魔王2099 3.楽園監獄都市・横浜

第一章 楽園監獄都市《メタユートピアシティ》・横浜(3)

       ◆


「ふぅ~」

 細い路地にある小さな中華料理屋『星竜飯店』から出た高橋は大きく伸びをし、硬い椅子で凝り固まった自分の尻を揉みほぐし、冷たい空気を吸い込むとすえた臭いが鼻腔をついた。

 泥濘んだ地面、積み上げられたビールケース、頭上に張り巡らされた細いケーブル、中華料理屋の古いピンクの霊素反応灯(エーテルネオン)が明滅を繰り返している。

 彼女がマキナや緋月と入っていた中華料理屋も、立っている路地も、新宿市のものではない。

 ここはゴアール市。

 ゴアールという名は竜の咆哮に由来し、元々アルネスに存在した都市の名である。

 新宿市の南方。衛星都市間で唯一開通している鉄道に揺られて、ベルトール、マキナ、高橋、緋月の四人はその都市に来ていた。

 ゴアール市は険しい山々に囲まれた港湾都市であり、東の埋め立てられた港湾地区と、西の険しい鉱山地区に分かれている東西でアップダウンの激しい都市だ。

 港湾地区は旧称で第一横浜市という都市であり、第二次都市戦争後に鉱山地区に存在していたゴアール市に統合されるという秋葉原市と似た経緯を持つ。

 それ故、戦中世代は未だにゴアール市の事を横浜と呼ぶ者がいるし、現在のゴアール市でも通貨単位として横浜円が採用されているという入り組んだ――あるいは統合された都市ではよくある――経緯を持つ。

 彼女達がゴアール市まで来たのは、とある目的の為であり、到着した一行は、適当に入った中華料理屋で食事と休憩をして、現在に至るというのがことのあらましである。

 彼女の視界、網膜投影型仮想インターフェイスには気温や湿度、大気汚染状況、霊素濃度等様々な情報が表示されている。

 インターフェイスの隅にある時計を見やる。現在時刻は――

「午後七時半、か。さて、ベルちゃんのとこでも行くか~」

 高橋はファミリアを思考操作して、ブラウザのウィンドウを表示する。

 動画サイト『MIMIC』へアクセスし、とあるチャンネルを開く。

 チャンネルのカタログには、チャンネル主がライブストリーミング中であると通知がされており、そのまま配信ページにアクセスすると、一人の男が配信中であった。

 長く美しい黒髪、闇色の瞳、整った美しい顔(かんばせ)。

 絶世の美男子が、視界内のウィンドウに表示された。

 彼こそがチャンネル主、ベルトール=ベルベット・ベールシュバルトである。

 恐らくタブレット型PDAに内蔵されたカメラ機能を利用して外で配信しているのだろう。仮想背景を使用せず、ゴアール市の景色がチラチラと写り込んでいる。

 今から約五百年前、アルネスという世界で勇者によって滅ぼされたが、現代に復活した不滅の魔王。

 なのだが――

『はぁぁぁぁ!?「西方遠征に向けてじっくり内政するのが正解だった」だと!? 素人が! なんにもわかっておらんな……! あそこは軍事力で勝っているアドバンテージを活かして南方に展開するのが正解なのだ! まあ突発的な大災害イベントのせいで全ておじゃんだったが、それは結果論であって……ああ!?「ランダム要素ケアする動きもしろ」だと!? せいぜい縮こまって空が落ちてくるのを憂いていろ! 莫迦者共が!』

 外配信中に、以前やっていたターン制ストラテジーゲームのネット対戦配信の内容について視聴者のコメントと喧嘩をしていた。よくある事である。

 こうして視聴者と喧嘩をしているベルトールを見ると、真実を知り、彼の不死性や魔王としての力を目の当たりにした高橋であっても、本当にそんなすごい存在だったのかたまに懐疑的になってしまうのであった。

「やってんねえ」

 高橋はうんうんと何度か頷く。

 身内というのもあるが、単純に配信者ベルトールのファンなのである。こうして視聴者と喧嘩しているのも日常的なものだ。

「どこにいるのかな~。ま、あたしちゃんの眼からは逃れられんのだがね」

 ファミリア内にインストールされている3D地図アプリを起動し、配信を遡り、ベルトールの配信画面内の背景を読み込む。

人造精霊の演算によって地図アプリと照らし合わせると、地図アプリ内に配信中のベルトールが現在いる予測場所が表示される。

 PDAにメッセージを送ったり、《念話(ウィスパー)》を応用した通話アプリを使ったりと連絡手段はあるが、ベルトールの配信中にはよっぽどの事がない限りは連絡を入れないと高橋は決めていた。

「こんなんあたしじゃなくても即特定されてそうだけど……突撃とか大丈夫なのかな」

 ベルトールならば大丈夫だろうと納得する。

 視界に高橋はじっと空を見る。

「ゴアールにいても新宿にいても、秋葉原に行った時だって空の色は変わらんねえ」

 約八十年前の大災害、現想融合(ファンタジオン)後に起きた地殻変動、異常気象、空間変異といった自然災害の爪痕は、八十年を迎えようとしている現在においても、未だ色濃く残っている。

