第五章 死は全てに打ち勝つ ①
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クロアを断崖の邸宅まで送った後、ルン達は出発した。
ヴィンジアから平原を南に進んで、到着したのは月が昇りきった頃。薄暗い夜の平野に姿を現した城壁は、抉られたかのように崩れ落ち、そこから様子を覗かせる街並みも、家々が崩れて廃墟となっていた。
この地方ではヴィンジアに次ぐ地方都市・メリディエス。二〇万の人口を抱える城塞都市は、死んだかのように静まり返っていた。
「よし、行こう」
りゅーのすけとりゅーこが崩れた正門の前で足を止めると、ルンはその静けさを前に深呼吸をして言った。
一行は馬車から降りて、崩れた門を潜った。りゅーのすけとりゅーこも、後ろをついて歩いてくる。
平屋の家屋が並ぶ通りを進んでいきながら、ルンは違和感を覚える。人の気配のないゴーストタウン。だがそれ以上に気になるのは、虫の鳴き声も、犬や猫、それどころかネズミのような小動物の気配もない。
「ここってほんとに人住んでたの……?」
周囲を警戒しながら、トーナが訝しげに呟く。
生者の気配のないこの街には、それどころか死者の痕跡すら存在しない。死体は一つも転がっていないし、その断片や血痕も残されていない。ただ崩れた家屋の破片が通りに散らばっているばかりだ。
まるで何十年も前に打ち捨てられた廃墟のような静けさ。昨日までこの街には、二〇万の市民が住んでいたはずなのに、その気配はどこにもない。
「一人、いらっしゃいましたよ」
マナリアが足を止めて、見上げる。
ルン達もその視線の先に目を向けた。街の中央に立つ、頭一つ背の高い教会の屋根。そこに立つ人影は、月を背に揺らめき、ルン達を見下ろしていた。
「あいつか」
「だろうね」
月明かりを背にする人影の輪郭が、少しずつ明らかになってくる。死人のように白い肌に、青一色の双眸。逆三角形の細い顔に尖った耳、そして生糸のような白くまっすぐな髪。纏うローブは真っ白で、その風体はさながら仙人といったところか。
「白のエルフですか。厄介な手合いです」
マナリアが淡々とした口調で告げて、背中の矢筒から矢を抜く。
「――また、人間か」
見下ろす白いエルフが、言葉を紡いだ。高慢さが滲む物言いは、男性的な声色で紡がれる。
「どこから来たのかは知らぬが、私は争いを好まぬ。立ち去るなら、見逃してやらなくもない」
「戯言です。耳を貸す必要ありません」
マナリアの忠告に首肯する。青い瞳に宿している冷徹な殺意を、その場にいる誰もが感じ取っていた。
「街の人達は?」
「そんなことを訊いてどうする?」
「回答次第で見逃してやらなくもないぞ。お前だって命は惜しいだろ」
挑発めいたルンの物言いに、そこでエルフはようやく表情を変えた。微笑だ。
「私に勝てると思っているのか? 愚かな人間の身でありながら、無限の時を生きるこの私に? あまりに身の程を弁えていない。哀れだ。実に。私はこの世で最も深く魔法を探求した一族の血を引く選ばれし存在――」
高慢な微笑で紡がれる尊大な演説は、銃声によって遮られ、次の瞬間、左肩を貫かれたエルフは、その悠然とした笑みを苦悶に歪め、そして悲鳴を上げた。
「ぬああああああああああああああああああ! な、何だ、何の真似だ、これはあああああああああああああああああ⁉」
血を流す肩の貫通銃創を押さえ、上体を揺らして叫ぶ。まるで獣のようなその姿を、自動小銃で撃ち抜いたトーナは鼻で笑い、そして苛立ちを込めて吐き捨てる。
「さっさと答えなよ、のろま。街の人はどうしたんだっての」
屋根から転げ落ちかけたエルフは、トーナの威圧的な声で我に返ると、間一髪のところで踏みとどまり、そして息も絶え絶えに一行を睨む。
