第一章 魔王城は不思議がいっぱいです!(1)
聖アーフィル王国――聖王都ハイレム。
数多くの冒険者ギルドが存在し、聖アーフィル王国内では駆け出しの冒険者が最も多い。なぜなら凶暴な魔物のほとんどは王都聖騎士団によって討伐され、周囲に生息する魔物は駆け出しでも倒せるものばかりだからだ。
そのため冒険者からは『はじまりの街』と称されていた。
しかし聖王都ハイレムにはベテランの冒険者も多い。
その理由はアーフィル王国第一王女にあった。
「先ほどの冒険者は活気あふれる潔い若者であったな、ミルよ」
王の玉座に座る聖アーフィル国王はふわっとカールした白髭を指で触りながら、隣の姫の玉座に座るミルに話しかけた。
「はい、お父様。私も冒険の話を聞いていてわくわくしました」
両手を合わせ黄色く笑う女の子は聖アーフィル王国の第一王女――ミル=アーフィリア。
大きな深紅の玉座に不釣り合いほど小柄で、幼い顔立ちをしている。その幼さゆえか、白を基調とした荘厳な法衣はぶかぶかでまるで似合っていない。
国王陛下は、にこりと微笑み返し、
「いつ聞いても冒険の話は良いものであるな。まるで物語の一遍を聞いているようだ」
「私も本当に剣を握り、魔物とにらめっこしているかのように感じました。外にはいろんな魔物がいるんですね」
「うむ、この王都周辺ではゴブリンやコボルトくらいしかおらぬが、ここより遥か西――魔王城にほど近き場所には山のような火竜がいるとも聞くな」
「山のような竜!?」
がたっ、とミルは身を乗り出す。
「しかも火を吐くというらしくてな。いやいや近場に生息してなくて助かっ――」
「火を吐く山のような竜!? すごいすごい! 会ってみたい!」
我慢しきれなくなって、ミルは立ち上がって胸の前で拳をぎゅっと握りしめていた。
「これこれ、落ち着けミルよ。王都周辺にはおらんから会えるものではないぞ」
「うーん来ないかなぁ……火を吐く山のような竜……」
ゆっくりと玉座に腰を下ろし、頭の中で竜を妄想する。厚い皮膚に大きな鱗。大きな体躯にしっぽが長くて、巨大な口からは牙が生えており、岩をも切り裂く巨大な爪。そんな情報だけしかないから姿を妄想するしかできない。
童話や神話の中でしか聞いたことのない竜。存在していることは書物で知っていたが、実物を見たことはおそらく王都の騎士たちでもないのではないか。
「はっはっは、王都で見かけたら災厄と怖れられるであろうな。しかし魔物に会いたいからと言って、城を抜け出すのは許されんぞ?」
人差し指を立て、忠告する国王陛下の言い分はもっともだ。仮に王女が外で魔物と対峙し、ケガでもしたら一大事だ。
外に興味を持たないおしとやかで慎ましい性格の王女ならそもそもそんな忠告はいらないのだが、ミルは少し違った。
「でも護衛を付けてなら少しくらい外で魔物さんに会ってもいいですか?」
行けるなら外に行きたい。冒険者の話を聞くだけじゃなくて実際に好奇心を掻き立てられるような冒険をしてみたいとミルは思っていた。
「いやならんぞ。護衛を付けたとて万が一がある。わしのかわいい娘がケガなんてしたらもう……外は危険だ。絶対行ってはならんぞ。いいな?」
こんなおろおろする国王陛下を見ていたら、無理に城を脱走してまで冒険をしたくなくなってくる。
けどいつかは――と思いつつ、
「はい、わかっています」
と笑顔を返した。
山のような火吹き竜どころか、ミルはまだゴブリンやコボルトといった下位魔物にすら会ったことはない。ミルにとって『魔物』というのは冒険者の話や物語に出てくる登場人物の一人でしかなかった。
「うむ」と力強く頷いた国王陛下。ミルの素直な反応をもらったからか、嬉しそうだった。
「お父様、今日のお勤めは今の冒険者で最後なんですか?」
「ふむ……後二組み残っているな。次はまだ新米の冒険者で今の自分の『適正』を見てもらいたいらしい」
「わかりました。呼んでください」
「うむ」と返事をした国王陛下は近衛兵に指示を飛ばす。
ほどなくして、正面の大扉が音を立てて開き、一人の冒険者の男が姿を現す。
ミルと同じくらい――十五歳か十六歳くらいの若い男性だ。傷一つないレザーアーマー。腰にはぴかぴかのブロードソード。誰の目から見ても今日デビューしたばかりの新人冒険者の出で立ちだった。
ガチガチに緊張しているのか、かくかくとした動きで赤い絨毯の一歩一歩進み、王と王女の御前へと向かおうとする。
「あっ……」
と何もないところで躓き新人冒険者の男は転びかけていた。
