第1話 友達が500円の借金のカタに妹をよこしてきた話(2)

    ◇◇◇


「ハッ!?」

「……? 先輩?」

 今見てたのは何? 走馬灯? いや、命の危機にひんしたわけじゃない。

 そ、そうだ。俺の家にやってきた女子高生の突拍子もない言葉に、俺は意識を吹っ飛ばされて……といってもものの数秒だろうけれど、でも、とにかく……。

「ええと、君」

「はい」

「宮前あかちゃん、だよね? 昴の妹さんの」

「……はいっ!」

 ほんのちょっとだけ間をけつつ、実に気持ちのいい満面の笑みでうなずく女子高生──朱莉ちゃん。

 そう、彼女は先ほどまでの走馬灯の中で出てきた親友──いや悪友、宮前昴の実の妹なのだ。

「その、朱莉ちゃん?」

「はい。なんでしょうか、先輩」

「聞き間違いだったらそれでいいんだけどさ。さっきその……なんか、借金のカタがどうって」

「聞き間違いじゃないですよ。私、兄の借金のカタとしてここに来たんです」

「あ、そう、へぇ、うーん……?」

 納得して、しやくしようとして、しかし、結局できずについ頭を押さえる俺。

 夏らしいセミの鳴き声が妙に頭に反響して聞こえる。そうだ、今はもう正午過ぎで、でも夏休みにかまけてみんむさぼっていた俺はまだ寝起きで、あれこれ考えるには、まだ頭に酸素が回ってなくて──

「とりあえず、上がる?」

「あ……はい! お邪魔しますっ!」

 とりあえずの応急策として、彼女を家に上げることにした。

 いや、だっていつまでも夏の炎天下に放っておくわけにもいかないし、部屋の前に女子高生を立たせておくなんて、ご近所さんに見られたらなんか変な誤解生みそうだし!

 いやいや、借金のカタとか言っている女子高生を部屋に招き入れるってのはすごい事案っぽい響きだけれど!!

 対する朱莉ちゃんは深々と頭を下げつつ、イヤそうでもツラそうでもなく、どこか安心したように深く息を吐いていたので、きっと彼女も大変なんだろうということは想像にかたくなかった。



「えーと、麦茶でいい?」

「あ、おかまいなく……」

「構うよ、随分汗かいてるし」

 駅からまぁまぁ距離があるし、歩いてくるだけでも相当暑かっただろう。汗で夏用のセーラー服の下がほんのりけてしまっているし。

 ただその下には直で下着ではなく、キャミソール的なものを挟んでいるみたいなので、視線の置き場に困るという事態にはならなかったのは助かった。


 とりあえず朱莉ちゃんにはクッションに座ってもらうよう案内しつつ、冷蔵庫に作っておいた麦茶をグラスにそそぐ。あ、氷とかいれた方がいいのだろうか。

「あの、先輩」

 クッションの上でていねいに正座しながら、朱莉ちゃんが控えめに声を掛けてきた。

「差し出がましいお願いなのですが、その、砂糖があればいただけたら嬉しいな、と……」

 そう言いつつ、顔を赤くしてうつむいてしまう朱莉ちゃん。

 差し出がましいという言葉が示す通り、客の立場で注文をつけることが恥ずかしいと感じたのかもしれない。

 にしても麦茶に対し砂糖を要求してくるのはまったく予想外だった。

「砂糖……スティックシュガーでもいいかな?」

「あ、全然大丈夫です! ありがとうございますっ」

 家でコーヒーを飲んでみようとしたときに買っておいて良かった。結局ほとんど使うことはなかったけれど。

 朱莉ちゃんは表情をやわらげつつ、スティックシュガーを受け取り、俺が出した麦茶の中に流し入れる。

「あー……冷たいとあまり溶けないかも」

「いえ、少し残ってる感じも好きなので。ふふっ、甘くてしいです」

 砂糖入りの麦茶を飲んで、嬉しそうに微笑む。

 そんな彼女の姿に妙になつかしさを感じたのは、麦茶に砂糖を入れるという飲み方が、俺が小学生の頃ちょっとしたブームになっていたからだろう。

 確か、どこの家にも麦茶があって、友達同士で何か面白い飲み方はないかと試行錯誤したのが始まりだったと思う。

 朱莉ちゃんも似たような経験をしたのかもしれないな。俺はいつからか、砂糖入り麦茶は卒業してしまったけれど。

「えーっと、改めてだけど、久しぶり」

「はい、お久しぶりです、先輩。先輩の卒業式以来ですね」

 ローテーブルを挟んで向かい合うように床に座る俺に対し、朱莉ちゃんはそう、わざわざ姿勢を正しかしこまる。

 にしても卒業式か……たった5か月前の話だけれど、すでに懐かしい。

「先輩、覚えていらっしゃいますか? 卒業式の後、ごあいさつさせていただいて……」

「もちろん覚えてるよ」

 さすがに5か月前じゃ忘れない。昴と一緒にいたからだと思うけれど、わざわざ駆け足でやってきて、体温が上がったのか顔を赤くしていて……少し息を荒くしながら、思いきり緊張した様子で、それでもとびきりの笑顔で祝辞をくれたのはとても印象的だった。

