第一章 出会い



 四月中旬。桜のシーズンが終わりを迎えている頃。

 新学期が始まって今日で一週間になる。

 入学して間もない一年生たちは、少しずつ高校生活に慣れ始めて、進級してクラス替えをした二・三年生の生徒たちも、各々クラス内での自分のポジションだったり、所属するグループだったりが決まっていることだろう。

 一方、僕──きりたにかけるも今年で高校三年生。

 高校生活最後の年なので本来は色々と忙しいはずなんだけど……実は新学期になってまだ一回も学校に行っていない。

 じゃあ学校に行かずに何をしているかというと──。

「よし、あと1キルで念願の20キルだ」

 時刻は朝の七時過ぎ。僕はいま日本でやたらとっているシューティング系のバトルロイヤルゲームをやっていた。

 始めたのは春休み頃からで、ここ一週間は自室に引きこもってこればかりをプレイしている。故に学校に行けていない。

「ちょっとお兄ちゃん! 昨日も夜中までゲームして……って、またゲームしてるの!?」

 不意に扉を開けて入ってきたのは、僕の妹──桐谷ももだった。

 今年で中学二年生になった桃花はごくごく平均的な顔の僕とは違って、可愛かわいらしく学校ではモテモテらしい。お兄ちゃんに似なくて良かったね。

「おはよう桃花。いまお兄ちゃんちょっと忙しいから話なら後にしてくれる?」

「それのどこが忙しいの? ゲームしてるだけじゃん」

「ゲームにも忙しい場面はあるの。普段ゲームをしない桃花にはわかんないだろうけどね」

 僕はたったいま非常に大事な局面を迎えていた。

 このバトルロイヤルゲームを始めて約一カ月。

 目標だった20キルまであともう一歩なんだ。

 だから桃花には悪いけど、いまは妹の話なんて聞いている場合じゃ──。

「えい」

 ぶちっ、という音と共にテレビ画面が真っ暗になった。

 ……あれ? 一体何が起こったの?

「まったく。昨日、深夜までゲームやって朝もゲームしてるとかバカなんじゃないの」

 そう話す桃花の手にはゲーム機のプラグが握られていた。

「桃花ちゃん!? お兄ちゃんゲームで忙しいって言ったよね!?」

「だからこれで忙しくなくなったでしょ」

「いや、それはそうなんだけど……」

 あぁ、僕の20キルが……。

「それよりお兄ちゃん、今日は学校行きなよ」

「安心して妹ちゃん。お兄ちゃんはまだ学校には行かなくても大丈夫なんだ」

 得意げに答えると、ももがジト目を向けてくる。

「……まさかお兄ちゃん、今年も単位ギリギリまでしか授業受けないつもりなの?」

「もちろんそのつもりだけど」

 高校に入学して以来、僕は毎年単位を落とさない程度にしか授業を受けていない。

 理由はまあ色々あるんだけど、簡潔に説明してしまうと学校に行くのが面倒だから。

 学校には行った方が良いという一般論があるけれど、僕は全くそうは思わない。

 そもそも学校に行って授業を受けたところで、将来役に立つことってほぼないし。

 微分積分とか古文とか社会に出て使う時ってあるだろうか?

 ぶっちゃけ学者にでもならない限り、ほとんどの人は使わないと思う。

 つまり、学校の授業を受けてる時間は九割くらい無駄ってことだ。

 まあ部活に入ってて、部活が楽しいから学校に行くっていうのはわかる。

 でも僕は残念ながら部活にも入ってないし、何なら友達もほとんどいないから友達と話すために学校に行くとかもない。

 そんな僕が果たして学校に行く意味ってある? むしろ学校に行かないことが正しいとまで言える。

 そういうわけで僕は必要最低限しか学校に行かないし、登校しない日は今みたいにゲームしたり、漫画読んだりダラダラしながら過ごしている。

「あのさお兄ちゃん。今年が高校生活最後なんだよ。最後くらいちゃんと学校行きなよ」

「何言ってんだよ。最後だからこそ、今年も留年しない程度に頑張るんだろ。初志貫徹って言葉知ってるか?」

 そう言うと、桃花はあきれたようにため息をつく。

「……はぁ。なんで私のお兄ちゃんってこんなかっこ悪いんだろう」

「顔は父親似だから父さんに言ってくれ」

「誰も顔の話なんてしてないよ。たしかに顔もかっこ悪いけど……」

「妹なのに容赦ないなぁ」

 なあ父さん、僕たちは二人ともかっこ悪いってさ。

「とにかく今日は学校に行った方がいいよ」

「だから、まだ行かなくても大丈夫なんだって」

「そうしないとお母さんがお兄ちゃんのゲームも漫画も全部捨てるって言ってたから」

「……本当に?」

 恐る恐るたずねると、ももはこくりとうなずいた。

「まあゲームも漫画も捨てられていなら学校に行かなくてもいいんじゃない。私はちゃんと伝えたからね」

 そう言い残して、桃花は僕の部屋から出て行った。

 僕は自分の部屋をぐるりと見回す。数十本のゲームソフトと数十冊の漫画たち。

 もし今日学校に行かなかったらこれが全部捨てられるのか……。

「……さて、支度でもしよう」

 それから約一カ月ぶりに制服に腕を通す。

 新学期が始まって七日目。

 僕は初めて登校することにした。


  ◇◇◇


「母さん、ガチでゲームも漫画も捨てる気だったな」

 あれから登校の準備をしてリビングに行ったら、普段はどっかの会社の事務で働いている母親が今日は仕事が休みらしくゴミ袋をたんまりと用意していた。

 どうせ僕が学校に行かないだろうと思って、あらかじめスタンバっていたらしい。

 母よ、自分の息子を少しは信用してくれ……。

「桜はもう咲いてないか……」

 僕が通っている高校──せいらん高校の近くには校門まで続く道のりに桜がずらりと植えられている。

 だが、既に桜は全て散っていた。始業式の時にちゃんと登校していたら、もしかしたら咲いていた桜を見れていたかもしれない。

 ……でも、個人的にはそんな理由で学校に行く気になんてならないので、後悔はじんもない。桜を見るより家でゲームしたり漫画読んだりしてる方が楽しいし。

「よう! かけるじゃん!」

 後ろから肩をポンポンとたたかれた。

 振り返ると、そこには爽やか系のイケメンが一人。

 まるで少女漫画に出てきそうな雰囲気を身にまとっている。

「なんだしゆういちか」

「なんだよそれ、反応うっす」

 つまらなそうに見る僕に対して、ケラケラと面白そうに笑っているイケメン。

 彼の名前はあまひさ修一。

 僕と同学年であり、同じ中学出身。

 そして、友達がほとんどいない僕の唯一の友達だ。

「今年初の登校だよな。去年は二年生に上がっても二週間は学校に来なかったのに、今年は早いじゃん」

「……まあね。今日学校に行かなかったら母さんにゲームも漫画も全部捨てられるんだよ」

「まじかよ! それ超ウケるな!」

「……全然ウケないけどね」

 冷静に返しても、しゆういちはまだ笑っている。こいつバカにしてんのか。

「まあ何にせよ。お前が学校に来てくれて俺はうれしいよ」

「それ、すごくうそくさい」

「いやいや、まじで嬉しいって思ってるって」

 修一はニコニコしながら肩を組んでくる。

「暑苦しい、めて」

「なんだよ、照れんなって」

「照れてないし」

 肩から修一の腕をどかすと、僕は歩き出す。

 すると、すぐに修一も隣に並んできて、

「残念ながら今年は俺とかける、同じクラスじゃなかったわ」

 ぽつりとつぶやくように言った。

「……そっか」

「そんな寂しがんなよ」

「はい? 寂しがってなんかないし」

 そう言っているのに、修一はニヤニヤしている。こいつ、ムカつくわー。

「その代わりと言っちゃなんだけど、お前と同じクラスにあの子がいるぞ」

「あの子? って誰のこと?」

「聞きたいか?」

「いや、そこまで興味ないけど」

「そうかそうか、そんなに聞きたいなら、この修一くんが特別に教えてあげよう」

「修一には耳がついてないの?」

 あきれたように言葉を返しても、彼は構わず話を続ける。

 やっぱり彼には耳がついてないみたい。

「お前と同じクラスにいるあの子っていうのはな──」

 修一はもったいぶった口調で言いつつ、こう続けた。


ななレナだよ」


 その名前を聞いた瞬間、きっと僕は少し嫌そうな顔をしていたと思う。

 なら、七瀬レナは学校一の問題児として有名だからだ。ほどほどにしか学校に行かない僕でも知ってるくらいに。

 同じクラスになったことがないから容姿もぼんやりとしかわからないし、直接話したことがないからどんな人かもよくわからない。

 ……でも、頻繁に流れてくる彼女のうわさは結構とんでもない。

 一年生の時にレナフェスティバルという謎のゲリライベントを無断で始めたとか、体育祭のあとに夜のグラウンドで校内の生徒を集めて勝手にキャンプファイヤーをやったとか、他にもこんな話がまだまだある。

