Chapter1 わずかな金で満足すること、これも一つの才能である(1)

 私が抱いた感想は、ごくシンプルなもので──この学園は、何もかも満たされている。

 最初に目を惹かれたのは、文字通り視覚的な美しさ。複層ガラスとモノトーンが基調となったキャンパス群のデザインは、何かの研究機関にも似た落ち着きを放っていた。

 一方で。空間の合間に植樹された緑や、足を休めるためのあずま、在校生徒らの憩いの集まりに適した中央広場など、些細なホスピタリティすらも欠いていない。施工の際には高名な建築家らによる熾烈なコンペが行われたそうだけれど、その成果はまさに珠玉だった。

 ……施設の絢爛さや機能性は、それだけじゃなくて。元々は官有地だった一帯が買い上げられ、豪奢な箱庭が構築された現在は明確な意図から、エリアごとに細分化されている。

 図書館や芸術センターといった、学術的施設が収容されているエリア。グラウンドや屋内運動場が配備され、主に体育会系の催しに適したエリア。もっと言えば、人工温泉やサウナ、ゲーミングハウスやコンセプトカフェのような、娯楽の提供を目的としたエリアすら存在する。文化的生活の様々が敷地内で完結する程の待遇が、ここには用意されていた。

 そんな、東京都渋谷区のほぼ中心に居を構える、贅の限りが尽くされた学園。

 私立ちょうじゃばら学園。総資産約1000兆円を誇る、源流は財閥の血を引く長者原グループが母体となって運営する教育機関であり──私のような入学希望者にとっての、憧れの学舎だ。


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 三月二日。学園内商業娯楽エリア《ストリート》に位置するカフェテリアのテラス席。

せりざわあり、だったか」「──はい」「、か……」

 読みかけだった新書に栞を挟んで、それをカフェテーブルに置きながら。

 山吹色のブレザーの上に純白の白衣を羽織り、着席していた彼──ちょうじゃばら学園三年、たかつかさみなとは、私に同席を求められても一切、動じていなかった。むしろ受け入れてくれたうえで、何かまで考えているように見えたくらい。

「……は邪推だな。早速だが、本題に入らせてもらう」

 居直って。彼は、まっすぐに私を見据えて──。

「芹沢。君が気にかかっているらしい『この学園は本当に入学する価値があるのか?』という件についてだが──間違いなく、ある。少なくともオレ個人は、そう考えている」

 早々に、結論から述べてくれた。

「知っての通り、長者原学園は学園内でのあらゆる活動を通じて、未成年でも合法的に大金を扱うことができる場所だ。日本はもちろん、世界に目を向けてもこんな場所は他に存在しない──運営資金力や政府との折衝の観点から鑑みるに、安直な模倣も無理だろう」


 ……鷹司先輩が言う『金』は、そのままの意味だと思う。日本円。紙幣であり、硬貨。

 簡潔に言ってしまえば、この学園では全ての部分において『お金』が介在していた。

 曰く。学力試験や校内行事、課外活動など、与えられた場で評価される活躍や功績を残した生徒には学園側から個人への投資的意味合いで、まとまった報酬金が与えられる。

 曰く。生活必需品や衣食住の確保、並びに学園へ在籍し続けるための在籍税や卒業要件として必須となる学園への寄付金など、収入だけでなく支出もシビアに課される。

 曰く。ゼロサムゲームの延長線上として他生徒と競い合うことで、勝者はより富み敗者はより貧するようなシステムが、法的にも問題ない規則として公に定められている。

 そして、曰く──未成年の学生というまだ未熟な立場でもあらゆる事業を営むことが可能で、積極的に稼ぎ資産を積み上げる行為が、学園側から奨励されている。

 ……理想の桃源郷か、それとも、謀略渦巻く伏魔殿か。どこか物々しい印象を持ってしまうのは、学園内で動いている金額が一万とか十万とか、そんな次元じゃないから。

 百万、千万、時には億を超える程の額が飛び交い、しかも、それら大金を扱うのがまだ、成人すらしていない学生たち──荒唐無稽で聞く人が聞けば笑ってしまいそうな話だけれど、何もかもが事実。二〇〇〇年代初頭、時の首相が日本の経済成長を促すための長期的施策の一つとして承認したのが、ちょうじゃばら学園という名の『』だった。


「高校生にそんなことをさせるなど、前代未聞。先行きが不透明であり、何より健全ではない……といった批判も、未だ根強いが。ただ、は出続けている」

 図ったかのように。先輩は机上の新書の隣、自らのスマートフォンを手に取った。

 件の機種は、長者原学園第一期の首席卒業生が立ち上げた企業が制作、生産している国産携帯端末。現在は国内シェアの50%近くを占めていると、そんな統計も出ている。

 ……たったこれだけでも、この学園には確かな存在意義があったと言っていいくらいの偉業だったし、そうでなくても卒業生の功績は、多種多様な業界へ及んでいた。

 個人でAIの革新的な運用体系を作り上げ、数多のスポンサーを獲得した技術者。

 現代美術界の若き天才として、世界各国のコレクターへ衝撃を与え続ける画家。

 地方リーグに属する球団の経営権を買い、自らも選手としてプレーする野球選手。

 そんな、学園の掲げる教育方針をそのまま体現したかのような卒業生らの存在は、紛れもなく今の日本経済を、自らが生み出した資本によって支えるプロスペクトで──。

「僭越ですが。先輩のような方の存在で、世論も変わりつつあると思います」

 ──今年の首席卒業生である鷹司湊にも、輝かしい未来が約束されているはず。

「在籍三年間で近くの個人資産を積み上げ、卒業後は民間の医療研究法人を立ち上げることが決定している……報道機関の受け売りで、恐縮です」

 これもまた、この学園でしか有り得ないシステムによるものだった。在校生が積み上げた資産は在学中の段階で自由な用途に費やせるうえ、卒業時には収めるべき寄付金を除いた資産が丸ごと個人へ譲渡されるという、破格の前提で成立する産物。だから、チープな表現をするなら『』と、そういった風に捉えている人も、相当数いる。

