第五章 死は全てに打ち勝つ ②
透明の防御壁に弾かれた父親に、ルンが迫る。無防備な腹めがけて剣を薙ぎ、深々と切りつける。
「お父さん!」
「こいつはお父さんじゃない!」
悲痛な叫びを上げたトーナに、ルンは怒鳴るように返し、そして迫ってきた母親の首を刎ねる。
「こいつらは偽物だ。騙されるな!」
両親の姿を模した操り人形は、断末魔も上げることなく土塊に戻り、それを見たトーナは呆然とする。
「小娘、貴様の親を生き返らせてやるぞ」
そんなトーナに、教会からエルフが悪辣な甘言を紡ぐ。
「貴様らも私の僕となるが良い。二度と会えぬ者との再会を果たさせてやろう」
「てめぇ!」
心底から愉快そうに笑うエルフに、ルンが吼える。トーナの心を読んで、死んだ彼女の両親の姿を模した刺客を寄越した。それが如何に残忍なことか、あのエルフは理解してやっているのだ。
「フィアト・ルクス!」
ラテン語の呪詛を紡ぎ、マナリアが矢を放つ。藍色の夜空に放たれたそれは、次の瞬間強烈な閃光を放ち、月明かりに照らされた廃墟の街を真っ白に覆い尽くした。
「一度退きましょう。このままでは埒が明きません」
沈着な一言が耳に届くと、白く塗りつぶされた視界が溶けていくのに合わせて、血が昇った頭がスッと冷めていく。
魔法による閃光。その影響を最も受けたのは、終始目を見開いているクラウ達だ。視覚を潰されて呻きながら悶える傍で、ルンはマナリアの提案に乗った。
「トーナちゃん!」
閃光の目潰しで動揺を塗り替えられたトーナが、一瞬遅れてルンの声に応じる。
「りゅーのすけ、りゅーこ!」
指笛を鳴らして、二匹の竜を呼ぶ。駆け寄ってきたりゅーのすけとりゅーこに、トーナ達はまっすぐに走っていく。
「ルンさん、早く!」
りゅーこの背中に乗ったセリアルが、駆け寄ってくるルンを急かす。
――風を切る音を、ルンは聞き取った。そして振り返った次の瞬間、喉を衝撃が貫いた。
「ルンさん!」
りゅーこからセリアルが飛び降りて、駆け寄ってくる。その姿を視界に捉えたまま、ルンは崩れ落ちる。
「クロードさんだ! ルンさんがやられた! セリアル、隠れて!」
「は、はい!」
倒れたルンを、セリアルとりゅーこが引きずっていく。喉を走る鋭い痛みと押しつぶされるような息苦しさの中で、ルンは必死に状況を飲み込もうとするが、酸欠の頭がそれを拒むように、ゆっくりと意識を溶かしていった。
2
「――よぉ。久しぶり、ルンさん」
目を開けると、目の前に神が座っていた。黒いジャージに無個性な顔、短く整えた黒い髪。初めて会った時と何も変わらないモブキャラは、あの時と同じように無数に線を書き込んだ紙を見下ろしている。
「何であんたが……」
「先輩からのありがたいアドバイスで、お前らが死にかけた時は拾い上げてやれって言われてな」
神はつまらなそうに肩をすくめた。
「お前ら大抵、つまらないことであっさり死ぬから、長生きさせたきゃ最初は面倒見てやれ、だってさ。ほんとめんどくさいよな、お前ら」
愚痴をこぼされつつ、状況は分かった。つまるところ、自分は生死の境にいるのだ。
「俺は死ぬのか?」
「まだだ。今はまぁ、死にかけ、ってとこだな」
顔を上げた神は、初めて対面した時と違って、随分と好意的な笑みを向けてきた。まるで健闘を讃えるかのようなその表情を、ルンが訝っていると、これ見よがしに指を打ち鳴らして、白いテーブルに映像を映し出す。
『マナリアさんはセリアルちゃんを守ってあげて! こいつらはあたしが引きつける!』
『トーナさん、危ないです! 戻ってきて!』
