第三章 鳩には救いを与え、カラスはしばき倒す ⑤

 演台の上に置いた厚紙を、りゅーのすけとりゅーこが両端を咥えて立てる。そこへカイリが「死亡保険のご案内」とラテン語で書いた厚紙を前へ倒し、次のページを開く。


「保険には契約者と被保険者、受取人という三人の人物が登場します。契約者はそのまま保険を契約した人で、被保険者は保険の対象となる人。そして受取人は、保険金を実際に受け取る人のこと」


 そう説明して目で合図を送ると、カイリが厚紙を倒して次のページに移る。


「今回の死亡保険は、契約者と被保険者がルン、受取人がトーナとなった場合、ルンが死亡するとトーナに五〇〇〇万バルクが支払われる、という内容になります」

「五〇〇〇万……」


 クレアや他の同伴者達がざわつく。五〇〇〇万バルクとは、庶民にとってはそれだけの大金ということだ。


「支払事由は自殺を除く全ての理由で、被保険者が死亡した場合です。魔族に襲われて死亡した場合はもちろん、大通りで馬車に撥ねられたり、川で溺れたり、病気で亡くなった場合でも、五〇〇〇万バルクを受取人に支払います。受取人は被保険者のご家族に限りますが、この場にいる皆さんは全員問題なさそうですね」


 カイリが厚紙を倒して、加入条件を書いたページを開いて見せる。加入条件に何ら問題ないことは、ルンも把握済みだ。


「商品について質問があれば、何でも訊いてください」


 後は質疑応答のみ。気持ちを引き締め直したルンに、メリダが控えめに手を挙げた。


「あの……」

「はい、メリダさん」

「紙で説明してくれるんだったら、さっきのお芝居は必要なかったんじゃ……?」

「ですよね」


 苦笑しつつ同意するルンに、メリダも思わず笑ってしまう。


「いやいや、ああいう演技があるからスッと入ってこれるんだって!」


 脚本と演出を担当したトーナが熱弁する。一理あるような気がするから否定はしなかった。


「あたしはこのホケンとかいうの、良いと思うけどねぇ」


 奥の机に座るラズボアの妻・マルタが、野太い声でそう唸った。戦鎚を振り回す巨漢の亭主に相応しい恰幅の夫人は、丸みを帯びた顔に好意的な笑みを浮かべて、手元の資料に目をやる。


「これ、自殺じゃなけりゃほんとに五〇〇〇万ももらえるの?」

「えぇ。自殺の場合はお支払いできませんが、それ以外なら事故死でも病死でも他殺でも、満額お支払いします」

「良いね。あんた、これ入んなよ! 五〇〇〇万もあれば、子供達みんな魔術学院に入れられるよ!」


 高らかに笑いながら、夫人はラズボアの背中をバシバシと叩く。三人の息子を抱えるラズボアにとって、養育費は頭痛の種だ。


「でもこれ、俺が死なないともらえねぇよ? なぁ、ルン?」


 助けを求めるかのような問いかけに、ルンは首肯しつつ、


「でも解約返戻金があるから、解約してもまとまった金は払うよ」

「かい……何だって?」

「解約返戻金。保険を解約した時に、それまで支払ってもらった金額の一部を返すって制度。この死亡保険は終身保険、つまり解約するまで一生有効な契約になるんだけど、もし二〇年目で解約して、それまでに毎月二万払ってたら……六割の二八八万バルクは返せるかな」


