第六章 悲しさも貧しさもぶっ飛ばす! ①
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スーツが一着しかないのは何かと不便だ。水洗いができるものだったのが幸いだったものの、それもまだ気温が高くない今の時期に限るだろう。夏を迎えるまでにどこかで仕事着を仕立ててもらわなければと、ルンは地主から借りているお下がりの姿見を前に思った。
「ルンさん準備できた?」
階段を降りてくるトーナが声をかけてくる。いつものように肩にはカーバンクルのカイリを乗せて、服装も見慣れた臙脂色のブレザー。一緒に降りてきたセリアルは、まだ魔術学院が再開していないものの、よそ行きの服が他にないということで、魔術学院のジャケットをシャツの上に着ている。
「うん、できたよ」
いつも通りのスーツを着て、いつも通りのネクタイを締める。それがクラウ達への別れの場には相応しいことだろう。
メリディエスから戻って今日でちょうど一〇日が経った。あの街から連れ帰ったクラウ達の亡骸はその日のうちに火葬されて、今日が正式な葬儀の日だ。
遺体は早々に火葬し、それから少しの間を置いてから、葬儀が営まれる。それが帝国における葬送の習わしだ。生前世界の日本のそれとは随分と勝手が違っていて、喪服はなく、会場では食事と酒が振る舞われ、参列者は故人の思い出話に花を咲かせ、賑やかに送り出す。人間の理想的な生き方の集大成として、家族や友人達に思いを馳せられながら、この世に未練を残すことなく旅立つという、教書の一節を表したものだ。
「おはようございます。皆さんもうお着きですよ。二階へどうぞ」
会場である自衛団の事務所に着くと、玄関先で受付嬢が出迎えてくれた。クラウ達の葬儀は自衛団が営む合同葬という形式で、受付嬢も運営に参加してくれている。
「あ~、遅くなったか。ルンさんが寝坊するからだよ」
「トーナちゃんだってそんなに早起きじゃなかったでしょ」
言い合いながら手続きを済ませて、事務所に入る。いつもは自衛団の面々が屯する事務所内には、東の街や外円の住人も集まって、いつも以上の活気を見せている。
「オルガンティノさん」
ルンは早速見知った顔を見つけて、声をかけた。二等団員のオルガンティノ一家だ。
「おぉ、来たか。こんな大人数に見送ってもらえて、あいつら幸せもんじゃわい」
「全くですよ」
ルンは相槌を打って、
「先日はありがとうございました。西の街を守ってくれた上に伝令まで行ってくれて……」
「いや、どうということもない。偉そうな将軍の吠え面も見れたしな!」
思い出して愉快そうに笑うオルガンティノに、息子二人も続く。
「親父に税金泥棒呼ばわりされて、将軍のやつカンカンになってさ。そこでエルフの耳を投げつけてやったら、ビビッて腰抜かしてやんの!」
「良い気味だったぜ。ルン達にも見せてやりたかったなぁ」
メリディエスから帰還したその日のうちに、オルガンティノ一家には帝都へ避難する貴族達を追ってもらった。エルフを討伐したことの報告と、メリディエスに残された大量の死体を一刻も早く弔ってほしいと、軍の連中に伝えるためだ。
ジャベリンで木端微塵に爆殺したエルフの肉片と剣を手土産に、役目を果たしてくれた一家は、貴族達とその護衛という名目で一緒に逃げた帝国軍の兵士を連れて、三日後には帰ってきてくれたのだった。
「あ、トーナ!」
オルガンティノ一家との歓談がひと段落したところで、クラウの一人息子のクルスが、トーナのもとへ駆け寄ってきた。見るからにわんぱくそうなラズボアの三人の子供達も一緒だ。
「ねぇトーナ、特別編聞かせてくれるの?」
「うん、もう用意してるよ」
期待に目を輝かせるクルス達に、トーナは得意顔で頷く。メリディエスに出発する前の約束を、果たす時が来たらしい。
