魔王2099 3.楽園監獄都市・横浜

第一章 楽園監獄都市《メタユートピアシティ》・横浜(1)

 二人の人物が、薄暗い部屋にいる。

 一人は男だ。

 中肉中背で、僧衣のようなものを羽織っており、シルエットだけではその種族まで判別ができない。

 その男には肉体がなかった。

 空間上に投影されたホログラムだからだ。

 もう一人は種族どころか性別も、年齢もわからない。

 全身を黒い鎧で覆っているからだ。

 鎧が羽織る外套には、剣を抱く竜が描かれており、黒の大剣を背負っている。

『――《救世教会(ギルド)》からの報告は以上。何か質問は?』

 黒い鎧から、声が発せられた。

 鎧は外部音声出力装置を噛ませている為か、ややくぐもり、エフェクトを掛けたような男の声がした。

「本当にこの『島』に来るのですか? そのベルトールという男は」

『さぁ……俺は詳しい話はよくわからんけど、ここに竜がいるなら来んじゃねえの』

「なんともあやふやな話ですね……」

『俺に言われたって知らねーよ、んじゃ帰るわ』

 金属の擦れる音と共に外套を翻し、鎧は男に背を向ける。

「もう行かれるのですか? せっかく来たんだ、食事(サバ)を出しますよ」

『俺は遠慮しておきます。つかヒトが食っていいやつなのか? そもそもこの島が通信遮断してなきゃ俺がこんな所に来る必要もなかったんだ、それに俺ぁ下っ端だから雑用が多くて忙しいんだよ。極東商人連盟(FEMU)への介入、新生光明結社(イルミナティ)、3U(スリーユー)、秘匿会(オーダー)、シドニックネット……世の中のわるーい連中と戦わなきゃならねえし、それにアキバで下手こいた《無貌(バカ)》から引き継いだ子守りもあるしな。ここ来るついでに近くで別の任務があってよかったぜ全く……』

 うんざりしたような声を出しながら、鎧は再び背を向けて歩き出す。

 扉が開いた瞬間、薄暗い部屋に光が差し込んだ。

 鎧が出ていき、部屋が影と静寂に満たされた。

 上海市での『白狼事変』で《竜殺し(ドラゴンスレイヤー)》が殉死、ロサンゼルス市での『真昼の赤い月事件』で《聖女(メイデン)》が新たな神秘の蒐集に成功、秋葉原市の『禍福女神捕獲計画』失敗の責任で《無貌(フェイスレス)》が降格。

