第二章 名誉は金では手に入らない ⑥

 ペルグランデに殺された自衛団や村人の家族も、同じような境遇に置かれているはずだ。彼らだけではない。この一ヶ月、トーナと一緒に取り組んできた自衛団の活動を通して、凄惨な光景はいくつも見てきたし、その度に遺族が生まれてきた。

 彼らにはその後の生活の保障などない。上流階級が利息を取ることを禁じられたのに託けて、内輪での助け合いしかしなくなった時から、弱者を助けるという社会システムはとっくに廃れた。彼らは商人に安くこき使われて内職に励むか、それができないなら身体を売るか、子供を売りに出すしかなくなる。

 そんな地獄のような社会から彼らを救うことができるというのなら、生命保険は金よりも遥かに大きく尊い利益を、この世界にもたらすことができるはずだ。

 そう信じているルンに、クロアはため息を返した。呆れ半分、そして感心半分といった態度だ。


「一〇〇億なんて大金を貸せと言ってきた者は同胞にも聞いたことがないが、ここまで道徳を説いて金を借りにきた馬鹿も歴史上で君が初めてかもしれないな」

「確かに利益で言えば、保険はそこまで魅力的ではないですね。勘違いされがちですが、保険を損得で考えるのがまず間違いですから」

「それなら私は何のために金を貸せば良い? 弱い者を助けるために私財を捨てろと?」

「名声を得るための投資、と考えていただけませんか?」


 クロアはうっすらと笑みを浮かべた。何を言おうとしているのか見透かしているのだろう。それでも構わず、ルンは続ける。


「保険金が実際に支払われれば、加入者は必ず保険に感謝します。そして当然、その原資を出してくれたクロアさんにもです。加入件数が増えるほど、支払われる人が増えるほど、あなたはたくさんの人に感謝されるでしょう。一〇〇年後にはきっと、あなたは帝国の英雄になっていますよ。賭けても良い」

「一〇〇年後、か。その時私はこの世にいないな」

「英雄らしくて良いじゃないですか。私もトーナも、その頃にはいません。一緒にあの世でクロアさんの銅像を眺めるのも、良いじゃないですか」


 クロアは静かに笑って、


「君は人の心というのがよく分かっているようだな。私が金と名誉で後者を選ぶと、そう踏んだんだろう?」

「人は金を手に入れたら最後には名誉が欲しくなる。祖国の物語に出てくるセリフです。あなたのように理不尽に迫害を受けてきたお方なら、なおさらでしょう。金を貸して利益を得るなんて、我々の国ではエリートの仕事ですよ。もっと敬われるべきです」


