第一章 命運をかけた舞踏会②

「エリス」

 そのときイルミナに名前を呼ばれた。顔を上げると、彼女はエリスと視線を合わせるように険しい表情で立っていた。

「そろそろ本当の用件を教えてくださる?」

「ええっと」

 勢い任せにイルミナに抱きついてしまったしゆうしんと、命の危機に直面したあせりで頭がぐちゃぐちゃになる。

「夜着のままわたくしに会いに来るなんて。本当に王女としての自覚が足りませんのね」

「!」

 次期女王と期待されるだけあってものすごい圧力だ。イルミナはあわゆきのような儚げな容姿から弱々しい印象を持たれがちだが、常にものじせずぜんと振るっている。

(……王女としての自覚って何よ)

 エリスはこぶしにぎめる。ふたなのに、似ているようで似ていない。

 イルミナのかみ色が光を浴びて輝くプラチナブロンドなら、エリスは闇を固めたオニキスのような黒髪だ。顔立ちも前者がうれいを帯びた印象を抱かせるなら、後者は目じりがつり上がっているせいであつかんを感じさせる。

 そしてほう属性に至っては『光』と『闇』、と対極だ。

 エリスはイルミナに、両親からの愛情も、周囲からの期待も、国民からのあこがれもすべてうばわれてきた。

 そこまでされて、なぜがんり続けなければいけないのか。

(私だけが! いつも不幸で! それで! それで……)

 やがてちからきたようにまぶたざし──落ち込んだ。

(……あなたの片割れが私みたいなそこないだもの。きらいになるのは当然よね)

 彼女は昔から事あるごとにエリスに小言をていしてきた。ここの作法がちがう、すぐ感情的になるな、ちゃんと自分の意見を伝えなさい。エリスは彼女に何か言われるたびに耳をふさいでうるさいとさけんだ。

 そんなことが十五歳になる頃まで続くと、さすがのイルミナもさじを投げた。十六歳になる前に、彼女は側近を連れてエリスの部屋にまでやってきて、決別の言葉をはっきりときつけた。

(だから私のようなじやものなんていらなくなったと思っていたけれど)

 エリスが内心でちようしていると、イルミナはその様子に気づいていないのか、くどくどと言葉を連ねる。

「ちょうどよかったですわ。わたくしもあなたのもとへ行こうと思っていましたから」

「え?」

 ざわり、と背中のうぶが逆立った。イルミナのいつも以上に強気な態度に、張りつめた場の空気。まるで決別のときと同じ展開ではないか。

「一か月後に控える公務……わたくしとあなたの成人を祝うとう会に参加しなさい。これはいつもの忠告ではないわ。よ」



 エリスののうに苦いおくがよみがえる。

 四月ノアの二十三日がエリスとイルミナの誕生日であり、成人として認められる十六歳になる今年はいつもよりせいだいな舞踏会が開かれた。

 エリスは引きこもってから、れいじようたちとのお茶会や城下町と地方の視察への参加をすべて断っていた。無理やりエリスをおもてたいに引っ張り出して国のはじとなるくらいなら、かげでひっそりとしていてくれるほうが都合がいいと、国王やイルミナもほうっておいてくれた。

 おかげで社交界ではきよじやくごうまんで不気味なひめという評価や、彼女の姿を見た者はのろわれるのではという憶測が飛びうようになった。

 れものあつかいをされることが目に見えていたからこそ十六歳の舞踏会も不参加のつもりでいたが、今回だけはイルミナが許してくれなかった。

 ちょうど舞踏会の準備がおおめというところで、彼女はアルフリートとクラウィスを連れてエリスの部屋まで乗り込んできた。

『一か月後に控える公務……わたくしとあなたの成人を祝う舞踏会に参加しなさい。これはいつもの忠告ではないわ。よ』

 生まれて初めてイルミナからおどされたが、エリスはソファの背もたれに寄りかかり「はいはい」と適当に返事をした。

 エリスにとって舞踏会は苦痛でしかない。それをわかっているはずなのに、イルミナは自分のゆうしゆうさをきわたせるためにものにするつもりなのか。

 そうけいかいしていると、イルミナはエリスのりようほおに手をえて無理やり視線を合わせた。

『いい加減にしなさい、エリス! わたくしとあなたは王女なのよ! 王国の未来のためにも、国民のためにも、やるべきことがたくさんあるのに。目をらし続けるなんて!』

 イルミナのひんやりとした指先を感じ、エリスはびくりとかたらしたが、やがて鼻で笑いながら言い返す。

れいごとばかり並べたつまらないじようとうね。それで説得できると思ったの?』

 するとイルミナは表情をゆがめ、『ここまで浅はかだったのね……』とつぶやいた。

(何が浅はかよ。一方的にまくしたてられたってうなずけるわけがないでしょう?)