「良かったなかける、校内で一番の有名人と同じクラスになれて」

「どこがだよ。全く良くないでしょ」

「わからないぜ。もしかしたら学校に来るのが楽しくなって、毎日登校したくなるかもな」

「絶対にないね」

 むしろ、そんな問題児が一緒のクラスだったら、いま以上に学校に行きたくなくなるかもしれない。

「中学からの友人としては、そろそろちゃんと学校に来て欲しいんだけどなぁ」

「結局またその話か。嫌だって言ってるでしょ」

 悩ましげに口にするしゆういちに、僕はきっぱりと言い放った。

 そもそも一年生の時も二年生の時も最低限しか学校に行ってなかったのに、今更、真面目まじめに学校に通ってもって感じだし。

「翔さ、中学の時は普通に学校通ってたじゃん。なんで高校生になった途端、そんな風になっちゃったんだよ?」

 不意に修一から質問を投げられた。

「だから言ってるじゃん。学校に行くのが面倒になったんだよ」

「いつもそうやって答えるけど、それ絶対うそじゃん」

「あのね修一、学校に行かなくても高認受かれば高卒にはなれるし、そしたら大学受験だってできる。たとえ高卒でも就職できるところだって割とあるし……世の大人たちは学校に行かなきゃ人生終わりみたいな言い方するけど、全くそんなことないから」

「それはそうかもしれんけど……」

 僕が長々と説明をすると、修一は苦笑を浮かべた。

 あれこれと言ったけど、僕だって学校にはちゃんと行った方が良いことくらいわかってる。どっかのメンタリストが話してたけど、学校に行かないとコミュニケーション能力が身につかなくて困るらしいし。

 まあそれでも僕は学校に毎日通ったりはしないけど……。

 だって色々と疲れるから。わかる人にはわかると思うけど。

かけるさぁ、これでも俺はお前のこと心配してるんだぞ」

「気持ちはうれしいけど余計なお世話だから。っていうか、どうでもいいこと話してると学校に遅刻するよ」

「……へいへい、わかったよ」

 諦めたようにつぶやしゆういち

 それから彼はいきなり新入生の女の子に告られた話とか、始業式で校長のカツラが取れかかっていた話とか、別の話題を話し始めた。

 こうやってこっちの空気を察して、踏み込まずにいてくれるのは非常に助かる。

 控えめに言って、僕にはもったいない友達だ。

 本人に伝えたら調子に乗りそうだから、こんなこと絶対に言わないけど。

 それから僕たちはあいもない会話を交わしつつ、散った桜並木の道のりを歩いた。


  ◇◇◇


 昇降口で上靴に履き替え、僕は一人で自分のクラスの教室に向かっていた。

 ちなみに修一は校門前で、偶然、一年生の時から付き合っている彼女と会って、先に二人で自分たちのクラスに行った。修一と彼女は同じクラスらしい。

 修一からはクラス違うけど途中まで一緒に行こうぜ、と言われたけどさすがに断った。

 僕がいたら明らかに邪魔になるからな。


なながきたぞ!」


 不意に男子生徒のそんな声が聞こえた。

 ついでに、ついさっき聞いたばかりの名前が耳に入ってくる。

 気になって振り返ると、そこには制服のブラウスの上に白のパーカーを着こなしている女子がいた。肌は白く、髪は茶色に染めて肩口あたりまで伸ばしている。

 れいな顔立ちをしているけど、可愛かわいさも兼ね備えており、ぶっちゃけかなりの美少女だ。

「レナちゃんおはよ~!」

「昨日も職員室に呼ばれたらしいな!」

「さすが七瀬だぜ!」

「レナちゃん今日も可愛いね~!」

「今日も何かやらかしてくれよな!」

 廊下ですれ違う男女の生徒たちに次々と声を掛けられるパーカー美少女。

「みんなおはよ! 今日も私は目一杯、学校生活を楽しむからみんなよろしく~!」

 彼女は愛想よく笑いながら、生徒たち一人一人に手を振っている。

 パーカー美少女には美少女にありがちな近づきにくい空気はなく、むしろ親しみやすい雰囲気を身にまとっていた。

 なるほど……。あのパーカー美少女がななレナなのか。

 いま初めてはっきりと彼女を見た気がする。まさかあんな美少女だったなんて……。

 ところで、彼女がブラウスの上から着ているパーカーは完全な校則違反。

 でも、全校生徒の中で彼女のみパーカーの着用が黙認されている。

 ……というのも、当然ながら七瀬がパーカーを着て登校してきた当初は教員に注意されたり没収されたりしていたんだけど、それでも七瀬は毎日ずっと同じパーカーを着続けてきたから、教員たちが皆そろってさじを投げたらしい。

 すさまじい執念だよな。そんなにパーカーにこだわりがあったのか。

 加えて、七瀬レナには熱狂的なファンがいる。

 たったいま彼女に声を掛けているような連中のことだ。

 七瀬は一年生の頃から数々の問題行動を起こしてきた。

 しかしそれが一部の生徒のツボにハマり、熱烈なななファンを生み出しているらしい。

 これはさっきしゆういちから聞いたことだけど、既に新入生にも何人かファンがいるとか。

 たった一週間でどんなことしたらそうなるんだ……。

「七瀬のやつ、相変わらずめっちゃ調子乗ってんじゃん」

「マジそれな」

「チヤホヤされてアイドル気取りかっつーの」

「問題ばっか起こしてる癖にアイドルとかウケるんですけど」

 一方、そばで男女四人組がバリバリに七瀬の悪口を言っていた。

 熱狂的なファンがいるということは、逆に強いアンチがいてもおかしくない。

 七瀬は良くも悪くも目立つ生徒なんだから。

「高校最後の年に、よりによってなんで七瀬と同じクラスなんだ……」

 ため息混じりにつぶやく。面倒なことが起きなきゃいいけど……。

 それからファンたちと話している七瀬に背を向けて、僕は先に教室へと向かった。


  ◇◇◇


 教室に着いてドアを開けると、クラスメイトたちが各々のグループで談笑していた。

 もう新しいクラスになって一週間になるので、ほとんどの人は自分に適した居場所を見つけているだろう。

 対して、一週間遅れで初登校した男にはそんな居場所なんて全くないわけだけど。

 僕は掲示板に貼られている座席表で自分の席を確認したあと、あまり目立たないように移動する。変に目立つと、こいつ今まで学校来てなかったやつじゃね?ってなって、すごく気まずくなるから。

「……まじか」

 順調に移動していた僕だけど、自分の席の近くまで行って絶望した。

 知らない男子生徒が僕の席に座っていたんだ。

 さらに彼は友達であろう後ろの男子生徒と楽しそうにおしやべりしている。

 ……さてどうしよう。自分の席に座っている男子生徒に僕が「そこ僕の席なんです」と一言いえば解決するように思えるけど、そう簡単じゃないのが学校というもの。

 男子生徒はスポーティーなヘアスタイルでいかにも体育会系って感じだし、僕が自分の席を主張しても変に反発されるかもしれない。そうなると非常に面倒だ。

 ……とすると、ここは一旦廊下に出るかトイレで時間を潰して、男子生徒が僕の席を離れるのを待つか……?

「悪い、俺トイレ行ってくるわ」

 そう言って僕の席にいた男子生徒が席を立った。これはチャンスだ。今のうちにさっさと座るしかない。そう思って男子生徒が帰ってくる前に、僕はすぐに自分の席に座った。

 男子生徒の友達は少し驚いていたが、特に何も言ってはこなかった。

 そして、僕の席に座っていた男子生徒も戻ってくると、目をぱちくりさせて僕を見た。

 しかし、彼は今度は近くの空いている席に座って、友達とのおしやべりを再開した。

 いやだから他人の席に座ってお喋りするなって。普通に困るから。

 そう思ってはいても、なかなか口には出せないんだけど……。

 ……はぁ、なんで自分の席に座るだけでこんなに気を遣わなくちゃいけないんだ。

 そう思いながら、僕は周りをキョロキョロと見回す。

 自分のクラスにどんな生徒がいるか確認するためだ。

「俺は無理だわ。部活あるし」

「なんで? カラオケくらい行ったっていいじゃん。たまには息抜き必要だって」

「大会も近いし休むわけにはいかねーの」

「あたし、めっちゃ歌いたい歌あるんだけど」

「他のやつらと行ってこいよ」

 教室の後ろの方。男女五人のグループがいて、その中でも明らかにリーダー的な雰囲気を醸し出しているイケメンと美少女が会話を交わしていた。

 僕は二人のことをよく知っている。昨年、彼らとは同じクラスだったからだ。

 イケメンの名前はあつ

 しゆういちみたいな爽やかな感じではなく、ちょっとオラオラ系のイケメン。部活はバスケ部に所属しており、一年生の時からレギュラーで、今はキャプテンでエースらしい。

 それゆえよく女子から告白されていると耳にする。素行はあまり良くないらしいけど、女子的にはそれも良いのだとか。全く意味わからん。

 そして、美少女の方の名前はあやさき

 長い黒髪につり上がった瞳。可愛かわいいというよりは美人系の容貌できやしやたいをしている。

 しかし、女子のリーダーにありがちな女王様みたいな雰囲気というか、とげとげしい空気を持っており、綾瀬は今朝会った誰かさんとは正反対の美少女だ。

 ……とまあ僕は二人のことを知ってるけど、彼らとは一言も話したことないし、挨拶すらまともに交わしたことがないから、たぶん向こうは僕のことをたまに学校に来る根暗なやつくらいの認識だと思う。

