでね」

 あとの言葉をいだのは、隣を歩くサキだった。

「四種族が世界大陸を支配してて、今も世界中でりよう争いを続けてる。ウルザれんぽうは悪魔にうばわれたから、人間アタシらは都市を捨てて逃げるしかなかったの。

 階段の終わりをサキがあごで指ししめした。

 静まりかえった地下三階──ぱっ、とカイのまぶたに照明の光が差しこんだ。

まぶしっ?」

 天井からさんさんと輝く光は、地上と見まがうほど。

 ……そうか。悪魔に地上を支配されたから。

 ……人間は地下に逃げたのか!

 巨大地下街を利用した人間の都。

 商店と住居、それにホテルや飲食店まで。親子連れがカイの目の前を歩いていくなか、視界の奥では銃をたずさえた兵士が巡回している。

 何もかもがこんぜんとした雑多な空間ではあるものの。

 ここには、人間の都市が姿を変えながら確かに存在していた。

「ようこそ人類特区ヒユーマンシテイネオヴィシャール』へ。使わなくなった地下鉄のスペースを丸ごと地下都市に改造したんだが、まずまず立派なもんだろ?」

 ヴィシャールは元々この第十主要駅ターミナル近辺の地名である。

 その地上部分を悪魔に奪われてしまったならば、新しいヴィシャールを造ってしまえ。そんな意味合いなのだろう。

「悪魔どもは、人間おれらから奪った都市のビルをねぐらにしてる。ならば俺たちは地下に隠れちまえってわけさ。どうよ?」

「……すごい。こんなに発展してるんだな」

 悪魔からおびえて逃げ暮らしている。その言葉からカイが想像したのはもっと悲惨でいん湿しつな光景だった。

 だがここには人間の暮らしの活気がある。賑やかで力強い。

「食料は?」

「もちろんここで生産だ。走らない電車のための路線を残したって仕方ねぇし、地下鉄の軌道を取っ払って、二本のレールを引っこ抜いてまくらを外せば立派な農地のできあがりだ。ちなみに、電気は地上の太陽光で発電してる」

「悪魔に壊されないのか?」

「廃ビルの屋上までわざわざ偵察にくる悪魔なんていねぇよ。いたとしても連中には太陽光発電なんて理解できやしねぇ。発電装置もれきも同じに見えるってわけだ。その電気で、破壊されずに残った生産プラントを動かして医療薬やら服やらを作ってる」

 電気をつなぎとめ、食料を生産する。

 四種族に支配されながらも、人間はこうして生きながらえているわけだ。

「サキとアシュランもここで暮らしてるんだ?」

「一年くらいここにいるかもね。アタシらようへいで、この人類特区ヒユーマンシテイの護衛に雇われてるの。四種族に対する抵抗戦力、それが人類反旗軍レジストってわけ」

 サキが自分の腰に手で触れる。

 大型の自動拳銃。サキのような小柄な少女が扱うには本来あまりに大きすぎる大口径の拳銃がそこに収まっていた。

「悪魔からウルザれんぽうりようを取り戻すってのがアタシらウルザ人類反旗軍レジストの目標。もちろん世界中に人類反旗軍レジストがあるわ。どこも苦戦してるのが現状だけど」

「────あのさ」

 意を決し、カイは二人へと向きなおった。

 人間が五種族大戦に負けた。そう聞いて思い浮かんだ疑問がある。

「これは……二人を馬鹿にしたような質問に聞こえるかもしれないけど、俺は本当に何もわかってなくて聞きたいことがあるんだ」

 黙って先をうながすサキとアシュラン。

 その二人へ。

「どうして人間は大戦で負けたんだ?」

「…………はい?」

「…………どうして。って」

 二人が固まった。

 魂が抜けたようなほうけた表情で。

「だって……勝てるわけないじゃん」

 おずおずと口を開いたのはサキだった。

「幻獣族のドラゴンはナイフも機関銃もかないし。聖霊族なんて弾丸がすり抜けるもん。悪魔族は法術一発で高層ビルを蒸発させるし、蛮神族のエルフが作る法具は人間の重火器よりも強力だし……でも一番の理由は四種族の長よ。けたはずれに強くて……」

