第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑩

 トーナが立ち上がって言った。ルンもそれが何を指すかは分かっている。この保険をいくらで売るのか、そしてその保険金を払うための原資をどう確保するか、だ。

 死亡保険の保険料として、払ってもらえるのは精々二万バルク。それがこの層の世帯に払うことのできる限界だろう。ここからどこまで値下げできるかは、男女の満年齢に平均寿命、平均余命を加味した複雑な計算が必要になってくるが、アクチュアリ出身でもないし商品開発の経験もないのに、そこまでの質を追求するのは無謀な話だ。


「保険料は一旦、二万バルクで売ろうと思ってるよ。ほんとは色々細かい計算が必要だけど、それはまだ無理だからね」


 とりあえずの決め打ちである。それを聞き咎めるように、トーナは首を傾げた。


「値段は別にどうでも良いよ」

「え?」

「そんなことより社名だよ、社名! 看板がないと売れないじゃん!」


 拳を握り締めて力強く言った。彼女にとって残る課題とはこのことらしい。


「それにあれも要るよ。企業理念! それもかっこいいやつね!」

「そっちこそどうでも良いよ……」

「良くないよ! だってどんな会社かを表す大切な言葉だよ? ルンさん、バーバ・ヤーガとかいう名前の人がいたらどう思う? 仲良くしたいと思う?」


 言いたいことは分かるがその名前は例えとしては恐ろし過ぎないか。ルンは内心そんなことを思いつつ、


「じゃあ社名と企業理念はトーナちゃんが決めて良いよ。どうせ投資してもらうために必要なのは間違いないし」

「うん! 任せてよ!」


 得意満面に答えると、途端に今度は難しい顔で腕を組み、思案するトーナ。表情豊かで一生懸命な様子を微笑ましげに見守りつつ、買い出した食材を台所に運んでいく。


「よし、じゃあ異世界生命にしよう!」

「えっ」


 リビングから聞こえてきた安直な名前に、ルンは紙袋を台所に置いて駆け戻る。


「な、何て?」

「異世界生命! 良いでしょ?」

「いや絶対変な集団だと思われるって!」

「大丈夫だって。大学とか銀行とか保険会社にだって、『日本』って名前がついてるところがいっぱいあったじゃん」

「それとはスケールが違うじゃん! せめて他にも候補出してよ。それで話し合って決めよう?」


 諭すように言うと、トーナも譲歩してくれた。


「じゃあルンルン生命とトナトナ生命」

「露骨に当て馬じゃん! 絶対二秒で考えたやつだし!」


 ルンルン生命はありそうではあるが、この世界に「ルンルン」などという表現が存在しなければダサいだけだ。トナトナ生命に至っては意味が分からないし、そもそも発音しにくいから使いたくない。


「じゃあルンさんはどんなのが良いの?」


 逆ギレ気味に対案を求められると、返答に窮してしまう。


「もっと地に足ついたので良いよ。街の名前に因んで、ヴィンジア生命とか」

「ダメ! ダサい! 地味! 却下!」


 手堅い道を提示したらマシンガンのようにダメ出しをされた。


「とにかく! 異世界の保険会社なんだから、異世界生命ね! 決定! 社長命令だから!」


 これはもう、梃子でも動かないだろう。自衛団に入った時の強引さからも、それは分かってしまう。


「分かったよ……じゃあ、異世界生命ね」

「うん! だから正式名称は、異世界生命保険株式会社……かな?」


 投げやり気味な承諾をしたルンだったが、質問めいたトーナの言葉には首を振った。


「相互会社にしようよ」

「何それ?」

「保険会社限定の形式だよ。株式会社は株主が会社の持ち主になるけど、相互会社の場合は保険契約者が持ち主になる、って感じかな」


 長期的な関係を前提として、相互扶助の精神を基礎とする保険ならではの形態だ。まだ高校生のトーナが知らないのも無理はないし、何ならルンがこの形態を知ったのも就活を始めてからのことだ。


