World.1 そして世界は入れ替わる

       1


 赤茶けた大地。

 硬い岩盤にうっすらとれきが積もった荒野に、動物の気配は一切ない。かんぼくと草がわずかに生えただけの過酷な地で──

 一台の偵察戦闘車ガントラツクが停車した。

 運搬車トラツクに頑丈なそうこうほどこして、そこに機関砲をとうさいした物々しい車両である。

「午後二時。定時ぴったりだ」

 その荷台から飛びおりて、偵察兵──カイ・サクラ=ヴェントは双眼鏡を取りだした。

 年齢は十七。

 暗いぐんじよういろの髪に、同系色のひとみをした少年だ。

 人類庁の戦闘衣を着用。日々の訓練によってきたえられた身体からだは確かな力強さをそなえ、そのまなざしも強い意志を感じさせる。

「これより『墓所』の監視を始める。サキ、アシュランも」

 カイが双眼鏡でのぞく地平の先、そこには奇妙な建造物がそびえたっていた。

 しつこくのピラミッド。

 精密機械で描いたような完全なさんかくすい。その表面は墨で塗りつぶしたように黒く、この赤茶けた荒野では異彩を放つ存在だった。

「状況──」

「どーせ異常なしだって」

 車の助手席で。膝上にクリップボードを乗せた青年が、だるげな口調でそう返事した。

 アシュラン・ハイロール。

 カイより一つ年上の十八歳で、偵察兵のどうりようでもある長身の青年だ。

「何もねーよ。そうだろカイ?」

「まだ七十秒。墓所の観察時間は三百秒と決まってる」

 墓所と呼ばれた漆黒のピラミッド。

 カイが双眼鏡で覗くものは高さ二百メートル。現代の超高層ビルに匹敵する高さである。その天辺から地上までを入念に観察していく。

「何もねーって。ほら、もう三百秒たっただろ?」

「いま百七十秒」

「あ────もうっ。いいじゃねえかそれくらい……俺、ずっと車に揺られて乗り物酔いだから、早く終わらせたいんだっての」

 報告用紙に早々と「異常なし」と記入したアシュランが、ぐったりと助手席のシートによりかかる。一方でカイは双眼鏡を離さずに。

「三百秒」

「……お、おう。相変わらずブレねぇ奴だな……」

「報告する。ウルザれんぽうの墓所は異常なし。

「……はー」

 深々とためいきをついて、助手席のアシュランが運転席へとふり向いた。

「おいサキ、お前も言ってくれ。昨日も今日も異常なし、ついでに明日も異常なしだって」

「んー?」

 サキと呼ばれたオレンジ色の髪の少女が身を起こす。

 好物のガムをみながら、運転席のハンドルに寄りかかってくつろいだ格好で。

「いいじゃん、カイが真面目まじめにやってくれてるからアタシらも気楽にできるんだし」

「程があるって話だよ。百年だぜ百年。大戦でふうじこめた四種族やつらが逃げだしたなんて記録、一度だってあるか? なあカイ」

「ない」

「だろ?」

「その一度を起こさないのが俺たちの監視だ」

「…………正論。だけど肩こらない?」

 追加のガムを嚙みながら、サキ。

「アタシらの地域だけ真面目にやってもダメでしょ。墓所は世界に四つもあるし」

「ほかの三箇所でも真剣にやってるに決まってる」

 決まり文句のように応じ、カイは偵察戦闘車ガントラツクへと靴先を向けた。

「大事な任務なんだ。万が一にも墓所から悪魔が逃げだしたら大惨事になる」

 世界に四つ存在するしつこくのピラミッド。

 墓所と呼ばれるこの建造物は、かつて人間が戦った他種族を閉じこめるかんごくである。

 ──強大な法力を振るう悪魔族。

 ──天使やエルフ、ドワーフといった亜人種の勢力たる蛮神族。

 ──ゴーストなど、とくしゆな肉体をもつ聖霊族。

 ──竜を頂点とする、巨大な獣たちの勢力である幻獣族。

 じんを越えた強大な四種族に、人間は長らくおびやかされてきた。

 だが百年前を境に、反撃に成功する。

 人間を含む五種族が入り乱れ、史上最大の争乱となった五種族大戦。この戦いを経て、人類は黒きピラミッド「墓所」に四種族をふういんすることに成功したのだ。

 以後、人間は墓所をこうしててつてい管理し続けている。

「そうそうカイ、大事なこと忘れてたんだけど」

 運転席からサキが身を乗りだした。

「来週のジャンヌのしようしん祝いよ。プレゼントの件でさー」

「任務中だ。悪いけど後で」

「……もーっ。どうせ何もないってば! いいじゃん今でもぉ」

 声を上げてこうするサキ。

 隣の助手席では、アシュランがぼんやりと車の座席によりかかっている。これが現代における一般的な認識だ。すなわち「世界は平和である」と。

 四種族が墓所から逃げだせるはずがない──

 サキやアシュランだけではない。世界共通で定められている二年間の兵役につく若者の、ほぼ全員が公然と口にする本音。

 一方で、そのきわめて珍しい例外がカイだと言えるだろう。

「何も起きなくても油断したくないんだよ。半分、意地みたいなもんだけど」

 サキとアシュランがなまものなのではない。

 二人の主張の方がむしろ正論。百年も封印を保っている墓所が、明日いきなり音を立てて崩れ落ちることなど普通はありえない。

 が。

 墓所の封印を気にかけずにはいられない特別な理由が、カイにはあった。

「俺はから」

 十年前、悪魔族の墓所に転落。

 しつこくのピラミッドの内部で、そこにうごめく悪魔たちを目撃したのがカイだからだ。

「またその話するぅ? アタシもアシュランも二十回は聞いてるけど」

「お前の気のせいだって。墓所に転落して助かるかっての。悪魔のそうくつだぜ?」

 アシュランの言うとおり、生きているのはせきだとカイも思う。

 だが現に自分は生きている。無数の悪魔におそわれて意識を失ったものの、気がついたら墓所の外に倒れていたのだ。

 ただし、記憶を証明するものが何もない。

 ……あの悪魔たちの重圧感。

 ……あれが俺の勝手なもうそうのはずがないんだ。絶対に夢なんかじゃない。

 悪魔たちを前に感じた恐怖。

 たとえ周囲から同意を得られずとも、あの強大な種族が墓所の封印を破って現れることは「あり得る」とカイは直感したのだ。

 そして悪魔族のぎやくしゆうそなえなければならない。

 ゆえにこの十年、カイは誰よりもちよくに訓練を重ねてきた。

 すんを惜しんで訓練を続け、食事や入浴中もイメージトレーニングにぼつとうする。上司からもなかあきれられた「訓練狂」、それがカイだ。

「その時ってカイが七歳とか八歳の頃でしょ。墓所の入り口は一つきりで、カイが墓所に入って転落したら見張りの兵が見てなきゃおかしいもん」

「しかも監視カメラ付きでな。なあカイ、?」

 カイの転落を証言するもくげきしやもいない。

 正確には、一緒にいた大人たちが口をそろえて「覚えてない」と言うのだ。

「だから夢だってば夢。子供の頃に見た怖い夢! 前に、カイがおお真面目まじめな顔で教官にソレを言って変な顔されたの忘れちゃった?」

「いや、覚えてるよ」

「でしょー?」

 うんうん、とうなずくサキ。

「カイの記憶違いってことよ」

「それはそれとして、墓所を見張る任務をほうしていいわけじゃない」

「だ─────っ!?」

 サキとアシュランが悲鳴を上げる。

「本部に連絡しよう。午後二時の監視、完了。墓所に異常なし」

 そんなどうりよう二人を気に止めず。

 カイは、墓所をふり返ってそう言った。


       2


 人類庁──

 五種族大戦を終えた人類が、有事もしもを想定して設立した機関である。

 もしも墓所に異変が起きたら。

 もしも墓所から四種族が脱出しておそってきたら。

 もしも五種族大戦が再発したら。

 事態に備えての高火力兵器の開発から道路・鉄道といった輸送設備インフラの構築を、世界各国に代わってけおうのが人類庇護庁だ。そして兵役。国民の誰もが二年間、人類庇護庁の兵士として訓練に参加することを定められている。

 とはいえ古き制度である。

 兵役に真剣に取り組む者など、現代では皆無に等しい。

「あー、しんど。アタシもう休憩だから!」

 人類庁のたんれんじよう

 その隅っこで、ランニングウェア姿のサキがベンチに腰かけた。

「相手、機械人形マシンドールよ? 殴ったらこっちの手がすりむけるし、向こうのパンチけ損なったら下手すりゃ骨折。やってられないってば! やるだけ無駄よ無駄!」

「…………」

「ねえカイ、聞いてる?」

「幻獣族がそういう種族だからしょうがない」

 カイの前には、体高三メートルという巨大な竜をした機械人形マシンドール

 

