第二章 名誉は金では手に入らない ⑤
今までにないすんなりとした応対に、やや肩透かしを食らいながら、言われるままに案内してもらう。
洞窟の中とは思えない内装で、天井の魔法石が廊下を仄かに照らす。電気技術の未発達な世界で、その代わりに魔法がこうして活躍するところを見ると、異世界に来たことを実感させられる。
「うーん……」
「トーナちゃん、どうしたの?」
隣を歩くトーナが腕を組んで首を傾げるのを見咎めて、ルンは声をかけた。
「社長って紹介されるの、初めてでしょ? どんな自己紹介したら良いのかな、って」
「あー……」
意外に律儀なところもあるようだ。思えば異世界生命の社長として、商談の場に出てきてもらうのはこれが初めて。彼女なりに真剣に会社のことを思っているからこそ、挨拶の礼儀礼節に悩んでいるのだろう。
「話は俺がするから、トーナちゃんは挨拶だけしっかりやってくれたら良いよ。いつもやってるみたいにさ」
「あ、そうなの? 分かった!」
商談は大人の仕事。看板のトーナには、最初から出席してもらうつもりはない。悩み事は解消できたらしく、トーナはいつもの天真爛漫さを取り戻して、むしろ得意満面に大股で歩き出した。
しばらく進んだ後、目の前に現れた両開きのドアをノックして、メイドがゆっくりと押し開く。
奥行きと幅のある部屋は、臙脂色の絨毯を敷き詰め、奥には光沢を纏ったデスク。そこに座るのは、扉の位置からでも一目で分かる人外だ。
黄緑色の肌に、唐辛子のように尖った鼻と耳。獣のような黄色く鋭い目。体形はデスクに見合わない子供のようで、着ているシャツも傍に掛けているコートも、どうにも不似合いだ。
人間以外を魔族と一括りにするこの世界で、ドワーフや他の種族と違って言葉を解し、感情を有し、人間と共存できる数少ない種族・ゴブリン。金貸しとして忌み嫌われることなど、人間でないという理由で迫害されてきた彼らにとってみれば、大したことではないのだろう。
だからこそ、かつての金貸しへの迫害の後にもこうして、金貸しとして財産を築き、嫌われながらも生き長らえてきたのだ。
「お客様です、旦那様」
メイドが告げて、ルンを奥へ促す。
「ほお、とうとう来たか」
ゴブリンのクロア氏は、ルンとトーナを見るなり声を弾ませた。まるで待ちわびたとばかりの反応に、ルンは手応えを覚えつつも困惑する。
「君達の噂は聞いているよ。異国から来て、ホケンとかいうものを売りたがっている自衛団の二人組だとな」
手で応接ソファへ促すゴブリン。と、そこへトーナがビシッと手を挙げた。
「異世界生命の社長のトーナです! 出身は東京都練馬区! 特技は棒高跳びと長距離走! 好きな科目は体育と生物! 嫌いな科目は英語と国語! 最近気になることは英語の安田先生と体育の森嶋先生がいつつき合っていることをカミングアウトするのか、です! よろしくお願いします!」
突如として大声を上げて自己紹介をしたトーナに、ルンは言葉を失う。そりゃあ、学校でやる自己紹介ならそれで大いに構わないが、商談の席でそんな自己紹介はしない。というか安田先生と森嶋先生のことなんて、この場にいる誰も分からないではないか。
「ちなみにこっちはうちのマスコットキャラのカイリです! こっちもよろしく!」
トーナの肩の上で、カイリが膝に手を置いてお辞儀する。いつの間にそんな芸を仕込んでいたのやら、などと呆気に取られていると、
「何だね?」
「あの、こちら弊社代表のトーナと申します。今日はご挨拶をと思いまして」
「元気があって良いじゃないか。まぁ、何を言っているのかはよく分からなかったがね」
苦笑で取り繕いつつ、「後は任せて」とトーナに目で合図する。
「じゃ、後は任せた!」