 下手したら、僕と同じクラスだったことも忘れてるかもしれない。

「じゃあ私は咲ちゃんと一緒にカラオケ行く!」

「それなら俺も行っちゃおうかな~」

 綾瀬グループの取り巻き二人──すずたつたかはしすずが言い出す。彼らとも去年、僕は同じクラスだった。

たつは部活あんだろ。サボるんじゃねーよ」

あつは本当に部活にだけは真面目まじめね。はカラオケどうする?」

「えっ、わ、私は……」

 あやから芽衣と呼ばれた女子生徒は、今まで一言も発してなかった綾瀬たちの最後の取り巻き。みようたちばなだ。

「当然行くっしょ?」

「そ、その……うん」

 立花は小さくうなずく。……あれって本当は行きたくないやつだよな。でも綾瀬の言葉にされて仕方がなく頷いているって感じだ。

 立花とも二年生の時から同じクラスだけど、彼女は綾瀬グループの中で一番立場が弱く、いまみたいな光景はよく見る。

 でも誰も綾瀬やに逆らえないので、皆見て見ぬふりをしている。もちろん僕も。

 スクールカースト的には、たぶん綾瀬グループが一番階級が高いだろう。

 阿久津と綾瀬を怒らせたら大変なことになりそうだし、あんまり近づかないように用心しないと……。


「みんなおっはよー!」


 唐突に快活な声が教室に響いた。

 視線を向けると、ドアの方にパーカー美少女ことなながいた。

 こんな風にクラス全員に挨拶するやつ、アニメや漫画のキャラ以外で初めて見たな。

「遅いぞ七瀬!」

「へへっ、実は今日ちょっと寝坊しちゃってさー」

「レナちゃん! 放課後、駅前にできた新しいお店にクレープ食べに行こうよ!」

「クレープいいね! 今日は予定ないし全然良いよ~!」

 数人のクラスメイトたちが次々に声を掛けて、それに一つ一つ反応していく七瀬。

 どうやらこのクラスにも七瀬ファンがいるらしい。

 ……というか、このパーカー美少女はコミュ力お化けか。すごいな。

 なんて感心していると、七瀬が徐々にこっちに近づいてきて──隣の席に座った。

 ……まじか。七瀬の席って僕の隣なのかよ。校内にファンもアンチもいる女子の隣なんて何か起こりそうな気がしてものすごく嫌なんだけど。

「おはよ!」

 すると、唐突に七瀬から挨拶された。

「えっ、お、おはよう……」

「君って今日が学校来るの初めてだよね?」

 挨拶の次には質問された。なんかやたらグイグイ来るなぁ。

「そ、そうだけど……」

「だよね! これからよろしくね!」

「う、うん。よろしく……」

 ニコッと笑いかけられてよろしくされたので、こっちもよろしく返しておいた。

 びっくりした。普通、今まで一言もしやべったことない相手にこんな風に話しかけてくるか? フレンドリーの度を超えてるぞ。


「レナは今日も随分と調子乗って──じゃなくて、人気者ね」


 不意に鋭く冷たい声が聞こえる。声の主はあやだった。

 いま明らかに〝調子乗って〟って聞こえるように言ってたな。

「さすが学校一のトラブルメーカーだね!」

「問題ばっかり起こしてるから同じ問題児に人気が出てるんじゃねぇか?」

 続いて、綾瀬グループの取り巻きのたかはしすずななに追撃したあと、二人ともバカにしたように笑った。

 一方、七瀬はかなり悪口を言われてたのに、嫌な顔一つせずにニッコリとしている。

「ありがとう。そんなに褒めてもらえて私はうれしいよ」

「あんた頭悪いの? いま褒めたんじゃなくてバカにしたのよ」

 綾瀬はいらつきながら言って、七瀬をにらみつける。

 はっきり言うと、綾瀬は七瀬のアンチだ。それも相当な。

 この話は学内で七瀬が問題児であることと同じくらい有名な話であり、今まで大して学校に通っていない僕でも知っている。

 何でも高校入学して間もない頃から、顔を合わせたらすぐにけんするのだとか。

「知ってるよ。でも私は器が大きいからね。しょうもないやつの言うことをいちいち真に受けたりしないの」

「誰がしょうもないやつよ! 他人をめるのもいい加減にしなさいよ!」

「舐めてるのはそっちの方でしょ。いちいち私に突っかかってこないでくれないかな?」

 言い合っている二人の間に、バチバチと火花が散る。

 もう今にもやり合いそうな雰囲気だ。

「そんなダサいパーカー着てよく登校できるわね」

「君の下手くそな化粧よりマシでしょ。アイメイク落ちてるよ」

「えっ……」

 あやは焦った様子で手鏡を出して確認する。

 しかし、メイクは落ちていない。

「なんてね。冗談だよ」

「っ! あんたね……!!」

「もう懲りたでしょ。私にちょっかいかけてもさきが損するだけだよ」

「ぐっ……う、うるさいわよ!」

 そう言いつつも、綾瀬はそれ以上、ななに何か言ったりしなくなった。

 今回のところは負けを認めたみたい。というか二人の会話を聞く限り、今日みたいな言い合いはおそらく大半が七瀬の勝ちで終わっているんだろう。

! 今から飲み物買ってきて!」

「わ、私……?」

「そうよ。あたしいま超イライラしてるから早く買ってきて。ミルクティーね」

 綾瀬が機嫌悪そうにたちばなに命令する。

「じゃあ俺は缶コーヒーな」

「俺、炭酸ならなんでもいいわ」

「私は紅茶ね~」

 続けてたちもついでと言わんばかりに、立花に飲み物を買ってくるよう促した。

 そろそろ担任も来る頃だし普通なら断る場面だが、綾瀬グループで一番立場が弱い彼女は綾瀬たちの言葉に逆らえない。

 だから、ここは自分の立場を守るためにも言うことに従うしかない。

「……わ、わかった」

 立花は弱々しくうなずいて、近くの自販機に行くために教室を出ようとする。

 この時、立花は明らかに理不尽な目に遭っていた。

 でも、誰も助けようとはしなかった。当然だ。

 余計なことして綾瀬や阿久津に目をつけられても嫌だし、たとえ助けようとしたところで返り討ちにあって無駄に終わる可能性だってある。

 だからここは空気を読んで何もしないことが正しいわけで──。


「ちょっと待ちなよ!」


 教室に通りの良い声が響いた。

 驚いて見ると、やはり七瀬だった。

「何よ。レナには別に何も言ってないわよ」

さきさ、前から思ってたんだけどたちばなさんの扱いひどすぎじゃない? 友達同士ならもっとフェアにいこうよ」

「は? あんた何言って──」

 言葉の途中、ななは席から立ち上がってあやの方へと近づいていく。

 そして、バンッと彼女の机の上に手の平をたたきつけた。

「だから今日は咲がみんなの飲み物買ってきたら? あっ、私はオレンジジュースね」

 七瀬がゆっくりと机から手を離すと、そこには小銭が置かれていた。ちょうどジュース一本分の金額だ。

「……レナ、いい加減にしなさいよ」

「いい加減にするのは咲の方でしょ。君が飲み物買いに行くか、立花さんに飲み物を買いに行かせるのをめるか、どっちか選びなよ」

 お互いに見合う七瀬と綾瀬。

 だが、先ほど言い合っていた時とは場の緊張感が段違いだった。

「おい七瀬、黙って聞いてりゃ勝手ばかり言ってんじゃねぇぞ」

 ここでも乱入してくる。

 単純に自分たちのことまで突っ込んでくる七瀬に腹が立ったのだろう。

「阿久津くんたちも立花さんに勝手なことばかり言ってるけどね」

「お前には関係ないことだろうが」

「クラスメイトのことだし、関係はあるでしょ」

「ああ言えばこう言いやがって……」

 阿久津が鋭い視線を七瀬に向ける。正直、かなりこわい。

 ……が、七瀬はビビるどころか真っすぐに視線を返していた。

 正直、七瀬のせいで教室の空気はめちゃくちゃだ。最悪と言ってもいい。

 ……でも、不思議なことに僕はそんな彼女から目が離せなくなっていた。

「ほら、早く選んでよ。咲が飲み物買うか、立花さんに飲み物買わせるの止めるか」

「お前、いい加減ムカつくこと言うんじゃねーよ」

「あんたの言うことなんて、あたしたちが聞くわけないでしょ」

 綾瀬・阿久津と七瀬のバトルが続行中だけど、このままいくとたぶん立花が飲み物を買いに行かされて終わるだろう。

 綾瀬が言った通り、二人には七瀬の言うことを聞く必要がないし。

 ……だけど、本当にそれでいいのか?

