第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑨
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街に戻って、自衛団の事務所で報酬を受け取ると、ルンはトーナと二人、借家を貸してくれるという地主のもとを訪ねた。
「わぁ、結構良いじゃん! ここにしようよ!」
小太りの地主に連れられて訪れたのは、街の東側の区画に立つ、二階建ての一軒家。土で造られた壁と、ベニヤのような木材の廊下は、如何にも安物物件といった風だったが、そんなことをわざわざ貸主の前で言うのも憚られたし、ここは生前の日本ではないのだからと割り切って、敢えて物申すことはしなかった。
「部屋は二階に二つ、それから居間と台所と風呂場もある。一階にも部屋はあるが、日当たりが悪くてかび臭いから、まぁ物置として使ってくれ」
だみ声で言った地主の男が、そう言って契約書を差し出してくる。ラテン語で書かれていて内容が分からないので、トーナに読んでもらう必要がある。
「トーナちゃん、ちょっと」
カーバンクルを肩に乗せて、ハイテンションで二階へ駆け上がっていくトーナを呼び止める。キョトンとした顔で足を止めたトーナに手招きして呼び戻し、地主から受け取った契約書をそのまま渡す。
「内容読んで大丈夫そうだったらサインしてやって。気になるところがあったら教えてね」
「あ、ルンさん文字読めないのか。りょーかい!」
契約書を受け取ったトーナが、それを読みながら二階へ向かっていく。何はともあれ、トーナはこの家が気に入ったらしい。よほどおかしな契約内容でもなければ、これはもう決定だろう。
「それにしても、これで月の家賃が二〇万バルクって、高くないですか?」
「そんなことねぇさ。クラウの旦那の家だって、外円なのに六万だぜ? 東の街でこの家賃は値打ちもんだよ」
このヴィンジアなる街は、ファンタジー世界にありがちな城壁に囲まれた円形の都市で、その外周部は低所得者や自衛団の腕自慢が住んでいるスラムのような場所だ。そこでも家賃がこの物件の三割となると、それなりに地価が高騰しているのかもしれない。
「でも家具ないしさぁ……」
「うちのお下がりで良けりゃ貸すよ? 契約書に書いてあったろ?」
オプションで家具を貸してくれるのはありがたいが、この調子ではそれなりに金がかかりそうだ。自前で安いのを揃えるべきか、悩ましいところだ。
「言っとくけどな、文字も読めないよそ者に、ほんとはこんな家貸さねぇよ? クラウの旦那の紹介だから、特別に貸してやるんだから、ありがたく思いな」
つっけんどんな物言いだが、確かに自分が貸す立場なら、同じことを思うはずだ。それをひっくり返させるほどに、クラウの信用は大きいらしい。
「クラウ達って、そんなに信用あるんですか?」
「当たり前だろ。東の街や外円の連中にとっちゃ、あの人達が一番の頼りだ。軍の連中は偉そうにしてるが守っちゃくれないからな。困ったら旦那に相談するもんだ」
さながら街の顔役というわけだ。そこまで信用されている上に、影響力も抜群。何とも良い縁に恵まれたものだと、ルンは今更ながらに幸運を自覚した。
「ルンさん、書いたよ~」
と、二階からトーナが降りてきた。署名を済ませた契約書を、地主に渡す。
「いや~、家具も貸してくれるなんて親切な不動産屋さんだよね!」
「お、嬢ちゃんは分かってくれる? 君の旦那さんはケチつけてくるからさぁ、困ったもんだよ」
「いや、そういう関係じゃないから」
契約書を確認する地主の隣で、ルンがあらぬ誤解を否定する。
「よし、じゃあ家具の貸し出し費の一〇万を足して、月三〇万。一年分前払いと、敷金礼金でそれぞれ三ヶ月分だから、合わせて四八〇万バルク、一括払いね」
「は?」
「は~い。ルンさん、頼んだ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
とんとん拍子で話を進める地主とトーナ。値段を聞き咎めたルンが割って入る。