 ゴアール市も例外ではない。

 元々は多くの水源と霊脈の流れで、豊かな土地だったのだが、地殻変動によって周囲を険しい山々に囲まれて、土地も痩せてしまったのだ。

 ゴアール市を囲む山々は、元々地中に存在していた鉱脈が隆起してできたものだと言われている。

「竜神の怒りに触れたから山で隔離されたなんてオカルトじみた話もあるけど、要出典って感じね」

 ネット百科事典のゴアール市のページをファミリアで表示しながら、高橋は呟いた。

 成り立ちが似ていながら、電気街と魔法街で別れていた秋葉原市と異なるのは、二つの都市、文化が完全に融合している点だ。

 貿易の要所となっているゴアール市は文化の坩堝であるが、特に港湾地区は複数の文化、建築様式が絡み合って成立しているよく言えば多様性のある、悪く言えば無秩序な都市である。

 高橋は路地から大通りへと出ると、遠くに聞こえていた喧騒が一気に押し寄せてきた。

「すんげ~なぁ」

 夜のゴアール市の街並みを見て、高橋は自然と声を漏らしていた。

 通りの入り口に設置された巨大で豪奢な牌楼。

 頭上にいくつも浮かぶ赤地に金字の提灯。

 古い民家の他に立ち並ぶのは、クラシックな雰囲気の帝冠様式や、質実剛健な東ドワーフ様式の建築物。

『ラーメン・汁・ド・レ』『全身もみほぐし』『廃品回収カネヤス・ゴアール店』『食べ放題』立ち並ぶ色とりどり霊素反応灯(エーテルネオン)の看板には、共通(エルフ)語よりも日本語、中国語、ドワーフ語が多く浮かんでいる。

 そしてそれらの上を走るのは、単車型の空走車(フライトビークル)。

「夜のゴアールは新宿とも秋葉原市ともまた違って、別の世界に来たみたい」

 ゴアール市は新宿市と比べると一様に背の低い建物が多く、代わりに路地の複雑さは秋葉原市電気街もかくやといった具合に入り組んでおり、大通りは非常に混み合っている。

 大通りを歩く者の数としては三百万人都市の新宿市の方が圧倒的だが、密集度合いで言えば大通りであっても道が狭いゴアール市の方が上だ。

 路地などはヒトが二人すれ違うのがやっと、オーガやオークといった身体の大きな種族では、一人でいっぱいいっぱいなくらいである。

「『不法な客引き、ビラ配り、メルニウスの押し売りにはご注意ください』……?」

 道端の電柱に立てかけられている看板の文字を読み上げる。

 看板の横には、屋台で焼きメルニウスを売っているオークのおばちゃんに強引に押し売りされている若い人間の男性がいた。

 ふと高橋が横に目を向けると、通りにはみ出るように黒火石(イブリスタ)を掘って作ったであろう、火の色が喪われた竜の石像が置かれている。

 石像は長い事手入れをされていないのか、随分汚れてしまっているように見えた。

「この辺、昔は竜信仰があったのかな」

 ゴアール市の街並みを眺めているだけでも楽しいが、観光にきたわけではないのだ。

 寒空の下、ふと一つの言葉が想起された。

 特にきっかけがなくとも、昔あった嫌な思い出や恥ずかしい記憶が蘇り、叫びながらのたうち回りたくなる例の感覚に似ていた。

 ――高橋って悩みとかなさそうでいいよね。

 そんな事を、以前学校の友達に言われた事がある。

 確かにお気楽な感じを出しているし、あまり悩みなどを表に出さない性分ではあるが、人並みに悩みくらいある。

 だがそれは世界を支配してやるとか大真面目に言う奴とか、そんな奴を五百年も一途に待ち続けた奴とか、復讐の為に今までの生活を全て捨てる奴とか、そんな連中の悩みに比べれば自分の悩みなどちっぽけであってないようなものだ。

 そうでなくとも、路地裏に溢れている浮浪児(ストリートチルドレン)と違って両親は健在だし住む家も帰る場所もあり、ちゃんとした教育も受けており食うに困っていない。

 霊竄士だって趣味の延長で、親に対する反抗半分、道楽半分のようなものだ。自分はきっと、何一つ、本気ではない。

「ここにいるのだって、楽しいからだもん。楽しくなくなったら止めればいいし」

 自分は勇者にも魔王にもなれない、大枠で見たら一般人であり、大業を成す事もせず、ただひっそりと小悪党として生きていくのだろう。

 そして、そんな自分にはやはり悩みなんてないのだ。

 そんな事を、考える。

 通りの果て、東の牌楼を抜けると波止場に出て真っ黒な海が見えた。

 夜の闇を液体にしたような、寒々とした海だ。

「さむ」

 海から吹き付ける肌を裂くような冷たい風に吹かれて身震いをし、着ているドワーフ・ジャケットのポケットに深く手を突っ込んだ。

 ドワーフ・ジャケットは腕が長く、そして太く、胴が短いという身体的特徴のあるドワーフの鉱夫労働者が着用していたジャケットで、元来寒さに強い作りの上に耐寒魔法が付呪されているが、耐寒領域結界内でも海風は身を裂くような寒さだ。