「それは四英雄? めいていヴァネッサとかおうラースイーエとか」

「なんだ、カイも知ってるんじゃない」

 そう言った後に、彼女がじっとこちらを見つめてきた。

「そこまで知ってて、カイはどうして人間が勝てると思ったわけ?」

「……いや根拠なんてないんだ。俺、本当に疑問に思っただけだから」

 サキに真顔で答える。

「悪魔も他の三種族も、ぜんぶシドが倒したんじゃないのか? それで墓所に閉じこめたはずだって思ったから聞いたんだ」

?」

「……待ってくれ二人とも。預言者シドは、さすがに知ってるだろ……」

 四種族を倒したとされる人間の英雄だ。

 つい数日前も、カイは二人とシドについて話していたはずなのに。

「シドって名前だけならまだしも……ねえアシュラン知ってる?」

「預言者って言われてもな。悪魔を倒した? そんな奴がいたら俺らはこんな地下でこそこそ暮らしてねぇよ」

 サキとアシュランが顔を見合わせる。

 その仕草は、彼の存在そのものを二人が認識していないことを告げていた。

 ……知らないんじゃなくて。

 ……そもそも預言者シドが存在しないことになってる!?

 徐々に、ごくわずかずつながら。

 カイの記憶と、今ここで聞く世界のかいが見えてきた。

「俺の記憶じゃ人間の英雄がいたはずなんだ。預言者シドが四種族の英雄を倒したから、人間は大戦に勝利した。って……」

 ならば。

 

 四英雄に立ち向かえる者がいない。だから人間は敗北した。あたかも、そんな筋書きシナリオに沿ったような歴史ではないか。

 ……あの時で間違いないはずなんだ。

 ……ジャンヌと買い物に行ってた時に見た、あの現象から、何かがズレた。

 天にできた黒点にすべてが吸いこまれていった。

 雲も地面もビルも人も、ジャンヌさえも。自分一人が取り残されて。気づけば世界そのものの歴史が一変していた。

 と。

「あれ? ねねアシュラン」

「おう。本隊の登場か。予定より一時間早かったな」

 人類特区ヒユーマンシテイネオヴィシャール』の奥から歓声がこだました。

 ひとだかり。

 通りを歩く民衆が一斉に足を止め、向こう側へとかつさいを送っていたのだ。

「俺やサキはここのちゆうとん分隊。向こうはウルザ人類反旗軍レジストの本隊だ。月に一回、こうして人類特区ヒユーマンシテイを見回ってる。本隊むこうの役目は、一言でいえば『どうやってウルザれんぽうを人間が取り返すか考える』ことってわけだ」

 地上を取り戻す希望。

 しかし人類反旗軍レジスト本部の部隊が来ただけで、ここまで喝采が上がるものだろうか。

「ずいぶん人気があるみたいだけど?」

「そりゃ人類反旗軍レジストの指導者がいるからな。住民にとっちゃ悪魔のきようから救ってくれる守り神だ。あと、この黄色い歓声のとおり」

 甲高い喝采は、街の女性たちのものだろう。

 それを耳にしたアシュランがやれやれと肩をすくめてみせた。

「人気があるのは本隊じゃなくて指揮官な。俺らの一番偉い上司だよ。若くて優秀、しかも見た目も大人気だからな」

「──霊光の騎士」

 ぽつりとサキがそう口にした。

「悪魔の支配からウルザ連邦を解放する希望のしようちようって呼ばれてるの。ウルザ人類反旗軍レジストだけじゃなくて、他の人類反旗軍レジストからもいちもく置かれてるんだから」