 彼女は在校生で、卒業式の主役ではないはずなのに、まるでスポットライトを浴びているみたいに注目を集めていた。

「あの時は昴と友達でいて良かったって心底思ったよ」

「え、どういうことですか?」

「朱莉ちゃんみたいな人気者に祝辞を貰えるなんてめつにないからね」

 彼女は一個下だけれど、俺達の学年──いや、学校中で話題になるほどに有名人だった。

 見た目の可愛かわいさもさることながら、性格も明るく、気品のようなものさえあって……『本当にあの昴の妹なのか』と疑ったことは一度や二度じゃない。

「に、人気なんて、そんなことないです……」

 朱莉ちゃんはそう言いつつ、顔を赤くして俯いてしまう。

 しまった。人気だなんて面と向かって言われても、本人からすれば反応に困るのは当然だ。

「あ、ええと……麦茶、おかわりいる?」

「は、はい。よろしければ……」

「もちろん、よろしいよ」

 ちょっと強引にだけど、無理やり話をぶった切り、からになったグラスを受け取って席を立つ。

 そしてキッチンで麦茶を入れ──不意にグラスのふちに残った唇の跡が目に入った。

 口紅はつけていないみたいだけれど、リップクリームだろうか。結構くっきり跡が残っていて……。

(って、何考えてるんだ俺は! 相手は友達の妹だぞ!?)

 がってきた妙な感情が形になる前に、自らをしつし力ずくで押し込む。

 いくら最近、昴に彼女がいないことをよくあおられたからって、その妹相手に変な感情を抱くなんて節操が無さすぎる。

(そういえば、こうして一人暮らしを始めてから家に女の子が来るのは初めて……いやいや、考えるな考えるな!)

 考え出せば無限にいて出てきそうな感情にふたをしつつ、新たに麦茶を注いだグラスと、スティックシュガーを1本用意し、朱莉ちゃんの前に運ぶ。

「はい、どうぞ。それで、繰り返しになるかもしれないけれど、朱莉ちゃんはどうしてウチに?」

 そしてすぐさま話題を切り替える。ようやく本命の話題、この状況についてだ。

「もちろん兄の借金のカタとしてですっ」

 返ってきたのは、最初と同じ、冗談としか思えない返事だった。

 実に気持ちのいい笑顔を浮かべる朱莉ちゃんからは、俺をからかっているような雰囲気はないけれど……。

「あのさ、色々ツッコみたいことはあるけれど、まず、俺が昴──君のお兄さんに貸してる額は把握してる?」

「はい、500円ですよね」

「あ、それはちゃんと把握してるんだ」

 状況を正しく認識しているというのは大抵の場合良いことだけれど、こと今回においては微妙なところだ。

 なぜなら今、朱莉ちゃんは自分で500円の借金の身代わりに差し出されたと認めていることになってしまう。即ち、彼女の価値が500円相当であると。

 なんなの宮前さんちの金銭感覚。お金持ちなのにせんとかりんの貨幣価値が染みついてるの?

「たかが500円、ワンコインであってもお金の貸し借りであることには変わりません。お返しできないならたとえ身を差し出してでも筋を通す。それが世間の常識というものです」

「そんな大げさな……」

「大げさなんかじゃないです! 『一銭を笑う者は一銭に泣く』という言葉もあります。一銭は0・01円ですから、500円はその5万倍です。一銭を1回と換算した場合、500円を軽んじれば5万回泣くという計算になります。そんなに泣いたら脱水症状で死んでしまいます!」

 本気なのか冗談なのか……どちらにせよ中々の勢いではっきり言い切る朱莉ちゃん。

 その目はやけに力強くギラギラしていて、なまはんな言葉では通用しない感じがする。

「そういうわけで先輩!」

「は、はい!?」

「兄が脱水症状で倒れれば私はともかく両親はショックを受けると思います。両親を悲しませるのは嫌ですし、兄が借金を返すまで、私は喜んで先輩の物になります! これはもう決定事項であり、天地がひっくり返ってもくつがえりません!」