夜空を見上げる位置から動かない映像が、セリアルのひっ迫した声を届ける。銃声、炸裂音、咆哮。物々しい雑音の中で、涙目のセリアルが顔を覗かせ、続いてマナリアの顔が飛び込んでくる。
『矢を抜き次第詠唱を。かなりの出血が予想されますので、急いで』
冷静に告げるマナリアが矢を引き抜き、血が噴き出す。それに怯んだセリアルに、マナリアが『早く!』と叱咤すると、セリアルは涙を拭い、そして震える声で詠唱を始める。
クロードの矢に喉を射貫かれ、死にかけている自分の視界。そこで繰り広げられる凄惨な戦いの現場の只中にあって、何の痛みも感じないルンは、焦慮を抱いて立ち上がる。
「死にかけなら、生き返れるんだよな?」
「あぁ。この女の子の魔法のおかけでな」
「なら早く戻してくれ。あのエルフを倒さないと」
こうしている間にもトーナとマナリアが戦い、セリアルは回復のために消耗している。自分のせいでこれ以上事態を悪化させたくない。
「もう良いんじゃないの?」
神は諭すように問いかけた。
「異世界に来て、自分の知識を頼りに会社を作って、そして客のために戦って死ぬ。かっこいいじゃん、ルンさん。俺は十分頑張ったと思うよ」
「何言ってんだよ、あんた」
「俺は自殺さえしなきゃ何でも良いんだよ。自殺起因の損失が監査の指摘事項なんだから。それさえ回避できれば文句なし。てことで、転生させてやるよ」
労うような物言いとともに、神は関心を手元のノートパソコンのような端末に向ける。
「つき合ってくれたお礼に、次の転生先を選ばせてやるよ。せっかくだから、欲しがってた特典もつけてやる。次の世界では、お前は貴族か金持ちの息子で、勉強もできて、女にもモテモテな完璧超人だ。前と同じ世界が良いか? それともちょっと冒険してみる? 魔法が発達してる世界とか、機械と人間が戦争してる世界とか。どこに行きたい?」
「どこにも行かない」
努めて明るく問いかける神に、ルンは首を振って静かに告げた。
「戻してくれ。あいつを倒して、クラウ達を連れ戻す」
「戻ったとして、あれどうやって倒すの? どのみち死にそうだけど」
「エルフとの戦い方なら教わってる。あんたがトーナちゃんにあげた武器もあるんだ、次は上手くやるさ」
勝算を抱くルンは、「それに」と続ける。
「クラウ達と契約したんだ。俺はあいつらの家族を守る。ここで死んで、その約束を破るわけにはいかない」
「ほっほー……」
決然と告げたルンを前に、神は感心したかのように唸り、腕を組んで笑みをこぼす。
「変わったなぁ、お前。死ぬ前と大違いだ」
「え?」
「思い描いた理想との違いに失望して、自分で死ぬことを選んだ奴が、二ヶ月かそこら異世界で同じことをしたと思ったら、今度は他人のために生きたいと。ほんと人間ってのは理不尽で面白いよなぁ。だからお前ら好きなんだわ」
「あんた、知ってたのか?」
勢いだけだと言い張ったあの時の答え。看破したかのような態度だったが、神はそれには答えなかった。
「お前はもう心配いらないな。じゃ、精々頑張って生き抜いてこい、ルンさん」
雑じり気なしの激励とともに、神は指を鳴らした。
3
瞬きした次の瞬間、ルンの視界には涙を流すセリアルの顔が飛び込んだ。
「ルンさん! 良かった! 良かったぁ!」
感激に声を上げるセリアル。ルンは喉元を触れて、傷が塞がっているのを認めると、
「ありがとう、セリアルちゃん。命拾いしたよ」
セリアルが嬉しそうに何度も頷くと、そこへトーナとマナリアが割り込む。
「生き返ってくれたところ悪いんだけど、状況は最悪だよ」
「完全に囲まれました。逃げ場はありません」
そう言われて、ルンは辺りを見渡す。正方形に張られた防御壁を無数の死人が囲んで、一心不乱に拳で殴りつけている。