第1話 共闘 その1

「なんで俺がこんなことをしなきゃならないんだか……」

 紺色の競泳水着(女子用)を手に持って夕暮れの住宅街を歩く今の俺は、見ようによっては間違いなく不審者であり――ちょっと君、お話いいかな? とポリスメンに背後から肩を掴まれても文句は言えない状態だった。

 これにはワケがある。この競泳水着(女子用)は俺の私物ではなく、とあるポンコツ幼馴染の忘れ物――それを俺が家まで取りに行って、今から届けようとしているところだ。

 時は放課後。帰宅部ゆえに悠々自適に自宅まで帰っていた俺に一通のラインが届いた。

 かの幼馴染様からの言付けはこうである。

『ねえ結斗! ヘルプ! 水着忘れちゃったから持ってきてくだせえ!』

 水泳部のくせに水着を忘れるってどういうことだよ。まったくガサツな奴だ。俺がお人好しであることに感謝して欲しい。本当はすぐに帰って勉強がしたかったのに。

 やがて住宅街を抜け、市街地が近付いてきた道中に俺の通う学校が見えてきた――私立かいえい学園高等学校。偏差値六〇(特進科は七四)を誇る、この辺りでは有名な進学校だ。スポーツにも力を入れており、身体能力お化けたちも在籍している文武両道な校風だ。

 これから忘れ物を届けようとしている俺の幼馴染も、競泳界のホープなどと称される存在で、ガサツな一面とは裏腹にすごい奴だったりする。

 広い敷地を歩いて水泳部の室内プールに向かうと、その入り口付近にそいつの姿があった。他の女子部員たちと一緒で井戸端会議の様相を呈している。

「あ、結斗ー! こっちこっちぃ~っ!」

 俺の存在に気付くや、夏服のスカートがめくれそうな勢いでバネみたいに飛び跳ね、そいつは自分の存在をアピールし始めていた。俺はため息を吐きながら近付いていく。

「ほらよ水着だ。これでいいんだろ?」

「万事オッケー! ありがと結斗! いやぁ持つべきモノは従兄弟だね!」

 軽い調子でそんなことをのたまうこいつは、とうどうみお――浅く日に焼けた健康的な肌と、明るめの茶髪(地毛)がトレードマークの、腐れ縁の幼馴染様である。

 従姉妹でもある。俺の親父とこいつの母親が兄妹なのだ。

「良かったじゃん澪。旦那様が忘れモノ届けてくれて」

「やだなぁ、結斗はそんなんじゃないってば。でも頼りになるのは事実ですっ♪」

 満更でもなさそうに何言ってんだこいつは。もっと否定しろ。俺は旦那様じゃない。

「え、澪と結斗くんって付き合ってないの? チョーお似合いなのに」

「ね。片や競泳界のホープ、片や本日をもって学年主席だし、スポーツバカと勉強バカって感じで相性ばっちりだと思うんだけどね」

 女子部員たちが好き勝手に抜かしていた。……勉強バカってなんだよ。下校中も単語カードめくってるのがそんなにおかしいのか?

「ねえ結斗、どうする? 傍から見て相性ばっちりなんだってさ。いっぺん付き合――」

「断固拒否する」

「食い気味の即答とか酷くないっ!?」

 ぴえんぴえん、と嘘泣きし始めた澪をよそに、

「それよりほら、もうじき部活が始まる時間じゃないのか?」

 と、指摘してやった。この流れよ早く断ち切れろ。

 女子部員たちが「あ、やば」と焦った様子で室内プールに入り込んでいく。

 澪もその流れに続こうとしていたものの――

「あ、ねえ結斗、そういえばさ」

 ふと何かを思い出したように立ち止まり、俺のもとにカムバックしてきた。

「どうした?」

「いやね、その、学年一位おめでとう、って言っとこうと思って。今さっきマコが言ってたから思い出したんだよね――今日、廊下に貼り出されてた結果はあたしも確認済み! 上位二〇名のリストの最上部で燦然と輝く結斗の名前をね!」

