第一章 楽園監獄都市《メタユートピアシティ》・横浜(2)
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「――ちょっと高橋? 聞いてます?」
少女――高橋は大きく身体を揺さぶられ、強制的にエーテルネットワークの全没入(フルダイブ)から浮上(ログアウト)させられた。
目を開くと、浮上(ログアウト)時のノイズで目の前が一瞬だけ霞み、焦点が合わない。
少しずつ彼女――高橋の視界がはっきりとしてくる。
網膜投影型仮想ディスプレイに表示されたインターフェイスが再起動される。
高橋がいるのは、とある中華料理屋だ。
店内は狭く、薄暗く、そして賑やかだ。
客と店員、そして小型のホログラムモニタから流れるニュース番組のキャスターの声を耳にしながら、高橋は店内を見回す。
光量の少ないオレンジの照明、油が染み付いてペタペタする朱色の円形テーブル、黄ばんだ壁には色褪せたポスターと手書きのメニューが貼られている。
烤羊肉串。
蛋炒饭。
锅贴。
烧卖。
メニューに書かれた文字は、ファミリアの自動翻訳ソフトがなければ何と書いてあるのかすらわからないし、メニューの下部に表記されている二次元コードを目で見るかPDAの内蔵カメラで読み込まなければ注文も支払いもままならない。
香辛料の効いた食欲を唆る匂いと共に、合成タバコの煙や、テルミ油の臭いが入り混じっている。
高橋が座っているのは四人がけのテーブル席で、テーブルには烏龍茶の入ったグラスが三つある。
そして目の前にはとんでもない美少女がいた。
長い銀髪、薄紅色の瞳、雪のように白い肌。
少女を構成する全ての要素が調和し、少女の冠に美を戴かせている。
一見すると普通の人間の少女にしか見えないが、彼女は死を超越した存在。不死であり、年齢も高橋と比べれば途方もない程に歳上である。
「すごい美少女がいると思ったらなんだマキナか……」
「え……び、美少女ですか? も、もう高橋ったら。えへ、えへへへへ……」
「騙されちゃ駄目よマキナ」
マキナの隣に座る少女がそう言った。
「どうせこいつネットやってたのよ」
「え~? やってないよお……友達とお喋りしてる時に全没入(フルダイブ)でネットなんてやるわけないじゃーん。何言ってんの緋月ったら~ちょっと寝てただけだって~」
緋月と呼ばれた少女も、マキナに負けず劣らずの美少女である。
長い金の髪をツーサイドアップにしており、尖ってはいるもののエルフのものより短い耳は、彼女がハーフエルフである事を示している。
何より目立つのは、左の緋眼と右の金眼、つまりオッドアイだ。
先日秋葉原市で起きた都市を二分する事件の当事者であり、秋葉原市を統治する王権の“元”所有者でもある。
「寝ていたのでしたら仕方ないですね……ん? あれ? いやちょっと待ってください、そもそも他人と喋ってる時に居眠りこくのも相当失礼では!?」
「へへっ」
高橋は頭をかきながらウィンクをし、舌を出しておどけてみせる。
「諦めなさいマキナ……そういう女よこいつは」
「そうですね……」
緋月とマキナ、二人は互いに肩を付け合って困ったように首を捻った。
そんな二人を横目に、高橋は天井に近い壁の隅に表示された店内のホログラムモニタから流れるニュースの音声に耳を傾ける。
『違法薬物であるスクリームの蔓延を危惧したFEMUが、スクリーム根絶の声明を発表しました。一方でその強硬的な姿勢はG6の反発も大きく――』
「商人連盟も何かと大変だねぇ……」
それを右から左へと流しながら、まるで大変と思ってなさそうな声音で高橋は言った。
流れていたのは昨今ネットでも賑わっている違法薬物関連のニュースだ。
ニュースに名前が挙がっていたFEMU――極東商人連盟(Far East Merchant Union)は、IHMI等を含むG6(グレイテストシツクス)のいずれにも属さない企業を中心に構成された極東の経済団体であり、ヤクザ・ギルドとも繋がりが強い。
