1 えんぴつ事件(4)

「……はぁ?」

「性分とか、性格とか、主義とか……そういうものに関係なく、『呪い』みたいなもので、私は嘘を吐くことが出来ないんだよ!」

「……いや、意味が分からないです」

「──っ、え、ええと、疾患! 疾患だよ! 疾患だと思ってくれれば分かりやすいよ!」

「…………」海鳥の必死の訴えに、女性の味方はみたび沈黙する。「……疾患。つまり自分は、そういう病気だと言いたいんですか?」

「う、うん! と言っても、あらゆる病院が私にはさじを投げたから、原因は不明だけどね。どのお医者さんも、私が『嘘を吐けないという嘘』を吐いているだけだって診断したから……」

「私もそうとしか思えません」

「お、思わないで! 信じて!」

「……まあ、あるかもしれないとは、思いますけどね。そういう疾患。思ったことしか言えない、みたいな」

「……ちょっと違うよ。言葉に出せないだけじゃない。表情に出したり、文字に表したりするのでさえ無理だよ」

「……? 一気に分からなくなりました。表情の方はともかく、文字にも表せないってどういうことですか? 腕がしびれて、動かなくなるとでも?」

「…………っ! こ、これは私の感覚的な話だから、どうにも伝えにくいんだけど……テレビゲームに、コマンドってあるでしょ? 『たたかう』とか『にげる』とか。『たたかう』を選べば攻撃出来る。だけどコマンドにない行動は取れない。『命乞いする』とか『仲間を差し出す』とかは、出来ない。それと同じだよ。私には『うそく』って選択肢が、そもそもない。だから嘘を吐けない……わ、我ながらふわふわした説明だとは思うけど、なんとなくでも理解して欲しいとしか言えない!」

「……百歩譲ってその話を信じるとして、疑問ですね。嘘が書けない、つまり真実しか書けないというのなら、テストなんて毎回100点が当たり前なのでは?」

「それは……私はあくまで嘘を吐けないだけで、『真実』しか言えない訳じゃないからね。だから英単語とか、間違って覚えていたとしたら、普通にそのまま書いて不正解になる。ただ、わざと間違えたりは出来ない。つまり偽ることが出来ないってこと」

「では、私があなたに催眠術なりなんなりを掛けて、無理やり書かせる場合なんかは──」

「と、当然嘘を吐けるよ。それは私が書いているんじゃないから。私の意識が介在する場合に限り、私は嘘が吐けないの」

「……はぁ」

 女性の味方はぽりぽりと、包丁を持っていない方の手で頭をく。

「なんていうか、私も色んな女性の敵を成敗して来ましたけれど、こんなエキセントリックな命乞いをされたのは初めてですよ。しかもとつに考えたにしては、設定が細かいし……ですがうみどりとうげつさん」そこで女性の味方は、意味深な笑みを浮かべて、「残念ながら、信じることは出来ません。ならそれは嘘だからです。あなたの言葉は矛盾しています」

「──!? え、は、矛盾……?」

「ついさきほど、放課後前の教室で、あなたはよしさんと会話していましたね? そこであなたは彼女に対して、『自分は鉛筆泥棒じゃない』という、100%の嘘を吐いていました。これについてはどう説明しますか?」

「……は?」

 女性の味方の言葉に、海鳥は表情を失っていた。「……え? ど、どういうこと? どうしてあなたが、私と奈良のさっきの教室でのやり取りについて知っているの?」

「そんなこと、今はどうだっていいでしょう。それより早く釈明してください」

「…………??」

 海鳥はいよいよ困惑していた。もはや訳が分からない。海鳥の個人情報や、奈良の鉛筆を盗んでいることについては、まだ調べれば分かることなのかもしれないが……教室での会話なんて、その場に居合わせでもしない限り絶対に分かりようのないことのはずだ。まさかうみどり身体からだに盗聴器でも仕掛けていたのだろうか? だとしたら、この少女の方が海鳥よりも、よっぽどストーカーだと思うけれど……。

「……ま、まあいいや。理屈はさっぱり分からないけど、さっきの会話をあなたが知ってくれているっていうなら、むしろ好都合だよ。ぎようこうと言ってもいいくらい」

「……?」

流石さすがの私も震えたよ……なんたって私はあの絶体絶命の窮地を、乗り切ったんだからね」

「……何を言っているんですか?」

「ついさっきのことだしさ。あなたも、会話の細かい部分までおぼえているでしょ? 一つ一つ確認していこうよ」

「……はあ」

「まず冒頭だね──が『泥棒に遭った』なんて言い出した時は、本当に何かなくなったんだろうと思ったよ。声がくたびれていたからさ。奈良はよく冗談を言って私をからかうけど、そういうときのあの子はもっと楽しそうにしているから……で、盗まれたのが鉛筆って分かった瞬間にぞっとした。しばらく何も言えなかった。まさかバレた? だけど冷静になって考えてみれば、私の犯行の筈がなかった。だって鉛筆が『ない』んだから。私がやったのはあくまですり替えであって、窃盗じゃないからね。奈良はあくまで偶発的に鉛筆をくして、大騒ぎしているだけなんだと、私はそう判断したよ」