 自問したのち、僕はチラリと教室に掛けられている時計を見る。

 担任が来るまであと二分くらいか……。

「ほんとに君たち二人は性格悪いよね。赤ちゃんからやり直したらどう?」

「あんた、言わせておけば……!!」

 ここであやが完全にキレてしまい、手を大きく振り上げた。

 うわっ、これビンタする気だ。

「ちょっと待て、さき!」

 も僕と同じことを考えてさすがにまずいと思ったのか、綾瀬を止めようとする。

 しかし、それよりも前に綾瀬の手は振り下ろされて、ななの顔に一直線。

 誰もが七瀬にビンタが直撃すると思った瞬間、


 不意にアラーム音が鳴った。


 それがきっかけで綾瀬の手はピタリと止まる。

 そして、綾瀬を含めたクラスメイトたちの視線はアラームが鳴った方向──僕の席に集まった。

「ご、ごめん。アラーム切り忘れてたみたいで……」

 僕はスマホを見せながらぺこぺこと謝る。だけどクラスメイトからの反応は特になし。強いて言えば、何やってんだこいつ、みたいな目を向けられた。冷たいなぁ……。

「はーい、みんな席に着いて~」

 ガラッと教室のドアが開いて、女性の教師が入ってきた。

 今日が新学期初めての登校だから知らんけど、うちのクラスの担任だろう。

 おかげでこの場は丸く収まりそうだ。

 それからたちばなはひとまず綾瀬たちの飲み物を買いに行くことなく、自分の席に着く。

 綾瀬の席に集まっていた阿久津や他の取り巻きたちも各々の席に戻っていった。

 ふぅ、何とかなったか……。心中であんしていると、隣から視線を感じる。

 見ると、席に戻った七瀬がこっちをじーっと見つめていた。

「その……何かな?」

「ううん、別に~」

 七瀬はひょいっと別の方を向いてしまった。なんなんだよ。


 朝のホームルームが終わり、クラスメイトたちは一限の準備をしたり、自販機に飲み物を買いに行ったり、談笑したりしている。

 ちなみに綾瀬はもう怒りが収まっているみたいで、いまは阿久津や立花を含む取り巻きたちとおしやべりをしていた。

「君、ちょっといい?」

 授業の準備を済ませて自席でスマホをいじっていると、また七瀬から声を掛けられた。

「……今度は何かな?」

「そんな嫌そうな顔しないでよ。少し話があるだけだから」

 太陽のような笑みを浮かべてから、ななは続けて話した。

「さっきって私のことを助けようとしてくれたんだよね?」

「……いや違うけど」

 七瀬の問いに、僕は即行で否定する。

「? 何でうそつくの?」

「嘘じゃないって、本当にただアラームを消し忘れてただけ。そもそも僕はトラブルとかに巻き込まれたくないんだ」

 僕が言い張ると、七瀬は不思議そうな表情を浮かべる。

「トラブルに巻き込まれたくないのに、私を助けてくれたの?」

「だから違うって」

 否定しているのに、七瀬は何かを思案するように顎に指を添える。

「君ってなかなか面白いんだね」

 どこか不吉な笑みを浮かべる七瀬。

 何その反応。ものすごくこわいんだけど。

 そうおびえていたら、

「私ね、君に興味が湧いたかもしれない」

「……はい?」

 戸惑っている僕に、七瀬はニヤリと口元を緩める。

 高三になって登校初日。いきなり僕は面倒ごとに巻き込まれた気がした。


  ◆◆◆


 一限目の数学の授業中。私は彼──きりたにくんのことを考えていた。

 見た目が小動物みたいだなぁとか。からかったら面白そうだなぁとか。

 いるよね、そんなに話したことないけどいじったら楽しそうみたいな人。

 たぶん桐谷くんってそういう人なんじゃないかなって思う。

 でも、最初に話した時は、桐谷くんって学校に行きたくない普通の男子生徒なのかなって思った。別にそのことに関しては特に何とも思ってないし、学校にあんまり通ってないからって変な目で見たりもしない。

 だけど、彼は普通の不登校気味の生徒じゃないみたい。

 さきにぶたれそうになって、桐谷くんに助けられて、それから改めて彼と会話を交わした時、ちょっと変な人だなって思った。

 私のことを助けたんじゃないって、平然とうそつくし。

 それに普通ならトラブルに巻き込まれたくない人が人助けなんてしないでしょ。

 しかも、自分で言うのもあれだけど、教室の空気は最悪で誰も私のことを助けようとなんてしてなかったし。

 それだけにきりたにくんのスマホのアラームが鳴った時は驚いた。

 あの時の「切り忘れてたみたいで……」っていう彼の演技、ぎこちなさすぎて笑いそうになっちゃった。ちょっと可愛かわいいとも思っちゃったけど。

 そして、うっすらと桐谷くんは『彼女』に似ているなって感じた。

 だから、私は彼に興味を抱いたんだ。

 桐谷くんと初めて会話してから、私は彼が登校してきたら一言でも話すようにした。

 好きな食べ物をいたり、休日に何してるかしやべったり。そんなあいもないこと。

 真剣な話、このままだと、もしかしたら桐谷くんは『彼女』と同じようにひどい目に遭ってしまうかもしれない。

 幸い、まだそこまで追い込まれてはいないみたいだけど……。

 でもこのまま彼を放っておくことなんてできない。

 だって、私なら桐谷くんを助けることができるかもしれないから。


  ◇◇◇


 初登校から数日間。一・二年生の時と同様に、単位を落とさない程度に学校に通って、特に登校しなくてもいい日は自宅でだらだらと過ごした。

 だが困ったことに学校に行くと、ななにやたら話しかけられるんだ。

 内容は「趣味とかあるの?」とか「昨日のドラマ見た?」とか結構どうでもいいもの。

 僕に興味が湧いたとかよくわかんないこと言ってたけど、一体何を考えているんだあのパーカー美少女。

「えーと、今日は一日中ゴミ掃除のボランティア行事の日か。じゃあ行かなくてもいいな」

 自分の部屋。壁に掛けてあるカレンダーを見て、僕はつぶやいた。

 このカレンダーには絶対に単位を落とさず、且つなるべく学校をサボれるように、学校を休んでもいい日と登校しなくちゃいけない日が詳細に書かれている。

 休んでもいい日には必ず『休』と記載されているんだ。

 ちなみに本日は学校近くの住宅街や河川敷、公園のゴミ掃除をする、という毎年恒例のボランティア行事のため、もちろん僕は行かない。

 授業がある日でさえ、単位が関係ある時しか登校しないのに、ボランティアになんて行くわけがない。過去二回のボランティア行事も僕は参加していないし。

「さて、今日もアぺでもやろうかな」

 プレよんを起動する僕。プレイするタイトルは先日ももにぶち切りされたバトロワゲームだ。今日こそ20キル取ってやるぞ。

 そう意気込んでいた矢先、自宅のインターホンが鳴った。

 桃花に出てもらおうと思ったが、そういや学生は学校に行ってるんだったな。

 まあ僕も学生なんだけど……。

 両親は二人とも仕事に行ってるし……居留守にしよう。

 二回目のインターホンが鳴ったが、僕は気にせずゲームを開始した。配達だったら不在票入れるだろうし、保険の営業とかなら無理そうならさっさとどっか行くでしょ。

 そう思いつつゲームをプレイしていたけど、残念ながらインターホンが鳴りやまない。それどころかさっきからインターホンは連打されていた。

 いや、これはさすがに失礼すぎるだろ。

「はいはい、いま出ますよっと」

 仕方がなく僕はゲームを中断して、玄関へと向かう。

 こんな無礼なやつは一体どこのどいつだ。絶対に文句言ってやる。

「はい、何ですか……ってお前かよ」

「おはよう、かける

 玄関の前で爽やかな笑みを浮かべているのはしゆういちだった。

 同じ中学なので彼とは割と家が近く、徒歩十分くらいの距離にお互いの家がある。

「何しに来たんだよ……」

「そりゃ一緒に学校に行こうと迎えに来たんだよ」

「いやいや行かないから」

 修一の発言に、僕は首を横に振りながら答えた。

「どうしてだよ。今日は授業ないし割とかなり楽な日だぞ」

「ボランティア行事なんて興味ないし面倒くさい」

「そんなこと言わずに行こうぜ。この前お前が欲しがってたゲームあげるからさ」

「欲しがってたゲーム……?」

「バトルステージ6ってやつ。休日に駅近くまで出かけた時にくじで当てたんだよ」

「まじか!? それ本当に僕が欲しがってたやつじゃん!」

 修一の話を聞いて、僕は少し興奮してしまった。

 彼が口にしたタイトルは金銭的に僕が買うことを断念したゲームだからだ。

「本当にくれるの?」

「おう、俺は普段ゲームとかしないからな。その代わり今日のボランティア行事には一緒に参加してくれよ」

「わ、わかった。そういうことなら……」

 途中、僕は言葉を止めた。

 ……何かおかしくないか?

 これまでしゆういちは今みたいに僕を学校に行かせようとすることはあったけど、学校に行くだけでゲームをくれるなんて、今日はちょっと強引すぎる気がする。

「修一、何かたくらんでないよね?」

「えっ、さ、さて何のことだか……?」

 たずねると、修一はものすごい勢いで目をらした。さすがにわかりやす過ぎだろ。

「やっぱり学校に行くのめようかな……」

「待て待て、わかったから。事情を話すから学校には来てくれよ」

 必死にそう言ってくる修一。

 こんなに焦るなんて。一体どんな理由があって僕を学校に行かせようとしてるんだ。

「実は今日のボランティア行事は彼女と一緒に行動するつもりだったんだけどさ」

「なにそれ。彼女持ちマウント?」

「そうじゃねぇって。まあ冷静になれよ」

 まあまあとなだめてくる修一。なんかムカつくなー。

「でも彼女が体調崩して学校に来れなくなったみたいで、今日一緒にゴミ拾いする人がいなくなったわけよ」

「別に友達と一緒にゴミ拾いすれば良いじゃん。僕と違って修一には沢山いるだろ?」

「それはそうなんだけどさ……」

 言いにくそうな顔をする修一。

「ほら、毎年そうだけどゴミ掃除のボランティアって、一人で行動するやつ以外は、結構長い時間誰かと一緒にいないといけないだろ? そんでその時間も会話だったりで埋めなくちゃいけない」

