第六章 悲しさも貧しさもぶっ飛ばす! ②
ルンは頷いて答える。
「死亡保険は自殺以外の死亡に対する保障です。クラウ達はエルフと戦っての殉職なので、保険金を支払います。それが彼らとの約束です。だから受け取ってください。それは彼らが皆さんに遺した、大切な財産です」
四人は互いに顔を見合わせ、やがてジョシュアがカバンの錠を外して開けた。詰め込んだ札束は、一〇〇枚で一束、それが五〇入っている。これほどのまとまった大金を目にすることができるのは、西の街の金持ちだけだろう。
「あの人が遺してくれた財産、か」
感傷的に呟いたマルタが、目元を拭う。
「正直言って、保険に入った時はあの人が死ぬなんて思わなかったからね。何か、変な気分だよ」
笑みを取り繕いながらのマルタにつられて、他の三人も嗚咽を漏らす。彼らは自衛団の、それも一等団員の家族だ。思いがけない死別の時が訪れることをずっと覚悟してきたし、だからこそ火葬の時にも気丈に振る舞っていたのだ。
崩れかかっている彼女達にすべきことが何であるか、保険金支払いの手続きを経験していないルンには正解が分からなかった。それでも、自分がどうしたいのかだけは、はっきりと分かった。
「保険を提案したあの日、私は皆さんに約束しました。保険を通じて寄り添い、生涯に亘って支えていく、と。だから、このお金で私達の関係が終わることはありません。これからも異世界生命保険相互会社は、皆さんに寄り添い、支えていきます。それがクラウ達との約束です」
努めて落ち着いた声で、それでいて力強くルンが告げると、潤んだ目を拭ったクレアが小さく頷いた。
「ありがとう、ルンさん。ほんとに、ありがとう」
笑みを湛えたクレアに、マルタ達も続いた。
「ありがとね、ルンさん」
「本当にありがとう」
「ありがとうございます」
帝国生命の人間として営業に携わっていた時にかけられることのなかった、感謝の言葉。ずっと心の奥底で求めていたそれを受け止めて、ルンは息を飲み、そして堪らず俯く。
「保険があるのは、クロアさんのおかげです。どうか、クロアさんにも……」
そこから先は言葉が出なかった。これ以上出すと、声にならないような気がした。そんな状況を察してくれたのか、下を向いたルンの耳に、クレア達の声がまた続いた。
「クロアさんも、ありがとうございます」
「何か誤解してたかね。クロアさんって、良い人なんだね」
「ありがとうございます、クロアさん」
「ありがとうございます」
また同じように、しかし思いのこもった感謝の言葉が続く。ようやく落ち着いたルンが顔を上げると、奥の席に座るクロアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、黄緑の肌を微かに紅潮させて固まっていた。
2
「――結局のところ、私がここに来る必要はなかったんじゃないのかね? 金は明日君が持ってきてくれるというのだから、私は何のために呼ばれたんだ?」
クレア達から少し遅れて、大部屋を一緒に出たクロアが、そんな不満を漏らした。ルンは廊下を一緒に歩きながら、そんな愚痴に応じる。
「クロアさんが英雄になる第一歩ですよ。実際、みんなクロアさんに感謝してたし」
生命保険に投資する理由は何かと問われた時の答えを引き合いに出して応じると、
「保険金の支払いの度に呼び出されては困るな。今後は君一人でやってくれ」
ぼやきつつ、クロアは静かに笑みを見せてそう言った。
「それでクロアさん、銀行の件なんですけど……」
階段を降りたところで、ルンが言いかけた。
報告会のついでに提案した、銀行という業態。あの時点でクロアは前向きに考えてくれていて、クレア達の保険金を預かるための口座を開設することにも同意してくれたが、肝心の事務所がなければ預かってもらっても何かと不便だ。そんな懸念を先読みしていたかのように、クロアは答えた。
