第一章 命運をかけた舞踏会①

「……あ、れ?」

 気づいたら、エリスの視界に見慣れたてんじようが映っていた。

 ゆっくりと起き上がってあたりを見回す。まだ太陽がのぼりきっていないほのぐらい部屋はまぎれもなくエリスの自室であり、クラウィスも国民も誰もいない。

 エリスはどうを感じながら、おそる恐る首元に触れる。だいじようつながっている。傷があるかんしよくもなかった。

(まさか誰かが『』のほうで私を生かしてくれたの?)

 ひんの状態から元通りに回復させることができるのはイルミナくらいだが、彼女は魔法が使える状態ではなかったはず。

 エリスははじかれたようにベッドから飛び降りる。

(イルミナに、イルミナに会いに行かないと……!)

 こんすい状態だろうがなんだろうが、意識を取りもどすまで積年のおもいをぶちまけなければ気が済まない。

 夜着のままくつだけをいて自室を出る。しようどうにまかせてずんずんとろうを進み、階段を上がって外に連なる回廊に出ると、横風がはだでた。

「うっ、寒い」

 きゅっと目を閉じて身を縮こまらせる。秋口のすずしさとは違う、どこか体のしんの熱までうばうような冷たさだった。

 エリスは両手でうでをさすりながら足を進めるが、ふと周囲に人がいないことにかんを覚える。早朝だからなのか。そう考えたとき、

「そこにいるのはだれだ」

 背後から声をかけられ、心臓がねる。

 聞き覚えのあるすがすがしい声に、エリスは息を吞んでから振り返る。そして長いまつ毛にいろどられた目をこれでもかと見開いた。

 男が立っていた。そうけいそうな顔立ちに、細身だが引きまったたいの男だ。真っすぐにびたきんぱつは耳にかかる長さなのに対し、えりあしは短い。何よりまえがみからのぞく日差しを浴びた海のような青い瞳から目がはなせない。

(どうしてあなたがここに……!)

 エリスを呼び止めたのはクラウィス・バラシオンだった。

 彼は先ほどとは違って、黒いローブではなく洗練されたあいいろきんぶちかざりがほどこされた礼服を着ていた。

 エリスはとつに片手で首元を押さえる。傷口は残っていないのにチクチクとうずいた。ああ駄目だ。クラウィスがたいけんを振り下ろしたことを、目が、耳が、肌が覚えている。

(いっちばん顔を合わせたくない人と出会うなんて!)

 自分の運の無さに内心で頭をかかえる。イルミナの住まいがある南の区画に向かうためにはこの回廊を通らなければならない。必死に脳内でかい路をはじき出していると「エリスさまですか?」と声をかけられた。

 エリスの目から光が消える。

(……これって部屋からだつそうしたことになるのかしら!?)

 そもそも処刑からどれくらいの時間がっているのかもわからない。

 エリスはちらりとクラウィスの様子をうかがう。

 見たところ彼は大剣を持っていないが、礼服のどこかに切れ味のするどい短剣をかくし持っている可能性がある。もしかしたらエリスを油断させるためのわなかもしれない。

(彼とのきよは私のはばで十歩分……よし!)

 エリスはぐっと足に力を込めると、意を決して口を開く。

「命にちかってやましいことはしないから!」

「は?」

 エリスは勢い任せに声を張ってクラウィスの意表をくと、け足で通り過ぎる。

(あ、うそうそうそ、もう追いかけてきた!)

 彼はびんしようさにすぐれているのか、すぐに靴音をひびかせ「お待ちください!」と呼び止めた。エリスは聞こえないふりをする。

(このままだとつかまってしまうわ! 彼のしつこさは一級品だもの)

 エリスはすそを持ち上げて足を動かす。振り返る時間はない。せまりくる恐怖に涙目になりながら、エリスは必死に空気を肺に送り、やがてじゆうこう感があるとびらの前にたどり着くと立っているに向けてさけぶ。

「今すぐ扉を開けなさい!」

 第二王女、いや、しようちようであるやみ属性の王女の声に騎士たちはせんせんきようきようとした様子で扉を開ける。

 扉の先はしんにゆう者をはばむために廊下が枝分かれしていたが、エリスは迷わずにイルミナの自室に向かう。運が向いてきたのか、扉の前に第一王女の専属騎士の姿はない。ドアノブに手をかけてバンッと開け放つ。

 部屋の中心のソファに少女が座っていた。日光を浴びてかがやくプラチナブロンドの髪はカチューシャのように編み込まれ、紫色の瞳はよくをそそられるようなはかなさがあった。

