4 私は君を歓迎してる
数日後の日曜日──
僕は横浜駅近くの
山手は豪邸が建ち並ぶ、いわゆる高級住宅街だ。
我が灰瀬家のタワマンからも、たいして遠くない。
昔は外国人居留地で、今でも異国情緒溢れる光景があちこちで見られる。
その山手の一角に、白河家の豪邸はあった。
二階建て、ぐんにゃりとした曲線で構成されたオシャレなデザインで、一階には大きなガレージ、二階には広いベランダがあり、屋上まであるみたいでフェンスで囲まれている。
苗字に合わせたわけではないだろうが、全体は上品なホワイトを基調にしている。
確かに武家屋敷でも洋館でもないが、庶民がドン引きするレベルの〝豪邸〟じゃないか。
「……けっこうなお宅ですね」
「私は使用人ですので。灰瀬様に敬語を使われると困ってしまいます」
答えたのは、先日も会った男物スーツ姿の付き人さんだ。
彼女に家まで迎えに来てもらい、こうして午前十一時に白河家を訪ねてる。
「でも、年上の人にタメ口は利きづらいですよ」
「慣れてください」
身も蓋もない人だった。
このお嬢様お付きの美女は
おそらく、二十代前半で十歳は離れてないだろうが、タメ口はちょっと……。
「まあ、いいか。じゃあ、名前だけはさん付けするよ、御空さん」
「小生意気な──切り替えの早い方ですね」
「まあね。最近、環境の激変がエグくて高い順応性が求められてるんで」
いちいち細かいことを気にしていられない。
今日は高難度のクエストが待ち受けているのだし。
「白河が10LDKとか言ってたけど、ホントはもっと大きいんじゃない?」
「正面にあるのが本邸で、裏手には別邸もあります。本邸は確かに10LDKです」
「別邸……」
要するに、離れみたいなものか。
同じ敷地内に二つも家を建てる必要性がわからないが、考えても無駄だろうな。
御空さんに先導されて立派な門をくぐり、アプローチを通って玄関ドアを開けてもらう。
ここから先は一人で、ということらしく、僕だけ玄関に入ると──
「譲くん、ようこそ!」
「いらっしゃい、譲くん。どうぞ楽にしてね」
「…………」
僕は、玄関ホールに立っていた大人二人に、深々と頭を下げる。
あらためて言うまでもないが、本日の用件は白河家のお宅訪問。
そして、白河のご両親へのご挨拶だ。
白河家はこの豪邸を見てもわかるとおり、とんでもないお金持ちらしいが、あっさりと訪問のアポが取れてしまった。
白河の親父さんは、豊かな髪をオールバックにしている。
かなり白髪まじりだけど、顔を見る限りは割と若そうだ。
母親は長い黒髪を後ろで結び、顔つきは整っていてこちらも若そう。
二人とも、ごくおとなしいファッションで、特に高級ブランドって感じではない。
いや、外見の話よりも──
なぜ、白河のご両親はニコニコと機嫌がよさそうなんだろう?
「白亜は今、支度をしてるから。とりあえずリビングのほうへどうぞ」
「は、はい。お邪魔します」
親父さんに促され、僕は靴を脱いで上がる。
最近は見なくなってきたアルコールディスペンサーがあり、きちんと消毒する。
僕は割と綺麗好きなので、こういうものが玄関に用意されている家は好ましい。
同じく用意されていたスリッパをはいて長い廊下を進む。
ただ、やっぱり気になる……おかしい……。
僕はこう見えて、庶子。隠し子。婚姻外の子供だ。
一方、この夫婦は古くからの名家である白河家のご当主とその奥様。
現在でも多額の資産を持ち、〝白河グループ〟とかいうたいそうな名前の組織のトップに立っているらしい。これらは母からの情報。
そんな高貴な方々が、僕のような庶民に和やかに接してくるのは不思議だ……。
白河の両親が浮かべている笑みや優しげなオーラは、芝居とは思えない。
僕は失礼な誤解をしていただろうか……?
