第一話 『ほろびた生き物たちの図鑑』は待っていた 1

「いらっしゃいませ! 本日から閉店フェアを開催中です。お客さまの思い出のご本との記念撮影やポップの作成など行っておりますので、ぜひご参加ください」

 白いシャツに店名入りの青いエプロンをつけた眼鏡の少年が、元気いっぱいにはきはきしゃべるのを、水海は険しい目で見ている。

 

 ——こんにちは、榎木むすぶと言います。閉店まで、幸本書店でみなさんのお手伝いをさせていただきます。短いあいだですが、よろしくお願いします。


 水海がむすぶと出会った翌日。

 他のバイトたちも、笑顔で挨拶する小柄な少年に、戸惑いを隠せない様子だった。

 むすぶは四月から高校二年生で、東京からこの東北の小さな町に、わざわざやってきたという。それは店長の遺言状に、自分の死後に幸本書店のすべての本を榎木むすぶ氏に任せると書かれていたからで、店を訪れた弁護士からも、水海が前日にむすぶから聞いたのと同じ知らせがあった。

 本を『譲る』ではなく『任せる』とはどういうことか?

 取り次ぎを通して仕入れた本は、一定期間内であれば返品することができる。特に新刊は基本的には委託販売だ。なので売れ残った本は、ほぼ返品するものと考えていたが、その裁量を少年に任せるということなのだろうか?

 どちらにしても、幸本書店にあるすべての本の権利を少年が有するとしたら、彼の許可なしに本を売ることはできない。

 フェアは?

 みんなが心配そうな顔をしていると、むすぶは思いきり腰を低くして、


 ——あ、こちらの本はあくまで書店さんのものですから。閉店フェアも予定通り開催してもらって大丈夫です。ぼくにも手伝わせてください。


 と、にこにこしながら言った。

 毒気のない笑顔に、水海以外のバイトたちは、とりあえず安心したようだった。


 ——けど、榎木くんって笑門店長とどういう関係? 親戚?


 ——確か店長の身内は全員亡くなっていて、親戚もいないはずじゃ。


 ——ひょっとして店長の隠し子!


 ——そういえば眼鏡をかけてるし、似てる!


 それは二人とも似たような大きな眼鏡をかけているだけではないか、店長に隠し子などいるはずがないと、水海はバイトの男の子たちを叱りつけてしまった。

 書店の仕事に戻ってからの水海は、ただでさえ自分でもピリピリしていると嫌になるのに、むすぶの人の好さそうな顔を見ると、胸の内側がチクチクするような苛立ちと疑念を感じずにいられない。

 店長が、幸本書店のすべての本を、まだ高校生のむすぶにゆだねたことにも納得していなかったし、自分がこの店で一番店長に信頼されていると思っていたので、口惜しい気持ちもあった。

 どうしてこんな子に?

 地元の子ですらない、東京の子なのに。

 繰り返し、もやもやと考えてしまうし、むすぶの口から店長との関係について、


 ——去年の秋ごろ、笑門さんが仕事で東京に来られたときに、たまたま知り合ったんです。ぼくも本が好きで、それで本好き同士意気投合して、そのご縁で。


 と語られるのにも、苛立ちが増した。

 去年の秋⁉ 知り合ってまだ半年くらいじゃないの! わたしは七年も働いていたのに。

 それに、むすぶと初めて会った日に、彼が店長が亡くなった本棚の前で一人で話していたことも、その内容もずっと気になって、もやもやしている。

 

 

 

 そう言ったのだ、彼は。

 あの日、水海がどういう意味かと尋ねると、


 ——えっと、ぼく、そんなこと言いましたっけ?


 と困ったようにとぼけていた。


 ——言ったわよ、わたしはちゃんと聞いてたんだから。


 水海が詰め寄ると、目を丸くして「わ!」と声を上げ、


 ——う、浮気じゃないよ、夜長姫。心臓に悪いから突然『呪う』とか言わないで。え、そんな、誤解だよ。愛しているから、呪うのはよして。


 いきなりおたおたして、独り言を言いはじめた。

 水海が唖然としていると、


 ——すみません、ぼくの恋人は、ぼくが他の女性と話したり近づいたりするだけでやきもちを焼くので、あまりその、顔を寄せないでもらえますか?


 と申し訳なさそうに言った。


 ——恋人って、どこにいるの? さっきから一人でしゃべってて、あなた、あからさまに怪しいわよ。


 するとむすぶは、あちゃーというように眼鏡の奥の目をきょどきょどさせて、


 ——人前ではなるべく話さないようにしているんですけど、つい。えーとその、ぼくは本と話ができるんです。


 また、わけのわからないことを言い出した。

 

 ——ふざけてるの?


 ——いいえ、滅相もない! 本当にどういうわけか昔から本がしゃべっている声が聞こえてくるんです。それで、ぼくが話しかけると、みんな気さくにこたえてくれて。恋人というのはのことです。


 ダッフルコートのポケットからむすぶがいそいそと取り出したのは、青い表紙の薄い文庫本だった。

『夜長姫と耳男』

 さかぐちあんの小説だ。

 確か、人が死ぬのを見るのが大好きな魔性の美少女に翻弄される、彫り師の男の話だった。そうだ、夜長姫というのはその魔性の姫君の名前だ。

 ラノベや漫画好きの男の子たちがよく、作中の推しヒロインを『俺の嫁』などと言ったりするノリなのか?

 けれど実際に『嫁』と会話してしまうなんて。彼は重度のオタク、あるいは中二病なのだろうか。


 ——夜長姫も、円谷さんにご挨拶しています。『むすぶと顔をくっつけたり、むすぶにさわったり、ウインクしたりしたら、呪う』と言っているので、すみません、そこはご配慮いただけると助かります。


 しないわよ、ウインクなんか!

 わざと水海を怒らせて、話題を店長からそらそうとしているのではないか? そんなふうに疑って——あることに気づいてギクリとした。


 ——今、ツブラヤって言った? わたしの名前、なんで知ってるの? それにさっきも……わたしがこの店で古株だってこととか。


 そう、一番長くこちらでお仕事をされていて、一番頼りになるかただそうですね、と言ったのだ。

 

 するとむすぶは透明なレンズの向こうから、大きな澄んだ目で水海を見つめて、微笑みながら答えたのだった。


 ——それなら、本が教えてくれたんです。

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