そこで高橋は、自身の隣の席に先程まであった人物がいなくなった事に気付いた。
「あれ、ベルちゃんは?」
この店には四人で入店し、高橋の隣に座っていた人物の姿が、ネットをしている間に消えていたのだ。
「ベルトール様でしたら食べ終わった後に配信するって出ていっちゃいましたけど」
「ほーん。どうすんだろうねえ、今回の目的は。配信してるくらい余裕あるなら大丈夫だと思うけど」
「わかんないわよ、意外と行き当たりばったりかも」
緋月の言葉に、マキナは頬を膨らませる。
「そんな事ありませんよっ! ベルトール様は常に深謀遠慮なお方……そんな行き当たりばったりだなんてありえません。ええ、多分」
「わかってるわよ、冗談冗談」
「んで、マキナと緋月はなんの話してたの?」
「『メビウスプロトコル』シーズン3の話」
高橋の質問に、緋月がそう答えた。
「高橋は観ました?」
「そりゃ観たよー配信直後に全部見たね。やっぱオ=オラウの脚本はサイコー。でも最近はなんだろうな……売れてきて置きに行ってる感あるんだよね。昔のギラギラがない」
「黙りなさいオタク。今あれ観てないのベルトールくらいでしょ。マキナはシェギン好きなのよね」
「シェギンが死ぬとこで私すごい泣いちゃって……推しの死、辛いです」
「え~? マキナって意外と涙脆いよねぇ」
「いや、私はわかるわよ……私はモロー推しだけどシェギンもいいから辛かったわ」
「緋月って顔の好みわかりやすいですよね……」
「ね」
「い、いいでしょ別に!?」
マキナ、高橋、緋月の三人の声が、狭い店内の隅でかしましく響いている。
マキナが頬に手を当てて、切なそうに溜息を吐く。
「自我をなくし、親友と敵対するシェギン。もう元に戻る事はないのを理解しながらも何か助ける手段があるんじゃないかと葛藤するモロー、はぁ……観ていてしんどかったですね……」
「わかる! わかるわ! あのシーンは涙なくては語れないわね……」
「緋月は話せますねぇ!」
共感しあって握手を交わすマキナと二人に対し、高橋は眉を顰めて唇を尖らせる。
「マジー? あたしあそこさっさと殺(や)れや! って気分で観てたけど」
高橋の発言に、対面の二人はやや引いた表情をする。
「高橋ってそういうとこありますよねー」
「ちょいちょい悪いオタク感あるわよね高橋って」
「何でよ!? そもそも職業柄悪いオタクだよ!」
高橋はグラスに入っている烏龍茶をぐいと飲み干し、溶けかかった氷をガリガリと噛み砕きながら続ける。
「そもそもさー、あたしなんつーの? リアリストだからああいう殺すだの殺さないだの葛藤する展開って好きじゃないんだよね。さっさと殺れやっつー、ぬるい事してんじゃねーよってね」
「じゃあ高橋は私達がそういう場面に陥った時に躊躇なく殺すんですか?」
「殺すね! もしあたしがそういう場面になったとしたら潔く介錯してやるね! そりゃもうノータイムよ」
そう冗談めかして高橋は言う。
「脆い友情ですね……」
「これだから悪いオタクは……」
「どーせ悪いオタクだよ! おめーらが化け物になったら一瞬で葬ってやるからぬぁ!」
そう言いながら高橋は「いッ」と歯を見せて二人を威嚇して、グラスの中の氷を全て口の中に流し込み、それらを勢いよく噛み砕いて飲み込んでから椅子から立ち上がる。
「あれ、高橋どこ行くんですか?」
「あたしもさんぽ! あたしがいない間にあたしの悪口言うの禁止だかんね!」
「言いませんよ……」
「私らをなんだと思ってるのよ……」
「女が三人以上集まってて一人抜けると悪口言うってネットで見た!」
「そうなんですか? 定命の話はちょっとわかんなくて……緋月は知ってます?」
「いや、私に聞かれても……そもそも昔からあんま友達いないからわかんないわ」
「悲しくなるからやめよっかこの話!」
そう言って、高橋は二人に背を向けて、店を出て行った。