ミルはその様子を見て、「大丈夫。緊張しなくていいんですよ」と微笑みかけた。
「も、申し訳ございません!」と謝った新米冒険者はやがて王たちから離れた位置に来るとその場に跪いた。
「それでは名を申してみよ」
「は、はいっ! 北部ローラワンド出身、ランド=ユリシーズと、も、申します! ほ、本日は国王陛下ならびに聖王女様にお、お目通りが叶い、恐悦至極にご、ございますっ」
声が上擦りながらもおそらく何度も練習したであろう口上を述べていく新人冒険者。とても初々しくミルにはどこか羨ましくも思えた。
(さてと……)
姫の玉座から悠然と立ち上がり、ミルは冒険者に向けて手をかざす。
名前:ランド レベル:1 HP:42 MP8
ちから:15 みのまもり:10
かしこさ:5 きようさ:31
すばやさ:21 うん:12
スキル:なし
ミルの眼前に文字と数値の羅列が載ったウィンドウが現れた。そのウィンドウはミル以外の人が覗き見ることもできない。
冒険者の名前、そしてその者が持つ潜在能力、スキルなどが全て記されていた。
もっと能力を知りたければ、さらに手をかざし続ければ知ることができるが、まだ新米の冒険者ではこれ以上の情報は得られないだろう。
ミルは手を下ろし、
「器用さが高くていいですね。すばやさもすごいです」
さらにスキルのところに触れると追加のウィンドウが現れ『鍵開けスキル適正あり』と出てきた。
「鍵開けスキルの適正がありますね」
「あ……親が鍵開け師でして、子供の頃から見様見真似で鍵を開けていたからでしょうかね……」
ははは、と恥ずかしそうに新米冒険者が後ろ頭を掻いていた。
「それはすごい才能ですっ。シーフで登録するとパーティに引っ張りだこですよ!」
これが毎日のように冒険者が玉座の間に訪れる理由だ。
聖王女ミルには他人の持つ潜在能力を見ることができる。
『女神の巫女』
信仰心の篤い高位の神官にのみ発現させることができる能力だ。男の場合は『女神の神官』と言われる。
ただ信仰心が篤いだけではその力を得ることはできない。北部ローラワンド地方にそびえる霊山に十年以上の年月をかけ、心身が打ちのめされるような禁欲と修行を課した者のみが得られる能力だ。それでも資質がなければそもそも発現しない。
何十万もの神官の内、能力を得られるのは一人か二人と言われている。
女神の巫女となった者は他人の潜在能力を見ることができる――『女神の瞳』と呼ばれる能力を得る。
ただミルは他の神官とは少し違った。
物心がついた時から『女神の巫女』たる能力を有していた。父からは女神に愛された人間と言われ、国中からもてはやされる結果となった。
単に『女神の瞳』を持っていたからだけではない。
『女神の瞳』の能力は冒険者のレベルが一定を超えると見えなくなる上に、スキル、得意技能は一切見られない。
本来なら上限や制限が存在するのだが、ミルにはその上限、制限が今のところない。他の神官では見られなかった潜在能力をミルなら容易く見ることができたのだ。
そのため新米冒険者がこれからどの技能を極めるのか、という指針になり、ベテラン冒険者にとってはどの強さの魔物までなら倒せるかという情報にもなる。
――女神の巫女の力はそれだけではなかった。
「あ、ありがとうございます。聖王女さま」
深々とお礼をする新米冒険者にミルはさらに、
「よろしければ『スキルの開花』もお手伝いしましょうか?」
「え、していただけるのですか?」
「もちろん」
女神の巫女にはもう一つ力がある。『女神の祝福』と呼ばれる潜在能力の解放――つまりスキルの開花だ。
例えば片手剣で一定の経験を積んだ剣士が槍のスキルを習得する際、『女神の祝福』を使うことですぐにスキルを習得することができる。つまり初心者と違って早く上達できるようになる。
ミルはゆっくりと玉座から立ちあがる。
両手をかかげ、口を開いた。
「女神の祝福――ガッデスブルーム」
両手から発された淡い光が新米冒険者の上空へと飛んでいく。その光が人の形を成したかと思うと、白い翼が生えた。
「おお……天使だ」「久しぶりに見た、ミルさまの女神の祝福」
その場にいた近衛兵たちが空を浮かぶ光の人――天使を見上げおのおの呟いていた。
その天使がゆっくりと新米冒険者を包み込む。一瞬激しく発光したかと思うと、次の瞬間には光が淡い粒子となって霧散していった。
「これであなたは鍵開けのスキルを獲得したはず。もしまだ開けたことのない鍵があれば試してみてください。最初から構造を知っていたかのようにすんなり開くでしょう」
