第1章 悪徳領主 その2

「まさか、ここはルナン王国で、エイントリアンの領地?」

「ええ、もちろんです。ルナン王国の領地エイントリアンでございます」

「俺が、その領主のエルヒンだと?」

「はい。ご主人様。今日は……何をなさるおつもりですか?」

 侍従長が相変わらず怯えた表情で訊いてきた。俺は死ぬほど深刻なのに、さっきから何を言っているのか。いや、そんなことはどうでもいい。

 つまり、彼らにとって俺はゲームの登場人物エルヒン・エイントリアンということ?

 それは、俺がゲームの中にでも入ってきたということか?

 ありえない。

 確かにありえないが、周りの風景と侍従長やメイドたちのよう姿。そういったものが、今の状況に現実味を与えているのは事実だった。

 まったくあきれて話にならないが。

「鏡……。どこかに全身鏡は?」

「下の階にございます。ご主人様!」

 そう返答したのはメイドたちだった。

「下の階のどこに?」

「す、すぐにお持ちいたします!」

 どこにあるのかという質問をすぐに持って来いという意味にはき違えたのか、メイドたちはどこかへ走って行った。

 すぐさま自分の姿を確認したかったため、それを止めることはしなかった。

 一体なぜ、俺の姿がエルヒン・エイントリアンに見えるのかを。

「それと、地図! この国の地図なんかは?」

「地図? もちろんありますとも。少々お待ちください」

 侍従長も即答してどこかに消えた。動きがとてもびんだった。まあ、俺をご主人様と呼んでいるし、それは当然のことか。

 俺はひとまず寝室に戻り、ベッドに腰かけた。

 ぜんとしたが、明らかに自分がやっていたゲームの世界に入りこんでいるようだ。

 やがて、メイドたちが戻ってきた。ふたりがかりで抱えるようにして全身鏡を持ち、おどおどしながら相変わらず怯えた表情をしている。

 しかし、今は彼女たちの恐怖心を和らげている余裕はない。

 俺は鏡を見つめた。

 衝撃の事実に体が固まってしまった。言葉が出てこない。困惑を隠せなかった。

 鏡に映る自分の姿。俺ではない。

 それは、ゲーム内のグラフィックスだったエルヒン・エイントリアンのイラストとこくしていた。高身長で瘦せ型だが肉体美を誇る体つき。そして、高い鼻。銀髪が鋭い目つきによく似合った美男子。

 イラストが実写化されたような感じで、俺は間違いなくエルヒン・エイントリアンの姿をしていた。

「これが俺だと……?」

「ご主人様?」

「ひとりにしてもらいたい」

「かっ、かしこまりました!」

 メイドたちはその言葉に素直に従い、あたふたと引き下がった。間もなくして侍従長が大きな地図を手にして戻ってきた。

「ご主人様、地図をお持ちし……」

 ひとりになりたかった俺は侍従長の言葉を遮った。

「そこに置いて。あとは、俺が呼ぶまでは誰も部屋に入らないように」

「承知いたしました」

 侍従長もまた、メイドたちと同じ反応をしてあたふたと消えた。寝室の大きな扉が閉まって再び俺はひとりになった。

 俺は25歳。趣味はゲーム。

 気がつくと俺はゲームに出てきた風景の中にいて。さらにはゲームの登場人物のひとりになっている。

 信じられないし、信じたくもないが、この状況はどう見てもゲームの中だった。

 まさか、『栄光』に挑戦する機会って、こういうことだったのか?

 このゲームの開発者は神だとでもいうのか?

 そうでなければ、現実には絶対にありえない状況だった。ゲーム開発者が全知全能の神でもなければ。

 目の前に広がるのは2Dや3Dグラフィックスで動くゲームの中ではなく、ゲームの設定が適用されたリアルの世界だから、なおさら。

 侍従長の表情や行動、メイドたちの怯えた様子。

 全てが実際に生きている人間そのものだった。

 これが栄光だと? ゲームが現実になったこの状況が?