「どうぞどうぞ、座ってくれ」
「……失礼します」
また親父さんに促され、僕はソファに座った。
身体が沈み込みそうなほど、ふかふかのソファだった。
白河家のリビングは、三〇畳ほどもあるだろうか?
新たな我が家のリビングも広いと思ってたけど、上には上がいるらしい。
家具や家電も高級そうだが、それでいて落ち着いた生活感がある。
未だにタワマンに慣れない、にわか上流階級の灰瀬家とはまったく違うようだ。
「はじめまして、灰瀬譲です。よろしくお願いします」
「はは、堅苦しいね。親戚のおじさんだとでも思ってくれよ。実際、天条寺家とは多少の血縁がないでもないからね」
「え、そうなんですか?」
僕に知らされてないこと、多すぎない?
「何代も前の話だけどね。ウチの家系は、複雑に入り組んでいて。昔から外国の血も入ってるんだよ。白亜の祖母は北欧系だしね」
「ああ、なるほど……」
白河は珍しい髪の色をしてるけど、隔世遺伝とかだろうか。
「あなた、血縁の話なんて若い方には退屈ですよ」
「そうか、私も緊張してるな。ウチでこんな若い男の子をお迎えするのは初めてでね」
ははは、と親父さんは困ったように笑っている。
名家の当主とか企業グループのトップって感じじゃない。
確かに、〝親戚のおじさん〟って印象だな……僕が失礼な誤解をしていたようだ。
「ふぇー……ねっむい~……ママぁ、ホットミルクちょうだい~」
恐ろしく寝ぼけた声とともに、リビングに入ってきたのは──
ぼさぼさの髪に、ダブダブのトレーナー。
そのトレーナーには、毛筆のような文字でデカデカと〝負け犬〟とプリントされている。
下ははいておらず、大きめのトレーナーの裾から白い太ももが丸見えだ。
「……おはよう、白河」
「んぇ? なぁんでぇはいしぇが……灰瀬ぇっ!?」
一瞬、髪が逆立ったかと錯覚する勢いで、白河が驚きの声を上げた。
「そ、そうだった……灰瀬が来るんだった……!」
「僕が行くって言ったときに喜んだ記憶は飛んだのか?」
「こんな恥ずい格好見られるとか……もうお嫁に行けない……!」
「許嫁じゃなかったっけ?」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
白河は、脱兎の如き勢いでリビングから出て行った。
「ぎゃー、御空! ぷりーずへるぷみー!」
「だから、もっと早めに起こすと言ったじゃないですか」
どこからか、白河と御空さんが言い合ってる声が聞こえてくる。
白河家の朝は、慌ただしいようだな……そろそろ昼だが。
「はは、悪いんだが、譲くん。少し待ってやってもらえるかな」
「あと、あの子のために見なかったことにしてくれると助かるわ」
「……はい」
優しいご両親がいてよかったな、白河。
「ただ、今のうちに訊いておこうかな」
「え?」
「譲くん、白亜によると君のほうからウチに挨拶に来たいと言ったそうだね? 私が言うのもなんだが、君の立場だと許嫁云々には戸惑ったんじゃないか?」
「……もちろん戸惑ってます」
嘘をついても仕方ないので、はっきりと答える。
「でも、白河──白亜さんはこの話を受け入れてるようでしたし、母にも話が通っているのなら、僕もご挨拶くらいはしておこうと思いまして」
「ごもっともだね」
「というのは建前で、どこまで本気の話なのか偵察に来ました」
「ははっ、偵察か。これはいい!」
白河の父親は、膝を打って笑っていて、母親のほうもくすくすと上品に微笑んでいる。