 そのための戦闘訓練だが、サキの言うように「意味がない」と主張する者が大半だ。

 ──勝てるわけがない。

 大戦の記録では、幻獣族の頂点に立つ竜のは、戦車にとうさいされたカノン砲でさえ傷一つつかなかったという。

「確かにやるだけ無駄かもな」

 言葉と裏腹に、機械竜の足下にもぐりこむ。

「ちょっとカイ!?」

 サキの絶叫。

 踏みつぶされれば背骨が砕ける。全身骨折の危機が目前にせまるなか、丸太のように太い足に向かってカイは身をしずめ──そして全力で体当たりした。

 四界戦闘式アーツ。人類庇護庁の訓練過程に採用されている対他種族戦闘術である。

 が、カイの一撃に機械竜はビクともしなかった。

「……だめか」

「なにやってるのカイ!? 踏み潰されたら死んじゃうでしょ! 教官のいない自主訓練は、そもそも幻獣型の機械マシンは使っちゃだめって言われてるのに……!」

「そういう覚悟でやらないと意味がない」

「……いやはや。カイってさ、生まれる時代を間違えたよねぇ」

 水の入ったボトルを口にあてながらサキが苦笑い。

 半分は感心で、もう半分は動物園でちんじゆうでも見たようなぽかんとした表情だ。

「そう思わないアシュラン?」

「…………話……しかける、な……傷に……響く……」

 ベンチに座るサキの、その奥でうずくまっている長身の青年は動かない。

 カイとは別の機械人形マシンドールを相手に組み手を行って、脇腹をられて起き上がることもできなくなってしまっている。

「まあアシュランはほっといてさ。カイのこと教官も言ってたしね。大戦の時代に生まれていればって。シドのかわりに歴史に名前が残ったかもね」

「俺はそんな柄じゃない。訓練に手を抜きたくないだけだから」

 機械竜を見上げて、カイはごくごく当たり前の口調でそう返した。

 百年前のこと。

 悪魔族、蛮神族、幻獣族、聖霊族にはそれぞれ種族を率いる最強の個体がいたという。

 長老。首領。あるいは統率者など。種の頂点を意味する言葉は様々だが、人語を解する最強の四体はその中でもっとも強烈で強大な称号を好んだ。

 すなわち──

 悪魔族の英雄「めいていヴァネッサ」。

 蛮神族の英雄「しゆてんアルフレイヤ」。

 幻獣族の英雄「おうラースイーエ」。

 聖霊族の英雄「れいげんしゆリクゲンキヨウ」。

 きようだいなる力をほこり、四種族それぞれを率いる自負ゆえの「英雄」。そして人類は、四英雄によってきゆうに立たされた。

 だが現れたのだ。

 五種族大戦下において、四英雄に対抗する人間の英雄が。

「預言者シドねぇ」

 ベンチで、ぼんやりとサキが天井を見上げる仕草。

「人間の英雄『預言者シド』。この世のものとは思えない輝きを放つ剣で四種族の英雄を倒し、墓所に四種族をふういんした────っていつが残ってるだけでしょ」

「シドっていう男が百年前にいたのは間違いない。写真にも残ってる」

 ローブを着た男の写真。

 これが預言者シドであると言われている写真を、カイは資料で何度も見た。

「でもさーカイ? シドの伝説って、歴史学者もうたがわしいって言ってるじゃん」

 サキが肩をすくめてみせる。

 。それが現代における定説である。

 まず言い伝えにある「きらめく剣」が現代に残っていない。さらにシドが四英雄を倒した戦いの記録が残っていないのだ。

「シドっていうのが四英雄と戦ったって証拠がないもん。戦った時の写真も映像もないし、シドの剣とか言われてる剣も残ってないんだから」

「……ああ」

 証明する記録がない。

 

 戦闘時の写真が一枚さえも残っていない。百年前とはいえシドが四種族の英雄と戦った時の姿がないのは不自然。ゆえにシドの活躍を信じる者はきわめて少ない。

「そういうことよ。シドって人は実在しても、それが大戦で人間代表みたいな活躍はしてなかったってこと。どうカイ?」

「それは俺もそう思う。だけどさ──」

 汗でひたいに張りついた前髪をはらう。

「こうであって欲しいって願望は別でもいいだろ」

「そりゃね。ま、それはさておき話題は変わるけど……ほらアシュラン起きてってば」

「……ぐはっ!?」

 倒れているどうりようようしやなくサキが踏みつけた。

「昼間も話したけど、ジャンヌのしようしん祝いどうするの? もうホントに時間ないって」

「あぁ? 昇進祝いって言ったら花束でいいだろ?」

 ようやく起き上がったアシュランがベンチに腰かける。

「定番でいいんじゃねえの」

「ダメダメ。だってジャンヌだもん。特待生で毎年表彰されて花束もらってるし。今さら花束あげたって意味ないって。ねえカイ? カイもそう思うでしょ」

「…………」

「あれ、おーい。カイってば?」

 サキに背を向けていたカイの胸元で、通信機が鳴りひびいたのはその時だった。

「……ジャンヌ?」

 てのひらだいの通信機に表示された名は、カイの幼なじみ。サキやアシュランと同じく徴兵生の同僚である少女のものだった。

「ん? ジャンヌがどうかしたか?」

「あれれ、アタシんとこには来てないけど? カイだけ?」

 同僚二人がベンチから腰を浮かす。ジャンヌからの通信内容を見せろと首を伸ばす二人の前で、カイは通信機の画面を表示させた。


『カイへ。

 明日は非番でしょ? 朝十時、第九主要駅ターミナルの子ネコ像の前に集合すること!

