Chapter3 Negotiations in the High Class(1)

 昨日今日含めて一週間にも及ぶ長丁場の滞在先は、事前に決められていた。

 プリンセスホテル渋谷。ちょうじゃばら学園南側正門入口から歩いて三分ほどの場所に位置するハイクラスへ、今回の入学セレクションの受験者は宿泊することになっている──ちなみに、滞在費や交通費などの諸経費は学園側が持ってくれているため、受験者側に対しての金銭的な負担は一切、発生していない。誰もが無償で、VIP待遇を受けられる。

 ……これらも全部、大人の粘着質な政治によって、生み出されるものなんだろうな。

 というのも、日本に存在する大企業の多くは長者原グループと、良好な間柄でいたいと考えているはず。系列企業数は忘れたが、総従業員数は確か、日本の総人口の数%、だったか──その辺の詳細は抜きにしても、絶大な影響力を有しているのは紛れもなく事実。

 よって「ここ使いたいんだけど良いか?」くらいの申し出なら請け負うことで、関係を持つ、維持しようとする。格式高いホテルが学生に貸し切られるのも、ファイルマンのような外部の重鎮がプログラムに一枚噛んでいるのも、全部が全部、繋がっているんだろう。

 つまりは、日本の王とも呼ぶべき長者原氏。そんな連中が直々に運営している教育機関なら──一筋縄ではいかない課題を突きつけるのも、それ自体はなんら、不思議じゃない。


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 入学セレクションプログラム【黄金解法】の概要が発表された、約一時間後。

 ハイクラス五階。前日から宛がわれていた部屋に戻ってすぐ、全身を床に放り投げた。 うつ伏せのまま──両腕に少しずつ体重をかけていって、最後には完全な倒立を作る。

 ……らしくもなくナイーヴになってしまった後は、身体を動かすに限るよな。

「問題を探し解け……とにかく資産を積み上げろ、か」

 頭に血が巡っていくのを感じつつも、思考をプログラムにも向ける。

 誰よりも資産を積み上げ、五日後の結果発表の際には、上位三名へ名を連ねればいい。

 勝利条件はそれだけで……ただ、単純だから簡単かと言われたら、そうじゃない。

 そもそも、問題という部分に絞っても考えるべき事は多い。通常の学力入試と違って内容や範囲を予想できないうえ、示された例題から判断するなら、より総合的な教養が求められるのかもしれない。全部が全部、あの程度の難易度である保証もないしな。例題は露骨に易しい類で、蓋を開けてみれば頭がパンクするだけの難問ばかりの可能性すらある。

 加えて。その問題が隠されていると言うのだから、厄介も厄介。

 一冊の本の中。テーブルの裏。テニスコートのネットの端。

 問題カードの形状によっては、ファッ○ンふざけた場所にすら隠せてしまう──それこそストリートのような商業活動が行われている区域や、在校生の寮代わりのマンションなんかの例外区域は事前に弾かれていたものの、それでも、広大な学園敷地内を隅から隅まで探し回らなければならないというのは、想像するだけで疲労困憊ものだ。

 さて。

 そんな諸々を考慮したうえで、俺の今後の方針は既に固まっていたわけだが……。

「……来たな?」こんこんと、打鍵音のような響きが聞こえてすぐ、倒立体勢を解除。

 の来訪を予期しつつも、出入口へ近づいていった。

「──ごきげんよう」

 重厚なドアの前。ほんの一〇分ほど前に、俺の方からも連絡を返した相手。

 受験者識別番号99番──が上目遣いを作って、そこに立っていた。


 ベッドメイキング後の皺一つ無かったセミダブルに、今は琉花子が腰を下ろしている。

「何から話そうかしら……そうね。さっきの説明会、どう思った?」

 密室に男女が二人きりという構図を、何一つ気にする様子はなく。引き続き日課の筋トレ(次はプランクにした)に打ち込む俺へ、彼女の方から話題を振ってきた。

「あたしは──こいつら全員、馬鹿なんじゃないの? って思ってたわ」

「HAHA、いきなり辛口だ、な……待て。あまりに直球すぎて、腹筋がつる……」

「だってそうでしょ? 文句ばかり言う奴は確定で無能。焦ってる奴も論外。で、思考停止した連中にちょっと突かれたからってムキになってた呉宮とかいうメスガキもそうだし、偉そうに立ってただけの事務局員も同じ。みーんな、端から端まで馬鹿ばっかり」