「この私にこのような狼藉を……貴様ら、生きては帰さぬぞ!」
「生きて帰さないのはこっちのセリフだっての!」
吼えるエルフに、トーナが銃口を向ける。今度は胴体に照準を合わせて、引き金を三度続けて引く。
拳銃とは似つかない重たい銃声が三つ。まっすぐにエルフの胸へ向かっていくライフル弾は、しかしエルフの紡いだ呪詛によって霧散し、その役目を果たすことなく塵芥と化した。
「うへ~、チートじゃん。あんなのズルいよ!」
相手からしてみれば銃の方がよっぽどチートだろうに、と思ったが、口には出さなかった。
「大陸の外から持ち込んだ武器か知らぬが、二度も同じ手は食わぬ!」
脂汗を拭ったエルフは、続けざまに呪詛を紡ぐ。人間の言葉であるラテン語とは明らかに毛色の異なるそれは、エルフ独自の言語だろう。
「余計なことすんな、こんにゃろー!」
妨害のためにトーナが自動小銃を乱射する。マナリアも矢を射るが、やはりエルフを捉える寸前に霧散し、消えてしまう。
「チート対決なら負けないもんね!」
痺れを切らしたトーナがそう言って、背負っていたジャベリンに持ち替えたその時だった。
エルフが右手をかざし、呪詛を紡ぐ。虚空に剣が姿を現し、その柄を掴み、力強く一振りする。
――周囲を包んでいた静寂が、突如として破られた。
囲むように現れた気配に、ルンは辺りを見渡す。人だ。下を向き、呆然と立ち尽くす、無数の人。着ている服は血に汚れ、無数の噛み傷を痛々しく刻み、手足のどれかを欠損した、青白い肌の人。その中に見覚えのある背格好を認め、息を呑んだ。
「クラウ……」
長い青髪をばらつかせる、鎖帷子を纏った頑健な体格の男。心臓の辺りには深々と刺し傷を作り、そこから流れ出た血が全身を赤黒く染めている。右手には年季の入ったロングソードを持ち、ルンの呼びかけに反応したかのように頭を上げると、白く濁った双眸で睨み返し、そして大きく口を開けた。
「グオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「っ⁉」
歯を剥き、剣を振り上げ、迫る。咄嗟にロングソードを抜いたルンは、向こう見ずな大振りの一撃を受け止め、その軽さと至近距離で漂ってきた死臭に、奥歯を噛みしめた。
「何やってんだよ!」
怒号のような叫びとともに、動く死体となり果てたクラウを弾き、血まみれの腹を蹴り飛ばす。
「嘘でしょ、もう!」
死ぬことはないと豪語していた友の変わり果てた姿に動揺する間もなく、トーナの悲鳴のような声が関心を奪う。白眼を剥いたラズボアの戦鎚を、トーナがジャベリンで受け止めている。
「止めてくださいハンナさん! 正気に戻って!」
咄嗟に張った魔法結界に突っ込んでくるハンナに、セリアルが涙声で叫ぶ。理性を失った獣のような有様のハンナは、やはり歯を剥いて、セリアルに吼える。
「貴様らはもう逃がさぬ。ここでこやつらと同じく、私の僕にしてくれよう」
教会の屋根から、愉悦の笑みを湛えて見下ろすエルフ。ルンはその正体にようやく合点がいった。
死体を操る魔法の使い手・糸引く者。東から流れてきたとクラウが言っていた、あのエルフだ。
「野郎ぶっ殺してやる!」
ラズボアの腹に蹴りを入れて退けると、トーナは怒号とともに自動小銃をエルフに向ける。
「え……」
そして次に視界の隅に現れた人影を見咎めて、固まった。
「お、お父さん……?」
ポロシャツにジーンズを履いた、痩せ身の中年。隣に立つのは、チノパンとパーカー姿の女性。どちらもこの世界の人間とは明らかに異なる服装で、そして黄土色の顔を上げると、次の瞬間両手を伸ばしてトーナに迫った。
「トーナちゃん!」
歯を剥いて掴みかかる両親。立ち尽くすトーナに代わって、スカートポケットから飛び出したカイリが防御魔法を展開する。