 ただしサキとアシュランには内緒でね?』


「…………」

 ちょっと待ってほしい。内緒と言われても、の隣には、興味しんしんで今にも通信機をのぞきこもうとする二人がせまってきている。

「カイ、ジャンヌから何て?」

「俺にも連絡来てねぇし。珍しいよな、俺にもサキにも秘密で……おいカイ、お前まさかジャンヌと良からぬ関係なんじゃ」

「……待った」

 片手を前に出して二人をせいした。

「俺の勘違いだった。ジャンヌからの連絡なんて来てない」

「ほほう? じゃあ俺らが聞いた着信音は何だったのかなぁ?」

「アタシらに慣れないウソつくくらい、特別な着信があったってことなのかなぁカイ君」

 サキはニヤニヤ顔で。アシュランはせまる表情で。

 その通信機を見せてみろと距離を詰めてくる。

「……そういえば」

 通信機をしっかりとにぎりしめて、カイは二人に背を向けた。

 そのまま全力で走りだす。

「今日はまだランニングをしてなかった。十キロくらい走ってくる」

「あっ、おい待てこの野郎!?」

「誰かーっ! カイを捕まえるの手伝って。重罪よ、アタシたちに内緒でジャンヌと良からぬことをたくらんでるわ!」

「誤解だよ!……ああもう、俺は真面目まじめに訓練したいだけなんだっ!」

 ジャンヌ、人類庁の通信機を私的プライベート利用するな。

 内心そう叫びつつ、カイは追いかけてくるどうりよう二人から必死で逃げた。


       3


 ウルザれんぽう──

 王都ウルザークを中心に発展した広大な国家である。

 世界大陸の北部に位置するこの国は、悪魔のしんこうによって一度はかいめつし、悪魔のりようとなった。それを率いていたのが悪魔の英雄「めいてい」ヴァネッサである。

 しかし百年前。

 五種族大戦の勝利で、この領土を再び人間がうばい返したというわけだ。

「朝十時。ジャンヌが来るのは一時間遅れの十一時ってとこか」

 第九主要駅ターミナル

 カイの寄宿舎から地下鉄道を利用して十五分。王都ウルザークからほど近いこの区域は、近代的なビルが建ちならぶはんがいになっている。

「カイ、おまたせ」

 弾む声。

 カイがふり向いた先には、手提げかばんたずさえた銀髪の少女が立っていた。

「ジャンヌにしちゃ時間どおりだな。あと一時間は待つと思ったけど」

「む? 失敬なー」

 ほおふくらませて。

 だがすぐに、そのめた息を彼女はふっと笑顔できだした。

「もう来週から王都ウルザークに出向するんだし、こういう時くらいはね」

 ジャンヌ・E・アニス──

 同年代の女子よりいくぶん高いうわぜいに、すらりと細い体つき。伸ばした銀髪にしい目鼻立ちもあいまって、雑誌の表紙を飾るモデルのような雰囲気の少女だ。

 カイの隣家に住む十七歳。

 穏やかな気候にあわせた長袖のシャツに、スキニーパンツ。ボーイッシュな格好を好むのがジャンヌの気質だが、それが逆に少女としての魅力を高めている。

「ほら行くわよ、歩いた歩いた。カイ下級兵、ふく前進であの建物まで進みなさい!」

「この街中を?」

じようだんよ。だって……」

 ジャンヌが指さすのはカイの着ている服だった。

 人類庁の戦闘衣。そして肩にかついだケースには近接戦闘銃が収まっている。もちろん街中では銃が取り出せないようじよう済みだ。

「今日って非番よね。カイはどうしてそんな物々しい服装なのかな?」

「この買い物の前に自主訓練してきたから」

「……知ってるわよ。皮肉で聞いたの。やれやれよ」

 銀髪の少女があきれ笑い。

「私と一緒に非番を楽しむって誘われて、動じないのは多分カイだけね」

「誰かと非番に外出を?」

「しないわよ。だから皮肉で言ってるの!」

 むすっ、とほおふくらませたジャンヌがひじでこちらの脇腹を突いてくる。

 しそうに。

 とても楽しそうに声を弾ませながら、だ。

「……なんて。そういうカイがいいんだけど」

 人混みのなかを並んで歩きだす。

 立ちならぶ建物は、すべて有名な服飾店や菓子店が入った商業ビル。それをジャンヌは、真剣なまなざしで一つ一つ見比べていた。

「どのお店にしようかしら。久しぶりに来たけどお店がありすぎて目移りしちゃう」

「ちなみに今日はどんな風の吹き回しで?」

「買い物よ。サキとアシュランの分」

 どうりようたちの名前が、ジャンヌの唇を伝ってこぼれた。

「それにカイもいれたら三人ね。その三人で、私が王都ウルザークに出向するから記念の餞別プレゼントを用意しようって考えてるところでしょ?」

「……それ俺に聞く?」

 餞別プレゼントの件はズバリ正解。

 ただしカイたち三人はジャンヌに餞別プレゼントをあげる側である。当日まで秘密にしたいのに、それを本人から聞かれて「考えてる」と言えるわけがない。

「いいのいいの。私だって同じこと考えてるもん」

「同じことって?」

「記念の贈物プレゼント。私が王都ウルザークに行く前に渡したいなって」

 ジャンヌの家系は代々、人類庁の幹部をはいしゆつしてきたほまれ高きエリート一家だ。

 父は人類庇護庁ウルザ本部きっての名将校で、祖父も本部のそうとくつとめた大軍人。その血を引くジャンヌも、同僚よりはるかに早くしようしんが決まっていた。

 ──十七歳の美少女が王都へ出向。

 歴代最速のばつてきとして、数週間前のニュースにも取り上げられたほどだ。いずれは父や祖父も越える大軍人になるだろうともうわさされている。

「そういえば、ジャンヌがいなくなるって周りの男子たちがなげいてたよ」

 いくさ乙女おとめ

 どうりようや教官からジャンヌは公然とそう呼ばれている。

 幼い頃から専属の退役軍人から学んだ組織指揮術と、代々けいしようされてきた指揮官適性。そしてそのぼうもあいまって、ジャンヌという少女は既に、ウルザ本部の上司たちもいちもく置く威光カリスマそなえている。そんな彼女が、今の配属先から王都に向かうというしらせに、男の同僚たちがどれほど悲しんだことだろう。