 少し言い過ぎたか、と内心反省するルンに、クロアは静かに笑って提案した。


「ではこうしよう。ひとまず、私から金を借りたと喧伝すると良い。それで一ヶ月で八五〇件、契約を取ってみなさい」


 一万世帯が加入したら、というたとえになぞらえての数字だろう。一人で売るには無茶な数字だ。


「君がそこまで熱心に売れるというのだから、そのくらい売るのは容易いだろう?」


 挑発的な物言いには、ルンの自信への皮肉と、期待が窺えた。


「ありがとうございます、クロアさん。必ず期待に応えて見せます」

「そうしてくれ」


 執務室の扉を開けると、廊下で待っていた社長のトーナの楽しげな声が、ルンの耳に届いた。


「へぇ~、マナリアさんって、クロアさんの養子だったんだ。てっきり性的な方の世話もする奴隷かと思ってたよ」

「旦那様は同族の同性を好みますので、それはございません。例えるなら、あなたがドワーフとの同衾を所望されるか、考えてみれば分かるかと」

「それはないな~。あたしジェイソン・ステイサムみたいなかっこいい男が良いし」


 さっきまでの緊張が嘘のような失礼極まりない会話が聞こえてきて、ルンは青ざめる。


「あ、ルンさんお疲れ~。ねぇねぇ、このメイドさん、クロアさんの養子だったんだって。孕み袋じゃなかったよ」

「なんてこと話してんの⁉」


 さすがに声を荒げてしまった。女中の方は顔色一つ変えていないが、クロアにしてみれば侮辱も良いところだ。

 ルンはおそるおそる、見送りについてきたクロアの方を向いた。ブチ切れていてもおかしくないはずのその表情は、どういうわけか訝しげだった。


「君はゴブリンと人間が交配するとでも?」

「あぁいや、あたし達の国でそういう小説とかが流行ったことがあって……ね、ルンさん!」


 さすがにばつが悪いと思ってか、トーナが助け舟を求める。しかしルンが擁護と謝罪に走る前に、クロアが追い打ちをかけた。


「君達はどこの出身だ? 周りの島々でもそんな物語は聞いたことがない。人間と魔族の交配など、それほどに異端の発想だ」


 この世界の魔族が人間をどう扱っているかは、これまでの自衛団での活動で見てきた。完全に獲物としか見ていない。そうでなければ、クロア達ゴブリンのように、金儲けの相手としてしか見ておらず、トーナが想像したような性奴隷などありえないのだ。


「そのような趣味を持っていると知られれば、それだけで商売にも悪影響が出る。ボロを出さないようにしなさい」


 疑っても意味のないことと思ってくれたのか、クロアはそれ以上追及せず、そんな助言を告げるに留めてくれた。


「あ、ありがとうございます。気をつけます」

「マナリア、見送りを」

「かしこまりました、旦那様」



 クロアの邸宅を出た時には、陽は傾き始めていた。


「さっきマナリアさんから聞いたんだけど、この辺って全部クロアさんの土地なんだって」


 荒野の中に崖から城壁までまっすぐに引かれた一本道を歩きながら、トーナが雑談で仕入れた情報を教えてくれた。


「ほんとはここに街を作る予定だったんだけど、それが流れちゃって、今はこんな感じなんだって。何かもったいないよね」


 金貸しへの迫害の影響だろうとは、すぐに察しがついた。遺された荒れ地の奥に佇む、崖の邸宅。城壁との距離は、クロアと街の住人達の心の距離に思えた。


「で、八五〇件もほんとに売れるの?」


 トーナが社長らしく、クロアと交わした約束について訊いてきた。


「う~ん。無理かも」

「だよね~」


 あっさり答えたルンに、トーナは咎めるでもなく同調した。


「ていうか、ノルマ八五〇件って普通じゃないよね?」

「保険のノルマっていくら分契約したかによるからね。あと、売った商品の種類とか」


 月額二万バルクの支払いで、死亡時に五〇〇〇万バルクを遺族に支払う。そんな単純な死亡保険しか商品がない以上、契約件数でしか評価のしようがないのだから、仕方ないだろう。


    5


「お前、本当に大丈夫なのか? 返せなかったらどうなるか分かったもんじゃないぞ」

「大丈夫だって。絶対に売ってみせるから、さ!」


 人型を模した巻藁を相手に大きく一歩踏み込んで、ロングソード代わりの木の棒を振り抜く。腰を入れた力強い一薙ぎを、縄を巻きつけた部位に叩き込むと、衝撃がジン、と右手に響く。


「あのクロアを相手に一〇〇億も借りるなんて、お前肝据わってるよ。どんな神経してんだ」


 呆れ気味の賛辞に、ルンは汗を拭って得意顔を返す。利子つきでの金の貸し借りなど、無縁の人間からすれば恐ろしい行為だ。クラウの反応は当然であるものの、金融業界勤めで、おまけにクレジットカードの使い過ぎで何度か痛い目を見てきたルンにとっては、そのくらいの覚悟ならできなくもない。倫理制限が解除されたおかげか、桁違いの借金を背負ったというのに、不安はない。


「とりあえず、これで保険金を払う目途は立ったわけだし、どうよ? 保険、入ってみない?」

「ほんと、諦めが悪いよなぁ」


 クラウは呆れたように笑う。


「俺はそう簡単に死なねぇよ。だから良いって」

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