Chapter3 Negotiations in the High Class(2)

 ……………………従者。従者、だって?

 耳馴染みの無い言葉だったこともあり、イメージが難しかった。鬱蒼と茂る森に佇む西洋の館──までは辛うじて考えられるが、そこで俺が働いている図までは想像できない。

「ずっと、そういう役所の人間が欲しかったのよね。身の回りの世話をして、あたしの言うことをなんでも聞いて、退屈を紛らわしてもくれて、何よりビジュが良い男──ただ、これがなかなかいないわけ。特に最後のは、あたしが求めるハードルが高すぎるから」

「あー……お褒めにあずかり光栄です、琉花子お嬢様?」

 突如として割り振られたロールを演じてやると、琉花子はより一層、破顔する。

「でも、偶然だけどやっと、候補が見つかったわ。この男が良い、この男を顎で使いたいって、脊髄反射でそう思えるだけの人間が──言うまでもなく、志道のことよ?」

「評価されるのは嬉しいがな。とはいえ、吟味はしなくていいのか?」

「いらないわ。だって、こういうのは第一印象が、何よりも大切だから──それに、最初にごちゃごちゃ考えるよりも、まずは手に入れてみて、それから判断すればいいじゃない。それでいらなくなったら、だけだしね」

 タイパだけを重視するなら、琉花子の語った手段が一番、手っ取り早いだろう。

 ……モノと違って、人は軽々しく断捨離できないわけだが。

「プログラムの概要を鑑みても、琉花子にとっては都合が良いわけか」

「ええ。あたしと組むってことは、一緒に学園に入学するってことと同義だから。今後どうなるにせよ、手足になって動かせる相手が欲しいって気持ちは、やっぱりあるわ」

 カールがかった睫毛の奥。琉花子の瞳は品定めするかのように、俺を映し出している。

「……あたしに見合うかどうかって部分は、やっぱりまだ、わからないけれどね。それでも、論ずるに値しないレベルのカスに比べたら全然マシだし、何より、率先して紅茶を淹れてもてなそうとする従順さも、すごく気に入ったわ。いつかご褒美に、あたしの身体に触れる権利を進呈してあげてもいいくらいには……ね?」

 無垢さと妖艶さを、変幻自在に行き来しながら。

「あたしに従属ペットしないなんて、志道はそんな、馬鹿じゃないでしょ?」

 やがて琉花子は、俺の自由意志を一切介在させない勢いのまま、そう結論付けてきた。

 ……多少のはある。彼女の刺々しい言葉のチョイスには少しばかり釘を刺してやらないとな、だとか。奔放さと淫らさは紙一重じゃないか?だとか。

 、だとか。

 ただ。それらを加味したうえで、彼女の誘いも彼女自身も、本当に魅力的なもので。

 何より、俺からではなく彼女の方から求めてくれているという事実が、嬉しくて。

Excellent素晴らしい. そこまで情熱的に誘ってくれるなら、是非とも俺と……」

 だから俺は、実にすんなりと、こちらに伸ばされた手を掴み取ろうとして──。


「それに……あたしの従者になった暁には、なんていくらでもあげるわ」


 ──触れかかった手が垢に塗れた既製品だということを、直前になって認識した。

「……どういう意味だ」

「そのまんまよ? 服も車もそうだし、トレーニングが趣味ならジムごと買い取ってあげられる。何かわかりやすい社会的立場が欲しいなら、パパに頼んでウチの重職に就かせるよう推し進めてもあげられる。あたしが言えば、なんだって実現できるんだから」

「金で……この獅隈志道を買おうって?」

「平たく約せば、そうなるわね。言ったでしょ? 金さえあれば、どんなモノだって手に入れられるって。人も、物も、あなたも──ただ、それに見合うだけの報酬は与えてあげるわ。主人たるもの、従順な人間に対しては一定の謝礼でもって、律するべきだから」

 琉花子の両の指に嵌められたハイブランドのリングが、同調するかのように煌めく。

 華美な装飾品が……俺には、とても空虚なモノに見えてしまう。

「欲しい何かは、絶対に手に入れる──そのためのわかりやすい手段が、金ってことね」

「……その価値観が醸成されるだけ、琉花子はずっと、満たされて生きてきたんだな」

「ええ、そうよ。でも、それも当たり前よね? あたしほど優れた人間なんて世界中探してもいないし、だったら、そんなあたしが恵まれるのだって、当たり前のことだもの」

 自分という存在の尊さを、心の底から信じ切っている発言。二つの考査結果では、一応は俺が上回っていたが──そんな些末な部分を指摘しても、揺らぐことはなさそうだ。

「疑ってるなら、何か具体例を見せてあげてもいいわ。そうね……四、五人くらいに裏金渡して、セレクションから手を引かせるってのはどうかしら。もしくは逆に、志道に手付金をくれてあげても良い。あたしの部屋に、ちょうどどっちもできるくらいの金が……」