「アシュランもかなり落ちこんでたっけ。サキもだけど」

「……あの二人と会えるの、最後だもんね」

「最後って大げさな。ジャンヌの出向はせいぜい二年だろ?」

 二年後、幹部候補となって戻ってくるジャンヌと再会できる。落ちこむことなどないと、カイはそう信じていた。彼女の返事を聞くまでは。

「私が戻ってきた時には、サキもアシュランも兵役が終わってるわ」

「…………ああ、そっか」

 義務兵役は二年。その二年を終えた若者はそれぞれ自分の道を進んでいく。

「私の友達だとカイくらいよ?」

「そうだろうな」

 兵役を終えた者たちが去っていく。

 そんななか自ら兵役の延長を志願し、人類庁の正式兵へと名乗り出るカイは、現代では異例と言えるだろう。

「俺は自分の好きで兵役やってるけど、そんな奴なかなかいないし」

「私はそうよ?」

「知ってる。親父おやじさんの階級を超えたくて、だろ。何十回聞かされたかわからない」

「一桁違うわ。何百回でしょ」

 のあたる歩道を歩くジャンヌが、しそうに顔を上げた。

「カイには、耳にタコができるくらい話したもんね」

「ジャンヌが親父さんの階級を超えれば、親父さんも喜ぶよ。立派な娘になったって。……ただ、俺たちぐらいか。二年後も兵士やってるような変わり者は」

「カイは、墓所を見張るのが俺の義務だっていつも言ってるもんね。いつ悪魔の大群が出てきてもおかしくないって。それに、もう一回シドの剣を見つけるんだって」

「…………」

 預言者シドはいた。

 四種族の英雄と戦った人間は存在したのだと、カイは信じてうたがわない。

 ……俺は見たんだ。

 ……十年前、シドの剣をこの目で見たから。


 英雄の剣は実在する。


 悪魔の墓所で。

 しつこくのピラミッドの内部に転落した時に、確かにソレを目撃したのだ。

 太陽のように周りを照らしだすきらめきの剣だった。大量の悪魔に囲まれ、死に物狂いで、すがる気持ちでその剣を手にとって────

 カイの記憶はそこで途切れている。

「まあ……その気持ちがないわけじゃないけど」

 悪魔をふういんした墓所の内部に、なぜシドの剣が隠されていたのか?

 その疑問こそ残っているが、あの時に見た「光を放つ剣」は、まさしく伝説にあるシドの剣の特徴とピタリとがつするものだった。

 もっとも、それを信じているのはカイ一人だけなのだが。

「言ってもジャンヌにからかわれるだけだから」

「からかってないわよ?」

 そう言いながら楽しげにジャンヌが口元をほころばせた。

「俺は真面目まじめなのに」

こころざしはからかってないわ。からかってるのはカイの態度。そうやってふくれっつらするカイの態度が可愛かわいいから、つい言いたくなるだけ」

「……ああそうですか」

「もう何年も前よね。カイがいきなり『シドの剣を見た』って言いだしたの。まだ私たちが十歳くらいの頃からかしら。その前からずっと遊んでたもんね」

 人混みのなかを歩いていく。

 十字の交差点のちょうど真ん中に来たところで、隣を歩く少女がふと足を止めた。

「カイだけね。子供の時から遊んでくれて、今も一緒にいてくれて。私が出向から戻ってきた時にもいてくれるのは」

 ふり向く横顔。

 ゆれるそうぼうが、まばたき一つなくこちらの顔をのぞきこんできた。

「ねえカイ。わたしたちこれから先、どうなると思う?」

「先って……ジャンヌは王都に行くんだろ。それから二年したら戻ってくるって」

「ううん。もっと後のこと」

 こくん、と息をみこんで。

 幼なじみでありどうりようである彼女が、さらに一歩足を前に出して。

「ねえカイ、もし私が──────」

 その瞬間に。


 ──少女ジヤンヌ身体からだが、ゆがんだ。


「ジャンヌ!?」

「え? どうしたのカイ?」

 水面に映る影がもんで歪むようになりながら、ジャンヌは何事もないかのように返事を返してきた。

 だが彼女だけではない。カイの見ている前ですべてが歪み始めたのだ。高層ビル、並木、周りの通行人すべてがわいきよくし、折れ曲がっていく。

 続いて突風。

 黒い微粒子が混じった砂嵐が吹き始める。

 ……誰も気づいてない? 自分に起きてることも、この砂嵐も?

 ……なんだ、どうなってるんだ!?

 カイが見上げる前で、空が黒く染まりつつあった。

 はくうんが糸のように細く千切れながら一点に向かってすさまじい速度で流れだし、青空さえもまるで引き寄せられるように塗りつぶされていく。

 ──

 空だけではない。歪曲したビルが地面から浮き上がり、さらに地面のそうも次々とがれて空へと吸い寄せられていく。

 並木も、道行く人間さえもだ。

 さながら巨大な重力点ブラツクホール。天上のおおうずに、周りにあるすべてが吸いこまれていく。

 ……みんな気づいてない?

 ……まさか、!?

