Chapter3 Negotiations in the High Class(3)
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「とまあ──せっかく打ち解けた琉花子と、こうして仲違いをしてしまったわけだ」
現在地は、ハイクラスの三階。開放的な、ビュッフェ形式のレストラン。
ここに至るまでの一部始終を語り終えた俺は、皿の上のローストチキンをフォークで刺し、口に運んだ……塩辛い。ただ、これは味の問題じゃなく、気分の問題に違いないな。
「感想、言っていい?」「聞こうか」
「君も、その院瀬見さんという人も──ここに何しに来てるの?」
丸形のテーブルを挟み、俺と同席している彼女──在歌は、瞼の辺りを擦っていた。
「そうだな。いきなり従者になれと持ちかけられるのは、さしもの俺も想定外だった」
「しれっと自分は違う、みたいな感じの立場になろうとしないで。それに、院瀬見さんの理屈は、まだギリギリわかるわ。協力者と一緒に戦って勝つところまで考えるなら、相手を選びたいってのは当然だろうし……ディテールの部分は、理解不能だけど」
相も変わらず訝しげな調子で。視線も合わせてこないまま、在歌はぽそりと続ける。
「……そんなに交際相手が欲しいなら、素直に乗ってあげれば良かったじゃない。軟派な君には、願ってもない誘いでしょうに」
従者と恋人は、立場として対照的な概念な気もするんだけどな──で、それ以上に。
「途中で説明しただろ? 俺は金が嫌いなんだ。金で何もかもを解決しようとするのは流儀に反するし、ましてや、金でこの俺を釣ろうだなんてのは、到底受け付けられない」
そのまま、水で一度、舌をリセットしてしまう。
「もし在歌が琉花子と同じような考えだとしたら……ディナーは、ここで終わりだ」
「………」「どうだ?」「……終われるなら、それはそれで構わないのだけど」
不服気ではありつつも。だけど在歌は、小さな嘘すら吐けない性分らしい。
「お金で何もかもを押し通そうとするのは、私も間違っていると思う」
「……嬉しい時も、涙って出るんだな」「目薬差してまで、小芝居打たなくて良いから」
安心したのも束の間。在歌は、俺の演出をばっさり切りながら続けてくる。
「別に、君を引き留めたくて言ったわけじゃない。本当に私も、そう思っているだけで──というか。だったら君は、なんでこの学園のセレクションなんて、受験しに来たのよ」
「…………」付け合わせのグリーンサラダを噛むことで、沈黙を正当化する。
「好き嫌いは主観だから、そこは別に良い。でも、この学園の根底にあるのは『お金を利用して学生を育成する』というものでしょう? それは君にとって許容できる話なの?」
「……あまり、耳触りの良い触れ込みじゃあないな」
「なら…………っ、なんでもない。君のバックボーンは、私には関係の無いことだし」
言って、在歌は俺の話を聞いている間もずっと弄っていた、それを──トランプの束を、そそくさとプラスチックケースにしまっていた。几帳面に、ジョーカーを一番上にして。
黙って放置しておくには、ちょっと気にかかりすぎるんだよな。
「なあ。在歌は、何でそんなもん弄ってるんだ?」
嘲笑じゃなく心からの疑問だったものの、耳にした彼女は、むっとしてしまう。
「単なる暇潰しだけど、何か文句ある? 他の人たちが待ち合わせの時にスマホを見るように、私にとってはスピードとか大貧民とか、そういうのをやっていると落ち着くの」
「……その手のボードゲームは、誰かとやるものじゃないのか?」
「一人でもできるわ。例えばスピードなら山札をどれだけ早く消費できるかの瞬発力を養えるし、大貧民の場合は手札の情報が透けて見えるからこそ、どのカードをどのタイミングで切るかの、合理的判断能力を培うことができる。言ってみれば、教材みたいなものよ」
……玩具すら勉強道具にする辺り、彼女の知的探究心は留まることを知らないらしい。
「そ、そうなのか……大貧民派なんだな、在歌は」
「変な奴だって、どうせ、そう言いたいんでしょうね」
カルチャーショックをあっさり看破して、そのまま在歌は切り込んできた。
「院瀬見さんを味方にできなかったから、次は私を懐柔しようって算段?」
「順序に文句があるのだとしたら、その部分は訂正しておこうか。俺は琉花子の代用品として在歌に声をかけたわけじゃない。単に接触が先だったのが、琉花子だっただけだ。説明会が終わった段階で……在歌に声をかけることは、俺の中で決心していたしな」
本当に、たったそれだけで──というよりも、在歌の痕跡があまりにも無かった。
アプリに付属したチャットツールで連絡を送っても返事がないし、あちこち探し回っても一向に見つからない。それこそ、隠された問題を探すかのような徒労を労うために夕食を摂りに来たところで、ようやく食事中の在歌を発見できた、という流れだ。
「いやあ、偶然出会えた辺りからも、俺たちにはやっぱり特別な運命が……」
「そんなの無いし、だとしたら、どうして決心していたかの疑問が生じるのだけど……それに、考査結果が開示された後で言われても、素直に受け取れないわ」
『端末名:芹沢在歌 受験者識別番号:18 学力考査順位:1位』
アプリケーションのライブラリの項に寄せられていた情報によると、彼女は他の受験者すべて、つまりは、この俺すらも凌駕して、学力考査で頂点に君臨していた。
加えて。今回のプログラムの性質上、幅広い知識というのは垂涎の要素であり……。
「打算的な意図がまったく無いかと言われたら、何も言えないな。ただ、概要を聞いた奴なら誰でも考えるだろうが、今回のセレクションは誰かと組んで戦うべきで──在歌からしても、協力者の存在は欲しいはずだろ?」
紙ナプキンで口元を拭いながら、付近の別の席に座っていた連中に目を向けた。
小規模なグループが構成されていて、グループの人数は二人、ないしは三人。
たぶん、彼ら彼女らは早々に協力者を確定させていて、既に明日からのプログラムに向けて方針を練ったり、行動を共にする相手と、親睦を深めようとしているんだろう。
……俺も、要はそういうことがしたかった。
「そろそろ、結論を口にしても良いか?」
この場で見せられる真摯さをフルで示すべく、俺は在歌を真正面から見据えた。
「──組んでほしい。他の誰でもなく、俺は在歌を選びたいんだ」
かなりの山場だったこともあって、こちらの表情はシリアス一辺倒だったはず……だが。
「無理」
「……ま、そうすんなりいくとは思ってないさ。ちなみに、誰かと組んだりしたのか?」
「そういう話ではなくて──私は、誰とも協力するつもりがないから」
……………………???