「銀行の事務所は、君の会社と兼用させてもらいたい。あいにく私の手足となれる者が君以外にいないからな」
「うちは事務所とかないんですけど……」
「それなら作れば良いじゃないか」
当たり前のことのように言って続ける。
「東の街にある私の物件を一つ、貸してやる。例のギンコウとやらと君の会社の事務所をそこに構えれば良い。間借りしている間、賃料は取らないでおいてやる」
「え、良いんですか?」
破格の好条件に、思わず声が上擦ってしまう。
「明日にでも物件をいくつか紹介しよう。事務所を君の会社に間借りさせる以上、金は私が持つ必要もないだろうし、君のところで預かってくれ」
クロアはそう言うと、裏口の方へ向き直る。
「では、私は先に帰らせてもらう。彼らについて語らう思い出もないのでね」
葬式にその物言いは如何なものかとも思うが、無理に引き留めるのもおかしな話だ。裏口から出ていくのも、参列者や事務所側に余計な気を遣わせないためだろう。クロアという人物は、その辺りの機微に敏い。
「これからも期待しているよ」
そう言い残して、クロアは裏口へ向かう。マナリアもルンに一礼し、その後に続く。
「ありがとうございました、クロアさん」
腰を折って、深々と頭を下げる。
やがて裏口からクロア達が出ていって、静かになると、食堂の方からドッと歓声が沸いた。
何事かと向かってみると、参列者達の注目は一ヶ所に集まっていた。通路からすぐの位置で注目を浴びているのは、やはりというべきか、トーナだった。
「そしてルンさんがエルフをボッコボコにして、あたしに合図したの。だからあたしは引き金を引いたわけ。『貴様の続編はなしだ!』。バシューン! ドカーン! エルフは木端微塵に吹き飛びました!」
ご丁寧にミサイルの装填されていないジャベリンを担ぎ、大仰な身振り手振りでメリディエスの激戦を演じるトーナ。これがクルスに聞かせてあげると約束していた特別編である。子供達は大笑いし、他の大人達はトーナの大活躍に歓声を上げ、クレアやマルタ達もそんな雰囲気を心から楽しんでいるようだった。
「あ、ルンさん!」
と、ルンに気づいたトーナが声をかけてきた。
「ルンさんもこっち来て! さっきのシーン、もう一回やるから!」
「えぇ……」
「ほら早く!」
駆け寄ってきて、手を引かれる。さすがにこの年齢でトーナと同じノリで演劇はできない。
とはいえ、どうせ社長命令だ。拒否権はないのだろう。
ルンは覚悟を決めて、参列者の前に引きずり出された。
3
葬式は夕方までの予定だったが、結局夜まで続いた。参列者も出入りこそあれど終始盛り上がりが冷めることはなく、クラウ達の人望を改めて実感させられた。
「ルンさんお風呂空いたよ~」
日付が変わった頃、ネグリジェに着替えたトーナが浴室から戻ってきた。リビングでりゅーのすけとりゅーこを足下に寝かせて、テーブルの上でリンゴをかじるカイリをぼんやりと眺めていたルンは、トーナの声に少し遅れて反応した。
「あ、うん。もう少ししたら行くから」
今から行っても四五度の熱湯が待っているだけだ。少し湯を冷ましてから行くのは、いつものことだ。
「セリアルは?」
隣に座ってりゅーのすけの頭を撫でつつ、トーナが訊いた。
「もう寝たよ。風呂上がりの時でも眠そうだったし」
「まぁ今日は色々大変だったもんね~」
そう言いつつ、楽しげに笑うトーナ。結局、特別編を六回も演じ、そのうち五回につき合わされて、ルンも疲労困憊なのだが、トーナの方はまだ元気そうだ。
「クレアさん達、何て言ってた?」
保険金を渡した時のことを訊かれて、ルンは思い返しつつ答える。
「ありがとう、だって」
「おっ、ついに言ってもらえたね!」