 そして目の前で、幼なじみの少女が浮かびあがった。

「ジャンヌ!」

「え? なによカイ、さっきから。こんな人前で名前呼ばれちゃうと……その……あの、私、いろいろ期待しちゃっていいの?」

 笑顔のまま浮かびあがっていく。何が起きているのかもわからないまま、カイの眼前で、幼なじみの少女の身体からだが空へと吸いこまれて。

「ジャンヌ、俺の手を──────」

 砂嵐のなか必死に手を伸ばす。

 同時に、カイの視界は黒に塗りつぶされた。




『世界りん』発動。


 世界の『上書き』を実行する──




       4


 砂嵐めいた風が消え去ったその後に。

 カイは、意識があんてんする前と変わらず第九主要駅ターミナルの交差点に立っていた。

 ──たった一人で。

 目の前にいたはずのジャンヌがいない。

 交差点を歩いていた何十人という通行人も、高層ビルを出入りしていた何百人という買い物客もいなくなっている。

「……どういうことだ。おいジャンヌ? ジャンヌ、どこ行ったんだ! 隠れておどかすにしちゃタチが悪いぞおい!」

 無人の第九主要駅ターミナル

 そしてこれは、どういうことだ。

 足下のそうは何かとてつもない重量で踏み砕かれて、並木があった場所には巨大なクレーターができている。高層ビルはざんにも窓ガラスが割れ砕け、さらにビル自体が大きく破壊されてとうかいしているものさえある。