「まあそうかもね……」

 僕は一回も参加したことないからよく知らないけど……。

「正直そんな長い時間、めっちゃ仲良いわけでもないやつと一緒にいたくないわけよ」

「そ、そっか……」

 このイケメン、さらっとひどいことを口にしたな。

 まあ言っていることは間違っていないのかもしれないけど……。

「……それが僕を学校に行かせたい理由?」

「そういうこと。だから頼むわ」

 修一は手を合わせて軽く頭を下げる。

 ぶっちゃけ僕は全くゴミ掃除なんかしたくないんだけど、ずっと欲しかったバトルステージ6をくれるならしょうがないか。あと一応、唯一の友達がこれだけ頼んでるわけだし。

「……わかった。その代わりゲームはちゃんと頂戴ね」

「おぉ! 一緒に来てくれる気になったか! さすが俺の親友だぜ!」

 カッコいい顔を綻ばせながら、しゆういちは僕の肩に手を回してくる。

「いちいち肩組んでくるな」

「またまた照れんなって」

「照れてないし」

 まったく、ちょいちょいウザいイケメンだ。

 ……でも、ボランティア行事に参加したらまたななに絡まれるかもしれないよな。

 まあその時は修一に何とかしてもらうことにしよう。

 それから僕は学校に行く支度をするために自分の部屋に向かった。


  ◇◇◇


 僕は修一と登校したあと通常通りホームルームを終えて、街のゴミ掃除をするために学校指定の体操服に着替えた。

 そうして校外に出たあと早速ボランティア行事が始まったんだけど……。

「裏切られた……」

 僕はゴミ袋を右手、ゴミばさみを左手に持って、一人ぽつりと立っていた。

 というのも、本来なら修一と二人でどうでもいい会話をしながらゴミ掃除を済ます予定だったのに、今年からボランティア行事はクラス内で担任が無作為にグループ分けして、そのグループでゴミ掃除をすることになったらしい。

