第四章 ワガママを言うような後輩 7

「……センパイは……いつから気付いていましたか……?」

「お前の家へ見舞いに行ったとき、さかに見せてもらった写真もそうだし、昔の絵も……あれは紫レタス畑だろ。あの女の子が最初に描いてくれた絵だったから、さすがに……な」

「……気付くのが遅いです。結構……気付いてくれアピール……してたんですけど……」

「そっちの名前も知らなかったうえに、八年前と比べると容姿もだいぶ成長していたからな。まさか同じ学校の後輩だとも思わなくてさ……ごめん」

「……わたしが大人っぽくなりすぎて……分からないのも無理はないですが……」

 息苦しそうに軽口をつぶやいてくれるのが痛々しくて……愛想笑いすら、俺はく返せなかった。病院側の許可をもらい「明日にでも病室へ搬入する」という口約束を告げられた渡良瀬は、この状況下であっても幸せそうに感謝と謝罪の意を述べる。

 ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません、と。

 こんな形で思い出の答え合わせをしたくはなかった。もっとドラマチックに再会し、俺が卒業するまでにスノードロップすいせいを証明してくれる未来が欲しかった。

「……絵を描き上げたら……センパイの心残りは……消えそうですか……?」

「あんなの幼稚な言葉を真に受けて……今まで星空を描き続けてきたのか……」

「……そうですよ。……わたしは……」

 今にも途切れそうな言葉を、懸命につなけなな後輩がいる。

 打たれ弱い先輩は心苦しくて見ていられず、目を背けたい逃避の衝動にあらがった。

「……わたしは救いようのないバカですね……。センパイより……ずっと…………」

「俺は……!! そんなお前を……不器用すぎるけど一生懸命に生きるわたを……」

 ──俺は、好きになってしまったんだよ。

「……たくさんおしやべりしたからか……少し疲れてしまいました……」

 友達を、疲れさせてしまった。俺は唇を浅くみ、ぼやけた瞳を正面に抑えつける。

「ごめんな。また明日の放課後……いっぱい話そう」

「……はい……今日の部活動は終了します……。また明日……話しましょうね……」

 言い終えた渡良瀬はゆっくりと瞳を閉じ、安息の眠りに落ちていく。

 か細い寝息が聞こえても二人の堅く結ばれた手は離れず、面会終了まで続く沈黙の空間は誰にも邪魔されることはなかった。

 翌日、渡良瀬の絵やイーゼルを搬送するために学校へ顔を出したが、通りかかったグラウンドの隅へ寄り道すると……二月初旬にひっそりと花開いていた一輪のスノードロップは生命力を失い、くすんだにびいろと化して朽ち果てていた。


 取り戻したのは、望んでいた放課後なんかじゃない。

 病室に画材やイーゼル、そして未完成だった星空の絵を運び込んでも、渡良瀬が筆を握る機会は訪れなかった。病室の一角に設営した作業スペースには誰の手にも触れられないパネルがイーゼルに乗せられ、むなしくたたずんでいるだけ。

 画用紙の素材がしのまま放置された星空は時間が止まり、再び色づいていく未来を切実に待っていた者を無言であざわらう。

 それどころか、日をまたぐたびに渡良瀬の口数は減っていく。

「……センパイ……わたしが貸したCD……聴いてくれましたか……?」

「まだ全部は聴いてないけど、もう返したほうがいいか……?」

「……ゆっくりで……いいですよ……。いつまでも……待ってます……から……」

「もうちょっと待っててくれ……。俺が聴き終わるまで……そしたら感想を言うよ……」

 渡良瀬はそっとうなずいて目をつぶり、浅い眠りへ落ちていく。

 得意げに語ってくれよ、絵のうんちくを。長々と解説してくれよ、お勧めの楽曲を。

 今度は居眠りせずに、よそ見もしないで……話の最後まであいづちを打つからさ……。

 俺が聴き終わらない限り、渡良瀬はCDの返却をずっと待っていてくれる……なんて、希望的観測を自分に言い聞かせるしかなく、借りたCDを聴き進めることができなくなった。

 食事すら満足に食べることができず、気休め程度の点滴が命のともしびをこの世に結び付ける。

 連日、病室に入り浸る俺に……渡良瀬は苦言を呈した。留年が決まったんですか、と。

 卒業できるけど無職になるかも。俺がそう言い……二人で笑う。さかには就職留年を勧められ、三人で笑う。わたに心配させたくないので……就職相談のために登校はしていたが、放課後に施錠された美術室の前を通ると──渡良瀬の影を無意識に探す。

 渡良瀬が不在の四角い教室は物音すらせず、色彩すら失われたかのよう。

 二人がいた背景はモノクロと化し、数少ない思い出も風化していくのだろうか。

 参加を保留にしていた同級生たちとの卒業旅行。通信アプリで効率よく打ち合わせできるグループ機能のメッセージ欄に【ごめん。今回は不参加で】と書き込む。卒業の祝いでのんに舞い上がる精神状態とは程遠く、むしろ留年して学校にとどまろうかと考えてしまう。

 でも、お前がいない学校に留まったところで、無意味な一年を繰り返すのみでしかない。

 八年ぶりに渡良瀬と再会し、特別な感情を得るのが遅すぎたけど……退屈な人生にもようやくみちしるべができたから、これからは毎日が楽しみであふれると疑わなかったのに。

 渡良瀬がいてくれた夢のような青春は抜け落ちたまま、あの時間が戻ってくる兆候すら見失い、冬の季節は俺たちを取り残して春に移り変わる準備を始めていく。

 すでに卒業は確約され、もう登校する意味はなかった。渡良瀬の病室へ通い、部活動の再開を心待ちにする日々が過ぎていったが、もはや俺が一人で話しかけているだけで。

 渡良瀬が絵を描きながら二人でおしやべりする放課後は、過去の面影にさらわれていった。

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