暗闇に慣れた紫色の瞳に、爽やかな日差しは焼けつくように眩しかった。
エリスは王宮の地下牢から城下町の大広場に連れ出され、国王の前で膝をつく。
「第二王女エリス・アウリア・レストレア。いや、悪徳の娘よ! これより斬首刑に処する!」
厳かな声があたりを支配した。病にむしばまれていると思えないほど父親の眼光は鋭い。
「悪徳の娘……? あはは、傑作ねその言葉!」
エリスが場にそぐわない乾いた笑い声を立てると、傍観していた国民が一斉に顔をしかめ、そのまま罵倒してくる。
同時にエリスの両手首にはめられた手錠が諫めるように熱を帯びた。どうやら魔力を制限するために光魔法の加護が込められているらしい。
(──最っ悪)
エリスにかけられた容疑は、横領、恐喝、そして双子の姉イルミナの毒殺未遂。
ほかにもここ半年かけてイルミナに脅迫文や獣の死体を送りつけたという嫌がらせの余罪もあったが、どれも心当たりがなかった。
(闇属性の私は邪魔者ってわけ? 冗談じゃない)
この世界に生まれた者は神々の加護により、一人ひとつの魔法属性を持つ。
膨大な魔力を持つエリスは闇属性だけが唱えることができる、対象を一瞬にして黒い塵と化す『破壊』の呪文や、膨大な魔力と引き換えに命を奪う『即死』の呪文を扱えた。
一方、イルミナはエリスと同じくらい優れた魔力から、光属性の魔法の象徴である『治癒』の呪文で、瀕死の状態から元通りに治してしまうほどの力を見せた。
だからこそエリスは国民から敬遠され畏怖の象徴となり、イルミナは国民から信仰され栄光の象徴となった。
エリスはそれに嫌気がさして人目を避けて部屋に引きこもったというのに、急に捕まって部屋から引っ張り出されてみれば、数々の悪事の証拠がエリスを犯人だと示していたらしい。
エリスは脳裏にプラチナブロンドの髪を持ったイルミナの姿を思い浮かべる。
(光属性のあなたが毒で倒れた? 解毒くらい魔法で造作もないくせに。お粗末な演技ね。姿を見せないのは安全な場所で高みの見物をしているからでしょう!?)
冷ややかな風がエリスの黒い髪をなびかせる。一週間ほど秋口の冷たい地下牢に閉じ込められていたせいで足裏は赤く腫れ、着ていた服はボロボロだった。一国の王女とは思えないほどみすぼらしい恰好をさせられ、それを周囲に見られている。
もうたくさんだ。
何度も無実を訴えかけたが誰も信じてくれなかった。いつもエリスの言葉だけがかき消される。この状況から逃れるためなら『破壊』の魔法を使うことさえいとわない。
手始めに忌々しい力が働いている手錠を壊そうとしたとき、ガンッと何かが地面を穿った。
気が逸れて顔を上げると、黒いローブを身にまとい頭までフードで覆った男が立っていた。彼の右手には鞘に収められた大剣があり、どうやらエリスの魔法の発動を阻むために鞘で音を出したようだ。
男は静かにこちらを見下ろしていた。エリスにだけ彼の海のように青い瞳がよく見える。
(クラウィス・バラシオン?)
宰相補佐官のひとりでありイルミナの側近だった。彼からはこの半年間でイルミナへの嫌がらせをやめるよう何度も諫められていたが、エリスにとっては謂われのないことだったため、時には激しい言い争いにまで発展していた。
(どうして死刑執行人の恰好を? イルミナの手を汚させないために来たの?)
実の妹を手に掛けたと世間に知れ渡れば、さぞかし印象が悪いだろう。
「見事な忠誠心ね」
思わず呟くとクラウィスの耳に届いていたのか、彼の瞳は凍てついたように鋭さを帯びた。エリスは産毛が逆立つ感覚に襲われ、息を吞む。
(何よ、その目)
明確な殺意を浴びせられたのはこれが初めてだったが、わずかに悲しさと儚さがにじんでいるのはなぜだろうか。
いや、彼がそんな表情を見せるはずがない。エリスは肩をすくめて失笑する。
「いつだって自分が正しいといわんばかりに偉そうな態度のくせに! 結局あなたもイルミナが私のことが嫌いだから殺すよう命じられてきたのでしょう!?」
するとクラウィスはピクリと眉を動かした。
「本気でそう言っているのか?」
エリスが小首を傾げると、クラウィスの表情が信じられないものを見るような目つきに変わった。彼はエリスの背後に回ると、そっと耳打ちしてくる。
「お前のせいでイルミナさまは死ぬ。言い残すことはあるか?」
「──」
エリスは驚きのあまり声が出ない。
(待って、え?)
今回の処刑はイルミナがエリスのことを王族の汚点とみなし、排除するために仕組んだものではなかったのか。
「何を言っているの? そんなの自作自演でしょう?」
「! あの方は今もなお苦しみ続け、今夜が峠だと宣告されたんだぞ……!」
怒りという言葉だけでは言い表せない、彼の深い憤りと後悔が混じった声色が耳をつんざき、エリスはうろたえる。
イルミナは誰からも愛され、レストレア王国初の光属性の王女として一目置かれていた。王位継承権などの多少のごたつきはあったが、彼女は他を寄せ付けないほどの力を見せ、王宮をひとつにまとめようとした。
(はあ!? 死ぬ? あのイルミナが?)
エリスは現実から逃避したくて懇願するようにクラウィスを見つめるが、彼の表情は真剣そのものだった。冗談を言う人ではないことは度重なる言い争いで知っていた。それが余計に頭を混乱させる。
(イルミナが私の最期を見届けに来ないのは……本当に具合が悪いからなの?)
呆然としていると、クラウィスが諦めたようにため息をついた。
「時間だ」
彼はエリスの黒髪に触れると、ひとつに束ねていく。彼の手つきは革の手袋越しでも丁寧で、もう逃げることができないと悟った。
(いや、死にたくない)
クラウィスは髪を結び終えると、立ち上がるために足に力を込めた。エリスはその隙を逃さず、自由が利く指先で彼のローブの裾を掴む。
どうしてそう行動したのかわからない。でも何か言わなければ、せめて最期くらい人の役に立たなければ、自分はなんのために生まれてきたのだろう。
「イルミナを殺そうとしたのは私ではないわ……!!」
違う。もっと別に伝えることがあるはずなのに。死への恐怖を押し殺した強がりの笑みと共に喉奥から出てきたのはそんな言葉だった。
クラウィスは瞼をきつく閉ざし、ゆっくりと開く。青い瞳には覚悟を決めたような色彩が宿っていた。
「──冥界で己の罪を悔いろ」
大剣がエリスの頭上に振りかざされる。
どうしてこんなにも悔しく悲しい思いをして命を終わらせなければいけないのか。
(駄目、そんな……誰! じゃあ誰なの!? 私を陥れたのは! っ、なんであなたもしてやられているのよ! イルミナ!!)
彼女に言いたいことはまだたくさんあったというのに。もう届かないなんて。
紫色の瞳から一筋の涙が流れたとき、刑は執行された。