「さすが聖王女さま……あ、ありがとうございます」
再びお礼をする新米冒険者。
同時に近衛兵たちも「あの力って確かミル様しか使えないんだったよな」「この前なんかわざわざ隣国から何日もかけて開花してもらいにきた冒険者もいたくらいだしな」ひそひそと話していた。
「あはは……」
とミルは少々困り顔になってしまう。
確かに冒険者の能力を見ることができる『女神の瞳』の力を持つ神官は存在するが、『女神の祝福』を使える神官をミルは聞いたことがない。歴史書には何百年か前に存在していたらしいが、現在はミルしか使えない天性の能力だ。
隣の国王が「うおっほん」と仰々しく咳払いをして近衛兵たちはぴたっと黙った。
続けて国王は「他に申し上げたいことはあるか?」と訊ねる。
「い、いえ。自分の進むべき道に迷いは晴れました。か、感謝いたします」
緊張は抜け切れていないが、新米冒険者ははっきりと言葉を口にした。
「うむ、なら下がるがよい――次の者を連れてまいれ」
失礼しました、と新米冒険者は最後まで緊張した面持ちで玉座の間を後にした。
――代わりに入ってきたのは白銀の鎧を身にまとった若い男だった。おそらくギルドでは前衛として登録しているのだろう、その証拠に大盾と大剣を背負っていた。
柔和な顔立ちで落ち着いた雰囲気を醸し出している。先ほどの新米冒険者とは打って変わって、慣れた足取りでゆっくりと御前に近づいてきた。
ざわ……と周囲に控える近衛兵たちが小声で騒ぎだす。耳の良いミルはその言葉が聞こえてしまう。
「……おい、あれ、北の地の英雄だぜ。ほら一年前の……」「ああ、百体のオーガの侵攻を一人で食い止めたっていうあれか」
どうやら近衛兵たちは大盾を背負ったこの冒険者のことを知っているようだ。最初は小さかったざわつきが次第に大きくなる。見かねたのか、国王陛下はわざとらしく「ごほん」と咳払いをすると、スッと近衛兵たちは静かになった。
大盾の冒険者が跪き、胸に手を当てる。
「此度は拝謁を賜り、心より感謝いたします」
言葉の端々から心の余裕と敬意とが感じられる。おそらく冒険者として諸外国を回り、謁見にも慣れているのだろう。
熟練の冒険者というものだ。ミルもこうして『女神の巫女』の力を使って冒険者を見るようになって何年か経つが、熟練の冒険者に会ったのは数えるほどしかない。
大盾の冒険者が名前を言ってから、「ではミルよ」と国王陛下から促された。
ミルはこくりと頷いてから、手をかざす。
眼前に冒険者の能力値が浮かび上がってきた。
名前:ルード レベル:42 HP:565 MP:235
ちから:245 みのまもり:285
かしこさ:159 きようさ:147
すばやさ:12 うん:58
パッシブスキル:大盾適正(大)片手剣適正(大)大剣適正(大)斧適正(大)槍適正(小)大鎧軽量化、毒耐性(大)炎属性耐性(大)氷属性耐性(大)雷属性耐性(大)戦闘意欲、窮地、ガード性能(大)ガーディアン、ラーニング、etc……
アクティブスキル:シールドバッシュ、シールドアクティベイト、守勢の構え、魔法剣、回転斬、大地斬、狂乱の咆哮、スラッシュエンド、etc……
得意技能:大盾、小盾、大剣、片手剣、斧、鍵開け、神聖魔法、エンチャント魔法、炎属性魔法、氷属性魔法、複合魔法、etc……
「すごい……」
思わず呟いてしまう。
見たことのないスキルが山のようにウィンドウ上に移し出された。全ては入りきらず、いくつかは二枚目のウィンドウに表示されている。
冒険者がスキルを極めるには、そのスキルに該当するものを使い続けるしかない。例えば大盾スキルは長い月日も大盾を使い続けることで取得でき、毒耐性などは、魔物が使う毒を受け続けなければならない。
(こんなにスキルを手にするのにどれくらいかかったのかな……)
ミルはついついウィンドウに移し出された文字に触れ、スキル詳細を眺める。
『ラーニング……スキル取得が早くなる
ガーディアン……盾を構えている間、属性耐性を付与する
スラッシュエンド……大剣、片手剣を振るうことで衝撃波を発生させる』
好奇心から次々と無言でスキルを見ていってしまう。その様子を眺めていた国王陛下は沈黙に耐えかねたのか口を開いた。
「ミルよ、どうした? 彼の能力は見られたのか?」
「あ……すみません。問題ないです。今、写し絵をとりますので紙を」
傍に控えていた近衛兵から数枚の白紙を受け取り、ゆっくりと手を紙に押し当てる。