本人的には完璧な自己紹介だったのだろう。悠然と部屋を後にした。
「さて、それでは本題といこう」
立ち上がって、ソファへ座るクロア氏。向かいにそそくさと座ると、相手の方から本題を切り出してくれた。
「君達のことは知っている。海の向こうから来た、得体の知れない武器を扱う魔族狩りの二人組だろう? 何やら死と引き換えに大金を恵んでやると嘯いていると聞いたが、ここへ来たということは、その金の工面に困っているということかね?」
「そんなところです……」
物言いは不愉快だが、事実なだけに言い返すこともできない。
ルンは咳払いと深呼吸をして、気持ちを切り替えると、ゴブリンの言葉に応じるように経緯を語る。
「実はここへ来る前に、西の街に行ってきました」
「手酷く断られただろう?」
「えぇ。この国の人が金の貸し借りをやたら嫌っている理由を、さっき自衛団の事務所で聞きました」
メイドが茶を淹れたカップを持ってきて、テーブルの上に置く。ゴブリンはカップを手に取り、一口啜る。
「それで、人間には相手にされないから、この私に金を借りに来たのかね?」
どことなく刺々しい物言いに苦笑を取り繕い、
「利息はどのくらいになりますか?」
「まだ貸すと決めたわけではないが、最低でも年に一割だな」
事業融資としてはかなりの高利率に思えるが、リボ払いの利率と比べれば良心的だ。内心そう割り切ったルンに、クロアは顔色一つ変えずに続ける。
「いくら借りたい? 払うと触れ回っているのは、五〇〇〇万バルクだったか?」
「一〇〇億バルクです」
「……は?」
桁違いの要求に、クロアはカップを取る手を止めた。
「お借りしたいのは一〇〇億バルクです。八〇億は責任準備金として残して、残り二〇億を投資に回します」
「一〇〇億……そんな大金、借りたいと言いに来たのは君達が初めてだ」
戸惑いの中に好奇心を抱きながら、クロアが苦笑する。
「仮に一〇〇億貸すとして、利息は年に一〇億バルクか。そんな大金をどうやって?」
「八〇億の準備金があれば、保険金を支払う約束にも真実味が出ます。保険加入を拒否される理由は、保険金を支払える根拠がないことにありまして、それが解消できれば、入ってくれる当てがいます。その人達を足掛かりに、一気に増やしていきます」
ルンはポケットから折り畳んだ紙とペンを取り出し、テーブルに置いて計算を始める。
「主な販売対象は自衛団所属の団員と、東側の中流層です。団員は総勢一〇〇人弱、東側の街の世帯数は約七〇万。今交渉中の相手が加入してくれれば、他の団員も興味を持つでしょうし、同時に東の住人達の関心も集められる。仮に一万世帯と契約できれば、月の収入は二億バルク、年間で二四億バルクの収入を得られますので、一〇億バルクに加えて元金も返済していくことが可能と見込んでいます」
「ホケンとやらにそれほど契約してもらえる魅力があると?」
「もちろんです。自分に何かあった時に、代わりに家族を守ることができるのですから」
力強く答えてルンは続ける。
「家族を守る立場の人が亡くなれば、遺族の生活は大きく変わってしまう。場合によっては、夢を諦めなければならなくなる。もうすぐ手に入りそうだった資格も得られず、何も成し遂げられない、何にもなれない、何もさせてあげられない。大切な家族を失って悲しい思いをしているところに、そんな追い打ちをかけるようなことが起こるのを防ぐことができるんです。それが生命保険の意義です」
あのセリアルという少女もそうだ。もうすぐ手に入れられたはずの魔導士という身分を、父を失って学費が払えなくなってしまったことで、諦めなければならなくなった。もし彼女の父親が生命保険に入っていて、保険金が得られていたなら、そんな悲劇は起こらなかったはずだ。