「ルンさん、この子達はあたしが見てるから、話してきなよ」
ルンの方を振り返ってそう言うと、トーナはスカートポケットから巾着を取り出してルンに渡し、子供達を引き連れて事務所の奥へ向かっていく。保険のことはよく分からないなりの、社長の気遣いだ。
「セリアルちゃんも、友達と話しといで」
残ったセリアルに促す。事務所には東の街から魔術学院に通っている生徒達が、セリアルと同じようにジャケットを着て談笑している。
「何かお手伝いすることはありませんか?」
「大丈夫。気にしないで」
何か役に立ちたいと思ってくれての申し出にそう答えると、セリアルもそれに頷いて、
「じゃあ、行ってきます」
そう言って学友達のもとへ向かっていった。
「よし……」
深呼吸を一つして、ルンは歩き出す。
事務所の二階にある大部屋に向かうと、そこには期待通りの面々が集まっていた。
クラウの妻のクレアに、ラズボアの妻のマルタ。ハンナの夫のジョシュアに、クロードの妹のメリダ。二人一組で長机に座り、さらに一番奥の机にはクロアとマナリアが並んで座っている。
「お待たせしてすみません」
開口一番の謝罪とともに、登壇する。
「どうかしたの、ルンさん? クロアさんまで呼んで……」
クレアが戸惑い気味に訊いた。事務所に来てから参列者への挨拶もそこそこに、受付嬢に案内されてこの部屋に通されたのだ。それも用向きは聞かされていない上に、面識がない悪評だらけのゴブリンまで同席しているのだから、この態度も無理はない。
他の三人も一様に、似たような様子だ。これから何が始まるのか、戦々恐々としてすらいる。いつも通りなのは事前に話を通しておいたクロアとマナリアの二人だけだ。
「先日もお伝えしましたが、今回の件、お悔やみを申し上げます」
小さく頭を下げて、ルンが切り出す。
「クラウ達は、この街の誇りで、そして個人的にも恩人でした。今の自分達があるのは、彼らのおかげです」
「止しておくれよ、ルンさん。今日はそんなしんみりする場じゃないんだから!」
マルタがそう言って気丈に笑うと、ジョシュアもそれに続く。
「今日は彼らを盛大に送り出してあげる日ですから、ルンさんも協力してください」
「それは、もちろん。自衛団の葬式にも慣れましたし」
トーナの付き添いとして入団したとはいえ、正規の団員だ。これまで依頼中に殉職した団員の葬儀には全て参列してきたし、そこでどんな風に振る舞うべきかは心得ている。
とはいえ、今日はルンにとっても、特別な事情がある。
それを示すように、ルンは壇上から降りて、クレア達が座る長机の前に向かった。そしてトーナから借りた巾着に手を入れ、革製のカバンを取り出し、彼女達の前に一つずつ置いていく。
「あの、ルンさん……?」
カバンの正体が分からず当惑するクレア。ルンは端の席に座るメリダの前にカバンを置くと、そこでようやくその中身を明かした。
「クラウ達が加入していた死亡保険の保険金、五〇〇〇万バルクです。受け取ってください」
「あ……」
メリダが呆気に取られたような声を漏らして、それにジョシュア達も続く。
「そういえば、そんなの入ってたな……」
「いやでも、うちは二ヶ月分しか払ってないよ? それなのにそんな大金もらうのも……」
「そうだよ、ルンさん。気持ちだけで十分だから」
マルタとクレアは、困り顔で言った。良くも悪くも、欲のない人達。そこへ背後から、彼女達の背中を押すように、クロアが口を開いた。
「保険というのは、初めて保険料を支払ったその日から、保険金の支払義務が生じるそうだ」
ようやく口を開いた金貸しのゴブリンに、一同が注目する。
「たとえ君達が数万しか払っていなかったとしても、支払事由に該当すれば、保険金は満額支払う。そういう約束だ」
「えぇ、クロアさんのおっしゃる通りです」