 イルミナはすでにえを済ませて何かの資料に目を通していたが、ややあってからおどろいたように顔を上げる。

「エリス?」

 すずを転がすような声を久々に聞いて、喉奥がつんと苦しくなる。

(クラウィスさまのうそつき。イルミナは生きているわ)

 イルミナのほおはほんのりと赤く色づき、一見すると毒で弱っている様子は感じられない。エリスが息を整えながらイルミナに近づくと、彼女の表情がこわばった。

「どうしてここにいますの?」

「別に。そのけた顔を見に来ただけよ」

「あなたが? わたくしに会いに来たというの?」

 そのこんわくは当然のことだろう。エリスは十歳のときに引きこもりがちになってから十六歳で処刑されるまで、イルミナのもとをおとずれたことはなかった。

(……ああ本当に腑抜けた顔)

 エリスはイルミナの顔にかげを落とすように目の前に立つ。自分がどんな表情をしているのかわからない。

 同じ年の同じ日に生まれたというのに、幼いころからまい仲は悪かった。だが、いざ彼女がいなくなると知ると胸が苦しくなった。

(まさか私があなたにそうしつかんいだくなんて)

 思わずため息のようなあらい息をひとついた。

「エ、エリス……?」

「? 何よ」

「苦しいわ」

 歯切れの悪いイルミナの声を聞いて、エリスは「え?」とわれに返る。

 気づいたら、エリスは彼女のかたぐちに顔をうずめていた。まるできついているようなかつこうに、ぜんとしながら顔を上げると、合わせ鏡のようなイルミナと顔を突き合わせる。

 エリスはまだじようきようみ込めなくて自分と同じむらさきいろの目をじっと見つめると、彼女の頬が照れたようにじわじわと赤くなっていく。

(私ったら何をして……しかもイルミナのそんな表情なんて初めて見たわよ!)

 そのことにどうようして、エリスの頬まで熱を帯び始めた。

「ご、ごめんなさい!」

 エリスが勢いよくイルミナから離れ、そのまま二歩、三歩と後退すると何かにぶつかった。かべにしてはだんりよくがあり、家具にしては背が高い。目を見開きながらゆっくりとり返ると、クラウィスが立っていた。

(ひぃっ!!)

 彼は鋭い視線でエリスを見下ろしていた。そしてのがさないといわんばかりに距離をつめてくる。ぎゅっと目を閉じた次のしゆんかん。エリスの肩に何かの重みが加わり、同時にさわやかないいかおりがふんわりとこうをくすぐった。

(……!?)

 おそる恐る目を開けると、肩には藍色の礼服の上着がかけられていた。男物なのかエリスがまとうとガウンのようになってしまう。

 ぎょっとしてクラウィスを見つめると、彼は灰色のシャツとベストという恰好で腕を組んでいた。に命を奪おうとしたのに、この変わりようはじんじようではない。

「……何をたくらんでいるの」

 エリスがいぶかしげな声で問うと、クラウィスはまゆをピクリと動かし、やがてあきれたように顔をしかめる。

「企むも何も、一国の王女にそんな恰好で出歩かれるわけにはいきませんので」

「恰好?」

 エリスは自分のよそおいをかくにんするためにうつむくと「あっ」ととんきような声をあげた。

 夜着のままだった。あわててクラウィスがかけてくれた上着をしっかり着込む。どうしよう。いろんな意味でどうが収まらない。

 クラウィスは追い打ちをかけるようにエリスの右手をつかみ、顔をのぞき込んでくる。

「もうがさない。あなたこそ何を企んでいる」

 低い声に耳打ちされ、そくに「ち、近いから……ちょっと」とめつれつな言い訳をして距離を取ろうとするがびくともしない。

 エリスが顔を真っ青にしてうろたえていると、イルミナが「クラウィス、手を放しなさい」と告げた。

 彼はいつぱく置いたあと解放する。エリスはふるえる右手を隠すように左手でおおった。横目でクラウィスの動きを確認すると、彼はけいかいしんをあらわにしたまま出入り口の近くにひかえる。これで退路はふさがれてしまった。

(……しまった! 専属騎士もこの部屋にいたのね)

 そのときエリスはクラウィスの近くに第一王女の専属騎士であるアルフリートが立っていることに気づいた。

 くせのあるちやぱつはミルクティーのようにやわらかな色合いだが、えりあしり上げているためひとすじなわではいかない印象を抱かせる。それに深いいろひとみものを見定めるような鋭さをはらんでいた。

 まさかずっと見張られていたのか。もしもエリスが一瞬でも殺気を見せれば、彼は壁をって間合いをつめて首に剣を突きつけてくるだろう。

(でも絶体絶命なのにこのかんは何?)

 どうもしよけい直後の様子としては彼らの反応がおかしい気がする。

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