 どれくらいにらみあい続けたのか。先に口を開いたのはイルミナだった。

『これが最後の機会なのよ、エリス』

『あいにく最初から機会はないの、イルミナ』

 エリスはかんはつれずに答えた。あからさまなきよぜつに、イルミナはむらさきいろの瞳をせる。

『だったら一生ここにいなさい』

 そういって彼女はアルフリートを連れて部屋から出ていった。エリスは深く息をいてその場でうなだれる。

 だがいま心地ごこちの悪い視線を感じて顔を上げると、クラウィスがこちらを見つめていた。

『エリスさまはそれでいいのですか?』

『……放っておいてくれる? あなたには関係ないでしょう』

『なんでもかんでも突き放す癖、やめたほうがいいですよ。子どもみたいなので』

 その言葉を聞いてエリスはカッと頬を赤くし、彼を睨みつけた。



 エリスとイルミナは完全に決別し、彼女からの小言はいつさいなくなった。それから半年後、エリスはさまざまな罪をおかした上にイルミナに毒を盛ったとしてしよけいされた。

(ということは、時が巻きもどっている!? 本当に!?)

 エリスはしんみような顔つきで片手で口元を押さえる。

「待って、警告はわかったから! その前にひとつだけかくにんしたいことがあるの!!」

「? 何かしら」

「今日は何日なの?」

 かわいたこうこうから声をしぼり出すと、イルミナが顔を引きつらせた。やがてけんにしわを寄せながら口を開く。

三月ベルーフの二十三日よ」

 その答えにエリスの表情がこわばる。やはり処刑されたときから半年ほど時が巻き戻っている。

(これは現実なの?)

 改めて彼女たちの表情を見つめるとしんけんそのものだった。それにじよじよに太陽がのぼってきたことで、窓から差し込む光の角度やかげさで処刑された季節とは違うとわかる。

 エリスが考え込むようにだまると、クラウィスが「部屋に引きこもりすぎて感覚がにぶっておられるのか……?」と呟いた。

 ものすごく失礼なことを言われ反論したくなったが、ぐっとこらえる。

(じゃあだれよ、私をイルミナ殺しの犯人に仕立て上げたのは!)

 時が巻き戻った原因はわからないが、このまま何もしなければ前回と同じく無残に命を散らすことになる。

(そんなのいや! 絶対にかいしないと)

 でもどうやって……と考えていると視線を感じた。いつの間にかうつむいていたようだ。ゆっくりと顔を上げると、いかりをあらわにしたイルミナと目が合った。

けているのはどちらのほうかしら?」

「あ、いえその」

 ハッとしてから目を泳がせると、それがさらにイルミナの怒りにはくしやをかける。彼女が大きく息を吸い込んだとき、それをさえぎるようにエリスは声を張る。

「……するわ!」

「!? もう一度言ってくださる?」

「舞踏会に参加するわ!」

 これしかないと思った。舞踏会には王国中の貴族や有権者が集まる。その中にはイルミナをき者にしてエリスに罪をなすりつけようとした真犯人がいるはずだ。

 そこで運命を変える手がかりを見つけなければエリスに未来はない。

 決意を込めてイルミナを見つめると、彼女は紫色の目を見張った。てっきりエリスの参加表明を聞いて満足してくれると思いきや、彼女はこんわくしたように小首をかしげる。

「あなた、本当にどうしたの?」

 こわいろみようやさしく、気をつかわれているのがわかり、エリスはガクッと肩を落としながら口を開く。

「私の言葉を疑うの?」

「……二言はないと受け取るけれど」

「未来の女王さまに警告までされてしまえば頷くしかないわよ」

 イルミナは今度こそ「わかりましたわ」と頷くが、表情はいぶかしんだままだった。エリスは内心で冷やあせをかく。

(……やっぱり不安しかないかも)

 正直なところ彼女たちから見ればエリスの印象は最悪だ。でも今から変えていかなければ二度目の死が待っている。『そく』のほうを扱えても、自分が死ぬことにはえられるものではないと知ってしまった。