 いっそ笑えてくるだけの、トキシックな暴言の連発。

 ただ、それを誰が窘めるよりも先に、彼女自身の次の言葉が機先を制した。

「でもね──志道は違った。ずっと落ち着いていて、周りの人間や状況にも一切流されてなくて、むしろあの段階で、どう動くかを考えていたはず……ね、そうでしょ?」

「……さ、どうだろうな。まったく別の話、例えば──どうして人はこんなにも金に固執してしまうんだろう、なんて哲学的なことを、一人思い耽っていたのかもしれないぞ?」

 俺にとっては答えの無い難題で。思考を蝕み、切っても切り離せない宿命でもあって。

 だが、聞いた琉花子は自分の頬に人差し指を当てて、きょとんとするだけだった。

「そんなの簡単じゃない。……でしょ?」

「……………………」

「だいたい、煙に巻こうとしても無駄よ。志道のこと、観察してたから──何かを隠したいなら、金額についての話が触れられた時点で少しは驚く演技をするべきだったわね。あそこで微塵も動じてなかったのは、色んな意味でがありすぎるもの」

「……なるほどな。そう、捉えられるわけか」

 一個前の答えに気にかかる部分はあったが、同時に、彼女の観察眼にも意識が向く。

 本当に、よく見ているんだな。いっそ、見すぎてるくらいに──。

「留学しようと思えばできるくらいなんだし、実家が太いのかしら? ……だったら、あたしと同じね。『院瀬見重工業』って知ってる? あたしのパパ、そこの取締役なの」

「薄々、察していたよ。俺が乗ってきた飛行機の中にも広告が出ていたうえに……その飛行機を製造しているのが、琉花子の実家なんだろうから」

 一分周期で五セットほどこなした辺りでプランクを止め、すっくと立ち上がる。

「何なら、そういう立場の奴は意外と多いのかもしれないな。親が息子や娘に箔を付けさせるために、この学園への受験を勧める、みたいな具合で──琉花子は、どうだ?」

「……自分の意思よ。他の有象無象がどうなのかは知らないし、知りたくもないけど」

 そうなのか、と。俺はあえて、広がりの無い相槌を打った。AOは受けたのか、合否はどうだった──これ以上を聞くのは無粋だろうし、何より、直近で軽々しく身の上に触れた結果、俺は一人の少女在歌から不興を買ってしまったからな。

「どうせ、食べないでしょ?」

 甲斐あって、今回はあるかもしれない逆鱗を避けられたらしい。琉花子は特に機嫌を損ねることもなく、サイドテーブルの上に置かれていたウェルカムスイーツを指差してくる。

「甘いのが好みなら、消費してくれて構わない。飲み物はどうする?」

「紅茶。砂糖は三個で、ミルクは別の器に──ちゃんと、覚えておきなさい?」

「会場でも飲んでた辺り、ジャンキーのようで……砂糖三個だと? 風味飛ばないか?」

 ここまで来ると、令嬢どころか一国の姫か何かみたいだな、なんて思いつつも。

 俺は、茶器類が置かれたラックの前まで移動した。ハイクラスだけあって備え付けは充実しており、酒類以外の嗜好品は山ほどある。俺自身、調理やら何やらは割かし好きな部類の作業だったこともあって、ささやかながらもテンションが上がる品揃えだ。