 まるではいきよ。第九主要駅ターミナルが、あたかも終末の世界のような光景に変わり果てている。

「どうなったんだ……ジャンヌもみんなもいなくなって……」

 人間が一人もいない。異常すぎる。

 理解を超えた現象が起きた──その予感に、カイは肩にかついだ金属ケースを見やった。

 人類庁のじゆうけん

 カイの所属するウルザ本部のかぎでなければケースを解錠できないが、まずは自衛の手段がいる。本能がそうけいしようを鳴らしている。

 ジャンヌを探すのも、辺りを探索するのもすべてはその後だ。

「そう近い距離じゃないけど、急ぐか……」

 人類庇護庁のウルザ本部へ。

 カイの背後のビル陰で、小石が跳ねたのはその時だった。

「音? 誰かいるのか!?」

 いっそ野良犬でも野良猫でもいい。生物がいれば、それは生息できる環境があるということだ。人間だってどこかにいるはずだと安心できる。

「おい誰か……」

 ビル陰からゆっくりとソレが現れた。犬でも猫でもない。

 その姿に、カイは喉が引きるのを自覚した。

「え?」

 二本の足で地に立つソレは、頭上までは優に二メートルを超えていただろう。

 真っ黒な体表は、まるでそうこうのように重厚。

 背部には大きなしつこくつばさへびのごとくうごめく尾。三角型の頭部は明らかに人間と異なる構造で、その目にあたる部位は真っ白でひとみがない。

 ……

 ……俺が墓所に落ちて、そこで見たアイツらと同じ。

 兵役につきながら一日も忘れたことはない。いつか、墓所からこの怪物がてくる日が訪れるのではないかと。


 ──漆黒の悪魔。


 カイが見上げる大きさの怪物が、そこにいた。

 ……機械人形マシンドール……じゃないよな。

 ……こんな街中に。

 人類庇護庁の開発した四種族の機械人形マシンドールは、たんれんじようでのみ起動を許された仮想の敵だ。こんなところで動いているわけがない。

『ニ────ニ……ゲ…………』

 耳までけた悪魔の口が開く。

 声帯の構造が異なるのか聞き取りづらいが、まぎれもなく人間の言葉で。

『──ニンゲン? コノ地ニ?』

しやべれるのか!?」

 悪魔族をはじめ四種族の英雄は、人語を理解できたという。

 だが言葉として発声できる個体は一にぎり。それがカイの知る歴史だったが。

『人間ノ……兵……』

 光がともった。悪魔のつばさにあるねじれた突起物から光が生まれ、それが徐々に火の粉となってくうで大きさを増していく。

『消エロ』

 機関銃さながらの炎の射撃。

 カイの身体からだかすめて後方のビル壁を穿うがち、壁面をがして黒く染め上げる。とつに動かなければ、炎の弾丸で全身無数の穴を開けられていたことだろう。

「法術か!?」

 カイは、その直前に後方へと跳んでいた。

 法術──古代においてせきあるいは魔術と呼ばれていた力の総称である。

 強力な法術になれば人間の大型重火器に比類する破壊力があり、高位悪魔となればソレを五月雨さみだれのごとく放ち続ける怪物もいたという。

 初めて目にする「本物」。

 しかしがこれを無傷でかわしたことが偶然かと問われれば、それは違う。

 ──無意識に身体が動く。

 が来ると想定してきた。

 対悪魔の訓練に費やした数えきれないほどの時間。身体に染みついた回避行動が咄嗟に出た。それが命を救ったのだ。

「……何がどうなってるかわからないけど」

 確かなことがある。

 この悪魔は機械人形マシンドールなどではない。そして人間に明確な敵対心をいだいている。

「────────上等だ」

 バチン、と音を立てて金属錠が外れる。

 悪魔の放った炎の弾丸が穿ったのはカイではなく、カイがかついでいたじゆうけんの格納ケース。その錠が砕けたことで、ケースから黒塗りの銃剣が姿を現した。

「相手してやるさ」

 刀身が取りつけられた銃を向け、その引き金に指をかける。

 汎用型強襲銃剣「亜竜爪ドレイクネイル」。幻獣族の一種である亜竜ドレイクの爪をしたもの。大戦の記録をもとに人類庁が開発した専用の武器である。

『…………人間ガ』

 宙に描かれる炎の軌跡。

 先の数倍にあたる数の「弾丸」が、悪魔の強大な法力によって生みだされた。

