四章 医者宿の夜③

「おまえ、シャル・フェン・シャル! 部屋に帰る気かよ!?」

 アンが駆け去ったのを見送ると、シャルはためいきをついた。そして自分も部屋に帰るために、ゆっくりと歩き出そうとした。その背中に、ミスリルがぎようてんしたように声をかけてきた。

 ふり返り、こたえた。

「帰る」

「やめとけって」

「帰ってなにが悪い」

「あんなこと言われて、アンはめちゃくちゃ傷ついて、泣いてるかもしれないぞ? へたしたら、暴れてるかも!? そんなところにのこのこ顔見せたら、きらわれるぞ」

「別に、かまわない」

「お、俺はいやだ。俺は今夜、この食堂で寝るぞ」

「好きにしろ」

 部屋に帰りながら、シャルは、ヒューの評価は正しいと感じていた。

 アンのつくったものを見て、シャルも同じように感じたからだ。

 そしておそらく、アン自身も。だから傷ついたのだろう。

 とびらを開けると、部屋の中は真っ暗だった。

 アンはベッドにもぐりこんで、毛布を頭からかぶって丸まっていた。

 シャルはアンのとなりのベッドにこしを下ろすと、丸まっている毛布をみつめた。

 まるで、みのむし

 ──リズ。

 その様子を見つめていると、ふと、思い出す。

 ──リズも、小さなころ……。すねて泣いて、よく毛布にくるまって丸まっていた。あれは、いくつの時だった? 九つか、とおか。それを過ぎると、そんなことしなくなった。

 改めて、目の前の蓑虫を見る。

 ──こいつは、十五歳!?

 アンは十五歳になっても、まだこんな幼さを残している。それが残っているのは、彼女の今までの十五年が、母親に守られて幸せだったからだろう。

 そう思うと、暖かいともしの残りを、見つけたような気分になる。

 大人だ成人だとわめいているアンが、十歳前後の子供と同じようなことをしている姿は、なんだか微笑ましい。くすくす、笑いだしてしまった。

 たんにアンが、身を起こした。

「なにがおかしいの!? 人が落ちこんでるのが、そんなに面白い!?」

 その目は真っ赤で、なみだがぎりぎりまでひとみの表面に盛りあがっていた。窓から射しこんでくる月光に、きらきら光る。涙を流すまいと、がんっているらしい。

 涙をまんして、くちびるんでうるうるしている顔が、またさらに子供っぽい。

 まずいと思ったが、ぷっときだしていた。あわてて、片手で口を押さえた。

「なによ! 人の顔見て、笑うわけ!? どうせ、わたしみたいなかかしは、みっともないだけよ。わたしが悲しみにくれて泣いていたって、その顔が面白いって。シャルみたいな綺麗な顔した人たちに、一生、あざ笑われるんだわ!」

 アンは叫んで、がばっと、顔をまくらに押しつけた。

 傷ついて大混乱しているらしいアンには申し訳なかったが、シャルの気分は、なぜかとてもおだやかだった。

 忘れていたなにかを、思い出せそうだった。

 シャルは立ちあがると、アンがしているベッドに腰かけた。

 ──そうだった。初めて会った頃のリズは、こんなかみの色だった。忘れていた。

 無意識に、シーツの上に広がったアンの髪をひとふさ、手に取っていた。

「一生、笑われることはない。人間は、俺たちとちがう。人間は、常に変わっていく……。おまえは、あと三年もてば、おどろくほど綺麗になってるはずだ。この髪も、色のうすい、綺麗なきんぱつに変わる。そのころには、誰もおまえをかかし呼ばわりしないはずだ。砂糖を作るうでまえも、変わっているはずだ。ヒューが言ったことは真実だが、気にする必要はない」

 アンはうたぐるように、枕から顔を、半分だけそろりと見せた。

「砂糖菓子作りは、もっと腕をみがくわ。絶対、上達してみせる。努力でなんとかなるものなら、なんとかする。けど、わたしが美人になるとか、見えすいたうそなぐさめなんか、いらないわ」