 これが普通のゲームなら、ゲーム好きの俺としては喜ばずにはいられなかったかもしれない。本当の現実にそれほど愛着があるわけでもないから。

 だが、問題がある。このゲームは戦争を題材としている。つまり、戦乱の時代を生き抜く、命懸けののゲームということだ。

 頭が痛くなってきた。いや、とっくに痛みは出ていたが、その頭痛がピークに達した。

 俺は頭を搔きむしりながら、侍従長が置いて行った地図を広げた。

 地図上の地名、そして国名は、やはりゲームの中の設定のままだ。

「待てよ、ってことは……!」

 一番大きな問題に気づいた。これがゲームの中の設定で俺がエルヒン・エイントリアンならば起きる最大の問題に。

 エルヒン・エイントリアンは主人公ではない。主人公どころか、ゲーム開始直後に死んでしまう人物だ。脇役ですらない。

 よりによって、俺がそのエルヒン・エイントリアンだと?


 このゲームは、古代エイントリアン王国に起きた数百年前の内戦により、まるで戦国時代のように分裂した国々が統一されるまでの物語が込められている。

 エイントリアン地方は、ゲームにおける最も重要な地域のひとつで、占領しようとする勢力による争いが頻発する地域である。何よりも、ゲーム開始時の設定でエルヒン・エイントリアン、つまり、まさに今の俺は隣国ナルヤ王国の奇襲攻撃により真っ先に死ぬ設定だった。

 それは、ゲーム開始を知らせる死だった。

 ゲームの設定では、数百年間続いた戦争を経て共倒れをねんした各国の王が休戦協定を結んだことにより約二十年間の平和が訪れる。

 その平和に慣れだした頃、ナルヤ王国の野心に満ちた若い王が戦争を起こす。その戦乱のしよせんで、生贄となるのがエルヒン・エイントリアンだった。

 さらにエルヒン・エイントリアンは悪徳領主だ。酒に、女遊びといったぜいたく好きで罪のない人間を平気で殺す、そんな人物だった。

 侍従長とメイドたちが俺の行動にいちいち怯えているのはまさにそのせいだろう。

 だが、なぜよりによってあの多くの登場人物の中で俺は開始早々死ぬ奴なんだよ?

 もし、俺がこの世界で死んだら?

 現実でも死ぬのか? それともいつもの日常に戻れるのか?

 それが一番大きな問題だ。

 いや、本当に死ぬ確率の方が高いだろう。この世界でも痛みを感じるわけだから。

 それなら、命を粗末に扱うことは絶対にできない。

 これが死と関係ないのであれば、痛みを感じるはずがない。

 頰をたたいたり、つねった時に感じる痛みは本物だ。

 そうなると、本当に死ぬのかもしれない。

 神が介入したとなれば、なおさら?

 だが、それは俺の魂が彼らの作ったゲームの世界に転移したとすればの話。

 はぁ……。

 頭痛ばかりが酷くなっていった。本当に気が狂いそうだ。

 つまり、死ぬ運命から抜け出さなければならないということだが。

 ……ひょっとして、システムが使えるのか?

 ゲームの世界では主人公だけが使えたシステム、レベルアップ。

 このゲームでは、NPCにはレベルアップシステムがなかった。

 現実となったゲームの世界だが、プレイヤーの俺だけがシステムを使えるとしたら?

 それなら少しは期待ができる。そう、システムさえあれば!

 プレイヤーにはレベルがある。主人公は、他の人物にはないこのレベルシステムによって飛躍的な成長が可能となるのだ。

 システムさえあれば生き残れるかもしれない!

 少しは頭痛をやわらげてくれそうな、そんな推測をすぐに確かめるために、俺は頭の中でシステムを探した。

 システム。システム。

 まあ、使い方はよく知らない。

 もし本当にあったらどう使おうか。

 普通ならゲームパッドを操作すればいい話だが、今俺の手にそのパッドはない。

 ならば、ステータスか……?

 ゲームの特典ならあって当然だろ!