ざわリダ!』

 白い火花。

 カイが亜竜爪ドレイクネイルで撃ちだした弾丸は半透明で、白く輝く水晶の欠片かけらのよう。

 それが──何十という炎の弾丸をことごとく消滅させた。

『ッッ!?』

 悪魔の目がふくれあがるように肥大化する。

『エルフノ法術!?』

「いいや、これは人間のえいの結晶だ」

 大戦後に研究された実験兵器だ。

 法術飛散効果のある鉱石を削って弾丸に加工し、法術にぶつけることでソレを飛散──すなわち消滅させる。

「大戦中は、蛮神族のエルフがこんな道具を使ってたんだってな?」

 ただしエルフが造った法具には、エルフの法力が込められている。

 法力を有さない人間はそれを技術と科学でおぎなった。あくまで的なだいたいであるがゆえの「略式」エルフ弾というわけだ。

「行くぞ」

 割れ砕けた路面を駆ける。

 そんなカイの足下に真っ赤なえんかんが浮かびあがった。直径五メートルほどもあるがカイを包みこみ、真っ赤な炎が舌をのぞかせる。

『燃エロ』

 天へ昇る火柱。地面に生まれた円環から生まれた炎がき上がり、その内部にあるものすべてをしようしつさせる。

 略式エルフ弾を撃つ間もない。

 そう察した瞬間に、カイは地をって円環の外へと飛んでいた。

『…………かわシタ!?』

悪魔おまえたちと戦うために訓練してきたんでね」

 悪魔のふところもぐりこみ、カイは亜竜爪ドレイクネイルをその脇腹へと叩きこむ。

 ──発破。

 亜竜爪ドレイクネイルの切っ先で、真っ赤な花が咲くように火花がはじけた。衝撃が悪魔の巨体をふるわせて、膨れあがる黒煙と炎がその身体からだおおっていく。

「一つ教えてやる。人間が造ったのはエルフ弾だけじゃない」

 倒れゆく巨体の悪魔。

 この弾丸も、四種族との実戦で使われるのは史上初めてに違いない。

 ──略式ドレイク弾。

 亜竜ドレイクが吐きだす炎の息吹いぶきた爆弾だ。亜竜爪ドレイクネイルやいばを叩きこむと同時に発破。ゼロ距離の爆発によって四種族を倒すよう設計されている。

「…………っ、ふぅ」

 悪魔が起き上がる気配はない。

 爆発の衝撃でしびれた手を見下ろして、カイは息を吐きだした。

 ……たった一発ずつ。略式エルフ弾と略式ドレイク弾の引き金をはじいただけで。

 ……緊張で全身がふるえてる。

 初めて戦う「本物」。先の法術もそう。一歩でもちようやくが遅れていれば炎に巻きこまれて軽傷どころではなかっただろう。

「だけど通じる!」

 無駄ではなかったのだ、今までの死に物狂いの修練は。

「いける。……相手が悪魔だって戦える」

 今ここで何が起きているのかは、まだカイにも理解できていない。

 だが証明できた。

 強大な悪魔にだって人間はあらがえる。修練次第で上回ることも不可能ではないのだと。

『なんだ、貴様は?』

 とうとつに。

 奇怪な羽ばたき音が、勝利のいんを吹き飛ばした。

 ばさっとうなるようなつばさの音。鳥にしては大きすぎる羽ばたき音が、すぐ頭上から。

『人間……? 我ら種族が……人間に敗れた……?』

 二体目。外見は一体目と大差ないが、宙に浮かぶこの個体は「小さい」。

 カイと同程度の身長で、先の個体と比べれば非力にも見える。

 ……だけど、この圧迫感。

 ……大きさだけならさっきの方が上だけど、言葉遣いから感じる知性がまるで違う。

『貴様は』

「見てのとおり人間だ」

 一体目より危険。

 直感がそう告げるなか、カイはゆっくりと言葉を返した。

「お前こそ、ずいぶん人間の言葉がいんだな」

『────』

 じっとこちらを見下ろすそうの悪魔。

 つばさを広げたまま宙に静止する二体目が、ほおまでけた口をわずかに動かした。

悪魔族われわれも、他の種族も。人間の言葉をあやつるのは都合がいい』

 それはどういう意味だ?

 続けて尋ねかけるカイの意思をあざわらうかのように、悪魔は言葉を続けた。

「…………っ!?」

 人間がれい化されている。

 その言葉は──

 なぜこんな変化が起きたのかという根源の疑問を抜きにするならば。

 この世界の有り様をもっとも非情に、だが見事なまでに表現しきっていた。


 人間は四種族に敗北した?


