第二章 気が付けばいつも一人になっているような後輩 1

 わたと出会ってから一週間後、昼休みを告げるチャイムが鳴る。

 この日は三年生にとって数少ない二月の登校日。持参した弁当やパンを開封する音が連発したり、仲のいい人同士での内輪ネタが教室の至るところで展開されたりと、高校生活ではありふれた雑音が入り乱れていた。

 飯を食べながらる者、購買へ行くために姿を消す者、己の机から不動で受験勉強をする者、どこにも属せず突っ伏して寝たふりをする者など……三年生にもなれば昼休みの最適な過ごし方が決まっている。この光景も残り僅かだと思うと名残惜しい気もした。

 二年の教室にいるであろう渡良瀬は今ごろ、何をしているんだろうか。ちゃんと昼飯を食べているのかな……などと、余計なお世話が脳裏をよぎったりもする。

 営業時間内に使い切れない食材ですみさんが作ったサンドイッチが、今日の昼食に様変わり。購買のパンやコンビニの既製品よりも格段にしいので文句は一切ないし、伊澄さんを雇ってからは客足もそれなりに伸びて、グルメサイトの高評価が増えたのもうなずける。

 隙あらばサボる母さんに任せっきりだったら、三年後にはウチの店が潰れてたかも……なんて、どうでもいいか。思春期の男子は空腹の限界だ。昼食をとる友達の輪に加わろうと席を立った瞬間、教室の入口に私服の男性が立っていることに気付く。

はなびしぃ~、ちょっといいか~?」

 廊下へ手招きする教師は担任のさかだった。ロクでもない用件だろうというだるさもありつつ、ちょっとだけ期待感も混ざり、後者が勝った俺は方向転換。廊下へ身を投じる。

「お前さぁ、やるじゃん。ちょっと見直したわ」

 功績をねぎらまなしの登坂に肩をぽんぽんとたたかれた。

「ふっ……やるときはやる男だって、ようやく気付いてくれました?」

「何のことか分かってねーのに、よくそんなドヤ顔できるな」

「先生たちが花菱じゆんの優秀さを認め始めてきたって話ですよね?」

「ははっ、寝言は寝て言え。バカのスペシャリストが」

「だったら主語をちゃんと入れてくださいよ!」

 半分冗談のつもりだったが、マジで思い上がっている勘違い野郎だと誤解され、鼻で笑われる。なんだよ、思わせぶりな絡み方をしてきやがって。

「お前、一週間も下校時刻まで美術室にいたんだってな。大したもんだ」

「渡良瀬のありがたーいお話を聞いたり、デッサンのモデルにされて二時間は動くのを禁止されたり、鉛筆を削ったりしてただけですよ?」

「分かる。たまーに様子を見に行ってたからな。マジで笑えるわ……ふふっ……」

 笑いをこらえるアホ教師に軽く腹が立つんだが。渡良瀬が絵を描くときのエネルギーでもあるベタチョコをお届けするのも、しれっと俺の役割になったというね。

「……補習っていうのは方便で、ほんとは渡良瀬の面倒を見させようとしていたわけじゃないですよね?」

「深読みしすぎだー。そんなわけないだろー」

 ちょっと棒読み気味なんだよな、なぜか。

「まあ、ともかくだ」

 ともかくだ、じゃねぇよ。自然に話を受け流そうとするな。

よしに向き合おうとしている生徒は、お前が初めてなんだよ」

 ここでさかのおふざけモードは一転、やや声色に重みが加わる。

 腕組みした担任教師は教育者ではなく、まるで保護者。生徒相手というよりも自分の娘を心配している親の面構えをかいせ、わたの話題を投げかけてくる。

「向き合うどころか、向こうが話してる途中に寝落ちして怒られたんですけど……」

「そういうところも笑える。お前は良い意味で神経が図太いよなぁ」

 この教師。良い意味で、を付ければディスっても良いと思ってるだろ。

「初日も仲良さそうに話していただろ? あれが、なかなかハードル高いんだよ」

「いやいや……説教くらってただけですって。やる気がなかった俺と渡良瀬の温度差が半端なかったですよ」

 初日のごとを思い出して苦笑いすると、登坂もつられて苦笑した。

「あいつは偏屈で頑固で面倒臭い性格してるけど、悪いやつじゃねーから。補習の間だけでも嫌わないでやってくれ」

 根は悪いやつじゃない。たった一週間、美術室で過ごしただけの希薄な関係だけど、それくらいは俺でも分かる。誰よりも好きなものへ真剣に打ち込み、本気で取り組んでいるからこそ、遊び半分だった俺は叱られたのだろう。

「あの子……口では文句を言いながら、なんだかんだで無視はしなかったんです」

 帰れとは言われ続けたが、一応は面倒を見てくれて、寝てしまった俺が起きるのを待っていてくれた。最優先していた自分の絵を後回しにして……だ。

「ああいう面倒な後輩、嫌いじゃないですよ。それに……ただ怒られただけじゃなくて、渡良瀬なりのおちやな部分も少しだけ感じました」

 せつこう像のクダリは渡良瀬なりのからかい。俺は、そう感じた。凝り固まった顔の裏側にもお茶目な年頃の女の子が確かに存在するのだ。

 部長と言われ、かすかに得意げな反応を示したのも微笑ほほえましかった。

 そんな一方通行の微々たる交流では物足りなかったからこそ、ヒマな時間をさらに費やして人柄を知りたいと思う心の欲求は真新しい記憶に刻まれている。

「行きますよ、今日も美術室に。渡良瀬の絵を見られる特等席なので、いくら叱られても全然気にならないですね」

はなびしが能天気で良かったわ。お前はへらへらと笑いながら生きててくれ」

 うれしそうな登坂に背中をたたかれるが、めっちゃバカにされてるのでは?

 まあ、反省もせずに笑いながら補習に行く宣言をする生徒は物珍しいよな、と日頃の行いを回想し納得してみせた。

「というわけで、この昼飯を佳乃に届けてこい」

 何が「というわけで」なのかは知りかねるが、さかは手にぶら下げていたビニール袋を差し出す。受け取った俺が袋の中身をのぞむと、未開封のチョコパンが入っていた。

 一部のスーパーでまれに見かけるローカルパン、わたの大好物ベタチョコが。

めいのパシリを押し付けないでもらえませんかねぇ」

「届ける約束の時間を一秒でも過ぎると、あの神経質なお姫様はご立腹になるんだ……。オレの代わりに怒られてきてくれ……」

 姪っ子にビビってる情けない大人よ。こうはなりたくないね、ほんとに。

「しゃーないっすね。はなびしじゆんという優しい生徒に感謝してください」

「調子乗んな、ばーか。よし様の世話焼き係に任命されたことを誇りに思えや」

「ふざけんな腰抜け教師が。初代世話焼き係がイキってんじゃねぇ」

 定番と化した口論で、さらにお届け予定時刻が遅くなっていく。

 お互いに上から目線の軽口をたたきつつ、俺はパシリの下請けを前向きに続けている。

 渡良瀬と会う口実ができるのが、どことなく喜ばしかったから。

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