 ステータスを!


がわりゆういち/エルヒン・エイントリアン]

[年齢:25歳]

[Lv.1]

[ステータス]

[スキル:情報確認]

[アイテム]


 そのように心の中で叫ぶと、驚くことに本当にステータスが現れた。

 システムウィンドウを見た瞬間、古い友人と再会を果たしたかのように、涙が込み上げてきそうな感情が生まれた。

 それほど嬉しかった。

 さらには、画面の中のシステムウィンドウと同じような姿をしていた。

 いや、まったく同じだった。

 紛れもなく俺の知るシステムウィンドウだ。

 俺はすかさず[ステータス]へと指を動かした。


[武力:58]

[知力:??]

[指揮:??]

[所属:エイントリアン領主]

[所属内のみんしん:10]


 すると、俺のステータスが表示された。やはりゲームと同じだ。

 おかげでエルヒンの能力値を確認することができた。

 エルヒンの初期武力は58だった。暴君であるとはいえ領主だ。上位貴族の出身ともあって、子供の頃から剣術を習っていたのだろう、一般兵士よりは上位の武力だった。

 民心は10。

 領主としての民心は兵士、しん、領民をすべて含めたもの。つまり、最悪ということ。

 悪徳領主として有名なのだから、当然といえば当然のこと。

 システムがあるのならレベルは上がるはず。レベルアップするたびに与えられるポイントで武力やアイテム、そしてスキルを購入すれば、思うがままにレベルアップが可能だ。

 システムがあれば、俺のレベルだけが上がって俺だけがみるみる強くなれる。

 それは、エルヒン・エイントリアンとして始まった今も同じに思えた。

 ゲームの設定のままだ!

 知力と指揮は実績が数値に現れる。知力は戦争で優れた戦略を用いるほど、それそうおうのランク付けがされる。指揮は兵士や家臣をひきいる力を数値で表した能力値だが、数値が高いほど兵士や家臣が従順になる。武力が高くても兵士をとうそつする指揮が低ければ半人前というわけだ。

 他の人物なら知力と指揮の部分が正常に表示されるのではないだろうか?

 確か画面の中のゲームではそうだった。

 それを確かめるために部屋の扉を開けた。

 扉の外ではメイドが常時待機している。おそらく領主の雑用係なのだろう。

 俺は迷わず基本スキルの[情報確認]を使った。

 Lv.1だから、まだ他のスキルはない。

 今は[情報確認]が唯一のスキルだが、このスキルはかなり有用なスキルでもあった。


[ガエン]

[年齢:18歳]

[武力:5]

[知力:31]

[指揮:10]

[所属:エイントリアン領主城のメイド]

[所属内の民心:50]


 [情報確認]を使うと、こうしてその人物の能力値が表示される。

 やはり、俺がやっていたゲームと同じだ。

「プッハッハッハッハ。クッハッハッハッハ!」

 そういうことか。田舎町の主人公が出世するというような王道ストーリーではなく、悪徳領主から始めてシステムを使しながらゲームを攻略する。

 それが、栄光に挑戦する機会ってことだろ? その栄光というものが何かはまったく見当がつかないが。

「ご、ご主人様……?」

 メイドは狂ったように笑う俺を見ながらぶるぶる震え出した。メイドの目には俺が頭のおかしいやつに見えているだろう。平気で人を殺す領主だからなおさら。

「気にするでない」

 違和感を与えないよう領主らしい口調で返答し、扉を閉めて寝室へと戻ってきた。

 そうだ。もうひとつ確認することがあった。

 俺はすぐにまた扉を開けた。訊き忘れたことを訊くために。

 ひたいの汗をぬぐっていたメイドは再び現れた俺を見るなりまたもや体を硬直させた。

 そんな反応を見ると、本当にエルヒンの悪名というものに実感がく。

 どれだけの悪行を働いていれば、あれほどにも人が怯えるというのか。

「今日は何日だろうか?」

「きょ、今日ですか?」

「そうだ」

「2月1日です!」

「2月1日?」

「はっ、はい!」

「年は?」

「えーっと、ルナン王国暦202年です!」

「そうか。ありがとう」

「え……?」

 ありがとうという言葉が意外だったのか、戸惑った表情をするメイドを後に部屋に戻った。俺は部屋の扉を閉めるなり床に座り込んでしまった。

 日付を聞いて開いた口が塞がらなかった。

 王国暦202年2月1日だと?