「俺に意見する権利は──」

「ありませんっ!!」

「あ、ないんだ」

 なんとなくそんな気がしていた。朱莉ちゃんも勢いで乗り切ってやれって感じだったし。

 でも一応俺は債権者になるんだよな。ここまで発言力のない債権者とは一体……。

 ……などといった諦めとあきれが顔に出ていたのだろう。朱莉ちゃんは勢いをがれたように、不安げに顔をうつむかせた。

「あの、先輩。あまり拒絶されてしまうと、さすがの私も傷つくといいますか……私、500円の価値も無いんですかね……?」

「い、いや、拒絶とかそういうんじゃなくて……そもそも人に値段なんてつけられないから!」

「そうは言いますが先輩。勤労なりなんなり、自分の時間と身体からだを売って対価を得るのが現代社会のシステムです。スマイル0円なんて言葉もありますが、そのスマイルにも時給は発生しているんです!」

「身もふたもないな……」

「と、りっちゃんが言ってました」

「誰!?」

「某ファストフードでアルバイトをしている私の友達です。……あれ? もうやめたんでしたっけ?」

「俺に聞かれてもっ!」

 そのりっちゃんとやらが何者かは知らないけれど、おそらく彼女が言いたいのは、この借金のカタ云々はアルバイトとほぼ同意ということなのだろう。食事代を払えない客が代わりに皿洗いして許してもらう的な。

「ですので先輩。どうぞなんなりと私を使ってください。その……先輩になら私、どんなことでも受け入れる覚悟ですのでっ」

「いや、その悲痛な覚悟はどこからくるのさ……!?」

「悲痛、ではないと思いますが……」

 そう首をかしげる朱莉ちゃん。どんなことでも受け入れると身を差し出すことは結構悲痛な覚悟がいると思うけれど……。

 なんであれ、友達の妹を長々と部屋に置いておくのは精神的にもあまりよろしくない。借金のカタだなんだと口にさせ続けるのも忍びないし、ここは彼女の言うことに従い、サクッと500円分働いてもらって、早々に昴の借金をチャラにするという方向でいこう。

「分かった、それじゃあ朱莉ちゃん」

「は、はいっ!」

 朱莉ちゃんは肩を跳ねさせ、緊張するような面持ちでこちらを見てくる。もしかしなくても、俺が変なお願いをすると思われてるのだろうか。なんだかちょっとショックだ。


 でも実際、何をお願いしたらいいのか……正直いきなりすぎて何も頭に浮かんでこない。

 実はこれらすべてが昴の仕掛けたドッキリで、どこかのタイミングでカメラを持ったあいつが部屋に入ってくるなんてこともあるかもしれないけれど、このどう受け止めればいいのか分からない状況が解決するなら、正直なんでもいいと思える。


 決して朱莉ちゃんが一緒にいるのがつらく感じるほど嫌いというわけじゃない。むしろ知らないわりに好感を抱いている方だ。兄想いのいい子だし。

 ただ、その兄想いが、500円の借金のカタになるほどのものだとは思いもしなかったというか……。

 いや、今はとにかく何か、双方が『これぞ500円分の働きである』と納得できるようなお願いをして、この件に決着をつけるのが先決だ。それが互いのためだろう。

「よし、決めた。朱莉ちゃん、どんなことでもって言ったよね」

「っ……! も、もちろんです……!!」

「それじゃあ……部屋の掃除でもお願いしようかな」

「………………はい?」

 なぜか反応が返ってくるまでに妙な間があった。

 女子高生に一人暮らしする男の部屋を掃除させるというのは中々こくとは思いつつ、こういう状況での依頼内容としては結構ベタなものなんじゃないだろうか。

 ただ、朱莉ちゃんはけいべつするでもあっさり受け入れるでもなく、どこか呆れたような、がっかりしたような反応を見せる。

「あの、先輩。掃除とおつしやいましたか」

「う、うん」

「先輩の、ではなく、この部屋の?」

「俺の……? いや、仰る通りこの部屋の」

「はぁー……」

 あからさまな溜息を吐かれた!?

「……分かりました。確かに、いては事をそんじるとも言いますし、私も心の準備ができていないというか、なんというか、ですし」

「朱莉ちゃん? ごめん、やっぱり掃除は嫌だった? だったら別の──」

「いいえ、そんなことはありません! 掃除は私が得意とするものの一つですし、こういうところでしっかりポイントを稼ぐのも大切だと思うので……精一杯やらせていただきます!」

 そう張り切るように、朱莉ちゃんは深々と頷いた。

 ポイントを稼ぐなんて言っているけれど、借金はたかだか500円だ。

 時給換算したらいくらになるかは分からないけれど、低めに見積もったとしても1時間かからずに返済は完了するだろう。

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