「ほ、
「一人で取り組みたい。それ以外に、言うことはないわ」
あまりの短絡的帰結に耳を疑うレベルだったが、在歌は重ねて、自分の方針を告げてきた──仄暗さはなく、いっそ晴れ晴れとした表情。止めてくれ、勝手にスッキリするな。
「話、聞いてたよな? 自分でも今後のこと、色々考えてみただろ?」
「考えたうえで、私はそうするのよ」
「となると、俺と在歌の常識が違う可能性が出てくるんだよな……」
学力考査で一位を取れるような人間が、少人数戦の不利を理解できないわけがない。
問題の総数が少なめに設定されている場合、探すための人員が一人だと苦慮するだろうし、いくら在歌が賢くとも、それでも解けない問題が多く配置されているかもしれない。
考えれば考えるだけ、彼女の戦術は思考を停止している風に見えてしまって……。
「誰かに頼ってしまったら、意味が無いのよ」
「……意味が無いってのは、どういうことだよ。自分一人の力で勝たなければ、セレクション生としての
「間違ってない。私にとって、今回のセレクションは単なる試験じゃないのよ。お金がすべての学園で渡り合い、正々堂々とした競争の末、頂点に立つ。その資格を証明するための第一歩こそが、セレクションだから──内容が、どんなものであろうと」
「……いったいどんな目的が、今の在歌をそこまで突き動かすんだ? バスタブに浸かれるだけの金か、他人から讃えられるほどの名誉か、もしくは………」
「その話題を口にしたら、金輪際、君とは会話しない」
「…………OK。俺からは、もう触れない」
切迫した宣告。父親の話をすることは、彼女にとって許されざるタブーらしい。
「とにかく、私一人での実力を証明したい以上、君の望みは飲めない」
バッドコミュニケーションが続くなか。今度は在歌が、会話を回してきた。
「どうして私に拘るの? 君の考査結果を見る限り、引く手数多でしょう? 他の人たちから、誘われたりしなかった?」
「……誘われたし、琉花子に至っては俺の部屋にまで足を運んでくれたな」
「だったら──自分を求めてくれる人のために、努力すればいい」
「ダメだ。俺にはもう、在歌しかいない」「真面目な顔をされても無駄」
「……」「……」「……」「ず、ずっと見つめ続けるだけなのは卑怯よ……」
これでいて、押しに弱いのかもしれない。頑なな態度のなかに生じた隙を察知する。
……自分自身が納得できるかは大切なことだよな。仮にそこへ、理路整然とした理屈が伴わなくとも。今の芹沢在歌が俺に求めているのは、意図の開示のはずだ。
ここは、カードの切りどころだろうか?