 それなら、まさに明日だ!

 ナルヤ王国軍の攻撃によりエイントリアンの領地が踏みにじられ、領主がざんしゆされるのがまさに明日!

 戦備を整える時間はなかった。

 領主の悪名を返上し、兵士を育て、レベルを上げて。そんなふうに生存率を上げておいても生き残れる保証はないのに、それが明日だと?

 本当についてない! 最悪だ! くそっ! くそっ!

 どうしたら、生き残れる……?

 生き残ってこそ、攻略を楽しむなりその栄光とやらをきようじゆするなりできるものだろ。仕方なく神の策略にはまってあげるとすればの話だが。

 方法を考えよう。

 このゲームは、戦争で独自の戦略を試せるとして人気を博した。そしてソロプレイではあるものの、戦闘で得たスコアによって全世界のプレイヤーがランク付けされる。

 そう、ゲームセンターでもスコアによってランキングが作成されるように。

 とにかくそんなゲームの1位がまさに俺だった。

 だから、1位に見合う戦略を考えなければ!

 生き残る方法を考えなければならない。

 楽しむ以前に一番重要なのは、死なないことだから。


 では、戦略を練ろう。

 俺は広げた地図に再び視線を戻した。

 エルヒン・エイントリアンが死ぬ戦争の始まりについては、ゲーム開始時に出てきた数行のプロローグが全てだった。

 ナルヤ王国軍が侵攻してエルヒンが斬首されたということは知っているが、戦争に関する詳しいストーリーはまったく知らない。

 俺が知るのはエルヒンではなく本来の主人公の視点だから。

 それに、実際にエルヒンが生き残ればストーリーも完全に変わるだろうから、今俺が知っていることは意味がなくなるはず。

 それでも、数行のプロローグを知っていること自体が大きな特権だ。

 敵がわかれば対策を練ることができるから。


 プロローグを思い出そう。

 記憶によると、確かナルヤ王国軍は西と北の二方向からルナン王国に侵攻する。

 本当の主力部隊はルナン王国の北方から登場することになる。

 エイントリアン領はルナン王国の西の国境だ。

 つまり、ここへの進軍はおとりだった。

 ナルヤ王国はまずエイントリアン領地にせんぽうたいを送る。そして、エイントリアン領地がしんりやくされて西にハナン軍のもくが集まったすきに主力部隊が北の国境から侵攻する。

 これは、北の国境がルナン王国の首都とかなり近いために使われた戦略だった。

 実際、ルナン王国はこの戦略にやられている。

 エイントリアン地方が特に何の対応もできぬまま陥落すると、とうわくしたルナン王国では慌てて戦争を準備し、周辺の領地では西に兵力を集中させる。完全に影をひそめて移動していた本当の主力部隊が北に出現するとも知らずに。

 この戦いでナルヤ王国は、ルナン王国の情報収集能力がどれほどつたないものか、そして隠密に主力部隊を北へ送ったナルヤ王国の戦略がいかに優れているかも見せつけた。

 あの多くの主力部隊をまったく気づかれずに北まで移動させたのだから。

 こういった差が生まれたのは、エルヒンだけでなくルナンの国王もぼうせいはいした王だったからだ。

 だが、ここに俺の生き残る道がある。

 つまり本当の戦争は北で起こるため、耳目を集めようとするこの囮部隊さえ撃退すれば息をつく時間ができるという意味。そう、レベルを上げて戦いに備えるための時間が。

 明日の戦争で生き残れば未来は開ける。

 それだけは確かだった。

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