第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑪
「高校卒業したらアメリカの大学で演劇を勉強して、二五歳でハリウッドデビュー! 三〇歳までに『ジョン・ウィック』に敵役で出演して、キアヌとバトルするのが夢だったんだよね~」
英語は得意ではないと言っていたが、それでもここまで目標設定できている辺り、本気で目指していたのだろう。
「あのガンアクションも練習してたの?」
「当然! あれのために『ジョン・ウィック』シリーズ全部三〇回は観たし!」
それだけ視聴して練習すれば、あんな動きができるのも納得だ。
「あれ演劇でやったんだよねぇ。黒幕との最終決戦の場面なんか、拍手喝采だったんだから!」
「へぇ、どんな内容なの?」
「シン・ハムレット!」
どや顔で聞き覚えのある題目に聞き覚えのあるフレーズを組み合わせた異物を答えた。
「剣道部の男子に黒幕のオフィーリア役をやってもらって、ガンアクション対剣術の
興奮気味に話すトーナのテンションについていけない。オフィーリアはハムレットの恋人だし、劇中で途中退場する人物であって、黒幕などではない。そもそもガンアクションが必要な芝居でもないし、デンマークが舞台で剣道部が殺陣を演じるとは、どういうことだ。
「俺が知ってるハムレットじゃないんだけど……」
「だから、シン・ハムレットだって!」
「シンってつけたら何でも許されると思ってない?」
「許されるよ!」
ここまで自信満々に断言されると、そう思えてしまう。今の女子高生の発想力は柔軟だと、ルンは実感した。
「まぁでも、半身不随でハリウッドのアクションスターは無理でしょ?」
あっけらかんと、トーナは言った。
「親がいたらそれでも頑張ったかもだけど、あたしより先に死んじゃったしね。親戚も誰があたし引き取るかで揉めてたから、もう良いかな、ってね」
「言いにくい話させちゃった。ごめん」
「別に良いって。今は楽しいし!」
それは本心だろうが、彼女の中にまだ夢への未練があるのは、あの大立ち回りや大好きなハリウッド映画のセリフを引用する辺りからも察せられた。
トーナの夢が叶うことはもうない。この世界にハリウッドは存在しないのだ。それなら、新しい夢を見つけるきっかけを投げかけてあげるのが、一回り以上年上の年長者がなすべきことではないか。
「トーナちゃん、保険って何のためにあると思う?」
ルンがそう問いかけると、トーナは何を今さらとばかりに首を傾げる。
「病気とか事故とか身内が死んだりして困ってる人を助けるためでしょ? ルンさん言ってたじゃん」
「そうなんだけどさ。困ってる人を助けることって、実は色んな意味があるんだよ」
関心を向けるトーナに、ルンは続ける。
「例えばお父さんが病気で亡くなったとする。一家の大黒柱が突然いなくなったら、生活に困るのはもちろんだけど、子供の将来はどうなると思う?」
「お金に困るってことだから、進学とか大変になるのかな?」
「そう。学費によるけど、私立は大抵厳しくなるし、医学部なんて国立じゃないとほぼ確実に無理でしょ」
トーナは頷きながら、
「あたしの高校、私立だったからなぁ。学費どうするかって、親戚も揉めてたよ」
嫌なことを思い出させてしまった。ルンは咳払いをしてばつの悪さを取り繕い、
「もし保険金五〇〇〇万円あったら、私立の医学部でも行けるかもしれないし、他の理系学部でも行けるようになるでしょ。大学じゃなくても、野球みたいなお金のかかるスポーツだって、不自由なく続けることができるようになる。医者とか宇宙飛行士とかプロ野球選手とか、そういう夢を守ってあげることができるんだ。悲しみに暮れているところにお金の問題が降りかかってきて、それで夢を諦めさせられるなんて最悪でしょ? そんなことから遺された家族を守ってあげられる。俺はそれこそが保険の一番の魅力だと思うんだ」
「夢を守ってあげる……」
無意識に熱のこもってしまったルンの言葉を、トーナは繰り返した。そしてそれを咀嚼して飲み込むように何度か頷き、得心したとばかりに笑顔を弾ませた。
「それって素敵だよ、ルンさん。保険ってかっこいいんだね!」
「でしょ? オワコンとかじゃないから! 絶対この世界で成功するし、必要としてる人はたくさんいるよ!」
「うん!」
大きく頷いたトーナは、ハッと目を見開いた。
「そうだ、企業理念思いついた!」
「え、ほんと?」
「『悲しさも貧しさもぶっ飛ばす!』」
拳を突き出して、得意満面に言ったトーナ。
「変化球混ぜてみたんだけど、どうよ?」
「良いじゃん。俺好きだよ」
随分と変化が大きいが、コンセプトは分かりやすいし、トーナらしい勢いもある。生前世界なら破天荒に思えるが、ここは異世界なのだから、このくらい突き抜けた方が良いかもしれない。
「よし、じゃあ決まりね! これで会社は完成……」
と、言いかけたトーナは、リンゴを食べ終えたカーバンクルに目を向けた。
「ルンさん、この子マスコットキャラにしようよ!」
指差すトーナの指名を受けたカーバンクルは、顔を上げて耳を揺らす。
「マスコットキャラか。悪くないかも……」
「でしょ? 名前は、どうしよっかな。マスコットキャラっぽい感じが良いから、『異世界くん』とか?」
やはり安直な発想が先行しがちだ。ここは名誉挽回の好機と、ルンは代案を提示する。
「異世界生命って、英語だとIsekai Life Insuranceだから、頭文字のILIにカーバンクルの『カ』を頭につけて、『カイリ』でどう? これならオスでもメスでも違和感ないでしょ?」
「カイリ……良いじゃん! ルンさん、意外とセンスあるね!」
気に入ってもらえたようで何よりである。当のカーバンクルの方も、何となしに気に入ってくれたのか、三本の尻尾を楽しげに振って見せる。
「後は運転資金を準備しないとね。お金持ってないのに五〇〇〇万払うなんて、詐欺みたいになっちゃうし」
ルンが認識していたもう一つの課題だ。
「そっか、お金か……どうするの? 自衛団で稼ぎまくるとか?」
「すぐに用意しないといけないから、借りることになるかな。街の西の方に、金持ちが住んでるらしいから、商品の内容を詰めたら、そこで借りてくるよ。自衛団の活動と並行して、商品の詳細を詰めて、契約書と営業資料を作るから、本格的なスタートは一ヶ月後くらいかな。それまでは宣伝がてら、街で話して回るよ」
「そっか。じゃあ、そっちは任せた!」
保険はルンの仕事。そう言いたげな態度だが、当然トーナにも手伝ってもらわなければならない。
「契約書とか資料作るのは手伝ってよ。俺ラテン語分かんないから」
「え~……」
「頼むよ、社長」
「うーん……しょうがないなぁ」
唇を尖らせつつも応じてくれたトーナに、ルンは苦笑した。
異世界生命保険相互会社。企業理念は、「悲しさも貧しさもぶっ飛ばす!」。ルンとトーナの新しい人生が、とにもかくにも始まった。