「噓じゃない。知ってる」

 シャルは掌にせた髪の房に、視線を落とした。

「俺が生まれたとき。最初に目にしたのは、人間の子供だった。五歳の女の子だ。こんな髪の色をしていた。俺はその女の子の視線があったから、生まれたらしかった」

 遠い昔の思い出。なぜか、口に出してみたくなった。それによって、なくしたものがよみがえるかもしれないというような、あわい希望のようなものがどこかにあった。

 シャルが語り始めたことに、アンは驚いたような顔をしていた。

「女の子はエリザベス……リズという名だった。貴族のむすめで、とくしゆな事情があって、世間からはなれて暮らしていた。幼かったし、世間知らずだった。リズは妖精を知らなかった。だから俺のことを、自分の兄だと、かんちがいしたらしい。自分のしきに俺を連れ帰って、俺をかくまった」

 アンは枕から顔をあげると、ベッドの上に座りなおした。

 シャルの手にあった髪の房が、その手を離れた。

 からになった掌を、シャルは軽くにぎった。握ったこぶしを見つめる。

「それから、ずっといつしよにいた。十五年経ったら、リズの髪は金髪になって、そばかすも消えて。綺麗な娘になっていた。だからわかる。おまえも、リズのように変わっていく」

「それで?」

 問われて、シャルは顔をあげた。

「それで、リズは。ずっとシャルと一緒にいたの? 今はどうしていないの?」

 目をせた。

 問われると、まだ、胸が痛む。もう百年も前のことなのに。

「死んだ……殺された。殺したのは、人間だ」

 その言葉に、アンはうつむいた。

 しばらくすると、シャルの拳にアンの手がそっとれた。

「ごめん……」

 アンが何に対して謝ったのかは、わからなかった。

 かなしい思い出を、シャルに語らせてしまったことへの謝罪か。

 それとも、同じ人間として、リズを殺してしまったという事実への謝罪か。

 ただ、彼女の心の温かさだけはわかった。

 シャルは軽く頭をふると、立ちあがった。拳から、アンの手がするりと離れた。

 余計なおしやべりをしてしまった。

「もうろ。かかし」

 背中しに、静かに言った。思い出は、思い出だった。甦ることはない。


   ◆  ◆  ◆


 翌朝アンが目覚めると、ヒューはすでに出発していた。夜明け前に出ていったらしい。しかし宿代は、ちゃんと彼がはらってくれていた。

 いったいヒューは、どんなじようの人間なのか。

 しかしその疑問を、あまり深く考えることもしなかった。

 さらにヒューに言われた言葉のしようげきも、ほとんど残っていなかった。

 それよりも。シャルが口にした彼の過去のだんぺんが、アンの胸には深くひびいていた。

 医者宿を出発し、その後三日間は、じゆうにもとうぞくにもおそわれることなく過ぎた。

 その間、となりに座るシャルの顔ばかり、ちらちら見ていた。

 シャルは、人間と友達にはなれないと言った。

 けれどシャルは生まれたときは、人間の女の子と心を通わせていたのだ。

 十五年も、一緒にいたと言った。アンが母親と過ごしたのと、同じだけの長い時間だ。

 シャルにとって、その女の子リズは、家族と同様だったかもしれない。それを、人間の手によってうばわれた。目を伏せたシャルのさみしげな表情に、胸が苦しくなった。

 もともと人間と心を通わせていたシャルの心をこおらせてしまったのは、人間なのだ。

 ──シャルの心をかす、ほうがあればいいのに。

 馬車を走らせながら、そんなことばかり考え、そして常にシャルの横顔を気にしていた。

 ブラディかいどうを走り始めて、七日目。夕日がしずむ前に、宿しゆくさいとうちやくできた。

 道程は、三分の二消化した。

 鉄の扉をおろして、三分の二の道のりが過ぎたことにほっとした。

 あと三日走れば、ブラディ街道をけられる。

 宿砦にはいると、早々に夕食をすませた。

 アンはまつなスープとりん。ジョナスの夕食は、変わらずぜいたくだった。

 道々ジョナスは、食べ物をアンに分けてくれようとした。だがアンは、それらをすべて断った。旅で、贅沢に慣れてしまうのは危険だ。何があるかわからない旅だから、食料はなるべくとっておいて、そして質素な食事に慣れることがかんじんだ。

 ジョナスはキャシーを連れて、すぐに荷台の中に引きあげた。

 ミスリルは「恩返しさせろ」と、さすがに喚かなくなっていた。しかし当たり前のような顔をして、昼間はぎよしやだいに座る。夜は荷台の屋根の上に草を集めたどこを作り、そこにもぐりこむ。今夜も彼はせっせと寝床を作り横になると、早々と寝息を立てている。