「…………」

「今にして思えばかつとしか言いようがないけどね。たとえ『絶対に違う』って確信があるにしても、『鉛筆』に関する話題が出た時点で、私は警戒を解くべきじゃなかったんだ……だから奈良が全てに気付いていると知った時には、無様をさらしたよ」

「……まさかあのとき、あなたがやたらと周囲を気にして挙動不審だったのは」

「うん。奈良の読みは当たっていた。鉛筆泥棒は慎重で臆病、奈良本人に犯行を気付かれていると知れば、──犯人を揺さぶるってあの子の狙いは、見事に的中した訳だね」

「……奈良よしさんの鉛筆泥棒に対する所見を聞いたあとに、あなたが顔を青くして何やら考え込んでいたのも、そういう理由だ、と言いたいんですね?」

「私にとってものっぴきならない状況だったからね。そりゃあ考え込まずにはいられないよ。当の奈良はそれを、『自分のために親身になって考え込んでくれているだけ』って勘違いしてくれたみたいだったけど」

「……しかしあなたは、決定的にうそいています。奈良さんに目撃証言を求められたときです。『犯人は知らない』、『鉛筆は見ていない』と答えていました。これはうそ以外の何物でもありません」

「違うよ。『犯人は知らない』じゃなく、『犯人を見ていない』だよ。『鉛筆は見ていない』の方も、『昼休み以降鉛筆は見ていない』が正しいし」

「同じことじゃないですか?」

「だから違うんだよ。私は確かに犯人の正体を知っているけど、見たことはない。犯行を行う私を、私が見ることは、不可能だからね。それから昼休み以降鉛筆を見ていないのも本当だよ。の鉛筆は、私が一時限目の終わりにすり替えてから、誰の目にも触れず、ずっと私のかばんの中にあったんだから」

「…………」

「それから私は、最後にこうも言ったね。鉛筆泥棒が目の前に現れたら、ぶっ飛ばしてあげるって。そりゃぶっ飛ばしてあげるよ。私の目の前に、私が現れることがあったらね」

「……うーん」

 女性の味方はうなった。実際にそう言っていたのを思い出したのだろう。「……しかし、本当にあなたが嘘をけない、本音しか言えないというのなら、一体どうやって日常生活を過ごしているというんですか? あなたのその疾患は、対人関係においては洒落しやれにならないハンディキャップのはずです。それなのにあなたは、大したあつれきを生じさせることもなく、普通に学園生活を送ることが出来ています。説明がつきません」

「……。うん、確かにね。あなたの言う通り、他人と普通の人間関係を築こうとする上で、これほど不便な体質ってそうはないと思うよ。例えば小中学生の頃なんか、そのせいでクラスメイトから散々嫌われたり、仲間はずれにされたりして、もう散々だったもの……」

 そう、不便などというものではない。

 絶対に嘘を吐くことが出来ない、というのが実際にどういうことなのか、知りたいなら、試しに一週間でも『嘘を吐かずに』過ごしてみればいい。すぐにその恐ろしさ、生きづらさを嫌というほど実感できることだろう。他人を一切気遣えない、隠し事ができない、思ったままのことしか言えない……そんな人間が、人間関係をく構築できる筈がない。

 ──うみどりさんってさ、いい子だけど、ちょっと空気読めないところあるよね。

 ──分かる~。場の雰囲気とかぜんぜん考えてくれないよね、あの子。

 ──皆で『この動画面白いよね!』って話しているときでも、海鳥さんに感想聞いたら、『ごめん、私それよく分からないかも……』とか平気で答えてくるし。

 ──ちょっと誰かの悪口で盛り上がっているときでも、『ごめん、私そういうのあんまり好きじゃないから……』とか言って、ぜんぜん話に入ってこないし。

 ──せめてもうちょっと角の立たない言い方すればいいのにさ。

 ──馬鹿正直っていうか……普通にちょっとウザイよね、あの子。

 そんな風にうみどりは周囲から疎んじられ、集団から爪はじきにされるようにして生きてきたのだった。一人ぼっちでいても、誰かに気遣ってもらえることはない。そもそも海鳥自身、他人と合わせられないのが排斥の原因なのだから、誰も彼女を可哀かわいそうだとは思わない。