「それって何か良いことあるの?」

「株式会社じゃないから買収されないし、株主の顔色を窺って経営しなくて良いことかな。それに配当を受け取るのも契約者になるから、保険料を払ってサービス受けるだけ、っていうただのお客様じゃなくなるのも特徴だね」

「あ、じゃあ業績不振で解任されたりしない?」

「絶対じゃないけど、株主の命令で解任はされないね。だって株主いないし」

「じゃああたしの思うままじゃん!」


 目を輝かせて、何やら恐ろしいことを言ったトーナに、ルンは一抹の不安を覚えた。


「じゃあ社名は異世界生命保険相互会社として、次は企業理念だね。何かある?」


 悪徳ワンマン社長にならないことを祈りつつ、トーナに訊いてみる。


「企業理念かぁ。うーん……『保険で保健室に行こう!』とか」

「何で学校限定? ていうかオヤジギャグじゃん」

「ダメかな?」

「ダメダメ! 安直に考えずに、ちょっと変化球も混ぜてみて」

「うーん……」


 難しい顔で唸るトーナ。頭の上に登ったカーバンクルが、トーナの真似をするかのように腕を組んで、同じように首を傾げる。微笑ましい光景に、これは長くなりそうだと察したルンは、台所へ戻った。


「ねぇねぇ、保険会社の企業理念ってどんなのがあるの?」


 リビングの方からトーナが助け舟を求めてきた。地主から借りたお古の包丁を取り出しつつ、ルンは記憶を掘り起こす。


「帝国生命だと『お客様の未来をともに創る』とかかな。他の会社だと『一生涯のパートナー』とか『悲しみと共に貧しさが訪れないように』とか……」

「かっこいいのばっかだなぁ」


 感心するトーナをよそに、リンゴを切り分ける。不揃いにざっくりと切り分けた八切りのリンゴを、これまたお古の皿に載せて、リビングに戻る。


「はい、リンゴ」

「お、ありがと!」


 テーブルに置くと、ぱあっと表情を明るくして身を乗り出す。一番大きなリンゴを取って、一口齧って咀嚼すると、


「パサついてるね」


 がっかりしたのが一目で分かるほどに表情が薄らいで、残りをテーブルに降りてきたカーバンクルに差し出す。


「まぁ、安かったし」


 生前世界の日本と同じ品質を求めるのは酷だ。ある程度は妥協しなければなるまい。


「ていうか、それどうしたの?」


 ルンもリンゴを取りつつ、ソファの隅に置かれた本に目を向けた。買い出しから帰ってきた時、トーナが読んでいたものだ。


「地主さんからもらったんだ。この世界では人気なんだって」

「小説?」

「まぁそれほど固くはないかな。絵本みたいな感じ?」


 カーバンクルがリンゴを両手で受け取ると、トーナは本を手に取って、ページを開いて見せてくれた。挿絵に小さなラテン語がずらりと並んでいる。絵本とライトノベルの中間といったところだろうか。


「勇者が悪の魔王を倒しに行く話だって。こういうの、こっちにもあるんだね」


 勇者と魔王も、そういった冒険活劇に子供達が憧れるのも、どこの世界でも共通なのだろうか。


「そこそこ内容は面白いけど、あたしが中学でやった演劇に比べたら、もう一歩足りないかな」

「演劇部だったの?」

「うん。陸上部と掛け持ち!」


 得意顔でトーナは答えた。演劇部兼陸上部なんて、随分と珍しい組み合わせだ。

 しかし、これでトーナのアクション俳優顔負けの大立ち回りのルーツが分かったし、彼女が叶えられなくなったという夢も、想像がついた。


「女優志望だったとか?」

「うーん、半分くらい正解かな」


 それならアイドルか声優辺りだろうか。


「ハリウッドスターになりたかったんだよね」

「あ、スケールが違ったわ」


 思わず口に出してしまった。

 考えてみれば、やたら往年のハリウッド映画のセリフを真似するのも、その夢が根底にあったからだろう。

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