 資料の隅で計算して答えると、夫人はますます目を輝かせた。


「あんた、死んだ時にお金くれて契約切ってもお金が返ってくるなんて、これすごく良いじゃないか! 決めたよ、うちは入る」


 豪胆な夫人の即決に、ラズボアは観念したように肩をすくめた。


「うちも入ろうかな。これ、困ったら即解約できるんでしょ?」

「できるけど、早く解約すると解約返戻金もないから、なるべく長く契約してよ」

「うん、まぁしょうがないか」


 冗談めかしてそう言ったハンナに、クロードが続く。


「僕も入ろうと思うんだけど、もし支払ってもらっても、金の管理が心配だな。五〇〇〇万なんて渡されたら、妹じゃ不安だ」


 隣に座るメリダに、クロードは目をやる。一等団員で弓の名手である兄と違って、身体はさほど強くない。

 大金を手にしたとなれば、それだけ身の危険も増える。そんな心配に、ルンは答えを用意していた。


「全額一括で受け取らず、必要な時に必要な分だけ支払うってこともできるよ」

「あたし達の国で銀行って呼んでたんだけど、今度クロアさんに提案しようと思ってるんだよね」


 トーナがルンに続いた。


「お金を銀行に預けて、管理を任せる。銀行はそのお金を商人や会社に貸して、利息で儲ける。預けている人は必要な時に、必要な分だけお金を返してもらう。これなら大金を手元に置かなくて済むでしょ?」

「ついでに言うと、銀行に預けると少しだけど金利もつくから、お金が増える。〇・〇一パーセントくらいだけど」


 一応補足してみたが、クロードもメリダも、金利の方には関心がないらしく、安心してお金を預けられる仕組みに興味があるようだった。


「あのゴブリンが金を管理するとなれば、確かに信用できるな」

「そうそう。あの人金に関しては絶対嘘つかないし」


 ルンがクロードに相槌を打つと、トーナが難しい顔のクラウに声をかけた。


「クラウさんは入らない? やっぱり死なないから?」


 どことなく挑発めいた質問に、夫人と並んで座るクラウは苦笑を返す。


「まぁ、そんなところだな。死んだ時の備えってだけじゃ、俺としちゃ満足できない」


 露骨に前振りのような物言いをされて、ルンは笑ってしまう。


「そう言うと思って、用意しましたよ。自衛団にオススメの新商品」


 入って、と扉に声をかける。部屋の扉を静かに押し開けて、少女が入ってきた。


「おぉ、セリアルちゃん!」


 ハンナが反応する。

 魔術学院の制服である、オリーブ色のジャケットを着たセリアルは、少し照れたような顔でルンの隣まで歩いてきて、クラウ達に一礼した。


「クラウみたいな恐いもの知らずのために、セリアルちゃんの協力で新しい保険を作りました」

「おー、マジかー!」


 クラウが棒読みで驚く。自分で作らせたくせにと、ハンナ達は呆れた風に笑っていた。


「保障内容は怪我の治療で、一ヶ月に最大五回までセリアルちゃんの治療を受けられる。保険料は死亡保険とセットなら月々五〇〇〇バルク、治療保険単体なら掛け捨てで九〇〇〇バルクです」

「まぁ要するに、死亡保険とセットなら月額二万と五〇〇〇バルクってことね。で、掛け捨てだと解約何とか金はなし。セット加入の方が圧倒的にお得だよ!」


 勢い任せなトーナの売り文句に、クラウは笑う。


「ちなみにセリアルちゃんは、どのくらいの怪我を治せるんだ?」


 クラウの質問に、セリアルはルンに促されて答える。


「骨折や切創ならすぐに治せます」

「手足がちぎれてる場合は?」

「切れた部位があれば、何とか……後遺症は残っちゃうかもしれません」

「目が潰れてたら治せるか?」

「状態次第です。ただ、あまり損傷が酷いと、形は治せても機能までは治せないので、失明してしまう可能性が高いです」


 さっきからグロテスクな質問ばかりなのに、セリアルの受け答えは堂々としていた。回復魔法を使うからには、それなりの修羅場と対峙しなければならないのだから、それも当然なのかもしれない。


「心臓を刺されたりしたら、さすがに無理?」


 感心しつつ、ルンは好奇心から訊ねた。


「治療する前に死んでるかと……」

「まぁそりゃそうだよね」


 トーナが納得したように頷いた。


「で、どうするクラウ? 入る?」


 質問が落ち着いたと見て、クラウに意思確認をする。クラウは夫人と顔を合わせて笑みを浮かべ、


「分かったよ、入ってやるよ」

「よっし!」


 最後の一人を口説き落として、ルンは派手にガッツポーズをした。


「じゃあ契約書書いて! そこね! 名前と住所と受取人名義!」

「分かった、分かった」

「書き損じるなよ! ちゃんと丁寧に書け!」

「分かってるって、うるせぇなぁ!」

「ルンさん落ち着きなよ~」


 興奮気味のルンをトーナが窘めると、周りから笑いが起こった。

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