「……率直に言うわ」

 俺が彼女のためだけの茶会を準備している間に、琉花子はサブレの封を開け、もしょもしょとそれを咀嚼して、それから。たっぷりの時間的猶予をもって、告げてきた。

「あたしと組みなさい。それがあなたにとって、の選択肢よ」

 紅茶の注がれたカップやら何やらを、ベッド横のサイドテーブルに置きながら。

 どうやら……最初に考えることは誰しもが、似通っているらしいな。

「いただきます…………えっ、美味しい。味にはあんまり、期待してなかったのに」

「器具がある程度は簡易的なぶん、パーフェクトじゃないだろうがな」

「……いえ。この場で出せるクオリティとしては、百点を上げても良いくらいよ」

 気持ちいいだけの賞賛の後、湯気が立ち上るカップに角砂糖を沈める琉花子。

 片や俺は、空になったミネラルウォーターのボトルを潰してから、発言を精査した。

「ま、今回のプログラムは、合格者定員がという話だからな。裏を返せばそれは、自分を抜きにして二人までは仲間にできる、とも考えられるはずだ」

 個人の力量だけを見極めたいなら、受験者間での送金ギミックは邪魔でしかない。だからこそ、呉宮を筆頭とする事務局サイドも、少数の協力関係を奨励していると捉えられる。

 そのうえで。正味、マンパワーは正義だ。一人で問題を探すよりも二人、三人で問題を探すほうがどう考えても効率が良いだろうし、複数人ぶんの知識を結集すれば、より多くの問題を答えられるかもしれない。その場合、得られる正答報酬金は協力者間で等分という形になるんだろうが……それを差し引いても、スタンダードな戦略だと呼べそうだ。

 何より──特異な状況下で孤高に戦い切るのは、精神的な部分でも厳しいもんな。

「ええ。余程頭が回らない奴か、自分の能力を過信してるタイプの奴でもない限り、デュオかトリオを組むのが、ひとまずは正攻法……他の連中から、誘われたりした?」

「ああ。説明会場から戻る時点で声をかけられたし、端末上でも相当な誘いが来た──大人気だろ? 俺がテーマパークのアトラクションなら、ファストパスが出始めてる辺りだ」

 自分の端末を手に取って、指先で画面を軽く叩いてみせる。

『学力考査順位:2位 体力考査順位:1位』

 俺の考査結果は、両者ともに高順位。事前アドバンテージとやらも最大理論値の500万円を獲得できているため、第三者が引き入れたがるのも納得──ただでさえ魅力的な俺だが、今回のプログラムにおいては更に強力なバフがかかっている、ということになるわけだ。

 ……ちなみに。

 今回の入学セレクションのために用いられるアプリケーションは、俗に『スーパーアプリ』と定義されるものだった。単に受験工程の進行をする機能だけでなく、他の受験者と連絡を取るためのチャットツールや、全受験者の考査結果を閲覧するためのライブラリなど、複数の機能が組み込まれている。あのファイルマンとかいう実業家も物見遊山で事務局側に立っているのではなくて、どうも、それなりのタスクはこなしているらしい。

 とまあ、そんなテクノロジーの集合でもある端末を、ベッドの隅に放り投げて──。

「それで? 琉花子も俺に、類い稀なる力を思う存分、発揮してほしいのか?」

 俺もなるたけストレートに聞いてみると、琉花子は薄く笑みながら答えてくる。

「ええ。志道が優れた能力を持ってるなら、それは使うべきだから」

「……昼間の意趣返しに当ててやるよ。『あたしのような一流の人間にこそ、獅隈志道という武器は扱うことができる。他の人間には、絶対渡さない』──こんな感じだろ?」

「……ふふっ。志道に目を付けたのは、やっぱり正解だったみたいね」

 こくり、頷かれ。

「そうだ。良い機会だし、あの時事務局の馬鹿に邪魔された台詞、ここで言ってあげる」

 琉花子の艶やかな唇は、そのをすんなりと紡いできた。


「あたしのになりなさい──獅隈志道」

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