 それらによる内部人事の変動で、己――《父祖(プロジェネター)》を第四席へ昇格。

 以上が《救世教会(ギルド)》からの通達だった。

 全て自分には興味がない。

 自分が何かの組織の何番目になろうとも、やる事に変わりはない。

 組織に在してはいる。だが志を共にしているわけではない。

 組織とは、自分達の計画の為に互いを利用し合うだけの関係だ。組織はこちらに技術と資金を提供し、こちらは組織の目的の手伝いをする。

 そしてもうすぐその関係も終わる。

 自身の計画が佳境に入ったのだから。

「もうすぐだ皆。絶対に私は皆を連れて、皆で一緒に理想の世界を、平和な世界を――」

 それは男の口から自然と出た言葉だった。

「あれ……?」

 男は不思議そうに首を捻る。

「皆って誰だっけ?」


       ◆


 妹が欲しかった。

 というよりは、お姉ちゃんになりたかった。

 自分は一人っ子だから、年下の家族が欲しかった。

 嗚呼、だから――


 混沌とした海に星が瞬いている。

 彗星のように、流星のように、ファミリアが、コンピュータが、サーバがトラフィックの光を飛ばし、光は尾を引いて別のヒトに、機械に繋がっていく。

 この光の一条一条が紡ぐ光と霊素の網こそ、一つの魔法を構成する術式である。

 機械を介してヒトは世界と繋がり、そうして作り出された膨大な情報の構造物はこう名付けられた。

「――エーテルネットワーク」

 少女はその魔法の名を呼んだ。

 エーテルネットワークとは、無数の機械が相互に接続しあい、数多の呪文で形成され、様々な術式で構築された複合魔法。一つの混沌とした巨大で広大な海(ソラ)である。

 その混沌の海の中を漂う少女がいる。

 チャイナ・ドレスの上にドワーフ・ジャケットを羽織った少女だ。

 仮想空間上である為に、その姿は彼女の分身(アバター)である。

 普通であれば現実世界とは異なる分身(アバター)を纏うのだが、彼女は律儀に普段の自分の格好をエミュレートしている。

 だが顔だけはドクロウサギのホロ・マスクで隠していた。

 この海はエーテルネットワークの術式を視覚情報に落とし込んだエーテルネットマップ。彼女のうなじに埋め込まれた情報端末――ファミリアが表示している仮想の空間だ。

 魔法という技術が確立されて以来、一つの魔法の術式規模としては記録上最大のもの、それがエーテルネットワークである。

「『混沌と矛盾こそが、この広大な海の本質である』アーサー・ダニエルズ著、電子から霊素へ。より引用」

 その言葉も少女が知っていたわけではない。エーテルネットワークの辞典から人造精霊が引用してきたものをコピーしただけだ。それは知識ではなく、単なる行為である。

 魔法というのは非常にシステマティックな代物だ。

 通常、魔法は術式の規模が大きくなればなるほどに術式の論理強度は増すが、それ故に不安定になり、構築難易度は上がる。

 一文字でも呪文が抜けたり、不要な呪文が足されたりすれば、途端に術式は自己矛盾を引き起こしてその構築を保てなくなり、論理強度を失って破綻、魔法そのものが崩壊するのである。

 故に、こう言われる。

「魔法は矛盾を許容しない」

 これは魔法学における六つの大法則の一つ、第一法と呼ばれる法則である。

 だがこのエーテルネットワークという巨大な魔法は、秒ごとに呪文や術式の増減によって論理的矛盾が引き起こっているにも関わらず、論理強度を維持し、崩壊していない。

「では何故常に矛盾し続けるエーテルネットワークは崩壊しないのか」

 少女は虚空に問う。そして少女はその答えを知っている。

 それはあまりにも膨大な術者が同時に、そして常時発動しているが為に、エーテルネットワークという魔法が混沌による矛盾を容認する特性を獲得したからだ。

 即ち、エーテルネットワークというのは第一法を踏破した唯一の魔法なのである。

 その巨大さで獲得した混沌による矛盾の容認によって多少の誤差はエーテルネットワークという魔法そのものが修正してしまうのだ。

 言うなれば、エーテルネットワークとは生きている魔法である。

 もしエーテルネットワークという巨大にして強固な術式の論理強度を持つ魔法を破壊しようとするならば、この惑星そのものを消滅させる規模の破壊力が必要になるだろう。

 それは事実上、エーテルネットワークは破壊不可能な魔法である事を意味する。

「やっぱここが一番落ち着くんだよなぁ……」

 少女は人類が作り出した最高にして最大の魔法の中をくらげのように漂う。

 浮遊感とまどろみが彼女を包む。

 物心付いた頃から触れてきたそこは、彼女にとっては第二の故郷でもあった。

「何したいんだろうなー、あたし」

 現実から離れる程に、強く現実を意識してしまう。いや、そもそもネットの世界が現実ではないというのが幻想なのだ。ネットの世界も、現実世界の延長線上に過ぎない。ネットの中は物理世界でないだけで、どうしようもなくリアルなのだ。

 現実は厳しい。

 肉体は脆く、手足も意識も認識の外に拡張しないし、一歩踏み出しても歩幅より広くは歩けない。

 身体能力は平均的、保有魔力量も放出魔力量も平均以下、世界を支配したいとも思わないし、世界を救う事もないし、五百年の時を待つ辛抱強さもないし、復讐の炎に身を焦がす事もない。ちょっとネットに詳しくて魔法をいじるのが得意なだけの、普通の小娘。

 それが自分だ。

 ならばせめてこの無限に広大で、小さな世界でのみ得られる万能感に浸っていたい。

 ここも現実なのだから、いいでしょ? そう少女は考える。

 目を閉じて、耳を澄ませる。

 ――シ。

 声が聞こえる。

 ――ハシ。

 誰かが呼んでいる。

 ――タカハシ。

 少女の事を、呼んでいる。

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