3. 朝凪海と天海夕(1)
翌週、月曜日。学生や勤め人など、大半の人々にとって憂鬱な週の始まり。もちろんそれは俺にとってもそうなのだが、今日に限っては、俺は他の人々よりもさらに憂鬱な気持ちになっていた。
「……大丈夫かな」
小高い山を整地して建てられた我が校のシルエットを通学路の途中から眺めつつ、俺は一人ため息をついていた。
原因は、もちろん先週末にあった出来事。
『……申し訳ないけど、絶対に嫌かな』
「うぅ……」
自業自得なのはわかっている。
今さら後悔しても遅いが、たかがぼっちのくせに、どうしてあんな、わかったような口で偉そうなことを。
「教室入るの無理……絶対に一瞬で空気が悪くなるヤツ」
天海さんのほうは
想像する。それまでにこやかに輪を作ってわいわいがやがややっていた連中が、俺が入った瞬間、まるでゴミでも見るような視線で俺のことを敵対視してくるのだ。
いてもいなくても影響がないクラスの『空気』から、明確なクラスの『のけ者』へ。
少し考えすぎかもしれないし、ただの取り越し苦労で終わるかもしれないが。
こういう時、相談できる相手がいれば、きっと気分的にも楽になるのに。
「相談できる相手……」
一応、朝凪がいる。親と自分以外で、唯一俺のスマホの電話帳に登録されている、ちゃんとした友達が。
朝凪なら、相談すればきっと話は聞いてくれるだろう。
だが、それで朝凪に安易に泣きつくのは、やはりちょっと違うような気がしていた。
学校での朝凪は皆から頼られている。天海さん、クラスメイト、担任の先生。成績優秀で、品行方正な、クラスの優等生。
だが、俺は知っている。朝凪だって、たまにはいつもの役割から離れて、自由気ままに振る舞いたいと。
思い出されるのは、先週、朝凪が話してくれたこと。
偶然ながら同じ趣味を共有する仲間を見つけて、勇気を出して俺に声をかけて友達になって、そこでようやく逃げ場を見つけることができたのに、その俺が朝凪にもたれかかってはいけない。そんなことをしたら、朝凪の逃げる所がなくなってしまう。
まあ、それはあくまで言い訳で、結局は、こんなしょうもない悩みで朝凪に連絡する勇気がないだけなのだが。
「──おう、おはよう!」
「おは……っす」
校門前で朝の挨拶をしている体育教師に小声で返し、教室へ向かう。朝のHRが始まるギリギリの時間帯。朝練中の一部の生徒を除き、すでにほぼ全員がクラスにいる状態だった。
限りなく存在感を『無』にして、さりげなく自分の席へ。
今のところ、想像していたような事態にはなっていない。
「
「おはよう。……ちょっと寝坊しちゃって」
このまま一日が無事に終わってくれればいいが。
そう思った矢先のことだった。
「……あの、前原君、ちょっといいかな?」
席に座り、教科書を机にしまっているところで、ふわりとした金髪をなびかせた天海さんがこちらに近づいてきたのだ。
瞬間、
「えっ、お、俺……?」
名前を呼ばれたので俺しかいないのだが、思わずそう
クラス中の好奇の視線が俺に注がれる。
クラスで、いや、学年でもきっと一番の美少女が、クラスでもダントツぼっちに話したいことがあるなんて──この場の全体の気持ちを代弁すると、そんな感じだろうか。
当事者からしてみればご勘弁願いたいが、それ以外の外野にとっては興味しか引かない。
「いきなりでごめんね。この前の金曜日のことで、ちょっとお話できたらって思って……ダメかな?」
「いや、別にダメじゃない、けど……」
──え、なになに? どういうこと?
──いや、わからんけど。
クラスメイトたちがそれぞれのグループでひそひそ話をする中、俺は一瞬だけ朝凪のほうを見る。
朝凪が天海さんと休みの日に何を話したのかはわからないが、少なくともなるべく早く謝罪したほうがいいというアドバイスはしただろう。
朝凪は、苦い顔で俺のほうへ手を合わせて謝る仕草を見せる──ということは、少なくとも、天海さんのこの行動は朝凪にも予想外だったということだ。
「あの時は気を悪くさせちゃって、本当にごめんなさい。前原君のこと、私なんにも知らないのに、皆と遊んだほうが楽しいだろうって勝手に思って、あんな無神経なこと言っちゃって」
「そ、そんな……謝らなきゃいけないのは俺のほうだよ。天海さんに悪気なんかないのはわかってたのに、あんな言い方しかできなくて。だから、わざわざ謝ることなんて」
よほどあの時のことを気にしていたのだろうか、天海さんは、一目見てわかるほど、しゅんとした表情を見せている。
俺のことなんか気にせず、というかむしろ放っておいてほしいくらいだが、彼女的に、それは許せないことなのだろう。
決して悪い人ではないし、そこが天海さんのいいところなのだろうが、朝凪の制止を振り切っていらぬ憶測を呼んでしまうのはいただけないか。
「じゃあ、許してくれる? もう怒ってない?」
「う、うん。もう怒ってないし、俺もあの時のことは言いすぎたかもって反省してるから。むしろ俺のほうこそ、ごめんなさいというか」
「ううん、そんな。私のほうこそ、ごめんね」
俺と天海さんが同時に頭を下げたところで、ちょうど時間切れを告げるチャイムとともに担任の先生が教室に入ってくる。
このままの調子だと『私が』『いや俺が』の謝罪合戦になりそうだったから、ちょうどいいタイミングで鳴ってくれて助かる。
「はーい、みんな席について……って、なんか随分静かだけど、どうかした?」
先生が
それぐらい、直前の出来事は驚きだったはずだ。
もちろん、当事者の一人である俺だって。
「とにかく、俺は気にしてないから。だから、これでこの話はおしまいってことで」
「うんっ、ありがと前原君! あ、でももうちょっとだけお話したいかもだから……今日って時間ある?」
「え? まあ、別に平気だけど……」
週末ならともかく、今日は何の予定もない。というかこの先もおそらくないだろう。
「じゃあ、決まりだね! いつにするかはまた連絡するから……えっと、電話番号はこの間教えてもらったやつでいいんだよね?」
「え」
「ふえ?」
天海さんが口を滑らせた瞬間、クラス内に爆弾のおかわりが投下された。
──え、マジ? 今の聞いた?
──アイツ、もしかして天海さんの連絡先知ってる?
──今日が初会話じゃないのかよ。
──おいおい羨ましすぎるぞ……。
全然隠れていないひそひそ話が俺の耳にも届く。気が緩んでつい言ってしまったのだろうが、ちょっと余計だった。
「え? え? 私、なんか
「天海さん、それ、内緒の話……」
「……あっ」
思い出したようだが、俺と天海さんが初めて
隠れて様子を観察していた件は朝凪に謝罪して許しをもらっているが、天海さんと一緒にいたことは秘密だったし、ついで連絡先を交換していることも朝凪は知らない。
ということで、俺が恐れていたのは、クラスの連中ではなく。
「あはは……とにかく、また後でね」
「う、うん」
とてとてと
誰からの連絡かなんて、そんなのもうわかり切っている。送った本人は、すでに教科書を出して黒板のほうを見つめているが。
『(朝凪) OK』
朝凪のメッセージを見た瞬間、ひっ、と喉奥から空気が漏れる。
誠心誠意謝罪することになるのは確実だが……果たして朝凪は俺の土下座で許してくれるだろうか。