「だから私は、集団でくやっていくための『処世術』を身に付けたんだよ……」

「『処世術』?」

「確かに私はうそけないよ。それは世間一般では美徳とされていることだけど、実際のところは害でしかない。普通の人が私と付き合ったら、きっとすぐに私のことを大嫌いになる。イライラして、会話する気も起きなくなる……だから私は、嫌われないために、普通に他人と接しないことにしたんだ」

「……要するに、どういうことですか?」

「『ある一定値』を越えて仲の良い相手、つまり、『友達』を作らないってことだよ。他人と仲良くはしても、絶対に『深い関係』にはならない。だって、自分にとってどうでもいい人間を、わざわざ嫌いになる相手なんていないからさ」

「…………はあ?」

 と、女性の味方は驚いたような表情で、海鳥を見つめていた。

「友達を作らないって、では今のあなたには一人も友達がいないと?」

「うん、そうだよ。そう言ってるでしょ?」

「……よしさんのことも、あなたは友達と思っていないと?」

「…………」

 海鳥は言われて──やり切れないような、切なげな笑みを浮かべた。

「奈良とはね、仲良しだよ。大の仲良し。これまでの人生で、こんなに他人と仲良くなったことはないってくらい……だけどまあ、『友達』ではないかな。あくまでも、『ある一定値』の、ギリギリ下の関係でしかないよ。教室ではよく話すけど、放課後や休日一緒に出掛けたり、下の名前で呼び合ったりするような間柄でもないしね。

 少なくとも私は、あの子を友達だと思ったことは一度もないよ。だって、友達の鉛筆なんて、私は盗まないもの」

「…………」

「だから私は、奈良の鉛筆さえ食べられるなら、それだけで満足なんだよ……」

 海鳥は静かな声音で語る。「どれだけ一人ぼっちで寂しくても、息苦しくても、そういう『息抜き』の時間があるなら、私は我慢できるから。その人自身と接するより、その人の『指紋』とだけ接していた方が、余計な気を遣わなくて、楽でいいから……」

「……病んでいますね」

 女性の味方は諭すように言う。

「あなた、とても病んでいますよ」

「知ってるよ。正直者が病んでないわけないんだから」

「……ええ、よく分かりました」

 と、女性の味方は、なにやら納得したようにうなずいていた。そして包丁を、うみどりの首筋から離して、「なるほど、あなたは本当にうそけないのでしょうね。信じましょう。それほどまでに、あなたの話は真に迫っていました」

「……え?」

 女性の味方の言葉に、海鳥はぽかんと口を開けて固まる。「……え? あの……し、信じてくれたの?」

「はい」

「──! じゃ、じゃあ、見逃してくれるの!?」

「いいえ」

 女性の味方は微笑ほほえんで言う。「やはりあなたには、ここで死んでもらいます」

「……え?」

「すぐに楽にしてあげますから、ご心配なく」

「え、えええええ!? いや、あの……」海鳥は震えながら尋ねる。「し、信じてくれたんじゃないの?」

「はい、信じました。だからこそです。あなたは危険です。今はまだ、殺すほどではなくても──いずれそうなる。今の内に、その芽をみ取っておかなくてはいけません」

 女性の味方は表情を完全に消し、包丁を振りかぶる。海鳥は声にならない悲鳴を上げた──殺される。なんとか助けてもらおうとして、沢山しやべって、もくが成功したにもかかわらず、殺されてしまうのだ。もし自分が死んだら、あの冷蔵庫の中身はどうなるのだろう? が全てを知ったら、絶句するだろうか? ──死にたくない死にたくない死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!

 頭の中を『死にたくない』だけが支配した瞬間、海鳥は自らの脳をフル回転させ、思考を始めていた。死にたくないなら立ち向かうしかない。相手は自分よりも小柄だ。普通に取っ組み合いをすれば恐らく負けないだろう。問題は包丁だ。取っ組み合う前にあれで刺されてしまえば一巻の終わりだ。だからひるませる必要がある。どうやって? この異常者をどうやって怯ませる? 海鳥の自力ではまず不可能だろう。であれば……環境を利用する? 地の利をかすというのはどうだ? ここは海鳥の部屋だ。海鳥が毎日使うトイレだ。いかに女性の味方と言えど、トイレの中までは調べていないはず。何が使える? 何を使えば、この絶体絶命の窮地を切り抜けられる?

 ──そうだ!

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