 重くのしかかる現実に胃がキリキリとするが、いちの望みをかけてやるしかない。そう意気込んだとき、

「ではエリス、今日からクラウィスといつしよに教養と舞踏会の作法の復習をしてもらうわ。明日の早朝にはドレスの採寸を行いますから準備をしておくように」

「──えっ」

 エリスは即座に聞き返した。彼女は何を言っているのだろうか。

「今回の舞踏会は成人をむかえるさいにあたるの。その場しのぎで乗り切れるほど甘くはないことはさすがに理解していますわよね?」

「それはわかっているけれど! そうじゃなくって」

 問題なのはエリスの教育係としてクラウィスが指名されたことだ。

 彼としようとつしたのはイルミナへの嫌がらせが始まったときだった。それまではたがいにかんしようしてこなかったが、なんとなくエリスとクラウィスの折り合いが悪いことはイルミナなら察しているはずだ。視線でうつたえかけると、彼女はにっこりとみをかべる。

「あら、クラウィスなら手取り足取り根気強く寄り添ってくれますわ。ダンスのうでまえも申し分ありませんもの」

 ダンス、という単語を聞いてエリスののうにぴしゃりとかみなりが打ちつける。とう会では主役がファーストダンスをおどるしきたりがあることを思い出し、即座に顔を青ざめさせる。

「まさかクラウィスさまが私のお相手!?」

「彼以外に適任はいませんわ」

 むごい。むごすぎる。エリスはわずかに足をよろめかせる。

(一か月間もクラウィスさまと顔をき合わせて、互いの呼吸を感じるほど密着してダンスを踊らないといけないということ!?)

 真犯人をさがす前にクラウィスに殺されてしまうのではないかと思わずにはいられない。エリスはぎこちない動きでクラウィスに向き合う。

「あ、あなたはイルミナの側近でしょう? 私の相手をしているひまはあるのかしら?」

 彼はさいしよう官の一人であるため仕事量はぼうだいだ。それに加えてやみ属性のエリスの教育係を務めるなど、常人ならとてもできない。

 お願いだから断りなさい今すぐに! と念を飛ばすと、クラウィスはくちびるえがく。

「イルミナさまの期待を裏切るわけにはいきませんので、やりげてみせましょう」

 見事な忠誠心だが、目が笑っていない。すでにエリスはあやしまれているのだろう。

(それもそうよね!)

 この時間じくではまだ大きな言い争いはしていないが、イルミナの手を焼かせるエリスは注視すべき存在だ。さらに言うと先ほどろうで出会ったときに彼からのがれるようにけ、勢い任せにイルミナにきついてしまったところを見られている。こうとらえたからこそ、目を光らせているのだ。

(でも疑わしいのはあなたも同じでしょう!? どうして宰相補佐官がけいしつこう人の真似まねごとなどしていたのよ!)

 こちらから見れば彼は信用ならない人物であり、本当にイルミナに忠誠をちかっているのかさえわからない。

(くっ、でも彼に私を見張らせれば、イルミナとの不仲を利用されて嫌がらせの犯人にされることだけは防げるかもしれない……)

 死へのきようが根付いてしまった今、クラウィスと過ごす日々を考えるだけでおそろしいが、考えようによっては疑いを晴らす絶好の機会でもあった。

 すると目の前に大きな手のひらが差し出された。クラウィスはかわぶくろではなく、白い手袋をつけていた。彼はひざまずいて、エリスが手を取るのを待っている。

 身のめつと再生をてんびんにかけたみよういざないを前に、エリスは小さく息をく。不服だったがクラウィスの手のひらに右手を置くと、彼はエリスの手のこうにキスを送るふりをした。いきを感じて体に力が入る。

「よろしくお願いいたします。エリスさま」

 彼の声色がとげとげしいのは気のせいではない。エリスは強がるように微笑ほほえむ。

「こちらこそどうぞよろしく」

 そしてエリスとクラウィスは息が合ったように同時にぱっと手を解く。ぐうぜんだとしても気に入らない。しばらくすると彼は立ち上がってエリスの顔を見つめる。

「俺は目的のためなら手段を選びません。どこに出してもずかしくないしゆくじよになってもらいますよ」

「あら、今だって立派な淑女よ」

「本気で言っていますか?」

 彼は自分のかたを指さして、上着を貸していることを強調した。エリスは顔をらす。

「まずはこんなかつこうで出歩いたことにばつそくを科します。そうですね、れい作法の課題を増やしましょうか。あとはダンスのである姿勢の強化もしなければ。課題で使った本を頭の上にせてきたえるのもいいかもしれませんね」

 すでに彼の上着を我がもののようにあつかっていた。これにかんしては言い返せない。苦虫をつぶしたような表情をすると、クラウィスはその様子を見てくすりと悪戯いたずらめいた笑みを浮かべる。

「まあ最後は首を痛める可能性があるためじようだんですが、罰則が嫌なら今後は気をつけるように。お返事は?」

「わかったわよ!」

 エリスはふてくされながらうなずいた。

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