 理由としては、毎年仲良い人同士で行動すると、おしやべりばかりして真面目まじめにゴミ掃除をしないからとのこと。

 そんなわけで違うクラスの僕と修一はもちろん同じグループにはなれず、一緒に行動することができなくなってしまった。

 これだけでも、元々ボランティア行事なんかに参加する予定がなかった僕にとっては最悪な出来事だというのに、うちの担任教師が分けたグループがさらに最悪だった。

「ねぇあつ。あたし暇なんだけど」

「それは俺も一緒だ」

 僕は担任の指示で学校近くの市立公園でゴミ拾いをしている。

 ……しかし、あやはだるそうにベンチに座って話をしていた。

「ねぇ、今日って来る意味あったの?」

「この行事サボると部活の顧問に怒られんだよ。最悪試合に出してもらえなくなる」

 そんな会話を交わしながら、二人はゴミを拾う素振りを一切見せない。

 教師がいないからって、堂々とサボってイチャつくな。

 まあ僕も本当はサボるつもりだったけど……。

「なんてこった……」

 僕は頭を抱えてつぶやいた。

 まさか男女のスクールカーストトップの二人と同じグループになるなんて。

 運が悪いにもほどがあるだろ……。でも、僕の運の悪さはこれだけにとどまらなかった。

「なーに頭抱えてんの?」

 隣から可愛かわいらしい声が聞こえる。

 振り向くと、あやと同じように体操服姿のなながにこりと笑ってこっちを見ていた。ただし愛用のパーカーは体操服の上から今日も着用している。

 そう。同じグループには校内の有名人であり問題児の七瀬もいるんだ。

 そして僕と同じグループメンバーはこれで全員。本当に最悪のメンツだ。

 おまけに掃除が始まる時、七瀬がサボろうとする綾瀬と一度やり合ったし。

「別に頭なんて抱えてないけど……」

「いやいやうそでしょ。ものすごく困ったような顔してたし」

 ななは面白そうにクスクスと笑う。何がおかしいんだ……。

「でも珍しいよね。きりたにくんって学校休んでる時多いから。ボランティア行事なんてサボるのかと思ってた」

 そして笑顔で失礼すぎる発言。

 しかも悔しいことに図星をつかれたから反論できない。

「あのさ僕は一人でゴミ拾いしてくるから、七瀬はあの二人のところ行ってきなよ」

「桐谷くんって面白いこと言うね。私、あの二人とあんまり仲良くないの」

「知ってるよ。遠回しに僕から離れてって言ってるんだけど」

「だよね、うんうんわかってるってー」

 と言いつつ、七瀬は全く僕から離れない。全然わかってないじゃん。

「それでさ、なんで今日は学校に来たの?」

「たまには僕もボランティアに参加して、世のためのためになることをしようかなって……」

「いつも学校を休んで教員たちを困らせてるから?」

 七瀬はからかうような口調でいてくる。

 あれか。こいつは人をいらたせる天才なのか。

「教員を困らせてるのはそっちの方でしょ。今日も校則違反のパーカー着てるし」

「これは私のトレードマークだからね」

 パーカーを見せつけるように胸を張って、七瀬は自慢げに答える。

 トレードマークがルール違反してるってどうなんだ。

「おいお前らよ。サボってないでさっさとゴミ拾えよ」

 が眉間にしわを寄せて近寄ってきた。

 正直、自分のこと棚に上げまくってる発言にものすごく文句を言ってやりたいが、クラス内男子の権力者の阿久津相手に対してそんなことする勇気はない。

 ちなみにさっきまで彼としやべっていたあやはボランティア中なのに、ガッツリスマホをいじっていた。

「ご、ごめん。すぐにゴミ拾いするから」

 すぐに僕は謝って、ゴミ拾いを再開する。

「自分だってサボってるくせに何言ってんの。男のくせにダサいんだけど」

 一方、七瀬は完全にけんを売るトーンでそう言った。

 また何やってんだこいつ……。

「は? 俺の言うことに文句あんの?」

「逆に文句しかないけど。阿久津くんとさきもゴミ拾いしなよ」

「そんな面倒なことするわけねーだろ」

「じゃあ私たちに文句言う資格ないでしょ。くんってバカなの?」

 僕が思っていたことをそのままななが言い放つと、阿久津は顔をゆがませる。

「誰がバカだ。お前さマジで調子乗んなよ」

「調子になんて乗ってないけど、というかバカじゃないならゴミ拾って」

 バチバチにやり合う二人。もはや一触即発の雰囲気だ。

 おいおい、僕の近くで問題を起こすのはめてくれ。

「ス、ストップ、ストップ!」

 慌てて僕は二人の間に入る。

 すると、今まで七瀬をにらんでいた阿久津の視線が僕の方へ。

「なんだよ。お前も俺に文句あるのか?」

「ま、まさか。そんなわけないよ……」

 学校にまともに来てすらいない僕がクラス内男子の実権を握っている阿久津に逆らったらどうなるか……考えただけでも恐ろしい。

「ゴミ拾いは僕と七瀬でやっておくから。阿久津はどうぞ休んでて」

「ちょっ、どうしてそんな──」

 後ろから七瀬が何か言いそうになったところを手で制す。

 この女は空気を読むことを知らんのか。

「おっ、話がわかるやつもいるじゃん。きりしまだったっけ?」

きりたにだよ……」

 僕はそんな部活辞めそうなみようじゃない。

 というか、やっぱり名前すら覚えられてないのか。

「ゴミ拾いさっさと済ませろよ。早く終わったら自由時間もらえるらしいからな」

 ご機嫌になった阿久津はそう言い残して、あやが座っているベンチに戻っていった。

 自己中の極みみたいな発言だったな。

「ねぇ、どうしてあんなこと言ったの」

 七瀬が怒ったような口調でたずねてくる。

「ごめん。七瀬もゴミ拾い嫌だったらどっか行ってていいよ」

「そうじゃなくて、なんで阿久津くんやさきに掃除するように言わなかったの?」

「いや、そんなこと言えるわけないじゃん」

「それじゃあ桐谷くんは二人が掃除しないことが正しいと思ってるの?」

「そ、そういうわけじゃないけど……」

 言葉に詰まったあと、僕は大きくため息をついた。

 そりゃ僕だって二人が掃除をサボってることが良いなんて思っちゃいない。

 でも仮に、僕が阿久津と綾瀬に掃除をしてって頼んだとしよう。

 そんなことしても二人は絶対に掃除をしない。

 なら、僕と二人の間に明確な力関係があるから。

 弱者が強者に言うことを聞かせようとしても無駄だ。

 無駄どころか、二人の機嫌を損ねてしまって、返り討ちを食らう可能性だってある。

 毎日パシリ扱いとかされたら、僕は一生学校に行かなくなるぞ。

「言いたいことや思ってることを口にしても解決しないことだってあるんだよ。ななだってそのくらいわかるだろ」

「ふーん」

 七瀬はつまらなそうな反応をしたあと、続けて話した。

「でも、そうやって自分の気持ちにいちいち蓋してたら苦しいと思うけどな」

「ぐっ……」

 僕はまた言葉に詰まった。

 ぶっちゃけ七瀬が言ったことは、正しいと思う。

 それだけにいま僕が一番言われたくない言葉だったかもしれない。

「……たちとめるよりマシだろ」

 抵抗するように口にしたあと、僕は公園のゴミをトングで拾ってはゴミ袋に入れていく。

 七瀬も「そっか」とだけつぶやいて、ゴミ拾いを再開した。

 それから掃除が終わるまで僕と七瀬は会話を交わさなかった。


  ◇◇◇


「やっと終わったー!」

 掃除開始から二時間後。落ち葉やら空き缶やら汚れた雑誌やら、ひと通りゴミを拾い終わると、七瀬がうれしそうに両手を上げた。

 ここの公園って何気に広いから二人だとやっぱり時間かかったな。

 当たり前だけど、四人でやった方が絶対に良かった。

きりたにくん! ハイタッチ!」

 不意に七瀬が両手を上げたまま、こっちに近づいてきた。えっ、いきなりなに。

「? もしかして桐谷くんってハイタッチ知らない……?」

「いや知ってるけど、その……七瀬は怒ってるんじゃないの?」

「怒ってる? 誰に?」

「……僕にだけど」

 言うと、七瀬がキョトンとしたあとクスリと笑った。

「もしかして桐谷くんが阿久津くんにビビって、そのせいで私が怒ってると思ってたの?」

「言い方はあれだけど、だいたい合ってる。……違うの?」

「そんなわけないでしょ。私は器が大きいからそれくらいじゃ怒ったりしないよ」

「君の器とか知らないし……でも掃除中、一言も話さなかったじゃん」

「あれは単純に真面目まじめに掃除をやってただけ。そうしないと掃除する人が二人しかいないからいつまでっても終わらないでしょ」

「……それもそうか」

「なに? 私と話したかったの?」

「それは絶対にない」

 ニヤニヤとしながらいてくるななに、僕は首を左右に振った。

 別に彼女と話したかったわけじゃない。ただやたらと口を開く人が急にしやべらなくなったから気になっただけだ。

「じゃあほら、ハイタッチ!」

「いやいや、しないから」

 テンション高めにハイタッチを求めてくる七瀬に対して、僕は冷静に言葉を返した。

「え~なんでさ。恥ずかしいの?」

「違う。そこまで親しくない人とそういうことはしたくないだけ」

「それひどくない!?」

 不満を漏らす七瀬だが、いつまでも相手にするのは面倒なので僕はスルーした。

 公園の掃除は終わったんだし、さっさと学校に戻るか。

 満杯になったゴミ袋は、校門の前にいる教師たちに届けたら捨てておいてくれるらしい。

「二人ともご苦労さん」

 が体操服のズボンのポケットに手を突っ込んだまま、偉そうにやってきた。

 だが、彼のそばあやがおらず、さっきまで座っていたベンチにも彼女は見当たらない。

「その……綾瀬は?」

さきか。あいつはその……」

 阿久津はどこか気まずそうに言葉を濁す。……ん? なんだ?

「なるほど。女の子の日だね」

 七瀬が人差し指をピシッと立てて名推理を披露する。あぁ、そういうことか。

「ちげーよ! トイレに行っただけだ!」

 阿久津が顔を赤くしながら必死に否定した。

 どうやら七瀬の名推理は大外れだったみたい。

 というか、トイレだったら普通に言えばいいのに。一応、綾瀬に気を遣ったのだろうか。

「ったく、変人め」

「阿久津くん、ありがと!」

「褒めてねぇんだよ」

 なながふざけていると、が鋭い視線を飛ばす。

 頼むからしょうもないことで空気を悪くしないでくれ。

「まあいい。それよりもお前らゴミ袋ちゃんと処理しておけよ」

「えっ、う、うん……」

 阿久津の言葉に、僕は当然のようにうなずいた。

 最初からそのつもりだったし……と思っていたんだけど、

「何言ってんの。掃除は私ときりたにくんがやったんだから、後始末くらい阿久津くんとさきでやりなよ」

 七瀬は手に持ったゴミ袋を阿久津に向かって差し出す。

 本当に懲りないなぁ。何を言ったって無駄なのに……。

「やるわけねーだろ。ゴミ運びなんてだるいし」

「私と桐谷くんもだるいんだけど」

 真剣に訴える七瀬に、阿久津は怒りを通り越して面倒くさそうに肩をすくめた。

「うっせーな。とにかく俺も咲も運ばねーから」

「……ふーん。あっそ」

 阿久津の言葉に対して、とうとう七瀬が言い返さなくなった。

 いい加減、彼女も諦めたんだろうか。

 まあこれ以上、阿久津に突っかかっても良いことは起こらないだろうし。

 これが正しい選択だと思う。


「とりゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 やっと七瀬がまともな判断をしてくれたと思っていたら、彼女は自身が持っていたゴミ袋をそのまま阿久津に目掛けてぶん投げた。

 至近距離で放たれたゴミ袋は、なんと阿久津の急所にクリティカルヒット。

 ゴミ袋の中身はペットボトルや空き缶なので、かなり痛いはずだ。

 ……って、何やってんの!?

「い、いってぇ……!?」

 倒れ込んだ阿久津は顔をゆがませてそうつぶやいていた。

 どうやら七瀬のゴミ袋は、彼の大切な部分にダメージを与えてしまったみたい。

 うわぁ、痛そう……。

「な、何すんだお前……」

「あのね、バスケ部のエースだかキャプテンだか知らないけど、ちょっと顔が良くてスポーツできるからって調子に乗らないで!」

 依然、倒れているを、ななは見下ろしながら言い放った。

 それから彼女はこちらを向いて、

きりたにくん、それ貸して」

 僕が持っているゴミ袋を指さした。

「えっ、なんで……」

「良いから良いから」

 僕の手からゴミ袋を取ると、七瀬はそれを阿久津のそばに置いた。

 おいおい、七瀬のやつは正気なのか。

「阿久津くん、ゴミ袋よろしくね!」

 二つのゴミ袋の近くでうずくまっている阿久津に、七瀬はニコッと笑いかける。

 すると、まだ動けない阿久津はものすごい形相で、

「七瀬、お前覚えてろよ……」

「ごめんね~! 私忘れっぽいから!」

 七瀬は両手を合わせて、ムカつくテヘペロ顔を披露する。

 この状況でよくそんなことできるな……。

「桐谷くん! ほら行こ!」

「えっ、行こって……?」

「学校に戻ろってこと!」

「で、でも……」

「早く早く!」

 七瀬は僕の手をつかんで、そのままグイグイと引っ張っていく。

「ちょ、ちょっと!?」

 声を掛けても七瀬は一切止まろうとしない。

 まだ数日しか関わっていないものの、彼女に対しては少し野蛮な印象を抱いていた。

 しかし、僕のことを連れていく彼女の手は白くて小さくて、こう言ったらあれだけどちゃんと女の子の手をしていた。

 おかげで今まで異性と手をつないだことすらない僕の鼓動は情けないくらい高鳴る。

 一方、七瀬は阿久津に一泡吹かせられたのがうれしかったのか、瞳をきらめかせながら前を進んでいた。

 やっぱり彼女と関わるとロクなことが起こらない。

 そう思いつつも、前へ前へと突き進む彼女の後ろ姿が、だかほんの少しだけカッコよく思えてしまった。


  ◇◇◇


「いやぁ~さっきのくんの顔は傑作だったね」

 公園を出てからしばったあと。

 僕たちはいつも登下校時に通る、せいらん高校まで続く桜並木の道を歩いていた。

「傑作だったね、じゃないよ。ななのせいで僕も阿久津に目をつけられたかもしれないんだけど」

「良かったね!」

「適当に返事しないでくれる? 全然良くないから」

 僕は大きくため息をつく。

「あのさ、前から思ってたんだけど、どうして君は僕に絡んでくるの?」

「絡んでって言い方ひどいなぁ。ただ私は隣の席の子と仲良くなろうとしてるだけだよ」

 七瀬はそう返してきたけど、本当にそうなんだろうか。まあ彼女は普段から初対面の人にもグイグイ絡んでいるし、あり得ない話でもないけど……。

「じゃあもう一ついていい?」

「なになに? そんなに私のこと気になるの?」

「ならもう訊かない」

「やだなぁ、ちょっとした冗談だよ! なんでも訊いて!」

 七瀬は笑みを浮かべながら、胸に手を当てる。

 まったく。いちいち無駄なやり取りを増やさないで欲しい。

「君はさ、いつも自分が思っていることをそのまま行動に移すみたいだけど、他人のこととか自分の立場とか考えたりしないの?」

 たちばなの件も今日の件も、七瀬はいつもその場の空気とか読まずに行動している。

 そのせいで僕は結構なとばっちりを受けている。

 今日のボランティアとか特にそう。阿久津の機嫌を損ねた僕は明日から彼のパシリになっているかもしれないわけで……。

「公園で掃除してる時も似たようなこと言ったけど、自分の気持ちに素直にならないと色々窮屈になって苦しいでしょ」

「それはそうだけど、時にはその場の空気に合わせることだって必要じゃないの?」

「私はそうは思わない」

 僕の問いに、七瀬はきっぱりと言った。

「だって、自分が正しいって思ってることを曲げてまで他人に合わせる必要なんてないよ」

「そ、それは……」

「それにいつも自分らしく生きていた方が絶対に人生面白いでしょ!」

 一切曇りのないれいな笑みを浮かべて、ななはそう言った。

 僕は何も言葉が出なかった。

 彼女が言ったことが正しいとそう思ってしまったからだ。

 ただ正しいことばかりしていてもくいかないのが世の中なわけで……。

「……はぁ、やっぱり七瀬は問題児だ」

きりたにくん、丸聞こえなんだけど」

 ジト目を向けてくる七瀬を見て、僕は小さく息をついた。

 今後も七瀬レナに振り回されるだろうな、と何となくそんな予感がした。


  ◇◇◇


 ボランティア行事の日から数日がった。

 僕はに目をつけられて彼の下僕にでもなるんじゃないかと思っていたけど、意外とそうはならなかった。

 理由は簡単で、僕よりも七瀬にヘイトが向かっていたからだ。

 ただし阿久津と顔を合わせるとガンを飛ばされるので、なるべく近寄らないようにしている。

 ところで、ボランティアに行った際にしゆういちからもらえる予定だったゲーム、バトルステージ6だけど、修一が持っていたのはまさかのバトルステージ3で僕が欲しいゲームじゃなかったんだ。一応貰っといたけど、全然いらなかった。

