第1話 友達が500円の借金のカタに妹をよこしてきた話(1)

 いったい、何が起きているんだろう。

 俺は目の前の光景をとても現実のものとは思えなくて、ただ瞬きを繰り返しつつ固まっていた。


 1人の少女がいる。

 太陽の光を反射させつつ、そよ風にさらさらとたなびく絹のような黒髪。

 ぱっちりと形の良い、こちらを真っ直ぐ見つめてくる瞳。すらっとした鼻立ち。化粧っ気はないがやけに紅く感じる艶やかな唇。

 まるでテレビの向こうに住んでいるような、文句のつけようがない美少女が、俺の一人暮らしするアパートの玄関口に立っていた。

「お久しぶりです、しらもとむ先輩」

 彼女は原稿を読み上げるアナウンサーのようによく通る声で、はっきり俺の名前を呼んだ。

 そう、彼女とは初対面じゃない。よく知った仲というわけではないけれど、ちゃんと顔見知りであり、彼女が俺の名前を知っているのにも驚きはない。

 けれど、それでもどうして彼女がここにいるのかは全く分からなかった。だって、彼女の来訪はあまりに唐突で、俺なんかよりもよほど彼女に詳しいアイツはこんなこと一言も言ってなかったはずなのに。


 先輩と俺を呼ぶ彼女は、俺の一つ下の女の子であり、そして彼女自身それを主張するかのように高校指定のセーラー服を身に纏っていた。

 僅か半年――いや、夏服だから1年くらい前までは当たり前のように目にしていたものだけれど、でも凄く眩しく感じる。

 圧倒的な美少女オーラと、現役高校生という若々しさに圧倒され、ろくに返事もできずに固まる俺に対し、彼女は口元に微笑みを浮かべ、そして――

「兄に言われ、借金のカタとして参じました。これからよろしくお願いいたします」

 そんな、とんでもないことを口にした。



   ◇◇◇


 大学生はおそらく2種類に分けることができる。

 大学生になって極端に増えた自由な時間を上手に活用できるタイプと、できないタイプだ。


 高校から大学に進学して、一番の変化は単位制になったことだ。

 一部の高校ではそういうところもあるらしいけれど、俺の通っていたところだと授業は学校側が組んでいて、俺たち学生はそれに従い、毎日6時間か7時間の授業を淡々とこなすという形だった。

 対し、大学の単位制は期ごとに上限の単位数まである程度自由に、自分で時間割を組むことができる。進級や卒業に必須の単位もいくつかあって、自由自在とはいかないけれど、上手く調整すれば毎日昼過ぎから大学に行けたり、土日以外にもどこかの曜日を休みにできたりする。

 1年のわりふりも高校の頃は3学期制だったのが、前期後期の2つになり、夏休み、そして春休みが長くなった。

 この8月からの夏休みは驚くことに約2か月もある。


 きっと人によってはこの2か月で旅行に行ったり、部活に打ち込んだり、集中的に勉強したり……普段はできない何かに身を費やすのだろう。

 けれど俺は、ただただこの長い休みを持て余す気しかしなかった。

 そう、俺は大学生になって極端に増えた時間を上手に活用できないタイプなのだ。


「あー……どうすっかなぁ、夏休み」

 講義が終わり、教室から生徒がぞろぞろと出ていく中、自席に腰を下ろしたままみやまえすばるは深々と溜息を吐いた。

 昴は俺の高校来の友達だ。最初に話したきっかけは同じ陸上部に入ったからという単純なものだったが、彼の、空に漂う雲のようなのびのびと自由気ままな性格が一緒にいて妙に落ち着き、向こうも俺に何か感じたのかすぐに仲良くなった。

今ではすっかり親友と呼べる間柄だ。そう口に出すのは少し恥ずかしいけれど。

「なぁ、求。お前、夏休みどうすんの。どっか旅行とか行くわけ……ハッ! まさか彼女か! 彼女とイチャコラサッサか!?」

「なんだよ、イチャコラサッサって。泥棒みたいに」

 突然テンションを上げる昴に俺はつい溜息を吐く。

「旅行なんか行く金ないし、そもそも彼女がいないし……ていうか昴、もう何度目だよコレ」

 昴にはもう何度も俺に彼女がいないと伝えている。

 何が悲しくて何度も……と思うのだけれど、なぜか最近、夏休みが近づくにつれてしつこく聞いてくるようになったのだ。彼女できたか、本当にいないのか、と。

「昴、俺に彼女いないかしつこく聞いてくるのは、おまえが彼女自慢をしたいからじゃないだろうな」

「えぇ!? 俺が彼女自慢っ!? まっさかぁ!」

 と、言いつつ声が弾んでいる。顔も情けなくだらっとなっているし。

 昴には最近人生初の彼女ができた。

 高校時代から暇があれば彼女欲しい彼女欲しいと口にしていた、典型的なお調子者キャラの彼にちゃんと彼女ができるなんて、なんというか感慨深くもあるのだけれど、できたらできたで自慢がウザい。

 昴は何か求めるように、目をキラキラと輝かせて俺を見てくる。

 『お前なら俺が何を聞いてほしいか分かるだろ』とテレパシーが届きそうな主張の激しい視線に、俺はもう何度目かの溜息を吐いた。

「……昴、お前は夏休みどうすんの。彼女と一緒に過ごすのか」

「おっま! ばっか! 求このやろっ! そんなこと聞くなよぉ~」

 嬉しそうに顔をだらけさせる昴。そしてそんな彼を感情を無にして見る俺。

「ま、まぁ? 菜々美ちゃんとは夏休み中どこか行こうって話はしてるけどさぁ! どこがいいかなー? やっぱ近場で済ますべき? いや、夏らしく海!? それとも思い切って泊りで温泉とか行っちゃう!?」