 人集りが近づいてくる。ようへいたちが数名。サキやアシュランと同じ服装で、左胸にウルザ人類反旗軍レジストを示す紋章がついている。

「その指導者ってのは?」

「ほら人集りの真ん中の男性。一人だけ騎士っぽいよろいだからすぐわかるでしょ。あ、ほらこっちに来るみたい」

 一息ついて。サキが、ほぅっと憧れ混じりの口調で言葉を続けた。

「ホント格好いいよね。男なのにそこらへんの女子よりれいな顔してるなんて、そりゃ人気も出るよ。名前も女性っぽいのが逆にいいよね」

「…………サキ、今なんて?」

 聞き違いだろうか。

 隣に立つ少女が口にした名前は──

「ジャンヌ様!」

「お待ちしておりました。本地区、異常ありません。引き続き警備に全力をつくします!」

 サキとアシュランが姿勢を正して敬礼。

 多くの民衆に囲まれた、騎士のよろいをまとう指導者へ。

「ご苦労。かんらのふんとうに感謝する」

 うるわしき微笑で返す指導者。

 それは、重量感のある鎧をまとった麗しい横顔の青年だった。

 おそらくはカイと同年代だろう。しくたんせいな目鼻立ち。そのにゆうな表情と顔のりんかくは、少女のようなやわらかさをも兼ねそなえている。

 それはカイにとって──

 ……肌全体に日焼けの化粧をして、顔も男っぽく仕上げてる。

 ……鎧を着てるのは、線の細い体型を隠すためじゃないのか?

 声も、喉から無理やりに出しているように聞こえる。そしてきわめつきは銀髪だ。男では長すぎる髪を誤魔化すために後ろで結わえている。

 それは、子供の頃、カイの前でジャンヌがしていた髪の結び方だった。

 おてんで走り回るから髪が邪魔で仕方ないと。

「ジャンヌ?」

「────」

 振りかえる銀髪の騎士。サキとアシュランにはさまれたを見つめて、ウルザ人類反旗軍レジストの指導者が首をかしげてみせた。

「おや、そちらは? 見慣れない顔だが」

「地上で保護しました。カイという名だそうですが、この街には住民登録がなくて」

「ちっとばかし頭を打ったのか記憶が混乱してるんすよ。悪い奴じゃないんでジャンヌ様は気にしないでください」

 サキとアシュランが口早に。

 それを聞いたジャンヌが、承知とばかりにうなずいた。

「そうか。では──」

「待ってくれ! ジャンヌ、俺だ!」

 左右の二人を押しのけて、カイは幼なじみへと叫んでいた。

 これだけは何かのじようだんであってくれ。

 悪魔に支配された世界。人間が地下都市にしか住む場所がなくて、サキやアシュランが自分を覚えていなくても。彼女は一緒に行動していたではないか。

「さっきまで俺と買い物してたじゃないか! お前が王都に出向になるからって、だからサキやアシュランに贈物プレゼントを渡したいからって。何もかも覚えてないのかよ!」

 ざわざわと周囲のひとだかりが浮き足立つ。

 それは同情の視線ではなく、人類解放の希望と期待される騎士に突然に怒鳴りかかった見知らぬ者へののまなざしだった。

「すまない」

 ふっ、とジャンヌと呼ばれた騎士が首を横にふる。

 男のフリをした────そうとしかカイには思えない裏声で。

「どこかで会ったか? 人違いであるように思えるが」

「……本当に覚えてないのかよ」

「すまない。私も部下もこの後すぐに会議がひかえている。サキ、アシュラン、私のかわりにかんらが彼の話を聞いてやってくれ」

 部下たちに囲まれた騎士ジャンヌが背を向ける。

 ……本当に?