「…………いや、わかった。充分に、理解できたよ」

 すべての提案が耳を素通りして、去来した感情が、以降の話題すらをも遮る。

 結論は出た。出て──しまった。

「そう? 良かったわ。それはつまり、志道が決心してくれたってことだろうから」

「ああ、その通りだよ──」

 俺は、一分ほど前に思い浮かんだのと真逆のアンサーを、琉花子に言い放った。

「組めない」

「良かった。なら、志道にはあたしの命令に従って…………今、なんて?」

、と言ったんだ。少なくとも、今の琉花子と俺は、やっていけないだろう」

「……………………………………」

 断られるなんてことは微塵も想像していなかったようで、琉花子は呆然としていた。

「意味、わかんないんだけど。なんで? 金ならあげるって、そう言ったじゃない」

「止めてくれ。これ以上、琉花子にマイナスなイメージを持ちたくないんだ」

「なによ、それ……」

 決定的なすれ違いが本当に辛くて、ただ、それを誤魔化すことが俺にはできない。

 容易に曲げられるのなら──わざわざ、この学園に来ることもなかったから。

「金さえあれば、どんなものも手に入れられる、か。なら、反証を与えてやるよ──金や物質的な何かでは、俺は靡かない。どころか、お前は軽々しく金の話をしてしまったからこそ、俺を引き入れられなくなった。何せ俺は、だからな」

 聞くがままだった琉花子の前に、俺は足音も立てずに歩み寄った。

 彼女の折れそうなだけの細い手首を右手に取り、同時に、表情を消し──。

「二つ目。俺がお前に強引に触れようとするのを、紙幣や硬貨で止められるのか?」

「…………」

「屁理屈を駆使すれば、無数に挙げられる。金があれば、世界中の紛争を終結させられるか? 俺やお前の価値は金だけで精密に測れるか? この世界は本当に、か?」

 俺は……獅隈志道は、そうは思いたくない。

 だと、その綺麗事を守り通したかった。

「…………」

 琉花子はずっと黙っていて──だが、ある一時を機に、堰を切ったように口を開く。

「そんな……」「……」「そんな目で、あたしを見ないでよっ…………」

 静かな激情につられ、付近の壁に埋め込まれていたルームミラーで俺は、俺自身を見た。

 相変わらずのナイスガイで、ホワイトのワイシャツが似合っていて、爽やかで。

 ただ──今のそいつは、何故だかひどく、悲しそうな目をしている。

「…………放しなさい」

 無言のままで手を放し、距離を取る。琉花子が俺の言動を事務局に訴えたら、はたして俺は、学園から追放されるんだろうか──考えたくない未来だな、それは。

「……………………ふふっ」

 喚かれるか暴言を吐かれるか、まあ、そういったリアクションを予想していて。

 だが。琉花子は、いずれをも選ばなかった。

 ベッドの上に座り直し、スカート部分を気にしながらも、足を組んでくる。

「……このあたしからの誘いを、断っちゃうんだ。ふぅん、そうなんだ……」

「お前の価値観が心から変化しない限りは、俺の答えは変わらないな」

「金が嫌い……へぇ……そんなこと言う人、あたし、初めて見たわ……」

 ツーサイドアップの後ろ辺りを所在なげに撫でていた琉花子は、俺の言葉を聞いているんだかいないんだか、よくわからない態度を続けていて。

「…………あのね。言ってなかったけどあたし、好きなことがあるの」

 ようやく表出した彼女の表情は、俺が考えていたそれとは、やはり違う。

 都合の良い玩具を見つけた時の子どものような……そんな微笑を、浮かべていた。


「自分が上だと思っている人間のプライドをぐちゃぐちゃにへし折って、あたしのほうが特別だって骨の髄までわからせて、完璧に屈服させる──そういうのが、大好きなの」


「……交渉は決裂したと、そう解釈すれば良いんだな?」

「ええ。だから──獅隈志道。あんたを、絶対に後悔させてあげる。あたしに素直に従属ペットしなかったことを、一生、悔やませてあげるから」

 その台詞を最後に、ふっと、院瀬見琉花子から何がしかの感情が抜け落ちた。

 俺に対する興味か、庇護欲か、はたまた、それ以外か。

 別れの挨拶もなく、彼女は亡霊めいた静けさのまま、この場から出て行った。

 提供した紅茶は飲みかけのまま。ベッドにはフローラルブーケの残り香だけが残されて。

 手持ち無沙汰になった俺は、テレビモニターのリモコンを手に取る。

「……なかなかどうして、にはいかないもんだな」

 シネマチャンネルのラインナップをぼんやり眺めながら、そう、独り言ちてみた。

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