「いや、本当だよ。君をからかってるとか、仮の話とか建前だけとかそういういい加減な話でもない。何事もなければ、白亜と君は結婚することになるだろうね」
「なるほど……勇気を出して来てよかったです」
これで、白河の思い込みだとか、なにかの行き違いだとか、そういう可能性が消えた。
実際、間違いなく、白河白亜は灰瀬譲の許嫁なのだ。
「勇気を出さなくても、いつでも気楽に来てくれていいよ」
「ありがとうございます。実は、白河家を訪ねても死ぬことはないだろう、って気持ちで来ました」
「おいおい、まず白河家への偏見を解いてもらったほうがいいな」
という感じで、白河の両親とも少しは打ち解けられたようだ。
死ぬことはないだろう、という気持ちで来たのは冗談じゃないんだが。
それから、待つこと一〇分ほど──
「いらっしゃい、灰瀬」
「……こんにちは」
リビングに入ってきた白河は、まるで別人だった。
色素の薄い髪は綺麗に整えられ、もちろん私服姿だ。
丈の短いイエローのワンピースの上に、白いカーディガンを羽織っている。
キラキラしたお嬢様のオーラを放っていて、学校で見る姿とも違う。
一〇分であのナマケモノをここまで変身させるとは、御空さんは有能だな。
「こんにちは、なんて他人行儀な。わたしと灰瀬の仲でしょ?」
「こ……そうだな」
危ない、いつもの減らず口を叩くところだった。
さすがに親の前で「ここのお嬢さんは虚言癖がありますね」なんて言えない。
「パパ、ママ、こいつ今、『ここのお嬢さんは虚言癖があるね』って言いかけたよ」
「なんでわかったんだ!?」
「語るに落ちるとはこのことだよ、灰瀬」
「…………」
もう少し、減らず口を控えるようにしよう。
「白亜、お客さんに失礼なことを言わないように。ああ、ちょうどお昼だし、食事しながら話そうか、譲くん」
「あ、ちょうど来ましたよ」
チャイムが鳴り、母親のほうが立ち上がった。
リビングから出て行ったかと思うと、すぐに戻ってきた。
「ピザを取ってみたんです。譲くん、ピザは好きかしら?」
「あ、はい。好きです」
母親は確かに、ピザの大きな箱を抱えていた。二段重ねになっている。
「実は一応、譲くんのお母様から茄子ときゅうり以外ならなんでも食べると聞いてるのだけどね」
「うっ、母がそんなことを……」
ウチの母が、白河家と連絡を取り合っていることは知っている。
そんなごく細かい個人情報までダダ漏れとは思わなかったけどな。
「灰瀬、お子様だね。茄子もきゅうりも美味しいのに。お漬物も食べないの?」
「そもそも、漬物自体が苦手かなあ……」
茄子ときゅうり以外なら、漬物もなんとか食べられるんだけど。
僕が子供舌なのは認めよう。
「こらこら、白亜。人の好き嫌いを責めてはいけないよ。誰にだって苦手なものはある。白亜だってキャビアが苦手じゃないか」
「イクラはいけるんだよ、イクラは。黒い見た目が苦手なんだよ」
「…………」
僕なんて、自分がキャビアが食べられるかどうかすらわからんよ?
とりあえず、ピザが冷める前に食べることになった。
二枚のピザはそれぞれハーフアンドハーフで、四つの味が楽しめる。
テリヤキチキンにシーフード、マルゲリータに厚切りベーコンのピザだった。
コーラをグラスに注ぎ、リビングのテーブルを囲んで食事がスタートする。
「うーんっ、美味しっ♡ イタリア料理屋のピザとは全然違うなあ!」
「僕はそっちを食べたことないかな……」
サイゼのピザなら何度も食べてるけど、それも別なんだろうな。
「でも、白河さんの家でもこういうジャンクなもの食べるんですね」