 ……ジャンヌまで俺のこと覚えてないのか。

 何かのじようだんであってほしい。つい今しがたまで一緒にいたのに。

「ジャンヌ!」

 唇をみしめてカイは地をりつけた。

 部下たちを押しのけ、背を向けた騎士の前に詰め寄った。

「お前……、それがお前の夢だったのか。そうじゃないだろ。娘として親父おやじさんを越えたいんだって言ってたじゃないか。そのことも覚えてないのか!」

「────っ!?」

 ジャンヌにだけ聞こえるよう押し殺した声。

 そして、人類反旗軍レジストの指導者が肩をふるわせた……ようにカイには見えた。

 だがそれも一瞬。

「貴様!? ジャンヌ様に何をする!」

「離れろ。ジャンヌ様、ご無事ですか!」

 肩をつかまれ、カイは本部の部下たちに強引にジャンヌから引きがされた。

「ちょ、ちょっとカイ!? 何してるのよ!」

「お前、いきなりジャンヌ様に詰め寄るなんて……すいませんジャンヌ様、こいつホント、悪い奴じゃないんですが!」

 サキとアシュランにはさまれながら。

 カイは、人類反旗軍レジストの指導者が去っていく姿をぼうぜんと見つめていた。


       2


 ネオヴィシャールに「夜」が訪れる。

 地下都市では、地上を照らす太陽にあわせて天井部の照明を切り替える。

 午前ゼロ時。地上の夜にあわせ、都市でもわずかな街路をのぞいて消灯するという。

「…………」

 ホテルの一室。

 ろうそくともした薄暗い部屋で、カイは机にかじりついて本のページをめくり続けていた。地図と歴史書、それにウルザ人類反旗軍レジストの公開文書。いずれもサキやアシュランに頼みこんで借りたものだ。

「……なんてこった」

 やがて。

 ためいきとも苦笑ともつかない、疲労まじりの息がこぼれた。

「これが世界の『常識』だっていうなら……この歴史は、俺の覚えてる歴史と違う」

 カイの覚えている歴史では、五種族大戦で人間が百年前に勝利した。

 だがこの世界は違う。

「人間が大戦で敗北した。それも今からたった三十年前に敗れたばかり……」

 歴史以外は、カイの記憶のとおりだ。

 世界の大陸や山脈といった地形はそのまま。

 人間についても、街の住民記録票で、カイの近所に住んでいた住民の名前も見つけた。さらに人類特区ヒユーマンシテイで用いられるへいも、自分の持っている世界通貨がそのまま使用されている。

 ……アシュランが乗り物酔いを克服してる。

 ……そんな変化はあるけど、個々人の特徴も俺が覚えているままだ。

 一方で。

 謎に包まれているのは、なぜ自分が忘れ去られてしまったのかという理由だ。

 いないのは自分と預言者シドの二人。


 


 まるで歴史からまつしようされたかのように。

「……どうしてだ」

 預言者シドがいないのはまだうなずける部分はある。

 彼がいないからこそ人類は大戦で敗北した。そう考えれば、世界の現状との不存在とにいん関係が見えてくるからだ。

「俺がいないのはどうしてだ……!?」

 人類庁の仲間たちがいる。

 なのになぜ、だけが世界から忘れ去られてしまったのか。

 の両親や親戚は? ネオヴィシャールの住民票では見つけられなかったが、近隣にある別の人類特区ヒユーマンシテイに逃れている可能性もある。

 いま確実に「存在しない」と断言できるのは、カイと預言者シドだけなのだ。

「手がかり……何かないのか。預言者シドがいなくて、人間が他の四種族に支配された。それ以外に変化は!?」

 地図と歴史書を隅から隅まで眺め続ける。

「ウルザれんぽう悪魔の英雄ヴアネツサに敗北した。そうだろうな、シドがいないから敗北したんだろうさ。他に何かないのか!? 俺の記憶との違い。くそ、墓所だって黒いピラミッド型のまま。なら歴代のそうとくとか────……」