「な、何それ……?」
「だから、契約書に書いてあるだろ。なぁ、嬢ちゃん?」
「うん。別に良いでしょ?」
「いやいやいやいや! 敷金礼金なんてあんの? ていうか、家具借りるのに一〇万もするの?」
「そりゃ全部貸すんだからな。ベッドもテーブルもソファも全部だ」
何なら調理器具も貸すぜ? などと涼しい顔で言ってくる地主。東京で一ヶ月家具を借りても、最低限のものに留めればそこまでかからないものだろうに。
「良いじゃん、ルンさん。お金はあるんだし」
ペルグランデ討伐の五〇〇万に、偵察任務の五〇万。そこから四八〇万を払うと、手元に残る金は七〇万になってしまう。
切り詰めれば二人でも一年は食うに困らない、などという皮算用は、一瞬にして破綻したのだった。
「まぁ、ルンさんだっけ? 困ったら何でも相談に乗るから、頑張れって」
そう言って肩を叩く地主。してやったりとばかりのニヤケ顔が、凄まじく腹立たしかった。
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とはいえ、契約書を破り捨てて「やっぱこの話なし!」などとわがままを言えるわけもない。倫理制限を解除されているとはいえ、理性を失ったわけではないのだ。
ルンは割り切って、次のステップに進むことにした。地主の倉庫に眠る埃まみれの家具の運び出しと設置は力自慢のトーナに任せて、その間にルンは市場調査がてら市場に買い出しに向かった。三時間弱かけて街を見て回り、最低限の買い物だけを済ませて家に戻ると、トーナはリビングに置いた灰色の固そうなソファに横になって、カーバンクルと一緒に古ぼけた本を読んで暇を潰していた。
「あ、お帰りルンさん。思ったより時間かかったね」
「あぁ、まぁね……もしかして、もう作業全部終わった感じ?」
「うん。ベッドも二階に運んだし、ついでに掃除もしといたよ!」
得意満面でトーナは言って、起き上がる。普通この手の引っ越し作業は、丸一日費やしても終わらないもので、ルンも自室の分は自分で片づけるつもりだった。それでもチートのトーナなら粗方済ませてくれると見込んでいたのだが、何事もなかったかのように涼しい顔をしている辺り、エージェント・スミスに勝てるほどの能力強化は伊達ではない。
「で、何買ってきたの?」
両手で抱える紙袋に興味津々のトーナ。ルンは傷だらけの古いテーブルに紙袋を置いて、中身を取り出していく。
「リンゴに、ズッキーニに、干し肉に、それからアオメとかいう魚の切り身。野菜の酢漬けと、安かったからお酒も少々。そういえば、アレルギーとかある?」
「特にないよ。嫌いなものもないし!」
「なら良かった」
買い込んできた食材に満足げなトーナに、ルンは締めくくりの報告をする。
「買い物ついでに色々訊いてみたんだけど、この街の人達の月々の生活費って、大体二〇万バルクくらいみたいだね」
「へぇ」
あまり関心のなさそうなトーナの反応に、肩透かしを食らう。
「大体三人家族でこの金額で、年間二四〇万バルクかかってるってことになる。四人だったら、三二〇万くらいかな?」
「ふむふむ。それで?」
「ここから一人減らした人数を二〇年間養うとして、四八〇〇万バルク必要になる。だから、五〇〇〇万バルクの生命保険を作ろうと思う」
興味のなさそうだったトーナは、その瞬間ハッと目を丸くして顔を上げた。
「そっか、保険! 忘れてたよ!」
「やっぱり……しっかりしてよ、社長」
ルンは苦笑して言った。
市場でクラウの名前を出して最低限の信用を得た上で聞き込んだところによれば、このヴィンジアという街の多数派である中流層の家族構成は、概ね三人から四人。低所得層はもっと増えるが、生活の質が落ちるため、月々の出費は結局大きく変動しないという。
それなら大黒柱を失った後の家族を母と子二人の計三人として、さらに子供二人が独り立ちするまでの期間として二〇年と線引きし、そこに少し余裕を持たせて五〇〇〇万バルクという保険金を算出したのだった。
「商品が決まったんだったら、残る課題は二つだね!」