「おーい、灰瀬。お金持ちが毎日、フランス料理とか京懐石とか食べてると思ってる?」
「そこまでイメージ乏しくはないけどさ」
まさか、こんな豪華なリビングで見慣れたピザを食べるとは思わなかった。
「いやでも、美味しいな、このピザ。ボリュームもあるし」
「そうですね、あなた。定期的に食べるのもいいかもしれません」
白河夫妻もニコニコとご満悦みたいだ。
僕への態度といい、ジャンクなピザも普通に楽しんでいることといい、やっぱり想像とは違う人たちみたいだ。
Lサイズのピザ二枚は、あっさり四人のお腹に収まってしまった。
僕はそんなに大食いではないし、ご両親も控えめだったが──
「ああ、お腹いっぱい。あ、でもデザートは別腹かなー」
白河は、ちらちらと両親に思わせぶりな視線を送ってる。
この心配になるほどスリムな同級生は、次元を超越した胃をお持ちのようだ。
「そうだね、今日くらいはいいだろう。お母さん、なにかデザートはあったかな?」
「もちろん用意してありますよ。例のプリンがあります」
「ええっ、例のヤツがあるの!?」
どんなヤツだよ。
ご両親は、かなり娘を甘やかしているらしい。
白河のわがままな性格形成の一端を見た気分だ。
「じゃ、わたしの部屋で食べよっか、灰瀬。同級生女子の部屋、見ずに帰れないよね?」
「いや、僕は人ん家を覗いて回る趣味は……」
「決まりね。あ、ママ、プリンもらうからね」
白河はキッチンのほうへ行って、プリンを二つ持ってくると。
僕を手招きして、先に立って歩き出した。
ご両親に頭を下げ、僕は白河に続いてリビングを出た。
気は進まないが、同級生女子の部屋──興味がないと言ったら嘘になる。
白河は、トントンと足音を立てて階段を上っていく。
僕は上を──スカートの中を見ないように、階段を上がる。
二階もかなり広いようで、廊下にはいくつかドアが並んでいる。
「ここ、ここ。ここが白亜さんルームその1だよ」
「その2があるんかい」
「え? 寝室とクローゼットは別でしょ?」
「……そうですね」
今のは、ボケじゃなかったらしい。
寝室はともかく、クローゼットが独立してるのは信じがたいが、マジなんだろうな。
「ああ、そのクローゼットに〝負け犬〟トレーナーがあるわけか」
「その件だけは言うな」
お嬢様から厳命が下された。
「あれは単なるわたしの面白衣装コレクションで! いつもは、もっとセクシーな寝間着で寝てるから! ネグリジェとかベビードールとか!」
「その必死アピール、誰が得するんだよ……」
たとえ事実だとしても、中学生がそんなエロいもん着て寝るなよ。
「というか、僕が白河の部屋に入っていいわけ?」
白亜さんルームのドアは開いているが、踏み込んでいいものか迷う。
「一階にパパママがいて、襲いかかる度胸はないでしょ?」
「家にいなくても襲わないけどな……というか、警備の人とかいるのか?」
「御空、ボディガードでもあるんだよね。クラヴマガの達人だよ」
「珍しいもの極めてるなあ……」
僕のように、ネットで無駄に雑学をためこんだタイプは知ってる。
クラヴマガはイスラエルの軍隊で編み出された格闘技で、最近はフィットネスの一つとしても広まっているらしい。
「いいから入って。面倒くさいの、嫌いだから。猛スピード、猛スピードっ」
「白河はいろいろすっ飛ばしすぎだと思う……」
抵抗は無駄そうなので、僕は白亜さんルームに侵入する。
「なんだ、意外と普通の部屋だな」
「あんまり物置かないしね、わたし」
そのとおり、白河の部屋は落ち着いた印象だ。
広いことは広いが、二〇畳もないくらいだろうか?
