第一章 魔王城は不思議がいっぱいです!(2)
◇
国王陛下である父上と王妃である母上と一緒に食事をし、短い家族団らんの後は自室へと戻ってきていた。
自室は実に味気ない内装だ。広い部屋にポツンと置かれた天蓋付きダブルベッド。部屋の隅には樫の木の机に本棚が一つ。他に家具らしい家具はない質素な部屋だ。
別に何かが欲しいと願ったことはない。娯楽も――本棚にしまっている英雄譚や童話、騎士物語を読んでいたら十分に満たされる。
ミルは白く長いドレスを着て、窓際の縁に頬杖をついていた。
夜の帳が下りた真っ暗闇の空に、ぽつりぽつりと星が浮かんでいる。一際大きな星――天月から降り注ぐ月光がミルの周囲を仄かに照らしていた。
今日はいろいろな冒険者が来た。ほとんど毎日、冒険者を見てきていたが、新米冒険者と熟練冒険者が同時に来たのは数えるほどしかない。
もし自分が王族なんかではなく、女神の巫女なんて呼ばれなくて、街に住む一人の女の子として生まれていたら、冒険者としての道もあったのかもしれない。
今日来た熟練冒険者のように、近衛兵たちに噂されるくらいの冒険譚を遺したり、新米冒険者のように王族の前でガチガチになったり――そんな自分を想像して、くすりと笑う。
「山のような火吹き竜……百体のオーガ……」
ふと今日得た情報を基に妄想してみる。
――自分ならやはり片手剣か。あまり大きな防具は着けたくないな。魔力を込めた魔具とか身に着けたり、聖剣とか魔剣とか腰に帯びて強大な敵に立ち向かう。
もちろん自分は前衛職の剣士か魔法剣士。周りには魔法使いの女の子もいて、自分と同じ前衛職の剣士もいたり、エルフか獣人か、別種族の仲間もいて一緒に大きな敵と戦う。
そうして名を上げて、街の人たちから感謝されたり石像なんか作られたりしてー―。
「ふふふ、んふふ」
なんだかおかしくなって妄想が止まらない。
いつもミルが夜中、こうして空を見上げながらしていること。一日に聞いた冒険者の言葉を基に、自分も同じ冒険者になって妄想することだ。
自分なら巨大な魔物と対峙した時にどうするか、魔物が住まう洞窟に入ったらどうするか――これが毎日の楽しみだった。
ひとしきり妄想で遊んだミルは――。
「今日の分も書いておこっ」
と机から一冊の日記を取り出して窓際に持ってきた。
今日あった冒険者の話を基にして妄想を文字に起こした妄想冒険日記でもある。今さっき頭の中で巡らせた妄想を書き留めていく。もう三冊目である。
一通り書いてからパタンと本を閉じ――。
「…………はぁ」
小さく息を吐き、窓の縁にもたれかかった。
ミルが許されているのは頭の中で冒険することと、この窓から眼下に広がる城下街を眺めることだけだ。
それに今の自分の能力は――。
ゆっくりと自分の胸に手を当てる。
名前:ミル レベル:2 HP:48 MP:21
ちから:19 みのまもり:15
かしこさ:25 きようさ:16
すばやさ:13 うん:7
パッシブスキル:早期習得
アクティブスキル:炎属性魔法、氷属性魔法、雷属性魔法、治癒魔法
これでは城の外に出て魔物と対峙するとすぐにやられてしまう。
自分の能力が見られるから、いくつか能力を上げる行為を行ってみたことがある。例えばちからなんかは筋力に関係していると思ったから、一人で寝る前に筋トレをしてみたが、半年かかってようやくちからが2程度増えただけだった。
他にもレベルが2になっているのは、訓練場で城の兵に交ざって訓練したことがあるからだ。だがそれも結局半年以上毎日何時間かトレーニングしてようやく『2』になった程度。短期間で冒険者が2レベルになった人もいたから、おそらく魔物と戦った方が強くなるには早いのだと思う。
スキルも家事とか、語学、歴史の勉強とかをしてみたものの『スキル』としては反映されなかった。おそらくこの『女神の瞳』の力は冒険者のために女神アーフィルが人間に遣わせた能力なのだと思う。だから戦いに関係ない技能は表れない。
この表に示された能力を上げたいと思うなら、魔物と戦ってレベルを上げなければならないらしい。