 あの日、僕は何のためにボランティア行事に参加したんだか……。

「お兄ちゃん! もうすぐ始まるよ!」

 不意に僕の妹──ももが声を掛けてきた。

 実は今日は休日で、僕は桃花と一緒に演劇を見るために自宅の最寄り駅近くの劇場ホールに来ていた。客席は1000席くらいで中規模程度。

 本来は桃花が友達と来る予定だったらしいけど、その友達に用事が出来てしまって代わりに兄の僕が桃花に付き合うことになったんだ。

 本当は家でゴロゴロだらだらしていたかったんだけど、妹からどうしてもと頼まれて仕方がなくここまで来ている。母親からの視線も痛かったし……。

「で、今日やる劇はどんなやつなの?」

「えーとね『メイドの名推理』っていうタイトルだよ。ミステリーものだと思う」

 桃花はパンフレットを開きながら説明してくれる。

 僕の妹は小説だったり映画だったり演劇だったり、そういうたぐいのものを見るのが趣味なんだ。ゆえにこうやって兄が妹の趣味に付き合うことも結構ある。

 付き合うというか、いつも強引に付き合わされているだけなんだけど……。

「演劇とか見るなら、漫画も読めばいいのに」

「ううん、だって私バトルとかよくわからないし」

 漫画のジャンルはバトルだけじゃないんだよなぁ……。

 そんなことを思っていたら、不意にブザーが響いて会場が暗転する。

 そろそろ演劇が始まるみたいだ。

 幸運なことに僕とももの席は最前列。目の前で役者の演技を楽しむことができる。

「お兄ちゃん! 楽しみだね!」

「そ、そうだね……」

 おかげで隣の桃花の瞳がキラキラしていた。

 それから舞台にのみ照明が当てられて、幕がゆっくりと開いていく。

 すると、屋敷のようなセットと女性が二人現れた。

 一人は二十代くらいの女性でメイド姿。

 そして、もう一人も同じようにメイド服を着ていたのだが──。

「……っ!」

 彼女を見た瞬間、僕はきようがくした。

「ちょっとお兄ちゃん、口が開きっ放しになってるよ。恥ずかしいからめて」

 桃花から注意が入るけど、そりゃ開いた口も塞がらなくなる。

 だって舞台の上には、学内で一番の有名人であり、数々のやらかしをしてきた問題児──ななレナがいたのだから。

 ……何やってんだ、あいつ。


  ◇◇◇


「しかし、驚いたなぁ」

 翌日の昼休み。僕は購買で買ったたまごサンドを食べながらつぶやいた。

 桃花と演劇を見に行ってから、興味本位であれこれと調べてみると、どうやら七瀬レナは僕たちが見た劇団──『ゆうなぎ』に所属する役者らしい。

 ネット上の情報によると『夕凪』は五年前に発足したばかりの劇団で、主に僕らが住んでる地域で活動をしている。

 発足当時から徐々に人気を伸ばし、いま注目されている劇団だとか。

 団員も十代~四十代の男女が合わせて四十名ほどいるみたい。

『夕凪』の公式サイトに記載されているプロフィールによると、七瀬は高校に入学する少し前に劇団に入ったとのこと。

「まさかあのななが役者だなんて」

 正直、全然そうは見えない。

 むしろ普段の姿を見てたら演技なんてできるの?って感じだ。

 でも、実際に彼女の演技をこの目で見たけど、めっちゃかった……と思う。

 演技のことはよくわからないけど、少なくとも他の演者と全く遜色なかった。

「あいつってすごいやつだったんだなぁ」

 つぶやきながら、僕はたまごサンドをぱくり。

 いま僕は一人で昼食をとっている。しゆういちと一緒に食べたりすることもあるけど、彼はだいたい彼女と一緒にいるので、僕は基本的に昼休みは一人のことが多い。

 というか修一に誘われても、なるべく断るようにしている。

 こんな学校にもきちんと通ってないやつのせいで、友達の恋愛を邪魔したくないからな。

 ……で、一人なことはいつも通りなんだけど、昼食をとっている場所に問題があった。

 普段は教室の自分の席で食べているし、なんなら高校生活の昼休みの九割くらいは自分の席で過ごしてきた。

 なのに僕はいませいらん高校の本校舎とは別にある旧校舎の空き教室で昼食をとっている。

 しかも、そこそこ古い建物だけあって、どこからか風が入ってきて微妙に寒い。

 そんなだからか、ここには基本誰も来ない。

「……はぁ、やっぱりここ寒いな」

 たまごサンドを食べ進めながら、ぼやいた。

 僕が旧校舎でお昼を過ごしている理由は、だ。

 ボランティア行事の日以来、直接何かされているわけじゃないけど、教室にいると時々こっちをにらんできて、かなりこわい。

 特に昼休みは阿久津も教室でクラスメイトの男子たちと昼食をとっているので、気まずいったらありゃしない。

 だから、僕はこんな陰気な場所まで避難してきたんだ。

 卒業まで昼休みはずっとここか……。

 まあ学校には最低限しか来ないし、これくらい我慢できるだろう。

「しかしこの教室。なんでこんなに本ばっか置いてあるんだ?」

 室内をぐるりと見回すと、本棚や机の上に大量の本が並べられていたり積まれていたりしている。ジャンルは小説だったり雑誌だったり様々だ。

「ん? これは……」

 大量の本がある中で、ふと一冊に目が留まった。

 それは演技に関する本だった。何で演技の本?

 なんて思っていたら、不意に扉が開いた。

 だ、誰だ……?