 ミスリルが満足するような恩返しを、アンはまだ思いつかない。思いつかない限り、彼はずっとひっついてくるだろう。ミスリルのキンキン声には、もう慣れた。慣れてみると、ミスリルの尊大さも可愛かわいくなってきたから不思議だった。

 アンはシャルとともに火を囲んで座り、ねむる準備をしていた。

 シャルは林檎をてのひらに載せて、食べていた。彼の掌に載る林檎は、少しずつ表面にしわが寄る。しぼみ、最後にはくしゃりとつぶれて、掌の上にわだかまり、溶ける。

 それがようせいの食事だ。何度見ても、不思議な感じがする。

「なんか今夜は冷えるね。秋も終わりに近づくと、さすがに寒い。シャル、寒くない?」

「俺たちは人間のように、寒さを感じない」

「へぇ、便利ね」

 答えた途端に、くしゃみが出た。やはり冷える。

 シャルが、ジョナスの眠る荷台をちらりと見ていた。

「おまえは、荷台の中で寝ないのか。あの男みたいに、暖かい場所で眠ればいい」

 アンは毛布を御者台の下から引っ張り出して運びながら、首をふった。

「ジョナスの荷台はなんのためにあるのか知らないけど、わたしの荷台は砂糖菓子を作るための作業場よ。神聖な場所なの。そんな場所に、眠れないわ。わたしもママも、荷台の中で眠ったことなんか一度もないの。冬は、わざわざ宿にまってた。ママのくちぐせはね、『砂糖菓子は聖なる食べ物。それをつくる場所も人も、けがれちゃならない』って」

 ほのおを見つめながら、シャルがこたえて言った。

「いい職人だったらしい。おまえの母親は」

 言われると、エマの顔を思い出した。とてつもなく、さびしい気持ちになった。

「うん。とってもね」

 その夜は、なかなか寝つけなかった。

 ──寂しいな。

 心の中に、あぶくのようなそんな気持ちが、ゆっくりといくかんでくる。

 ──シャルも、こんな気持ちなの?

 何度か寝返りを打ち、横になっているシャルの方へ視線を向ける。

 五、六歩のきよを置いて、シャルは横になっている。その距離をもっと、縮めたい。

 ──寝てる? それとも目を閉じて、何か考えてる? 話がしたい。

 手をばし、草の上に広がる彼の羽に触れたいしようどうられた。

 身を起こして、手を伸ばしかける。しかしためらいが強く、その手は止まる。

 ──寝込みに羽にさわったりしたら、なに言われるかわかったものじゃない。

 残った一枚の大切な羽を人間に触られるなど、シャルはげきしそうだ。

 ──シャルの心を溶かす魔法……。

 そのときふと、砂糖菓子のことを思い出した。

 作ってあげると約束しておきながら、ミスリルの出現で、すっかり忘れていた。

 寝られそうもないので、アンは起きあがった。

 ──約束の砂糖菓子を作ろう。

 甘い砂糖菓子が、少しでも、シャルの心を温かくしてくれればいい。

 荷台後方のとびらを開け、中にはいる。

 満月から少しだけ欠けた月の光が、窓からしこんでくる。それをたよりに、アンは石の冷たい作業台にそっと手をすべらせ、はかりを触り、整然と並べられた木べらをでる。

 ここにエマがいた。エマの手が触れたものたちが、ちんもくしている。

 せいじやくと一緒に耳からなにかが入りこみ、心を乱しそうだった。

 頭をふり、銀砂糖が入っているたるに向かう。

「ヒューに砂糖を作ってあげちゃったけど、銀砂糖の残りはじゆうぶんなはずよね。シャルにも、二、三個、作ってあげられるかな」

 つぶやきながら、樽のふたを開ける。

「あれ?」

 蓋を開けた樽の中には、確か、半分以上銀砂糖が残っていたと思っていた。

 しかし樽の中は、からだった。からの樽とちがえたのだろうか。

 そう思って、からと思いこんでいた樽の蓋を開ける。すると、その樽もからっぽだった。

「なん、で」

 アンはぼうぜんとした。どうが速くなる。

 次々と残りの樽を開ける。残りの三つには、ちゃんと銀砂糖がまっていた。

 五つの樽のうち、二つが、からだ。

 砂糖菓子品評会の作品をつくる材料だけが、そっくり、なくなっている。




   ◇  ◇  ◇


 続きは本編でお楽しみください。

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