 いくらなんでも、桁違いすぎるとは思うけれど……とにかくここは、そういう場所。

「驚いたろう? 100億という数字だけを切り取れば、尋常ならざる額だからな」

「ええ、それは勿論……ただ。私はそれよりも、先輩の志に感銘を受けました」

 癌の特効薬を作りたい──先輩はとあるインタビュー記事で、生涯目標を語っていた。

 険しく、途方も無い目標。だけど、その目的のために学園で資産を成し、目前に迫る卒業後には満を持して行動に移そうとしている点は、私にとって眩しすぎる姿だった。

 その道のりに、どれだけの苦難や挫折があっても──彼は進み続けようとしている。

「……種銭を作っただけで、まだ何も成していないんだ。そう、持ち上げてくれるなよ」

 私からの賛美の言葉に、彼はただ謙遜するだけで。

「だが、一例としては適切か? ……でだ。オレか、他の卒業生のような多種多様な目的を持つ人材が輩出されてきた事実こそ、個人的な確信の裏付けになる」

 あくまで主観であることに注意しつつも、鷹司先輩は続けた。

「普通は不可能だ。だが、金という絶対的な尺度を定義することで、ありとあらゆる学生の受け皿として機能できる。何かに特化した才能を持つ人間もそうだし、逆に、何も持たない人間も金さえあれば許容される──何故ならここは、金が全てだからだ。金で実現できないことはなく、金で解決できない問題もない。社会の縮図、そう考えてくれていい」

「縮図、ですか」私の鈍い反応に、どこかザラついたモノを察したのかもしれない。

 露悪的な表現だがな、と。先輩は薄く自嘲しつつも、それでも取り消さなかった。

「想像してみてくれ。学生が社会に出た時、勉強ができたりスポーツが達者なだけで評価されるか? 崇高な理念や夢を持っているとして、それが無条件に尊重されるか?」

「……残念ながら、されないでしょうね」

「そうだ。個人が素晴らしい能力を持っていようが、切実な努力を積み重ねようが、そんなものは誰も、見向きもしない。結果よりも努力が大事だとか世の中は金じゃないだとか、それらは綺麗事に過ぎず……なら、人々の本質的な価値基準は、一体どこにある?」

 こちらの答えを聞くより先に、先輩は断言した。

だ。どんなに取り繕っても、結局は金に帰結する。よって、すべての概念はそれ単体ではなく、結果的に創出される資本によって、その価値も定められるべきであり──もっとも、他のすべてを蔑ろにしていいわけじゃない。個人が取り組むためのモチベーションは不可欠だろうし、そもそも、オレ自身の動機もそうだからな」

 微かに表出した先輩の個人的な部分が、その後の語気をより強いものにしてくる。

「が、それらを押し通したいのであれば必然、この国の懐を潤せるとも証明しなければならない。理想論だけで回るほど、この世界の値段はないからな」

「……ええ、その通りだと思います」彼の主張ごと飲み干すように、私はグラスに注がれたトニックウォーターに、ストローで口を付けた──喉元を通る炭酸が、やけに痛い。

「総括だ。この学園での三年間は何にも代えがたい貴重な経験で、一貫している教育方針もまた、正しい。各々の個性や能力を伸ばすのは個人に一任しつつ、万事に共通するルールである『』を、我々に叩き込んでくれるのだから」

 語るたかつかさ先輩は、私と三歳しか離れていないとは到底思えない程、大人びていた。

 大人だから──この学園で時を過ごしたから、導き出した考えなんだと思う。

「さしあたり、今のせりざわが求めている内容は、こんなところだろうか……失礼」

 先輩のスマートフォンの着信が鳴って。手短に通話を終えると、先輩は席を立った。

「米国のビジネスパートナーから、連絡が入った。悪いが、この辺りでいいか?」

「了解しました──その、この度は本当に、ありがとうございました」

 私の定型文じみた感謝の言葉に、鷹司先輩は「会計は済ませてある」と返してきて。

 ……何から何までお世話になってしまったのが、それがやっぱり、申し訳なくて。

 ただ。最後の最後に先輩は、私の方からもお礼を返す機会をくれた。

「……芹沢。オレからも、君に聞いてみたいことがあるんだが、良いか?」

「ええ、勿論です」むしろ率先して協力したいくらいだった私は、次の言葉を待つ。

「君がもし、この学園に入学できたとして──そして、金を手にした先で、どうしたい?」

「…………」

「プライベートな話だ。伏せたいなら、それでも構わない。だが、君のようなを受ける前の人間にこそ、オレは問いたい」

 発言の後、それまで以上に場の空気が引き締められた。野次馬的な興味じゃないというのは言葉にされなくても伝わってくる。不用意な返答は、彼の失望を招くだろうことも。

 だから。この場を設けてくれた先輩へ、最大限の感謝を示すためにも──私は告げた。


「この国のの椅子を、この学園で得られる使ったうえで掴み取る──それが私の、たった一つの本懐です」

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