 六月に入って数日が経った本日、五月の下旬に行なわれた中間考査の結果が、一年生教室フロアの廊下に貼り出されていたのは俺も当然確認している。

 澪の言う通り、俺の合計点数は満点に数点足りないだけの、学年一位だった。

「結斗ってこれまで一位取ったことなかったよね? 中学の時から上位ではあったけど」

「だな」

「それなのに進学校の海栄でいきなり一位って……結斗、やっちゃったねえ~?」

「カンニングとかしてねえからな! 普通に努力の賜物! 別の言い方をするなら禊だ」

 禊、あるいは――幼き日の誓い。

 俺を優しく可愛がってくれた姉ちゃんの友達――彩花さん。

 結斗くんは元気になったら勉強で一番になれるよ、と言ってくれたあの人。

 勉強で一番になったその姿を見せてね、と言われて、俺は頷いた。

 けれど彩花さんが引っ越してしまったから、その約束は叶わずじまい。

 約束が不履行で終わったのは誰のせいでもないだろうが、だからこそ不完全燃焼のまま今もそれが俺の心でくすぶっている。いつの日か、勉強で一番になった姿を彩花さんに見せたい。果たせなかった約束を果たしたい――そんな火が消えずに今もまだ生きていた。

「禊って、アヤ姉との約束まだ引きずってんの? どんだけ律儀なわけ……」

 澪も彩花さんとは付き合いがあった。それこそ姉ちゃん、彩花さん、澪、の女子三人で遊んでいるのがメインで、それじゃ俺に悪いから、と心優しい彩花さんが俺のことも構ってくれていた、というのが当時の俺たちの構図だった。

「いいだろ別に。俺の自己満足かもしれないけど、彩花さんとの約束に応えたいんだ」

 果たせなかった約束への禊として、ずっと勉強を頑張るのはおかしなことか? 

 頑張っていればいつか約束を果たせる可能性だってゼロじゃないのに。

「でもあたしたちってアヤ姉の今を知らないじゃん? それなのに会えると思う?」

「……さあな」

 俺たちは揃って彩花さんの連絡先を知らない。唯一知っているのは姉ちゃんだが、その姉ちゃんも頻繁に連絡を取り合っているわけじゃなさそうだった。

 別れたのはもう八年も前のことだ。俺が高校一年生になったように、彩花さんも順調ならば高校二年生――どこに住んで、どういう成長を遂げているのだろうか。何も分からないことに虚しさを覚えてしまう。……俺の初恋は閉幕したまま沈みゆく運命なのか?

「もうさ、あたしで妥協しとけば良くない?」

「……なんの話だよ」

「アヤ姉にいつまでもお熱で居たってしょうがないじゃん? だからあたしで妥協しとけばって話」

「な、何言ってんだお前……?」

「イヤなの?」

「い、イヤとかそういう問題じゃなくてだなっ」

 俺たち二人は幼稚園からずっと一緒の、言うなれば腐れ縁の幼馴染でしかない。しかも親戚同士。……可愛いとは思うが、妙な目で見るのは俺の中ではタブー化されている。

「ま、冗談だから真に受けなくていいよ。ばか」

「ばかってなんだよ」

「なんでもありませーん」

 澪は不機嫌そうに俺から離れたかと思えば、校舎の時計を見て慌て始めていた。

「やば。話し込み過ぎた!」

「何やってんだか。早く行けって。そんなんで将来の女子競泳界を背負えんのかよ」

 澪はスポーツ特待生の枠で海栄に入学している。頭はだいぶ残念だが、競泳の実力は全国屈指の折り紙付きだ。五〇・一〇〇メートルの自由形を主戦場とする澪は、中三最後の大会では県のベスト記録を大幅に塗り替えて全国大会に出場しており、優勝こそ出来なかったものの、ベスト一六に名を連ねるという栄誉に輝いた――だから何気に、というかだいぶ化け物じみた存在だったりして、その手の雑誌では〝快活マーメイド〟の異名を与えられ、将来のオリンピック候補生とまで言われていたりする。

「背負えるのかよと聞かれたら、そりゃ背負えらぁと答えるしかないよね! いいかね結斗少年っ、あたしの将来の夢は金メダルを獲得してかじって歯を欠けさせることだ! 覚えておきたまえ!」

 いや歯は大事にしとけよ……。

 室内プールに駆け込んでいく澪めがけて、俺は心の底からそう思わざるを得なかった。

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