『奴隷は足りている。ヴァネッサ陛下はそうおつしやった』

「ヴァネッサ?」

 聞き覚えのある名に、カイは眉をひそめた。

 めいてい。悪魔族を率いる「悪魔の英雄」が、まさにその名前ではないか。

「……冥帝ヴァネッサ!? まさかあの大悪魔が!?」

『人間、貴様は危険なにおいがする。消えろ』

 悪魔の指先にとも

 紫色のまがまがしいえんかんが一気に拡がった。そこから稲妻のごとくほとばしる光が生まれ、円環を伝ってふくれあがっていく。

「────目を閉じて!」

 聞き覚えのある声。それが誰の声なのか思いいたる間もなく、目を刺すほどに強烈なせんこうがカイの視界を遮った。

『ッ!』

 悪魔のうめき声。目の前でさくれつした閃光を直視し、目をかれたのだろう。

「……閃光弾か!?」

 人類庁でも正式採用されているものだ。

 とくしゆな「目」をもつ聖霊族をのぞき、多くの種族に有効と推定されている。

 だが、いったい誰が?

「こっちよ! 早くしないと悪魔のれがやってくる!」

 人間?

 目をせんこうに背を向けてカイは走った。手招きする人影の方角へ。

「乗って、あの弾は強力だけど十秒ちょっとしかたないし!」

 手をつかまれる。おぼろな視界のなかに浮かびあがったのは一人の少女だった。

 そのままそうこう車へと強引に乗せられる。

「放浪者確保。アシュラン、出して!」

「おうよ」

 車輪が高速回転。

 甲高い摩擦音をき散らし、車が悪魔からすさまじい勢いで離れていく。

悪魔アイツらは空を浮遊できるけど速くは飛べない。この車なら絶対追いつかれない……もう大丈夫だから……あーだけどアタシらの方が寿命が縮んだわよ」

 後部座席で、隣に座った少女が大きく息を吐いた。

「まったくなんて命知らずなの。アンタ、どこの人。悪魔たちにとらわれてたりよ? 脱走してきた捕虜にしちゃ服装がアタシらっぽいけど」

「…………サキ!?」

「え? アンタ、アタシのこと知ってるわけ?」

 少女がきょとんと目を丸くする。

 年齢は自分と同じほどだろう。天然で収まりの悪いオレンジがかった短髪に、猫のように大きな目。口の端からのぞく八重歯に、ほおのそばかす。

 間違えるはずがない。同じ部隊のどうりようだ。

「知ってるも何も俺だって。助かったよサキ、何が何だか……」

「だから、アンタ誰なの?」

「……え」

 まじまじと互いの顔を見つめあう。

 昨日まで共に訓練してきた相手だ。他人のそら似で見間違えるわけがない。

「サキだよな。サキ・ミスコッティ……でいいんだよな?」

「うん」

「人類庁の兵役についてた──」

「何それ」

 首をかしげる彼女が、ちらりと眼を向けた先は運転席だった。

「ねえアシュラン聞いた? 人類庇護庁って? そんなのウルザれんぽうにあったっけ」

「いいや全然しらねー」

 軽快なハンドルさばきを見せる青年。

 その横顔もまた間違いなく、同僚であるアシュラン本人のものだ。

「おいアシュラン!? アシュラン・ハイロールだろ。お前まで悪いじようだんやめろって。俺だ、カイ・サクラ=ヴェントだって!」

「どっかで会ったか?」

「…………」

 絶句。これほどまでに、その言葉に相応ふさわしい心境はなかっただろう。

「本当に……俺のこと覚えてないのか?」

「っていうかアタシと会ったことあるわけ。ああでも、アタシの名前は知ってるんだよね」

 当たり前だ。

 もう一年以上同じ部隊で行動してた仲じゃないか。

「好きなのはオレンジ味のガムで、嫌いなのは珈琲コーヒー味のガム。身体からだやわらかさが自慢で、開脚なら百九十度以上も足を開ける」

「えっ!? ちょ、ちょっとどうしてソレを?」

「アシュランは生まれつき乗り物酔いが激しくて、車に乗るときは酔い止めを欠かさない。それでも車の運転は……」

 そう言いかけて、はたとカイは我に返った。

 アシュランが運転している? そんな馬鹿な。墓所までの運転はいつもかサキ任せで、もっぱら助手席で寝ているだけだった男が。

「アシュラン……お前、乗り物酔いはどうしたんだよ」

「あぁ? んなのとっくに克服したに決まってんだろ」

 こうはいしたビル群を高速で走りすぎていくそうこう車。

 荒れはてたれき道を運転する技術は、カイより上かもしれない。

「こんな世界だ。車が運転できなきゃ悪魔どもに捕まってれいの身だぜ? 乗り物酔いだなんて言ってられるかっての。…………あれ? お前さん、どうして俺が三半規管弱いこと知ってんだ?」

「アタシの好きなガムの味まで知ってるのも不思議だし」

 うんうんとサキがうなずく仕草。

「アンタ、何者なわけ?」

「…………本当に覚えてないのか」

 サキもアシュランも自分の記憶そのままだ。完全に本人たちで間違いない。

 なのに。

「待ってくれ。……いったい何が起きたんだ」


 だけが、一方的に忘れ去られていた。

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