「知らねーよ……」

 何を妄想してるのか、興奮で顔を赤くする昴に俺はつい引いてしまう。

 昴の彼女、長谷部菜々美とは俺も面識がある。というか元々俺と必修の第二外国語が一緒で、そこで仲良くなったことをきっかけに昴とも面識ができたという関係だから、普通に友達で、なんというか……そういう彼氏彼女の話を聞くのはちょっとばかし気まずく感じてしまう。

「いきなり泊りとか誘ったら、菜々美ちゃん引くかな!? なんかがっついてる感じがして!」

「知らねぇよ。聞けばいいだろ。そんで引かれろ」

「冷てぇな!? 求、頼む、俺の代わりに聞いてくれよ!?」

「はぁ?」

「だって俺が聞いてやらしい奴って思われたら最悪フラれちゃうかもしれないだろ!」

「だからってどうして俺が長谷部さんに泊りがけの温泉についてどう思うかなんて聞かなきゃいけないんだよ。向こうからしたら余計引くだろ」

「別にいいじゃん、お前菜々美ちゃんと付き合ってるわけじゃないんだし」

 なんだよこいつ。頭お花畑なのか?

 ついそんな辛辣な感想を抱いてしまうくらいに今の昴はウザかった。

 しかし、このままだと延々ねだり倒されそうなので、俺は強引に話題を変えることにした。

「ていうか昴。お前この間貸した500円、いつ返すんだ?」

「へ?」

「いや、初耳みたいなリアクションされてますけど」

 ちょうど1か月くらい前か。財布を家に忘れたとかなんとか言って騒ぐ昴に俺は500円を貸していた。人目もはばからず騒ぎ立てるもんだから、無駄にこちらが焦らされたのをよく覚えている。

「まぁ、別に500円くらい無理に取り返そうとは思わないけどさ」

 今も偶々思い出したから聞いただけで、現時点でそれほど金に困っていたわけでもない。

 大学入学と共に一人暮らしを始めたこともあり裕福とはとても言えないが、ありがたいことに両親から仕送りを貰えているし、アルバイトもしている。特段金のかかる趣味もないし、それこそ昴のように『彼女とどこに出かけよう』なんて思い悩むこともないので、むしろ少しずつ貯まっていっているまである。

 この500円に関しては、昴相手に徴収する方がエネルギー消費が高そうだし、もうこのまま貸しっぱなしになってもいいんじゃないかとさえ思うくらいだ。

「ま、待て待て求! もちろん覚えてるぞ! 500円、確かに借りたよ! そしてまだ返してない!」

 なぜか突然焦り出す昴。奇妙な反応だけれど、思い出したならいいのか……?

「けれどそっかぁ……500円……しまったなぁ……」

「昴?」

「500円なぁ……ちょうど昨日使っちゃって今手元に無いんだよなぁ……」

「え、お前今500円も持ってないの」

 ついドン引きする俺。こいつも1人暮らしなのに、そんなギリギリどころか今まさに崖から転落中みたいな懐事情なわけ?

「いや、それにはちょっと語弊があるけど! 家賃とか、ケータイ代とか、色々……色々差っ引くとな、その、お金を返す余裕が無いと申しますかぁ……」

「じゃあ別にいいよ、返さなくて」

「いやっ! それでは男、宮前昴の名が廃る! 俺をここまで育ててくれた両親に顔向けできんっ!」

「じゃあそもそも借りんなよ」

 ちなみに昴んちは結構裕福だ。家にも何度か家に遊びに行ったけれど、中々大きな家に住んでいて。つい一般サラリーマン家庭の我が家と比べてしまったものだけれど。

 でも確かに顔向けできないだろうな。500円にヒーヒー言っている状況だと。

「ていうか昴、お前生活費とか家賃とか、全部親に出してもらってんだろ。今更500円くらい……」

「500円のために親へ頭を下げろと!? 鬼なのか! 悪魔なのか!?」

「い、いや、別にそこまでは言ってないから……!」

 必死の形相で迫られ、すぐに言葉を訂正する。

 なんで俺が責められてるのか分からないけれど……多分こいつもいっぱいいっぱいなんだろうな……。

「とにかく求、借金は必ず返す! 返すが……少しばかり待って欲しい」

「分かったよ」

「そうだよな、やっぱりすぐに返して欲しいよな……」

「いや、分かったって」

「お前がごねる気持ちもよく分かる! ならば仕方が無い!」

「聞けよ」

変なスイッチを入れてすっかり自分だけの世界に入り込んだ昴にはもう何を言っても無駄だった。

 どうにも面倒臭いことを言い出しそうだなと思いつつ、無理やり止めたとしてどちらにしろ面倒臭くなるのはこれまでの経験から明らかなので、このまま泳がせることにする。

「返済を待ってもらう代わり、対価として借金のカタを差し出させてもらおう!」

「借金の、カタ?」

 借金のカタ。即ち、担保。

 いや、500円って借金のカタ差し出すほどの額か……?

「おい、昴。俺が貸したの500円だぞ」

「わーってるよ! 俺の命の代わりと言ってもいいほど大事なとびっきりのカタだ! 楽しみに覚悟してろよっ!!」

 ああ、駄目だこいつ。ただ借金のカタという名目で何かを自慢したいだけだろう。

 500円の対価に命の代わりを差し出すなんて、昴にしても間抜けすぎるし。

「……じゃあ楽しみに覚悟しておくよ」

 そう俺が返し、会話はひと段落だ。

まぁ、この借金のカタ云々は勢い任せの馬鹿話だ。別段覚えておく必要のないものだろう。

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