白いカーペットが敷かれ、木のデスクと椅子、クラシックなドレッサー。
スチールのデスクもあり、ピンクのiMacが載っている。
それに、壁際にはぎっしり文庫本が詰まった大きな本棚。
ホームズのシリーズひと揃い、アガサ・クリスティにスティーブン・キングなどのミステリーやホラー、それに海外SFも並んでいる。
「割とメジャー好みなんだな」
「評価が高いものだけ読んでるからね」
「意外と手堅い性格なんだな」
白河が小説を読んでるだけでも意外性があるのに、他人の評価を気にするのもあまり似合わない。
「というか、いきなり遠慮なく女子の部屋を眺め回すじゃん」
「そういえば、そうだな。全然緊張してないかも」
「わたし、もしかして灰瀬に舐められてる? これでも学校じゃ人気の女子なのに」
「自分で言うなよ」
確かに、美人のご令嬢が多い真道でも白河の美貌はズバ抜けている。
中二とは思えないスタイルといい、校内でも目立つ存在だ。
白河との出会い(再会?)から今日のお宅訪問までの数日で、そのことは充分に思い知った。
男子はもちろん、女子まで白河を女神でも崇めるかのように熱っぽい目で見つめてる。
「白河さんの許嫁なんですね……大変ですよ、灰瀬くん。女子だって白河さんをお嫁さんにしたい子、多いですからね」
なんてことを、委員長姉が真顔で言ってたっけ。
白河が全校放送で許嫁の件を公表してくれたおかげで、僕もすっかり有名人だ。
大変、というのは委員長の婉曲表現で、「周りからの嫉妬に気をつけろ」という警告らしい。
そんな憧れの存在の家を訪問して、自室にまでご招待されてるなんて。
夢のようというか、夢だったらよかったのに。
「あ、そうだ、灰瀬、これこれ」
「ん? あー、なんだっけ。前に流行った……」
クリームホワイトのクッションが部屋の壁際にドンと置かれてる。
ふわふわと柔らかそうな、ビーズクッションだった。
かなりビッグサイズで、ベッドとしても使えそうなくらいだ。
「人をダメにするクッション。いろいろ試したけど、これが一番なんだよ」
「白河、そんなにダメになりたいのか?」
「わたしの周り、なかなかダメになってくれるヤツがいなくて」
「僕ならご期待に添えると?」
無礼な話だが、堕落への誘惑に勝てるかと言われると怪しい。
「ちょっと寝てみて、寝てみて」
「はぁ……」
普段から白河が寝転んでると思うと、気が引けるが……。
「おっ、これは確かに……包み込まれるみたいな……」
「でしょっ。灰瀬、わかってくれてんじゃん」
「…………っ」
白河は、ぐいっと僕を横に押しのけるようにしてクッションに座ってきた。
寝転んでる僕の脇腹に、スカート越しのお尻が当たってるんだが?
クッションよりも柔らかくて、あったかい体温が生々しくて……。
「寝てよし、座ってよしなんだよね。すぐに眠くなっちゃうのが欠点かな」
「……寝室が無駄になってるな」
僕をからかってるんじゃなくて、無意識に距離近いのがヤバいな。
「白河、プリン、食べるんじゃなかったのか?」
「そうだった」
白河はプリンとスプーンを取って、同じようにクッションに座る。
離れてくれるかと思ったのに、またお尻が脇腹に当たってるし……。
「プリン、灰瀬の分も食べていいよね?」
「プリン取ったら、許嫁を解消させてもらう」
「そこまでのことなんだ!?」
もちろん冗談だが、白河は食い意地が張りすぎだろ。
ガラス瓶に入った高そうなプリンで、これは真面目に食べてみたい。
お尻の感触から意識を切り離すためにも、じっくり味わおう。
「あ、美味い。トロトロでなめらかな口当たりだな。カラメルの苦みもちょうどいいし」
「そんな食レポはいらん! 二つ食べたかった!」
「欲張りすぎだろ!」
そう言う白河も、僕を睨みつつプリンを少しずつ食べている。
さすがに満腹で、一気には食べられないんだろう。
「わたしは友達のデザートをためらいなく奪える、空気読めないJCだから」
「空気を読めないどころか、関係をブチ砕きかねないな」
それでも、白河は校内では大人気。
転校生という美味しいポジションにもかかわらず、目立たない僕とは大違いだ。
「ところで、ウチのパパママはどうだった?」
「いい人たちだな。白河のご両親とは思えない」
「遠回しにわたしを悪い子だと言ってる件について」
ぎろり、と睨まれるが僕は気にしない。
少なくとも良い子ではないだろ、僕を振り回してるんだから。今もまさに。
僕はプリンを食べ終え、ガラス瓶をひとまず床に置いて。
「でも、白河のご両親はなんというか……普通だったな。僕とギスギスしないまでも、もっと緊迫感あるかと思ってた」
「さっき、ピザが出たでしょ?」
「うん? ああ、それも意外だったかも」
「普通の料理が出たのは、『無理して上流階級に入ってこなくていい』って意味だよ」
「……無駄な動きのないご両親だな」
たかがピザ、されどピザ。ちゃんと意味があったのか。
「わたしも両親の遺伝子を受け継いで、抜け目はないから要注意だよ」
「白河、無駄が多い気がするが。今も別に同じクッションに座らなくても……」
「え? だって、ふわふわを一緒に──って、あっ!」
すすっ、と白河が微妙にお尻を僕の脇腹から離していく。
「こ、このクッション、二人用でもイケるから。灰瀬が変なこと考えなければ」
「……僕は一人用がいいかな」
「え? そ、それって結婚したらダブルベッドじゃなくて、ベッド二つがいいって話?」
「話が飛びすぎだろ!」
許嫁の話もまだ咀嚼しきれてないのに!