 驚いて振り返ると、

「あれ? きりたにくん?」

 空き教室に入って来たのは、なんとななだった。彼女はお弁当箱を持っており、今日も今日とてトレードマークの白のパーカーをブラウスの上から着ていた。

「七瀬、どうしてここに……?」

「それはこっちのセリフだよ。どうして君がここにいるの?」

「僕はその……まあ色々あって」

 教室にがいて気まずい、みたいなことを言うと、発端を作った七瀬が気にするかもしれないので、一応、言葉を濁した。

「で、七瀬はなんでここにいるの?」

「私? 私はここでお昼食べるから」

 そう言いつつ、七瀬は僕の隣の席に座ると、お弁当箱の包みの結び目をほどいていく。

 さらっと隣の席に座ってきたな。まあ別に良いけど……。

「いつもここでお昼食べてるの?」

「うん。一年の時から昼休みはだいたいここで過ごしてる」

「一年の時からって……もしかしてここの部屋にある物って全部七瀬の私物?」

「そうだよ~」

 僕がたずねると、七瀬は何か問題でも? みたいなトーンで返事をしてきた。

「ここ誰も使わないし、自分の部屋にしてるの」

「どんな発想だよ」

 空き教室とはいえ、学校の教室を勝手に自分の部屋にするやつなんてどこを探しても、七瀬しかいないだろう。彼女らしいと言えば彼女らしいのかもしれないけど。

「あっ、そういえばさ、昨日見に来てたよね?」

「え? 急に何の話?」

「だから昨日見に来てたでしょ? 私がいる劇団の演劇」

 唐突な話題に、僕は一瞬、どう返答しようかと悩む。

 七瀬が隠したいことだったら知らないフリでもしておこうかと思ったけど、本人がオープンにしてきたんだから、特に気にする必要はないか。

「まあそうだけど……って、気づいてたの?」

「君は最前列にいたからね。割とすぐに気づいたよ」

「そ、そっか……」

 僕も舞台に出てきた七瀬に一発で気づいたからな。

 彼女の方も僕に気づいても全然おかしくはない。

「もしかしてきりたにくんって演劇とか好きなの?」

「ううん。昨日は妹に誘われて付いてっただけ。妹がそういうの好きだから」

「桐谷くんって妹いるんだ! いなぁ~私もお兄ちゃんとか妹とか欲しいなぁ~」

 ななは羨ましそうな瞳でこちらを見てくる。

 どうやら彼女には兄妹きようだいがいないっぽい。

 妹がいる身としては兄妹なんていてもあんまり良いことないと思うけど。

 うちの妹なんて毎日学校に行けって言ってくるし……。

「それで、クラスメイトは七瀬が役者だってことは知ってるの?」

「たぶん知らないと思うよ。特に隠してるわけじゃないけど、校内でも知ってる人はほとんどいないんじゃないかな」

「えっ、そうなの?」

「うん。劇団に入ったのは高校に入学するちょっと前くらいだけど、昨日みたいにちゃんとした役で舞台に出れるようになったのは最近だから」

「そうなんだ……」

 七瀬も苦労してるんだなぁ、と思っていたら、不意に彼女は何かを思い出したかのように「あっ!」と声を上げた。

「ねぇねぇ! 私の演技どうだった?」

 期待に満ちたまなしでたずねてくる七瀬。

 これは褒めて欲しいってことか? いやまあ実際すごかったけど……。

「そ、その……演技のこととかよくわからないけどかったと思うよ」

「ほんと!」

 グイッと顔を近づけてくる七瀬。

 ちょっ、近い近い。

「ほ、本当だって」

「そっかぁ~それはうれしいな!」

 七瀬はニコニコしてご機嫌になっている。

 褒められたことがよっぽど嬉しかったっぽい。

「でも正直びっくりした。まさか七瀬が役者だったなんて」

「そんな大したもんじゃないけどね。ただ入っている劇団の演劇に出してもらってるだけ」

「それでもすごいと思うけど……七瀬はもっと有名になりたいってこと?」

 訊ねると、七瀬は少し思案するような表情を浮かべる。

 そして、彼女は僕の方を向いてじーっと見つめて、


「実は私ね、ハリウッド女優になるのが夢なの」


 真剣な表情でそう伝えてきた。

 急に出てきた予想外の言葉に、僕は一瞬返事に詰まった。

「ハリウッド女優って、また大きく出たね」

「そうかな? でも夢は大きければ大きいほど人生を豊かにしてくれるって、どっかの何かの本に書いてたよ」

「それどんな本かじんもわかんないんだけど……」

 まあわかったとしても百パー読まないだろうけど。

「そういやこの部屋にやたら本があるけど、これってななの夢と関係あるの?」

 周りにある本に目をやりつつたずねると、七瀬はこくりとうなずいた。

「昼休みとか劇団の稽古がない放課後とかに、この教室に来ては一人で演技の練習をしたり、感性を広げるために小説を読んだりしてるの」

 七瀬の話を聞いたあと、僕は何となく近くの机の上に置かれていた数冊の本から適当に一冊手に取ってみる。それは恋愛小説だった。

 中身をさらっと読んでみると、僕は驚いた。

 その小説には、登場人物のやり取りを実際に演じるならどんな演技をすれば良いかという考察が細かくページにびっしりと書かれていた。

 たぶんこれは七瀬が記したもので、おそらくこの部屋にある本全てに書かれているんだと思う。それだけで、彼女が夢に対してどれだけ本気なのかわかった。

真面目まじめにハリウッド女優になるつもりなんだ」

「まさか冗談で言ってると思ってたの? ひどいよきりたにくん」

 七瀬はぷんすかと怒っている。

 冗談とまでは思ってなかったけど、まさかあそこまで本気とも思っていなかった。

「あのさ、桐谷くんは将来の夢とかないの?」

 不意に七瀬から質問を投げられた。

「どうした急に」

「だって私が夢のこと話したから流れ的に今度は桐谷くんの番かなって」

「そんな余計な気遣いいらないんだけど」

 いつもは自分が思った通りに突き進むくせに……。

「それで桐谷くんの夢ってなにかな?」

「夢って……高校生にもなって夢とかないだろ」

 僕も幼稚園や小学校の頃までは夢があった。

 ……けれど、色々と物分かりが良くなった今では夢なんて持ってない。

「どうせ夢なんて持っていてもかなわないことの方が多いし」

 そうつぶやいたあと、すぐに僕は自らの失言に気づく。

「ご、ごめん……」

「謝らなくていいよ。きりたにくんが言ってることは本当のことだし」

 ななはそう言うけど、真剣に夢をかなえようとしている人の前であり得ない発言をしてしまった。……はぁ、今すぐ死にたい気分だ。

「たしかに夢は叶わないことの方が多いけど、でもね、夢を持っているといつもありのままの自分でいられるんだよ」

「ありのままの自分……?」

「要するに、自分らしくいられるってこと!」

 七瀬はきっぱりと断言した。

 夢を持つと自分らしくいられる、か。

 だから、彼女はいつも他人のことや自分の立場などを気にせずに、己の思うがままに行動できるのだろうか。

「あっそうだ、桐谷くん。ちょっと君に頼みたいことがあるんだけど」

「頼みたいこと? 嫌だけど」

「ちょっと、内容を聞く前に断らないでよ」

 七瀬から勢いよくツッコミを入れられた。

 だって彼女からの頼み事とかロクなことじゃなさそう。

「じゃあ一応、聞くだけ聞くけど……頼み事ってなに?」

 僕は恐る恐るたずねる。

「さっき私はこの空き教室で、一人で練習したりしてるって言ったでしょ?」

「うん、言ったね」

「でもね、一人だとやっぱり練習にはなるけど上達が遅いというかやりづらいというか、そんな感じなの」

「……まあ演劇って一人でやるものじゃないからね」

「だから、桐谷くんには今後、私の練習に付き合ってもらいたいな~って。具体的には私が演じる役以外の登場人物のセリフを言って欲しいの。お願いできるかな?」

 七瀬は両手を合わせて、お願いポーズを取ってくる。

 でも、僕はきっぱりとこう言ってやった。

「嫌だね」

「……ごめん。なんか聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」

「えっ、だから嫌だって──」

「うーん、また聞こえなかったな。もう一回──」

「絶対に聞こえてるよね!?」

「あっ、いま協力するって言ってくれた?」

「言ってないし! 勝手にねつぞうするな!」

 まったく。彼女は何としても僕を練習に付き合わせる気なのか。

「……僕、教室に戻っていい?」

「ス、ストップ! ちょっと待った! もう一回だけ話をさせて!」

 席を立つと、必死に引き止められた。

「ふざけてるように見えるかもしれないけど、私は本気でハリウッド女優目指してるの」

「別にふざけてるとは思ってないけど……」

 この教室にある本の量だったり、さっき見た本への書き込みの量だったりでななが夢にいかに本気かは理解した。

「だからお願い! 私の練習に付き合ってください!」

「協力って僕じゃないとダメなの? 友達は?」

「私にはファンはそこそこいるけど、友達はちょっとね……」

 そこで言葉が途切れた。

 気軽に頼み事をできるような親しい友達はいないってことなんだろう。

 無理もないか。彼女は校内で有名なトラブルメーカーなんだし。

「……わかった。僕で良かったら協力する」

「いいの! やった!」

 七瀬はうれしそうにガッツポーズをする。

 正直、断っても良かったんだけど、ここまで必死になってる人に簡単にノーとは言えなかった。

「その代わり、僕が登校する日だけね。僕は単位取れる最低限しか学校に来ないから」

「全然それでいいよ! ……でもそっか。きりたにくんって無計画に学校サボってるわけじゃないんだね」

「サボってる言うな」

 反論すると、七瀬にクスクスと笑われた。全く失礼なやつだ。

 そう思っていると、不意に七瀬から手を握られた。

 そのせいで僕の心拍数は一気に上昇する。

「これからよろしくね! 期待してるよ桐谷くん!」

「う、うん……何に期待してるのかわかんないけど」

 そう返してから、僕はすぐに彼女から離れた。

 唐突なボディタッチはマジでめて欲しい。心臓に悪いから。

 こうして僕は七瀬の演技の練習に付き合うことになった。


 正直、いつもの僕だったら断ってたところなんだけど、この時は不思議と真剣に夢を抱いているななに協力するのも悪くないと思ったんだ。

 でも、これがきっかけで僕の人生が大きく変わるなんて、当時は思ってもいなかった。


  ◆◆◆


「良かった。きりたにくんに協力してもらえて」

 場所は変わらず、旧校舎の空き教室。

 昼食を食べ終えた私は『メイドの名推理』の台本を読みながらつぶやいた。

 いまは台本を確認しつつ、昨日の反省をしているところだ。

 ちなみに昼食を食べ終わった桐谷くんは、先に教室に戻っていった。

 色々と話し過ぎて今日のお昼休みの時間はないから、桐谷くんには明日以降、演技の練習に協力してもらうことにした。

「桐谷くんって、どんな演技するんだろうなぁ」

 こう言っちゃあれだけど、あんまりくはなさそうだよね。

 小学生の時の学習発表会とか、ほとんどしやべらない木とか草とかそんな役やってそうだし。

 本人に確かめてないけど、絶対そうでしょ。

「くすっ、木の役やってる桐谷くんを想像してたら、面白くて笑えてきちゃった」

 想像した感じ、結構似合ってるし。あとなかなか可愛かわいいかも。

「でも桐谷くん、意外とすんなり協力してくれたなぁ」

 ほんとはもっと渋られるかと思ってたんだけど。

 桐谷くんって、素っ気ない感じするけど結構優しいよね。

 彼が初めて登校してきて、さきと少し派手に言い合ってたたかれそうになった時は私を助けてくれたし。

 何にしても、桐谷くんに演技の練習を手伝ってもらえることになって本当に良かったよ。

 もちろん、私の演技の練習の質を高めるためっていうのもあるけど、彼に練習の協力をお願いした理由はそれだけじゃない。

 彼と関わり始めて一週間ちょっとって、改めて思ったんだ。


 やっぱり桐谷くんは『彼女』に似ているなって。


 このままだと、桐谷くんはいつかきっと後悔することになると思う。

 だから私は一週間、できる限り桐谷くんと関わるようにして、彼が『彼女』と同じ道を歩まないように行動してきた。

 きりたにくんに私らしい部分を見せつけることによって。

 ……でも、残念ながら桐谷くんにはあまり変化が見られなかった。

 そこで私は桐谷くんに演技の練習に付き合ってもらうことで、彼との時間を増やすことにしたの。

 これが桐谷くんに演技の練習に付き合ってもらうことをお願いした、もう一つの理由。

 演技をしている時の私が一番私らしくいられるから、そこをちゃんと見ていて欲しい。

 桐谷くんが『彼女』のようになってしまわないように。

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