 違和感。

 めくったページを、恐る恐るカイは戻した。

 ウルザ連邦の地図。そこに写真付きで記載されているのは黒いピラミッドだ。

 悪魔の墓所。

 ……待て。俺、何かとてつもない勘違いをしてないか。

 ……何かを見落としてる気がする。この墓所について。

「っ!? そうだ、どうして気づかなかったんだ!」

 椅子が後ろに転がる勢いでカイは立ち上がった。

「この墓所……!」

 大戦で勝利した人間が、四種族をふういんするために造ったのが墓所である。

 だが、この世界で敗北したのは人間だ。

「シドがいないのに……人間が大戦に勝ったわけじゃないのに、何でコレがあるんだ」

 人間が敗北したのなら、四種族を封印するための墓所があるはずがない。

 この世界の歴史とじゆんするではないか。

「────」

 薄明かりのなか、カイは唇をみしめた。


       3


 翌早朝。

 カイの広げた地図をぎようする二人が、やがて口をそろえてこう言った。

「……墓所? ううん、何それ知らない」

「俺も初めて見た。何だこの気味悪い三角形の建物……悪魔が造ったんじゃねえの? 写真撮った奴も、悪魔の建物のつもりで撮ったんだと思うぜ」

「……わかった。ありがとう」

 サキもアシュランも墓所を知らない。

 予想どおりだ。五種族大戦で人間が敗れたなら、この墓所があるのはくつに合わない。

 調べる価値はある。

「アシュラン、使ってない車あるかな」

「ん? どっか運転して連れていけってか。昨日ここに人類反旗軍レジストの本隊が到着したばかりだぜ。俺もサキも作戦会議で動けねぇよ」

「わかってる」

 その上で、カイはアシュランに向けて手を差しだした。

「俺一人で行くからかぎだけ貸してくれ。最高速度で飛ばして正午までに戻ってくるから、人類反旗軍レジストの車を貸してほしいんだ」


       〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


 墓所の荒野。

 前の世界では実に一年半におよび、カイはサキやアシュランと偵察戦闘車ガントラツクに乗りこみ、この地を行き来してきた。

「一人で来たのは初めてだな」

 そうこう車から顔を上げる。

 砂混じりの風にさらされる黒いピラミッドが、そびえ立っていた。

「ウルザれんぽうは王都が悪魔にせんきよされて、いたるところに見張りがいる。か……」

 第九主要駅ターミナルでカイが遭遇した悪魔二体は、見張り。

 この荒野にたどり着くまでも、悪魔らしき影を何度も見かけた。そのたびに道をかいし、ここまで辿たどりついたというわけだ。

「……行こう」

 高さ二百メートルの超巨大建造物へ。

 助手席に積んでいた亜竜爪ドレイクネイルたずさえて、カイは運転席から飛びおりた。

「入口は異常なし。当然なんだろうけど」

 墓所の内部にいたる唯一の扉だ。人類庁が所持する鍵でしか開かない。

 ……俺も十年前に一度特別に入ったきりだもんな。

 ……ジャンヌの親父おやじさんがウルザ本部の長官だから、付き添いで見学させてもらって。

 そして深部に転落した。

「っと、今はそれどころじゃないか」

 墓所の外周をゆっくりと歩きだす。

 さんさんと照りつける太陽光はするどく、肌が痛みを感じるほどに強い。

 うっすらとひたいに汗がにじむのを感じながら墓所の裏側へ。そこで、カイは信じられないものを見た。

「封鎖石が、外れてる……!?」

 巨大な円形の石が墓所の壁面から外れ、地面に転がり落ちていた。

 悪魔の脱出を防ぐ栓の役目を果たすとくしゆ装置だ。機能そのものは生きているのか、石の表面がうっすらと緑色のもんようで光り輝いている。

「墓所に閉じこめられてた悪魔がこの石を外して脱出したって線は……ないか。それならサキもアシュランも『悪魔が墓所から脱出した』って言うはずだし」

 悪魔をふういんするふたである封鎖石が、悪魔を封印する機会がないため何百年と放置されたまま。そう考えるのがとうかもしれない。

「ここから入るのは初めてだな……」

 墓所内部へ。

 それも表側にある入り口からではなく、裏側にある封鎖石のあった穴からだ。

 悪魔を封印する空間に直接通じている。

 カイが十年前に転落した場所はちょうどこの奥だろう。

 ……だけど俺も、に転落してすぐ意識がなくなったんだっけ。

 ……気がつけば墓所の外に倒れてて。

 無数にうごめく悪魔たちに取り囲まれたのはおぼろに覚えている。

 そこで預言者シドの伝説にある「光を放つ剣」を見つけて、すがる思いで剣に抱きついた────カイの記憶はそこまでだ。