――自分の体でいろいろ試したことがあるものの、この城の中でやれることをやってもすぐに限界になる。『早期習得』というスキルはどうやら先天的なスキルらしく、内容は『あらゆるスキルを通常よりも早く習得する』というものらしい。
それを使って城の書庫にあった魔導書をこっそり読んで各種属性魔法の基礎を知ることはできたが、応用魔法は無理だった。どうやらレベルを低いと頭で理解していても使うことはできないらしい。『女神の瞳』の力で習得条件を見てみたが、かしこさの数値が足りないと魔法は使えないらしい。
冒険して魔物を倒してレベルが上がればもっといろんなことができるのだが――。
「でもレベルが仮にあっても……」
はぁ、とまたため息を吐いてしまう。
レベルなんて関係ない。今、自分がこの窓から飛び出して外に冒険に行ったとして――。
「お父様が知ったら絶対、卒倒しちゃうよ」
その場で倒れて一週間以上寝込む姿が容易に想像できてしまう。なるべくミル自身の自由を尊重してくれてはいるが、危険なことが少しでも絡むと父上は許してくれない。
大切に想われているのは悪いことではないけど、もうちょっと過保護を直してほしい。ちょっと外におでかけするだけで大げさすぎるのだ。
冒険だって――。
……いや、多くを望んではいけない。
今の自分の生活だってとても恵まれた生活なんだ。城下には明日食べるパンもない人もいるのに、自分は何も不自由していない。
ぶんぶんと首を横に振り、
「……女神アーフィル様。申し訳ございません。私は多くのことを望んでしまいました」
王女として人の上に立つ者として節制の心は忘れてはいけないと父上に口をすっぱくして言われてきた。
ミルは夜空に向かって、両の手を合わせ女神アーフィルへの祈りをささげる。
今の自分があるだけで幸せ。そう思うべきだと――。
「聖王女ミル=アーフィリアとはお前のことか?」
その低い声音は外から降ってきた。
ハッと目を見開くと、窓の外――目と鼻の先に『人』が空に浮かんでいた。
いや、正確にはこの聖アーフィル王国に住む人とは違う。見た目は中肉中背の男で闇に溶け入りそうな礼服で身を包んでいる。その姿だけを見ると貴族の男と言って差し支えないが、明らかにそうでないと言える特徴があった。
背中には両腕を広げても足りないくらいコウモリのような大きな黒い翼、頭には逆巻く角がついている。
――魔族。
英雄譚で読んだことがある。翼と角を持った人型の生き物は『魔族』と称され、その中でも言語を話す者は上位魔族と言われている。
「誰……? 私のこと知っているの?」
ミルがゆっくりと後ずさりすると、魔族の男は翼を折りたたみ、部屋の中に入ってきた。
「ほう……意外と冷静だな。魔族を見て叫び声一つ上げんとは」
「やっぱり魔族……」
ミルが警戒していると、魔族派胸に手を当てて、頭を下げた。
「まずは突然の訪問を許してほしい。申し訳ないことをした。これ以外にここに来る方法がなかったものでね」
「私に用……なんだよね。ここに来たってことは」
「そうだな。ふむ、どこから説明するか……」
顎に手を当て、思案顔になる魔族。
魔族なんて種族に初めて会ったし、最初の印象は怖くてドキドキしたけど、案外紳士的な雰囲気で悪い魔族じゃないのかもしれない。
(衛兵とか、呼んだ方がいいのかな)
一応不法侵入者だし、魔族が王都に現れたなんて大事件だ。
でもその場合、城の兵たちはこの魔族の人を捕らえようとするだろうし、魔族の人だって抵抗してお互いにケガをしてしまうかもしれない。
ミルとしてはそんなことになってほしくない。魔族の人が城の兵や国を害そうとしないなら、何かお手伝いしてもいいと思っている。
「悪いが、説明は苦手でな。単刀直入に理由を述べさせてもらう」
魔族の人は「こほん」と咳払いをして、
「ミル=アーフィリア。君をさらいに来た。我が城まで来てもらおう」
「え……?」
さらう? 私を?
ミルはちょっと頭の思考が停止してから――。
「えっ、私をさらうって……誘拐って、ことなのかな?」
王女誘拐。これは大事件だ。それに城って……?