すると、眼前に現れていた冒険者のスキルや能力値がそのまま紙に写し出された。
これも『女神の巫女』の能力の一つだ。見た能力をそのまま紙に写し出すことができる。以前にも『女神の巫女』の力を使って能力を見てもらったことがあったなら、今回の能力と比較して、自分がどれだけ成長したのか窺い知ることもできる。
これだけ成熟した冒険者にはミルの助言は必要ない。今までもこうして能力を写した紙を手渡したことは何度かあった。
「これを」とミルは写し終わった紙を近衛兵に手渡す。受け取った紙を近衛兵は冒険者に渡した。
「『女神の巫女』のお力、感謝いたします」スッと立ちあがり、「もし何かお困りごとがございましたら、御申しつけくださいませ。しばらくは王都に駐留いたしますので」
「うむ、その時は頼むとしよう。他に申したいことがなければ下がってよいぞ」
特になかったらしく、「ではこれにて失礼いたします」と再び頭を下げ、謁見の間から出て行った。
「ふぅ……」
姫の玉座にミルは深く腰掛けた。
今ので今日最後の冒険者だ。朝から謁見を初めてもう夕方だ。窓の外には朱色に染まった陽が地平線に落ちかけていた。
「む……ミルよ、今日もご苦労であったな。疲れたか?」
国王陛下に言われ、ミルはハッとしてしまう。つい疲れが態度に出てしまっていた。
「ううん! すみませんお父様。まだまだ大丈夫です。いろいろな冒険者を見られて、今日も楽しめました」
精一杯の強がりを見せる。張っていた気を抜くのは謁見の間を出てからでよかった。
「そうか? もし体に不調を感じたなら遠慮なく言うのだぞ。お前に何かあったらわしだけでなくシェーラも心配するのだからな」
シェーラとは母上のことだ。国王陛下である父上同様、ミルのことを愛してくれている。
「それでお父様、来週のおでかけの件なんですけど……」
「街に行きたいと言っていたな。うむ……」
国王陛下は難しい顔をしていた。ミルが城の外に出ることに思うことがあるようだ。
「ダメ……ですか?」
「お前が行きたいというならできる限り叶えてやりたいとは思うが……それについて何か頼みがあるのか?」
「おでかけの時の護衛の件なんですけど……百人も付けるのは多すぎるんじゃないでしょうか、と」
来週、城下町に行ってお買い物をする予定なのだが、その際に国王陛下はミルの周囲に百人の近衛兵を付けると言ってきたのだ。その上人払いをし、厳戒態勢を敷くなどと言っていたりとにかく過保護なまでにミルを守ろうとしていた。
魔物がいるところに行くならまだしも、街に行くだけで百人は多すぎる。
「正直なところ足りないのではと思っておったのだが……もう百人ほど動員すべきと考えていたのだが……」
「あの……別に式典というわけでもないですし、そこまでしなくても……」
国内の情勢は安定していて、聖王都ハイレムは比較的に安全な街だ。国王陛下の心配はもっともだが、彼自身が外に出る時はその半数以下の護衛なのだ。
「いやいや国外からミルを狙う輩が現れないとも限らん。交通網を整備し一時的に入国を禁じる手段も……」
「そこまでしなくても大丈夫ですから」
昔からこうだ。廊下で転んだだけで国中から治癒魔法を使える神官を集めたり、ちょっとお城を探検しようとするだけでも数十人の護衛を付けたり――数えるだけできりがない。
「それと……おでかけで冒険者ギルドにも行ってみたいです。やっぱりいろんな冒険者を見てると我慢できないです」
「ミルよ。いつも言っているが……」
歯切れの悪い国王陛下の言葉。何度も言われたことだ。「王女なのだから冒険には行くな」と。
ミルは喉まで出かかった言葉をグッと飲み込み、
「わかっています、城を抜け出して冒険なんてそんな無責任なことできません。こうやって冒険者を見るのも楽しいんですから。ちょっとギルドが気になっただけです」
「ならよいが――お前に何かあったらと思うと――いやそれはさっき言ったな。では食事にするとしよう。それまで部屋で休んでおれ、時間になったら使いの者を遣わす」
と告げると、国王陛下は立ち上がり、軽い足取りで謁見の間を後にした。
(冒険か……)
しばらく部屋に戻らず、謁見の間の天井をぼぉっと見上げていた。
王女の身分、女神の巫女の力。
こんな自分が今日から冒険者になりますなんて言って、城を抜け出したら国王陛下は仰天して三日は寝込むかもしれない。
(やっぱり行きたいよ……)
重い足取りで自室へと戻っていった。