 太陽の光が差さない墓所の内部。

 踏み入った途端、ひやりと冷たい空気が首筋をでて通りすぎていく。その先で。

「なんだ?」

 光。通路の角から、うっすらと光の線がのぞいていたのだ。

 ……あの光。なんだ、この感覚。

 ……

 無意識に、光の溢れる先へとカイは駆けていた。

 光の下へ。

 通路を折れ曲がった先の広場。その中心に──


 光を放つ剣が、突きささっていた。


 預言者シドの伝説──まぶしき剣をたずさえて四種族の英雄を撃破した。

 だがいつを証明するものが残されていない。ゆえに彼の活躍は、人々の英雄願望が生みだした幻であったと考えられていた。

 そんな英雄の剣が、目の前に。

「……シドの剣……?」

 それは、地上すべてにふりそそぐ太陽の光をぎようしゆくしたかのような剣だった。

 夜を照らすあかつきの色調──

 陽光色に輝き続けるシドの剣。

 たとえるならば神の後光とも言うべき神聖さ。また驚くべきことに、その剣は水晶のように透きとおっていた。つかつばも透明で、うっすらと奥が透けて見える。

「……本物、だよな?」

 十年前の記憶のとおりだ。

 英雄の剣は実在した。

「そうだよ、やっぱりシドの伝説は本物だったんじゃないか!」

 十年前と同じように剣へと駆けよって柄をつかむ。

 そして。

 おごそかな老人の声が、墓所に響きわたったのはその時だった。


〝運命のぞうに巻きこまれた者よ。この剣を手放すな〟

世界座標の鍵コードホルダーを──〟


「……世界座標の鍵コードホルダー?」

 カイの前で、陽光色の剣がふわりと浮かびあがる。

 剣先から放たれたせんこうが薄闇色のくうぎはらい、そこに光の軌跡を描きだす。

 光が凝縮して形づくられる扉。

 その扉が、開き始めた。


〝…………だれ……か……お願い…………たすけ…………〟


 先とは別の声。

 消え入りそうなはかない少女の声が聞こえた。そう認識した時には光の扉は開ききり、輝ける光のうずへとカイは引きこまれていた。

「ぐっ!? おい……今の声、誰だ!?」

 光のほんりゆうみこまれながら。

 確かに聞こえてきた少女の声に、カイは全力で声を振りしぼって叫んだ。

 ──誰かがいる。

 ──泣きそうな声で助けを求めている。

 たったそれだけを理解して。

 カイは、英雄の剣にみちびかれるまま「少女」の待つ場所を訪れた。


       4


 気づけば。

 カイは、無限に続く雲海の中にいた。

「……墓所……じゃない?」

 何度も何度もあたりを見回す。あの薄暗かった墓所の様相が一変し、全方位どこまでも、空の果てまで埋めつくす雲海が広がる世界。

 たとえるなら、地上すべてに綿を敷きつめたよう──

 そして雲はじゆんぱくではなく、うっすらと七色に光り輝いている。

「なんだここ……それにこのかいろうもどうなってるんだ」

 どこまでも延びている石の通路。

 通路の端には、古代彫刻を想わせる見事な石柱が数十メートルほどのかんかくで建ちならび、その様はまるで太古の神殿。

 いったい誰が、このような回廊を用意したというのか。

「人間? あとは……蛮神族だっけか。エルフとドワーフが、人間の建物より大きいようさいを造ってたって記録にあったけど」

 だがここは悪魔の墓所だ。

 蛮神族の墓所とは別である上に、カイが見た蛮神族の遺跡とも違う気がする。

「……悪魔のとくしゆ空間?」

 亜竜爪ドレイクネイルを提げて通路を進んでいく。

 分岐は無視。この空間の終わりを確かめるために無心で突きすすむ。

 どれだけの時間が経過したことか。一時間。それとも二時間は経過しただろうか。感覚がするまで歩き続けた先で。

「あれは?」

 陣を描くようにそびえ立つ姿が視界に飛びこんできた。

 さいだんのごとく盛り上がった広場。

 十段にも満たない階段を走りきった先に、一際おごそかな大理石調の円柱が三本、天をくようにそびえ立っている。

 その中心に。

「……女の子?」


 円柱にはりつけになった少女が、いた。


 何かの儀式に捧げられたいけにえであるかのように。

 両手をくさりで縛られて、目元まで細い鎖におおわれた金髪の少女が。

「…………そこにいるの……だれ……」

 カイの足音を察知したのか。

 柱に縛りつけられた少女が顔を上げた。鎖にとらわれて身動きできない身体からだで。

「お願い」

 かすれた声で、そう言った。

「……助けて。この鎖を外して……」

MF文庫J evo

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