 3D地図アプリに表示されたベルトールの予測ポイントに辿り着く。

 周囲にヒトはまばらであり、釣りをしている者や、ドラム缶の周囲に集まって暖を取っている者などがいた。

「あ、いた」

 予測ポイントにベルトールはいた。

 リアルタイムで配信を流しながら探していたので、ちょうど配信は終わった所なのはわかっていた。

 ベルトールの様子を遠目に見ながら、

「何してんだ……」

 強い風が吹く埠頭で、係船柱(ボラード)に片足を載せ、膝に掌を置いて夜の海を睨むように、その男はポーズを取っていた。

 統合歴2099年の現代っ子である高橋にはなんなのかよくわからなかったが、何やらノスタルジーの匂いを本能で感じていた。

(でも、べらぼうに様になってんだよなぁ)

 黒いジャージが海風にはためき、ジャージの下には『魔王』と漢字で大きく書かれたTシャツ。決してお洒落とは言い難い野暮ったい格好なのにも関わらず、顔の良さとスタイルの良さでファッションとして完成させていた。

 この男前という文字の擬人化こそが魔王ベルトールである。

「ベールちゃん」

 彼の背に高橋が声をかけると、ベルトールはゆっくりと振り返る。

「高橋か」

「どったの? 黄昏れちゃって」

「議論が白熱してしまったからな、少しクールダウンしている所だ」

「配信見てたよ~。てか議論というよりは喧嘩じゃあ……?」

「そういう見方もあるな。多少喧嘩した方が信者もアンチも盛り上がる、盛り上がれば余に献上される信仰力も上がる。配信者と視聴者は対等の関係などと宣う者もいるが、余からすれば食う物と食われる者の関係だ。ま、それでも余に金や信仰を献上している以上は大事な民草ではあるがな」

「その割にはよく投げ銭感謝してるけど……」

「形でも感謝しておけば喜ぶだろう?」

 ベルトールにとって、ライブストリームというのは単に生活をする為の仕事ではない。

 ライブストリームという手段を用い、信仰力という霊的上位存在が信仰を受ける事によって得られる力の源を手に入れているのだ。

「外出て配信って居場所特定とか大丈夫なの? こっちにもファンいるんじゃない?」

「問題ない。外出時には軽い認識阻害を掛けるようにしているからな。余と直接会っている者には効果が薄いが、常人ではまず見破る事はできん」

「なる程ねえ。んでどうなのさ、信仰力の集まり具合とやらは」

「秋葉原の一件で余の姿が露出した事もあって順調に増加傾向にある。配信中に余とは公言していないから、噂が噂を呼んでいる状態だな。おかげで限定的にではあるが全盛期に近い力を発揮する事もできるようになった」

「へえどんくらい限定的なの?」

「そうだな、条件が揃って……」

「うん」

「大体一秒くらいだな」

「短っ!」

「確かにそうだが……それ以外にいくらか出力が必要な魔法が解禁(アンロツク)されたからな、余が世界を震撼させる日も近い」

「用語がもう完全にゲームに染まっちゃってんだよな……まー、秋葉原のはばっちり顔映ってたもんねぇ。流石にベルちゃんより緋月の方が話題になってたけど」

 言いながら、高橋は視界内で仮想ディスプレイを起動、エーテルネットワーク上のろくでなし共が集まる匿名掲示板を開くと、中指を立てた緋月のコラージュされた画像や動画――当然無許可だ――が大量に表示された。

 一連の流れと美少女が中指を立てるというインパクトの強さが、エーテルネットワーク上の一部で流行してミーム化、フリー素材化し一躍時の人となったのである。

「して、高橋よ」

「ん?」

「此度の探訪(クエスト)、その目的はわかっているな?」

「当然」

 と言って高橋は胸を張る。

「六魔侯それぞれの足跡が記された魔導書、魔侯録。秋葉原市で見事黒竜侯シルヴァルドの魔侯録を手に入れた私達は、そこに記されていたこの都市にやってきたのであった! こんな感じっしょ?」

 それこそが彼女達がここ、ゴアール市まで来たとある目的である。

 高橋の言葉に満足したように、ベルトールは頷いた。

「うむ。ただ観光に来たつもりではないようだな」

「あたしをなんだと思ってんのさ!?」

「冗談だ、許せ」

 言って、ベルトールは笑った。

「魔侯録の封印の解除が思っていた以上に……本当に思っていた以上に時間が掛かったが……解除できたのだから良いとしよう。その魔侯録に記されていた座標こそが――」

 ベルトールは東へ指を向ける。

 埠頭の先、海の向こうへだ。

 ゴアール市は、正確にはシルヴァルドの魔侯録に記された座標の都市ではない。

 記された座標、指の先、遠く。

 夜の闇のその向こうには金属を幾重にも積み上げた人工の島と表現するべき巨大な構造体のシルエットが聳えている。


「横浜市だ」

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