信頼関係を築き、共に戦っていきたいと言うなら──説明義務が、あるだろうから。
「──俺には、夢があるんだ」
「……夢?」
「ああ。十年後、俺は南の島に移住して、そこで毎日、のんびり過ごしているんだ。朝食を終えた後、午前中は映画を流しながら、家事を片付けてしまう。そうして午後は海を泳いだりサーフィンなんかで身体を動かして、夕陽が沈む頃には家に戻る。アルコールは特別な時だけ。夜は遅くても、日が変わるまでにはベッドに入ってしまう」
「そう……随分と楽しそうな未来設計図だけど、勝手にやればいいんじゃない?」
早々に人生を上がりたいだけとでも捉えたのか、どうでもよさげな返答だった。
「いや、ダメだ。この生活には、本当に大切な存在が抜け落ちている──そう、恋人だ」
「……まあ、君の言動からして、そうなんでしょうね」
「ああ。どんなに便利で物に満たされた環境だとしても、一人きりは虚しい。人は、一人じゃ生きられない。燃えるような恋と、分かち合える愛が必要で──金じゃ絶対に得られないそれがどうしても欲しくて、だから俺は、その相手を探しに来たんだ」
「……なら、
ぽしょりと漏れた反論を、俺は丁寧に掬い取った。
「いや、ここが良い。ここなら美しくて、魅力的で、明確な目的や夢を持っていて、それでいて、何より──俺を養ってくれるような女子も、きっと見つかるはずだから」
「……………………………………は?」
「その点を鑑みたからこそ、在歌。お前じゃないと、ダメなんだ。ビジュアル、知性、正義感。たった一日だが俺は、在歌に無限の可能性を見た。共に生きて、共に死ぬ未来を」
「…………………………」
「今すぐに返事をしろ、とは言わないさ。どうせ入学すれば、三年間はこの学園に縛り付けられることになるからな──ただ。いつかは在歌に、俺を受け入れてほしいとも思った。そのために一緒に時間を過ごしたいし、お互いを理解し合いたい、とも思えたんだ」
ふと、頭の中で描いていた日常に、在歌がいることを想像してみる。
……最高だ。日没直前の砂浜を二人で歩いている最中に在歌は貝殻を拾い上げ、それを耳に当てて「波の音がする」「そりゃ反響してるからだ」「こういう時は、もっとロマンチックなこと言って」やがて在歌は笑って、それでも俺の隣から片時も離れなくて……。
「…………………………頭が、痛い」
俺の空想上の在歌は、現実の在歌の冷淡な言葉によって一瞬で消滅させられた。
「薬でも貰ってくるか?」「大がかりな治療が必要なのは、間違いなく君の方だと思う」
「ロボトミーとかか? 攻めたブラックジョークだな」「そういうの、良いから」
ファッ○ンなまでに辛辣だった。くそ、俺のプレゼン力が足りていなかったのか……?
「……養ってくれる、という話だけど」
在歌は既に食事を終えただろうに、ラムネ菓子を一粒、袋から出していた。仮にそれが彼女の思考ルーティンの一環だとして、そんな複雑なことを言った覚えは無いんだが。
「自分がパートナーを養おうとか、そういう風なことは一切思わないの?」
「思わないな。俺は働くことや、利益を生み出すこと──ひいては、金を積極的に稼ぐことを嫌悪してるからな。それについては、パートナーに一任しようと考えている」
「それじゃあ、ただのヒモじゃない……」
「ちなみにだが。南の島ってのは強調したかっただけで、そこに真実の愛があるなら一畳一間だろうがなんだろうが、別になんだっていい。恋人がいるなら、その場所が楽園だ」
「あ、そうなの? なら良かった……違う、なんにも良くない!」
盛り上がったりぼやいたりと忙しそうな在歌に、俺は持論を語り続ける。
「それに、だ。金に携わる以外のことであれば、俺はいくらでも献身的になるぞ? モーニングにエッグベネディクトを用意してほしいなら最高のモノを提供するし、もしもパートナーに危害が及ぶようなことがあったなら、地平線の果てまで駆けつけ、守り抜く」
「……エッグベネディクトを作るための卵とかベーコンとかは、誰のお金で買うの?」
「パートナーの出費になるな」
「堂々と言わないで……でも、主夫として支えるつもりはあるの? なら、少しは納得できるけれど……無理、できない。だって、それならやっぱり、ここじゃなくていいもの」
右の掌だけで両目を覆っていた在歌は、救いを求めるかのように話を変えてきた。
「な、何か他に夢とか、目的とかってのは無いの? お金を使って誰かのためになりたいとか、資本を扱って大きな何かを成し遂げたい、とか……」
「無いな。むしろ、そんなくだらないものは持たない方が良いとすら思ってるよ」
「…………くだらない、ね」
その部分だけを復唱した在歌は、声音をより厳しいものへと変えてしまう。
「セレクションで行う内容も、要はお金を稼ぐということになるのだけど……流石に入学のためだし、今回は我慢して、努力をしようと思ってるのよね?」
「いーや。セレクションでも俺は、モットーを曲げるつもりはない。問題を解いたり探したりするのは協力者に任せようと思っているし、俺の協力はそれ以外の部分で行おう」
「それでよく、自分と協力してほしいなんてこと言えたものね……ねぇ。本当に、それで良いの? 他人任せでセレクションを通ったとして、それで君は、胸を張っていられるの? 少しも、恥を感じないの?」
「恥? ……わからないな、どうしてだ? 在歌はやはり才色兼備で、素晴らしく魅力的な存在だなと、そうやって再認識できるだけだろ?」
「…………………………………」
完璧だった。これだけ赤裸々に伝えたら、在歌だって、きっとわかってくれるだろう。
「とまあ、これが俺がここへ来た目的だ──理解してくれたなら、一緒に戦ってくれ」
内心エキサイトしながらも、俺は再度、右手を差し出した。
そうして──。
「……君、やっぱり一度、クリニックにでも行ったほうがいいと思う。たぶん重症よ」
在歌は、道端に捨てられた子犬を見るような、哀れみに満ちた目をしていた。