第四章 言葉は消えても契約は残る ①
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常々思っていたことだが、クラウ達一等団員の信用には驚かされるものがある。
異国の人間が持ち込んだ、「ホケン」という得体の知れない胡散臭い代物を、彼らとその家族が契約したという話が流れると、自衛団の団員達が自分達にも紹介してくれと言い出した。そこからさらに東の街にも伝播して、今度は商人ギルドから説明会を開いてくれと依頼が舞い込んだ。
そうして口コミで「生命保険」という概念がヴィンジアに広まって一ヶ月が経った頃、ルンはクロアに呼び出され、断崖の邸宅に赴いた。
「一ヶ月の契約数は死亡保険が六九九件、治療保険単体だと三八七件。保険料収入の総額は、概算一七〇〇万バルクか」
ルンが前日にまとめた書類に目を通したクロアは、そこに並んだ景気の良い数字にも顔色を変えることなく、淡々とした物言いを紡いだ。
「悪い数字ではないな。だが、君一人で売り込んでいるというところが問題だ。月の契約件数をこれ以上伸ばすのは、無理があるだろう?」
保険商品の知識をしっかりと持っているのはルンだけだ。トーナも書面を読み上げるくらいならできるが、例えば支払事由の詳細だとか、解約返戻金の契約期間ごとの概算だとか、そういったことには答えられないだろう。
契約内容についてはともかく、その中の解約返戻金や保険料率については、ルンも実際のところはさほど明るくない。そういった数理業務はアクチュアリの担当分野で、今の異世界生命のその辺りを支えているのは、専門職の同期に昔聞いた簡単な計算方式と、システム開発の時に目を皿にして読み込んで覚えてしまった、提案書に記載される解約返戻金のシミュレーション結果であり、それらを頼りにざっくりと出した概算に過ぎないのだ。ルンですらそんな有り様なのだから、トーナやセリアルならなおさらだろう。
「保険を売り込める人材を見つけて、雇うことだ。君ほどでないにせよ、しっかりと売り込める人間があと三人も出てくれば、少なくとも月の契約件数は倍にはなる」
無茶なノルマを課してくるものだと思わなくもないが、それだけこのゴブリンにとっても、保険という商品は魅力的に見えているはずだ。
「治療保険についてだが、治療を行っているのは一人か? これだけの件数を捌くのは困難だと思うが?」
切り口を変えてクロアが指摘したのは、治療保険の利用件数を見咎めたからだろう。
販売開始から一ヶ月。治療保険は自衛団の団員によく売れているが、それだけ保険の利用頻度も高い。一ヶ月で二六六回という利用回数は、想定していた件数を大幅に上回り、クロアの指摘の通り、セリアル一人での対応は二週目には限界を迎えた。
「セリアルちゃんに紹介してもらって、魔術学院の生徒を雇っています」
心配させても良いことはないので、ルンはあっさりと種明かしをした。
「今は三人体制ですけど、今年中に一〇人くらいは雇いたいと考えています」
「報酬は一回の治療で一〇〇〇バルク、他に待機時間の拘束費用として、時給一〇〇〇バルク……東の街の親達からすれば、家計の助けとしては十分な額だろうな」
出身地なんて、資料にも書いていないのによく分かったものだ。ルンは内心で驚いていると、
「西の学校に入学する子供のうち、一割は東の街出身だ。あの街の住人には学費は相当な負担になるが、対して西の街の金持ち達にはどうということもない。況してや、子供に働かせる必要もない」
「働くとしたら、東の街の子供以外に考えられない、と?」
「そういうことだ。悪い着眼点ではない。よく働くだろう?」
知っているかのようなクロアの物言いに、ルンは頷いた。
「魔法というのは才能が全てだ。自分の子供にその可能性があるのであれば、親はそこに金を注ぎ込む。多少の無理は承知でな」
「そうなんですか……」
この世界において、魔法の市場価値というのは相当なものだ。それこそ、出自に縛られることなく人生を変えられる、唯一の職業といっても過言ではない。だからこそ子供にそんな素晴らしい才能があれば、その可能性に全てを賭けたいと願う。
「東の子供は、親に無理をさせていると自覚している。だから、家計の足しになるのであれば、真面目に働くだろう。魔法の実践にもなるとなればなおさらだ」
「あの子達の役に立てているんだったら、良かったですよ」
どこか安堵したようなルンに、クロアは「ところで」と咎めるような目を向けた。
「君の出身の国について、一つ訊きたいことがあるんだが」
「何です?」
「君の国は、この世界に存在するのかね?」
射貫くような視線を向けて、まっすぐにルンを見据えるクロアは、続ける。
「君のその服は、少なくとも大陸のどの国にも存在しないものだ。海の向こうの国々に住む同胞にも当たってみたが、多少似たものはあっても、それほど上等な生地は使われていなかった」
この世界に化学繊維はまだ存在しないのだろう。二着セットで購入した安物とはいえ、この世界ではまだ上等な部類に入るらしい。
「それに、君は魔法というものの希少性を今一つ理解していない。真っ当に生きてきた人間なら、到底考えられないことだ。君が提案した生命保険についても、これほど完成度の高い代物は他国のどこにも存在しなかった」
君は、どこから来たんだね?
締めくくりのその問いに、ルンはテーブルを見つめてから少し考え込み、やがて観念したようにため息を吐いた。
「……もし我々が異世界から来たと言ったら、信じていただけますか?」
「どうやって来たのか、まずはそれを訊きたいな」
好奇心にうっすらと笑みを浮かべ、クロアはそう答えた。
「神様に送られました。何でも、自殺したのが気に入らなかったらしくて」
「神、か。その神は、我々の生業をどう見ている?」
「金貸しについてですか? 何とも思ってないんじゃないですかね。我々が何しようと、多分興味持ってないですよ、あれ」
あの神のことを思い出してみるが、その世界の生命に興味を持っているようには思えなかった。そもそも転移させた理由だって、単に監査で引っ掛かったからであって、そこには慈悲の心なんて毛ほども介在していないのだ。あの神にとって、その世界で生きる命とはリソースの一つでしかない。いうなれば、データベースのレコードの一行に過ぎない。それが何をどうしようが、気にするはずがないだろう。
「そうか」
投げやりな回答だったが、クロアはむしろ満足したように笑った。
「君が国教の教えに則ったことを言ったら、私は信じなかったがね。その言い分だと、信じられるな」
「それはどうも」
「話は以上だ。販売人員の増強と、そのための販売手法の整備は、まぁ半年以内に実現できるように頑張りなさい」
激励のような言葉を締めとして、報告会は終わった。
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実際のところ、営業活動の面で人員不足は深刻化しつつあった。
ルンが営業に時間を割くことができるのは、午前中だけ。午後からは自衛団の依頼をこなすために、トーナに同行しなければならない。大抵の依頼は街の外に出るから、戻る頃には日が暮れていて、営業活動をする時間なんて残っていない。
そんな状況だから、東の街で週に三回、商人ギルドの建物を借りて大規模な説明会を開き、そこで一挙に契約をしてしまうのが、ここ最近の営業戦術となっていた。質疑応答で毎回一時間近く費やし、その直後に自衛団の事務所に戻ってトーナと合流し、自衛団として依頼をこなしに行く毎日だ。
「待てこらぁ!」
逃げる獣人の背中を追って、怒号を上げる。振り返った獣人が目当ての代物を咥えているのを認めると、ルンは手に持っているロングソードを振り上げた。