疑念が顔に出ていたのか、「おっと済まない」と謝ってから、魔族の人は応えた。
「我が名は魔王アルヴァン=ガーランド。我が城というのは我が魔王城のことだ」
「まおう……? え、魔王!?」
これは驚きだ。人の住む地域のさらに奥地にある王都まで忍び込めたのだから、よほどの高位魔族と思っていたが、最上位だった。
『東に王都、西に魔王城あり』とミルが読んだ英雄譚では常に記されていた。
ゴブリンやコボルトなどの知性が低い生き物を魔物。
人の姿に近く、人語を解する知性のある生き物を魔族。
その中でも魔王と言えば、魔族、魔物の全てを統治し、ひとたびタクトを振れば魔物の軍勢によって人の住まう地を襲わせることができるほどの影響力のある魔族。
もし冒険者のパーティが魔王を打ち倒すことができたのなら、聖アーフィル王国の歴史に刻まれるほどの英雄となるだろう。
「姫様? どうかなされましたか?」
部屋の扉の外からミルの侍女の声が聞こえてきた。物音か話し声が外に漏れていたようだ。
「人に知られると厄介だな。悪いが有無は言わせん」
「えっえっ! あれあれ」
魔王――アルヴァンが強引にミルを抱きかかえてきた。か弱いミルの力ではとても抵抗できない。
「姫様!? 誰かいるのですか!? 開けますよ!」強引に扉が開かれる。「姫様っ!?」
それとほぼ同時に、ミルを脇に抱えたアルヴァンが窓から外に飛び出した。大きな翼を羽ばたかせ、闇に包まれた大空へと飛び立つ。
「きゃっ」
突然の強烈な風が体を襲う。
おそらく侍女からは魔族にさらわれたミルがばっちりと見えたはずだ。明日には大事件になっているかもしれない。
「強引な手段になったな。どうだ? 怖いか?」
アルヴァンがそう問いかけてくる。
アルヴァンの小脇に抱えられたミル。全身に夜の冷たい空気が当たるのを感じる。
ミルの眼下には点々と明かりの漏れたレンガ造りの家が立ち並んでいる。城下をこうして上空から眺めたことはない。もしこの場でアルヴァンの気が変わり、手を離したらミルは無事では済まないだろう。
「悪いがしばらくは帰れんぞ。お前がいくら泣き叫んでも――」
「す……」
「なに?」
「すごい! 私、お空飛んでいるんだ!」
ミルは目を輝かせ、足をバタバタとさせた。
「外ってこんなに広かったんだ! うわぁ人がみんなちっちゃく見える! 通りの灯がすごい綺麗!」
率直な感想だった。今まで狭い窓から眺めることしかできなかった外の世界をこうして空から眺めている。
「怖くはないのか? この先どうなるか不安はないのか?」
「ドキドキはしてるけど、怖くはないかな。私、こんなに遠くまで来たのは初めて!」
胸の高揚が抑えきれない。さっきまで眼下に城下町が広がっていたのに、いつの間にか草原に変わっている。もう街の外の上空に出たようだ。
「変わっているな、人間は。いやお前がおかしいのか?」
「それはよくわからないけど……そういえば私、魔王城に連れていかれて何されるの?」
どうして自分だったのか。わざわざ遠方にある魔王城から人間の国までやってきたのにはミルを連れていく理由があったはずだ。
「わからないか? お前をさらう理由など他にないと思うがな」
「え?」
なんだろう。家事当番? お料理は得意だけど、魔族の人の口に合うかわからない。いやいやそれだと自分である理由はない。侍女の人の方が得意だし。
もしかして身代金とか? 王女を返してほしければ……とかそういうの?
(なんだろう……あっ! もしかして私を焼いて食べる……とか?)
「本気でわからないか? ふむ、人間は少し知能が足りないか……」
呆れたように首を振る魔王。ミルは彼の腕の中で縮こまって、
「うぅ……私は食べてもおいしくないよ……?」
「どうしてそういう発想になった。違う、我が欲しいのはお前の力だ」
「力……」
そう言われて合点がいった。
「女神の巫女――お前たちはそう呼ばれているのだろう?」
「私の力が欲しいの? けどあげるのは難しいかな」
「別に力そのものが欲しいわけではない。我が魔王軍には数多くの魔族がいる。それらを女神の巫女たるお前の力で見てもらいたいのだ」
「魔族って……どんなのがいるの?」
「我と同じデーモン族をはじめ、アルラウネ族、ラミア――低級魔族ならオークやトロルもいるな」
魔族にはいろいろな種類がいる。より知性が高く戦闘能力が高い魔族を高位魔族、知性が低くなるにつれ、中位、下位とランクが下がっていく。
「アルラウネ……ラミア……」
その名前を聞いて、ミルは小刻みに体を震わせる。
「恐ろしいか? だが心配はするなお前に危害を加えるようなことは――」
「すごい! 英雄譚で読んだ魔族だ! これから会えるんだ!」
「なに……?」
訝し気な声を上げるアルヴァン。無理もない。並みの冒険者なら魔族と対峙するというだけで恐怖が勝る。
だがこうしてアルヴァンに連れ去れているミルは魔族の名前を聞いて逆に歓喜していたのだ。
「お前という生き物がわからん」
「だって、ずっと妄想してたんだもん! どんな姿してるんだろうって。それが今から会えるなんて……うわぁ、楽しみ! アルラウネのツタってぬめってしてるって聞くし、ラミアの体ってどこから蛇でどこから人なのかな! トロルってホントに臭い!?」
「落ち着け。暴れるな。ますますわからん。人間は魔族を怖れるものではないのか?」
ミルにとって魔族に出会うことは物語の登場人物に出会うのと同義だ。ずっと文字でしか語られなかった魔族。その本物と出会うことができるのだ。
ミルの頭の中ではもうどんな風にグリーティングもらうか妄想し始めていた。
「はぁ、もう知らん。勝手にしていろ」
ため息交じりのアルヴァンをよそ眼に、ミルは「んふふ、んふふふふ」と体をくねらせるのだった。