白河は顔を赤くして、こちらも食べ終えたガラス瓶を床に置くと。
「ごろごろ」
「な、なんだよ」
白河が擬音を口に出しながら、クッションの上で一回転。
肩で僕の身体をぐいぐいと押してくる。
「別に。なんでもないよ」
「なんでもありそうなんだが……」
僕をクッションから落とそうとしてるのか、無意味にジャレてるのか。
どちらにしても──
「……やっぱり、白河は距離を詰めるのが早すぎないか?」
「早くても嫌がられることって、あまりないから」
「…………」
そうだったな、十人の経験がお有りなんでしたね。
この部屋に、その十人はやってきたんだろうか?
僕はただの十一人目であり、十二人目までの繋ぎなんじゃないだろうか?
「下にはパパとママがいるけど、ちょっとくらいなら……いいんじゃない?」
「そ、それは早すぎだろ……」
「お? 早すぎって、どこまでおっけーだと思ってたのかな、灰瀬は?」
「…………」
白河がクッションに手をついて、ずいっと顔を近づけてくる。
濃いまつげと、信じられないくらいつるつるした頬が目につく。
見た目は二〇歳くらいなのに、お肌は十四歳。いや、まだ十三歳だったか。
白河白亜は、大人と子供の良いとこ取りのような魅力を持っている。
「ねえねえ、どこまで?」
「……しつこいな」
白河はニヤニヤと笑い、その唇がさらに近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待っ──」
「なんてね。キスされると思った?」
「……猛スピードなんだろ?」
僕がそう言うと、白河はくすりと笑ってすっと顔を離した。
それでもまだ充分すぎるほど近く、つややかな唇もはっきり見える。
「わたしは許嫁だけど、キスはまだダメ」
「……結婚するまでは清いお付き合いって?」
どうも、さっきから僕は負け惜しみのようなことを言いすぎてる。
別になにかに負けたわけでもなんでもないのに。
「キスはダメ、としか言ってないよ。うん、まあ……まだ、キス以外もダメってことにしたいけど」
「…………」
さっ、と白河が顔を背けてぼそぼそと独り言みたいにつぶやいた。
なんなんだ、僕をからかったと思ったら、今度は赤くなってる。
どうも、白河白亜はいろんな意味で情緒不安定すぎる。
「とにかく!」
「わっ」
「この白亜さんとキスしたいなら──わたしを許嫁から花嫁にしないとね」
「猛スピードに付き合ってたら、どこかでぶつかって白河もろとも僕まで事故りそうだ」
「それでもいいじゃん」
「…………」
全然よくないと思う。
僕は事故は嫌いだし、事故って死ぬのはもっと嫌いだから。
しかし、僕は今日は本当になにをしに来たんだか……。
収穫と言えば、キスしちゃダメだと判明したくらいじゃないか。
逆に言うと──白河が許嫁から花嫁に変われば、僕はこの唇にキスできるわけだけど。
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試し読みは以上です。
続きは2023年3月25日(土)発売
『僕らの春は稲妻のように』でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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