第四章 ワガママを言うような後輩 6

 塗り固めていた上っ面の笑顔が、もろくも崩れ去る。

「笑えない冗談はやめてくれ……」

 信じない。冗談ではないのを嫌というほど察しているのに、どうか冗談であってほしかった。

「……センパイと出会う前日の夜、わたしは星に──祈ったんです」

 校庭の片隅でスノードロップを見かけた日、俺とわたは初対面を迎えた。前日の夜には咲いていたとすれば……花を開花させた要因は渡良瀬の願い。

 前夜にはすいせいが流れてしまっており、俺が見たとき制作中だったスノードロップ彗星の絵は真新しい記憶をもとに描き進められた、ということになる。

「……スノードロップ彗星は……写真や映像には映りません……。この目に焼き付けた映像を表現するために……わたしは星空を描き始めたんです」

 スノードロップ彗星が迷信や俗説の範囲に収まっているのは、心の底から星を信じる者の肉眼でしか捉えられないため。

 映像に記録することを放棄し、れる瞳に深く刻み込み、創作者として表現したいがために絵を描き始めた──それだけで終わらせてほしかった。

「……彗星の存在は信じていましたけど……ありきたりな迷信には頼らないつもりでした。それでも人間というのは不思議なもので……流れ星を見てしまったら、自力ではかなえられない願いを唱えてしまうんですね……」

「どんな願いを託したのか……教えてほしい」

「……センパイが予想して、答えを当ててみてください」

 渡良瀬は俺のほうを見据え、気恥ずかしそうに笑ってみせた。

 出会った頃に比べると微笑ほほえんでくれるようになり、そのたびに俺の恋心は高鳴りを制御できずにやすやすと弄ばれる。

 そんな心地良い新鮮な気持ちを、もっと知っていきたいのに。

「美術部に部員が入りますように……とか?」

「……ちょっと惜しいですけど、不正解です。センパイに言うのは恥ずかしいので……願い事は墓まで持っていくことにしましょう……」

 冗談めかした渡良瀬は、生気がせた生白い顔を苦笑いで覆い隠そうとする。

 重苦しい空気を明るくするためだろうか、渡良瀬が不慣れな軽口をたたいたのに、この状況では……笑ってあげられないんだよ。

「これだけは聞いてもいいかな……?」

「……なんでしょうか」

「その願いを……他人のために祈ったのか。それとも……自分のために祈ったのか」

 心なしか瞳を細めた渡良瀬は形作った微笑を崩さず、ひっそりと言う。

「……自分のためです」

 二つある選択肢のうち、絶対に受け入れられない最悪な結末が想定できる答えだった。

 さかの仮説が正しければ、他人のために願った者は感情を失う。

 そして、自分のために願った者の末路は──

「……スノードロップの花言葉は……希望と慰めです。小さな願いすら自力で叶えることもできず……慰めの希望にすがった浅ましい人間には……やがて罰が下るんですよ……」

 つらつらと自虐を並べ立てる渡良瀬を励ます言葉など持ち合わせておらず、俺は聞き役に徹することにしか存在価値をいだせない。

「……そして、スノードロップには隠し花言葉もあるそうです……。これに関しては根も葉もない伝承や俗説に過ぎないんですけど……」

 わたは前置きしつつ、ちゆうちよせずに唇を開く。

「……あなたの死を望む、と」

 この不可思議なすいせいに〝スノードロップ〟という通称が定着したのは、祈りをささげた場所に同名の花が咲くという理由だけではないとしたら。

 願った者に慰めの希望を与え、かなえた願いの代償を奪い消えていく。

 それが、罰。自らのために願った者の死を望む救いようのない結末が、はるか昔から言い伝えられ、いつしかスノードロップの花に例えられていった。

「……こんな根拠もない非科学的な話を……センパイは信じてくれますか……?」

「お前が言うのなら、俺は信じる」

「……わたしはうそつきかも……しれませんよ……。本当は元気で……センパイに構ってほしいから……演技しているだけかもしれません……」

「渡良瀬にだまされても……悪い気はしないから。むしろ……嘘つきであってほしいな」

「……おひとしですね……。そういうところ……嫌いじゃないですよ……」

 嘘であってほしい。

 実際には彗星など悪質な都市伝説であってほしい。

 でも──血の気がない渡良瀬の顔色や握り続けている手のおぞましい冷たさは、まぎれもない現実で。他人を騙す名演技であるはずが、あるわけなかった。

「……美術部は……活動休止にしましょうか……」

 突然の提案は往生際の悪い俺をも絶句させる。

「いきなり何を言い出すんだよ……。お前にとって唯一の逃げ場所で、大好きな絵を描ける部活動だろ……」

「……わたしがいなくなって、センパイが卒業したら……どのみち部員はいなくなります」

「お前が帰ってくるまで……俺が美術室に通い続ける。留年したって構わないから、来年も渡良瀬が一人ぼっちにならないように……」

「……駄目ですよ。センパイはちゃんと卒業して……これから先は社会で生きていくんです。留年なんかしたら……わたしが叱りつけますから……」

 お互い、ほぼ同時に笑みがこぼれた。

 こうやってあいもない雑談をする放課後が、俺は心が焼け焦げるほど待ち遠しかったのに、永続的に締め付けられる鈍痛から解放されることは決してない。

「……合格です」

 聞きたくない。やめてくれ。俺が求めていたのは、そんなことじゃないから。

「……センパイの補習は……合格です。もう……部室に来る必要は……」

「補習なんてどうでもいい……! 俺は……正式な部員になっただろ……! 留年したって良い! わたともう一年……同級生の部員になるから、お前は部室にいてくれ……」

 高校卒業間近でもガキなんだ、俺は。渡良瀬の言葉を最後まで聞くことができず、俺の意思を強いけんまくおおかぶせ、身勝手に吐き出す。すぐに感情を乱す子供染みたやつの哀願でも、渡良瀬はうれしそうに口元を綻ばせて……かすかにうなずいてくれる。

「……ヒマそうなセンパイに……一つ頼みたいことがあるんですけど……」

「ヒマそうな……は余計だけど、俺にできることなら協力するよ」

「……わたしの画材と星空の絵を……ここに持ってきてはもらえないでしょうか……」

 苦笑いを忍ばせた渡良瀬は申し訳なさそうに助力を求める。

「起き上がるのも難しい状態なのに、絵を描けるのか……?」

「……描きたいんです……あの星空は……最後まで描き上げてから…………」

 それより先に続くであろう結末を、俺は聞き返して知る勇気がなかった。

「なんで……そこまでして描きたいんだよ……」

「……決まってるじゃないですか……絵を完成させないと……センパイに〝うそつき〟呼ばわりされた……ままなので……」

「やっぱり……子供の頃に会った女の子は渡良瀬だったんだな……」

 つながった過去を、ようやく渡良瀬と分かち合うことができた。

 初対面から抱いていた居心地の良さも、渡良瀬が目指していた最終到達点も、俺がこの町を離れる直前の八年前から始まっていたとしたら、説明がつく。

 俺は、取り返しのつかない愚行を犯した。子供が軽はずみに口走った言葉が、渡良瀬の道を呪いのように縛りつけてしまったのだから。

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